Q. 先生!リリスパの二次創作がハーメルンにないです!

A. だったらお前が書くんだよ!!!

という訳で書いてみた。

原作よりもタカヒロ色強めです。

pixivとマルチ投稿をしています。



以下ストーリー

ついに宿敵モウリョウの本拠地に潜入したツキカゲが、己の信じる正義を為すために全てを()ける話。

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だって、私達はスパイだから

 あまりにも遠く、けれどつい先日のようにも思えるほどに近い時間で、同級生でありながらも先輩だったあの人はこんなことを言っていった。

 

 『知ってた?『スパイ』の語源って香辛料、つまり『スパイス』の省略形なんだよ』

 

 スパイス(香辛料)。それは料理をするときに食材に香りや色味をだしたり、匂いを消したりするときに使うモノの総称。

 スパイ(諜報員)。それは社会の裏に潜み、一切の姿を見せないながらも世に七色の影響を与えるモノ達の総称。

 だからなんだろうか。スパイスとスパイは言葉だけでなくその本質も似ていると、あの橙色の髪の先輩は思っていたのだろうか。どちらも決して主役(メイン)に成れず、けれど(メイン)が輝くためには絶対に欠かせないモノだと、あのお気楽なようで人一倍弟子のことを気にかけていた先輩はそう思っていたのだろうか。

 だとしたら、はたしてそれはどんな気持ちだったのか。

 

 『何より、婦警さんのために頑張った』

 

 あの人がいたから私はスパイになった。

 あの人がいたから私はスパイになれた。

 社会の裏で動きながら、法の目を掻い潜る悪党を、闇に紛れて断罪する、裏組織ツキカゲの一員に。

 

 『じゃあこの後は、メンバーの親睦を深めましょうの時間だー!』

 

 けれど時間は有限で、人の繋がりも永遠ではない。

 それを私は知っていたはずだった。

 お父さんの一件で、知っていたはずだった。

 だから、

 だけど、

 なのに、

 

 『あー、ミスっちゃった、かな……』

 

 時間は二度と戻らない。

 喪ったモノは二度と返らない。

 壊れたモノはもう二度と直らない。

 だから皆、後悔している。

 『あの時』を。

 あの『過去』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 壁から半身を出して通路の先の様子を伺っていた私は、嗅覚が捉えた消炎の匂いと聴覚が捉えた複数の足音に気付いて、急いで壁から出していた身体をひっこめる。

 

「ッ!」

 

 瞬間、怒声と共に銃声。監視カメラは仲間が潰しているはずだし、身体をひっこめる前に敵が私の姿を捉えられたとも思えないから適当か、あるいは警戒のために銃を撃っただけだろうけど、二度目の『実弾を撃たれる』という経験に知らず私の身体は火照(ほて)っていた。

 大急ぎで元来た道を戻り、片目を閉じながらも気品溢れる雰囲気を醸し出す尊敬する先輩(師匠)に対して声を上げる。

 

「師匠!」

百道(ももち)、どうだった?」

「駄目です師匠、塞がれました。今の私達の装備じゃ、とても突破は出来ないと思います」

「そう…………」

 

 唇に片手を当てて押し黙る師匠を私はただ只管(ひたすら)に見守る。ツキカゲの一員として何度か実戦を経験している私だが、こんな危機的場面に陥ったのは初めてだ。高鳴る心の臓と全身を伝う汗が私の緊張を表している。

 焦っている。焦っているのだろう私は。そう、だからそれを自覚して浮かぶのは笑みだ。笑いだ。あんまりにもあんまりな状況、もしかしたらここで死ぬかもしれない――なんてそんな状況になって、浮かぶ表情は笑い。

 それはどうしてなんだろうと私は自問自答する。

 答えは出る。一瞬で。自分自身のことなんて、自分が一番分かっているから当然に。

 

「やっぱりここから逃げるしかないか」

 

 大きな窓に手を当てて、その言い放つ師匠。そんな師匠に思わず私は抗議の声を上げてしまう。

 

