アラサーニートエリちとキャリアウーマン亜里沙   作:桜川凛

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亜里沙ルート
亜里沙ルート プロローグ 01


 春は出会いの季節と謳われ、

 また、別れの季節とも言われる。

 のんびりと日々をニートとして過ごしてきた私も、

 桜が散ろうという時期についに働き始める。

 アイドルが集う改築が進んだ一軒家の

 管理を務めるという仕事が、

 はたして社会人と言えるのかどうかは定かじゃない。

 

 

「おはようございます、姉さん」

「おはよう亜里沙、よく眠れた?」

「もちろんです、睡眠は社会人の基本です、姉さんは……」

 

 極めて模範的な社会人である妹は、

 朝から大変元気。

 いつだって調子の悪さなんて微塵も感じさせないほど、

 冷静に――私に対しては冷徹な印象を与えるかな?

 それが亜里沙の素ではないことは、

 なんとなく察してはいるんだけども。

 このアパートを出る準備を始めて。

 荷物はさほど多くはないからすぐに済むであろうと、

 高をくくっていた私をあざ笑うように、

 片付け始めてしばらく、書籍類や趣味が高じて購入した

 雑貨のたぐいとかをどう処理して良いのか戸惑った。

 部屋にあるとは言え、ここ最近触れていなかったとは言え、

 それなりに愛着がある代物を処理するには心苦しく。

 妹が鬼のような顔をして全部捨てなさいと命令をされるまで、

 部屋の清掃は頓挫した。

 どうしても処理したくないパソコンだけは、

 これ見よがしにツバサに譲った。

 はよ取りに来いと散々言われたけど、

 文句はそれくらいで粛々と預かってくれたのは、

 長年の付き合いがなせる技だろうか。

 

「寝ることくらいしかすることがないというのは辛いわね」

「パソコンを預けただけでそれですか、今日から行くところは共用の古いパソコンしかないんですよ」

「せめて、せめて仕事で使うノートパソコンくらいは」

「お給料で買えます、頑張ってください」

 

 エトワールというアイドルが済む宿舎――

 見た目は一軒家であるので、共同生活を送る場所

 とするのが正しいのか。

 ハニワプロまではそれなりに距離もあるけれど、

 いちおう事務所が管理している場所。

 芸能事務所が管理している場所を元ニートが預かって良いのか、

 という漠然とした不安はあるものの。

 晴れてニートから脱却できると言うので、

 しかもお給料も頂けると言うので、

 文句など付けることなどできるはずもない。

 アイドルの行動管理というものに対しては無知ではあるけれど、

 私ができる範囲での仕事が求められているんだと思う。

 最初から理想を求めて、努力に励んでいても

 結果はおぼつかない。

 クビにでもなったら真姫の家にでも転がり込もうと思う。

 ペットになるか奴隷になるか――

 おそらく人権は多少雑には扱われそうな気もする。

 

「それから姉さん、ずいぶん気合を入れて朝食を作っているようですが」

「朝食だけじゃないわよ、昼食も。日持ちするおかずもね」

「私を太らせて何をしようと」

「ふふ、太ったあなたなら見てみたいわね、お腹つついてあげるわ」

「……ありがとうございます。腐らないうちに食べます」

「ええ」

 

 単なる同居人という立場であった時期も、

 多少なりともあったのかも知れない。

 それでも私たち姉妹は、

 今まで付かず離れず、それなりの関係を築いてきた。

 過去には不幸な時間も過ごしてきたであろうし

 私には言えないような秘密を抱えて悩んだかも知れない。

 亜里沙みたいな素敵な妹に対して、

 完璧な姉であったとはとても言えないけれども。

 これからは私たち姉妹が、

 互いを見つめ直す時間にもなるのかも知れない。

 

「前にも言った通り、姉さんが絢瀬絵里であることはおくびにも出さないでください」

「ねえ、やっぱりμ'sのすっごいファンなら私の顔を見ればわかるんじゃ」

「ドッペルゲンガー、他人の空似、生き別れの双子、まあ、どの設定でも構いませんが――

 10年前のスクールアイドルです。顔を知らない大ファンがいても不思議ではありません」

 

