青の少女のヒーローアカデミア   作:かたやん

64 / 96
第62話

 世界が変わっていく。

 彼女によって塗り替えられていく。

 もっとより良く、もっと正しい姿を求めて。

 人々はあるべき世界を模索し始める。

 更に向こうへ。

 

「ボクがなりたいのは(ヴィラン)が出たらやっつけるヒーローじゃない。

 皆と一緒に自由で幸せで、誰もが(ヴィラン)にならずに済む。

 そんなヒーローになりたいんだ」

(やめろ……!)

 青石が無邪気にほほ笑んでいる。

 彼女が笑う。彼女の周りにいつの間にか人が集まってくる。

 轟、麗日、八百万、飯田。そして相澤。

 皆笑っている。笑って彼女の言う理想の世界に、共鳴し共感し。

 今と違う世界へと変革を誓う。

「青石さん!」

「なぁに?」

 彼女が振り向いた。

 緑谷は青石のキラキラとした目が苦手だった。

 理由は分からない、そう思っていた。

 けれど気付いてしまう。本当は分かっていた。

 緑谷よりもはるかに過酷で、困難な環境に身を置かれようとも。

 彼女は理想を捨てる事は無かった。

 暴力や権力に虐げられて、理不尽な仕打ちを受けようとも。

 誰も彼女の夢を壊せはしなかった。

「君は本当に……?」

「うん、人の為に誰かの為になりたい。

 この世界のどこまでも行きたい。

 緑谷君だってそうでしょ?」

「……違う」

「うーん。緑谷君はよく分かんないなぁ。

 ねぇ緑谷君。(ヴィラン)が出て、それをヒーローが捕まえる。

 こんな馬鹿で下らない争いを、いつまで続けるの?」

 首を傾ける青石に緑谷は歯ぎしりする。

 無個性だからと言ってふてくされ、燻ぶっていただけの緑谷とは違う。

 彼女の異常性は決して力から来るものではない。

 それは、人の為に誰かの為に。

 その強迫観念に近い信念から来るものだ。

 一見よさそうに見えるその信念も、緑谷から見れば異常の一言に尽きる。

 まるで人の為に誰かの為に。

 そうあるように仕組まれた機械のようだ。

「青石さん」

「うん?」

「例えヒーローが居なくなっても、皆が幸せでありさえしたら……。

 君はそれで良いの?」

「うん、そうだよ」

 彼女の返事は最初から分かっていた。

 だから、最終的にヒーローが居なくなかろうが彼女には関係ない。

 皆を幸せにするためになら、ヒーローなど彼女は切り捨てる。

 宇宙のどこまでも自由に行けて、皆が幸せに暮らせる世界。

 それが青石の()()

 青石にとってヒーローとは、目的を叶えるための()()でしかない。

 だが緑谷にとっては違う。

 緑谷にとってヒーローとは、なりたいものその物。

 ヒーローになること。それ自体が手段ではなく()()なのだから。

「緑谷少年」

 青石の側のオールマイトが緑谷の前に立つ。

 痩せこけた姿から一転して、筋骨隆々の姿へと変わる。

 まるで緑谷から青石を守るかのように。

「人を助ける事に憧れるなら警察官って手もある」

「でもそれは……!」

「あれも立派な仕事だ!」

 緑谷が反論しようとしても、ピシャリと言い含められる。

 言葉が出てこない。

「人の為に誰かの為に。ボクはそんな風になりたい」

 青石の頭をオールマイトが優しく撫でている。

「誰も(ヴィラン)にならずに済む世界にボクはしたい」

「止めろ……止めてよ! そんな事しちゃいけない!

