ぽかぽかと暖かい春の陽気。
心地よい風も吹いていてこんな中で昼寝なんて出来たら最高だろうと思うそんな中で、俺こと楠木幸一はクラスメイト達と授業をあくびをしながら授業を受けていた。
「少し前まで鎌倉幕府設立は1192年でしたが改定して1185年になりました『良い箱作ろう鎌倉幕府』と覚えましょうね」
『良い箱作ろうってどんな箱だろ。桐の箱かな? 入れるのはメロンか、それとも肉か』等とアホな事を考えながらも小綺麗な字で黒板の文字や先生の話している内容で気になった点や重要そうな点をノートにまとめていた。成績はテストだけでなくノートも評価されるのだから少しでも良く書こうと俺を含めて誰もが必死だ。
現在は4時間目でもう少しすれば昼休み。メロンだ肉だと考えてたら腹が減った。昼休みは学食で肉を食う事にしよう。
そしてふと目線だけを横へ向き黒髪ロングの少女を見る。
久遠寺飛鳥。俺と同じ2年3組のクラスメイトにして俺の初恋の相手でもあり現在片思い中の相手でもある少女。容姿端麗で成績優秀と絵に描いたような優等生。しかしどのグループに属する事も無く鉄面皮で一日を過ごしていることから周囲から
惚れた理由はそれほど特別な事じゃあない。物静かに小説を読んでいるのを見ていたらいつの間にか目を離せなくなっていて、眼鏡をクイっと動かす動作が可愛くて、鉄面皮の彼女が時折見せる微笑みに俺の心がノックアウトされただけの事だ。
いきなり付き合うとまではいかなくともせめて友達くらいになりたいものだ。とりあえず彼女が読んでいる小説はあらかた買って熟読してみたが、どうやって話を切り出したものか。
――――やほやほ~聞こえてる~?
唐突に頭の中に何者かの声が聞こえる。それは子供なのか大人なのか、そして男性なのか女性なのか区別がつかない不思議な声。
俺は目をパチクリしながら周囲を見渡す。すると俺と似たような行動をしているクラスメイトがほとんどであった。先生でさえも板書を中断してこちら側を向いている。
「質問がある人は挙手してもらっていいかな?」
――――別に君に質問する気はないな~私は神様だし君より賢いよ~?
「!?」
――――ちなみにこれは幻聴じゃないからね~。
「ひっ!」
「な、なんだよこれ!?」
「み、みんな落ち着いて!」
1,2回くらいなら幻聴として片づけられたかもしれないがこうも立て続けに聞こえる。おまけにその現象がクラスメイト全員にあるとなればこれは現実なのだと認めざるを得なくなってくる。早くも数名がパニックになりかけていて先生はそれを止めるため、みんなに声をかけていた。
久遠寺もパニックにこそ陥っていないが、明らかに動揺していた。よく見ると身体が震えている。氷結姫といえどもまだ17歳の少女なのだ。こんな事態に陥ったら恐怖するに決まっている。俺だってこれからどうなってしまうのか不安で仕方ない。
――――いや~私の世界で魔王が暴れているせいで放置すると人間が絶滅しちゃうかもしれないんだよね~。これだとちょっとまずいからさ。君達が勇者になって私の世界を救っておくれよ。返答は『はい』か『イエス』か『ヤー』で受け付けているよ。
「なんだよそれ! 全部同じじゃないか!」
その通り。これじゃあこちらに拒否権なんてないも同然だ。
――――勿論タダでとは言わないさ。君達には君達の才能にあった能力を発現させてあげようじゃないか。そして魔王を倒してくれたあかつきには君達の望みを何でも叶えてあげよう。富、地位、名声、なんでも思うがままだ。
「か、勝手な事言わないで!」
「そ、そうだそうだ!」
クラスメイトの一部が勇気を振り絞って異世界の神とやらに抗議の声を上げている。抗議するだけならタダなのだと思い、俺も声を上げた。
「――――――! ―――――!?」