「っ、ここ50階ですよ師匠!」

「…………………………」

 

 その提案はまさに狂気の極みだった。70階建てのビルの50階から窓を突き破って脱出しようだなんて、常軌を逸した提案だ。

 もともと今回の任務はそんなに難しいモノじゃ無いはずだった。いつも通りに行動して、いつも通りに師匠と協力していけば、いつも通りに達成できるモノのはずだった。

 70階建てのビル。九天サイエンスの系列社が所有しているそのビルに潜入してモウリョウの機密を探ること。それが今回の任務で、達成するのはとても簡単なことのはずだった。

 モウリョウ側はツキカゲの動きを察知していないはずだし、戦力的にもツキカゲの全メンバー4人が動いている。内部の構造も機密区画含めて事前に手に入れていて、事前のハッキングも完璧。だから絶対に安全――安心に100%任務を達成できるはずだったのに。

 

「冷静になりなさい、百道(ももち)。あなたも確認したはずよ。来た道も帰る道にも敵がいて、一緒に潜入したはずの風魔達とも連絡がつかない。秘密の脱出ルートなんてモノは存在せず、もちろん第三者が助けに来るわけもない。だったら、この危機的状況を脱出するためには多少のリスクは負わないといけないわ」

「で、でもどうやってですか?流石の私でも何の準備もなしに50階分も下りれませんよ!」

 

 何が悪かったのか。私も師匠もミスなんかした覚えはない。特に私は、いつかのように功を焦ってしまったり、思慮が足りなかったり、そんなことはないはずだ。それに風魔達だってミスなんかしてないだろう。そんな連絡なんて無かったし、第一あの、私と師匠よりもコンビネーション能力がある二人が一緒に潜入してミスをするなんて考えたくない。

 考えられない。

 

「バックアップは……、今更期待できないか」

「本気ですかっ、師匠!」

 

 確かに、確かにだ。師匠の提案はここからの唯一の脱出口となり得るモノなのかもしれない。前方の虎、後方の狼。逃げて逃げても全ての脱出道が潰されているのならば(いづ)れ必ず私達は捕まってしまう。

 だから一縷の望みを賭けて窓からの脱出を?

 絶無の確率をわずかでも上げるために、50階の窓から飛び降りる?

 それは、

 それは……っ、

 

「訓練通りにやれば十分よ。私達が装備している特製グローブなら、壁面の僅かな凹凸を捉えることができる」

「そうやって50階も下りるんですか!?」

「違うわ」

「え?」

 

 思わず呆けた顔をしてしまう。違う?一体何が違うんだ?スパイとして生きることを決めた時点で当然ポーカーフェイスの訓練もしている私だけど、さすがにこの時ばっかりは素直に表情が出てしまった。

 極限状況での感情制御。さすがの私でもここまでの危機的状況を体験するのは初めてだからあらゆる意味で高ぶってしまっている。いつもいつも理路整然と優しく厳しく色んなことを教えてくれる師匠の口から出た言葉の意味が分からない。

 私の思考能力が足りないから?

 私の事前知識が足りないから?

 私の実地経験が足りないから?

 こんな時でも思い知らされるのは師匠と私の間にある隔絶した実力差。

 そうだから、私はもっと強くならないといけない。精神的な意味でも肉体的な意味でも、昨日より今より強く。

 今の私じゃ全然足りない。足りないものが多すぎる。

 追い詰められても焦らない冷静さ。

 大胆な行動を提案できる度胸。

 他にも、他にも、他にも。

 師匠の意図が分かるくらい頭を(まわ)さないといけないのに。

 

「下るんじゃないわ。地上に降りてもどうせ敵がうじゃうじゃ待ち構えているはずよ。だから逆」

「逆?」

「上るのよ。20階分。そして屋上から逃げる」

「上ですかっ!?」

 

