そして自分にはやっぱりグイグイ前に出るヒーローは書けないと悟る。
主人公の元ネタのキャラからしてそういう感じだから仕方ないとはいえ色々やり過ぎているかもしれないけれどごめんなさい。それが世界の選択なのかもしれない。
感想くれるとちょっと有り難かったりするかも。
「っ――!!」
ガバッと掛け布団を蹴り飛ばしながら飛び起きる。
「ハァっハァっ…」
まだ太陽が昇ろうとする早朝。薄暗い部屋で、布団の上で自分の肩を抱きしめる。
「っ、ぐっ…」
苦しくなる胸を掻き抱く。
「最近は、平気…だったのに……っ」
どうやら自分はそれ程にひとりという事が相変わらずダメらしい。
「……困ったなぁ」
ごろっと布団の上に横になる。ひとりで寝るといつもこうだ。
だからひとりになった最近は眠れない――深く眠らずに身体は休めても意識は起きる毎日を過ごしていた。
それも織斑先生との同居が始まったお陰で少しはマシになって寝れるようになった。
それでも今はまたひとりで部屋に居る。だから眠ってしまって見たくもない悪夢を見てしまう。
「誰かを連れ込むなんて、出来ないもんね」
それこそ社会的に抹殺されそうなので論外である。
身体を起こして電気を点ける。シャワーで寝汗を落として、鏡に映る自分の顔を見れば、魚の死んだ目の様に酷く濁っていた。目元にも最近は落ち着いていた隈がまた出来てしまった。能面の様に生気を感じない顔を数回叩いて気分を入れ替える。
「よしっ」
シャワーを出た後はジャージに着替えて朝のジョギングである。
少しずつ身体を慣らして2キロを走破する。また戻ってシャワーを浴びて、食堂に向かって朝食を取る。その次は部屋に戻って一通りの復習をする。あとは時間になって登校する。
それが速水厚一の朝の基本行動だった。
それがその日はちょっと違っていた。
千冬との同居関係が終わると、生活リズムも少々変わった為にあまり朝から同じ行動を取ることもなくなり、フリーになった厚一にようやく朝から女子も話しかけられるようにもなった。
「おはようございまーす、速水さん」
「隣良いですか?」
「うん。いいよ」
「やった! 失礼しまーす」
「あ、ちょ、ズルいっ」
「へへーん、こういうのは早い者勝ちだもん。ねー? 速水さん」
「そ、そうかな?」
厚一は苦笑いを浮かべながら隣に座ったりする女子に曖昧な返事をする。
厚一は端の席を好むのでだいたい隣には一人しか座れない事が多い。その為、厚一の隣の席に座るには迅速な行動が必要になってくる。
ただ中にはあからさまに身体をくっつけてくる娘も居るので気が気でなかった。いつポリスメンでも呼ばれるのかとヒヤヒヤしながら食事を終えた。
先に食べ終えてしまう厚一は食堂を出て、思いっきり肩から力を抜いた。
「はぁぁぁ。女の子ってパワフル…」
朝から精神的疲労を感じながら部屋に戻ろうとすると、ズイッと誰かが後ろから飛び付いて顔を出してきた。
「朝からモテモテで大変ですねぇ。でも、まだまだひよっこな子達で満足できますか? 速水厚一さん」
「うわわわわわわっ?」
前に倒れそうな姿勢を保つために力を入れながらも急な事で驚き、更に肩から飛び出してきた綺麗な女の子の顔にも驚き更に気恥ずかしくなって二重の意味で軽いパニックになる厚一。
「間近で見ると綺麗な顔してますねぇ。それに、フフ、顔赤くしちゃって。テレてるんですか? かわいいなぁ…あなたみたいな人、わたしの好みなんですよねぇ」
「………………っっ!!」
頬が触れる程に顔を近づけられ、蕩ける様な甘い声で耳元で囁かれ、更には身体も密着しているので背中に胸は当たっているし、足も何故か絡まされているし。動きたくても動けず。まるで蛇にでも絡まれたような気分で。それでいてそんなアプローチに厚一の頭は沸騰寸前だった。
「わたし、更識楯無。よろしくね、速水さん」
「更識さん…?」
はて、どこかで聞いた覚えがあると記憶を辿ろうとした厚一だったが。
「何をしている小娘」
「あ、織斑先生」
「お、織斑先生!?」
ドスの効いた声で厚一の思考を中断したのは青筋を立てている千冬だった。
「別に何もしていませんよ。ただ、無防備な速水さんにそれじゃあ悪い子に襲われちゃうって教えていただけですよ?」
「お、おそう…!?」
「ほう。悪い子というのは貴様の様な輩か?」
「いーえ。わたしなんかよりも、もーっと悪い子に、です」
「ふん。生徒会長ならばそれらしく振る舞え」
「了解しましたぁ」
そう言って楯無が離れたことで自由になったが、千冬の言った生徒会長という単語で楯無の事を厚一は思い出した。
「あ、そういえば入学式で挨拶してたよね」
「あら、覚えていてくれたなんてお姉さん嬉しい」
そう言って口元隠す楯無の扇子には「愛の力!?」と書かれていた。また濃いキャラの人が現れたと厚一は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「でも無防備なのは本当ですから、気をつけてくださいね? 親切なお姉さんからのご忠告です」
「うん。ありがとう、更識さん」
「楯無って呼んでくれます? 名字で呼ばれるのあまり好きじゃないんです」
「わかったよ。楯無さん」
「はい。それじゃあまた会いましょうね、速水さん」
そう言って楯無は厚一にウィンクして去って行った。それを厚一は手を振って見送った。
「それで、奴に何をされた」
「ふえっ!? と、とと、特には…っ」
千冬にそんなことを聞かれた厚一は先ほどまでの楯無との絡みを思い出して見る見るうちに顔を赤くしていた。
「やれやれ。女に耐性が無いのも考え物だな」
「そ、そういうわけじゃ…」
普通に接している分にはなんともなく大人の余裕を持っている厚一ではあるが、楯無の様に身体を絡め合うスキンシップなどになるとどうしても気恥ずかしくなるのは仕方のない事であった。
「だが、急接近してくる女子には注意しろ。ここは様々な国の女が居る事を忘れるな」
「はい。それは大丈夫です」
千冬は万が一のそういうことも考えておけという注意のつもりだったのだろう。だが厚一からすれば周りは10歳近く年下の女の子たちなのだ。普通に考えて犯罪である。
だが何故20代や30代での歳の差結婚などは許されるのにこういう年代だと犯罪だという事になるのかは今一厚一にもわからなかったが、それが未成年保護という道徳なのだろうと納得する。
そしていつも通りに授業が始まるのかと思えばそうでもなかった。
「そう言えば速水さん。2組に転校生がやって来たことはご存じでして?」
「転校生? ううん、知らないよ」
始業前の朝の登校時間。教室にて厚一はセシリアと話していた。大抵はISの事に関する事なのであるが、今日は話題が違っていた。
「でもこの時期に珍しいね。入学式に間に合わなかったのかな?」
何しろまだ4月なのだ。それなら何かトラブルでもあって入学式に間に合わなかったのだろうかと思った厚一ではあるが、それだと転校生という表現は使わないようなと首を傾げた。
「おそらく国から送られてきた斥候ですわね。お国は中国からという事ですが、途中編入となると先ず代表候補生という線が濃厚ですわね」
ただでさえ入学基準が厳しいIS学園に途中から席を置くのだからそれ相応にまた厳しい基準がありそうなのは予想できる事だった。
とはいっても2組ともなればお隣さんではあるが直接自分には関係なさそうだと判断して、ISの空中機動に関しての意見をセシリアに求めるのだった。それを聞いて仕方ないという表情を浮かべながらも、頼られているという嬉しさを滲ませながらセシリアも厚一の質問に答えるのだった。
すると教室の出入り口、と厚一から見て前方の席が騒がしくなった。
「噂をすれば影、ですわね」
「かわいい女の子だね」
そこでは一夏少年と、やや小柄でツインテールの勝ち気そうな少女が教室の入り口のドアに腕を組んで凭れ掛かっていた。
「鈴? お前まさか鈴か…!?」
