「死神の目は人間の寿命を映す。あんたに分かるかい? 大好きな人の寿命が1秒ごとに削られていく恐怖が。気が狂いそうになるんだよ……残された時間が減っていくのを見続けるのは。こんなに辛くて、怖いのなら、いっそのこと――」

怠惰な死神が1人の男と出会い。
恋に落ち。愛し合い。そして。

―――自らの死を願った。

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怠惰な死神の殺し方

「やぁ、釣れてるかい? お兄さん」

「さっぱりだな。こんなに釣れないのも久しぶりだよ」

「あははは! そりゃあそうだろうねぇ。何せ、ここは三途の川(・・・・)だ。釣るものがない」

 

 ここは現世とあの世の境目、三途の川。

 人間どころか、妖ですら滅多なことがなければ近寄ることのない場所。

 だというのに、今日は2人の男女が居た。

 

「釣るものがない? どういうことだ?」

「やっぱり知らないんだね。ここにいる魚はみんな幽霊さ。肉がないんじゃ釣りようがないだろ?」

 

 釣り糸を垂らすのは、青年という言葉がピッタリの見た目の男。

 そんな男を見て愉快に笑うは、この三途の川の渡し人の死神。

 鮮やかな真紅のツインテールと、女性らしい体つきが特徴の小野塚(おのづか)小町(こまち)だ。

 

「目に見えるのに手が届かないか。けったいな川だな」

「それはこっちの台詞だよ。三途の川にわざわざ釣りに来る方が、よっぽどけったいな奴さ」

「そうか? 川ですることなんて、釣りか洗濯ぐらいなものだろう」

「いやいや、長いこと三途の川で渡し船をやってる私でも、お兄さんみたいなのは初めてだよ」

「……そういうものなのか」

 

 自分がなにかおかしなことをしているかと、とぼけた顔をする男に小町は苦笑いをこぼす。

 死後の世界に憧れをもって三途の川を訪れる人間は偶にいるが、釣りが目的など前代未聞だ。

 こうした手合い(アホ)は地獄に行くのか、天国に行くのかさぞかし判断に困るだろう。

 

「しかし、困ったな。君の話だとボウズが確定じゃないか」

「なんだい? 今晩のおかずの当てにでもしてたのかい?」

「いいや、晩飯ならちゃんとある。ただ、三途の川で変わった魚を釣ってくるって母親に言ったからな。ボウズじゃあ、三途の川に行ったと言っても信じられないかもしれん」

「三途の川は別に大そうなもんじゃないんだけどねぇ。ただ、あの世とこの世の境にあるだけさ」

 

 三途の川は外の世界では、明確に生きている人間ではたどり着けない場所となっている。

 しかし、ここ幻想郷では特別な方法がなくともたどり着ける。

 もっとも、たどり着けるからと言っても、普通の人間が行きたい場所ではない。

 

 里から離れた距離。妖怪の山の裏側という地理。おまけに渡れば帰ってこれないという信仰。

 これらが重なり、行くことが出来ても二の足を踏む場所となっているのだ。

 故に、三途の川に行ったと言っても、ホラ吹きと思われることが多い。

 もっとも、博麗の巫女などの特殊な人間が言えば誰も疑わないのだが。

 

「と、言っても、せっかくこんな辺鄙(へんぴ)なところまで来てくれたんだ。手ぶらで帰るのも寂しいだろう。ここはあたいに任せておくれ」

 

 そう言ってドッカリと男の隣に座り込む小町。

 そして、これ見よがしに大鎌を男の前で振ってみせる。

 

(さかな)は釣りようがないから渡せないが、酒の(さかな)程度なら渡せるよ」

「酒の肴?」

「そうさ、三途の川の死神の話。魚を釣るよりもよっぽど貴重だと思うけど……聞いていくかい?」

 

 片目を軽く閉じて、妖艶な笑みを浮かべてみせる小町。

 そんな彼女に対して男もまた。

 

「面白い話なら、ぜひ」

「はっはっは! そいつは気合が入るねえ。よし、とっておきの話をしてあげるよ」

 

 楽しそうな笑顔を返すのだった。

 

 

 

 

 

「やあやあ、また会ったね、お兄さん。こんな所にまた何の用だい?」

「釣りさ」

「釣り? ここじゃ何も釣れないって、教えてあげたのをもう忘れたのかい?」

 

 男と小町が初めて会った日から、しばらく経った日。

 男は再び三途の川を訪れていた。

 そんな男の姿に、小町は若干怪訝そうな顔で声をかける。

 

「いいや、釣れるさ」

「何が?」

「話し好きの死神が釣れる」

 

 男の言葉に、小町は一瞬目をパチクリとさせたかと思うと軽快に笑いだす。

 

「あははは、そうかい。こいつは見事に釣られちゃったねえ」

「俺もこうも簡単に釣れるとは思ってなかったよ」

「こんな辺鄙なところに居ると、話し相手が何よりも上等な餌なのさ」

 

 暇は好きだが、退屈は嫌いだと笑いながら小町は男の傍に近づいていく。

 

「で? お兄さんは釣った魚に話し(エサ)をくれない人間じゃないだろ?」

「ああ、この前友人に三途の川に行った証拠に、とある死神の話をしたんだがな」

「ほうほう、それで?」

「どういうわけか、嘘だと思われたよ」

「なんだいそりゃあ、あたいはしっかりここに居るのにねぇ」

 

 わざわざ土産話をしたというのに、信じられなかったことに少し肩を落とす小町。

 それと同時に、なぜ自分の存在が信じられなかったのだろうかと、当然の疑問を抱く。

 

「お兄さん、一体どんな話をしたんだい?」

「どんなと言われてもな。ありのままに、三途の川で天女みたいに綺麗な目の死神と話したと言っただけなんだがな」

「……褒めてもらえるのは嬉しいけど、そういう抽象的な説明だと確かに胡散臭いね。具体的に話さないとやっぱり信じてもらえないよ」

「そういうものなのか」

 

 美人と言われたものの、天女みたいな死神は矛盾しているだろうと、小町は苦笑いをする。そんな顔を見ても、男の方は納得できないように首を傾げているので、どことなく天然気味な所があるのかもしれない。

 

「ま、実際に自分の目で見ないと信じないのは、人間だから仕方のないことかね」

「こっちの勝手な印象で言えば、死神はもっと恐ろしい姿をしているからな。君みたいな女性より、骸骨がそのまま歩いている方が死神っぽく感じる」

「失礼な話だねぇ。わざわざ、人間のイメージに合わせてこんな鎌まで持ち歩いているのに」

 

