一応漫画1巻分の所までは進めたから次もまた同じくらいの長さかもしれんけど、分割する方が良いのだろうか?
年齢が千冬よりも上なのに学園に通えるっていう無理やり感。いや20代でいくつにするかサイコロにゆだねた結果だったんだよ。
見た目とかのイメージは名前でわかる人にはわかると思う。
女子校。女の園。時として物語の舞台となる秘密の花園。
男が居ないから貞操観念が弛いとかは所詮妄想でしかない。
いや、それはある意味でこの学園が特殊であるからだろう。
女性にしか扱えないマルチフォームスーツ。
10年前に起こった白騎士事件によって注目された宇宙空間での活動を想定したパワード・スーツ。
正式名称はインフィニット・ストラトス。
無限の成層圏という名前を縮めてISと呼ばれている。
というのが一般的なISの説明になる。
だがこのISは何故か女性にしか動かせない。
そのため、10年で世界には女尊男卑という風潮が渦巻いて、男としてはとても生き難い世界へと変わってしまった。
それこそ就職に至っても女性であるから優遇される世界になっていたりする。
ネットの掲示板を漁ればそんな社会に涙を呑むしかない男の悲しい現実が犇めいている。
かく言う自分も、そんな負け組の男のひとりだった。ついこの前までは。
女性にしか動かせないISをひとりの男の子が動かしたのだ。
それによって世界中の男たちはお祭り騒ぎだ。
ついに俺たちもISを動かせる時代がキターッって感じだった。
そして世界中で男に対するIS適性検査が行われた。
女尊男卑とはいえ、たかだが10年の歴史で男が回していた世界が崩れるわけでもなく、世の中を回しているのはやはり男の力が強いということなのだろう。
老若問わずに行われた適性検査。
自宅警備員兼主夫業を営む自分が世界で二人目のアタリを引いてしまった。
その場で身柄を確保されてあれよあれよという内に、世界唯一のIS関連技術の育成機関であるIS学園に放り込まれてしまったのだ。
「速水さーん、速水さーん!」
「あ、は、はい…」
「ごめんなさい速水さん。自己紹介お願いします」
目の前にドアップで写り込んだ巨大なモノから目を逸らして、眼鏡を掛けた童顔の女性の言葉を耳にして立ち上がる。
「あー、……えっと」
正直自分がここにいるのが場違い過ぎる様な感じで物凄く居心地が悪かった。何故なら右も左も年下のJK女子しか居ない。もちろん後ろもだ。
教卓の前も可哀想だが、教室のど真ん中もかなり辛い。
四方八方、360度を囲まれ注目されるなんて人生に幾度あっただろうか。
同い年とかならまだ高校生的なノリで済ませられただろうか。だが自分は彼女たちよりも10歳程歳上。というより、教師陣とほぼ同い年のはずの自分が教室のど真ん中に居る意味はもう語らずともよいだろう。
「は、
なるべくフレンドリーな感じで言ってみたものの、盛大に滑ったかもしれない。
「なんかフツーの人?」
「じみっぽーい」
「優しそうな人でよかったぁ」
「優しそうっていうか、なよっとしてる?」
「織斑君の方が優しそうじゃない?」
恥ずかしさが込み上げてきてスッと席についた。最初の彼の時のような女子の超音波攻撃は放たれることはなかったので良かった。と思う。色々とダメージは負いはしたが。
織斑一夏少年に引き続き見つかった男性適正者。
家族関係にはISのアの字もない普通の一般家庭で育った成人男性。26歳。というには垢抜けしていない童顔を持つ速水厚一は、10年振りほどくらいに学生服に袖を通していた。
それもこれもISの事をなにも知らない素人であり、最終学歴も高校中退という中途半端なもので終わっているからだった。故に特例で全日制のIS学園に放り込まれたのは、せっかくの男性IS適正者を他の国にちょっかいを出される前に治外法権区とも言えるIS学園の中に取り敢えず放り込む事を優先にされたからだと言える。
というより、半ば強制であった。
市の役所で行われた簡易適性検査にパスし、本格的にISを装着し、動かせた時点で周囲を数機のISに囲まれて銃を向けられて拘束。
そしてISと関わるか否かと突きつけられたが、断ったらどうなるかなんて口で言わなくても察せられる程の重圧を浴びせられ。
せめて人間らしく扱って欲しいと嘆願して手に入れたのが2度目の高校生活を10歳程年下の少女に囲まれながらISの事を学ぶという立場だった。
断ったらそれこそ人権を無視されるようなことをされるかもしれないと思うとゾッとする。それこそ身体の至る部分をホルマリン漬けにされても不思議ではなかったかもしれない。
だからといって安心して胡座を掻けるわけでもない。
ここはIS学園。学校であり、義務教育の場ではない。当然考査の末に途中で退学も有り得る。
なにがなんでも、机に齧りついてでも勉強に付いていかなければならない。でなければ、学ぶ必要もなしとされてモルモット扱いで一生日の光を見れないかもしれない。
考えすぎだと思われるかもしれない。だが、今現在ISを動かせるのは自分と織斑一夏少年しか居ない。
どちらも日本人だ。
そして織斑一夏は織斑千冬先生を千冬姉ぇと呼び、姉弟の関係だと先程の彼の自己紹介の時に知れ渡った。
織斑千冬の名は、ISで行う特殊競技大会。簡単に言ってしまえばISのオリンピックの様なもので、初代ブリュンヒルデの名を獲得した女傑だ。
当時同い年の女の子が世界で活躍していて凄い娘だなぁっと、テレビ越しに彼女を応援していたので良く知っている。まさか教師と生徒として本物の織斑千冬を目の当たりにするとは思わなかったが。
そんな実績を持つ逸材の弟。周囲の期待が目に見えるようだ。故に二人目の自分はおちおち止まったり躓いたりする事は出来ない。
なにしろ自分はそういう後ろ楯がなにもないからだ。
実績もこれから作っていかなくてはならない。
正直胃が痛くて目眩がして布団の上で横になっていたいのだが、そんなことをしている間に目出度く人生が終了しそうなのであり、尻に火が点きっぱなしの自分は這ってでも前に進まなくてはならないのだ。
1時限目の自己紹介のあとは普通に授業だった。
分厚い参考書。電話帳と思ってしまいそうなそれは事前に読んでおくようにと渡されたそれを寝る間も惜しんで1度は目を通した。
そこにさらに別に教科書がある。
「――であるからして。ISの基本的な運用は現時点で国家の認証が必要であり、枠内を逸脱したIS運用をした場合は刑法によって罰せられ――」
教科書の内容を読み進めていく副担任の
童顔な顔つきは生徒として混ざっていても通用しそうな幼さを感じさせるが、確りと教鞭を振るっている姿はまさに教師だった。
参考書は読んだ上に、ISというパワード・スーツは乗れなくとも男にとってもロマンを体現しているメカであるがゆえに、色々と雑知識は持っていたのが功を奏した。
「織斑くん、速水さん、なにかわからない所はありますか? わからない所があったら訊いてくださいね。なにせ私は先生ですからっ!」
胸を張る真耶ちゃん先生である。頼りになりそうではあるが、一挙一動毎に揺れるあの凶器に目が行かないように彼女の眼鏡に視点を集中させる。……セクハラで追い出されたくないんです…。ここは、地獄だ……。
「取り敢えず今のところは大丈夫みたいです。またわからないことがあったら質問させてください」
「はい! 年下と遠慮せずにどんどん訊いてくださいね!」
元気な人。というかささくれている心が癒されるというか。単なる配慮なのかもしれないがその気遣いだけでも厚一にとっては有り難かった。
というよりも、厚一からして真耶が話し掛け易い相手でありそうなのは有り難かった。でなければ正直言って誰に頼れば良いのかという話だった。
「織斑くんも、わからない事があったら遠慮なくいってくださいね?」
朗らかというか可愛くて癒し系女子が服を着てるのではないかと思うほどに、そんなイメージが湧く真耶を見ながら、一夏が席から立ち上がった。
「先生!」
「はい、織斑くん!」
早速質問されて嬉しそうに笑顔を浮かべる真耶を真正面に見れる一夏少年を厚一は少し羨ましく思った。というよりも教室のど真ん中は本当にキツい場所だったのだ。出来れば一番後ろの窓側の席が良かったと考えていたらとんでもない言葉が一夏から放たれたのだった。
「殆ど全部わかりません……!」
その瞬間、教室の空気が固まったのを確かに厚一は感じた。
「え……、ぜ、全部ですか……? え、えっと…、織斑くん以外で今の段階でわからないっていう人はどれくらい居ますか?」
あんまりの一夏少年の言葉に真耶ちゃん先生も困惑気味に教室を見渡して、厚一に視線が止まる。不安げに見つめてくる真耶に厚一は苦笑いを浮かべるしかなく、教室の沈黙が重かった。
「……織斑。入学前の参考書は読んだか?」
「古い電話帳と間違えて捨てちゃいました。あだっ!!」
「必読と書いてあっただろうが馬鹿者」
参考書を読んでいれば今のところはわからないというわけでもない範囲であるはずなのに、本気でわからないという様子の一夏を見かねた担任の織斑千冬が動いたのであるが、一夏の返答に間髪入れず出席簿を叩き込んだ。
それは怒られて当然だ。なにしろこのIS学園に入学する全校生徒が必ず読んでいるのだからだ。
「は、速水さん、どうかしましたか? 具合でも悪いんですか?」
「い、いえ、大丈夫です」
眉間を抑えて俯く厚一に真耶が慌てた様子で歩み寄るが、厚一は手で制した。ただあまりにも衝撃的な言葉に自分の努力がバカを見たんじゃないかと思って激しい頭痛に見舞われただけであった。
「後で再発行してやる。一週間以内に覚えろ、いいな」
「いや、あの厚さは一週間じゃ……!」
「〝やれ〟と言っている」
「……はい」
有無を言わさぬ千冬の眼光に撃沈する一夏だったが、それは一夏自身の過失であるのでだれもフォローのしようがない。
昼休みになって。栄養ドリンクとエナジードリンク、さらにエナジーバーで済ませた厚一は午前中の授業の内容を復習していた。
受験勉強でもここまで真面目に反復してやっていた記憶がない厚一であったが、自分の生活が懸かっているのでやらないわけにもいかないのだ。
「見て、速水さんもう教科書開いてるよ」
「え? じゃあさっきのお昼ご飯なの? 身体大丈夫なのかな」
「思ったより真面目な人なのね。ちょっと良いかも…」
そんな感じの会話も厚一には聞こえていない。授業中にレコーダーで録音していた真耶の授業内容をイヤホンで聴いていたからだった。
しかしそんな厚一の集中を妨げる者が居た。
肩を叩かれて視線を上げると、そこには申し訳なさそうに片手で拝みながら立っている一夏少年が居たのである。
「なにか用?」
「あ、や、ごめんなさい。俺、織斑一夏です」
「速水厚一。よろしくね、織斑君」
「よ、よろしくお願いします、速水さん。そ、それでなんですけど」
「さっきの参考書の事かな?」
「は、はい。それで、その…」
同じ男同士で、今のところ授業に付いていけている厚一に教えを乞いたいという感情が剥き出しの顔を見て、厚一は一夏を嘘が吐けない実直な子なんだろうと思った。
姉に似てイケメン男子の一夏ならば、さらに加えて織斑千冬の弟という肩書きがあれば大抵の相手には話し掛けて答えてもらえるだろうが、態々同性の厚一の所に来る辺りさすがに気まずいのだろう。
「うーん。正直おれもあまりまだISのことわかってないから教えられる事はないと思うけど」
「うっ。そ、そう、ですよね…」
最後の希望が絶たれたとも言わんばかりに肩を落とされると、悪いことをした気分になってしまうもののその気になれば姉の千冬が居るから訊ね易いのではないかと思って、エナジードリンクに口をつけ、エナジーバーを齧る。
「もしかして。それお昼ご飯ですか?」
「そうだよ? 最近食が細いから」
主にストレスの所為であるのは厚一自身良くわかっている。だから一応栄養だけは摂取している食事になっていた。
「お腹いっぱいになるんですか?」
