--side 緑谷出久--
法月に部屋を追い出された緑谷は、独り言を繰り返していた。
先ほどのやり取りをもう一度反芻しながら、自分の答えの間違いを見つけようとする。
しかし、いつまでも見つけることが出来ない。
先ほどの法月の、失望しきった顔が脳裏に浮かぶ。
法月の眼からは、威圧感以上に何か強迫観念にも似た、信条のようなものを緑谷は感じた。
あの人を納得させるには、普通の回答では駄目なんだと緑谷は理解する。
何かが思い出せそうで思い出せない。
緑谷は確信している。
緑谷は多分、法月の問いの答えをどこかで聞いたはずなのだ。
――どこかで
「緑谷少年」
背後から声をかけられる。
振り向くまでもなくオールマイトだと分かった。
「今からは時間あるかい?しばらく付き合ってくれないか」
「はい大丈夫ですが……」
緑谷は特に深い追及もしないまま、オールマイトについていく。
トゥルーフォームのオールマイトの姿はいつもより痩せて見えた。
……
白く高い塔が、敷地内の中央にそびえている。
柱にも見えるそれは、エジプトのオベリスクにそっくりだ。
悲しみにも染まらないその白は、約十年間雨ざらしになってなお、輝きがあせることは無い。
緑谷にはそれがまるで癒えない傷跡のように見えた。
「共同墓地……」
緑谷とオールマイトは郊外に建設された共同墓地に来ていた。
災害で日本も火葬場も不足した。余りにも急でそして巨大すぎる災厄だった。
そして国はその災害で亡くなった人たちを、一括して埋葬する方針を示した。
この共同墓地も全国に、幾つか点在するそんな施設の一つだ。
痩せこけている姿のオールマイトに並んで、歩みを奥の方へと進める。
高い塔の下には出入り口が存在し、誰でも無料で入場することが可能だ。
十年前に起きた「青の世界」の被害は、当然日本にも及んていた。
国内では約三百万人が亡くなっている。
いきなり停止した電子機器。それに誘発されて起きた事故に火災。
実はそれらで亡くなった人たちは、全体の三割に過ぎない。
残りの七割の人が亡くなった詳しい原因は「不明」。
「青の世界」が起きた際に次々に起きた意識喪失。
現在は”昏睡病”と呼ばれているそれに、治療法は無い。
世界中で起きた”昏睡病”。
それは、未だに正体が明らかになっておらず謎に包まれている。
奇妙な事に”昏睡病”に陥った全ての人に、”個性”の喪失が見られた。
異形型の個性の人も個性を失い、”無個性”の姿に戻りやがて死んだ。
どんなに手を尽くしても、個性を使用しても彼らはやがて、ゆっくりと衰弱して死んでいった。
世界中の人が次々と死んで、一人も目を覚ますことは無かった。
たった一人の例外。
緑谷出久を除いては。
だがその事実は世間に全く知られてはいない。
もちろんそれには、政府の手が回っていた。
何故政府に隠蔽されたのかは、今の緑谷には分かる気がした。
全ては「青の少女」。
結局そこに行き着くのだと、緑谷は確信を抱いた。
「私がここを訪れる理由は”平和の象徴”としての責任を忘れないようにするためだ。
確かに私は彼女を止めた。真相は隠蔽されたにしても、私が災害を止めたことは公表された。
祭り上げられたよ”世界の救世主”だと。
だけどあの時、私は躊躇した。彼女と戦うときに迷ってしまった。
幼い彼女を殴るのかと、暴力を振るうのかと。
結果がこれだ。多くの人が死んだ。その中には私の知り合いも当然いる。
私は、彼らの死の上に立っているのだと忘れないため、ここに来るのさ」
塔の内部には誰も居なかった。
受付も全自動化されている。
人など居なくても、機械だけで全てが成り立つシステム。
そこに青の少女の管理のシステムが流用されていることは、緑谷の知るところではなかった。
「悩んでいるようだね」
緑谷はゆっくりと息を吐きながら気を落ち着かせ、考えをまとめて口にする。
「法月さんに問いかけられました。
僕は個性を使って悪事を働くものだと答えました。
けど……」
「その認識は確かに違うところがある」
オールマイトは即答する。
緑谷は少し目を大きくした。
「まず個性を使うか使わないかなどは些細なことさ。
個性など使わずとも、包丁でも人は殺せる。拳銃を手に入れられたら、もっと楽だろう。
個性がなくても相応の道具と知識さえあれば、個性よりも余程の脅威になる。
もっと言うなら、無個性の人の素手であっても人は簡単に死ぬ。
首を絞めたり、折ったりね。
君になら分かるだろう?
