オーバーロード・ワン   作:黒猫鈎尻尾

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四十話。戦士長と黄金の姫

 

 ガゼフは愛用のバスタードソードを構えて、じっとりした汗を額に浮かべる。

 立ち会ってからほとんど時間は経っていない。

 ただ、眼前に立つ。それだけでこれほどの圧力が感じられるとは思わなかった。

 

(よく、ブレインはこれに向かって行けたものだ)

 

 先程まで見事な立ち会いを見せた友を想う。

 眼の前の男は悪く言えば無防備、良く言えば自然体だ。だが、一分の隙すら見当たらない。

 

「どうしたんだ? 来ないのか?」

「ふっ、貴方程の相手に迂闊な事は出来んからな」

 

 ガゼフの言葉にエンシェントの眉がピクリと反応する。

 自然体に立つエンシェントに対して、ガゼフは剣を上段に構えてジリジリと間合いを測る。

 突然、ガゼフは構えを上段から中段……俗に言う正眼に構えて深く息を吸った。

 

「武技……急所感知」

 

 切っ先にエンシェントの体を捉えて、武技で攻めどころを探す。

 

(弱点、隙。共になしか……まったく。これで無手だと言うのだからな……。ふっ、ままよな)

 

 ガゼフの気配が明確に変わった事をエンシェントは感じ取って、頬を吊り上げて手招きをするように、手を持ち上げて指だけを曲げる。

 

「征くぞっ!」

「来いっ!」

 

 五歩ほど離れた位置に立ち、覇気を溢れ出させるガゼフは、全身の筋肉に力を漲らせる。

 ハーフプレートが内からの筋肉の圧力でギシリと歪な音を立てた。

 周囲の戦士団員達も初めて見るガゼフの本気の圧力に喉を鳴らした。

 その音が合図になったわけではないだろうが、五歩の距離を一気に詰める。

 右脇の後ろに振り被られたバスタードソードが、エンシェントが間合いに入るなり、とんでもない膂力で振り抜かれた。

 

「……ふっ!」

 

 エンシェントは胴を薙ぐように振るわれた剣に、前蹴りを放つ様に足を盾にすると、足の裏に剣が触れると同時に、そこを支点に前のめりとなり、剣の上を一回転して躱す。

 ガゼフの手には抵抗感という手応えがあり、しかし僅かに抑えられた程度の圧力で衝撃とは言えないほど。

 つまりはガゼフが剣を振る速度に合わせて足を曲げ、その剣の威力のほぼすべてを受け流し、体を回転させる力にのみ転換したということだ。

 その技量にガゼフは驚愕を露わにする。

 

「うおぉおぉおっ! 武技、即応反射!」

 

 ガゼフはいまだ勢いの残る剣で流された体を武技で無理矢理に立ち直らせると、斜め後ろで無防備な背中を見せているエンシェントに向かって袈裟に切り下ろした。

 だが、その一太刀ですらも後ろに目があるかのように体を捻り、肘でバスタードソードを押し上げるように逸らしてくるりと反転しながら、剣の下を潜って躱される。

 今度は殆ど抵抗も感じないままに逸らされて、長大なバスタードソードは地面を掠めるように振り抜かれた。

 

(何という技量かっ! 隙がない所ではないぞ。その気ならば俺の体を拳で打つことも出来たであろうにっ!)

 

 遊ばれている。そうとしか感じられない。

 まるで大人と子供の戦いだ。ガゼフは全力で剣を振っているにも関わらず、エンシェントはただ触れるだけで全て逸らして躱している。

 ガゼフの剣技が鈍いわけではない。一撃目から全力で、二撃目に至っては切り返しての勢いの付いた鋭い剣戟だ。それですらも触れるだけで流しきる技量はまさに神業としかいえない。

 

「どうした? 王国最強の剣……。王国を守る剣はそんなものかっ!」

 

 エンシェントの挑発の言葉に、周囲の兵士がざわめきだして、ガゼフは奥歯を噛み締める。

 

「ぐぅ! 返す言葉もないな。ならば、今の俺が持つ本気の剣を見ていただこうっ!」

 

 エンシェントは軽く飛ぶだけで、先程と同じだけの間合いを空ける。

 

「見せてみろ。お前は戦士か。狗か?」

「俺は王国の剣、王の盾……。戦気梱封、戦鬼の肉体(バトル・オーラ)竜王の精神(ドラゴン・ハート)精霊の祝福(エレメンタル・ガード)。ぉおおぉおぉぉおおぉぉ!」

 