「取り敢えず? あとは夕飯は普通に食べてるし」
二本目のエナジードリンクを開けて、咀嚼したエナジーバーを胃に流し込む。
さすがに夕飯は気合いで普通の食事をしている。でないと身体がもたないのがわかっているからだ。
そろそろ復習に戻ろうかと思った時だった。
視界の端から煌めく金髪が近づいて来るのが見えたのは。
「ちょっと宜しくて?」
「へ?」
「君は確か…」
突然のことで気の抜けた返事になってしまう一夏と、流れるような金髪が印象深かった女子の名前を思い出していた。
「イギリスの代表候補生のセシリア・オルコットさん。で良かったかな? はじめまして、速水厚一と言います」
「あら。速水さんは良くわかっていらっしゃいますのね。そちらの失礼な態度の方とは違って」
少し高圧的で高飛車なお嬢様な感じのセシリアを前にして名前を思い出した厚一は、彼女が自己紹介の時に言っていたイギリスの代表候補生という部分も加えて名を口にした。この歳から代表候補生という事はとても期待が掛けられているIS操縦者なのだと思いながら、自己紹介で自らの名を口にした。座ったままだと失礼かもしれないが、急に立てるような格好ではなかったので許して欲しかった。
「ですが。せっかくわたくしが声を掛けたというのに、座ったままでは失礼ではありませんこと?」
「ああ。ごめんなさいオルコットさん。ちょっと急に立てなかったから」
そう言いながらボイスレコーダーとイヤホンのコードを膝の上から回収して胸ポケットに納める。
「なんですの? それは」
「ボイスレコーダー。山田先生の授業を録音して、お昼食べながら復習してたんだ。織斑君と話すのにイヤホンを外して膝の上に置いてたからね。まぁ、挨拶の前に片付けてからすれば良かったんだけど。そこまで気をまわせなくてごめんね」
「勤勉な方ですのね。その勤勉さに免じて、今回は赦して差し上げますわ」
「ありがとう」
「ですが! あなたはいただけませんわ」
「え? いやだって急に話しかけられた上に君の事知らなかったし」
「知らない!? イギリスの代表候補生であるこのわたくし、セシリア・オルコットを知らないですって!?」
「おう、知らない。というか代表候補生ってなんだ?」
「……論外ですわ。あのミス千冬の弟だからどのような方かと思いましたのに。失望しましたわ」
「勝手に期待されて勝手に失望されても困るんだけどなぁ」
額を抑えながら肩を落とすセシリアに厚一も流石に擁護できなかった。とはいえ参考書を捨ててしまっているのだからわからなくても仕方がないかと結論付け、どうにかフォローにまわる。
「セシリアさん。そうは言っても織斑君は織斑君で、織斑先生は織斑先生だよ。間違えちゃったとはいっても参考書を捨ててしまったから初歩的な事から何も知らなくても不思議はないことも理解して上げて欲しいな」
「そうでしたわね…。速水さんは勤勉な方ですのに、あなたはここに居る事の自覚が少ないのではなくて?」
「いや、俺は――」
一夏が何かを言い返そうとした所で丁度予鈴が鳴ってしまう。正直助かったと厚一は胸を撫で下ろした。それで一夏の言葉が途切れたからである。
「予鈴ですわね。これにて失礼いたしますわ」
「うん。また話せると嬉しいな」
「速水さんであればいつでも歓迎いたしますわ」
そう厚一には微笑みながら言って優雅に踵を返し、一夏にはひと眼もくれずにセシリアは去って行った。
「なんなんだ、アイツ」
「織斑君、さっきオルコットさんに言おうとした事は言わない方が良いよ」
「えっ、どういうことですか?」
「さっきさ。織斑君は、自分は望んでここに来たわけじゃない。そう言おうとしたでしょ?」
「え、ええ。まぁ…」
自分が思っていた続きを察して、厚一は気持ちはわかるものの、ここは敢えて気持ち顔を真面目にして一夏を見つめながら口を開いた。
「このIS学園はね。入ろうと思って入れるところじゃないんだ。入試の難易度も倍率も世界トップクラス。それに加えて世界中のエリートが集まって来る。だからただ男でISを動かせるだけでここに居るおれたちとは心構えからして違うんだ。そんな中で努力もしてないのに珍しいからという理由だけでこの学園に入れてしまった俺たちの立場は、正直危ういんだ」
「それは…」
正直言って危ういのは厚一自身だけだと思っているが、周りの印象を悪くすることもないだろうと敢えて一夏にも実感を持たせる様に男子という括りにしたのだ。
「だから頑張らなくちゃならないんだ。それが望む望まないにしても、ISを動かしてしまった以上、ISと無関係ではいられないんだ」
そこまで話して担任副担任のふたりが入ってきたために話は終わりとして厚一は一夏に席に戻るように告げた。
あれが若さなんだろうなと思うと、自分が老け込んだような気がして若干気がへこみもした。四捨五入三十路が見えているとどうにも若さ故に出やすい感情や考える前に飛び出してしまう言葉というものの向こう見ずというのは羨ましくもあった。大人になると言葉を選ぶようになって素直な言葉が出てこないことが多いからだ。
「さて。再来週に行われるクラス対抗戦に出る代表者を決める。クラス代表者は対抗戦だけでなく生徒会の会議や委員会などにも出席してもらう。わかりやすく言うなら学級委員だな。自他推薦は問わない。誰か居ないか?」
HRになって千冬のその言葉にそこらじゅうで近場の女子たちがどうするかを話し合い始めた。
学級委員となると千冬が上げた通りに色々な会議にも出なければならないのだろう。そうなると勉強に振り向ける時間が減るかもしれない。そうなれば人生が危うい。内申点に影響がありそうな役職になるだろうが、見えてしまった地雷を踏みに行くこともないと思っていた厚一だったが、そうは問屋が卸さなかった。
「はい! 織斑君を推薦します!!」
「私もそれが良いと思いまーす!」
「お、俺ぇ!?」
自分が推薦されるとは思わなかったのだろう。一夏は素っ頓狂な声を上げて自分を指さした。
それも仕方ない。何しろまだ一日目の放課後。織斑千冬の弟というフィルターが入ってしまうのは仕方がない。何しろあのブリュンヒルデの弟。だから強い。或いは男性IS操縦者というもの珍しさというのもあるのだろう。
「な、なら俺は速水さんに一票入れます!!」
「こっちに飛び火するの!?」
女子の賛成多数で決まるのだろうと高みの見物をしていた厚一も思わぬ攻撃に半腰が浮かぶ程度に椅子から立ち上がる。さすがにそれはないと厚一は一夏を睨みつけようとした所でガタリッと誰かが立ち上がった。
「ちょっと待ってください!」
立ち上がったのは金髪で声の通りも良いセシリアであった。
「その様な選出は認められませんわ! 速水さんならばともかく、織斑さんでは些か実力不足ではないかと思います。実力からしても代表候補生であるわたくしがクラス代表を務めるのに相応しいと思います!」
「ではオルコットは自薦。そして他薦は織斑と速水だな」
「いや千冬姉ぇ、俺はやるとは一言も――」
「織斑先生だ、馬鹿者。それと自他推薦と言っただろう」
「横暴だって! 速水さんも何か言ってくださいよ」
「…授業の補習時間がちゃんと貰えるのなら」
「良いだろう。もとより生徒には皆総じて平等にそういう権利はある。他にやるものは居ないな? ならば来週月曜日放課後に第3アリーナにて織斑、速水、オルコットの3名のISによる模擬戦を行い、その結果によってクラス代表を決める。間違っても手を抜こうなどとは思うなよ? それくらいの見分けはつく」
「う、マジかよ…」
話が纏まってしまった事で項垂れる一夏を見て、項垂れたいのはこっちだと巻き込まれた厚一は声に出して言いたかったが、自分は一応大人なのでぐっと堪える事で言葉を飲み干した。
放課後、さっそく幾つか疑問点が浮上した厚一は真耶に頭を下げて質問していればいつの間にか補習授業の様相に変わってしまっていた。
「ありがとうございました、山田先生。お忙しいのに色々と」
「いいえ。私は先生ですからいくらでも頼っちゃっていいんですよ?」
そうして得意げに胸を張る真耶ちゃん先生に癒されながら、厚一も帰り支度をしたところだった。
「それにしても良かったです。速水さんもわからないところがあって置いてけぼりにしちゃってないか不安で」
「織斑君の場合は少し特殊ですよ」
ホッとした様子の真耶に、厚一も苦笑いを浮かべながら言うしかなかった。
事前知識の雑知識のお陰もあって、更には寝る間も惜しんで参考書を読んだのだ。その成果は取り敢えず発揮されているので決して無駄ではなかったと少しだけ自信を取り戻した。
「そう言えば速水さんは寝泊りに関して政府から聞いていますか?」
「ええ。確か空いている宿直室に泊まるだとかなんだとか」
怒涛過ぎてすべてを覚えている自信はないが、一応記憶の引き出しにはまだ残ってくれていたらしい。関連するワードを言って貰えれば記憶を引き出せはした。
「それで。その宿直室が数年物置になっていて、片付けるまでは、その…」
「まさか女子と同室とか?」
まさかそんなぶっ飛んだことにはならないだろうなと怪訝な表情を厚一は浮かべた。そんなラブコメにありそうな展開があってたまるかと思う。それ以上にもし万が一にお風呂でばったりなどした日には此方が犯罪者扱いにされて社会的に死ぬ運命が垣間見えた。
「いえ。取り敢えずは今使っている宿直室で、織斑先生と…」
「あ、成る程」
言い淀む真耶に皆まで言わずとも厚一は察した。確かに相手がブリュンヒルデならば護衛と自衛の両面で心配なことはないだろう。
「すみません。数日の我慢なので」
「山田先生が謝る事じゃないですよ。それにちょっと好都合かな」
「こ、好都合って、速水さん、は、ハレンチなことはダメですからね!」
「いやまだ死にたくないので大丈夫です。ただISの事を色々と聞けるかなって思って」
「あ、そ、そうですよね。やだなぁ私ったら、あはは…」
何を考えたかまでは言うまい。取り敢えず顔は幼くてもちゃんと大人の考えをする真耶を見て厚一は苦笑いを浮かべるのだった。
「でも速水さんは熱心ですね。まだ初日なのに、もう少し肩の力を緩めても良い気もしますけど」
「ええ。まぁ、心配性なだけですよ」
親身になってくれていて癒される笑みを浮かべてくれる真耶にあまり暗い話を聞かせるべきではないと思った厚一は当たり障りのない理由で誤魔化した。
そもそも厚一の懸念も被害妄想と疑念が生み出している唯の自己脅迫観念かもしれないのだ。とはいえ一度考えてしまうと中々その考えが払拭できないのも人の性だ。
「ああ。それと山田先生。訓練用ISの使用申請書って貰えますか?」
「ええ、構いませんけど。今から申請しても一週間後にまで乗れるかはわかりませんよ?」
「それでも一応お願いします。少しでもISには触れておきたくて」
「わかりました。じゃあこのまま職員室にまで行っちゃいましょうか」
「わかりました」
真耶の先導で職員室に連れた厚一は職員室中の教師の視線を向けられながらその場で訓練機の使用申請書を書き、その足で学生寮の宿直室に案内された。
「織斑先生。速水さんをお連れしましたよ?」
ノックして真耶が要件を伝えてからどったんばったんと慌ただしい音が聞こえ、3分程してドアが開かれた。
「待っていたぞ。ご苦労だったな山田君。あとは私が受け持つ。入れ速水」
「あ、はい。それじゃあ山田先生、また明日」
「はい。また明日ですね、速水さん」
手を振る真耶に別れを告げて宿直室に入る厚一を廊下の壁に追い詰めた千冬は逆壁ドンで厚一の逃げ場を無くした。身長としては厚一の方が高い筈なのだが、厚一は自分よりも身長の低く女性であるはずの千冬の放つ存在感に呑み込まれ、身動きが出来ないでいた。
「いいか? ここから見る事はすべて己の胸の内に留めておけ。長生きしたければ、な」
ドスの効いた声に厚一はただ首を縦に振るしかなかった。
「少し散らかっているが、気にするな」