 骸骨の方がらしいと言われたことに少しだけ拗ねたのか、小町は大鎌を男の首筋に押し付ける。

 

「どうだい? こうすると命が刈り取られる気がしないかい?」

「それは別の死神の仕事なんじゃなかったのか?」

「あらら、少し調子に乗って話し過ぎたねぇ。はいはい、私はしがない船頭ですよ」

 

 一瞬だけ鋭い眼光を覗かせる小町であったが、男にツッコまれるとすぐにカラカラと笑い出す。そもそもの話、小町の鎌は死者に死神って本当に居たんだと喜んでもらうためのアピールなので、張りぼてである。本来ならば、命を刈り取るどころか、稲を刈り取るのすら苦労する構造となっている。

 

「でも、死んだ人間を全員あの世に送ってるって考えたら凄いな。俺の爺さんも婆さんも君があの世に連れて行ったんだろう?」

「さあ? そいつは年齢がバレるから答えられないね。まあ、変に現世に留まろうとしない限りは、私と同船してもらうことになる…とでも言っておこうか」

 

 暗に、お前もいずれは私があちら側に連れて行ってやると告げる小町。

 しかし、そんなゾッとするような言葉にも男は動じない。

 天然か、肝が据わっているのか笑ってみせるだけだ。

 

「それはいい。君と一緒なら退屈することがなさそうだ」

「こっちとしては仕事が増えるから、あんまり死んでほしくないんだけどねぇ」

「すぐに死ぬ気はないさ。寿命の限りに生き抜くよ、俺は」

「ふーん……」

 

 最後まで必死に生き抜く。そんな言葉に小町は目を細める。

 それは男の言葉に感心したからではない。死神の瞳は。

 

「だったら、いつ死ぬか教えてあげようか?」

 

 相手の寿命を見ることが出来るからだ。

 

「わかるのか? 俺の寿命が」

「三途の川の水先案内人って言ったって、腐っても死神さ。人間がいつ死ぬかぐらいわかる。それで、お兄さんは自分の寿命を知ってみたいかい?」

 

 ニヤリと意地悪く笑い、小町は男の顔を下から覗き込む。

 彼女は知っている。人間は死というものを自覚すると狂うことを。

 いつかは死ぬと頭では分かっていても、心では理解できていないのだ。

 それ故に、いざ死を突き付けられると恐れ、怯え、狂う。

 そんな人の弱さを嫌というほどに見てきたからこそ、彼女は試すように笑うのだ。

 

「……いや、別にいいさ。俺のやることは何も変わらない。毎日を精一杯に生きるだけさ」

「そいつは殊勝な心掛けだ。それが最後まで続くなら、少なくとも地獄には行かなくて済むよ」

 

 己の終わりを知る必要はない。そう言い切る男に、今度は朗らかな笑みを見せる小町。

 死神と言われるが、彼女は別に人間の魂を糧にしているわけではない。

 むしろ、人間が正しい人生を送ることを祈っている程だ。

 だから、笑うのだ。これからも男が正しく生きることが出来ることを祈って。

 

「さ、世間話は終わりだ。人の生は短いし、何よりそろそろ仕事に戻らないと上司にどやされる」

「そうか。死神も忙しいんだな」

「あはは、働く死神には忙しくて酒を飲む暇もないのさ。

 それじゃあ、次に会う時は―――できるだけ遅い(・・)といいねぇ」

 

 せいぜい長生きをしろ。

 そう言葉の裏に含ませながら小町は男の前から、一瞬で消え去る。

 まるで、今までの出来事は全てが夢だったとでも思わせるかのように。

 

 

 

「………やあ、奇遇だねぇ、お兄さん」

「飲み屋に入ったら死神が居るっていうのは、俺が飲みすぎで死ぬっていう暗示か何かか?」

 

 しかし、2人があったのは決して夢などではない。

 その証拠に三途の川で別れて数日もしないうちに、2人はバッタリと居酒屋で出会うのだった。

 

「安心しなよ、少なくとも酒を飲んだまま船に乗ることはないさ。水面に映る月を取ろうとして溺れちまう」

「それはよかったよ。あの世に向かう途中で無理心中なんて笑えない。ところで、死神は酒を飲む暇すらない程忙しいってのは嘘なのかい?」

「嘘じゃないさ。ただ、暇がないなら作ればいいだけって話だよ」

「つまり、サボりってことか?」

「失礼だね。仕事を効率よく進めるための休息と言っておくれ」

 

 初めはカッコをつけて別れたことを思い出して、気まずい顔をしていた小町だったが、すぐにダラリと体勢を崩して酒を飲みだす。どうやら、あの別れ方はなかったことにするらしい。

 

「さ、お兄さんもそんな下らないことを話しに来たわけじゃないだろ? あたいがお酌をしてあげるよ」

「それでサボりは見逃せってことか?」

「あははは! バレたか」

 

 すでに大分酒が回ってるのか、無理やり抱き着くようにして男を自分の隣に座らせる小町。

 その強引な行動に男はいやそうな顔をするが、小町の豊満な胸が当たっているために断れない。

 男とはなんとも単純な生き物である。

 

「まあ、サボりと言ってもあたいの場合は良いサボりだよ」

「サボりに良いも悪いもあるのか?」

「あるさ。あたいの仕事は死人の魂をあの世まで運ぶことだ。つまり、死神が繁盛するってことは、それだけ多くの人間が死んでるってことでもあるんだよ」

 

 葬儀屋が儲かることと似ている。

 生きている以上は必ず死ぬことは確定しているが、死が縁起のいいものではないことは確かだ。

 死神は誰かの不幸を糧にして、稼いでいると言われても否定はできない。

 

「流石の私も繁盛期にサボったりはしない。そんな時期にサボってもすぐにバレるからね」

「つまり、サボれている今は比較的に暇。死人が少ないってことか」

「そういうことさ。仕事なんてしないでいいぐらい死人が少ないのが一番さ」

 

 死神というアイデンティティに反する物言いであるが、小町の言葉に嘘はない。

 それは彼女が、ただサボりたいからなのか。

 純粋に人間が多く死ぬのを快く思っていないのかは分からない。

 ただ1つ言えることとしては、彼女が自分のあるべき姿に不真面目であるということだ。

 

「なるほどな。君の言い分は分かったが、生きるためには金が要る。働かないことには金も溜まらないだろう。それとも、地獄の沙汰も金次第で賄賂でも貰ってるのか?」

「あはは、幸か不幸か仕事がなくなることはない職業だからね。その気になればすぐに稼げるのさ。……まあ、クビになる可能性はないこともないけど」

 