 ガゼフは普段は殆ど使うことの無い本気の武技を発動する。戦鬼の肉体(バトル・オーラ)は肉体を潜在レベルで強化して、竜王の精神(ドラゴン・ハート)で何事にも動じない、不動の精神を手にいれる。精霊の祝福(エレメンタル・ガード)は魔法抵抗力を極限まで高めてくれる。

 そして、これほどの強化を施さねば、これから放つ武技には耐えられはしないのだ。

 

「おおぉおぉぉっ! 武技ぃぃ、戦神の雷槌ィぃ!」

 

 雷という現象がある。古来より雷とは()()()と呼ばれ、神の咆哮、神が天を鳴らしている、と言われている。

 その一撃は唯の一撃ではなかった。刃が音を置き去りにして、まるで雷が地に落ちたような破裂音を鳴らし、空気を引き裂いて振り下ろされた。

 常人では目に映すことも出来ぬ一撃、ガゼフが今出せる全力の一撃である。

 だが……

 

「……足りないな……」

 

 目にも留まらぬ攻撃を振るいながら、ガゼフは刹那にその言葉を確かに聞いた。

 振り下ろされる先にエンシェントは無防備に立つ。

 

(ぐぅっ! このままではっ!) 

 

 しかし、その刃はエンシェントに届く事はなかった。

 当たると思われた寸前に、エンシェントは片手を上げて受け止めていたのだ。

 次の瞬間には、背中の戦斧が抜き放たれて、ガゼフの首筋に押し当てられていた。

 しかし、ガゼフが握る剣もまたエンシェントの首筋に押し当てられて止まっている。

 この攻防の全ては刹那の事であり、周囲の兵士には戦士長が剣を振るい、気がつけば刃を突きつけあっている姿しか確認することは出来まい。

 

「流石は王国戦士長殿だ。俺と相打ちとはな」

「こ……れは……エンシェント殿、一体何を?」

 

 ガゼフとしては意味がわからない。防がれたと思った時には、自分の首筋に戦斧が押し当てられて、自身の防がれた剣はいつのまにかエンシェントの首筋で止まっている。

 エンシェントの戦斧が首筋に押し当てられた瞬間も気付けなければ、抜き放った瞬間ですら見る事も出来なかったのだ。

 

「おお……流石は我らが戦士長殿だっ!」

 

 兵士達が口々に戦士長を讃えながら近付いてくるのを一瞥し、エンシェントは戦斧を背に仕舞った。

 

「では、俺はこれで失礼する。今日は良い一日を過ごせたことを感謝しよう」

 

 エンシェントは未だに何が何やらわからずに呆然とするガゼフに向かって軽く頭を下げると、踵を返して背を向けて訓練場の出口へと向かった。

 ブレインはそんなエンシェントの後を追う。

 

「待ってくれっ! エンシェントさん」

「何だ? ブレイン殿」

 

 出口付近で足を止めたエンシェントは、ゆっくりと振り返る

 その顔には明確な落胆と瞳の奥には微かな寂しさが浮かんでいた。

 

「あ……いや、あの立ち会いは……」

 

 エンシェントは首を小さく振ってそれ以上の言葉を止めさせる。

 

「彼は王国戦士長であったというだけだ。あれは立ち会いではなく、単なる試合でしかない」

 

 それだけを呟くように残すと、エンシェントは再びブレインに背を向けて訓練所を後にした。そして振り返ることもなく去るのであった。

 

 

 

 

 それから少しして、団員達も既に各々の任務や訓練に戻った訓練場に、ガゼフは地面に剣を突き立てドカリと座り込んでいた。

 その眉間には深い皺が刻まれている。見る者が見ればその姿に芸術性すら見出したかもしれない。題名はきっと『苦悩する戦士』であろう。

 それほどに剥き出しの地面に座るガゼフの雰囲気は重いものだ。

 近寄りがたい雰囲気を醸し出すガゼフに、察してなお近寄る影があった。

 ブレイン・アングラウスである。

 

「ガゼフ……一体何があったんだ……?」

「……わからん……。俺は何かとんでもない失礼をしたのだろうか?」

 