宿直室に脚を踏み入れた厚一ではあったが。昔憧れたテレビの向こうのスターの現実の無情さに、ブリュンヒルデ織斑千冬像は木っ端みじんに砕け散った。
「これが…、ちょっと…?」
ゴミは一応はゴミ袋に纏まってはいるものの、酒の空き缶の量が物凄い上に、服も散乱している。というかどう見繕っても汚部屋一歩手前だった。
「取り敢えず座れ。突っ立っていても始まらんだろう」
「あ、あぁ、はい」
授業で着ていたスーツ姿から動きやすいジャージ姿に着替えていても、そのオーラはブリュンヒルデ。しかし部屋を見た後だと私生活は意外とだらしのない人なのではないのかと思ってしまう。というより人間完璧超人なんていうのは何処にもいないのだろうと思った。それもそうだ、アイドルだってトイレに行くのだから、目の前の人も普通の人間という事だ。それで納得する。
「取り敢えず片付けましょうか」
「別に構わんだろう。数日過ごすだけだ」
「それでも綺麗な部屋の方が気分も晴れるんですよ」
換気扇を回して酒気を飛ばしながら空き缶を一つ確保する。
「織斑先生。ここの喫煙所ってどこですか?」
「そんなもの校内にあるわけないだろう。吸いたいなら換気扇の下だ」
「了解しました」
持ち込んだキャリーバックからショルダーバッグを取り出して、咥えたタバコにマッチで火を点ける。煙を取り込んで、辛味を感じながら一本吸った事で気持ちを切り替える。
「ISに乗るならタバコはお勧めしないぞ」
「お酒は良いんですか?」
「体力と肺活量の問題だ。大成していく気があるのならな」
「わかりました。そうします」
タバコをショルダーバッグにしまい直し、空き缶をゴミ袋に入れて行く。服に関しては本人にお任せするしかない。
「そう簡単にやめられるのか?」
「そんな吸う人間じゃないので。最近は少し多めに吸ってましたけど、自分の人生を終わらせたくないので」
吸う時に吸うチェーンスモーカーではあるものの、常に吸ってないとダメというわけでもなく、ストレスを感じた時に吸っているくらいだ。だから今回吸っているのもタバコを買うのは2年ぶりくらいだった。
「食事は学食を使え」
「わかりました。お風呂はどのように?」
「私が入っていない時でならいつでも構わん」
「わかりました。それじゃあお先に貰っても良いですか?」
「いいぞ。それと食堂は8時には閉まるから注意しろ」
「はい。わかりました」
片付けが終わったものの、身体がお酒臭く感じて一先ずシャワーだけでも浴びる事にした。
「はぁ…。なんとか1日目は乗り越えられた」
シャワーを浴びるという最も個人が尊重される空間である所為か、緊張感も身体の疲れと共に流れ落ちて行く様だった。
「っ――」
痛みだした胸を抑えて、深呼吸をして身体を落ち着かせる。
1日中気を張り詰めているというのも結構久しぶりだった所為か、予想以上に疲れたらしい。
「というより、眠気が…」
実は言うと、ここ何日もまともに寝れていなかったりする厚一。不安が募り過ぎて眠れないという不眠症を患っていた。エナジードリンクを飲んでいるのもその不眠症を誤魔化す為だ。
鏡を見れば、ナチュラルメイクで誤魔化した目元の隈がハッキリと浮かび上がっていた。
「だめだ。お風呂入ろ」
浴槽に座ってシャワーを浴びながら身体が冷えない様にお風呂に湯を張るという横着スタイルだが、体積が予め浴槽にある分必要な湯しか使わないという利点もある。
「あしたも、たいへn……」
湯船の中で舟をこぎ始めてしまった厚一が、その後食事から帰って来ても姿はなく風呂場の電気がつけっぱなしで水の音がする事に疑問を持った千冬によって救出されるという事態になったのは余談である。
◇◇◇◇◇
「まったく。湯船で寝るくらいならその前に布団で寝ろ。溺れたらどうする」
「すみませんでした」
翌朝。起床時間にたたき起こされた厚一は千冬から説教を受けた。疲れていたとしても湯船で寝る事は溺れてしまう危険性が十二分に高い為だ。
だが千冬もそこまで厚一を怒るようなことはしない。目元の隈を見れば厚一が不眠症に陥っているくらいは見抜けたからだ。
「まぁ、次は気をつける事だ」
「はい。ありがとうございました、織斑先生」
助けて貰ったことのお礼を込めて頭を下げた厚一は、荷物からメイク道具を持ち出して、目元の隈を隠す作業に移った。
「手際が良いな」
「母さんに教えて貰ったんですよ」
厚一は両親が離婚して母子家庭だった。幾度か働きに出ても上手くいかずに出ては引き籠っての繰り返し生活でノイローゼを患い、自殺未遂も何度しているかわからず、自分が生きている価値などない人間だと思いながら引きこもり生活を続けて、それでも何もせずに家に居るのも居心地が悪く、炊事洗濯に買い物と、主夫業に専念してはや数年。
そして人生の転換期と、一寸先は闇という一度きりの片道切符を手にして半月。殆ど眠ることが出来ず顔色が酷くなる一方の厚一に、せめて顔色を誤魔化せる化粧の仕方を母が教えたのだ。
「よしっ」
メイクが終わった厚一は、そういう背景を知らない人間が見たら瑞々しい柔らかな笑顔を浮かべる男性にしか見えない。本人の顔が若々しいので青年にも見えるだろうが。それが外行のメッキであるという事を知った千冬は気の毒に思えてならなかった。
2日目の授業も何とか厚一は熟していった。引っかかりを覚えた部分は授業が終わった後に質問して頭に叩き込んでいく。
昼休みも栄養ドリンクとエナジードリンクにエナジーバーをもそもそと食べつつ教科書の内容とノートと参考書。さらにノートPCまで広げてネットからも情報を拾って知識を蓄積していく。
10年もあればネット社会でもISの基本的な公開されている機能に関しての質問というのは色々な掲示板でされていて、その答えも載っている。それがすべてではないのだが、男でISに関わるとなると、独学や高校や大学の専門校に通って知識を身に着け、技術者として関わる事になる。
先達の男の技術者たちが後続の為に色々と親身になって教えてくれるのだ。そういうサイトを巡ることも厚一にとっては以前のライフワークだった。
そのお陰もあって、ISの事を知っていたのだ。
「速水さん。今日のこの後は空いていますか?」
「ええ。空いてますけど」
放課後。昨日に引き続き真耶に質問をしていた厚一に真耶が問いかけた。
「それじゃあ、少し付き合って頂いてもよろしいですか?」
「構いませんけど。…もしかして、デートのお誘い?」
「そうですね。ある意味デートかもしれませんね」
「え?」
少しからかうつもりで言ってみたものの、素面で返された厚一は返す言葉がなかった。
そんな厚一にくすくすと笑いながら先導する真耶に、今一腑に落ちなかった物の、その後ろを着いて歩くうちに到着したのはアリーナだった。
「本当はちょっとズルい方法なんですけど、頑張っている速水さんに私からの応援です」
「これは、ラファール・リヴァイヴですよね」
真耶に案内されたのは幾つもISが鎮座する格納庫だった。
「教員用に確保されているISです。非常時の緊急対応用に、教師向けに専用に配備されているISがあるんです」
「なるほど」
そういって真耶に見せられた一機のラファール・リヴァイヴの前に厚一は案内された。
「1週間の間でしたら、このラファールを特別に速水さんにお貸しできます。あ、一応オフレコでお願いしますね? 他のみんなも訓練機の使用を待って乗ってますから」
「はい。わかりました」
こうして真耶の個人的にか、或いは学園側からのものか、どちらかはわからないものの。男性IS適正者のデータを取る為に国から専用機が用意される一夏と違って自分は本当に何も期待されていないのだと思い知らされる気分だった。それも仕方がない。何しろ厚一のIS適正は『D』。IS学園ではまずパイロットコースには進めない適正値だったのだ。この適正ランクであるとどうなるのかというと、乗れはするし動かせもするが、戦闘などとてもではないが出来ない程反応速度が鈍いという事らしい。実際その為にISに搭乗しての実技試験を厚一は受けることが出来なかった。
「ありがとうございます。これでなんとか頑張れると思います」
「はい。取り敢えずさっそく乗ってみますか?」
「お願いします」
ロッカーでISスーツに着替えるものの、スウェットスーツの様な全身ぴっちりした格好というものは結構恥ずかしい物だった。
格納庫に戻ると同じくISスーツに着替えている真耶が待っていたが、普段の服と違っていうなればスク水みたいな格好は凄まじい凶器だった。
「それじゃあ、ISに搭乗しますが、乗り方は大丈夫ですか?」
「えーっと、確か座るように背中を預けるんですよね」
「はい。あとはISの方でパイロットに合わせてくれますから、身体にフィットするまでは動かないでくださいね?」
「はい」
カシュッという音がして、身体に機械が触れて行くのを感じる。そのまま数秒が過ぎると別のラファールを纏った真耶が歩み寄って来た。
「はい。もう大丈夫ですよ。ハンガーロックを解除しますね」
ハンガーにロックされていた機体が自由になったことで、僅かだが身体に重心が寄ったのを感じた。
「これが、IS…」
手を握っては開いてを繰り返して、自分の腕よりも長い機械の腕が自分の意思通りに動くという不思議な感覚を味わう。
歩いてみても普段より高い視点に戸惑う者の、それすら新鮮な世界に見えて、心に湧き上がる高揚感というのを誤魔化す事は出来なかった。
「それでは、アリーナに出ましょうか」
格納庫からピットに出て、真耶のラファールがふわりと浮き上がった。
「PICを起動してください。そうすれば浮き上がることが出来ますから」
「了解」
パッシブ・イナーシャル・キャンセラー――通称PIC。
イナーシャル・キャンセラーとは物体に働く慣性をコントロールする機能であり、慣性中和装置とも言われている。ISはそれを自分に向けて使う事で浮遊・加減速などを行うことができるらしい。
これを外向きに使えば完全に皆がイメージする通りのイナーシャル・キャンセラーである。
真耶に手を握られながら、PICを起動する事で、厚一のラファールも重力の枷という力から解放されて機体が浮かび上がった。
「凄い…飛んでる……」
正確に言えば浮いてるだけなのだが、それでも人間が自らの力では出来て一瞬の浮遊という感覚を恒久的に感じるという事に感動して出た言葉だった。
「ではこのままアリーナに出てみましょう」
「はいっ」
真耶に引かれてそのままピットからアリーナにでる厚一。さすがに出た瞬間は落ちるのではないかという恐怖があったが、そんなことはなく浮いたままアリーナの中央まで連れられて、そこで手を離されたが問題なくラファールは浮いていた。
「次はスラスターを使った空中機動ですけど、取り敢えず危なくない上に向かって飛んでみましょうか」
「了解」
背中のカスタム・ウィング――バックパックに存在する巨大な翼型のスラスターと、PICによりISは飛行を行う。
絞り出すようにゆっくりと浮かび上がるラファール。感覚的にはもう自分がゲームの中にでも居るような感覚を厚一は味わっていた。しかし肌に感じる風がこれは現実だという事を教えてくれる。
「直立降下はPICを使います。まだ空中機動での降下は危険がありますから」
追いついてきた真耶に言われたように、今度はエレベーターで下に下がるように降下を始める。それもゆっくりとだ。
そしてまた上昇をするという事を繰り返して、お開きとなった。
始めてISに乗った興奮。そして空を飛んだという感激は厚一の心を渦巻き、顔に現れる程の物になっていた。
「なにか機嫌が良さそうだな。それくらい良いことでもあったか?」
同室2日目。
ビールを飲む千冬にそう指摘される程に厚一からはご機嫌オーラが滲んでいた。
「はい。まぁ。嬉しいことがあったので」
ただオフレコという事でISに乗ったことは濁した。あれがまだ学園なのか、または真耶個人の判断なのかはわからなかったからだ。
「そうか。そうしている方が生き生きしていて好ましいな」
「そ、そうですか?」