 そう言って、厳格な上司を幻視して思わず身震いをする小町。

 世の中、死人が絶えることはないが、職が絶えることはある。

 被雇用者の辛いところだ。

 

「だったらもっと真面目にやるべきじゃないか?」

「馬鹿言いなさんな。あたいはいつだって真面目だよ。そう、今だって真面目に休んでるだけさ」

「屁理屈を……」

 

 そんな小町の様子に男がジト目でツッコミを入れるが、馬の耳に念仏だ。

 この程度の苦言であり方を変えるようなら、閻魔から呆れられたりはしない。

 

「屁理屈じゃないさ。今の状況だって真面目なあたいにかかれば、未来への先行投資に早変わりするんだよ?」

「未来への先行投資?」

「そうさ。……と、せっかく酒屋に来たのに、お兄さんまだ飲んでないじゃないか」

「どこかの死神に邪魔をされていたからな」

「はははは! そいつは災難だねぇ。ささ、こいつはあたいの奢りだよ」

 

 器に酒を並々と注いで男の前に差し出し、ニヤニヤと笑う小町。

 そんな様子に何かあると男は思うものの、考えていても仕方がないと一気に酒をあおる。

 

「お! 良い飲みっぷりだねぇ……で、今のでお兄さんが船に乗るときの代金が上がったよ」

「ゲホ! ゲホ! ……どういうことだ? ツケか?」

「いやいや、お兄さんの徳が1つ上がっただけさ」

 

 不穏な言葉に思わずせき込んでしまう男を愉快そうに見ながら、小町は語りだす。

 

「三途の川の渡し賃は死者の徳で決まる。この徳ってのが色々とあってね。お兄さんは徳の高い人間はどんな人だと思う?」

「……他人のためになることをする人間じゃないか?」

「それも正解だ。でも、徳ってのは誰かに尽くすだけじゃない。誰かに尽くされたってのも入る」

 

 一般的に徳の高い人というのは多くの人を助ける。

 そして、同時にその行動から他者に感謝され、多くの人に助けられる。

 善人と悪人。どちらがより人の助けを得やすいかなど、考えなくとも分かるだろう。

 

「ありていに言うと、死者が生前に他人に使ってもらった金額が渡し賃に加算されるんだよ」

「葬式の時に六文銭を持たせるのもそういうことなのか?」

「そうそう。あれも、死者のために使った金だ。しっかり回収させてもらってるよ。まあ、偶にほとんど金を持ってない奴も来るんだけどね。そういう手合いは川を渡りきる前におさらば(・・・・)……て、こともあるかもねぇ」

 

 そう言って悪戯っぽく舌を出して見せる小町に、男は溜息を吐く。

 酒を奢ってもらった? とんだ思い違いだ。他者にもらった金は死神が回収する。

 だとするならば、結局は死ぬまでの間に貸してもらっているに過ぎない。

 とんだ悪辣な金貸しが居たものだ。

 

「さ、今日はあたいの奢りだ。どんどん呑みな」

「そんな話を聞いた後で呑気に奢られると思うか! 俺が払う」

「因みにだけど三途の川を確実に渡りたいなら、他人に金を使うのも有効だよ?」

「……女に払わせるわけにもいかないからな。俺が奢ろう」

「いやー、お兄さんやっぱりいい男だよ! こりゃ、他の死神も放っておかないね」

「やめてくれ……君だけで十分だ」

 

 女の楽しそうな笑い声が酒屋に響き、夜は更けていくのだった。

 

 

 

 

 

 人間と死神。

 本来ならば、死んだ後でなければ訪れない両者の交流は、何故かその後も続いて行った。

 ある時は男が三途の川に釣りをしに行くことで。

 ある時は死神がふらりと男の行きつけの居酒屋に行くことで。

 交わらぬはずの生と死は絆を育んでいった。

 

「お兄さんとの付き合いも随分と長くなるねぇ」

「そうだな。あれからもう数年か」

 

 数年前よりも男らしくなった青年と、変わらず美しいままの姿を保つ小町。

 男にとって三途の川への道のりは、今では通いなれた散歩道程度になってしまった。

 それ程までに小町と会うことは、男にとっての日常であった。

 

「うん、お兄さんも良い年齢になったことだし、見合い話の1つや2つはないのかい?」

「そこで俺が誰かと付き合っているっていう発想にならないのは、俺がモテそうにないからか?」

「いやいや、お相手が居たらそっちを優先して、あたいになんて構わないだろう?」

「……そう言われると否定できないな」

 

 痛いところを突かれてしまい、気まずそうに眼をそらす男。

 そんな可愛げのある仕草に小町は、思わず吹き出しながら男の肩を叩く。

 

「あははは! 機嫌を損ねないでくれよ。お兄さんは三途の川の船頭からはモテモテになるよ。うん、船頭死神の中でも人気者の私が言うんだから間違いない」

「徳が高いと言われれば悪い気はしないが、実態は金を多く持っているかどうかだから、あまり嬉しくはないな」

「誰からも好かれないよりはいいだろう? まあ……」

 

 地獄沙汰も金次第という現実に、男は若干ひねくれた呟きを零す。

 小町はそんな男をからかうように言葉を続けるが、途中で何かを戸惑うように声を切る。

 そして男にしか聞こえないよう、耳元に息を吹きかけながらそっとささやく。

 

「お兄さんをあの世に運ぶ役を、他の奴に渡すつもりはないけどね」

 

 死神に魅入られた人間。死に憑りつかれた男。

 言葉だけ見ればとても縁起のいいものには見えない。

 しかし、言われた当の本人と言えば。

 

「そ、そうか……」

「あらら? 耳に息を吹きかけるだけで顔を赤くするなんて初心だねぇ」

「う、うるさい!」

 

 耳元で愛をささやかれたかのように、顔を赤くしているのだった。

 小町はそんな男の反応に満足そうに笑い、名残惜しむようにゆっくりと離れる。

 

「しっかし、そんな感じだと本当に女っ気がないんだねぇ。早く見合いでもして嫁さん貰いな」

「あいにく、今はそれどころ(・・・・・)じゃないんだよ。大体、そう言うぐらいなら君が嫁になってくれ」

「へ? あたいが? あ、あはは……変な冗談を言わないでおくれよ、まったく」

 

 お前が嫁になれと言われて、思わず目を見開く小町。

 しかし、すぐに冗談はやめてくれと困った顔で笑いを返すのだった。

 まるで、自分の本心を隠すのに苦しむように。

 