「そうよ。中国の代表候補生、
「なにカッコつけてるんだ? 全然似合ってないぞ」
「んなっ!? あ、アンタねぇ、人が折角カッコよく登場したんだから空気読みなさいよ!」
そんなやりとりを見て、若いっていいなぁと爺臭いことを厚一は考えていた。
「おい」
「なによ!? って、ち、千冬さん…っ」
「織斑先生だ。それにもうSHRの時間だ。邪魔だから早くどけ」
「は、はい!! 一夏、またあとで来るから逃げるんじゃないわよっ」
「さっさとどけ馬鹿者」
「きゃんっ、っっぅ、し、失礼しましたぁ…っ」
頭に出席簿を食らって退散する嵐のような少女。一夏の知り合いであるのなら千冬の恐さという物も昔から知っているのだろう。
とはいえ、怒らせるようなことをしなければ厳しくも優しい先生だというのが厚一の織斑先生像である。なお私生活の千冬はカウントしないものとする。
そうして午前中は普通に過ぎたのだが、一夏に誘われて食堂に赴いた厚一は再び嵐の様な少女と邂逅する事となった。
「待ってたわよ一夏!」
ラーメンの入ったどんぶりをトレーに乗せて声を張り上げる鈴に、立ち止まった一夏であるが。その脇を通り過ぎて厚一は食券の券売機に向かう。
最近は洋食周りをローラーしていたので偶には和食でも食べようかとアジフライ定食を選択する。
「あーっ、アジフライ定食売り切れかぁ」
そんな声が厚一の背後から聞こえると、しょんぼりと肩を落とす一夏が目についた。
どうやら厚一の頼んだアジフライ定食が最後だったらしい。
「はい、織斑君」
「え? 食券? アジフライ、って、良いですよ。悪いですって」
「いいからいいから」
そう言っていつもの様に軟らかい笑みを浮かべながら一夏にアジフライ定食の食券を渡して、券売機の盛りそば大盛りを注文した。
「気分的に和食ならなんでも良かったんだ。だからそれは織斑君が食べてよ」
「速水さん…。ごちになります」
「うん。よろしい」
ニコニコしながら頭を下げる一夏をみる厚一という一部女子の妄想を掻きたてる燃料になる光景を提供しつつ。一夏の隣に厚一が座し、一夏の隣に箒。厚一の隣にセシリアが座る。ここ最近の時間が合う時に同伴する定位置での座り方だった。
その反対側に鈴が座った所で一夏と鈴の会話が始まった。
「それにしても久しぶりだな。元気にしてたか?」
「普通に元気よ。アンタこそ、偶には怪我病気しなさいよ」
「どういう希望だよそれ」
そんな風に互いに気心が知れている間柄の会話を展開する二人に箒が割って入った。
「それで。一夏、そろそろどういう関係なのか説明してくれるか?」
それはそれはいつもよりも一段低い声で詰め寄りそうな勢いで箒は問う。
「どうって、ただの幼馴染だよ。お前が引っ越した後に鈴は引っ越してきたんだ。去年国に帰っちまったけどな」
それを聞いて別の意味で厚一は鈴に興味が湧いた。少なからずセシリアも一夏の言葉に目を見開いていた。
「えーっと、凰さん、で良いかな?」
「ん? あぁ、確かもう一人の男のIS操縦者の速水厚一さんでしょ? 鈴でいいわよ。その方が呼ばれ馴れてるし」
こうサバサバした子なんだと、普通の女の子よりも付き合い易そうだと思いながら厚一は鈴に質問を投げた。
「じゃあ鈴、もしかして去年1年で代表候補になったの?」
「ええ。まぁ、ちょっと大変だったけど」
「そうなんだ。凄いんだね、鈴って」
代表候補生の凄さは身近にいるセシリアで痛感している。そんな代表候補生にたった1年で登り詰めたと聞かされては、素直に凄いとしか言葉がなかった。
「ありがと。でもどんなやつかと思ってたけど、案外普通…というか、なんか人畜無害そうな人ね。ケンカとかしたことなさそうな。それでISに乗るなんて災難ね」
「あはは、自分でもそう思うよ」
思ったことが口に出る感情的なタイプなのだろう。それでも悪い気がしないのは彼女の人柄なのかもしれない。
「それでも速水さんは努力を怠らずに日々邁進しておりますわ。鈴さん、あまり人を見掛けで判断しない方がよろしいですわよ」
「あ、そう。ていうかアンタだれよ」
「申し遅れましたわ。わたくしはイギリスの代表候補生のセシリア・オルコットと申します。以後お見知りおきを」
「へぇ、イギリスのねぇ」
にこやかながら笑っていないセシリアと、口元は笑っているのに目が笑ってない鈴の間で火花が散る光景を幻視しながら、厚一は苦笑いを浮かべた。
「でも、そこまで言うなら速水さんって強いんでしょ? どう、あたしと勝負してみない?」
まるで獲物を見つけた獣のような眼光を向けられてビクッと身体を震わせる厚一だったが。いつも通りの苦笑いと頬を掻くコンボで鈴に口を開いた。
「あー、うん。有り難い申し出だけど、そんなに強くないから期待外れになるかもしれないよ?」
「なに言ってるんですか速水さん! 模擬戦でセシリア追い詰めたし、俺にだって勝ったじゃないですか」
「へぇ…」
やんわりと断ろうとした言葉をぶち壊した一夏の言葉を聞いて、獲物を前に舌なめずりをするような声を漏らす鈴にどうしようかと本気で厚一は困っていた。ちなみにそんな一夏を咎める様なジト目でセシリアは睨みつけた。
「な、なんだよセシリア。なんで睨んで来るんだ?」
「…いいえ。なんでもありませんわ」
肩を落として内心セシリアはため息を吐いた。しょうがない。一夏は良くも悪くも真っ直ぐなのだ。純粋で、それが良さであって悪さでもある。それが今は悪い方向に働いてしまったのだ。
貴族として大人との腹の探り合いなんかもするセシリアからして、今の一夏の行動は完全に善意だろうがアウトだ。
厚一の交渉の席を横からいきなり出て来てぶち壊してしまったのだから。
「と、取り敢えずお昼食べよう? 鈴もラーメン伸びちゃうよ」
「ま、そうね」
取り敢えず話題は保留。そういう意図を込めて、というより話していると昼休みが終わりそうなので一時休戦という視線を込めて言葉を放った厚一に、それを汲み取った鈴も受け入れ、互いの箸が漸く進むことになった。
「お疲れ様ですわ、速水さん」
「うん。ありがとう、オルコットさん」
肩を優しく叩かれながら気遣われるセシリアの優しさが胸にしみた昼食だった。
その日の放課後である。職員会議で真耶の訓練が受けられない厚一は、普段の貸し切りになっている第二アリーナから、放課後には解放されている第三アリーナに向かった。
第三アリーナでは訓練機を纏った女子たちが日本の第二世代量産型ISの打鉄と、ラファール・リヴァイヴを纏って訓練していた。
「見て、速水さんだよ!」
「アリーナに来てるところなんて初めて見た」
「あれ? いつもは第二アリーナに居るはずじゃ」
「え、そうなの?」
という感じで、ほとんどは一年生の女子が厚一の事を話していた。
最も、第二アリーナは厚一の訓練時間では立ち入り禁止になっている為、訓練風景を見る事は叶わないのでこういう風に人の目がある場所で訓練するというのも新鮮な気がしていた。
「あれ、速水さん!」
「む?」
「あら。今日は山田先生とのデートはよろしいのですの?」
「なっ、でで、デートぉ!?」
「うん。今日は山田先生、職員会議の準備で忙しいんだってフラれちゃった」
「ふふ。では、傷心の殿方をわたくしが癒して差し上げますわ」
「お手柔らかに。
デートと言う言葉に驚いている一夏を置いてけぼりに寸劇の様な言葉の応酬で会話をする厚一とセシリアに箒もついて行けない世界に大丈夫かこのふたりはという視線を向けていた。
「は、速水さん、山田先生とつ、付き合ってるんですか!?」
「うん。毎日放課後にデートしてるんだよ」
「あれほどお上手なんですもの。きっと毎日激しいお付き合いをしているのでしょうね。わたくしの身体がもつかしら」
「あはは。もたないのはおれの方かもしれないけどね」
「まぁ。そんなにお早いんですの? それはわたくしもお慰めのしがいがありますわ」
「お前たち流石に私でもふざけているのはわかるぞ」
「あ、ぁぁ、ぁっ」