 ブレインは何が起きているのか理解できずに、あの時に相対していたガゼフに問い掛ける。

 しかし、当の本人ですら何が起こったのか理解できないでいたのだ。

 ガゼフにしてみれば完全に己の負けであった。

 戦斧が抜かれるまでもなく。エンシェントはガゼフが出せる最大最強の一撃を片手で防いで見せたのだ。

 あの時の一言が頭から離れない。

 

 ――……足りないな……

 

 勘違いかとも思ったが、その声はとても無機質なもので、とても寂しいものに感じられたのだ。

 

「あの男は去り際にこう言っていた。お前は戦士長であったと。それとこれは立ち会いじゃなく試合でしかないとな。思い当たることがあるか?」

 

 ブレインはエンシェントから聞いた去り際の言葉をそのままに伝えた。

 その言葉を聞いたガゼフは、暫くは地面を睨み付けるように黙っていたが不意に顔を上げた。

 

「俺は……あの人を侮ってしまったのか……」

「なんだ? 何かわかったか?」

 

 あの時、ガゼフはエンシェントの頭に吸い込まれるように振り下ろされる自身の剣に、不意に力を抜いた。

 このままでは殺してしまうと思ったのだ。それは常より自分よりも弱者を相手にしてきた故のこと、ここぞと言う所で怪我をさせないようにと気を使ってしまうのだ。

 

「……何という失礼を働いたのだ……俺は……」

「何を考えているかわからんが、そこまで気にする事はないと思うぞ。あの人はお前の立場を理解した上で、試合と言ったのだ。命のやり取りではなく、力を試す試合だとな」

「だが……その上で失望させた事には違いあるまい……事実、俺は命のやり取りという意識はなかった。寧ろ胸を借りるつもりであった。ブレイン、お前はどうだ?」

「俺は……そうだな。お前に誤魔化したところでどうしようもないな。素直に言うと殺すつもりで斬り掛かった……そうでもないと俺があの男に勝てる目は……。いや、これは言い訳だな。正直に言うと殺すだの生きるだのすらどうでもいいと感じたよ。ただ、あの男に俺の全てをぶつけたい。その上でどこまで通じるか試したいという認めさせたいという気持ちしかなかった……」

 

 ブレインはそう言いながら気恥ずかしげに、頬を掻いた。

 ようは子供のようにムキになったと言っているのだ。

 その言葉を聞いて、ガゼフは微かに頭を上げてブレインを見つめると、喉奥でくつくつと笑い声を上げた。

 ガゼフはブレインの言葉を聞いて、素直に羨ましいと思ったのだ。

 どこまでも真っ直ぐで嘘のないこの男が羨ましいと感じてしまった。

 ガゼフはどうしても死に際の事を考えてしまう。

 死を恐れるのではない。死を受け入れたうえで死に場所は王を守って、国のためでないといけないと思ってしまうのだ。

 その結果、自分の命であるはずのものは、即ち王国戦士長の命であったのだ。

 

(ああ、なるほど……俺はもう王国戦士長でしかないのだな……)

 

 エンシェントはそれを見抜いた上で、国のためではない命のやり取りを忌避したガゼフに、落胆したのだと理解することができた。

 

「やれやれ……肩書きというものがまた一つ重くなってしまったな」

「お前が望んだことだろうに……お前は忠義を選んだのだろう? ならば、お前は生涯王国戦士長であるべきだ」

「ブレインまで酷いことを言う……。少し付き合え。今だけは自分を鍛え直したい気分なんだ」

「せっかく頂いた刀の最初の使い道がお前の憂さ晴らしとはな。泣けてくるぜ。だがまぁ、お前にも刀を折られた借りを返さねぇとな!」

 

 その日は遅くまで訓練場で、剣戟の音が鳴り響いていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラナー王女は紅茶を飲みながら歓談に興じるフリをする。フリと言っても別に生返事をしているわけではない。

 きちんと話を聞いた上で、相手の話に興味を示したり、振られた話題に対してきちんと返事をする。

 

「それでそのエンシェントさんがギガントバジリスクを討伐して事無きを得たのよ」

 

 まるで自分の事のように嬉しげに語るラキュースに対して、胸の前で手を合わせて(はしゃ)ぐ少女は、見た目だけならば天使のような女性だ。

 

「まぁ、凄いのね! その冒険者の方は。……それでも村に被害が出たのでしょう……? 大半の村人は避難していたといっても、中には家族を失った方もいらっしゃるでしょうし……」