「そ、そんなことより、見合いもできないような状況って何なんだい?」

「そんなことって程でもないんだが……まあいいか。それどころじゃないってのは、母親が体調を崩してな。……俺に心配させないように振舞っているんだが、もう長くないんだろう」

 

 慌てて話題を変えた小町であったが、すぐに逸らす先を間違えたと内心で舌を打つ。

 だが、そこは常に人の死と関わりあっている死神。

 人が死ぬからと聞いても動揺はすぐに収まる。

 

「だったら、あたいと話してないでお袋さんの傍に居てやりな」

「それがな……父親が俺が生まれる前に死んで、女手一つで俺を育ててきたせいか、一緒に居ると何かと世話を焼こうとして、休んでくれないんだよ」

 

 小町はすぐにアドバイスを男に送るが、首を横に振られてしまう。

 

「自分のせいで息子を縛るのが嫌らしくてな。こうして外に出てないと、まともに体も休めてくれない。参ったもんだよ……」

 

 子供が成人しようとも、親にとってはいつまでも子供でしかない。

 だから、親は自分がどれだけボロボロになろうとも、子供に世話を焼こうとする。

 もうやめろと、涙ながらに言われても弱い姿を子供に晒さない。

 そのことこそが、他ならぬ子供を傷つけているのだと気づいていても。意地を張って。

 

 子供の前では親であり続けようとする。

 

「……やっぱり早く帰んなよ、お兄さん」

「だが、母は俺が居ると――」

「いいんだよ。多少何かをしないといけないと思ってる方が、魂は長生きする。何より、今の状態じゃ親の死に目に会えないかもしれないよ?」

 

 帰れという言葉に反論しようとする男だったが、続く小町の言葉に声を飲み込むことになる。

 その言葉には重みがあった。死神と人間は違う。

 一度死んでしまった存在とは人間は二度と出会えない。

 

 彼岸の先に行ってしまえばもう帰ってくることはない。

 その先で出会う存在は死神と裁きを下す閻魔大王だけだ。

 

「……わかった、そうするよ」

「それでいいんだよ。しばらくは私になんて構わずに、お袋さんを構ってやりな」

「ああ、そうするよ」

 

 やはり、母親のことは気にかけていたのか、男はすぐに腰を上げる。

 そして、何も言わずに去っていくかと思われたが、しっかりと振り向いて、小町へ言葉を残すのだった。

 

「それじゃあ、またな(・・・)

「……ああ、またね」

 

 男にとっては何気ない日常の言葉。

 しかし、歩き去っていく男の背中を見つめる小町にとっては違う。

 

「また…ね。お兄さんは分かってるのかい?

 次に会う時、あたいはお前の母親を―――あの世に連れて行った死神になっているんだよ?」

 

 次に会う時には嫌われるかもしれないという、未来への不安の言葉だ。

 

 

 

 

 

「……久しぶりだね、お兄さん」

「そうだな。忙しかったからな」

 

 あの日別れてから数か月が経ったある日。

 少しやつれた男が、小町の下に訪ねてきていた。

 

「ああ…理由は言わなくていいよ。知ってる(・・・・)からさ」

「そうか……母さんは君が運んでくれたんだな」

「……代金はしっかり受け取ったよ。もちろん、お兄さんが棺の中に居れた六文銭もね」

 

 代金を受け取った。その言葉に男はどこか安心したような表情をみせる。

 なぜなら、それは小町が母親を最後まで運んでくれたという証拠なのだから。

 

「ありがとう」

「……礼には及ばないよ。これが仕事だしね」

「そうか」

「…………」

 

 そう言ったきりに黙り込む2人。

 元々静かな三途の川に、さらに静かで重苦しい沈黙が広がっていく。

 そんな気まずさに耐えきれなくなったのか、小町が口を開く。

 

「お兄さんはさ……私を嫌ったりはしないかい?」

「嫌う? なんで?」

「いや、私は死神だよ? しかもお兄さんのお袋さんを連れて行った」

「そうだな」

 

 こちらが伝えようとしていることに気づかない男。

 そんな天然なのかわざとなのか分からない態度に、思わず小町は声を大きくしてしまう。

 

「だからさ! ……あたいと関わったから、お袋さんが死んだとかは思わないのかい?」

 

 死神の憑かれた者は不幸に見舞われる。

 実際の所はどうか分からないが、死神と聞いて人間が連想することなどそのようなことだ。

 事実が例え違うものだとしても、人間は一度疑えば俗説でも簡単に信じてしまう。

 

 そんな人間の弱さから、自身が嫌われる可能性を恐れた小町であったが。

 

「え、なんで?」

「へ?」

 

 全く考えたこともなかったという男の顔で、間抜けな声をあげてしまう。

 

「い、いや、だってあたいって死神だし…」

「でも、君の仕事は船頭だろう? 直接誰かを殺したわけじゃないだろう」

「いや、まあ、そうなんだけどね? こう…心情的に大丈夫なのかい?」

 

 まるで自分を、男に嫌って貰おうとしているかのような口ぶりの小町。

 男はそんなおかしな行動に首を傾げながらも、ハッキリと否定の言葉を口にする。

 

「君を嫌うわけないだろ? むしろ―――大好きだよ」

「きゃん!?」

 

 男の大好き発言に、悲鳴のような驚きのような声を上げる小町。

 明らかな動揺。しかし、発言した男の方は特に慌てることもなく淡々と語っていく。

 

「そもそも、人間は必ず死ぬ。だから、例え君が人を憑り殺す死神であったとしても、俺は死神を嫌うことはない。自然なことなんだから」

 

 生きている以上は死ぬ。

 それは辛いことだが、必ず乗り越えていかねばならないことでもある。

 残されたものは生き続ける義務があるのだから。

 

「あー…その……あ、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 と、命の捉え方を語っても今の小町には聞こえていない。

 男の大好きという言葉に、顔を赤くして目を逸らすので精一杯だ。

 

「それにしても…まったく……大好きなんて言わないでおくれ。勘違いしちまうよ」

「勘違いしてもいいよ」

「だ、だから、そういうのはやめてくおくれよ」

 

 大好きという言葉に込められた意味を聞くことから、逃げるように後退る小町。

 しかし、男の方も追うことはしないものの目を逸らさず、視線で意味を伝えようとする。

 だから小町は逃げるように、ではなく本気で逃走を始めるのだった。

 

「そ、そうだ! 仕事に戻らないと四季(しき)様にどやされちまう!」

 

 普段はサボることに全力投球しているというのに、今回ばかりは逆に仕事に逃げる小町。

 そんな年頃の乙女のように慌てる後ろ姿に男は。

 