箒がツッコミを入れて茶番劇を終わらせるが、一夏はわなわなと震えて顔が真っ赤で沸騰していた。
「いやぁ、織斑君の反応が面白くてつい」
「ふふ。速水さんと会話をしていると楽しくてつい」
「はぁ…」
詫びれもなく言うふたりに箒はため息を吐いて諦めた。一夏が再起動するのはもう少し時間が掛かるであろう。
「しかし。織斑さんも純粋なお方ですのね。ご苦労お察しいたしますわ。篠ノ之さん」
「うっ。まぁ、そうだな」
セシリアの言葉に一瞬赤くなるものの、普段の一夏を思い出して肩を落とす箒に厚一も苦笑いを浮かべて彼女に同情する。厚一も子供ではないので箒が一夏の事を好きなのは普段から見ていればわかる上に、おそらくは鈴もそうなのだろう。だが肝心の一夏が絵に描いた様な鈍感朴念仁である為にふたりの恋は無事成就するのだろうかと心配になった。その場合どちらかが涙を飲むことになるかもしれないが。
「それで、速水さん。如何なさいますか? 山田先生がどういう教練をしているのかわたくしは存じ上げていませんので、何を教えられるかはわかりませんが」
そして漸く真面目な言葉で要件を話すセシリアに、最初からそう話せと箒は思わずにはいられなかった物の、あれはちょっとしたお遊びと狼狽える一夏が実際面白かったので興が乗ってしていたものに過ぎない。些か品に欠けるかもしれなかった物の、空気を合わせてくれた厚一の乗りの良さに少し悪戯心がくすぐられたというのもある。
「じゃあ、射撃を見て貰っても良い?」
「ええ。構いませんわよ」
という事でスナイパーライフルを構える厚一をシューティングレンジに誘って、セシリアは先ずその射撃を見た。
「おい一夏、帰って来い」
「ぁぅ、ぁ、ぁあ……」
一夏が鈍感なのはもしかしたら物を知らなすぎるからじゃないかと、箒は思わずにはいられなかった。
「命中率96%。また腕を上げましたわね」
「これ以上が無理なんだ。山田先生は今はこれでも良いって言ってくれるけど」
「ご納得がいかない様子ですわね」
「先生は目の前で99.89%を見せてくれたからね」
ターゲットが表示されてからの反応速度。そして命中率。どれも一月で身に着けるのには無理ではなくとも、やはりオーバーペースではある。
そしてセシリアは、厚一の感覚が少しズレていることに気付いた。それを真耶が気づいていないとは思えない。それを指摘しない理由でもあるのだろうか。
もしくは指摘していても、厚一の設定している理想が高すぎるのだろうか。
理想が高い事は何も悪くはないのだが、しかしそれに現実が追いつかなければ意味がない。
それこそ教員と生徒を比べた所で仕方のない事なのだ。でなければ何のために教員が存在するというのか。
「回避のタイミングは悪くありませんわ。あとゼロコンマ3秒程早く回避すればレーザーのエネルギーの影響も受けずに避けられますわ」
「うん。ありがとう」
射撃の後は回避行動も見て欲しいという事で、レーザーを完璧に避けられるようにと言われて、敵に塩を送るような事になるのだが。それでもセシリアは厚一の熱意に負けて回避行動を実際に攻撃を撃ち込んで問題を修正していく。
気づけばアリーナの使用時間も終わりが迫っていた為にお開きとなった。ロッカールームの備え付けのシャワーを浴びて、新鮮な気分で厚一は寮に戻った。
「一夏のバカ!! 犬にかまれて死ねっっ」
ほっかりぽかぽかで少し顔がぽやっとしている厚一の耳に物騒な言葉が聞こえて慌てて周囲を見渡したら後ろから誰かにぶつけられてしまった。
「うわわわわわっっ」
「きゃああっ」
いきなりの事だったので反応も遅れてそのまま厚一は倒れてしまった。
「いたたた。な、なに?」
「ごっ、ごめんなさい…っ」
顔を後ろに振り向ければそこには鈴が居た。ぶつかって来たのが鈴らしく、厚一の背中に倒れるような形で居た。
「ケガはない?」
「うっ、うん…」
取り敢えず倒れた姿から向かい合う様に座り合ったものの、ケガはなさそうなので安心するのも束の間。
「……紅茶で良ければご馳走するよ」
「っ、……はい」
涙を溜める鈴に、厚一は立ち上がって手を差し出した。
物置だった宿直室を片付けた部屋であるから一通りの設備は揃っており、ひとつの部屋を誰かと共有して生活しなければならない寮での生活であれば厚一はプライバシーが一番守られている生活を送っていた。
泣いている鈴をあのまま返してもルームメイトにその理由を話さなければならないだろうと思い至った厚一は、鈴をお茶をご馳走するという名目で部屋に連れて来たのだ。
なんだか犯罪を起こす一歩手前な状況推移であるが、純粋に鈴を心配しているのであって決して疚しい事はないと結論づけて紅茶の入った湯呑をお盆に乗せ、テーブルの前に座る鈴の所に戻った。
「はい。どうぞ」
「…いただきます」
「熱いから気をつけてね」
湯呑に紅茶という紅茶の愛飲家にはバカにされるかもしれないものの、あり物の道具はこれしかないので仕方がないのだが。茶葉に関してはセシリアから貰った物なのでとても美味しいのは確かだった。ダージリンティーの香りを楽しみながら、ちびちびと飲んでいくと、コトリとテーブルに湯のみを置く音が聞こえた。そして鈴が立ち上がった。
口に合わなかったかと、香りを楽しむために瞳を閉じていた。という事にして涙目の鈴を見ないようにしていた厚一が薄目を開けて彼女を見ると、何を思ったのか、制服の上着のボタンを外し始め、そのまま上着を脱ぎ捨てたのだった。小柄でもちゃんとある胸は最後の布によって守られているが。いったい何が起こっているのか厚一には理解が追いつかなかった。
そのまま鈴はゆらりと幽鬼の様な足取りで厚一の前に来ると、そのまましゃがんで厚一の胸に凭れ掛かって来たのだった。
「り、鈴…?」
「やっぱりあたしって、魅力ないのかな……」
耳を凝らしていても聞こえるかどうかという程の声量で放たれた声に、厚一は紅茶の入った湯呑を取り敢えず脇に置いて、鈴の頭を撫でながら、背中を優しくぽんっぽんっと、泣いている子供をあやすように叩いてやると、次第に肩を震わせた鈴は声を押し殺して厚一の服にしがみついてその胸に顔を押し付けながら泣き始めてしまったのだった。
◇◇◇◇◇
たっぷり30分は泣いた鈴が落ち着いたころに厚一は鈴に何があったのか訊き始めた。
「一夏が、約束を覚えてなかったの」
「約束…?」
それはまだ一夏も鈴も中学生の頃の、小さな女の子の精一杯の勇気を振り絞った。
ちいさくてとてもたいせつなおはなし。
その頃の一夏はよく鈴の親が経営していた中華料理店に通っていたらしい。
そして一夏の事が好きだった鈴は勇気を出して、料理が出来る様になったら毎日酢豚を作るという約束をしたという事だ。
だが、今日。つい少し前。厚一の背中に鈴が追突した原因はそこに在った。
鈴のそれはある意味一生分の勇気を振り絞っただろう告白。
だが一夏はご馳走してくれるという意味で受け取ってしまっていた事だ。しかも、奢ってくれるとまで鈴に言ってしまい、内容まで若干覚えていなかったというのがトドメだった。
つまり味噌汁を毎日作ってくれと言う告白の変化球だが、それでもその時の鈴にはそれで精一杯だったんだろう。
「じゃあ、もう鈴はどうすれば良いか、わかってるよね?」
「…うん」
厚一の胸から膝に頭を移してうつ伏せになっている鈴の頭を絶えず撫でたり手櫛で髪を梳いたりして、背中も一定のリズムで変わらずに叩いていた。
それはとても心地が良くて、色々な感情でぐちゃぐちゃになってしまった鈴の心を温かく包んでいた。
「一夏がああなのはもうすぐにはどうにもならないから、はっきり言うしかないよ」
「そうね。あいつ、中学の頃だって告白してきた女の子に、付き合ってくださいって言葉を買い物に付き合ってくださいって意味に曲解したのよ!? あり得ないってば! どんだけバカなのよっ」
「でも好きなんでしょ?」
「うっ、う~~~~~っっ」
「あはは」