 そんな世界になったら!」

「どうしてデク君? (ヴィラン)が出ずに済むのなら。それに越した事なんかないじゃん」

 麗日が疑問の声を上げる。

「違う!」

「何が違うんだ?」

 今度は飯田が困惑している。

「もし(ヴィラン)が居なくなったら……!」

「ええ、困るのはヒーローでしょうね」

「っ! シアンさん!」

 緑谷の隣にシアンが現れる。

 シアンは丈の長いスカートをたなびかせ青石の元に寄る。

「シアンさん!」

 青石の声が喜色に染まり、シアンに飛び込む。シアンは優しく抱き留めた。

「ええ、ヒカル。あなたになら出来ます。

 人の為に誰かの為に。誰も理不尽に(ヴィラン)に追い込まれない世界に」

「やめろ……僕はヒーローになるんだ! ならなくちゃいけないんだ!」

 彼女の言う理想の世界。

 けれどそこに――ヒーローの姿は無い。

 ヒーロー達は必要とされていない。

「あなたにならきっと出来る……ヒーローが要らない世界に」

 何故ならそこに(ヴィラン)は居ないから。

 (ヴィラン)が居ない世界に、ヒーローは必要ない。

「やめろおぉおおお!」

 緑谷が拳を振るうと嵐が起きる。

 青石の周りに居る人間が全て吹き飛んだ。

 バラバラになったはずの肉塊は何も残さず、霧のように消えていく。

 

 そこに残ったのは、ただ一人。

 青の少女の姿だけ。

 彼女は緑谷を悲しそうに見つめ。一筋の涙を流した。

「そっか君が(ヴィラン)だったんだね」

 緑谷は泣いている彼女に拳を向ける。

 拳が触れるか触れないかの所で、彼女は光になって消えていった。

 

 景色が薄れていく。

 悲鳴があちこちから聞こえては消えていく。

 体に力が入らない。

 手を伸ばそうとしても何も出来ない。

「小僧」

「え……何ですか貴方は?」

 また唐突に人が横に現れる。

 なのに緑谷は疑問を浮かべることも無い。

「色々と教えてやりたいが、今は時間が無い。受け取れ」

 緑谷の胸に男は手を押し付けてくる。

 途端に胸の奥に熱いものが広がった。

「これは……!?」

「”黒鞭”俺の個性だ。こいつは良い個性だぜ。

 守りなよ小僧。今のこの世界を……あの嬢ちゃんのわがままから。

 ヒーローが居て、(ヴィラン)が居るこの世界を。

 ”ワン・フォー・オール”を完遂させるのは、お前だ」

「待って! いったい何を!?」

「青石ヒカル……。あの(てき)を倒せるのはお前しかいない。

 頼んだぜ」

 そして姿も声も消え失せる。

 だんだん視界が薄暗くなり。

 先ほどまでのやり取りも思い出せなくなっていく。

(てき)って……誰だよ」

 感じるのは胸の奥で躍動する新しい個性(ちから)と。

 それ以上の痛みが走っていた。

 

…………

 

………

 

 

 

「うわあああぁああああ!?」

 緑谷はベッドの上で跳ね起きる。

 自室の照明は落とされており、まだ薄暗い。

 乱暴にカーテンを開くと未だ空は闇に覆われている。

 壁掛け時計を見ると午前四時。

 普段ならまだ寝ている頃だ。

――随分と大袈裟な目覚めね?

 ベッドの上にいつの間にかアズライトが腰かけている。

 彼女の姿は最初に有った頃よりより一層、現実に存在するのではないか。

 そう思わせられるだけの存在感を放っていた。

――それだけ私があなたに馴染んできたという事

 緑谷は返事を返さない。

 彼女も素知らぬ顔をしている。彼女が手を口にやり欠伸をする。

「……夢を見たんだ」

――どんな夢?