ここまで興奮しているのも久しぶりの上に、千冬のような美人に好ましいとも言われると自然と顔が熱くなるのが感じられた厚一は、まだ空いていないビールの缶に手を伸ばした。
「おい。ここは学校だぞ?」
「それを言うなら織斑先生もですよ」
「私は良いんだ。教師だからな」
「じゃあ自分は成人なので構いませんよね?」
「一本だけだ」
それ以上は明日に響くからなという千冬であるが、既に500mlの缶で4本目を開けている彼女に説得力はなかった。というより千冬が酒豪であることを知って、こんな姿を生徒が見たらどうなるのだろうかと思ったが、そこは一応大人で出来る女性。そんな事は普段は一切表には出さないので心配ないのだろう。
喉を抜ける炭酸と苦みと香りを楽しみながら、その日の厚一は久しぶりに良い気分で寝床に就くことが出来た。
◇◇◇◇◇
ISに乗る上で重要になるのは技術もそうではあるが、知識というものもかなり重要なファクターとなる。どの機能がどう働いて動くのかという部分を熟知する事で、ISの機動というものは劇的に変わる。
ただ、やはり動かすことが出来るのと、戦えるというのはまた別の問題でもあった。
直線的に動けるのだが、滑らかに動くというのが厚一には出来なかった。
カーブを曲がるにも一苦労であったりする。
IS適正というものは、訓練や操縦経験の蓄積などで変化することもあるため、絶対値ではないとは真耶から教えられた事だ。
故に厚一は毎日放課後になるとアリーナに赴いて真耶の教えを受けながらラファールに乗り続けた。
授業での彼女とは違い、ISの指南をするときの真耶はとても厳しく声も張り上げるのだが、それもそれで新しい新鮮味があっていい刺激になっていた。
綺麗に曲がれないならば多少無様でも直線で曲がれば良い。つまりゲッター機動のアレな感じである。無論身体に余計な負荷が掛かるので真耶からは控える様に言われてしまったが、1週間しかない期間で戦えるようになるには多少の無茶は承知の上だった。
だが自宅警備員だった身体は物凄くひ弱であった為に、身体を鍛える様にもメニューが組まれた。体力があるという事はそれだけでISでの戦闘時間の延長になると教えられたからだ。
早朝に起床し、その頃には既に千冬も起きているので彼女に連れられて学園の敷地内をジョギングする事になった。千冬自身も身体が鈍らない様にそうして身体を動かしているとのことだ。
とはいえ早々に体力切れになってしまう厚一に千冬は呆れていたが。
それでも歩いてでも2キロの道のりを踏破し、宿直室に戻れば既に千冬はシャワーを終えていたので、シャワーで汗を流して、まだ色濃い隈を隠すメイクを施して朝食を取りに食堂に向かう。
元々女子校であるというか現在も例外2名除いて女子しかいない所為か、量が少ない食事に少々の物足りなさを感じつつ味は良いので文句はなかった。それでも腹6分目という所だった。
やはり物珍しいものを見る様な視線を浴びせられるが、隣に千冬が居るからだろうか、声を掛けられるようなことはない。
「おはようございます、織斑先生、速水さん」
「おはよう山田君」
「おはようございます、山田先生」
唯一の例外は1組副担任の真耶であった。
食事を終えるとそのまま監督として残るという事で真耶と共に席を辞した厚一は前日のISでの動きに関する事での質問を軽く挟み、宿直室に戻った所で登校時間までは前日の授業内容の確認という物が待っていた。
それでも身近にブリュンヒルデと教師が居る環境というのはとても恵まれていると考えられる余裕が出てきた。
真耶は言わずもがな優しくも厳しいがそれでもそれは此方の想いに応えてくれているという事で苦には思わなかった。
千冬も普段はクールビューティーで出来る女性ではあるが私生活は少しだらしがないところもあって、それでいても質問には真摯に答えてくれるところが教育者として尊敬出来る相手だった。何しろ今の女尊男卑という風潮を作ってしまうISに関わる第一人者。正直自分は避けられるのではないかと思っていたが、そんな感じは一切感じず親身になって接してくれることが安心できる事に繋がっていた。
とはいえやはり年齢差と、教室にいる間は勉強ばかりで自発的に誰かと話すこともなく、また真剣な表情でノートや教科書に向き合っている姿を邪魔するわけにもいかないという周囲の気遣いもあるのだが、厚一はすっかり浮いた存在になってしまっていた。
「宜しいですか? 速水さん」
「ああ。オルコットさん。ごめんなさい、態々来てくれて」
しかし声を掛ければ話すし、イヤホンを着けていても肩を叩けば反応して対応してくれる優しい人という印象は周りに存在していた。
「近頃放課後にアリーナへ向かう姿を見かけるのですが、なにかお困りのことはございまして?」
そういわれて厚一はキョトンと僅かに目を見開いた。まさか代表候補生の彼女が態々自分に声を掛けて困っている事はないかと言ってきたのだ。それも今は対戦を控えた敵同士なのにである。
「わたくしが勝利するのは当然の事ですもの。ですが、努力を怠らぬ男性に手を差し伸べない程に狭量ではありませんわ」
そこにはエリートというよりも生まれ持ったものの余裕というという物なのか、住む世界が違う人間というか、上手く言い表せないものの格の違いという物を素直に感じることが出来た。
「ありがとう。じゃあ、少し質問しても良い?」
「ええ。よろしいですわ」
代表候補生という教師とはまた違った視点からの意見も聞ける機会に、厚一はこれ幸いにと飛び付いた。自分が生きる為には貧欲になるのは仕方がない事なのである。
訪ねたのはISに関する空中機動の事だった。どうやれば上手く飛べるのかという事柄である。真耶はあれで厚一に無茶をさせないようにと慎重に教えてくれていることも有り難いのだが、それではどうしても数日後に控えている模擬戦には間に合いそうもないので、そういった事情を知らないセシリアに、あくまでも純粋な興味として訪ねたのだが、専門用語連発の上に彼女はどうも理詰めと高い計算の上でISを動かしている様であることを知れた。もちろん話の内容は3割程度しかついて行けなかったが、バッチリ録音はしているので後でその意味を調べて復習すれば良いだけだ。
そしてまた1日が過ぎ、翌日は土曜日。そして日曜日を挟んで模擬戦が待っていた。
午前中は授業のあるIS学園では放課後から本格的に銃器を実際に使用した実戦訓練に突入した。
「速水さん、本当に銃を扱った経験はないんですよね?」
「ええ。というより日本から出たこともないので銃なんて使ったこともないですよ」
ターゲットドローンを使った射撃に、命中率は90%をキープしていた。それに真耶は純粋に驚いていたが、厚一からしてみれば足を止めて撃つという事はガンシューティングゲームをしている感覚で撃っていた為にそれほど自覚はない。敵が現れたら狙って撃つだけ。その動作で照準はハイパーセンサーが自動でやってくれる。武器の保持もパワーアシスト頼みだ。
そして次のステップとして動くターゲットへの射撃も8割をキープし続けた。
最後の自ら動きながら動くターゲットを撃つ射撃では流石に命中率は下がりギリギリで40%という所ではあったが、たった1日にしてそれだけの成果が出ているのだ。
銃器の保持の仕方に、偏差射撃についても何度か修正を挟めば出来る様になった。教えれば教えるだけ覚えるというのは誰でも出来る事であって、しかしその速さという物は人それぞれで。
厚一の場合は、やってみせ、言って聞かせて、させてみれば同じことが出来てしまうという覚えの良さに真耶もその手の才能があることを早々に見抜いていた。
練度の関係で拙さや粗さもあるが、それも指摘すればすぐに修正して整える対応力の速さというのも高かった。
日曜日は1日中ISでの訓練に当てたものの、やはり空中機動での難は拭えなかった。
そして相手が高速のターゲットになればなる程に反応が付いて行かないという弱点も露呈した。
それを踏まえての武装選択と対策。そしてセシリアのISに関する情報を頭に叩き込んでのイメージトレーニングなどであっという間に1日は過ぎていった。
「まさか速水さんにあんな才能があったなんて」
人は正しく使わなければ動かないとでも言う様に、ちゃんと教えれば厚一はそれに応えるように動くのだ。ある種のロボットのように感じてしまうものの、言ったことをそのまま出来るというのはある意味でとても才能があるという意味でもある。
それこそ真耶が教えた通りの動きを完璧に熟してみせるくらいには。
最後の片付けとして毎日機体の簡易的な整備をしているものの、既にそれすらも覚えている。それでも不安なのか毎回毎回確認する様に工程を一つ一つ聞いてくるが、別に聞かなくても出来ているのに一つ一つ訪ねてくる厚一を真耶は、石橋を叩いて渡るタイプの人間なのだという風に位置づけた。
それほどまでに一つ一つを呑み込み身に着ける厚一の、成長速度の速さには驚かされてばかりではあるのだが。
「なのにそれが正しく評価されなかった。もしくは今であるからこそ発揮されているのでしょうか」
毎日貧欲に知識も技術も求める厚一のその必死さの理由というものも、真耶は子供でもないので察していた。
だが敢えて口にしない厚一の気遣いを立てて、真耶もその話題には触れなかった。
過負荷によって擦れているパーツを交換する。教えていないことまでは流石に出来ない様で、それが当たり前なのだからそれで良いのだが。それをサポートするのが教師としての役目だと真耶は思った。
「織斑くんは恵まれていますね」
織斑千冬という世界最強の名を持った姉の庇護下に居る弟。確かに姉と比べられて苦労するだろう。しかし厚一のように死に物狂いで頑張らずともどうにかなってしまう立場にあるのも確かだ。
大事な弟に手を出されて、あの千冬が黙っている筈もない。だから手荒な真似は一夏には降りかからないだろう。
だからその分、何も後ろ盾もない正しく一般人の厚一にそういった災難は容赦なく降りかかるだろう。
国からも支援はない。それは別にIS学園での成績も活躍も期待されていないという事だ。
「そんなの、勝手すぎます」
しかし世の中の男性の権威が掛かっているともなれば形振り構わずという事だってあるかもしれない。
保護という名目でIS学園に放り込まれはしたものの、政府の受け入れ準備が整えばどうなる事か。IS学園に入れられたのもその為の時間を稼ぐためだとすれば不憫すぎて仕方がないが。
真耶は同情で厚一に訓練をつけているわけでもない。その熱意に応える為に教師として教えているのだ。
そして見えてくるその才能の輝き。だからこそその輝きを曇らさないようにするのが教師としての務めだと思っている。
「出来るだけの事はしました。あとは速水さん次第です」
1週間という付け焼刃にもほどがある時間でイギリスの代表候補生に勝てる見込みはゼロに近い。だがそれは実際に戦って見なければわからないのだ。
もう一機のラファール・リヴァイヴ。そのシールドには焦げ跡があった。それは充分に厚一も勝算が生まれているという証だった。
◇◇◇◇◇
週が明けて月曜日。
第三アリーナでは1組のクラス代表を決める為の模擬戦が行われるために、1年1組の生徒が皆集まっていたが、明らかに人数が合わない。他のクラスや2年生に3年生までもが集まっていたのだ。
それこそ初の男性IS操縦者の戦いが見られるとあっては情報収集にやっけになるのも仕方がないというわけだ。
「大丈夫ですか? 速水さん」
「え、ええ。大丈夫、です」
だがそんな状況に胃が潰れそうな男が居た。
速水厚一である。
別に注目されることに嫌悪しているわけではないのだが、相手はイギリスの代表候補生。一夏とも戦う予定も組まれているが、一夏のISがまだ届いていないので先に戦うのは厚一からだろう。
そして無様に地に伏せる自らを想像してしまってから顔が青くなる一方だった。
「やる前から心配し過ぎだお前は。もう少し楽に考えろ」
「…はい」