横に向いた顔で厚一を見上げていた鈴はその返しに恥ずかしくなって厚一の膝の間に顔をうつ伏せに埋めて唸りだした。
そんな姿が可愛らしくて、厚一は笑った。
「さ、いつまでもこんな格好してたらダメだよ。こういう格好は、好きな相手の前でして上げないとね」
「……いいもん」
「え?」
耳を赤くするくらい恥ずかしかったのか、それとも自分の恰好を指摘されて恥ずかしくなったのかわからないが、それでもまた顔を半分だけ横にして鈴は厚一を見上げた。
「…速水さんなら、いいって、言ったの」
「はい?」
流石に何を言われているのか言葉は理解できても意味がわからなかった。
「速水さんなら大丈夫ってわかるから」
「おれも一応男なんだけど…」
苦笑いを浮かべながら今一言葉の意味が見えてこずに頬を掻く厚一。つまりどういうことなのだろうか。
「いいじゃん。現役女子高生に甘えられてるんだから…」
「そこは普通おれが甘える立場とかじゃないの?」
「速水さんってロリコン?」
「鈴ってコンプレックス抱くクセに確信犯だよね?」
「そりゃ、一応自分の身体の事くらいわかってるもん」
「そう。でも魅力は大きさだけじゃないと思うけどね。バランスが大事だし、控えめな方が好きな人も居るよ」
「でも大抵は大きな方を向くじゃない」
「あれは母性回帰と目立つ部分だからしょうがないんじゃないかな。でも鈴は小柄でも可愛いんだから大丈夫だよ」
「ほんと? あたしでも魅力ってある?」
「あるよ。元気な所。サバサバしてるから付き合いやすい所。こんな風に甘える所。ツインテールもポイントは高いと思うよ」
「じゃあ、どうやったらあの朴念仁落とせると思う?」
「織斑君の好みはわからないけど、いっそストレートに結婚を前提に付き合ってくださいって言わないとダメだと思う」
「うっ、やっぱりそこまでやらないとダメか…」
「やっぱり恥ずかしい?」
「そりゃあ、まぁ、うん」
「くすくす、大胆なのにやっぱり女の子だね」
「なによ! どうせあたしは感情がコントロールできないガキよっ」
「ごめんごめん。でも、そういう所も含めて、おれは鈴が好きだなぁ」
「ありがと。アイツも速水さんみたいに察しが良いやつならこんなに苦労しないのに」
「でもそれが織斑君だからね。だからこんなところでも上手くやって行けてるんだと思う」
「速水さんだってそれは同じじゃん」
「おれはホラ、一応大人だから」
「大人ねぇ。…大人なら、なんで相手が好きなのに別れたりするんだろう」
「大人の世界も色々あるんだよ。好きでも自分が身近にいたら相手を不幸にしてしまうかも知れない。已むに已まれない事情があるのかもしれない。相手が好きだから、大切だから、遠ざけるってこともあるのが人だからね」
「速水さんにもそういう事があったの?」
「んや。おれは恋愛処女だよ。これは友達とか少女漫画とかの受け売り」
「ぷぷ、なにそれ、ちょっとカッコイイと思ったのにがっかり」
「まぁ、最後まで格好がつかなくても構わないよ」
厚一は鈴の頭から手を放して自分の制服の上着を脱ぎ、鈴の身体に掛けながら肩を掴んで身を起させた。
涙で目元が赤くなっているが、それでも元気な鈴の顔がそこにはあった。
「鈴が元気になったら、それでね」
「…一夏が好きじゃなかったら速水さんに惚れてたかも」
「あはは。おじさんには光栄な言葉だね。さ、お風呂貸してあげるから顔とか洗ってきなよ。もう良い時間だからね」
「うん。…ありがと」
そう感謝しながらはにかむ鈴を見て、厚一も笑顔で返事を返した。
「どういたしまして」
◇◇◇◇◇
翌朝。クラス対抗トーナメントの対戦相手が発表され、申し合わせたかのように1組代表の一夏と、2組代表の鈴の対戦カードが組まれていた。
「よかったの? 鈴の事探してたみたいだよ?」
「いいの! 女の子との約束を覚えてない男の風上にも置けないバカ一夏はしばらくムシしてやるっ」
その日の厚一は昼を屋上で食べていた。鈴が誘って、彼女の手料理の酢豚を食べていた。甘辛で丁度良い酸味か箸を進ませた。肉も軟らかくて、なのに野菜類はしゃきしゃき感が消えていない。
作り方を教えて貰いたいくらいだったが、花嫁道具のレシピを教えてなどとは言えなかったので断念した。
「ご馳走さま。美味しかったよ」
「お粗末様。当然よ、一夏に目に物見せたくて必死で練習したんだもの」
「なのにおれに食べさせちゃって良かったの?」
「いいの! 速水さんは別だから」
そう言って弁当箱を片付けた鈴は、屋上の芝生の上で正座で座っていた厚一の膝に寝転がって頭を乗せた。
「鈴?」
「頭、撫でて」
「あはは。りょーかい」
「んっ」
酢豚をご馳走になったお礼にこれくらいならば構わないと、厚一は鈴の頭を撫でた。撫でるだけでなく手櫛で髪を梳く。これが好きなのは昨日の時点で厚一は見抜いていた。
「んー…。気持ちいい。速水さんの手ってヤバいわね」
「そうかな? 普通だと思うけど」
「気持ちよくて溶けそう……」
まるで猫みたいだと思いながら、昼の予鈴が鳴るまでそのまま海から吹く風を感じながら静かな時間を過ごすのだった。
その日の放課後。訓練を終えて部屋に戻って来た厚一だったが、部屋のドアがノックされて開けてみれば、物凄い不機嫌で今にも泣きそうな鈴が立っていたので、また紅茶を淹れる事になった。
一夏に反省の色なし。さらには鈴を貧乳呼ばわりしたらしい。
いや鈴はこの身体にして丁度良い大きさの胸だと思う厚一だったのだが。
「あの箒だかモップだか知らないけど、あの子見れば足りないって思うじゃない!」
「あー、うん。まぁ…」
と言われて箒の事を思い出す厚一。確かに箒も普段の制服姿や、先日のISを纏っている時のISスーツではっきりした大きさを見ると高校生であれは大きすぎるとも思わなくもない。それを言うならセシリアくらいの大きさで充分であるとは思うし、人それぞれの身体にあった大きさという物はある。
その中に一部例外として真耶を思い浮かべたが、それは仕方がない。あれは凶器だ。
「速水さんも大きい方が好きなんでしょ?」
「好きというか。目は行くけど、相手それぞれだからどうとも。もし鈴と付き合うことになったとしても今のままでおれは構わないと思う」
「やっぱ速水さんはあのバカと違って乙女心がわかってるわね」
「主夫だからね」
「関係ある? それ」
「さぁ?」
取り敢えず喋る事でささくれた乙女の心は元気になったらしい。
そしてクラス対抗戦当日。一年生の全生徒がアリーナに集まっていた。
厚一は専用機持ちという事で特等席であるピットの中のモニターで観戦する事が許された。それは同じく専用機持ちのセシリアや、一夏に着いてきた箒もピットに入っていたが。
厚一は一夏の側のピットではなく、鈴が待機してる方のピットに姿があった。
「あれ、速水さんじゃん。どうしたの? もしかして敵情視察?」
「まさか。ただ今日は恋する女の子の味方なんだ」
「ぷっ、似合わないセリフ」
「うん。自分で言ってみてそう思った」
「そっ。でもありがと。ここで一夏の奴をギャフンと言わせるところ見ててよ」
「うん。行ってらっしゃい、鈴」
タッチを交わしてISを纏って飛んで行く鈴の背中を、その勝利を信じて見送った。
1組の厚一が2組の鈴を応援するのは裏切りなのだが、それでも個人的に応援するくらいの自由はあってしかるべきだ。
「こちらにいらっしゃいましたのね。随分と探しましたわ」
「オルコットさん? どうかしたの」
「いいえ。あちらのピットに速水さんの姿が見られませんでしたので」
「そう。なんだか悪いことしちゃったね」
「構いませんわ。速水さんが何処に居ようともそれは速水さんの自由ですもの」
「うん。ありがとう」
何処に居ても自由。
何気ない言葉だったのかもしれない。だが、果たして自分に自由などあるのだろうか。
IS学園という如何なる国の干渉も受けない場所であるからこうして自由に過ごせているのだろう。
だが、この学園から一歩外に出た時は?