 それはまさにコペルニクス的転回だった。少なくとも私にとっては。

 逃走経路を考えるならまず頭に向かのは誰だって地上に向かう事のはずだ。だというのに師匠は真逆の提案をしてきた。それは私には出来ない提案だ。

 聞けばなるほどと思える。けれど聞かなければ一生思いつきも出来なかっただろう。それはまるでコロンブスの卵。誰も卵を立てる方法が分からなかったように、私にもその考えは思いつかなかった。

 

「分かりました、師匠!百道(ももち)頑張ります!」

 

 50階分下りるよりも20階分上る方が楽だ。それくらいなら今の私の体力でも十分にできると思う。屋上に逃げた後どうやってこのビルから脱出するかは残念なことに私には皆目見当がつかないが、しかし師匠の言う事だ。何の間違いもあるまいな。

 

「一応、メモリはあなたが持っていなさい。万が一の時は私が囮になるから」

「っ、師匠!その時は私も一緒に」

「駄目よ!!!」

「っ!?」

 

 思わず身体が縮こまる。びっくりした。今まで訓練で、実戦で失敗して師匠に怒られたことは多々あれど、怒鳴られたことは一度だってなかった。

 初めってだったかもしれない。ここまで師匠が私に強く言うなんて。

 

「ぁ……ごめんなさい」

「いえ……、でも分かりました師匠。データの入ったメモリは私が持っておきます!」

 

 たった数十分前に手に入れたモウリョウ日本支部本拠地の情報が入った大事な大事なメモリを師匠から受け取る。絶対に持ち帰らなければならないモノだ。解析して本拠地を特定できれば師匠の師匠の時代から始まった本格的な抗争を終わらせることができる。当然、私達ツキカゲの勝利という結末で。

 だからまず、ここから脱出しないといけない。

 

「いたぞっ!こっちだ、応援を!!!」

「っ!」

 

 見つかった!?

 反射的に振り向くと数十メートル先に銃を持った一人の男がいた。私達を追っていたモウリョウ側の戦闘員の一人だろう。持っている銃はS&W社のM&Pだろうか。とにかくマズイ。この距離なら発射された弾丸が私達に当たることはまずないだろうが、増援を呼ばれて挟み撃ちにでもされれば逃げる隙がなくなる。

 

「見つかったか」

 

 瞬間、師匠の腕がぶれた……様に見えた。

 鍛えられた私の眼でも追えないほどの速度で師匠が何かを投げた……のだろうか?あまりにも早過ぎて私には師匠が何をしたのか全く分からなかった。

 けれど、

 

「ぐぁッ!!!」

 

 とるに足りない雑兵の手から銃が零れ落ちる。流石は師匠だ。数十メートルも離れた場所にいる人間の手というとても小さい的にも百発百中の精度で当てて見せる。私ももっと上手くならないとっ!

 

「風魔から借りておいて良かったわね」

 

 シャリッ、と金属音を響かせながら師匠がもう二つ三つ武器を投げ、それが男の足元に刺さる。牽制か。そして今度は見えた。不意打ちでなく師匠の手もとに注意していたからこそ私でも捉えることができた。

 師匠が投げたのは手裏剣だ。よく同学年の楓が武器として使っているモノ。

 そう、楓が使っている手裏剣なら。

 

「いけるわね」

「はいっ、師匠!」

 

「っ、待てやァ!逃がすと思って――――――」

 

 瞬間、床に刺さっていた手裏剣が起爆した。

 

「な」

 

 たちあがる煙が敵の視界を覆い隠す。これならば、少しの間だけ時間が稼げる!

