青の少女のヒーローアカデミア   作:かたやん

69 / 96
第67話

 雨は止むことなく降り続く。青石の今にも倒れそうな体を片手で支え、もう片方の手で傘をさし歩く。

 青石と同じ傘の下ゆっくりと足を進める。

 彼女はやがて口を開いた。

「相澤さん、ボクやっぱり間違えてるのかな?」

 青石は悩まし気な顔をしている。

 教室で緑谷と言い争っていたようだし、今さっきも何やら会話していた。思うところがあったのだろうか。

「緑谷と何かあったのか?」

「ちょっとね。……反対されちゃった。世界は変わる必要なんてない。

 (ヴィラン)が出てヒーローが倒す。それの何がいけないって」

「そうか、緑谷はそう言ったのか」

「うん」

 しばらく青石から緑谷が話した内容を聞く。

 緑谷の言い分にも一理ある。確かに青石の言っているのは理想論だ。それを言っているのが青石だからこそ、意味を持つ。

 言葉は発言した人間によって重さが変わる。ただの無力な人間が、(ヴィラン)の居ない社会にしたいと言ったところで誰が聞くだろうか。

 いや、聞きやしないのだ。青石以外の誰が、それを言ったところで相手になどしない。

 青石を支持すると根津校長は言った。けれども彼女以外の人間が口にしたところで、校長も聞きはしなかっただろう。彼もまた彼女の力しか見ていないのかも知れない。

「ねぇ、相澤さん。ボク……」

「お前がどうすればいいのか、俺はその答えを持っていない」

「えっ」

 青石の目が僅かに見開く。信じていたのにと言わんばかりに衝撃を受けているのが分かった。

「お前がやろうとしてる事は、今まで誰にも出来なかった事だ。

 今後も、お前以外の誰にも出来ない事だ。

 だからどうすれば良いのか、誰も答えを持っていない。校長も、オールマイトも、俺もだ」

 水たまりが足で跳ねる。隙間から水が入り込んできて、靴の中はぐちゃぐちゃだ。

「これから先、お前に反発するのは緑谷だけじゃない。社会にはヒーローがないと困る人間がごまんと居る。

 (ヴィラン)がいない世界。ヒーローが要らない世界。

 緑谷だけじゃない。お前が世間にそれを言うと、必ず反対する人間は出てくるんだ」

「……うん」

「それにな、そう急がなくてもいい」

 一度相澤は立ち止まる。青石も足を止める。

 視線が混じり合って、相澤は青石の体から手を放した。

「急がなくていいってそんな! 今だって苦しんでる人が」

「焦るな」

 彼女の頭に手を置く。彼女の表情はまだ晴れない。

「世界を変えるにしても時間はかかる。何年……もしかすると何十年もかかるかもな。

 何かを変えるってのはそう簡単じゃない」

「……そう、だよね」

「心配するな。何が有っても俺はお前のそばに居る」

「……」

 彼女は相澤にしがみ付いてくる。

 その姿はとても弱々しい。

 青石が今何を考えているのか分からない。彼女の望みが何なのか、知るすべはない。

 だが相澤は思う。

 彼女は人の為に誰かの為によりも、自分の為に生きるべきだ。

 青石は本当は何処にでもいる、只の一人の少女でしかない。

 そんな彼女に今まで重責を担わせてきた。けれども、もうそろそろ解放されてもいいのではないか。

「それにな、前にも言っただろう? お前は人の為に誰かの為にじゃなくて、お前自身の為に生きるべきなんだ

 世界を変える事だけ考えるんじゃない。もっと自分がやって楽しいものを探すんだ」

「自分の……?」

「ああ」

「本当にそれで良いの? ボクは人の為に誰かの為に、その為に作られて……」

「それで良いんだ。お前は自分の為に生きてみろ。それが俺がお前にして欲しい一番の大事な事だ」

 人は彼女の夢や理想を美しいと言うだろう。だが相澤はそれは違うと思う。

 例え汚かろうが、人間は自分が一番大事であるべきなのだ。

 自分よりも他人が大切だなんて、そんなのは人として壊れている。

「相澤さん……あのね……ボク、好きな人が出来たの」

「……そうか」

「自覚できたのは最近なんだけどね」

 青石が照れくさそうに笑う。頬も赤く染まっている。

 相澤は自惚れるつもりは無いが、十中八九それは自分だろうと思う。

 普段の態度から青石の気持ちは、嫌という程察せられている。 

「それで、どうしたいんだ?」

「で……デート……」

「ん?」

「その……えと……デート! したいなぁって」

 青石は両人差し指をツンツンしている。

 ちらちらと覗き込むように相澤を見てくる。

「デートか、誰と?」

「相澤さんと!」

「……」

「あくまで予行! 予行練習だからね!

