Fate/stay night 【select the fate】   作:柊悠弥

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第6話 『右腕、焼け跡』

 突如突風を身にまとい、セイバーと名乗った女性は姿を消した。

 彼女から聖杯戦争なんてものの概要を聞いたけれど、イマイチ信じきれなかった────が、こんなものを見せられ、あたしの身体の状況を鑑みれば、信じるしかないって話で。

 現にあの夜送り込まれた何か……魔力と呼ばれるらしい力の残滓は、あたしの身体を確実に蝕んでいる。

 

「ぁ、っ、は────────」

 

 セイバーさんがいなくなったことで、緊張の糸が切れたのかもしれない。息を荒げ、そのままの勢いで思わず畳に倒れこむ。

 身体が熱い。内側から『欲』が顔を出し、根を張り、あたしの身体を締め付けているような。

 

「あ、つ……」

 

 額から脂汗が流れ出す。首筋の傷が疼く。魔力を、血を求めて、あたしの声によく似た声が、頭の中で、叫びを上げている。

 

 ────ホシイ。ホシイノ。

 

「る、さい……!」

 

 気合いだとかそんなもので押しとどめられる限度は超えていた。疼きはその声に共鳴し、身体の自由を奪って行く。

 畳に爪を立て、奥歯を噛み締め、なんとか押し止まるので精一杯だった。

 けれど、幸い周りに今は人は居ない。誰かを襲い、その血をすすることはないだろうと────

 

「ただいまー……あれ、美綴さんだけ?」

 

 そんな安心は、慢心は、すぐさま突き崩された。

 戸惑いを浮かべる藤村先生と、不安と心配で揺れるその瞳。何かを告げる唇。

 そんなものには目は行かない。あたしの視線は、藤村先生の露出した首筋に吸い寄せられ、喉の渇きを潤すように、生唾を飲み下していた。

 

 ────オイシソウ。カブリツイテススレタノナラ、ドンナニシアワセダロウカ。

 

 ダメだ。それだけはいけない。

 いけない思考をかき消すように首を横に振り、必死に視線を、藤村先生から外す。だってのに。

 

「大丈夫、美綴さん……?」

 

 あろうことか、藤村先生は、あたしの目の前に跪き、あたしの顔を覗き込んで、

 

「────────ぁ、」

 

 あたしは、その身体を、勢い良く、押し倒した。

 

 ◇◆◇

 

「セイバー!」

 

 現れてすぐに現状を理解したセイバーは、青い残像を走せて不可視の剣を構え、未だ戸惑うライダーへと襲いかかる。

 

「ッ────!!」

 

 声もなく、地を揺るがすほどの踏み込みを加えた一刀。あたりに轟音を撒き散らしながら、刃はライダーへと襲いかかる。

 しかしライダーもサーヴァントだ。その斬撃を確かに感知し、両手に持った杭を交差させることでどうにか受け止め、バイザーの下からセイバーを睨みつけた。

 

「セイバー、ライダーは殺すなよ!」

「ええ、わかっています」

 

 返事を返しながらセイバーはすぐさま杭の隙間から剣を抜き、勢い良く膝を振り上げ、ライダーの腹部へとねじり込む。

 

「か、は────」

 

 ライダーの短い悲鳴が聞こえた。そのままの勢いでセイバーはその身を捻り、無防備になったライダーの横っ腹へと回転蹴りを叩き込む。

 

 ライダーはなすすべもなくその身体を吹き飛ばし、壁に背中を叩きつけた。

 セイバーはその様子を見送ることもない。

 自身の蹴りがライダーの芯を捉えたとわかるや否や、地を蹴り、慎二との距離を詰めて行く────。

 

「ひっ……や、やめろ!!」

 

 逃げられるはずもない。慎二は無様に尻餅をつき、桜から話に聞いていた『本』を必死に右手に握りしめながら、怯えた視線でセイバーを見上げることしかできない。

 不可視の剣先が慎二の目前へと構えられる。ライダーが再び立ち上がる様子はない。

 

 誰が見てもわかるだろう。勝負ありだと。しかし、

 

「ふ、ふざけるな衛宮……なに勝ったような表情してるんだよ。僕はまだ、終わってないぞ!!」

 

 慎二の瞳から戦意は消えない。

 

「最後にもう一度聞くぞ、慎二。マスター権を放棄する気は無いか?」

「無いね。手放してたまるか!!」

 

 慎二の唾を飛ばしながらの返事に思わず溜息。仕方ない、とばかりにセイバーに目配せをして。

 

「ならいい。セイバー、その本を斬り捨てろ。そのためなら腕ごと斬っても構わない」

「良いのですか、シロウ────彼はシロウの友人では」

「今は美綴の身が最優先だ。それに、慎二は美綴の人生を踏みにじったんだ。それくらいしても当然だろう」

 

 怯える慎二を他所に、小さく首を横に振る。

 するとセイバーは一瞬戸惑った様子だったが、すぐにその剣を振り上げ、

 

「やめ、やめろ……やめて────!!」

 

 その右腕を、叩き斬った。

 慎二の右腕は血を撒き散らしながら宙を舞い、ぼとり、と音を立てて本を地面にとり落す。

 あとはもう簡単だった。そのままセイバーはその本に剣を突き刺し引き裂いて。同時に本はひとりでに燃え出し、この世から存在を消す。

 

 そこに残されたのは地面にくっきりとついた焦げ跡と、腕を切り落とされ────それでもなおマスター権に固執しているのか、傷口を抑えながらその焦げ跡にすがりつく慎二の姿だった。

 

 ◇◆◇

 

 ぽたり、ぽたり、ぽたり。

 音を立てながら血液が滴り落ち、畳を赤く染めて行く。

 部屋には血液特有の生臭さが広がり始め、あたしの『欲』を駆り立てる。

 呼吸が浅い。フー、フー、と聞こえてくるそれは、まるで獣のようで。自分のモノとは思えない。

 

「美綴、さん……どうしたの?」

 

 痛みで自我が舞い戻る。戸惑いの視線で昂ぶった感情が静まり返る。

 なんとか自分の腕に噛み付くことで難を逃れたのだ。自分の血だと満足こそはできないけれど、藤村先生の血を啜るよりは、こっちの方がよっぽどマシだった。

 唇を離した右腕にはくっきりとあたしの歯型がついていて、今も血が滴り落ちている。

 

 もうこの場にはいられない。これ以上藤村先生と居たら、自分が自分で居られなくなるような気がして。

 

『私は、貴女を殺すしかない』

 

 あの言葉が離れてくれない。脳裏にこびりついて、何度も何度も何度も何度も反響して。まるで、あたしに言い聞かせるように。

 セイバーさんとしばらく話して、良い人だってのはわかった。でもあの目は、冗談でも何でもない。あの人はたぶん、あたしが本当にそう(、、)なってしまった場合、躊躇いもなく殺すだろう。

 

 あたしはまだ人間だ。まだ、戻ることができる。

 

 首を振り、立ち上がる。とりあえず、居間には居られない。

 

「美綴さん、本当に大丈夫……?」

「はい、大丈夫です。しばらく、ひとりにしてください」

 

 自分は人間だ。自分は人間だ────既に治り始めた右腕の傷から必死に目を逸らしながら、藤村先生の視線を背中に受けて歩いて行く。

 好意を無下にする申し訳なさに、胸を焼かれながら、足早に。


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