 

 最初に楽しげに声を上げはしたが、不意に胸が痛むとばかりに、テーブルに置かれた紅茶に視線を落として目を伏せる。

 蒼の薔薇のラキュース。ラナーにとって唯一の友達にして、唯一の自由に使う事の出来る駒だ。

 

「ラナー様……」

 

 そんな悲しむ演技をするラナーの直ぐ傍に立つ、まだ年若い見習い騎士という出で立ちの少年が心配そうに声を掛ける。

 

「大丈夫よ。クライム。私はただもう少し私に力があって、街道の巡回を御父様に強く言えていればと思っちゃって……駄目な主でごめんなさいね?」

「駄目な主だなどとっ! 私にとってラナー様はお優しく素晴らしい主と思っています!」

 

 心配する近習の若騎士に、儚げに自嘲の笑みを零す美しき姫君。まるで英雄譚に出てきそうな一場面だ。

 だが、こんな時ですらラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国第三王女は決して思考を止めない。

 止められないと言うべきか。

 ラナーは生まれた時から異形であった。

 人が何を考え、どう口にするのか? そこにどんな意図が含まれてドス黒い野望や欲望が隠されているのか。

 それらが生まれた時から理解できてしまっていた。一般において多重並列(マルチタスク)思考と呼ばれるものである。

 一般のそれは言葉通りに並列して思考しているわけではない。

 素早く交互の思考切り替えを行うことにより、複数の思考をしている様に感じるだけだ。

 だが、ラナーは違った。言葉通りの意味、複数の思考を連続して同時に処理することができた。

 教師に教えを請えば三日で教師を超えた。文学、算学、音楽、礼法、法律、歴史。そのどれもが三日後には教えていない所まで理解してしまっていた。

 それは教科の製作者がもつ趣味嗜好や規則性を掴み。次はこうなると簡単に予測してしまえているからだ。

 意地悪な法律の教師は、本当に理解しているか聞いてみたことがあった。

 しかし、ラナーは国内法から貴族院の法、帝国法まで諳んじてみせた上に、画期的な法の改正案すら出してみせた。

 もちろん、その画期的な法は教師の保身から握り潰されてしまったが。

 

 その驚異的な頭脳があればこそ、王国の未来も人の下らなさも、全て理解出来てしまう。

 ……ラナーはそれらを僅か五歳迄の間に理解してしまったのである。

 この人の生の無意味さに……。それからラナーは生きる為の活動を止めた。明日を生きる為に食事をする無意味さ。自分を理解できぬ人と会話する無意味さ。誰かのために思考する事の無意味さ。

 それでも思考は止まらない。止まってはくれない。

 ラナーは生きる事を止めた。何もなければ一ヶ月足らずで緩やかな死を得られていてだろう。

 親を失い薄汚い路地にて無感情に存在していたクライムという糧がなければ。

 クライムの無垢な瞳に映る自分。思考を止めてしまったクライムの中にいる自分。それらを見つけなければ、ここにこうして生きてはいない。

 故にクライムはラナーにとって生きる全てであり、ラナーはクライムにとって生きる全てとなった。

 だからこそ、今日も演じる。クライムが欲するラナー王女という存在を……。黄金のラナーを演じ続ける。

 

「それにしても、そのエンシェント様という方はどれぐらい凄い方なのですか?」

 

 冒険者のことに関しては興味はあれども無知なクライムは、エンシェントの凄さが解らずに素直に聞いてみる。

 

「そうね。伝説の十三英雄に近い……いいえ、匹敵するんじゃないかしら?」

「それほどなのですかっ!?」

「それはそうよ。持ち帰ってきた証明部位を見せてもらったけれども、普通のギガントバジリスクよりも遥かに大きく二倍以上はあったわ。私もそれがギガントバジリスクじゃなくドラゴンの瞳ではないかと疑ったほどだもの」

「でも、蒼の薔薇の皆さんでも倒す事が出来るんですよね?」

 

 クライムが知る最強の冒険者は蒼の薔薇のパーティーだと信じた上での事だ。

 この方達でも同じ事が出来るだろうと思っている。

 

「蒼の薔薇の皆でなら可能よ。と言いたいけれども厳しいわ。だって、異常個体だけでも手に余るのに、それが一体だけでなく普通サイズのギガントバジリスクとの群れだったんですもの……」

 