 そ、その好きな人と一緒に行く時に失敗したく無いから!

 だから予め練習しておくの!」

「そうか予行か」

 青石は相澤の言葉に飛びつくように首を縦に振る。

 もう彼女の顔はこれ以上赤くはならないだろう。それほどに血が巡っている。

 ゆでだこの様になるという表現ではとても追いつかない。

「だから! あの! ……デート」

 尻すぼみになる青石の言葉。本当は相澤だって分かっている。

 青石が誰が好きなのか。

 ただそれを正直に言うのが恥ずかしいだけだろう。

「ダメ?」

「……分かった、行こうか」

 その一言に青石の顔が一気に晴れる。

 先ほどの涙が嘘のように笑う。

「やった……! やったぁー!」

 青の少女が無邪気に飛び跳ねる。彼女が拳を突き上げると、空を覆っていた雲が一瞬で蹴散らされた。

 太陽との障壁は無くなり、一気に強い日差しが差し込んでくる。

「あはははははは!」

 青の少女が太陽に向かって手を伸ばす。彼女なら本当にその気なら、太陽だって掴めるだろう。

 相澤は眩しくて目をすぼめた。

 思い出すのは昔。

 彼女がどれ程までに外に憧れていたか。人を恋しく思っていたか。

 利用され、殺される筈だった彼女がこうして笑っている。幸せを感じてくれている。

 彼女の顔に今ある笑顔は、本物だ。

 人の為に取り繕い、恐怖を誤魔化すためじゃない。

 心の底から溢れた感情が、そのまま表に現れた本物の笑顔だ。

 彼女の夢の先にどれほどの困難があるか分からない。

 だが相澤はこの笑顔だけは守って見せる。そう心の中で固く誓った。

 空は青く澄み渡り、どこまでも際限なく広がっている。

「相澤さん、約束だよ! デート! 行こうね!」

 彼女の笑顔は、空より晴れ渡っていた。

 

…………

 

………

 

 

 麗日お茶子は中断し、自習となった午後を教室で過ごしていた。

 教室の中には麗日以外には誰も居ない。

 各々学校の中に散っている。

 主に人気が有るのは室内の演習場だろうか。

 雄英では当然屋内で個性を使用できる演習場も設けられている。

 その使用許可を得ているのだろう。

 個性は原則使用が禁止されている。だがそれはあくまでも建前だ。

 現にこの雄英に入る時には当然のように、個性をどれだけ使いこなせているか。それを確認する実技試験があった。

 普段から個性を使用していないと本気で雄英側が考えている筈がない。

 むしろ人の目を盗み、どれだけ自身の個性を磨き上げているかをチェックしている。

 だから当然、1-Aのクラスメイト達も全員、普段から体や個性を鍛えているのだ。

 そうでないと一流のヒーローにはなれない。

 まぁ今では麗日はヒーローになりたいと考えてはいない。

 だが少なくとも、雄英に入るまでは本気でヒーローになりたいと

 机の上に広げているのは明日の授業の宿題。

 雄英は進学校としての一面も有る。ヒーローとしての授業に加えて、当然通常の教科もある。

 そして宿題も勿論山のようにしなければならない。

 ヒーローの世界は厳しい。もし夢かなわず脱落したとしても、食べていけるだけの教養は身に付けなければならない。だから雄英側は勉学に力を入れる。

 それに青石の夢の先にはヒーロー達は必要ない。

 今のうちにヒーローとは別の進路を視野に入れておく必要が有る。

「集中できん……」

 だが集中が出来ない。

 心の中に青石の姿が幾度も再生される。教室を見渡しても青石の姿は無い。そして緑谷の姿も無い。

 集中しようとしても、青石と緑谷のやり取りだけが頭の中に再生される。

 ふと麗日の心のどこかで悪魔が囁く。

 もし困窮に追いやられたとしても、青石が助けてくれるぞ、と。

 だが麗日は首を振って、その誘惑を振り切る。

 出来れば青石の手を借りず、自分の夢は自分で叶えたい。

 先日青石が麗日の自宅に大量の現金を持ってきたことが有った。

 麗日の家が裕福では無いと知った青石が善意でお金を譲ろうとしたのだ。

 ジェラルミンケースにギチギチに詰められた札束を見た時は血の気が引いた。

 青石はとっくに大金持ちになっていたのだ。

 だが、麗日とその両親は青石の提案を断った。

 現状暮らしていけるだけのお金はある。だからそのお金は困っている人と、自分自身の為に使って欲しい。そう言って諭した。

 青石は渋々と言った感じに引き下がった。

 