そこには唯の速水厚一という無力な人間が居るだけだ。
国が本気になれば一個人の人生など簡単に消せるのだ。
「…申し訳ありません。失言でしたわ」
「そんなことないよ。ごめんね」
そんな事を考えてしまった厚一の内心を察したセシリアが謝罪するものの、そういう事を察せさせた自らの脇の甘さこそ過失であったと謝る。
「速水さんはこの試合をどう見ますか?」
「能力的には鈴が上だろうね。単純なISの搭乗時間に1年で代表候補生になった才能と実力。たぶん鈴は感覚でISを動かしてるタイプだ。それでもって近接戦闘型。属性が織斑君と丸被りだ。一撃必殺の刃も当たらなければどうってこともない」
「あれを捌いた方の意見は説得力がありますわね」
実際捌けずに大ダメージを負って引き分けたセシリア。自分の身に触れさせなかった厚一。実感の籠った分析だった。
「オルコットさんはどう見るの?」
先日の放課後に一夏と共に居る光景を目の当たりにしたので、少なからず一夏にも何かしらの指導をしているのではないかと厚一は見ていた。
「一応隠し玉は用意してありましてよ。ただあとはタイミングですが」
「
「あら、わかっても種明かしが早くては面白味が欠けてしまいますわ」
「あはは。ごめん。でもそうなると5分ってところだね」
瞬時加速と零落白夜の組み合わせはそれこそ国家代表時代の千冬と同じ組み合わせである。
あとは使うタイミング次第で勝ちを拾える可能性はある。
モニターでは既に一夏と鈴による試合が始まっていた。
ブレードと青龍刀が激しくぶつかり合って火花を散らしていた。
「なかなかやるわね。反応速度は悪くないみたい」
「当たり前だ。剣の間合いで負けられるかよ」
「そういえばそうね。千冬さんと同じステージだもんね。でもチャンバラやるだけがISじゃないのよ!」
幾度か打ち合い反応速度を計った鈴は次の行動に移った。
鈴のISである
「今のはジャブだからね」
「っ、なんだ今の…」
一夏からすれば見えない何かにいきなり殴られて吹き飛ばされた気分だった。
「衝撃砲?」
「空間自体に圧力をかけて砲身を生成。余剰で生じる衝撃それ自体を砲弾として放つ。わたくしのブルー・ティアーズと同じく第三世代兵装ですわ」
「砲身どころか砲撃が見えない。クロスレンジじゃ相手にしたくないなぁ」
とはいえ見えないのならば見えるようにする方法はある。
そう考えている厚一の横顔を見るセシリアは既に鈴を攻略する方法を考えているのだろう。気が早いかもしれないが、それでも仮想敵としてイメージトレーニングをする事は大事なことだ。
ISに乗る事で開花する才能。もし厚一が女であれば苦労する事もなく気楽なぽやっとスクールライフも送れたのだろうが。それはもしもの話。故に獲物を狩るような獰猛さの見え隠れする表情でモニターを観戦する厚一を痛々しくも思う。
何せ、厚一は戦わなければ生き残れないのだから。生き残る為に戦わなければならないのだから。
試合は鈴がクロスレンジでの衝撃砲を放つことで優勢に進み、一夏は劣勢に進んでいた。
どうしても近づかなければ攻撃が出来ない一夏であるが、攻撃を受け止められ、そして受け流され、衝撃砲を撃ち込まれる。なんども攻めても最終的な運びはその様に反撃されてしまう。
どう攻略すれば良いのかという物が一夏には思いつかなかった。タイミングを計ろうにも、零落白夜は諸刃の剣だ。相手のシールドエネルギーを直接切り、絶対防御を発動させ、シールドエネルギーを大幅に消耗させる代わりにその発動中は自らのシールドエネルギーも消費するのだ。
故に使いどころが難しいが一撃必殺なのは間違いない。
それで天下を姉は取ったのだ。
同じ血が流れている自分が出来ないはずがない。千冬に比べて自分は遥かに劣っていても、条件は同じ。あとはその瞬間まで粘り続けて絶対に勝つという想いだけは負けない事だと一夏は考えていた。
「…一夏の空気が変わった。仕掛ける気だね」
「え?」
鈴の攻略法を考えながらも、厚一は一夏の動きも見ていた。クラス代表決定戦で戦った時よりも格段に動きにキレがあった。そして瞬時加速を手に入れたのなら、タイミングさえ合えば試合をひっくり返せる可能性は充分にある。そして一夏の顔が変わったのを厚一は見逃さなかった。
そして、仕掛けようとする一夏を制止する様にアリーナに大爆発と振動が響き渡った。
「なっ!?」
「なんですの!?」
その光景とピットにまで響いた地響きに、セシリアと厚一は座っていた待機用のベンチから立ち上がった。
「織斑先生」
緊急事態だと把握した厚一はすぐさま管制室の千冬に通信を入れた。今日のクラス代表選で監督として管制室に詰めているのは知っていた。
『此方でも把握している。侵入者だ、それとアリーナの遮断シールドが最大レベルで設定されてここは陸の孤島になった』
「加えて緊急用シャッターも降りてますね。これじゃあ逃げられない」
『そういう事だ。今現在上級生と教員で解除を試みているが時間が掛かる。制圧部隊の投入もまた然りだ』
「ピットはおっぴろげですけどね」
『なんだと?』
厚一の言う通り、ピットは遮断シールドも緊急用シャッターも降りていない。ただし、アリーナの中に向かうのにはという条件が付いているが。
「中に入ってふたりを援護、回収。或いは制圧部隊突入までの時間稼ぎを提案します」
『ダメだ。最悪の場合援護に向かう側をも危険に晒す可能性も高い』
「とはいえ自分の方が織斑一夏よりも動けるのは確かです。さらに言えば白式は致命的に遅延戦闘には向いていません。それでは凰 鈴音も危険に晒すことになります。そうなれば日本の国際情勢的によろしくないのではありませんか?」
『速水、きさま…』
「速水さん…っ」
厚一の言葉を聞いていた千冬とセシリアにはなにを考えているのか充分に理解できた。
日本の立場を守り、更に有益な存在を守る為にも、無価値な自分を投入して制圧部隊到着までの捨て石にしろということなのだ。
『バカなことを言うな。お前もひとりの生徒だろうが』
「二兎を追う者は事を仕損じますよ?」
既に厚一はラファール・リヴァイヴを展開し、機体を包む大型シールドまで展開している。
「待ってください! わたくしも共に」
「オルコットは待機。要救助者収容と同時に追撃者への警戒を厳に」
ただ冷たく厚一はセシリアの言葉を遮り、
その背を直ぐに追いたかったセシリアであるが、足が床に貼りついたように動かなかったのだ。気づけば胸の前で組まれた手がカタカタと震えていたのだ。
まるでいつもの厚一などはじめからどこにもいなかったかのように、能面の様な表情とどす黒い闇を携えた瞳に恐怖してしまったのだ。
アリーナに入った厚一はすぐさま地表で空に向かってドカドカビームを連射している侵入者に向けて突進した。
黒く、両腕が異様に太く、頭部も複眼カメラという異形のISに向かって。
「速水さん!?」
「え? なんで速水さんが居んの!?」
謎のISに向けて一直線に向かって行くラファール・リヴァイヴ。それの操縦者が厚一だと表示されると直ぐに一夏と鈴のISに通信が入った。