「小町―――またな」

「……うん、またね」

 

 また()おうと声をかけ、それに彼女も消え入るような声で返事を返すのだった。

 

 

 

 

 

「彼岸花って墓に供えたらいけないんだな」

「なんだい、藪から棒にさ?」

「いや、墓によく咲いているから供えていいと思って買おうとしたら、花屋に止められてな」

「まあ、毒のある花は縁起が悪いからねぇ」

 

 月明かりの下、人間と死神は静かに二人だけの酒宴を行う。

 上等な酒ではない。溢れんばかりの肴があるわけではない。

 だとしても関係はない。お互いに口にはしないが、同じことを思っている。

 

 お前とこの月があれば、それだけで十分だと。

 

「君の髪みたいに綺麗なのにな」

「そりゃあ、褒めてるのかい? それともあたいが毒のある女だって言いたいのかい?」

「毒のある女の方が魅力的だって言うだろ?」

「失礼だね。あたいに毒があっても、せいぜいが船酔いを起こす程度の毒さ」

 

 買わない方が良いと言われたにもかかわらず、何故か彼岸花を手にする男に小町は軽口を返す。

 随分とこの人間と過ごす時間が増えた。

 今では仕事をしていない時間は、いつもこの男と一緒に居る気がする。

 

「それに……毒に侵されているんなら私の方さ」

 

 無意識のうちにそんな言葉が零れる。

 これは毒だ。少しずつ、少しずつ胸を締め付けて女を苦しめ続ける毒。

 いつかは致死量となり死神すら殺してしまいかねない、その猛毒の名を人は。

 

 ―――恋と呼ぶ。

 

「……なぁ、小町。こいつを受け取ってくれ」

「贈り物には向いてないのは、花屋に聞いたんじゃないのかい?」

「聞いたさ。聞いた上で、お前しか頭に浮かばなくなったんだ」

 

 言葉だけ聞けば皮肉にも聞こえるが、男の瞳は真剣だ。

 小町に向ける、絶対に逃さないとばかりの熱い視線がその証拠だろう。

 

「彼岸花にも花言葉があるらしくてな。あきらめ(・・・・)や悲しい思い出なんて後ろ向きな意味が多い」

「だろうね。なんせ、墓地に埋められる花だ」

「でもな、良い意味もあるんだ。それが、俺が君に向ける感情だ」

 

 静かな口調。されど、言葉に灯す熱は自らを焼き尽くす程。

 それを理解できたからこそ、小町は思わず後退りしてしまう。

 しかし、その程度で男が逃がすわけもない。否、女が逃げられるわけがない。

 

「―――情熱」

 

 真紅の彼岸花は、燃え上がる愛の情熱の色。

 それを男は小町の前へと差し出す。

 

「小町、俺の嫁になってくれ」

 

 余計な装飾などいらない。

 まっすぐな言葉と熱き想いがあればいい。

 それだけあれば全てが伝わる。

 

「……本気かい?」

「この目が冗談に見えるか」

「でも…あたいは死神だよ?」

「不相応なのは百も承知だ。でも、それがどうした? 俺は君が好きだ! 何度だって言える!」

「で、でも……」

「小町、難しく考えなくていい。俺のことが好きか嫌いかで答えてくれ」

 

 必死に否定しようとする小町。それ何も男が嫌いだからではない。

 彼女の瞳には見えているのだ。どれだけ長く続こうとも、いつかは破滅する未来が。

 

「あたいは…あたいは……」

 

 ああ、だとしても。

 

「あんたのことが―――大好きだ!」

 

 胸を張り裂かんばかりに叫びをあげる、好きという気持ちには勝てない。

 それが彼女にとってのあきらめ(・・・・)だった。

 

「……本当に死神を嫁にもらうんだね?」

「ああ」

「最後の一滴まであんたの命を私に捧げてもらうよ?」

「望むところだ」

「言葉だけじゃ信用できないね。……ほら、証明してみせてよ」

 

 キュッと目をつぶり、男が来るのを待つ小町。

 そんな愛らしい姿に、思わず微笑みながら男はゆっくりと顔を近づけ。

 

「小町、俺の残りの寿命全部を……君に捧げよう」

 

 魂を与えるような、深い口づけを交わすのだった。

 

 

 

 

 

「小町が寸暇を惜しむように仕事をしている?」

 

 部下が告げてきた報告に地獄の閻魔、四季(しき)映姫(えいき)・ヤマザナドゥは眉をひそめた。

 この報告は、普通に考えれば朗報だ。というよりも、普通の人間であれば報告にもならない。

 真面目に働くことが異常事態として報告される、小町の普段のサボりっぷりが如何に有名なのかがわかる光景だろう。

 

「私の説教がついに効果を……という可能性は低そうですね」

 

 今まで再三注意してきたにも関わらず、態度を改めなかったのが小町だ。

 いい加減クビにするべきかと悩んでいた所なので、朗報には間違いがない。

 しかし、何かが引っかかると映姫は首をひねる。

 なので、同じような気持ちである部下に、さらに深く尋ねてみることにする。

 すると予想外の事実が分かったのだった。

 

「小町に男が出来たという噂が? ……ふむ、可能性としてはあり得ますね。家族ができることで、自覚するというのはよくある話ですし。しかし、あの小町が仕事を一心不乱にやるようになるとは」

 

 男が出来たらしい。何やら悔しそうにそう語る部下とは反対に、映姫は冷静に呟く。別に死神が恋をしてはならないという規則もなければ、部下に家族が出来たというのも純粋にめでたいことだ。この時点では映姫は、小町を真面目にしてくれた相手には感謝しなければなと呑気に考えていた。

 

「それで、相手はどのような方なんですか?」

 

 しかし、それも相手の種族を聞くまでだ。

 

「人…間…ですか?」

 

 映姫の表情が険しいものに変わる。

 そして、小町が寸暇を惜しむように働きだした理由を理解する。

 しかし、それだけで判決を下すことはできない。

 映姫はすぐに部下に詳しく、小町がいつ(・・)仕事をしているかを聞き出していく。

 

「朝や昼に見かける頻度が減って、夜に見かけることが多くなっている…ですか」

 

 それを聞いた映姫は少し悩むように目を閉じ、1つ憂いのあるため息を零すのだった。

 

「……いけませんね。私の予想が正しければ小町は―――働きすぎている(・・・・・・・)

 

 ただ真面目になったというわけではない。

 小町は少しでも自由な時間を作り出すために、仕事を手早く終わらせているのだ。

 寸暇を惜しむように、自分の休む時間すら(・・・・・・)削って。

 