 エンシェントが帰還してから既に五日経っている。

 証明部位は一対だけであったが、現場を確認するために急遽オリハルコンのチームが調査に派遣された。

 主に調査をメインとする盗賊(シーフ)野伏(レンジャー)森司祭(ドルイド)魔法詠唱者(マジックキャスター)で構成されているパーティーだ。モンスターの調査にはラキュースも信用を置いているチームだ。

 そのチームが持ち帰った情報は驚くべきものであった。

 足跡から推定されたのは情報通り二十メートル超えのギガントバジリスクが一体、それと通常ギガントバジリスク二体の存在。

 現場には至る所にクレーターが出来上がり、森林の木々はなぎ倒されて、刃の跡が至る所に付いていたそうだ。

 

「その方は新たなアダマンタイト級の冒険者になられたのでしょう?」

「流石はラナーね。耳が早いわ」

「メイドが騒いでいたわ。なんでも凄く整った顔立ちで、紅い鎧と合わせて真紅の貴公子とか言っていたわね」

 

 ラナーは可愛らしく顎に手を当てて思い出すように、視線を宙に彷徨わせる。

 しかし、思考は全く別の方向へと向いていた。

 ラナーに取ってクライム以外の人間は二種類に分けられる。

 敵か味方かではない。利用出来るか出来ないか。全てはそこに集約される。

 利用出来るとなれば、相手に対して友にも愛される王女でも演じてみせる。だが、利用出来ない障害だと判断したならばありとあらゆる手段を以て潰しにゆくだろう。

 たとえそれが血を分けた親兄妹、友達と思ってくれているラキュースが相手であろうともだ。

 

「真紅の貴公子ですか……。一度見てみたいです!」

「そうね。赤い鎧もいいけれども、私が一番好きなのは純白の鎧を着た騎士様よ? クライム……」

「ら……ラナー様……それは一体……」

 

 潤んだ瞳を純白の騎士鎧を纏ったクライムへと向けて、はにかむ様にして微笑んだ。

 見つめ合う二人に向けて、席を同じくするラキュースはまた始まったと嘆息をして紅茶を口にする。

 この主従のこんな甘いやり取りは今に始まったことではない。放っておけばいつまでも桃色の空間が広がっていることだろう。

 だからこそ、ラキュースは話題を変えた。本題はこっちではなく別の件なのだ。

 

「はいはい。二人の甘い青春はあとにして頂戴な。ラナーを少しだけ借りるわよ。クライム」

「あ……甘い青春などとっ!」

「も……もう! ラキュースったら、そうね。また二人っきりの時に……ね?」

「ラナー様までっ!」

 

 ラキュースのからかいにラナーは一瞬だけだが目に剣呑な光を浮かべて即座に消し去り、いつもの友人に向ける笑顔を浮かべる。

 クライムはそんなラナーの様子には毛の先ほども気付かずに、ラキュースの冷やかしにただ慌てるばかりだ。

 

「それでね。八本指の事なのだけれども、どうも様子がおかしいのよ。数日前に裏の娼館が何者かに潰されてから、全く動きがなくなったわ。黒粉(ライラ)ですら売買が見えなくなった」

「ええ、それは私も以前にラキュースから聞いて考えてみたのだけれども、私の推測でよければ……」

「ラナーの推測ほど正しいものはないから聞かせて貰えるかしら?」

 

 ラキュースは心から信頼する友達の言葉を姿勢を正して聴く体勢を取る。

 ラナーは考え事を纏めるように思案顔で、白魚のような嫋やかな指先を顎に当ててから言葉にする。

 

「その拠点には争った跡は殆どなかったのよね?」

「ええ。まるで人間だけが姿を消したみたいに、中に囚われているはずの女性達も消えていたそうよ」

 

 ラキュースはティアとティナが調べた事を纏めた物をラナーへと差し出す。

 

「ふぅーん。中に血の跡は殆ど無く、外にある血痕の方が多め。周囲の人は呻き声を微かに聞いたけども悲鳴はなし。これらのことから突発的な事だと思うわ。計画的ではないと思う」

「それは……どうして?」

「外の血痕が多く残っているのは突発的に不測の何かが起こった。だから、外に多くの血痕が残ってる。そしてこれを行った人は相当な自信を持っているわね。上位権力を持つか、もしくは権力ですら意に介さない何かを持つ。……それはこの血痕が隠滅されていないことからもわかる」