「それが……良く思い出せない。でもきっと……うん、青石さんの夢だったと思う」

――……そう

「えっ? 何?」

 何か言いたげなアズライトに聞くが彼女は聞こえないふりをする。

 まぁ考えが有るのだろうと、緑谷は考える。

 やけに目が冴えてしまった。

 もうここまで意識がハッキリしてしまっては、再び寝るのは難しいだろう。

 やることも無くスマートフォンを開く。

 いつものようにヒーローのニュースを探す。

「これも、これも! 青石さんのばかりじゃないか」

 一面に出てくるのはやはり青石ヒカルの記事ばかり。

 彼女がインターンを終えて三日経つ。

 青石ヒカルが君臨した一週間は凄まじいものだった。

 彼女がどれだけの影響を及ぼしたのか、正確にはまだ誰も把握しきれていない。

 

 だが判明している事実が一つある。

 それは一週間の間表向き、一切の死者が発生していないという事。

 人は生まれた以上いずれ死ぬ。

 それは病気であったり、事故であったり、寿命であったり。

 理由は様々ある。

 だが青石ヒカルが動いた一週間では、一切の死者が日本から消えた。

 普段なら処置の施しようもない患者も、事故で無くなる人も。

 一切合切、日本中の全ての死に瀕する人間を、青石ヒカルは助け切った。

 一週間の間、普段ならありふれている自動車事故すらも、一件も発生していない。

 一件すらもだ。

 紛れもなく青石ヒカルが事故を未然に防いだからだ。

 そんな事は普通は出来る筈がない。

 けれども青石は普通ではない。

 彼女が本気になれば、それこそ神と同等の奇跡だって起こせるはずだ。

 それが起きただけ。

 

 緑谷はネットの掲示板を少し覗いてみる。

 普段はあまり見たりはしない。そこにはありとあらゆる人間の悪意が集まっているから。

 書き込みを見た緑谷の手に力がこもる。

 

 青石に命を救われた人間が、あちこちに情報を拡散している。

 そして皆が口にする。

 青石ヒカルが活躍している間は、本当に良かった。

 それに引き換え――ヒーローはなんて情けないんだ、と。

 

 青石ヒカルがインターンを終えた瞬間、奇跡の時間は終わった。

 普通に自動車の事故は起きるし、(ヴィラン)は発生する。

 一週間の間、青石ヒカルがどれだけのことをしていたのか。

 今まさに全ての国民が実感している。

 彼女は全国の幾万のヒーロー達全てより、ずっと多くの成果を上げていたのだ。

 それを誇ることも無く、ただ人の為に誰かの為に行動し続けた。

 当然、人は青石を持ち上げて、ヒーローを蔑む。

 普段金儲けのためにヒーローをしている人と、無償で結果を出した青石ヒカル。

 考えてみたらこうなるのは必然でもあった。

「糞っ!」

 緑谷が憧れた世界が、ヒーローが滅茶苦茶にされている。

 例え青石に悪気がなかろうと。

 緑谷がなりたいものに泥を塗られていく。

 緑谷が憧れたもの、必死に勝ち取った力すらも彼女は否定する。

 このまま行けば、世界は彼女にどんどん歪められてしまうだろう。

 緑谷は彼女がもう放置できない、危険な存在になっていると思った。

 

…………

 

………

 

 

 