とはいえ、自分の不徳はそのまま人生終了コースまっしぐらになってしまう為に考えずにはいられなかったのだ。
「大丈夫ですよ速水さん! 今日の為に1週間頑張って来たんですから、自信を持ってください!」
「はい。ありがとうございます、山田先生」
真耶の気遣いも有り難いものの、やはりどうしても思考にチラついてしまうのだ。
やる前に既に心が負けてしまっている。心配性の極地のドツボに嵌ってしまっている様子の厚一に、千冬も真耶も気の良い言葉を見つけられないでいた。
「時間だ。速水、たとえどのような結果になろうとも悔いのない戦いをして来い」
「速水さんなら大丈夫です。私は信じていますから」
「…ありがとうございます。行ってきます」
ラファール・リヴァイヴを纏い。カタパルトに脚を接続した厚一は射出に備える為に姿勢を低くして、決まり文句を口から発した。
「速水厚一、ラファール・リヴァイヴ、発進する!」
カタパルトによってアリーナに射出されたラファールはそのまま地面に向かって落ち、アリーナの中央に土煙を巻き上げながら着地した。
「まずまずだな。接地も見事だ」
「代わりに頭を抑えられてしまいますけどね」
土煙とはいえそれはただスラスターによって巻き上げられたもので、地表から数センチという辺りで滞空しながら着地したのが千冬には見えていた。
1週間でどれほどの物に仕上がったのか、隣で生徒を信じる真耶の表情を見て、千冬もモニターに集中する事にした。
「速水さん、大丈夫かな」
「相手はイギリスの代表候補生だ。一筋縄ではいかんだろう」
そして自分のISの到着を待つ一夏と、その付き添いでピットにいる篠ノ之 箒もまた、モニターに映る厚一に視線を向けた。
「あら。最初のお相手はあなたですのね、速水さん」
「うん。織斑君のISはまだ搬入に時間が掛かるってことでね」
「そうですの。とはいえあまり期待してはいませんが」
そう言いながらセシリアは、下方に居る厚一に向けてスターライトMk-Ⅲを向ける。
「始めましょう速水さん。あなたにはわたくしもそれ相応に期待していますわ」
「なら、その期待に応えなくちゃね」
厚一もその右腕に大型の実体シールドと、何故かハンドガンを構えた。
そして試合の開始の合図とともに、セシリアのISが構えるライフルの銃口にエネルギーが充填されているのをハイパーセンサーで確認した厚一は、ラファール・リヴァイヴの機体に更に大型の実体シールドを展開した。元々のシールドに、更に機体の後方や前方を覆う様に肩のアタッチメントに装着されたシールド。
機体の可動範囲を犠牲にしてまで防御力を高める。動けないのならば動かない戦い方をする。そんな単純な苦肉の策であった。
「いくら防御を重ねた所で、わたくしのブルー・ティアーズに撃ち抜けないものなどありませんわ!」
引き金を引いたセシリア。そしてゼロコンマ数秒の内にレーザーはラファールに直撃するものの、それを厚一は腕のシールドで防ぎ、ただ防いだにしてはレーザーが妙な弾かれ方をしたのだ。
「対レーザー・コーティング!?」
「悪いけど、対策は出来るだけ取らせてもらっているよ」
セシリアのIS。イギリスの第三世代ISであるブルー・ティアーズの主兵装はレーザー兵器である。
それを知った厚一は、出来る範囲での耐レーザー・コーティングを真耶にお願いしたのだ。短い期間で出来たのは腕のシールドのみではあるが、十数秒の照射に耐えられる盾のお陰で防御力は保証書付きだ。
そのまま地表から厚一はハンドガンを連射する。
「っ、正確な射撃ですわね」
それを避けるセシリアではあるが、その狙いが思った以上に鋭く向かってきたことに内心厚一の戦闘能力を上方修正するものの、ミドルレンジからロングレンジでの戦闘で自分が後れをとるなどと言う考えは微塵も浮かばなかった。それほどに努力をしてきたのだから。
機体を動かしながらライフルで防御の甘い個所を狙い撃つものの、厚一はその場をステップで飛び退いたり、僅かに身を捻って避けたり、スラスターを噴かして避け、最初の一撃以外の被弾を全て回避する。そして反撃にハンドガンを撃ち放ってくる。
相手が動かないのでセシリアからは狙いやすいのだが、代わりに厚一も絶えずセシリアの方向を向いて対処していた。それを崩そうと真上から撃とうとすればそのまま地面に寝転ぶように相対し、地面と逆さまになってもそのままセシリアの動きを追っている。つまり厚一はPICでただ浮いているだけなのだが。地面から足が離れたことでステップが踏めなくなった所為か、実体シールドに阻まれたものの、漸くラファールが被弾した。
「まだ上手く空を飛べないご様子で」
「あいにくと、魂を重力に縛られている人間だからね」
厚一の返しの意味は解らなかった物の、セシリアは厚一が満足に飛べないという予想を立てた。だから自分にもISでの空中機動制御に関して質問してきたのではないかと。
飛べないISなど相手にしたところで勝利は揺るがない。IS学園に来て1週間と考えると良くISを動かして防いでいるとも思う。未だ様子見とはいえ自分の攻撃を上手く凌いでいるのだから。
訓練期間を考えれば充分以上の成果であるとも言える。故に花を持たせるのはここまでで、これからは自分のひとり舞台の幕開けになる。
「そこですわ!」
「なんのっ」
見つけた隙を的確についても、さすがにシールドが7枚も用意されてはいない。自由に動く側面のシールド。そして腕のシールドも身体の前面を良く守っている。肩に固定式の大型の実体シールドはそれこそマントの様に機体を包んでいる。固定式でも身体を動かせば即座に防御態勢を取れてしまう。
身動きできなければしないと割り切って戦術を立てている。その思い切の良さを素直に称賛する。思っていた以上にしぶといものの。
「驚きましたわ。これほどまでにわたくしの攻撃を凌ぐISもなかなかございませんでしてよ」
「それは光栄だね。この1週間頑張った甲斐があるよ」
そう余裕そうに返す厚一ではあるが、正直いっぱいいっぱいだった。
それはIS適正の低さから来る反応速度の遅さだった。
厚一はセシリアが銃口を向けた時点で既に防御か回避の選択をしなければならないからだ。でなければ間に合わない。実体弾よりもスピードの速いレーザーであるが故にである。
その為、最終日の訓練では真耶にひたすら自分を撃って貰って最小限での回避や咄嗟での判断に磨きをかけた。
絶えず銃口を見つめ続け、何処を撃たれるのかを判断する。動かないのは、動かない事で着弾点を把握しやすくするためだ。
「まさかな。1週間でこれなのか」
厚一と1週間同室で過ごしていた千冬も口でのアドバイスという物はしていたが、それもこれも厚一の疑問や質問に答えるというくらいだった。
基本的に人当たりも良く、しかしすこしぽやっとしているというかマイペースな部分もあるのはここ最近の私生活を共にして見えた部分である。
それがたったの1週間で代表候補相手に防戦ではあるが付いていけている。
モニターを見る真耶の顔はずっと厚一を見つめて不安もなく信じている。
「真耶、アイツに何をしたんだ?」
「特別な事は何も。ただ教えて、見せて、やらせて。ただそれだけの1週間でした」
そう。それだけなら特別なことは何もないのだが。
「それだけでいくら代表候補生相手だからとはいえ、一度も相手を見失っていないという事になるのか?」
いくらハイパーセンサーで見えているとはいえ、それを処理する脳は別だ。そして厚一のIS適正ではとても戦闘に機体が付いていくような反応速度は出せないはずだ。
「私はただ、速水さんのお願いに応えただけですから」
ハンドガンからアサルトライフルに切り替えた厚一が空に飛び上がり、真っ直ぐセシリアに向かっていく。
飛べると思っていなかったのだろう。一瞬セシリアのペースが乱れた所にアサルトライフルの弾丸が向かっていくが、代表候補生だけあって切り替えも速い。
直ぐに射線から逃れて反撃する。それを厚一は実体シールドで受ける。
「だが制動が甘い上に軌道も直線的だな。いや、あの反応速度でここまで飛べているのだから相当気合を入れてきたな」
実体シールドで受けた瞬間に機体が流れる。それを無理やり押さえつける様な流れで軌道を修正して逃れる厚一ではあるものの、その動きは直線的で読まれ易く。さらに厚一の反撃は全く当たらずにセシリアの後方を過ぎて行くばかりであった。
「高速で移動する相手になればなる程に機体が付いていかないのか」
それでも真耶の顔に揺るぎはなく、厚一のラファールを見つめ続けていた。
「恐ろしく身持ちが硬いのですね」
「ガードは硬くしてきたからね」
それでも反撃の瞬間の僅かな隙を突かれ、厚一のラファールのシールドエネルギーは削れて行っている。だが、セシリアのブルー・ティアーズのシールドエネルギーはほとんど減ってはいない。高速戦闘になればこうなる事はわかっていた事だが、敢えて厚一はこういう戦法をとった。
「それでも、この攻撃が捌ききれますか? お行きなさい、ティアーズ!!」
そしてセシリアは素直に厚一の守りの固さを認め、そうであっても対応しきれない手数で攻めることを決める。
機体から分離する機動砲台端末。ブルー・ティアーズの名前にもなっているビット兵器。第三世代武装が縦横無尽に駆け抜け、四基のビットから放たれるレーザーが四方八方より厚一のラファールを襲って来るのだが。
「なんですって!?」
その瞬間に全ての実体シールドをパージした厚一のラファールがビットの猛攻の中を突っ切って、セシリアのブルー・ティアーズに向かって行った。
さらに武装もアサルトライフルからショットガンに切り替え、散弾を放ちながらセシリアの回避行動を阻害する。
「ですが、ティアーズは4基だけではありませんわ!」
ブルー・ティアーズの腰のユニットが前方を向き、そこからミサイルが放たれる。
避けきれないタイミングで放たれたその攻撃は、厚一のラファールと正面から衝突し、炸裂した爆発は炎と黒煙を上げる。
「んなっ!?」
だがその中を実体シールドで身体の正面を防御しながら厚一のラファールは突き抜けてきた。
そしてその右腕を引き絞り、拳を打ち込むように解き放った。
それでもただのシールドバッシュ。それくらいなら敢えて受けてその衝撃で間合いを開けて態勢を立て直す。
そう次の行動を組み立てたセシリアの視界の正面で、実体シールドが爆砕ボルトによって分解し。その中に潜まされていた一撃必殺の武装が姿を顕した。
「
「撃ち抜くっ」
それでも無意識でセシリアの身体は動いていた。振り抜いたパイルバンカーは直撃せず、ブルー・ティアーズの左側の非固定部位を撃ち貫いて捥ぎ取って行った。
「躱された…っ」
「油断いたしましたわ。その様な隠し武器まで持ち合わせておりましたのね…!」
一連の流れでセシリアは末恐ろしい相手だと厚一を評価した。最初からこの流れを作る為の作戦だったのだと思うと、見かけによらずエグイ性格をしていると思わずにはいられなかった。こちらの油断を誘い。そして実力を隠し、ここぞという所で牙をむく。まるで普段は大人しいのに急に危害を加える様な獣だ。
「それでも、もう手札はございませんでしょう!」
ライフルからレーザー。そしてミサイルも放って通り過ぎた厚一の背中に向かって火力を集中するセシリア。
その通り、厚一はすべての札を切り尽した。それで届くほどに代表候補生という存在は安くはないという事だった。
「ぐあああああっっ」
背中から連続する衝撃にそのまま体勢を崩し、アリーナの地面に墜落する厚一のラファール。
シールドエネルギーはまだ残っているが、それでも相当な高さから落下している。絶対防御があるから死ぬわけではなくても意識があるかどうかは別だ。
土煙が晴れると、そこには俯せで倒れている厚一のラファールの姿があった。
「随分粘ったものだな。しかし此処までか…」