 彼女は未だに教室に帰ってこない。いったい何をしているのだろう。

 ふと、降り続いていた雨が突然止んだ。

 外から眩しい日差しが肌を刺してくる。

 麗日は教室の窓から外を見る。空は先ほどとは一転して晴れていた。

「青ちゃん……」

 課題を進めていた手が止まる。

 同時に教室の扉の方から音がする。青石が静かに教室の中に入ってきた。

「青ちゃ……えっ何その顔!?」

 今まで見た事が無い青石の顔に麗日は腰が引けた。

「うぇへへへへ。なぁにお茶子ちゃん? 何かあった?」

 にやけが止まらない頬。青石は両手でしきりに顔を覆い「キャー」と声を上げている。

 そして虚空を見つめてえへへとにやける。

 一言で言うと変質者だ。

 いけない薬でもやってるのではないか。そう疑いたくなるほどの、普段の青石からの変貌ぶりだ。

「いやなに? じゃないって!

 何が有ったのか聞きたいのはこっち!」

「えへへへ、そう?」

 そして暫くしてから、青石は何が有ったかを洗いざらい話した。

「デート!? 青ちゃんが相澤先生と?」

「えへへ、そうなんだよぉ。えへへへへ」

「や、やっぱり青ちゃん本気だったんだね……」

 麗日は余りにも嬉しそうな青石の顔にたじろいでいる。

「うん? 何が?」

「……青ちゃんは今何歳?」

 青石は少し考えこむ。

「えとね……16だよ」

「相澤先生は?」

「30だよ」

 今度は即答した。

(年の差!)

 ほぼ倍だ。

 前々から青石の恋心はとっくに気付いていたが、ここまで本気だとは思ってなかった。

 麗日は多分相澤がその内振ってしまって、ご破産になる。てっきりそうなるものだと思っていた。

 だから内心、青石が失恋したときにどうしよう。そればかりを考えていたのだ。

「デートは青ちゃんから誘った?」

「うん、そしたら良いよって」

(っていうか相澤先生もノリノリー!?)

「えへへ、どんな感じになるのかなぁ? 楽しみで仕方ないんだよ! お茶子ちゃん!」

「う、うん、良かったね」

「うん! えへへ。えへへへへ」

 青石は自身の席に腰かけた。ベターっと上半身を倒して不敵に笑い続ける。

(……先生と生徒。これって……。でも青ちゃんが幸せそうならそれで良いっか)

「えへへへへへ」

(……本当に良いのかなぁ?)

 青石が相澤をどう思っているかなど、周囲の人間から丸わかりだった。

 しかしこれまで目立った進展は特にはなかった。

 だがしかし、今回青石がデートに誘い、相澤はそれを受けたという。

(相澤先生、何か考えが有るんだよね? だって青ちゃんまだ子供で学生だもん)

 間違えても一線を越えない事ばかりを麗日は祈る。

 青石の顔は今まで麗らかが見た中で一番幸せそうで。

 それを見ているととても羨ましく思えてきた。

 やがて教室に人が戻ってくる。

 各自トレーニングを終え、意見交換をしている。それぞれのノウハウを教え、お互いの課題を見つける為だ。

 青石が八百万の方に嬉しそうに駆けていく。

 大声で自慢するように話をしているので、麗日の方にも聞こえてくる。

 早速八百万が腕まくりをしていた。

 どうやらデートプランを考えようとしているらしい。

 でも青石がデートするとなると、おそらく雄英が動くはず。八百万の出番はないだろう。

 だがいつまで経っても、緑谷の姿は無い。

 いったいどこで何をしているのだろうか。今頃先生に怒られでもしているのかもしれない。

(何してるんだろデク君……心配だけど。多分大丈夫だよね?)

 心配するが、まぁ緑谷だし大丈夫かと麗日は頭の隅に置いておいた。

 ワイワイと騒いでいるクラスメイト達。そんな何でもない風景を見つめながら、午後の時間は過ぎていく。

 いつまでもこの時間が続けばいいのにな。

 麗日はそんな事を考えていた。

 日が傾き、空は茜に色付く。

 一日の終了を告げる鐘が、無情に鳴った。

 結局、緑谷は帰ってこなかった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。