「何だアレ」

「えっなになに? うわぁ……」

 二人は雄英に登校しているところだ。

 いつもの駅を降りて雄英への道を行く途中麗日に会い、そのまま合流。

 一緒に登校している最中だった。

 緑谷の指さした方を麗日が見る。

「青石ヒカル万歳!」

「万歳! 万歳! 万歳!」

「ヒーロー”セルリア”万歳!」

 人がごった返していた。

 老若男女問わず様々な人達が集まっている。

 彼らは手にプラカードや横断幕、拡声機なんて持ち出している。

「何だろうアレ」

「青石ヒカルの信奉者どもさ、はぁ」

 緑谷の呟きに一人の男が愚痴を零す。

「どちら様ですか?」

「見て分からない? 店長さ。コンビニの、ね」

 本人が言う通りコンビニの店長だろうか。青と白のストライプの制服を着ていた。

 たしかに店長らしい。胸に名札が付いている。

 そこに名前と店長と書いていた。

 手には放棄とチリ取り。店の前に散乱しているゴミを拾っているのだろう。

 そのゴミが何処から出たものなのか、すぐに察しは付いた。

「あんた達、雄英の生徒だろ?」

「あ、はい。そうです」

 制服を着ているので分かるのは当然か。

「ここ数日の話さ。青石ヒカルって奴がインターンを終わったくらいからかな。

 全国からそいつの信者が集まってねぇ。デモ行進やら集会やらで集まってんだ。

 雄英がすぐ近くだからね。奴らにとってはいわば聖地ってことさ雄英は」

「はぁ」

「ほんといい迷惑だよ。そのせいでたむろする奴らが絶えない。

 見ろよこのゴミを。奴らが落としていくんだ。

 近所の奴らは怖がって近寄らない。おかげでこの有様だよ。

 全部青石って奴のせいだ」

 麗日がムッとした顔をしたが緑谷が止める。

 これも青石ヒカルがもたらした世界の歪みそのものだ。

「何が救世主だよ。たかが一週間働いただけの癖に。

 ほんっと、とんだ疫病神さ」

「これは青ちゃんのせいじゃ有りません!」

 今度は我慢できなかったのか麗日が声を上げた。

「はっ! あんたに何が分かるって言うんだ?

 あいつが出てから、俺の生活は滅茶苦茶だ!」

「でも青ちゃんは!」

「麗日さん! それはまずい!」

「えっ?」

「おいそこのお前!」

「遅かった……!」

 いつの間にか集団に緑谷達は囲まれていた。

 ざっと十人以上いるだろう。

 正確に言えば、囲まれているのは隣に居るコンビニの店長だ。

 明確にその男は敵意を向けられている。

 緑谷と麗日は眼中にすらないらしい。

 もう一度名札を見る。

 苗字しか書いていない。”佐々木”と書いていた。

「な、なんですかあなた達は!」

 店長の佐々木は怯えた声を出す。

「佐々木、か。おい貴様、神を侮辱したな?」

「神……? い、一体何のことやら」

「とぼけても無駄だ!」

 がっちりとした男が店長の胸倉を掴んだ。

 店長は情けない悲鳴を上げる。

「しっかり聞いていたぞ!

 我らが女神を疫病神と呼んだのをな!」

「そうよそうよ!」

 そのまま佐々木は、地面へと投げ倒された。

「す、すみません! すみません!」

 コンビニの店長佐々木は箒も手放して、下手に出て謝る。

 だが彼を囲む集団の熱は下がる気配がない。

「その侮辱断じて許しがたい!」

 どんどん彼らの怒りのボルテージが上がっていく。

「どけ!」

 緑谷と麗日は集団から弾き飛ばされる。

 店長は集団の中に揉まれていく。

 麗日が見るからに焦った声を出す。

「ま、まずいんじゃない?」

 緑谷は一呼吸おく。

 冷静にならないといけない。そう考えた。

「うん、でも取り敢えずここは巻き込まれないように距離を……」

「ぎゃあああ!」

 人垣に阻まれていったい何が起きているのか分からない。

 だが今聞こえたのは店長の悲鳴だった。

 おそらく暴徒となった人が店長に襲い掛かっているのだろう。

「粛清を!」

「殺せ!」

「裁きを与えよ!」

 明らかに穏やかでない言葉が聞こえてくる。

 緑谷は最悪の事態を避けようと、麗日の手を引こうとするが。

「駄目だよ! 緑谷君! 青ちゃんなら見捨てたりなんか絶対にしない!