「貴方は知っていますか? 死神の殺し方を」

 

 1人納得を見せる映姫とは反対に、困惑した様子を見せる部下に彼女は語りだす。

 仮にも神と名の付く死神を殺す方法を。

 

 

「死神の殺し方。それは―――人間に恋をさせることですよ」

 

 

 

 

 

「おはよう。もう朝だよ、あんた(・・・)

「おはよう、小町」

 

 小さな家。決して住みやすいとは言えないが、愛する者と過ごすならば他には何もいらない。

 そう言ってはばからない夫婦がこの家には住んでいた。

 奥様は死神。旦那は人間。少し不釣り合いだけど、幸せな家庭。

 

 しかし、この2人には決して逃れられない運命があった。

 

「今日ぐらいは早起きをして、君の寝顔を見ようと思ったんだけどダメだったよ」

「あははは、旦那より遅く寝て早く起きるのは良妻の条件だからね」

 

 冗談なのか本気なのか分からないことを言いながら、背を向けて料理を作る小町。

 そんな彼女を男は。

 

「小町、少し聞きたいことがあるんだ」

 

 逃げられないように後ろからギュッと抱きしめる。

 

「ど、どうしたんだい? 料理中にそんなことしたら危ないだろう?」

「どうしても今聞きたいことなんだ。なあ、小町。君はちゃんと寝ているのかい?」

 

 男からの問いかけに、小町はビクリと体を震わす。

 しかし、すぐにそれを押し隠すように軽い口調で答えようとする。

 

「大丈夫だって。あんたが寝ている間にちゃんと寝てるからさ」

「俺が寝ている間にどこかに行ってるのにか?」

「ッ! ……そ、それは」

「君はいつ休んで、いつ寝ているんだ? 俺にはそれが分からない」

 

 気づかれていた。

 そのことを理解した小町は、何とかごまかそうと言葉を探すが、結局見つからずに黙り込む。

 男は、そんな彼女を勇気づけるように、さらに強く抱き寄せる。

 

「怒っているわけじゃない。ただ、俺は君のことを心配しているんだ」

「……とりあえず、浮気じゃあないよ。そこは誓っていい」

「うん。そこは疑ってもない。小町は俺のことが大好きだからね」

「まったく…あんたはこっ恥ずかしいことを平然と言えるねぇ」

 

 まず第一に疑いそうなことを、平然と信じているという男に小町は苦笑する。

 それだけ愛されているというのは、恥ずかしく感じるが、やはり嬉しい感情の方が大きい。

 男の言う通り、自分は旦那のことが大好きなのだろう。

 そんな当たり前のことを再度自覚すると共に、ある想いがまた1つ強くなる。

 

「それで、君は何をしに抜け出しているんだい?」

「……仕事だよ。少しでも早く済ませてあんたと一緒の時間を過ごしたいからね」

「それは俺としても同じ気持ちだけど、わざわざ寝る時間まで削ってやることじゃないだろ?」

「いいや。寝る時間まで削らないと耐えられないんだよ(・・・・・・・・・)

 

 無理をするなという男の言葉に、小町は自嘲気味に笑いながら首を振る。

 彼女の心にある想いは、男と一緒に居たい。別れたくない。そう言った普通の感情だ。

 大小はあれど、それで生活を崩す人間は少ないだろう。

 

 だが、しかし。彼女は人間ではなく、死神(しにがみ)なのだ。

 

「あんたに分かるかい? 大好きな人の寿命が1秒ごとに削られていく様を見る気持ちが? 気が狂いそうになるんだよ。残された時間が減っていくのを見るのは。だったら、その残された時間を、1秒でも一緒に過ごせるようにしようとするのは、普通の考えじゃないのかい?」

 

 死を見る神。死を招く神。死を司る神。

 そのどれが死神と呼ばれるようになったかは分からないが、1つだけ言えることがある。

 死神は生者と共に生きるように創られてはいないのだ。

 

「あたいは死なない。でも、あんたは死ぬ。どれだけ愛していると言ってくれても、いつかはあたいを置いて彼岸の先に行っちまうんだ。……怖いんだ。その日が来ることが。その日が絶対に変えられないことが。あんたが死んだ後も生き続ける未来が―――堪らなく怖いんだ」

 

 女は震える指先で男の手を撫で、その温かさを必死に感じ取ろうとする。

 

 ―――ああ、よかった。まだ生きている。

 そんな安堵と。

 

 ―――死なないで。私を一人にしないで。

 不安を痛いほどに感じながら。

 

「……辛いのなら俺の傍から離れても――」

「そんなこと言わないでおくれ! ……あんたのことが好きなんだよ。どうしようもなくさ」

 

 小町の苦悩を聞き、自分は離れるべきかと手を放そうとする男だったが、その手を強く掴まれてしまう。そこに居たのは死を司る超常の存在ではなく、ただ1人のかよわい少女。愛する人と別れることを、どうしようもなく拒絶する女。

 

「好きだから…いつまでもこの腕の中に居たいから…辛いんだよ……」

 

 種族の差はそのまま寿命の差となる。

 人間であり続ける限り男は、女の傍に居続けることはできない。

 死神であり続ける限り女は、男の死を直視し続けなければならない。

 

 二人が別たれる未来は決して変えられない。

 

「……だからと言っても、無理はしないでくれ。俺だって君のことが好きなんだから」

「私は死神さ。少々無茶をしたって死にやしない。……ああ、それとも本当に死んだ方がいいかもしれない。そうしたら、あんたが死ぬ姿を見なくて済む」

 

 そう言って、小町は男の腕の中で泣きながら笑う。

 

「それとも、この厄介な目を潰してしまおうか。寿命なんて見えても何の良いこともない」

 

 死神の殺し方は、人間に恋をさせること。

 死神が人間を愛し、その報われぬ運命に絶望して自ら死を望む。

 それこそが、この言葉の本質だ。

 

「やめてくれ。俺は君の彼岸花みたいに赤い瞳が大好きなんだ」

「じゃあ、あんたが死ぬより先に殺してくれるかい?」

 

 腕の中でクルリと振り返り、壊れたような笑みを男に向ける小町。

 愛した男の死を見届けるぐらいなら、いっそ彼に殺された方がいい。

 きっと、上司にはこっぴどく叱られるだろうが、それも一興だろう。

 そんなどこか歪んだ思考を見せる小町に、男はゆっくりと首を横に振る。

 

「それはできない。だって君は―――俺の生きる意味だから」

「あたいが…あんたの生きる意味…?」

 

