青の少女のヒーローアカデミア   作:かたやん

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第39話

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

 あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。

 所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

 朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。

 知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。

 また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

 その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。

 あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。

 あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

――『方丈記』より。

 

 

雄英高校 地下三千メートル 「青の少女」管理施設にて

 

「むむむむ……シアンさん……」

「何でしょう、分からないところが有りますか?」

「有る! とういうかこれ、全っ然! なにも! 分かんないー!」

 雄英の地下で彼女の声が木霊した。

 白に染められた部屋の中、青の少女はジタバタし。

 メイド服のシアンが、側で見守っている。

 青石ヒカルが、やっているのは宿題だ。それは、セメントスから特別に追加された課題。

 セメントスは現代文の担当だが、青石ヒカルの授業態度の悪さ。

 それに普段から思う所が有ったらしい。現代文で興味を持てないならと、なんと古文を持ち出してきた。

 シアンは青石の持つプリントを覗き込むと、一つ頷く。

「なるほど、『方丈記』ですか」

 ふむとまた一つ頷いてプリントを眺めるシアン。

 やがてニッコリとほほ笑む。

「良い教材ですね」

「ボク、これ全然意味が分かんないんだけど!?

 何の暗号なのコレ!?」

 よっぽど頭に来ているのか、両掌で机をバンバン、バンバン叩く。

 だが、シアンがじろりと睨むと。

「う……ごめんなさい」

 途端に止めた。

 シアンは普段は滅多に怒らないが、一度怒らせたら怖い。

 青石ヒカルは、その事を重々承知している。

「いいですか、これはですね……」

 シアンが勉強を教えようとすると、ドアがガチャリと開いた。

「よう」

「あっ! 轟君!」

 机から青石はバッと立ち上がる。

「はぁ……」

 嘆息するシアンを他所に青石は、遊びに来た轟に駆け寄った。

 轟は机の上のプリントと、筆記用具を見て言う。

「……お前も勉強するんだな」

「嫌々だけどね!」

「胸を張って言う事ではありません」

 シアンの小言を受けて「うー」と青石は唸る。

 そんな青石に轟は唐突に切り出してくる。

「……体育祭出るんだな」

 轟の言葉に、青石は首を振る。

「うん、出してもらえるって。でも……ボクが出るせいで相澤さん、もっと忙しくなっちゃったみたいで……」

「そこを気にしてはいけません。生徒の為に骨を折るのが、教師というものです」

「そ、そうかなぁー。……あっ!」

 青石の顔を見て、シアンはすぐさま釘をさす。

「……ヒカル。我儘を言いたい放題、言っていいとは一言も言っていませんからね」

「ななな……! なんのことかさっぱり分からないよ!」

「体育祭、本当に良いのかお前」

「何が?」

 青石は轟の言葉にキョトンとしている。

「……お前の実力なら、そりゃ最後どころか一位取れんだろうが。

 雄英体育祭の最後の種目。……何すんのか知ってるのか」

「うん、知らないけど? シアンさん知ってるの?」

「……」

 青石の言葉にシアンは目をつむっている。

 彼女は答えるべきか、悩んでいるようだ。

「シアンさん……?」

 青石の不安げな言葉に彼女は目を開けた。

「そうですね……。説明するよりも、実際に見せた方が早いでしょう」

 シアンは手元の端末を手早く操作する。

 数十秒もしたら、扉が開けられた。

 扉を開けたのは、配達用のドラム缶のようなロボット。

 アーコロジーシステムを運用していく上で、重要なのはロボットの存在だ。

 人が居なくても機能するシステムにおいて、人間の代わりに労働を担当するからだ。

 それはさておき、シアンはそのロボットから何かを受け取る。

 ロボットは部屋の外に去っていった。

 シアンはロボットから受け取ったものを、青石に渡してくる。

「DVD?」

「それに過去の雄英体育祭。その試合の映像が残っています。

 論より証拠。……ヒカル。あなたは暴力が嫌いですね」

「う、うん……そうだよ、嫌いだよ。大嫌いだよ。

 でも体育祭なんでしょ。暴力なんて……」

 シアンの手により、テレビのスイッチが入れられて、DVDが再生されていく。

 そこには――

「う、そ……ねぇ轟君。こんなの……こんなのボク聞いていない!」

「毎年、少しずつ形式は違うけどな。

 基本的に、最後の種目のコンセプトは変わらない」

「そうです。最後にやる種目は、一対一の格闘戦(ドッグファイト)