 助けないと!」

 緑谷が止める暇も無く、麗日は集団に飛び込んでいく。

「麗日さん!? 駄目だ!」

「落ち着いて! 落ち着いてください!」

「なんだてめぇ? お前も異端者か!」

「女神への批判は断じて許さん! 貴様も粛清しなくてはな!」

「麗日さん!」

 緑谷が声を上げる。

 だが次の瞬間、暴徒たちは次々にその場に崩れていった。

「えっ?」

「わーたーしーがー来た!」

「オールマイト!」

 ”平和の象徴”がそこに居た。

 鍛え上げられた鋼の肉体。口角はにっと吊り上げられている。

 右手と左手にそれぞれ麗日と佐々木が抱えられていた。

 そして二人を地面に下ろす。

 暴徒たちを見ると全員気を失っていた。

(なっんだこれ! これがオールマイトか!

 やっぱりオールマイトの力は凄い……。

 いや僕も同じことが出来る筈なんだ。今はまだ無理でも。

 僕も早く出来るようにならないと……)

 どれ程の精密な加減をしたら可能だと言うのか。

 改めて化け物のような力のコントロールだ、

 オールマイトがオールマイトたる所以の一端を緑谷は見た。

 同じように緑谷がしようとすると、暴徒たちを全員殺してしまうだろう。

「怪我は……少ししているね。すまない遅くなって。

 大丈夫だったかい? ちゃんと病院で診てもらうといい」

「あ、ありがとうございます!」

 襲われていた店長は何度も頭を下げている。

「後は警察が来るから心配せずともいいさ。……ヒーロー達にも伝えておくよ。

 特にこの辺りを警戒して欲しいとね。彼らのような輩はまた湧いてくるだろうし」

「オールマイト……」

「緑谷少年も麗日君も! 遅刻せずに来るんだぞ。

 まだギリギリ間に合うからね。じゃ!」

 オールマイトは風のように去っていった。

 緑谷はオールマイトが去った方をジッと見る。

 遠くからパトカーのサイレンが幾つも聞こえてくる。

 オールマイトが去った際に吹いた風はやけに冷たく、段々と時代が変わっていくのを感じずにはいられなかった。

 緑谷は、青石ヒカルが取り返しのつかない破局をいずれ生み出す。

 その原因になるだろうと改めて確信した。

(急がないと……青石さんに対抗できるのは、僕だけだ)

「デク君?」

「何でもない、行こう」

 麗日の心配そうな視線。

 それに緑谷は気付くことは無かった。

 

…………

 

………

 

 