『お二人とも、速水さんが時間を稼いでいる内にこちらのピットに逃げ込んでください!』
「な、セシリア!? 速水さんを置いて行けってのかよ!」
「…それしかないって事ね」
「鈴!?」
「よく考えなさい! あんたのエネルギーはほとんど残ってないんだから足手まといでしょうが」
「それでもエネルギーが無いわけじゃない!」
「そんな状態でどう戦おうっていうのよ!」
『言い争いをしている場合ではございませんでしてよ! ここは一度戻って態勢を立て直さなければなりませんわ』
「だからって速水さんだけ置いて退けるかっ」
頑なに退こうとしない一夏に鈴は怒りが募っていた。
正面からミドルレンジで次々と武装を展開して弾丸嵐を浴びせているものの、シールドバリア―を貫通できていないのか謎のISはビクともせずに厚一のラファールに向かってビームを浴びせている。
その間にも視線がチラチラとこちらを向いているのをハイパーセンサーで確認している。
「ここは逃げんのよ! あたしたちが居るから速水さんも気になって集中して戦えてないのわかんないの!?」
「っ、くっ!!」
「あ、ちょっと待ちなさいってば一夏!!」
『織斑さん!?』
鈴の制止を振り切って、一夏は厚一のもとに向かった。
なんで同じ男で、同じ期間しかISに乗っていなくて、それでいて第二世代のISで戦っている厚一を置いて、どんなISでも一撃で斬り伏せられる自分が逃げなければならないのか。
確かにシールドエネルギーは鈴との戦いで消耗している。そう長くは戦えないだろう。それでも戦えなくなる前に相手を力を合わせて倒せば良いはずだ。一夏はそう考えていた。
「うおおおおおっ!!」
「一夏!?」
謎のISに切りかかる一夏だったが、間合いに入る前にISが気づき、その砲口を一夏の白式へと向けた。
攻撃をギリギリで回避し、零落白夜を叩き込む。
その為に加速した一夏の目の前に割って入る影があった。
「速水さん!?」
ビームがISから放たれ、それを腕のシールドで受ける。
「っ…」
そのまま厚一は一夏に目もくれずにISに向かって瞬時加速で間合いを詰めた。
再びビームが放たれるが、それをまたシールドで受けるものの二発目には耐えられずに、腕の実体シールドが砕け散り、さらに直撃を受けたビームの爆発の中に厚一のラファールが消える。
「速水さん!!」
叫ぶ一夏であったが、爆煙の中を肩のシールドをパージした厚一のラファールが突き抜けて行く。
「でええええええあああっ!!!!」
そして砕け散ったシールドの内部に伏せられていたパイルバンカーを、ISへと突き刺し――。
「っ――!!」
ISの巨大な腕が木端の様に厚一のラファールを撲り飛ばした。
地面を転がり、アリーナの壁にぶつかって漸く止まるラファールは遠目から見ても火花を散らしていた。
「あっ…」
「一夏!!」
ラファールを撲り飛ばしたISが、一夏の方へ向き直る。
一夏の頭で再生される、撲り飛ばされるラファールの姿。そして壁に激突し、火花を散らす機体。
自分より強くて、目標で、いつか戦って今度こそは勝つと決めていた男が、あっさりとやられた。
その現実を、一夏は受け止められなかった。
呆けている一夏の前に出る鈴だが、ビームの直撃を受けてどうなるのか想像はしたくなかった。明らかに競技用の威力ではない。それに当たれば絶対防御があるとはいえ、生きた心地はしないだろう。
「なにぼさっと突っ立ってるのよ!! はやく逃げなさいよっ」
「っぁ、ぇ、ぁ…」
ショックで戦意が喪失するのはまだ良い。だが受け入れがたい現実に意識が受け止めきれずに身体が動きを止めてしまっているという最悪の状況だ。
「っ――!?」
ロックオン警報。狙われている。わかっていても動けば一夏が危ない。
青龍刀である
ビームが放たれる瞬間。ISが爆発し、よろけてその狙いがズレる。
大型のロングレンジカノンを構えた厚一のラファールがISを撃ったのだ。
「鈴!!」
厚一は一言叫んだ。その意図を理解して一夏を担ぎ上げて指定されたピットにまで飛ぶ。するとピットの射出口にも非常用のシャッターが降ろされた。
「そんな……」
ISを展開して待機していたセシリアの呟きが静かに響いた。
「ちょ、なんで閉まっちゃうのよ!!」
「わたくしにもわかりませんわ!!」
一夏を担ぎ込んだら戻ろうとしていた鈴と、せめてピットから援護射撃しようと思っていたセシリアもアリーナから締め出されてしまった。
「…速水さんは……」
そうぼそりと呟いた一夏の言葉に、鈴とセシリアはアリーナを移すモニターを見た。
そこにはビームの弾幕を回避し続ける厚一のラファールの姿が映し出されていた。
(ようやく、か…)
これでどこに攻撃が飛ぶのか集中することが出来る。地面を蹴り、レーザーよりも速度は避けやすいビームを回避するものの、威力が高い証拠に内包する熱量の多さに機体の装甲が焦げて行く。それと同時にシールドエネルギーも減る。
「読まれてる…」
此方の回避行動が読まれている。回避した先に厭らしくビームが飛んでくる。
「此方の呼吸も読まれてる…」
行けると思った瞬間に踏み込もうとすると的確にビーム攻撃で邪魔される。
間違いなく相手は此方のデータを持っている。いったいどこから漏れたのか。無人機が賢いAIを積んでいたとしても、蓄積データがなければこちらの動きにすべて的確に対処して来るわけがない。
「…違う。読めないパターンがある」
此方は人間だ。その場で即座に動きを変える事も出来る。いくつかの回避パターンが読まれていないのを確認する。
「織斑先生の動きはダメだ。山田先生の動きも読まれてる…。でも」
読まれていないのは鈴とセシリアの動きだ。
それも先日セシリアとの訓練で見た動きは反応が鈍る。鈴の動きも少し反応が鈍い物の、対処が早いのはおそらくサンプリングは試合が始まってからされていた可能性があること。
相手は学習型のAIで、此方が手数を見せれば見せる程に対処して来る。既にセシリアの動きにも対応し始めた。
使える動きを掛け合わせても対処されるだろう。
となると、今自分はここから自分だけの戦術で、しかも一発でキメてあのISを黙らせなければならないというのだ。
ハードモードもいい加減にしろと言いたくなるが。
やらなければ死ぬのだ。ならやるだけだ。
いつだってそうだ。生きる為には戦わなければならない。でなければ待っているのは死だ。
切り刻まれるのも、
焼かれるのも、
潰されるのも、
折れるのも、
すべて経験してきた。
生きる為に――。
「おれの死はお前じゃない」
地面を蹴ってアリーナを駆け抜ける。脚部駆動系にイエロー・アラート、無視――。
右カスタム・ウィング破損、無視――。
右腕装甲破損、無視――。
リボルビング・ステーク、残弾6。予備弾倉2。
不安と恐怖でいっぱいだった。
いつお払い箱にされるのかという恐怖。
いつ自分は連れていかれるのかという不安。
だから生きる為に求めたのは、地位――。
簡単には手を出せない様な功績。名誉。名声。何でもいい。
あぁ、自分が酷く厭になる。