 彼女の頬を優しく撫でながら、男は安心させるように微笑みかける。

 

「君が居るから俺は最後まで生き抜こうと思えるんだ。寂しがりやで怖がりな死神を、少しでも笑顔にしたいから…俺は生きているんだ。だからさ……俺が死ぬまでは一緒に笑って生きてくれないか?」

 

 君が居ないのなら俺も生きられない。

 そう言われたのなら、女に返せる言葉は1つしかなかった。

 

「ずるいよ……あんたは。あたいはあんたに死んでほしくなんてないんだから…一緒に生きるしかないじゃないか」

 

 男の死を見たくない。男に生きていて欲しい。

 例え、自分が苦しみから逃れることが真の目的だとしても、その願いに偽りはない。

 故に、男が生き続けるために、女もまた生き続けなければならない。

 

「分かったよ……あんたが生き続ける限り、あたいも生きるさ」

「ありがとう、小町」

「その代わり、冥途の土産に楽しい思い出をたくさん残してくれなきゃ、承知しないからね」

「善処するよ」

 

 そう笑って、男は小町の唇に1つ接吻を落とす。

 

「これで1つ思い出が増えたかな?」

「……バカ」

 

 それに対して、小町は顔を赤くしたまま男の頬をつねるのだった。

 

 

 

 

 

 それからも人間と死神の夫婦の生活は続いた。

 言葉では到底語りきれないほどの、思い出が積みあがっていった。

 どちらもが、この時が永遠に続けばいいと願った。

 だが、終わりは誰にだって平等に訪れる。

 そんなこと、誰よりも分かっていたはずなのに。

 

 

「生きているうちに、三途の川を渡ってみたいなんておかしな依頼。私みたいな変わり者の死神以外は受けやしないよ」

「変わり者の死神が、嫁さんでよかったと心から思うよ」

「はいはい、そんなこと言う暇があったら、振り落とされないよう、しっかり掴まっとくんだよ」

 

 三途の川の上を渡る一隻の船。

 そこに乗るのは船頭の死神と、男の老人(・・)

 まだまだ口は達者ではあるが、見る者が見れば分かるだろう。

 その命はすでに風前の灯火であると。

 

「……じつはさ、あんたの寿命を延ばす方法を色々考えてたんだよ」

「初耳だな」

「まあ、全部没案になったからねぇ。妖怪になるとか、仙人になるとか、人魚の肉を食べるとか。色々考えたけどやっぱりダメだった」

「なんで、ダメなんだ?」

「そりゃ、簡単。寿命を無理に伸ばすと―――あんたが地獄に落ちちまう」

 

 そこまで言って、小町は舟を漕ぐ手を止め、川の先を睨みつける。

 

「地獄に落ちる? ただ長生きするだけで?」

「定められた寿命以上に生きるのは大罪なんだよ。仙人だって、人間は有難がってるけど、私らからしたらただの罪人だからねぇ」

 

 命をむやみやたらに伸ばすことは自然の摂理に反することであり、何より輪廻転生のシステムに喧嘩を売る行為だ。そのため、日本の地獄ではそれは大罪として扱われている。そんなことは閻魔の部下の死神である小町が、誰よりも理解している。

 

「……でも、今はそうまでしても寿命を延ばしたいって気持ちも分かるよ」

 

 だが、今となっては心では納得できないようになっていた。

 正しいのだと頭では分かっている。だというのに、生き続けて欲しい人が居る。

 それが小町の死神にとっての常識すら揺さぶっていた。

 

「もっとあんたと一緒に居たい。あんたが地獄に落ちることになってでも一緒に生きたい」

「…………」

「でもね。あたいはあんたのことが大好きなんだ。あんたが死後に永遠に苦しめられるようなことはしたくない。何より、真剣にあるべき生を生きてきた、あんたの人生を汚したくなかった。だから、全部没案さ」

 

 まるで、考えていた案全てを捨てるように、三途の川の上で手を広げて見せる小町。

 相も変わらず舟を漕ごうとはしない。

 

「どうだい、できた良妻だろう?」

「……ああ、よく知ってるよ」

「ははは、そいつは光栄だ」

 

 三途の川に波はない。風も起こらず、ただ穏やかな水面だけがそこにある。

 そのため、漕ぐことをやめた船は大地の上のように動くことなく留まる。

 持ち主の意思を反映するかのように。

 

「そんな良妻に聞きたいんだが、どうしてさっきから舟を漕がないんだ?」

「……忘れたのかい? あたいはサボり魔な死神だよ。今は休憩中さ」

 

 目を閉じて、平静を装った顔で語る小町。

 だが、そんなごまかしは男には通用しなかった。

 

「なあ、小町。本当はもう……彼岸についているんじゃないのか?」

 

 男の問いかけに小町は表情を消す。

 そして、努めて冷静に声を出せるようにゆっくりと口を開く。

 

「……そうだよ。霧で見えないが彼岸はすぐそこさ」

「じゃあ、なんで?」

「こうして船の上に居れば、ずっと一緒に居られるかも……なんて馬鹿なことを思ったからさ」

 

 もはや苦笑いすら浮かべない。

 小町は自分でも、本気なのか冗談なのか分かっていないような口調で続けていく。

 

「あんたも分かってるから、三途の川を渡りたいなんて言ってきたんだろうけどさ。……今日があんたの寿命が終わる日さ。このまま何事もなく川を渡れば、そのままあの世だね。でも……私1人を置いて行くなんて寂しいじゃないか」

 

 私も一緒にあっちに連れて行っておくれ。

 そう言って、小町は懐から取り出した短刀を男と自分の間に置く。

 

「愛した男と一緒に死ねるなら、命の終わりとしちゃあ上等だ」

「……ああ、確かに悪くはないんだろうな。君の顔を見たらわかる。でも」

 

 男はそこで言葉を切り。

 

「俺も君と同じぐらい、愛した人に死んで欲しくないと思っている」

 

 短刀を川の中へと投げ捨てる。

 そして、代わりとばかりに懐から白い彼岸花を取り出す。

 

「……そうだとして、どうやって私を生かすつもりなんだい? 死ぬのに別に刀なんていらない。このまま船をひっくり返して、二人一緒に川の底でもあたしは構わないよ。まあ、あんたが苦しむ手段はあんまり取りたくないけどさ」

「だから、今から君にお呪い(まじない)をかける。君が、死にたくても死ねないように」

 

 紡ぐ言葉は呪い(のろい)の言葉。

 僅かな希望を与えて、絶望させることを決して許さない鎖。

 

 