たった1週間の、しかも放課後という限られた時間での訓練で代表候補生の第三世代ISに旧式の第二世代ISで傷を負わせた。結果としては大戦果であるが。さすがにこれ以上の試合をさせるわけにはいかないと判断した千冬ではあるが。
「いいえ。まだです」
しかしそれを止めたのは真耶の言葉だった。
モニターではゆっくりとだが、立ち上がるラファールの姿があった。それでも機体はボロボロだ。シールドエネルギーもだいぶ削れている。既に勝機は失せている状況であるのにも関わらず、速水厚一の目は、それを見守る真耶の目は、一欠けらも諦めてはいなかった。
「あれほどの攻撃を受けてまだ立ち上がれるなんて。驚嘆に値しますわ」
100mは届くだろう高さで戦っていて、そこからの落下である。ISの絶対防御であれば死ぬこともない。シールドバリアもある為に大きなケガをする事もないだろうが、それでも衝撃まではどうにもならない。パイロットを保護するとはいえ、それは死なないように守る為で、そうでなければ強烈な衝撃で気を失うという事も充分にあり得るのだ。
それでも厚一は立ち上がっている。ふらつき、中腰になって腕をだらりと下げているためにちゃんとした意識があるかどうかは疑問ではあるが、肩で大きく息をしているのならば意識はあるのだろうと判断する。
「ですが。これでフィナーレですわ!」
ビットに命令を送り、厚一のラファールを撃たせる。それでシールドエネルギーを削り切る。
だが厚一はステップで横に転げるように避け、地面に仰向けになると。ショットガンを二挺構え、更には肩のアタッチメントにもミサイル・ポッドを展開すると、それを一斉に放った。
しかもミサイルの弾道は弾けて大量のベアリング弾を放つ散弾仕様だった。
「わたくしのティアーズがっ」
その攻撃の嵐に2基のビットが巻き込まれた。
そのまま厚一は撃ち切ったミサイルポッドをパージ。あとは両腕の武装。ショットガンをマシンガンやアサルトライフル、ハンドガン、マシンピストル、バズーカ、グレネードランチャーと様々な武装を次から次に撃ち尽くしては切り替えて次の武器を手に弾幕を張り、残る2基のビットまで破壊し、セシリア自身も回避行動に専念しなければならない程の行動を余儀なくされるのだった。
更にはそこからハンドミサイルユニットでミサイルを次々と発射。
それを迎撃する事をセシリアは選択する。さすがに誘導兵器を振り切れる程の広さはアリーナにはないからだった。
ミサイルを撃ち落とすと当然生まれる爆発。そこから瞬時に離脱しようとしたセシリアはガクンッと機体が上昇できないという未知の感覚を味わった。
それはブルー・ティアーズの脚部に巻き付いたワイヤーがその上昇を止めていたからだ。その先にはワイヤーの射出機を腕に装着する厚一のラファールの姿があった。
そのまま思いっきり力任せにワイヤーを引く厚一。このワイヤーも災害救助時のIS仕様のワイヤーの為、パワー型ISが引っ張ったとしても千切れはしない強度があった。
その引き寄せる力に僅かにセシリアの体制が崩れた時だった。一瞬で間合いを詰められたのだ。その加速力は普通のISの加速力では引き出せないものではあるが、とある技法を使えばその限りではないのだ。
「
ここまで、こんなにも魅せられる相手というのは初めてのことだった。これがたったの1週間、ISに向き合った人間が出せる実力なのかと。
「っ――!?」
だが、間合いに踏み込み、腕を引き絞った厚一の背中で爆発が起き、やっと掴んだ二度目のチャンスをふいにしてしまう。
厚一のラファールの背中。メインブースターのあるカスタム・ウィングが火を噴いて黒煙を上げていたのだ。
背中からの猛攻と、落下の衝撃。それに機体が耐えられなかったのだろう。そうと、その場で誰が判断出来ただろうか。
よろよろと厚一のラファールは地上に降り立ち、そして機体のシステムを通じて降伏を認めた。
その隣にセシリアも降り立ったが、俯く厚一に何も掛ける言葉が見つからなかった。
「速水さん…」
「いやぁ。やっぱりオルコットさんは強いや。ありがとうございました」
「あっ…」
PICだけで機体を浮かばせて、ピットに戻って行く厚一を見送るセシリアだったが、次の模擬戦が控えているのを思い出す。それでもその背中が見えなくなるまではその場を動く事が出来なかった。
◇◇◇◇◇
厚一がピットに戻ると、そこには白いISを身に纏った一夏の姿があった。
「お疲れ様です、速水さん!」
「あ、うん。ありがとう、織斑君」
「俺感動しました! 最後は惜しかったですけど、それでも男でもあんな風に戦えるんだって思うと胸に湧いてくるというか」
「そうだね。次は君の番だから、頑張ってね」
「はい!」
とはいえ、ブルー・ティアーズのパーツ交換や補給にパイロットの休憩もあってインターバルもあるだろうとは思いながら、厚一は歩いてハンガーの方に向かって行く。
「速水さん」
「山田先生…」
そんな厚一を迎えたのは真耶だった。
「ごめんなさい。負けちゃいました」
「お疲れ様です。でも、まだ終わりじゃないですよ」
「え?」
「オルコットさんの次は織斑くんとの模擬戦もありますよ? 今のうちに修理と補給を済ませましょう」
そういういつも通りの笑顔で言う真耶に、厚一は自分の瞳から勝手に涙があふれて行くのを感じた。
「っっ、ごめん、なさいっ…」
彼女の顔を見たとき、込み上げてきたのは悔しさだった。だからこれが悔し涙だと理解したのは涙を流して数秒経ってからだった。
「大丈夫です。速水さんは自分を出し切って、最後まであきらめなかった。悔しいと思うのは、そういう事なんですよ?」
「っ、ぅっ…っっ」
それでも止まらない涙を腕で拭って、ISをハンガーに固定する。
「さ、次の模擬戦に間に合う様に修理を始めましょうか」
「…はい」
悔しくて悔しくて溜まらない。だけども、まだ終わっていない。そう言い聞かせて、厚一はラファールの修理に取り掛かった。
「ご苦労だったな。速水」
「織斑先生」
目元の涙を拭いながら、厚一は千冬と相対した。
「申し訳ありませんでした。織斑先生にもアドバイスを頂きながら負けてしまいました」
「悔しいのはわかる。だが落ち込むな。
「はい」
それでも流れる涙の余りを拭う厚一を見ながら、実際目の前の男の才能の高さという物が計り知れなかった。
それも、踏み込みのタイミングや敵の隙を作る戦術性はとてもではないがISに触れて1週間と考えればオーバー過ぎる物だった。そして動きの端々に見え隠れする物。タイミングを見切り踏み込みの呼吸は何故だか自分と重なり、多種多様な武装を駆使し、相手を追い詰める戦い方は代表候補生時代の真耶の戦い方に通じるものがあった。
笑顔で和気あいあいとラファールの修理を始めた真耶と、その真耶を見てまた悔し涙を流す厚一を見て、いったい何を吹き込んだのかと千冬は気になって仕方がなかった。
◇◇◇◇◇
一夏は興奮した様子でアリーナに浮いていた。
手に汗握る勝負という物は正しく今さっきまで行われていた戦いの様なものだと言えた。
モニター越しにもピリピリと闘気が伝わってきそうなほどの光景だった。
だから、あの時、ISのスラスターがダメになって、それ以上は戦えないと判断して負けを認めた厚一の姿に、どうしようもなく悔しさというのが一夏にも込み上げていた。
それでも少しでも元気になって貰えればとあまり言葉も考えずに話しかけてみたものの、既にその時には厚一の瞳は潤んでいた。
男の悔し涙は決して恥なんかじゃない。
「お待たせいたしましたわ」
「ああ」
目の前の蒼いISを睨みつける。
自分が纏う白式の武装はブレードが一本だけだ。だが、その名は一夏にとってはとても重いものだった。
姉の振るった剣。そして男として、仇を取る。
そんな二つの想いを胸に一夏はセシリアと対峙した。
「わたくしはあなたにそれ程の期待はしていませんが、今は気分がとてもよろしいのです。なので、最初から全力でお相手してさしあげますわ!」
「上等だ! 速水さんの仇は俺が取ってやるぜ!!」
試合開始と共に一夏は動いた。それはセシリアが既にスターライトMk-Ⅲを向けていたからだ。
「機動性はなかなか。初手は回避しましたのね」
「俺にだってこれくらいっ」
1週間。一夏は箒と共に剣道の腕を取り戻す事に集中していた。というより体力トレーニングもやっていて、ISに関係する事はこれっぽっちもやっていなかったのだが、白式は思い通りに動いてくれているので正直助かったととも思う。
「ですが、これはどうでしょうか? ティアーズ!」
早速セシリアはブルー・ティアーズ最大の兵器であるビット兵器を使用した。
武器がブレード一本しかない一夏からすれば距離を開けられれば一方的にやられる未来しか見えていないのでどうにか接近しようともするものの、そうはさせまいとビットの攻撃が一夏に降り注ぐ。
「ブレードしか展開していないようですが。まさか武器がそれだけとは言いませんよね」
「あいにくさま。このブレードは世界最強の名を継いでるんだ。俺にはこれで充分だ!」
そう返したものの、正直言うと結構つらいやせ我慢だった。
ブレード一本で世界を取った姉。それと同じことを自分が出来るのだろうかと思ってしまう。それでも冷静に攻撃を見て身体が動くのは箒とのトレーニングのお陰だった。
「そうですか。では踊りなさい。わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる
「こなくそーーっ」
セシリアの放つライフルのレーザーを一夏はその手の雪片弐型で斬り払う。
「っ、サムライの国の方は驚かせてくれますわね」
「そいつはどうも、もっと驚いてけ!」
一夏は被弾覚悟でセシリアに接近する事を選んだ。先の試合を見る分に、一番威力があるのはレーザーライフルで、ビットは手数でダメージを稼ぐ武装だとアタリを付けた。何故なら厚一もビットの攻撃に関しては防御を捨てたからだ。その判断を信じて、ビットの攻撃は避けるだけで基本無視。レーザーライフルの攻撃に注力する。そして懐に飛び込んでも油断はしない。ミサイルが待っているからだ。
「ビットを見向きもしないなんて。あなた方は少々おかしいのではなくて!?」
「実力で劣ってるんだから一々気にしたってしかたねぇだろう!!」
そしてビットは一夏にとって死角から襲って来ることも理解する。その上、セシリアがビットを操っている間、本人は動けないこともわかった。故にビットの攻撃を無視して、セシリアが動けない間に近寄るしかないと一夏は考えていた。
だが接近を許して痛い目を見たのはセシリアも同じだった。故に一夏を近づけまいと一定の距離を保ち続ける。それこそ
近付く一夏と、離れるセシリア。お互いの距離は一定になるが。アリーナという限定された空間であるとどうしても逃げ場がなくなってくるために一度距離を再び開ける為にクロスレンジに入らなければならない。
そこは一夏の距離だった。
「もらったっ」
「っ、インターセプター!」
接近戦用のショートブレードを装備し、一夏の握るブレードの一撃を受け止めるセシリア。
「わたくしに剣を使わせるなんて…っ」
「今だ、白式!!」
その時。雪片弐型の刀身が展開し、エネルギーブレードが生成され、つばぜり合いからブレードの刃を巻き上げられたセシリアは無防備な懐を一夏に晒してしまう。
巻き上げて隙を作ろうとしていた一夏の方が切り返しは速かった。何よりも剣の間合いで負けるつもりもなかった。
流れる様な横一閃の一撃に、ブルー・ティアーズのシールドエネルギーがごっそりと持っていかれた。
「なんて攻撃っ」
だがセシリアも無様に負けてやるつもりは毛頭なかった。
腰の実体弾型のティアーズを起動し、その砲門を一夏の白式に向けて放つ。
至近距離の爆発。自爆覚悟の一撃。だが、それをされる覚悟も一夏にはあった。
「はあああああ!!!!」
「やあああああっっ」
爆炎から身を乗り出して雪片弐型を振るう一夏と、スターライトMk-Ⅲを向けてトリガーを引いたセシリア。
