Fate/stay night 【select the fate】 作:柊悠弥
突如突風を身にまとい、セイバーと名乗った女性は姿を消した。
彼女から聖杯戦争なんてものの概要を聞いたけれど、イマイチ信じきれなかった────が、こんなものを見せられ、あたしの身体の状況を鑑みれば、信じるしかないって話で。
現にあの夜送り込まれた何か……魔力と呼ばれるらしい力の残滓は、あたしの身体を確実に蝕んでいる。
「ぁ、っ、は────────」
セイバーさんがいなくなったことで、緊張の糸が切れたのかもしれない。息を荒げ、そのままの勢いで思わず畳に倒れこむ。
身体が熱い。内側から『欲』が顔を出し、根を張り、あたしの身体を締め付けているような。
「あ、つ……」
額から脂汗が流れ出す。首筋の傷が疼く。魔力を、血を求めて、あたしの声によく似た声が、頭の中で、叫びを上げている。
────ホシイ。ホシイノ。
「る、さい……!」
気合いだとかそんなもので押しとどめられる限度は超えていた。疼きはその声に共鳴し、身体の自由を奪って行く。
畳に爪を立て、奥歯を噛み締め、なんとか押し止まるので精一杯だった。
けれど、幸い周りに今は人は居ない。誰かを襲い、その血をすすることはないだろうと────
「ただいまー……あれ、美綴さんだけ?」
そんな安心は、慢心は、すぐさま突き崩された。
戸惑いを浮かべる藤村先生と、不安と心配で揺れるその瞳。何かを告げる唇。
そんなものには目は行かない。あたしの視線は、藤村先生の露出した首筋に吸い寄せられ、喉の渇きを潤すように、生唾を飲み下していた。
────オイシソウ。カブリツイテススレタノナラ、ドンナニシアワセダロウカ。
ダメだ。それだけはいけない。
いけない思考をかき消すように首を横に振り、必死に視線を、藤村先生から外す。だってのに。
「大丈夫、美綴さん……?」
あろうことか、藤村先生は、あたしの目の前に跪き、あたしの顔を覗き込んで、
「────────ぁ、」
あたしは、その身体を、勢い良く、押し倒した。
◇◆◇
「セイバー!」
現れてすぐに現状を理解したセイバーは、青い残像を走せて不可視の剣を構え、未だ戸惑うライダーへと襲いかかる。
「ッ────!!」
声もなく、地を揺るがすほどの踏み込みを加えた一刀。あたりに轟音を撒き散らしながら、刃はライダーへと襲いかかる。
しかしライダーもサーヴァントだ。その斬撃を確かに感知し、両手に持った杭を交差させることでどうにか受け止め、バイザーの下からセイバーを睨みつけた。
「セイバー、ライダーは殺すなよ!」
「ええ、わかっています」
返事を返しながらセイバーはすぐさま杭の隙間から剣を抜き、勢い良く膝を振り上げ、ライダーの腹部へとねじり込む。
「か、は────」
ライダーの短い悲鳴が聞こえた。そのままの勢いでセイバーはその身を捻り、無防備になったライダーの横っ腹へと回転蹴りを叩き込む。
ライダーはなすすべもなくその身体を吹き飛ばし、壁に背中を叩きつけた。
セイバーはその様子を見送ることもない。
自身の蹴りがライダーの芯を捉えたとわかるや否や、地を蹴り、慎二との距離を詰めて行く────。
「ひっ……や、やめろ!!」
逃げられるはずもない。慎二は無様に尻餅をつき、桜から話に聞いていた『本』を必死に右手に握りしめながら、怯えた視線でセイバーを見上げることしかできない。
不可視の剣先が慎二の目前へと構えられる。ライダーが再び立ち上がる様子はない。
誰が見てもわかるだろう。勝負ありだと。しかし、
「ふ、ふざけるな衛宮……なに勝ったような表情してるんだよ。僕はまだ、終わってないぞ!!」
慎二の瞳から戦意は消えない。
「最後にもう一度聞くぞ、慎二。マスター権を放棄する気は無いか?」
「無いね。手放してたまるか!!」
慎二の唾を飛ばしながらの返事に思わず溜息。仕方ない、とばかりにセイバーに目配せをして。
「ならいい。セイバー、その本を斬り捨てろ。そのためなら腕ごと斬っても構わない」
「良いのですか、シロウ────彼はシロウの友人では」
「今は美綴の身が最優先だ。それに、慎二は美綴の人生を踏みにじったんだ。それくらいしても当然だろう」
怯える慎二を他所に、小さく首を横に振る。
するとセイバーは一瞬戸惑った様子だったが、すぐにその剣を振り上げ、
「やめ、やめろ……やめて────!!」
その右腕を、叩き斬った。
慎二の右腕は血を撒き散らしながら宙を舞い、ぼとり、と音を立てて本を地面にとり落す。
あとはもう簡単だった。そのままセイバーはその本に剣を突き刺し引き裂いて。同時に本はひとりでに燃え出し、この世から存在を消す。
そこに残されたのは地面にくっきりとついた焦げ跡と、腕を切り落とされ────それでもなおマスター権に固執しているのか、傷口を抑えながらその焦げ跡にすがりつく慎二の姿だった。
◇◆◇
ぽたり、ぽたり、ぽたり。
音を立てながら血液が滴り落ち、畳を赤く染めて行く。
部屋には血液特有の生臭さが広がり始め、あたしの『欲』を駆り立てる。
呼吸が浅い。フー、フー、と聞こえてくるそれは、まるで獣のようで。自分のモノとは思えない。
「美綴、さん……どうしたの?」
痛みで自我が舞い戻る。戸惑いの視線で昂ぶった感情が静まり返る。
なんとか自分の腕に噛み付くことで難を逃れたのだ。自分の血だと満足こそはできないけれど、藤村先生の血を啜るよりは、こっちの方がよっぽどマシだった。
唇を離した右腕にはくっきりとあたしの歯型がついていて、今も血が滴り落ちている。
もうこの場にはいられない。これ以上藤村先生と居たら、自分が自分で居られなくなるような気がして。
『私は、貴女を殺すしかない』
あの言葉が離れてくれない。脳裏にこびりついて、何度も何度も何度も何度も反響して。まるで、あたしに言い聞かせるように。
セイバーさんとしばらく話して、良い人だってのはわかった。でもあの目は、冗談でも何でもない。あの人はたぶん、あたしが本当に
あたしはまだ人間だ。まだ、戻ることができる。
首を振り、立ち上がる。とりあえず、居間には居られない。
「美綴さん、本当に大丈夫……?」
「はい、大丈夫です。しばらく、ひとりにしてください」
自分は人間だ。自分は人間だ────既に治り始めた右腕の傷から必死に目を逸らしながら、藤村先生の視線を背中に受けて歩いて行く。
好意を無下にする申し訳なさに、胸を焼かれながら、足早に。