 今年は特に、生身同士での戦いになります。

 正真正銘、()()のぶつかり合いですよ」

 青石はただ茫然と見つめている。

 映像の中、個性でお互いに攻撃し合い、殴り合う少年たちを。

 互いの攻撃が、大きなけがや、致命傷になる事は避けている。

 それは青石にも流石に分かる。だが心がどうして受け入れない。

 人々が口々に賞賛している。

 熱い、かっこいい。ナイスファイトだった。見ごたえがある戦いだった。

 けれど青石には、そんな人達が、どうかしているとしか思えない。

 青石は轟とシアンに挟まれながら、映像の中の真実を飲み込んでいく。

 二週間後、自分もこの場に立つのだと、実感がどうしてもまだ沸かない。

 青石の震える手を、両脇に控える二人が優しく包む。

 彼女は彼らが側にいてくれて、本当に良かったと感謝した。

 世界はゆっくりと確実に変化している。

 今側にいてくれる轟と出会えたように。きっとそれは悪い事ではない。

 ――考える時間は、まだ少しだけ残されている。

 

……。

 

 緑谷出久は自宅に帰宅した。

 少し頭が痛く、緑谷は軽く頭を押さえる。

 あの事件が終わって以来、ずっと頭痛が続いている。

 お帰りとかけられる母の言葉に、「ただいま」と返す。

 出されたご飯もしっかり食べて、風呂にも入り、自室にこもる。

 緑谷はようやく、ずっと後ろについてきたアズライトに口を開いた。

「喋っても良いよ」

「もう! 心の中で返事すれば、ちゃんと伝わるって言ってるじゃない」

 ぶつぶつアズライトは文句を垂らしている。

 彼女には一つ頼みごとをしてあった。

 人が居る前ではよっぽどの事でない限り、話しかけないでほしい。

 もし話しかけても、返事をもらえると思わないでいてほしいと。

 緑谷にはアズライトが、現実の人間の様にはっきりと見える。

 だが他の人にアズライトの姿は見えない。

 彼女の言葉にうっかり返事でもしようものなら、変な独り言を言っている危ない人だ。

 黙って貰っていたのは。思わず口に出してしまいそうになるからだ。

 確かに心の中で思いさえすれば、彼女には伝わる。

 だが緑谷は他の人の会話中に、それを咄嗟に切り替えられるほど、器用では無かった。

 まぁそんな緑谷の思考も、全て彼女には分かっている。伝わっている。

 アズライトとは心と心を繋ぐ”電脳感覚”の個性。

 彼女自身が心を持った、緑谷と一心同体の”個性”なのだから。

「でも、ちょっと意外だったわね。()()()が参加するって決めたのは」

「青石さんの事?」

「ええ」

 参加するというのは、当然雄英体育祭だ。

 緑谷も教室で青石が、参加できると話した事に結構驚いた。

 彼女に参加の許可が下りた。その事に対する驚きはある。

 けれどそれ以上に、彼女自身が乗り気のように見えた。その事が緑谷を一番驚かせた。

「緑谷君、雄英体育祭だけど。私はあまり力を貸せそうにない」

「えっ?」

「あなたはあの事件の時にちょっと無理をしすぎたのよ。

 私の力は”演算”する事によって発揮される。そのために緑谷君の脳は酷使されてしまった。

 今も、頭少し痛むでしょう?」

「……うん」

 緑谷は更にずきっと痛む頭を押さえる。

 元々アズライトがとんでもない個性だというのは分かっている。

 これはアズライトが、以前言っていた代償なのだろうか。

「ええ……だから雄英体育祭の際は”ワン・フォー・オール”の力だけで戦って欲しい。

 緑谷君、分かっているとは思うけど、この個性だけでだって十分……」

「分かっているよ。……僕には勿体ないくらいの力だ。

 オールマイトの……ナンバーワンヒーローの力だ。

 本当は、僕なんかが持ってちゃいけないモノなんだ」

「……」

 アズライトの顔は浮かない。彼女の心が、何となく伝わってくる。

「ねぇ、アズライト」

 彼女にはまだ名前がない。緑谷だって考えてはいる。

 だがどうして決められない。一度決めてしまったら変えられないのだ。

 そう簡単に決められるものでは無かった。

「何かしら」

 緑谷は、ずっと考えてきたことを口にしようと決めた。

 考えてはいたが、目を逸らしてきたこと。

 本当はそうするべきだ、と思っていたこと。

 それはヒーローになりたい自分にとって、都合が悪いから。気付かないふりをしていたもの。

 今の自分が考えらる”最善”の選択肢を口にする。

「”ワン・フォー・オール”……別の人に託せないかな?」