 鳥のさえずりが聞こえる。

 生い茂る木々の向こうを見ても、その声の持ち主は見えなかった。

 頭上から木漏れ日が斑になって照らす。

 青石はメイド服の女性と手を繋ぎながら、森林浴を楽しんでいた。

「具合はどうです?」

「まだ本調子じゃないけど……大丈夫だよ」

「そうですか」

 丈が長いメイド服の女性はシアン。彼女のいつもの微笑みに青石もつられて笑う。

 青石が目覚めたのはつい昨晩の9時頃。

 それからまた一眠りして、今朝に至る。

「それにしても三日も寝てたんだねボク」

「むしろよく三日で済んだと思いますよ」

「そんなに?」

「ヒカルのやり遂げた功績は大変なものですよ。

 常人なら精神がとても持たないでしょう。過労死ラインなんてとうに飛び越えているのですから」

「えへへ」

「褒めてません」

 恥ずかしくてはにかんだ青石。だがシアンはピシャリと言う。

「うう……でもぉ」

「相澤様もおっしゃっていたのでしょう? 無理はするなと」

「ご、ごめんなさい……でもボク」

 シアンは足を止める。背の低い青石と目が合わせるため、膝を曲げた。

 青石はシアンの目の色に吸い込まれそうな感覚を覚えた。

「責めてなど居ませんよ。ですが、ヒカルが相澤様が大切なのと同じくらい、相澤様や私もヒカルが大切なのです」

「……うん」

「あなたが心配なのですよ、皆」

 シアンは頭をそっと撫でてくる。

 青石はシアンが愛おしくなってシアンに抱きついた。

「……ごめんなさい」

 シアンは何も言わない。

 だが気持ちは伝わってくる。

 抱きしめた温もりが言葉より明確に感情を表している。

「ヒカル、学校はどうします?」

「行くよ、皆に会いたいしね」

「本当は休んでいて貰いたいのですが」

「ごめんねシアンさん、でも」

「分かってます」

 二人で道端のベンチに腰かけた。

 そっとシアンの方に寄りかかり、そのまま膝の上に頭を乗せる。

 シアンの膝枕をして貰うのが青石は大好きだった。

「シアンさん」

「何ですか」

「ボク決めたよ、人の為に誰かの為になりたい。

 人が何処までも自由に生きるために。

 誰一人(ヴィラン)にならない世界にする」

「……それがどういう意味なのか。分かっていますよね」

「うん……。もしそんな世界に出来たら。

 ヒーローは……居なくなる。この学校も必要なくなる。

 皆の夢は……叶わなくなる。ボクのわがままで」

 風が一段と強く木々の間から吹き付けた。

 日差しも先ほどより高くなっている。

 時間が過ぎるのが早い。もう少しで朝のホームルームが始まるだろう。

 シアンの手に手を伸ばす。

 シアンは優しく手を包んでくれた。

「分かってるじゃ有りませんか」

「緑谷君は反対するだろうなぁ……シアンさん緑谷君に色々教えてるんでしょ?」

「ええ」

「反対しないの? (ヴィラン)の居ない世界にするって。

 ヒーローが必要ない世界にするって」

「……反対などするものですか。

 (ヴィラン)が居ない世界以上に幸せな世界なんて、有る筈がないのですから」

「本当?」

「確かに緑谷様には、技術を教えています。ですがそれをどう使うかは、緑谷様自身が決める事です。

 私じゃ有りません」

「そっか」

「ええ。そうなのですよ。それに、ヒーローでなくても人の為になる仕事は有ります。

 もっとも……」

「どうしたの?」

「いえ、何でもありません」

 一週間の間頑張って分かった事が有る。

 この世界は仕方がないことが積み重なった結果、たくさんの理不尽が生まれていること。

 そして仕方がないから諦めて、折り合いをつけていくしかないのだということ。

 だけど、青石の力が有れば仕方がないことも、何とか出来るかもしれない。

 全ての理不尽を排除するのは不可能だとしても。

 現在より良くしていくことが出来る筈だ。

 今までの人間が超えられなかった、当たり前に存在している壁を超える。

 更に向こうへ。

 宇宙への進出だってその一つだ。

「難しいね、戦いたくなんてないのに。多分いつか戦わないといけないんだろうなぁ」

 宇宙へ単独で行ける青石であっても、他人と分り合う事は難しい。

 力で征服するのは簡単でも、説得する事はそれより遥かに困難だ。

 やはり悪人は殴ってやっつけるのが一番楽なのだ。

 だからこそ、青石は分かり合いたい。

 例え困難であろうとも、合理的じゃなくても。

 話し合って分かり合える。相互理解を実現させる。

 それより尊いものが、この世界にあるだろうか。

「私は、ヒカルの味方ですよ」

 シアンの言葉が身に染みて嬉しかった。

 長い長い進まない時をさまよい、ようやく帰ってきた場所にシアンが居る。

 そして教室に行けば相澤もいる。

 きっといつもの様に怒られるんだろう。

 それでいい。

 青石が一番欲しいものは、既に手に入っている。

 それでも青の少女は止まらない。

 止まる訳にはいかない。

 人の為に誰かの為に。

 そのために青石は生まれてきたのだから。

「本当に難しいね」

「ええ、世界とは簡単では無いのですよ」

 青石はシアンと互いに温もりを確かめていた。

 二匹のアゲハ蝶が祝福するように、二人の側を舞う。

 その黒は、この世の果てと同じ色をしていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。