口は開くのだが言葉が出せなくなっている。周囲を見渡す限り、これも俺だけじゃなく他のみんなも同じ状態になっているようだ。
――――うるさいな~。これ以上騒がれると面倒だからさっさとこっちの世界に召喚しちゃうよ~。時間もないし面倒臭いしで詳しい説明は向こうで聞いてね~。
勝手に俺達を拉致するつもりの癖に詳しい説明は他人に丸投げだなんてどこまでも身勝手な神様だ。汚い言葉の一つでも飛ばしてやりたい気分だが、声が出ないせいでそれが叶わない。せめて心の中で罵倒しまくるとしよう。
――――それじゃあ魔王退治よろしくね~勇者たち。
教室の床が乳白色に輝きだし、そのまぶしさに思わず眼を瞑った。
光が収まり、目を開けた後に会った光景は以前と変わらぬ教室。しかしそこには自分しかおらず、開きっぱなしの教科書やノート、そして床に落ちたシャーペン等の筆記用具。
俺を除く教室にいた人間だけがいなくなっている。
「え……ぁ……?」
声は出るようになっている。しかし事態に対して脳の処理が追い付いていないせいでうまく言葉が発せられない。
俺は一体どうするべきなのかまずはこの事態を誰かに伝えるべきだ。職員室か、それとも校長室か。いっその事警察に連絡してしてもいい。
とにかく何かをしなければと気が逸った俺は教室を出て、とりあえず走った。廊下は走ってはいけないとか今はそんな事を守っている場合じゃない。何故自分が取り残されたのかは知らないが、今すべきことはこの事態を一刻も早く責任者に伝える事。
「うわわっ!? ……いつつ」
慌てていたせいか足が縺れて豪快に転んでしまった。しかし不思議とそんなに痛くない。おそらく気が動転しているせいで痛覚が鈍くなっているのかもしれない。
「おい、大丈夫か?」
起き上がろうとしている俺に声をかけてきたのは体育教師で生活指導も担当している郷田先生であった。ジャージの上からでもよく分かるプロレスラーのような肉体と左手に持っている竹刀がトレードマークの男性教員だ。ちなみに持っている竹刀で誰かを叩いたりしたことは無いらしい。
「今は授業中だぞ。こんなところで何をやっている」
郷田先生は俺を非難するように睨みつける。威圧感があって、正直あまり好きな人物ではないのだが、この状況下では好都合だ。
「ご、郷田先生! 変な声がしたと思ったらみんながいなくなって行った先は異世界でなんか俺だけ教室にいて魔王退治しなきゃいけないとか言われてそれから……」
「お、落ち着け。お前は一体何を言ってるんだ!?」
俺の頭の中がまだごちゃごちゃしているせいか少々支離滅裂な説明になってしまった。いっその事教室まで連れて行った方が早いかもしれない。
「と、とにかく教室まで来てください!」
「教室?」
怪訝な表情をしつつもしっかりと付いてきてくれる郷田先生。俺の焦りようを見て只事ではないと察してくれたようだ。
そして彼は教室内部の光景を見て絶句した。
「これは……一体……」
授業中だというのに生徒どころか教師さえもいない教室。しかし、開かれた教科書やノートがついさっきまで授業を行っていたというであろう証となっていて不気味さを漂わせている。
そんな光景を見て数秒ほど硬直した後、仕事用らしきスマートフォンを取り出して連絡を取ろうとした。
「……もしもし山中先生、今どこにいらっしゃ……チッ!」
スマートフォンから流れてくる『その番号は電波の届かない所に』云々の機械音に郷田先生は舌打ちを鳴らす。
「2年3組の、確か楠木だったか? さっきはごちゃごちゃで何を言っているか分からなかったが、少なくとも何があったのかは知っているんだな?」
「はい。でも、言っても信じて貰えないと思います」
「構わないから話してくれ。原因が分からない事には手の打ちようがないんだ」
話しても信じて貰えないだろうが、隠していても別に良い事なんてないと思い、少し前に経験した事全てを俺が分かる範囲で一から話すことにした。