平凡でいたかった。でも唯の平凡では本当に意味がない。
非凡な才能を持つ凡人。
そんな矛盾した存在が普通に生きていられるのか。
ただ生きたいだけなのに。
でも、やらなければならない。
安らかに、穏やかに、不安もなく生きる為に。
どんな権力でも叩き潰せる様な地位を、権力を。
その時こそ、本当に生きる為の未来が保障される。
だから男性IS操縦者というスタートはとても未来がある。
だから、だから、だから――。
「お前を殺すのは僕だ――」
今は生きる事だけを考えよう。
近接ブレードを左手に装備し、懐に入り込んで刃を振り上げる。下からの切り上げだ。
それによってISの体勢を崩す。
パイルバンカーを突き刺す動作を見せると反応して身を逸らす。やはりこちらの動きを学習している。厄介なAIだが。
「食らって貰うっ」
パイルバンカーを装備した右腕の内側に装備していたウィンチ・ユニットからワイヤーを射出してISの首に巻きつけると、ワイヤーを高速で巻き取り無理やりにその頭部へパイルバンカーが食い込む状況を作り出す。
「全弾もってけぇぇぇっ!!」
一発撃ち放ち、体勢が崩れた所に機体を組みつかせて地面に押し倒すようにスラスターを噴かしながら再び頭部に二発目を放つ。
その勢いで完全に地面に倒れたISに向けて続けて三発目を放つ。四発、五発、六発。
動かなくなったISの胸部装甲を無理やり引き千切る。
露わになった内部にスピードローターで装填したパイルバンカーを撃ち抜く。
内装部品が一発ごとに弾け飛ぶ。
また六発全弾撃ち込んだところで、ISコアを見つけ、それを手に取り引き摺りだす。
すると今まで動かなかったISが急に暴れ出した。じたばたと、まるで大切な命が取られることを嫌がる生き物の様に。
暴れる四肢を、こちらも両腕と両脚で抑えつけ、コアが配線に引かれて戻ろうとするのを口で噛みつく。
口の中までISが守ってくれるかの保証などないが、それでも配線に噛みついて力尽くで引き出す。まるで心臓の血管の様に絡むコード類を引き千切り、ハイパーセンサーでISが完全停止したのを確認して。
アリーナの地面に仰向けに寝転んだ。
◇◇◇◇◇
「っ――ぐっ」
また、悪夢を見た。
それで飛び起きようとした所に身体の彼方此方が痛んだ。
「……知らない天井だ」
そんなことを呟いて、自分に何が起こったのかを思い出す。
侵入したISを単独で迎撃した。
結果的に倒せたとはいえ、命令無視に無断でのISの使用だ。
緊急時の対応事項に当て嵌まるとはいえ、さすがに教員の指示を無視したのは始末書ものだろう。
「それでも……生きてる」
右腕を伸ばせば包帯が巻かれていた。痛みから火傷の類だと見当がついた。
クラス対抗戦から三日が経っていた。そこまでの深い傷だったのだろうか。
身体を起こすと医務室の先生がびっくりした様子で検診を始め、どこかに連絡した。
すると数分して千冬がやって来た。
「気分はどうだ?」
「…どうでしょうね」
「そうか」
そのまま頭部に重い拳を頂いた。
「っ˝、お˝お˝お˝お˝っっっ」
あまりの痛さに今まで出したこともない呻き声を出せてしまった。
「教師の指示を聞かんからだ馬鹿者」
「あ、あははは」
「笑って誤魔化すな」
頬を掻いて誤魔化していると、パタパタと忙しく走るような音が聞こえてくる。そしてガラッと医務室のドアが開かれ――。
「速水さん!!」
スッと身体を退けた千冬の影から飛び出してきた凶器に呼吸器官が塞がれてしまう。
「よかったぁぁぁ、よかったですよぉぉぉっ。とおおおっっっても、心配したんですからあああっっ」
声からして涙でぐしゃぐしゃなのだろう真耶の姿を簡単に想像出来る厚一であるが、さすがに口まで塞がっているとどうにも出来ないので、頭を抱きしめている真耶の腕をタップする。
「ぷはっ。はぁ、…。おはようございます、山田先生」
「はい。おはようございます、速水さん。って、そうじゃないですよ! いったいどれだけ心配して気が気でなかったか――」
そのまま30分程説教をされた。気づいたら千冬はいなくなっていた。
「――というわけですから、次からはあんな無茶はしてはいけませんっ。いいですね?」
「はい…」
泣きながら説教されるという忙しくも心に響く言葉にダメージを受けながらどうにか返事を返せた厚一の鼻孔を、ふわりと軟らかい香りが包んだ。
「本当に、よかった…」
それが真耶に抱きしめられている事を理解するのに2秒の時間を要した。
「ごめんなさい」
だから心配させた真耶に謝る事しか厚一には出来なかった。
「それは私よりも、心配させて待たせたクラスのみんなに言ってください」
「はい…っ」
目元を腫らしながら笑顔を作る真耶に、厚一も笑顔を作って答える。
大きなケガは右腕の火傷であるらしく、その他にもISに殴られた胸に青あざが出来てしまっているという事だった。さらしみたいに包帯が巻いてあったのはそういう事だったのかと納得する。
一応立って歩く分には問題ないので、腕の保護を兼ねて右腕は暫くは吊り下げて生活する事になりそうである。骨折したわけでもないのに大げさなのだが、擦れると痛いので確かに庇うのに気を使うよりもわかりやすい処置だった。
なんでも肉が焦げてISのパーツに貼り着いていて外すのに苦労したのだとか。
一応ダメな部分は切除して人工皮膚を移植されたという事だった。消えない傷になるそうだが、元々腕を出すようなファッションは好まない質なのでひと肌に晒すこともないだろう。
真耶に付き添われて、教室に向かった厚一は休み時間になったと同時に教室のドアを開けた。
そうすると教室中の注目を浴びる事になる。
「…た、ただいま」
沈黙が流れ、最初に反応したのは一夏だった。
ゆらりと席を立ち、うつむき加減で厚一に近寄ると、ガバッと抱きしめられた。
正直腕がこすれる上に胸が圧迫されて悲鳴を上げたい程に痛かったのだが。
「っ、っぅっ、よかった、…よかったっ」
自分の周りの人間はいつから涙脆くなったのだろうかと思いながら、左腕を背中に回しながら、後頭部を撫でる様に抱きしめてやる。
「ケガはない?」
「っ、けがをしているのは、どっちですかぁぁ」
「うん。でも、織斑君が無事ならよかった」
「ほんとうに、もうすこしじぶんのしんぱいをしてくださいよぉっ」
「うん。大丈夫、生きてるから」
「そうじゃないでしょぉ…っ」
肩に顔を埋めて泣いている一夏の頭を撫でながら、そのまま泣き止むまで待つものの、次の授業の予鈴で肩をビクつかせて跳ねた一夏が今度もガバッと身体を離した。
「っ、本当に、すみませんでしたっ」
そして綺麗に90度の角度を描いて頭を下げてきた。
「責任取って看病しますから、なんでも言ってください!!」
「あ、うん。ありがとう」
左手を両手で握りしめられて、ズイっと顔を近づけられてそんなことを言われた。
いつ織斑弟√なんて開拓したのだろうかと、厚一は首を傾げそうになった。
そして特別措置として、厚一の席は教室の中央から最前列の一夏の隣になって、机もくっつけるという事にまで発展するものの、ものの一時限で一夏は勉学方面では役に立たないことが露呈し、結局はセシリアの隣に移動する事になった。