 

 無意識にラナーは椅子から立ち上がると、ティアとティナの調査書類を手に、こつりこつりと足音を鳴らしながら考え込み始める。

 

「八本指の組織を狙ったものでは無い。即ち八本指の事を知らない最近この王都へとやってきた人物。最初の事件は入口で起きた。その後で中が襲撃されている。行動は突発的に情動的……そうね」

「なにかわかったのかしら?」

「いくつかの推理は成り立つわ。まず、間違いなく八本指が地下に潜ったのはこの娼館が発端ね。そしてこの娼館を襲ったのは、恐らく……正義の味方かしら?」

「ほえっ? 正義の味方?」

 

 ラナーの口から飛び出た単語に、ラキュースは困惑を隠せずに素っ頓狂な声を上げる。

 普段見せたことのないそんな顔に、ラナーはクスクスと笑みを浮かべる。

 

「恐らくは偶々……そう、偶々そこをその正義の味方が通りかかった。そこで何かを見たか聞いた。廃棄される女性か。もっと酷いなにかか? それが許せずにこの襲撃となった。恐らくは少なくとも二人から五人の少数。一人は魔法詠唱者(マジックキャスター)は確実ね。それと王都の法にも明るくない」

「そこまでわかるものなの!?」

「ええ、この報告書からはそうとしか読み取れないもの……。それからその行動が法に触れるか否かを考えずに、自身の正義のような損得を抜いた気分的に動いてる」

「だから……正義の味方……なのね」

 

(そう……正義の味方……だからこそ、妙薬にも劇毒にもなりかねない……どうにか先に見つけられないかしら……)

 

 内心でそう計算する。損得抜きで動くという事は扱いづらい事この上ないが、上手く使えば有能な味方になってくれるということだ。

 ラナーは心の内で考えながら、紅茶で濡れた唇を舌で舐める。

 

 正義とは物事の一面性でしかない。スレイン法国のようには未来の大局の為に、罪もない亜人を殺す正義もあれば、皇帝の様に無能を血で廃して、国民に笑顔を取り戻させる正義もある。

 それらは犠牲になる側からしてみれば悪でしかない。

 ラナーはだからこそ大義さえ与えてやればいいと考えている。

 逆に、ラキュースは英雄に憧れはしても現実を知っている。

 犠牲を出さずに全ての人に幸福と笑顔を齎せるとは夢にも思っていない。

 それでも……もし、他に……と考えると、その手の正義を為すのは二の足を踏んでしまう。

 故に極端な行動を取らせにくいのだ……例えば邪魔な貴族を消させるといった法を考えない行動等である。

 だが、ラナーとしてもラキュースはまだ利用価値が多くある。故に……

 

「ラキュースも身の回りに気をつけて頂戴ね」

「どういう意味かしら?」

「恐らくだけども今の八本指の静けさは嵐の前触れのような気がするの。八本指がここまで大きな被害を受けたのは初めてのことでしょう? 彼等としては何としても犯人を探し出そうとするはず……その中にはきっと……」

 

 ラナーはそう言ってから心配そうに友達の顔を見つめる。

 その瞳がわかるでしょうと言っている気がする。

 

「安心して、これでも私はアダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇のラキュースなんだから、八本指が相手でも勝って見せるわ。でも、心配してくれてありがとう!」

「そんな……お礼なんて止めて頂戴……私はここで心配する事位しか出来ないのだもの……」

 

 小さく溜息をつきながら憂い顔をみせて、卑下するように首をゆるゆると振った。

 

「ラナー様……大丈夫ですよ。ラキュース様を始め、蒼の薔薇の皆様は素晴らしい腕の冒険者様なのですから!」

「ああ、私のクライム。私が頼れるのはラキュース達と貴方だけよ……」

 

 また始まった主従が行う愛の劇場に、ラキュースは砂糖は入れていないはずなのに、酷く甘く感じる紅茶に胸焼けをする思いであった。

 流石のラナーも、ラキュースも思いもしなかった。

 今まさに王宮からかなり離れた戦士団の訓練場では当のエンシェントと戦士長達が立ち会いを行っていた事を、そしていつもの日課にクライムが行っていれば、真紅の英雄と出会っていた事を……

 




いつも誤字脱字訂正感謝です!

so~tak様。烏瑠様。栗原本昌様。
いつもありがとうございます!

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