この社会で無個性の人たちが、どれだけの悪意にさらされているか。
悪意を受け続けてもなお、まっすぐ正しく育つ人はそうはいない。
環境が許さないことだってある。
親や親族が
そんなケースだって別に珍しくはない」
一気に喋ったオールマイトは、一呼吸を挟む。
緑谷は黙ってオールマイトの言葉を待った。
「もっと多いのは貧困が原因の
今日のオールマイトはいつにもなく饒舌に話すなと緑谷は思った。
心なしか少し早口だ。
どこか焦っているようにも見えるその様子に、緑谷は不安を抱いた。
「貧困……ですか?」
「緑谷少年、当たり前の話だけど人はお金がないと生きていけない。
着る服、住む場所、食べるもの。全てがお金がないと手に入れることは出来ない。
ヒーローだって生活のためにしている人が殆どさ。
実際のところ、お金がないと最低限の人権すらも保障されない。
生活保護というシステムは一応有るけどね。
だけどそのシステムも結局は、ある程度の前提条件を満たさないと、受けることは出来ない。
本当にそんな支援が必要な人には、行き渡らないのが現状だ。
例えば生まれたときに、戸籍が与えられなかった人とかが分かりやすいね」
――理不尽を覆していくのがヒーロー。
体力テストの時の相澤先生の言葉を思い出す。
だがヒーローにも、どうする事も出来ない理不尽が有る。
それはどれだけの力を持っても変わらない。
オールマイトにすらどうすることも出来ない世界の闇が確かにある。
ならばヒーローはそんな理不尽に、どうやって向き合っていけばいいのだろうか。
「緑谷少年、君には両親がいるだろう。
個性こそ受け継げなかったにせよ、両親から享受できている生活が
いかに尊いものなのかは、いずれ分かってくると思う。
残念なことにね」
緑谷の脳裏には八百万の顔が思い浮かんだ。
クラスで一番の裕福な家庭に生まれた八百万。
もし八百万が貧しい家庭に生まれていたら、果たして雄英に入学できたのだろうか。
「世間には
でも大半はそうじゃない。
生きるために必死で「仕方なく」悪事を働く。自らの生に活路を求める。
緑谷少年、お金がなく飢え死にしそうになっている子がパンを盗んだとして、それを本気で責めることが果たして出来るかい?
世間一般にはあまり知られていないけど、所得が増えれば増えるほど、その人が
逆に低ければ低いほど高くなる。
大半の
更には無個性の人が犯罪を犯す確率は、個性ありの人に比べると二倍近く高くなるんだ」
その話に緑谷は何も返すことが出来ない。
返す言葉を持っていなかった。
甘く見ていた。ヒーローが正義で、
時には例外が有っても、それは基本で前提条件の筈だった。
緑谷には何が正義で、何が悪なのか分からなくなりかけていた。
目の前の石碑をじっと見つめる。
塔の内部の中央にある巨大なそれには、ここに埋葬されている人たちの名前が刻まれている。
その名前の一人一人にそれぞれの人生があり、友達に家族が居た。
彼女が起こしてしまったのは、あくまで「事故」である。
決して彼女が悪意を持って起こしたわけでは無い。
オールマイトからそう聞いている。
だが、しかし。緑谷の心の奥には、同情と同じくらいの怒りが湧いていた。
それが何に対してのものかは、まだ分からない。
彼女がどれだけ理不尽な目にあっていたかは、理解しているつもりだ。
だからといって緑谷には、「青の世界」を引き起こした彼女を簡単には許すことが出来なかった。
世間から見たら、彼女はれっきとした
だが、果たして彼女は「悪」なのだろうか。
緑谷とオールマイトは、静かに巨大な石碑を見る。
それは余りにも大きすぎる世界の理不尽そのものに、緑谷には見えた。
――あら、あらあらあら?
何処からともなく聞いたことが有る声がした。
涼やかな声。少女だとハッキリと分かる、それの方向に緑谷は振り向いた。
「え……?何で彼女が……」
「どうした緑谷少年」
今は雄英高校の地下にいる筈の
――オールマイトまた来たのね。いえ今は八木俊典と言うべきかしら。
どっちみち聞こえないのだから、どちらでも良いかしら。
青の少女がそこにいた。だが白ワンピース姿ではない。
全体的に青に染められた衣装。
軍人をモチーフにしているのだろうか。
緑谷は前にネットで見た、士傑高校の制服を思い出した。
だが――彼女は青の少女にそっくりだが絶対に彼女ではない。
緑谷はそう直感する。
根拠と言える根拠はない。
けれども、今日たったの一日会っただけの緑谷ですら分かる。
彼女なら目の前の彼女のように、薄気味悪い貼り付けたような笑顔は絶対にしない。
「オールマイト見えないんですか!「青」の女の子がそこに!」
――あら、あなたには私が見えているのね。どうしてかしら?
「何……!?いやしかし少年。そこには何もないぞ!」
「!!?」
――不思議ねあなた。電脳体に過ぎない私が見えるなんて。ねぇ……
「電脳体……?」
――あなたは何を知りたいの?