 アズライトが緑谷をジッと見る。

 真意を奥の奥まで見透かす目で見られる。ロイヤルブルーの目が緑谷を射抜く。

 彼女の髪が優雅に揺れた。

「なぜ……そんな事を?」

「君だって分かってるだろ。……この個性は、もっと人の為に役に立てる。

 学生の僕が持っているなんて、とんでもない。

 人の為に、誰かの為に、頑張っている。そんな人が持つべきなんだ」

 彼女はそっと緑谷の横に来る。

「僕はまだ調整だけで手一杯。

 シアンさんに鍛えて貰ってはいる。だけど。

 100%使いこなせるのは……一体いつになるんだろう」

「焦らなくてもいいとシアンは言っていた筈よ」

「焦るよ!

 ……きっとオールマイトは、それまで持たない。

 だから……」

「違う人に託し、”平和の象徴”を担ってもらう。という事?」

 緑谷は頷いた。

 今話した選択肢が、緑谷が考えられる中での最善だ。

 オールマイトは自らが行っていた活動を後悔しているようだった。

 だが、緑谷は決してそれを否定したくない。

 例えどんなに彼が汚い事だと思っていても、彼に救われた人間がいる。

 (たす)けられた人間にとって、それは全てなのだ。

 だから”平和の象徴”は続いて欲しい。

 ”平和の象徴”が有ったから夢を見続けられた緑谷の様に。

 それに救われた人間は少なくない筈だ。

 だが、緑谷にはそれが出来るとは思えない。

 まず、体が出来ていない。実力も、経験も足りない。

 何よりまだ学生だ。高校一年生だ。

 まだ卒業まで三年近くかかる。オールマイトがその間活動できるとは、とても思えない。

 その間”平和の象徴”が不在の間。

 救われない人達はどうすればいいのだろうか。

 いったい何に縋って生きて行けば良いのか。

 だから緑谷は提案する。

 緑谷ではない誰かに、引き継いでもらう。例えばプロヒーローの中の誰かなど。

 少なくとも緑谷が努力して、使いこなせるよりは、”ワン・フォー・オール”を早く習熟出来るだろう。

 だから……

「……それも選択肢の一つでしょうね。

 いえ、結果だけで言うのなら最善なのかもしれない」

「だったら!」

「でも、緑谷君。

 ”平和の象徴”たるオールマイトが選んだのは。

 自身の次に強いヒーローではなく、才能に溢れた子供でもなく。

 高潔な魂を持つ賢人でもない。

 確かに緑谷君よりも、相応しい人は大勢いる。だけどね……」

 緑谷の頭に浮かぶ人達。

 今まで緑谷の中で一番すごい人と言えば、爆豪だった。

 だが世界は広い、様々な人が居る。

 客観的に見て、爆豪より優れている人間など、ごまんと居た。

 緑谷はその爆豪より自分を優れているとは、とても思えない。

 果たして自分に、この個性を継ぐに値する”資格”が有るのだろうか?

「彼が選んだのは……あなた。

 人を(たす)ける為に無茶な事をしてしまう、()()()なのよ。

 オールマイトが()()()を選んだのよ」

「……」

「その事を忘れないで。――まだ時間は有るわ」

「そんなに残されていない」

「でも()()ある。だから、後悔しないよう、よく考えましょう。

 私も考えるから」

「……うん、そうだね」

 まだ、時間は残されている。

 だがゆっくりと確実に世の中は移ろい、変わっていく。

 緑谷は、変わらないものが欲しかった。

 少なくとも”平和の象徴”には、ずっと変わらずあって欲しい。

 そう願っていた。

 けれど、この世界は無常で無情だ。変わらないものはない。

「随分と夜も更けたわ。もう、寝ましょう」

「うん」

 アズライトに入眠を促されて、ベッドに横になる。

 窓際で空を見上げている彼女が目に入る。

 夜空を見上げる彼女の目には、何が映っているのだろう。

 変わらないように見えるこの星空ですら。時と共に変わっていく。

 人間など言うに及ばず。全ての人間は老い、病にかかり、やがて朽ち果て死ぬ。

 それでも、人々は変わらないものを欲しがるのだろう。

 変わらないものなんてない。

 それから目を逸らすために縋るのだろうか。ずっと変わらないと信じられるもの。

 絶対的な何かを。例えば”平和の象徴”に。

「おやすみなさい、緑谷君」

 彼女の声は緑谷には届いていない。

 彼は静かに寝息を立てていた。


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