『織斑機、シールドエネルギーゼロ。オルコット機、シールドエネルギーゼロ。よってこの試合は引き分けとなります』
先ほどの静かに終わった模擬戦とは違い、観客席からは大歓声が巻き起こった事で、互いに止まっていたセシリアと一夏の時間は動き出した。
◇◇◇◇◇
本日3度目の模擬戦にして、最後の戦いは。今現在確認されている男性IS操縦者同士の一騎打ちだった。それこそアリーナの観客席には入り切らない程の生徒の数が犇めいていた。
「さっきはおめでとう。君は強いんだね、織斑君」
「そんな。速水さんがセシリアと戦っている間にあいつの動きを見れたからですよ」
厚一の称賛を、一夏は厚一が戦って情報を知ることが出来たからだと返した。それだけでふたりは身構えた。もとより歳が離れていても男同士なのだ。口で語るよりも手っ取り早い方法は血が知っていた。
「行きますよ」
「うん。お互い頑張ろうね」
そうして試合が始まった。
厚一はスナイパーライフルを装備し、一夏を狙う。レーザーに見慣れた一夏の目は実弾のスピードを如何にか見極める事が出来たが。それでも続けざまに放たれる弾丸に次々と被弾を許した。
セシリアの正確無比の攻撃も脅威だったが、それに輪を掛けて厚一の射撃は強烈だった。
実弾というエネルギー兵器には出来ない連射速度で弾丸を放ち、一夏の態勢を崩し、本命を打ち込んでいるのだ。
「まさかあのような射撃も出来るとは思いませんでしたわ」
試合が終わって、ピットに居るセシリアが呟いた。自分の時とは違う戦い方。という事は先ほどの戦い方は本当に自分を想定して考えてきた必勝の策。そう考えると嬉しさが沸き上がって、光栄に思った。
「本当にどういう仕込みをした、真耶」
「別に。速水さんの射撃の腕は相当な物なんです。ああして動かなければ、動いている相手でも80%程の命中率を出せるんです。オルコットさん相手ならば難しいですけど、まだISに乗ったばかりの織斑君が相手ならそこまで速く動くことは出来ませんから」
先ほどから千冬が見る厚一の光景は異様としか言えなかった。
そして、自分の特性をよく理解して、戦っているのだともわかった。
互いに動き偏差射撃する場合になるとIS適正の所為で反応できなくなってくるものを、自分は動かずに相手の動きの先を読んで、弾丸を置くような置き射撃をしている。それこそそうできる未来予測と高い計算が求められるのだが、ISに関してはズブの素人の一夏が相手であるから動きも読みやすくて誘導もしやすく、更に実弾兵器という弾丸と武器が持つ限り連射がエネルギー兵器よりも速い利点を生かして戦っている。
そうした知識も真耶の入れ知恵ならば、とても1週間しかISに触れていない人間に教える知識量を遥かに超えている可能性もある。というより高速切替や瞬時加速を教えた時点で普通に超えている。
モニターではこのままでは削り負けると判断した一夏が、ブレードで弾ける弾を弾きながら接近を仕掛けていた。
間合いに入って振り下ろされる刃を、同じく近接ブレードで受け止めた。だがそこから厚一はもう片手で握っているショットガンを撃ち込んだ。
セシリアの時はスターライトMk-Ⅲが長銃身ライフルであった為に出来なかった反撃であったが、その点厚一のラファールの握るショットガンは取り回しの出来るショートバレルタイプであった。
至近距離でショットガンの直撃を許した一夏は堪らずによろけそうになるものの、それを踏ん張って白式の単一仕様能力である
それによって身を逸らされた一夏が振り向いた時には目の前にハンドガンの銃口が見えていた。
立て続けに銃弾を浴びて、内心生きた心地のしない一夏ではあるが、後には退かずに踏み出し、雪片弐型を振るった事でハンドガンを切り裂いたが。そうして武器を振り下ろして切り返す所に空いた懐の隙間に、厚一のラファールはパイルバンカーを構えていた。
振り上げられる腕と共に迫るパイルバンカーの一撃が一夏の白式の胸に刺さり、炸薬と共に一夏の身体が打ち上げられる。
その勢いのまま厚一のラファールは
『織斑機、シールドエネルギーゼロ。勝者、速水厚一!』
弾倉の空薬莢を捨て、新しい薬莢を装填する厚一のラファールに向けて勝利者宣言が出されるのだった。
その瞬間。先程の試合にも負けない程の歓声が上がり、厚一は静かにアリーナに広がる空を見上げた。
◇◇◇◇◇
「やりましたぁぁぁっ!! やりましたよ速水さん!!」
「や、山田先生!?」
ピットに戻って来た厚一に思いっきり真耶は抱き着いてきた。とはいえケガをさせないようにラファールをしゃがませた結果。真耶の凶器に顔が包まれるという結果になってしまったのだが、気恥ずかしさよりも嬉しさが込み上げていた厚一はびっくりしたものの、気にはならなかった。
「すごいです、かっこよかったです、やれば速水さんは出来るんです!」
「…はい。先生のお陰です」
1勝1敗。負けて勝った。戦績としてはペケであるが、それでも勝てたという嬉しさは引くことはなかった。なにより涙を浮かべるくらい喜んでくれる真耶の姿に、今度は厚一も嬉し涙が溢れてきたのだ。
悔し涙も流したのは小学生が最後だったが、嬉し涙を流した記憶などなかった厚一からすればそれは未知の喜びだった。
「だーーっ、速水さんつえーっ!!」
対する一夏は同じような期間で明確に勝敗を決せられた厚一に対して負けた悔しさが口を突いて出た。
「お前がオルコットの動きを速水さんとの試合を通して見た様に、逆もまた然り。だったようだな」
「それでも接近戦でKO負けだぜ? これが悔しく思わずにいられるかよ!」
「ならばどうするんだ? このまま負けたままで良いのか?」
「いいや。絶対次は勝つ!!」
「ああ。それでこそだ一夏」
「おう!」
一夏も箒に励まされながらも、次なる目標が決まった。その光景をセシリアは静かに見守っていた。そして一夏への評価も改めざるを得なかった。
見下した相手に引き分けにされた。ISに関わった時間で言えば負けたといっても過言でもない結果であった。何しろ本気でやって引き分けなのだ。それもブレード一本の相手に。これが負けでなくてなんというのか。
「織斑さん」
「ん? なんだ」
「謝罪いたします。あなたを見下していたことを。あなたはお強い男性だと、改めさせていただきますわ」
「え、あ、ああ。まぁ、俺もそう思われるようなことをしたからな。でも、速水さんに言われたんだ。俺たちみたいにただここにやって来たのとは違って、みんな努力してここに居るんだってこと。だから俺だってこれから頑張っていくつもりだ」
「そうですか。あなたがどれほど成長するのか、わたくしも楽しみですわ」
「おう。その時はお前にも勝つからなセシリア!」
「ええ。ではわたくしも鍛錬を怠るわけには行けませんわね」
男は女の顔色を窺い、いつも頭を下げて機嫌を窺う様な弱い存在だと思っていた。だが、今日対峙したふたりの男はそうではなかった。
自分と真正面から相対し、そして自分の勝利を信じて向かって来る強い心を持っていた。
そして再戦を言い渡されて感じるのは高揚感だった。それは次が楽しみだという感情だった。本国では他の候補生と争っても感じなかった闘争によって感じた気持ち。そして自然と口にした更なる向上心。
「お疲れ様ですわ、速水さん」
「お疲れさまです、オルコットさん」
涙の流れた赤い目元を拭いながら相対する厚一を、大人なのに情けないとは思わなかった。大人でも嬉しければ涙を流す事はあるのだから。
「先程織斑さんと再戦の約束を果たしてきましたわ」
「そうなんだ。じゃあ、おれもその再戦の約束を交わしても良いかな?」
「はい。喜んで」
そしてたったの1週間の合間に高等技能を習得してきた目の前の男の成長もまた、セシリアは楽しみだった。
それこそセシリアにとって男の価値観にヒビを入れたのは目の前の男なのだから。
優しげで、それでいて最後の瞬間まで諦めなかった強い意志を持つ瞳に射抜かれたときはセシリアも心が高鳴った。ISで競う事がとても楽しかったのだ。
「次は負けないから」
涙目ながらも、普段の人のよさそうな人畜無害の顔ではなく、キリッとした真面目な顔に、そんな顔も出来るのかと不覚にも少し思ってしまったセシリアは、その顔を見つめて返事を返した。
「ええ。次こそはちゃんとした決着を」
そうしてセシリアは厚一に手を差し出していた。その意図を察した厚一も、セシリアの手に自分の手を差し出して強く握り合った。
男の人なのにとても細くて柔らかい手だとセシリアは厚一の手を握って思うのだった。
◇◇◇◇◇
「で、結局真耶にどういう教育をされたんだ」
その日の夜。宿直室でいつもの様にビールを飲む千冬に絡まれながら厚一は質問攻めにあっていた。
「どうって。ただ教えられたことをやっていたとしか…」
何しろISでの訓練など体験はないので、厚一には何が違うのかという基準もないのでそう答えるしかなかったのだ。
それを聞いて千冬は厚一から真耶が施した指導を聞くのは無理だと判断した。それでなのに真耶は頑なに厚一にはただ教えただけだというだけだ。あの真耶が珍しく頑固なのだ。気になって仕方がない上に、どう教えたら1週間で高等技術を˝3つ˝も教え込むことが出来るのかというのだ。授業が終わってから放課後は6時くらいには切り上げているのはアリーナの使用履歴でわかっているのだが、そうなるとたったの2時間ほどの平日と、土日で仕上げてきたという事である。出鱈目すぎるのも良い加減にしろと言いたいところだった。
「なにか真耶に見せられたりしたか?」
「いえ。ただ山田先生が動いたとおりにラファールを動かしたり、先生が教えてくれた通りに撃って、切って、動いてって感じでした」
「なんだそれは…」
まるで真耶が見せた通りに動いただけだと言わんばかりの厚一の言葉に、訳が分からず千冬は追及を止めた。というより同居人の勝利を祝う祝賀会と評して酒の本数がいつもより多くても文句を言われないのだ。というより本人も少し酔っているのか、頬が朱いくらいにアルコールが回っているのだ。無粋だったかと話題を切り上げた。
しかしまさかそれが言葉のままの意味だという事をこの時の千冬は知る由もなかったのである。
◇◇◇◇◇
翌日。興奮冷め止まぬ女子から昨日は凄かったとか、かっこよかったとかとちやほやされて、気恥ずかしながらありがとうと返し、赤くなる頬を誤魔化すように苦笑いを浮かべながら頬を掻く厚一の姿が目撃され、クラスの中でも浮いていた厚一も少しは受け入れられた様だった。
「先日の模擬戦の結果を踏まえた結果、代表者はセシリア・オルコットさん。に、なるのですが。ご本人より辞退するというお話が来ました」
「というわけで次点での戦績は速水だが。速水、お前はどうする」
「え? おれだったんですか」
「1勝1敗。負けたが勝っただろう。それで差し引きゼロだ」
「ちょっと待って千冬姉ぇ! 俺は!?」
「織斑先生だ馬鹿もん。そしてお前は1引き分け1敗。白星が一つもないお前がビリで確定だ」
「そ、そんな…」
どうするのかという視線を千冬から受け取り、捨てられた子犬の様な視線も一夏から受け取る厚一だったが、答えは決まっていた。
「頑張ってね、織斑君」
「だと思ってましたよちくしょーーーっ!! いだっ」
「静かにせんか馬鹿者」
無情な厚一の言葉に一夏が吠えたが、瞬時に千冬に鎮圧されるのだった。
「そもそもなんでふたりして断るんだよ!」
「わたくしは代表候補生ですもの。確かに実力から言えばわたくしがクラス代表選に出る事が勝利する上でも有利でしょう。しかし織斑さんや速水さんが成長できる機会を奪ってしまう事にも繋がりかねないので辞退させていただきましたわ」
「おれもほら。負けちゃってる上に勉強頑張らないとだから」
「俺にも同じことが言えると思うんですけどそれは」
「だって、一夏君に勝っちゃったから」
「あんた優しいくせに良い性格してると思うよ」
「そうかな? よくわかんないや。あははは」
取り敢えず笑って誤魔化した。