「輪廻の果てに―――また会う日を楽しみにしてるよ」

 

 

 白い彼岸花の花言葉は、また会う日を楽しみに、と、想うはあなた一人。

 故人を想い、再び巡り合いたいという祈りの籠った言葉だ。

 生き続ける彼女に、いつかまた逢いに来るという約束。

 

「正気かい…あんた…? ただの人間じゃ、記憶なんて欠片も残らないよ」

「俺の記憶がなくなったって問題ないさ。俺の生きた証がきっと導いてくれる」

「あんたの…生きた証?」

 

 何言っているのか分からないといった表情の小町を、男は優しく抱き寄せる。

 そして、その耳に一生消えることのない呪い(・・)を吹き込む。

 

「君が俺の生きた証だ。愛した君が生きている限り、俺が確かに生きていた証は残る」

 

 生きていれば、きっとまた出会える。

 男はそんな残酷な希望の火を、女の折れそうになっていた心に無理やりに灯らせる。

 

「本当だね…? 信じてもいいんだね?」

「ああ、生まれ変わったら真っ先に君の下に来るよ」

「……ああ、わかったよ。旦那を信じる(・・・)のも良妻の役目だ。待ってるよ、ずっと」

 

 だから、彼女は死ぬことをやめて待つと男に告げる。彼を安心させるために。

 それと同時に、コツンと船が彼岸に到着する音が響く。

 これで今生の別れだ。船から下りれば、次に向こう岸に行けるのは生まれ変わった後だ。

 

「小町」

「なんだい」

「……愛してる」

 

 短い言葉と触れるだけの口づけ。

 それが、男が最後に女に残していったものだった。

 そうして、男は女に背を向けて真っすぐに閻魔の下へと向かっていく。

 

 決して、振り返ることなく。

 

「……旦那の()を信じてやるのも良妻の役目だよねぇ」

 

 歩き去る男の背中を、小町は流れ落ちる涙を拭くことも惜しんで見送る。

 

「生まれ変わっても逢いに来る? 死神にそんな嘘が通じるとでも?

 例え、本当に逢いに来たとしても―――それは私の愛した人じゃない」

 

 知っていた。輪廻転生で記憶を引き継ぐことはあっても、結局は別人なのだ。

 確かに性格は同じかもしれない。見た目も似ているだろう。

 だが、全く同じではない。どこかで誤差が生じる。

 似ていれば似ている程に、その誤差は大きな違和感を生み出していく。

 そうして最後は結局は別人だったのだと、当たり前のことを理解するのだ。

 

「あたいの愛した人は……今日死んだあんただけなんだよ」

 

 涙で目がかすみ、もはや男の輪郭すら定まらない。

 今すぐにでもその背に追いついて、共に生を終わらせてやりたいと強く思う。

 だというのに、それを彼女はしなかった。何故か。

 

「また会う日を楽しみになんて…勝手なこと言うよ。おかげで希望(迷い)が出来たじゃないか」

 

 理由は単純。死ぬことへ迷いが生まれたからだ。

 あの男はもしかしたら、本当に自分の愛した人のまま逢いに来るかもしれないと。

 自分がここで死んだら、再び巡り合う可能性を捨ててしまうのではないかと。

 残酷な希望(呪い)を宿されたから。

 

「あんたの生きた証として…! 生き続けなきゃいけないって…ッ」 

 

 何より。自分が死んでしまえば、男が生きた証が。

 自分を愛してくれたという事実までが、消えてしまうのではないかと怖くなったから。

 

「もう少し…すっぱり諦められるまで…生きてみるよ……」

 

 あと、ほんの少しだけ生きてみようと。

 死神は白い彼岸花に誓うのだった。

 

 

 

 

 

「お姉さん、この白い花あげる」

「んー? あー、ダメだね、そりゃ」

「えー、なんで?」

 

 小さな少年が女に花を差し出している。

 だが、女は受け取れないと苦笑しながら断る。

 当然、少年はショックを受けた表情をするので、女は説明を行う。

 

「毒のある花は贈り物としてはダメなのさ」

「へー、こんなに綺麗なのに」

「まあ、それもあるんだけど花言葉がいただけない(・・・・・・)

「花言葉?」

「また会う日を楽しみにと……おっと、もう日が暮れるよ。子供はもう帰んな」

「あ、本当だ! お父さんに怒られちゃう! じゃあね、お姉さん!」

 

 父親の雷を思い出して、少年は花を放り出して一目散に家の方へと駆けていく。

 そんな後ろ姿に女は呑気に手を振りながら、少年が放り出した花を拾い上げ物憂げな目をする。

 

「お父さん…ね。幸せそうで何よりだ」

 

 まるで、期待していたものに裏切られたかのように。

 

何度か(・・・)同じ光景を見たことがある気がするのですが、受け取る気はないのですね、小町」

「あはは、私は貞淑な女ですからね、四季様。旦那に筋をたててるんですよ」

 

 そんな小町の背中に声をかけるのは、四季映姫。

 地獄の閻魔。地獄に行くも、解脱するも、転生(・・)するも全てが彼女の判決次第だ。

 

「あの少年が何者か分からない貴方でもないでしょうに」

「……仮に花を受け取るとしても、それは別の恋ですよ」

 

 同じではない。彼ではない。だから、花を受け取ることはできないのだと小町は言う。

 そんな彼女の健気というべきか、重いというべきか分からぬ想いに映姫は嘆息を零す。

 

「確か、白の彼岸花の花言葉は―――想うはあなた1人でしたか?」

 

 小町が待っているのはただ1人の男だけ。

 別の誰かにうつつを抜かしたりなどしない。

 いつかまた愛した人間に抱きしめてもらえると信じて。

 

 どれだけ辛くとも生きている。

 

「はぁ…もう少し(・・・・)だけ、待ってみますかね」

「もう少し…ですか」

「ええ、ほんの少しですよ。まったく…こんなに良い女をいつまで待たせるんだか。早くしとくれよ。早く逢いに来てくれないとあたい―――」

 

 それこそが、男が女に残した。

 

「生きるのに疲れちまうよ」

 

 呪いだから。

 

 




書いてるうちに、小町がどういうわけかヤンデレ気味になってしまった謎。
次を書くなら幽香の物語。

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◎花言葉
・彼岸花 赤:情熱、独立、再会、あきらめ、悲しい思い出
・彼岸花 白:また会う日を楽しみに、想うはあなた一人
・彼岸花 黄:追想、深い思いやり、陽気、元気な心

全体的に死者との再会を願ってる感があって好き。
後、小町は黄色の言葉が合う気がする。


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