「神を名乗る人物の声に異世界。そして魔王討伐……か」
勿論、それを聞いて郷田先生は困惑の色を示している。しかし郷田先生を責めることは出来ない。もし俺がその立場だった場合ゲームのやり過ぎだと一蹴している自信があるからだ。
「信じられないでしょうけど、事実なんです」
「ふざけているわけじゃあないんだな?」
「本当なんです! 信じてください!」
「じゃあ何でお前だけ取り残されたんだ?」
「それは……分からないです」
そうだ。そもそも何で俺だけ連れていかれなかったんだ。俺が頭を抱えているのを見た郷田先生は普段は見せないような弱り切った表情で溜息をついた。
「仮にそれが本当だったとしても誰も信じてはくれないだろうな」
「ははっ、でしょうね」
人間の中にある常識という考えは大きい。だからその範囲を超えてしまえば人はそれを嘘であったり夢物語であったりとしてしまう。事実、俺だって未だに何かの間違いだと思いたい気分なのだ。
「あの、俺はこれからどうすれば……そのまま次の授業を受けた方が良いんでしょうか?」
「いや、今日は早退しなさい」
「え、でも……」
「このクラスの生徒が君しかいない状態で授業を受けても仕方無いだろう。それに、この件で学年主任や校長先生達と色々と話し合わなければならない事もある」
「……はい」
「ああ、そうだ」
郷田先生は何かを思いついたようにメモ用紙の切れ端に何かを走り書きして俺に手渡してきた。
「俺のスマホの番号だ。大っぴらに話せないようなこともあるだろうし、困ったことがあったら相談してくれ」
「ありがとうございます」
「それと、今回の件はあまり言いふらさない方が良い。学校のためにも、君自身のためにも」
俺は郷田先生にもう一度礼を言った後、俺は複雑な気持ちで荷物をまとめて、言われた通りに下校した。
何故だろうか。普通ならこんな昼間際の時間に帰る事が出来るのは嬉しい筈なのに今は全然嬉しくない。
さっきまで腹が減って肉を食い合いと思っていた筈なのに、今は何も食べたいと思えない。
今日は帰路にあるゲームセンターに新台が出る日なのに足を運ぶ気にならない。
いつも買っている週刊漫画の最新号を買ったが、いつもは面白い筈の漫画の内容がちっとも頭に入ってこない。
ついさっきの休み時間までよくやっているソーシャルゲームのイベントのランキング上位獲得のために走っていた筈なのにアプリを開こうという気にならない。
いつもなら電車を含めて一時間もかからない通学路に2時間近くかけてゆっくりと下校していたが、とうとう家に着いてしまった。母さんは今は買い物にでも行っていると良いのだが。
「あら、おかえりなさい……?」
ポケットから鍵を出そうとしたらドアが開き、母さんが出てきた。買い物袋を持っているのでこれから買い物に行く予定だったのだろうか。
「どうしたのよ、まだ授業中よね?」
「早退しろって言われたんだよ」
「早退? 何、病気なの? 病院行く?」
「病気じゃない。気分は最悪だけど」
「じゃあどうしたのよ」
母さんは俺の事を想って言ってくれてるんだろうが、今の俺にはそれが重い。
「ごめん母さん。今はまだ何も言えない」
「は?」
「俺も何が何だかよく分かってないんだよ……だから少しだけ待って、お願いだから俺に時間を頂戴。学校にはちゃんと行くから」
「ちょ、ちょっと幸一!?」
俺はそれだけ言うと母さんの横を強引に通り、そのまま駆け足で自分の部屋に閉じこもった。これが今の俺が言うことの出来る最大限だった。親不孝な息子ですみません。
きっとこれは悪い夢なんだ。グッスリ眠って目が覚めたらまたいつも通りの日常が待っててくれるのだ。いつも通りに授業を受けて、時折久遠寺さんの横顔を見て、学食で友人たちと笑いながら飯を食って、帰路で格ゲーをやる、そんな何気ない日常が。