敗北者に権利などないのは世の常なので、結局一夏がクラス代表をするという事で話は決着したのだった。
「理不尽だぁぁぁ」
「若い時に苦労をしておけば損はないよ」
「速水さんも充分若いですよね」
「とはいっても、おれはおじさんに片足突っ込んじゃってるからねぇ」
「…速水さんって千冬姉ぇと同い年だよな」
「いや、織斑先生の方が2歳年下だったかな? 24歳かぁ。2年前。…何してたんだっけ、おれ」
過去を思い出せない厚一ではあるが、まぁいいかと思ってその日の授業も難なくこなしたのだった。
そしてお昼は珍しく厚一は席を立った。
「あれ、速水さんご飯は?」
「今日くらいは普通に食べようかなって思って」
それを聞いて声を掛けた女子というか、教室中に居た女子が厚一を見た。
「あ、明日は、どうなんでしょうか?」
「うーん。どうしよう。買い物してないからご飯作れないし。また食堂かな?」
「そうですか。あ、引き留めたりしてごめんなさい」
「ううん。じゃ、またね」
そう言って厚一が教室から出て行くと、教室では明日の昼食をどうするのかという相談会が繰り広げられることとなった。
◇◇◇◇◇
IS学園に入学して半月も過ぎた頃。と言ってもクラス代表候補決定戦が行われてから1週間ほどが過ぎ、座学だけではなく実際にISに関する実技も入るようになった。
その日は校庭に1年1組の生徒が集められていた。
「これよりISの基本的な操縦を実践してもらう。織斑、オルコット、速水。試しに飛んでみろ」
あれから厚一は模擬戦で使用したラファール・リヴァイヴをそのまま使用の許可が下りたので、一応は専用機持ちの仲間入りを果たしていた。
「え!? 俺も!?」
自分が呼ばれるとは思っていなかったのか、一夏は自分を指さしている。その間にセシリアと厚一はISの装着を済ませていた。
「流石だなオルコット。それに速水もオルコットとほぼ同時とはな、良い傾向だ。織斑も早くしろ。熟練の操縦者なら展開に1秒もかからん」
「う、は、はい…」
中々ISを展開出来ない一夏と、同じ期間でセシリアとほぼ同じくらいの速さで展開を終えてしまえる厚一の違いは練習量の違いやイメージトレーニングの差もあるのだろう。
放課後に付きっ切りで真耶に指導を受けている厚一からすればこれでもまだ真耶に見せて貰った速度よりも遅くて満足できないくらいだった。なまじ同じラファールという機体を使っているだけに、そのイメージと実際の違いのズレが気に入らないという理由で少しでも近づこうと毎日努力を絶やさないのだ。
そういった意味では、独学で努力している一夏よりも厚一は数段先んじて歩いているとも言えた。
一夏は白式の待機状態のガントレットを掴んで名を呼ぶことで展開を完了した。
そして3人同時に飛び立ったのだが、その先頭を行ったのは厚一のラファールだった。続いてセシリアのブルー・ティアーズ、そして一夏の白式が続いた。
「
スタートダッシュは先頭に居た厚一ではあるが、直ぐにセシリアが追いついて横並びで飛びながら質問を投げた。
「この間かな。山田先生に覚えておいて損はないって言われて」
瞬時加速よりも停止状態からの始動になる為、覚える難易度はそこまで高くはない。と言うより瞬時始動によって先ずは瞬時加速のやり方を教える場合もある。しかし1週間前の模擬戦では使っていなかったのでその後に身に着けたのだろうとセシリアは予測を立てた。
言ってしまうと瞬時加速を覚えてしまえば無用の技術である上に、開幕で相手に一直線機動で突っ込むような軌道は誰もやらないのでそこまで重要視はされていない技術ではある。
『なにをやっている織斑。出力スペックでは白式が一番上なんだぞ』
「そんなこと言ったって、急上昇とか習ったの昨日だぜ? 昨日の今日で上手くやれっていうのは無理が…」
そう言おうとした所で既にセシリアと空中機動で踊るように戯れている厚一の姿が一夏の目に映った。セシリアが厚一の手を引っ張ってリードしてはいるが、厚一の飛び方は少しぎこちないもののちゃんとしている。
それを見ると出来ないとは言えなかった。
地表から数百メートルは離れた地点で、一夏の到着を待ちながら空中で踊る二人に一夏が漸く追いついた所で次の指示が入る。
『今度は急降下と完全停止をやってみろ。目標は地表10センチだ』
「ではおふた方。先に下でお待ちしておりますわ」
そう言って先にセシリアが先行した。ハイパーセンサーでそれを見ていたが、見事に目標の10センチで止めたのは流石は代表候補生と言ったところだと厚一は感心していた。
「じゃ、先に行くからね」
「あ、はい」
そう一夏に言い残して、重力に従う様に厚一はラファールを落とす。
重力に従って落ちて行く機体。数百メートルはあってもそこから落ちて行くのはISという鎧の重さのお陰であっという間だ。
スカイダイビングをするように身体を広げて空気を掴み、落下速度をコントロールしながら、PICを起動して機体の態勢を立て直す。そして制止させるものの。
「32センチか。次はもう半拍遅らせてみろ」
「はい。頑張ります」
少しタイミングが早かったようだ。思った瞬間に反応が帰って来ないというのはそれを加味して早めに反応するというまた別のタイミングを求められるため難しいのだが、そうも言ってられない。次は成功させると誓って上の一夏を見上げると――
下に――どころか地面へと全速力で突っ込んできそうな勢いで、機体を動かしていた。
「イナーシャル・キャンセラー全開!」
一夏の白式を受け止めながら、完全停止までを処理する。
「あ、危なかったぁ…」
「す、すんません。速水さん」
背中に地面が当たっている感触を感じながら厚一は息を吐いた。
助けられた一夏も厚一の腕の中で謝罪する。
「これはこれでアリかも…」
「速水さん優しいからやっぱり受けなのかな?」
「でも織斑くんからの誘い受けとか良くない?」
一部に燃料を投下する事態にもなりつつ、近づいてきた千冬に厚一は軽く頭を叩かれた。
「他のISの前に飛び出すな馬鹿者。最悪あのまま地面に激突もあり得たぞ」
「はい。すみません」
「だが完全停止は見事なものだ。そのまま精進しろ。それと織斑は後で反省文5枚だ」
「うぐ、はい…」
流石にあのままだと地面に突っ込む未来が見えた一夏も反論できずに素直に従うしかなかった。
そして立ち上がった一夏に次の課題が言い渡された。
「織斑、武装を展開してみろ。それくらいは出来るだろう」
「は、はい!」
ここまで良い所がない一夏は今度こそと意気込んで白式の武装である雪片弐型を展開した。
「遅い。それでは展開している間につけこまれるぞ」
「はい…」
一夏からしても渾身の速さだったのだが、それでも数秒掛かっていた。それでも遅いと言われて一夏は肩を落とした。
「次はオルコットだ。織斑、良く見ておけ」
「はい…」
肩を落としながらもセシリアに一夏は視線を向けると、一瞬で雪片弐型よりも大型のスターライトMk-Ⅲを展開した。
「1秒弱か。まあまあだな。だがそのライフルを横に向けるのは直せ」
「こ、これはわたくしのイメージを乗せるのに大切な」
「˝直せ˝と言っている」
「はい…」
千冬に睨まれてセシリアも撃沈した。そうなるといよいよ残るのは厚一である。
「では速水、やってみろ」
「はい」
そう返事して。厚一も武装を展開する。
両肩の稼働シールド。機体の前面と後方を守る大型の実体シールド。右腕の耐レーザー・コーティング・シールド。更には腰のサイド・アーマーに二挺のリボルバー。空いている左手にもアサルトライフル。
合計1秒半程で展開を完了した。
「フル装備で展開しろとは言わなかったが、合格だ」
「ありがとうございます」
ホッと胸を撫で下ろす厚一。だがやはり真耶の手本の方がすべて一瞬で展開していたので内心ではまだまだだと思っていた。
◇◇◇◇◇
「織斑くん、クラス代表就任おめでとう!」
『おめでと~!!』
放課後に行われた一夏のクラス代表就任パーティー。いつもの様に真耶に放課後の訓練をしてもらおうと思ったものの、クラスでの祝い事という事で参加した方が良いという言葉を貰い、一応食堂の片隅でラファール・リヴァイヴのマニュアルに目を通しながら厚一も参加していた。
「いやー、やっぱ盛り上げていかないとねー」
「ほんとほんと。唯一の男子が居るクラスだもん。一緒になれて良かったぁ」
という感じで盛り上がっている同級生の女子を見ていると今更嫌だとは言えないので、一夏は腹を括った。
「でも織斑くんで大丈夫かなぁ」
「あら? なんか不安なの?」
「不安というか、心配? 速水さんだって凄かったし」
「セシリアさんには負けちゃったけど織斑くん圧倒してたもんね」
「負けっていうか、あれISの故障がなかったらどうなってたかわかんないよ?」
「あの時の速水さんかっこよかったよね。普段は優しく笑ってるのに、あの時は獲物を狩る猛獣? みたいな顔しててカッコいいなって思ったよ」
「あたしあの時真正面の席に居たけど、こうビビッてなんか凄かったよ。だからゆっくり降りて行く速水さん見て泣いちゃった」
「あー、あれは泣くよねぇ。こう、イケるって時に不慮の事故でぽしゃる虚無感と悔しさってのはさ」
「でもあの時の速水さんやっぱり笑ってたよ。大人ってすごいよねぇ」
一夏の話題で盛り上がる一方で、厚一に割と近い方の席では厚一の評判について盛り上がる女子も多かった。
実際、あの中である意味注目度が高かったのも厚一だった。
同年代で千冬の弟である一夏。イギリスの代表候補生であり専用機持ちのセシリアに対して、厚一は男で年上の男性という以外の特別さはなかったのである。ある意味平凡。であるから一番感覚的には大多数の生徒と同じ感覚だったのだ。
それが蓋を開けてみれば、代表候補生に追いすがり、更にブリュンヒルデの弟には圧倒して勝利した。
その上に高速切替と瞬時加速を披露していたのだ。1週間という準備期間でそんな技術を身に着けた。そんな非凡さに天才なのではという噂も独り歩きしているが。1組の女子からすると努力して身に着けたんだろうという想いが強かった。それくらい普段は勉強熱心な厚一が教室では目撃されているからだった。
今も食堂の集まりの片隅で何かの本を熱心に読んでいる姿が映る。ちなみに本に指を添えて文章をなぞっている時はとても集中していて話しかけないのが暗黙の了解として1組では成立していた。
「というわけでして、今の速水さんはそっとしておいてくださいな」
「なるほど。わかったわ。またあとでコメント貰いに来るから、速水さんに名刺渡しといてくれる?」
「ええ。それくらいでしたらお受けいたしますわ」
そういう暗黙の了解を知らずに突撃取材を敢行しようとした二年生の新聞部部長の黛 薫子をセシリアがブロックしていた。
せっかくのお祝いの席で、輪を外れるというのは空気の読めていない行動といって遜色ないものだが、彼が見せる真剣さと勤勉さというのは1組にとっては最早日常だったので、殊更に悪感情を持たれるようなことはなかった。
「速水さん、記念写真を撮りますので、お時間よろしいでしょうか?」
「あ、う、うん。ごめんね、つい集中しちゃって」
「ふふ。一度集中してしまうと中々戻ってきませんものね」
「こ、声を掛けて貰えれば戻ってくるよ」
指が本から離れたタイミングですかさずセシリアが声を掛けて、記念写真で専用機持ちで撮る事になったことを告げる。ついマニュアルに夢中になってしまった厚一は頬を掻いておじさんが映っても絵にならないと遠慮したが、セシリアが腕を引っ張って厚一を真ん中に左右をセシリアと一夏が固めたのだが、写真を撮る瞬間に1組のほぼ全員がフレーム内に押し寄せておしくらまんじゅうみたいな状態になってしまって憤慨するセシリアと、さすがに女の子の香りや軟らかさに包まれて気恥ずかしくなる厚一を目撃されて悪ふざけをした女子が引っ付いたり、それをセシリアがひっぺがえそうとしたり、巻き添えにあって一夏もひっつかれて箒が不機嫌になったりと。
騒がしくも平穏な日常は続くのであった。