「腕の方はよろしいのですか?」
「うん。火傷だからね」
「そうですか。そして、申し訳ございませんでした。あの時無理にでもわたくしも随伴していればこのような事には」
「あの時待っててって言ったのはおれだもの。オルコットさんは悪くないよ」
「ですが…」
この三日間。セシリアも気が気ではなかった。表面的にはいつも通りだったが。それは演じていた事で、本国での外行の仮面を被っていた事でどうにか平静を保てていた。
しかし一夏は酷いものだった。心ここにあらずというという程に半分生ける屍だった。
自分が意固地になっていう事を聞かなかった所為で厚一がケガを負ったと思い込んでしまい、周りがどう励ましても反応が薄かった。
それが厚一が戻ってくるとウソの様に元気になった。
だが現金なのは自分もそうだとセシリアは思っていた。
「本当に、心配いたしましたわ」
「うん。ごめんね、オルコットさん」
いつも通りに笑顔を浮かべながら謝る厚一。右手が自由ならば頬でも掻いていただろう。
「織斑さんではありませんが、わたくしに出来る事がございましたらなんでも申してくださいまし。オルコット家の誇りに懸けて遂行させていただきますわ」
「あはは。ありがとう、オルコットさん」
そして笑って、軟らかく温かい笑みを浮かべてくれる厚一の存在が何よりも心を満たしてくれる感覚をセシリアは味わっていた。
昼休みになって、今度は嵐のような少女が噂を聞きつけて1組にやって来た。
「速水さん帰って来たって!?」
ばたばたばたと厚一の席にまで駆けて来て本人を目の前にしてペタペタと身体中を触って満足したのか、ホッと息を着いた鈴。
「取り敢えず無事そうで安心したわ」
「うん。心配かけてごめんね、鈴」
「まったくよ。一夏をボッシュートしたら戻るはずだったのにシャッター降りちゃうし、結局アリーナ出れたの夜よ夜! それも深夜! ホントもうまいっちゃったわよっ」
「それは災難だったね」
「だから無事に帰って来てくれて良かったってことよ」
「うん。ただいま」
タッチを交わして、そのまま昼食に食堂へ向かう事になった。メンバーは一夏、箒、セシリア、鈴、そして厚一といういつもの顔ぶれだった。
慣れない左利きに悪戦苦闘する厚一に一夏が昼食のドリアを食べさせたり、食器の片付けにはセシリアが動いたり、鈴は世間話に乗せてこの3日間の状況を厚一に伝えたりした。そんな中でひとりだけ箒だけは居心地が悪そうにしていた。
それも仕方がない。箒は一夏の付き添いであって、厚一との絡みはそこまであるわけではないのだから。
しかも今回厚一が大けがを負った理由はISなのだ。箒にとって身内の作った機械で他人が傷ついた事に等しいのだ。そんな負い目から端の方で遠慮していたのだが。
「篠ノ之さんも、お見舞い来てくれてありがとう」
「いや。私はただ、付き添いで」
厚一がケガを負って手術を終えた次の日に面会自体は可能だった為に、休み時間や放課後も厚一の見舞いに当てた一夏に付き添いで箒も医務室を訪れていたのだ。
その時に、事の重さと現実味を感じてしまって、厚一の顔がまともに見れなかったのだが、話しかけられれば相手の顔を見ないわけにはいかないというのは箒の性分だった。
そこには朗らかに笑う厚一の笑顔があった。
あんなことがあったのに何故笑っていられるんだと。問うことが出来るのならば問いたかったが、そんな空気ではなかった為、箒は言葉を呑み込んだ。
放課後。
厚一の姿は整備科にあった。例のISとの戦いで損傷したラファールの修理を依頼する為である。
整備科では学園の管理している訓練機を教材にして実習をしているのだが、厚一のラファールは教員カスタム仕様とはいえ基本構造は同じなので、修理はそこでされることになったのだ。
ちなみに寝ている間に修理に出されなかった理由としては、ISは操縦者の生命維持を第一として機能に組み込まれているために、そこらの計器よりも正確にバイタルチェックが出来る上に、容態が急変する様な場合でも搭乗者の健康を維持するからだ。その辺りは元々宇宙空間という過酷な環境で活動する為に開発されたために便利な機能として使われ続けている物だった。
そして厚一も退院し、漸く修理が出来るという事だった。
さすがに個人レベルで修理できるレベルではない為、更には派手にぶっ壊したという事もあって良い教材になるというのは千冬の言葉だった。
というわけでボロボロになったラファールを改めて前にしてしょんぼりする厚一を上級生になる女子たちが元気づけながら、折角なので修理風景を見せて欲しいと頼み込まれ、俄然やる気になった彼女らの作業効率はいつもより3割ほど向上したとかなんとか。
とはいえ放課後の短い時間で直ぐに修理できる損傷ではないので、数日は預けなければならないことを言われて物寂しくなるものの大切な相棒を綺麗にお色直しする為だとグッとこらえた。
そうして整備科という普段なら立ち寄る機会もまだないので見学している時だった。
薄暗い部屋で手元のディスプレイの灯りだけで何やら作業している女の子を発見した。
「こんばんわ」
「っ、ひゃ、っひゃい!?」
いきなり声を掛けたからだろう。女の子はびっくりして厚一を振り向いた。
「あ、ごめんね。驚かせちゃったね」
「あ、いえ。…速水、厚一、さん?」
「う、うん。そうだけど」
知らない女の子に名乗る前から名前を知られているという未だに慣れない事に、生返事になってしまう庶民の辛さであった。
ただ、女の子の見た目のイメージがどこかで見たような印象を蘇らせた。
「なにか、用ですか?」
「えっと、暗い所で何してるのかなぁって。それに目が悪くなっちゃうよ?」
「これくらいの光源があれば平気です」
「そう? なら良いんだけど」
どうもあまり歓迎されていないような様子だったので立ち去ろうと思ったものの、暗がりに慣れた厚一の目に映ったのは、ハンガーに固定されたISだった。
「IS? 見たことない機体だけど。もしかして専用機?」
「…ええ。打鉄弐式っていいます」
「打鉄の後継機かぁ。なんかカッコいいね」
そう厚一が言うと照明が点いて打鉄弐式の全容が露わになった。
「色は打鉄と同じなんだ。背中の非固定部位のあれってミサイルポッド? 6基8門の48? うわぁ、火力凄そう」
「でも、未完成…です、から」
「未完成? なのになんでここに…」
「……もう、良いですか?」
「あ、うん。ありがとう、見せてくれて」
「いえ…」
とはいえこれ以上は邪魔かと思って、厚一は踵を返した。
「あ、あの!」
「ん?」
「私、4組の
「1年1組速水厚一です。よろしくね、更識さん」
「…苗字では、呼ばれたくないので。名前で呼んでください」
「うん。わかった。じゃあまたね、簪さん」
自己紹介をして、いつもの様に笑顔を浮かべてから整備科をあとにした厚一。
そして更識と聞いて生徒会長の楯無を思い出したものの、帰る所に質問に戻るのも気恥ずかしかったのでまた今度でいいかと判断して寮に戻るのだった。