 エトワールで過ごすにおいて、

 必須事項と呼ばれるものがいくつかあるみたい。

 はじめにそのことを聞いたとき、

 何故であるとか、どうしてという理由を尋ねたい気持ちはあったけれども。 

 住人はみな、どうやら私を推しているらしい。 

 熱烈な信者と思しき彼女たちは、

 管理人としてそいつがやってくることを知らず、

 けっこう堕落して過ごしているみたい。

 私の仕事は彼女たちの矯正であるとか、

 アイドルとして復権活動を行う――

 ということはまったくなく。

 愉快な仲間うちで過ごしていると緊張感も無くなってしまうので、

 第三者の目を入れて様子を見ようということみたい。

 住人の情報は知り合ってから聞けの一言で、

 何か隠しているのではないかと問いかけたいところではあるけど、

 尋ねても応えてくれないのならば、

 行動して知るほかない。

 

「それに、澤村絵里、いい名前ではないですか」

「前にも言ったことがあるけど、強烈に何処かで聞いたことがあるわ」

「同じ金髪だから覚えやすいかと思って、まあ、アイドルたちも絢瀬絵里が偽名を使って

 自分たちとルームシェアを始めるとは夢にも思ってないでしょうから」

 

 バストが80無いと称されたからと言って、

 79.9というバストサイズには多少無理を感じる――

 そんな彼女とも10以上離れている私が、

 似た名前を名乗ることに関して、

 ファンには殴られてしまいかねない所業。

 あくまでも偽名であるはずだけども、

 身体的特徴のいくつかは自分自身と重なる部分もあり、

 ネタなんだけどもネタとも言いづらい気もする。 

 

 

「――では、名前を澤村恵にしますか?」

「やめて、なんか不倫の結果生まれた子どもみたいだからぜひやめて」

 

 霞ヶ丘先輩と澤村さんとの間に生まれた子どもを、

 あえて恵と名付けて倫理君に見せびらかしに行く。

 そんなヤンデレみたいな所業を想像し、

 私はかすかに震えた。

 

 

 亜里沙と二人暮らしを初めて、

 家政婦のような生活を続けつつ、

 主にニートな時間を過ごしてきたアパートを見上げながら。

 

「姉さんの脛かじりの現場を逐一眺めていたアパートに見送られる気持ちはどうですか」

「もうちょっと殊勝な気持ちにさせて」

 

 なんとなく物悲しくなって、鼻をすすってしまうのは。

 別に私は花粉症だからという話ではなく。

 いい思い出ばかりでもあった気がするし、

 悪い思い出もなかったともいえない。

 思い出自体がそれほどない疑惑もあるけれど、

 これからの生活はそんなこともない。

 妹に感謝の言葉を述べるというのは、

 多少気恥ずかしい部分は無きにしもあらずだけども。

 それでも何かしらいわないことには、

 何も伝わらない気もする。

 

 

「亜里沙、今までありがとうね」

「お礼を言われるまでもありませんよ」

「なにそれ、ノーブレス・オブリージュってやつ?」

「別に、誰かが困っていたら手を差し伸べるのは当然ではないですか、仮に希さんが貧乏で姉さんに頼ってきたら、有無も言わさず面倒見るでしょう?」

 

 私の感謝の言葉に対しても、

 なんてこともないみたいな言い方をされる。

 困った人を助けるのは当然――

 それが悪い方向に向かわないようになんとかするのが、

 妹ではあるんだけども。

 私は案外そういう事はできない。 

 

 

「でも、本当に感謝してる」

「そんなに言うなら、お願い事でも叶えてもらいましょうか」

 

 再度感謝の言葉を告げてみると、

 多少気恥ずかしい思いを抱えるに至ったのか、

 妹は少しばかり頬を染めながら、

 目を吊り上げて雪の女王みたいな凍えそうな声で、

 

「いいですか、私がオフじゃない日にハニワプロにこないでください」

「それはお願い事なの?」

「命令のほうが良かったですか」

「わかった、君主危うきに近づかずというものね……絶対に行かない」

 

 おかしい。

 春だというのになぜか背筋が凍ってしまいそう。

 苦笑する私をコロコロと笑い声を上げながら見上げる妹が、

 なんだか無性に愛おしく感じてしまうのは――

 私がシスコンだからじゃない、そういうのは英玲奈に譲る。


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