「緑谷少年!?緑谷少年!おい大丈夫か!?」
緑谷は意識をいつの間にか手放していく。
だんだんとオールマイトの声が遠くなっていく。
本来なら暗くなるはずの、彼の眼に映るのは「青」。
それは十年前の時と全く同じ色をしていた。
…………
………
…
--side 相澤消太--
「彼女を犠牲にするというのですか」
相澤の声は震えていたが、それが何故だか彼には理解できなかった。
法月は口角を上げる。それは――嘲笑だった。
「情に流されるのは感心せんな相澤。決断しろ。
何が正しいのか、どうするのが最適なのかは既に分かっている筈だ。
お前は小娘一人の命が、世界に勝るとでも言うのか」
「……いえ」
「刻限は迫っている。予定通り進めば、半年以内に実行可能だ」
静かに目を閉じる法月。
「話は終わった」
一言発して、相澤に背を向けた。
「失礼させていただきます」
「相澤よ」
首だけひねり横目で法月を見る。
「
法月の声を背中に受けながら、相澤は部屋を後にした。
その言葉になぜか、心がざわついて止まらなかった。
相澤は学内の廊下を何をするでもなく、ゆらゆらと彷徨う。
法月は言った。計画は始まっていると。
十年前の当時から準備されていた、”不死身”の彼女を、理論上抹消できる唯一の方 法。
極秘事項のそれを知った時、相澤は最初は何も思っていなかった。
まだ時間はある。先の話だと考えていた。
都合の悪いことから目をそらしてきた。
彼女は血縁でも何でもない。ただの少女。
戸籍も存在せず世間からは忘れられている存在。
居なくなったところで、相澤の何かが変わる訳では無い。
変わる訳など……
――失敬な!ボクにだって友達くらい作れるもん
思い出すのは彼女の何でもない言葉。
――お金をくれたのは相澤さんだよ?だから……
腹立たしい記憶。
――大丈夫かな?ボク全然自信ないよ……
不安そうな顔。
――完全に無視された!
場をかき乱す問題児で……
――はやく明日にならないかなぁ
彼女の笑顔はもうすぐ――
バァアン!ドオォン!
「おいおいイレイザーヘッド!そりゃないぜ!何てことしやがる、滅茶苦茶じゃねぇか」
気付けば相澤は職員室の自分の机の前に居て、目の前のものに当たり散らしていた。
机が横倒しになっている。パソコンのモニターはひび割れて、書類がそこら中に散乱している。
相澤の右人差し指に痛みが走る。ぼんやり見ると切り傷が出来ていた。
「……何があった」
「何でもない……」
ボイスヒーロー”プレゼント・マイク”の言葉に、うわごとで返した。
同期の彼はチッと舌打ちし
「そうかよ……何かあったら言えよ」
「……ああ」
プレゼント・マイクはどこかへと去っていった。
今の相澤には何を言っても無駄だと判断したのだろうか。
後に残されるのは相澤一人。
日は既に傾き職員室に西日が差し込んでいる。
全てが太陽の炎の色に染め上げられ、赤く赤く燃え上がっている。
何処からか、カラスの鳴き声が聞こえてくる。
赤く染められたその景色は、彼女が居なくなった世界そのもののように思えた。
横倒しになった机の引き出しがひとつ僅かに開いて、中に入った物が少し出ていた。
一食ごとに透明なパックに入れられた、茶色い合成食品。
昔試しに食べたら糞まずかったのを覚えている。
彼女が持っていると無くしたり必要以上に目立つことだろうから、昼休みに相澤が渡すことにしている。
今日の分も相澤が出したのだ。
少女の体は未だ、この食品しか固形物は受け付けない。
飲み物はなんとか、水以外も飲めるようになれた。
だが消化器系が不完全で歪な発達をしたせいで、栄養はあまり吸収されない。
彼女が年齢より幼く見えるのはそのせいだ。
合成食品のパックに手を伸ばす。
開封して一口食べてみる。
数年前と全く同じ味に相澤は顔をしかめた。
今の相澤の心情を味にしたら、同じような味になるのだろうか。
「まずい……」
なのに相澤の手は止まらない。
次々と合成食品を口に運んで咀嚼していく。
彼女の顔がどうしても、頭の端から消えてはくれなかった。
無性に彼女の馬鹿みたいな声が聴きたくなる。
あと何回、相澤は少女と会えるのだろうか。
彼女が消えても、記録に残ることは何もない。
記録は何も残らない、残されない。
彼女は今まで一度も写真にすら写ったことが無い。
唯一残っている監視装置に残っている記録すら、一定期間で削除される。
幼い彼女の姿を保持しているのは、頼りないおぼろげな記憶だけ。
あとほんの半年ほどで彼女は消える。
その痕跡も消える。世界の何処にもいなくなり、”抹消”される。
「全く、何やってんだ俺は……合理的じゃない」
ドライアイの眼が少しだけ潤んでいた。
青の少女の知らないところで、今日もまた日は落ちていく。
空から夜の侵略者の太陽は居なくなり、無数の星が瞬き出した。
月がこんなに綺麗だと相澤は、今日初めて知った。