 

「下がってて」 

「分かりました!」

 

「――ろも――も―――――るッ!」

 

 そう、師匠が呟いて、

 

 一閃。

 

 瞬きした間に抜刀と納刀を済ませた師匠の前で、銃弾すら通さない強化ガラスが粉々に砕け散った。

 そしてアイコンタクトを交わした私と師匠は、

 

「はっ!」

「行きます!!!」

 

 躊躇いもせずに50階の窓から飛び降り、その勢いのまま壁面をグローブで掴む。

 恐くはない。怖くもない。隣に師匠がいるから。全然こわくない。

 

 

 

 

 

 私達はツキカゲ。

 

 世界の闇に潜みながら人知れず悪を討つ正義の組織。

 

 尊敬する師匠の傍に少しでも長くいたいから、私は今日もまた戦う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私設情報機関ツキカゲ。その本拠地の最重要施設軍議の社。今日もまた、私達はそこで、手に入れた情報を基に話し合いを行う。

 今日の議題はついこの間手に入れたモウリョウ日本支部の本拠地の情報についてだ。

 

「カラキノソラサキ?そこがモウリョウの本拠地なのね?」

「そうよ。あの時みたいにダミーってことはないはずだから。これで確定でしょ」

 

 この間は久し振りにかなりやばかった。百地(ももち)達の方もだいぶ危機的状況だったみたいだけど、私の方もかなり危険な状況になっていた。脱出するのが後30秒遅ければ、私は弟子と共に蜂の巣にされていたと思う。ただまぁ、その危機を突破できたっていうのは流石私って感じだけど。

 なんて、師匠に言えば怒られるだろうな。

 

「師匠、潜入はいつするんですか?」

「…………出来れば、少し休養が欲しいです。…………怪我が、まだ治りきってないので……」

 

 ピンピンしてる後輩の弟子とそれなりに怪我をしてる私の弟子。確かに、モウリョウ日本支部の本拠地に潜入するともなれば万全の準備が必要だ。だからうん、弟子の怪我が治るまで待ってもいいかもしれない。

 待ってもいいかもしれない、なんて。

 私も随分と素直になったもんだ。

 

「でもなるべく早くしないと、私達が情報を手に入れたことはモウリョウも気づいてるはずだし」

「なら明後日がいいわね」

 

 少し圧迫するような口調で私の後輩(同期)は言った。

 

「二日もあれば(ゆめ)の怪我も治るでしょう」

「…………贅沢はいいません。…………チャンスですので……」

 

 夢は反論しない。確かに傷自体は二日もあれば治るだろうが、だからといって支障なく動けるようになるかは別問題だ。万全を期すなら一週間は欲しいだろうに。唯々諾々と『先輩』に従うのは出自が影響してるのか、それとも単純に先輩の言う事だからか。たぶん両方。純粋に尊敬しているのだろう。夢のメイン師匠は私だけど、夢はサブの師匠にも色々と教わっているから。

 

「私もそれで大丈夫です、師匠」

「なら決行は二日後。時間は二六時で」

 

 軽く目配せして、私達は頷き合う。

 

「明日一日は完全に休養にあてるわ。二人とも基礎訓練だけして体調を万全に整えておくこと」

「後悪いとは思うけど友達の誘いとかは断った方がいいかと。もちろん遊び尽して任務に支障が出ないっていうなら問題ないけど」

「なら私は明日一日は師匠についてまわりまーす!その方がやる気も出ると思うし」

「…………私も、師匠のバイト先に行きます。…………ご主人様とか言われたい……」

「うげっ」

 

 確かに明日のバイトは例によってメイド喫茶だけども……。

 

「…………ダメですか師匠」

「別にダメとはいってないでしょ」

 

 まぁ、この間は私達のミスで怪我をさせちゃったわけだし、ちょっとはサービスしてあげないこともないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦会議が終わって弟子達がじゃれあいながら部屋を出ていき、私達は軍議の社で二人きりになった。

 

「気を使われちゃったかな……」

「はんっ、弟子に気を使われるなんて、師匠としての自覚が足りないんじゃないの?」

「あはは…………」

 

 またこれだ。『あの時』から、こいつは困ったように笑うことが多くなった。笑ってごまかすようになることが多くなった。これで弟子の前ではほとんど笑わなくなったっていうんだから救われない。こいつの弟子が夢じゃなかったら、師弟の絆なんて成立するわけがないくらいだ。ツキカゲの師弟のシステムは素晴らしくもあるけれど師弟の相性が合わないなら諸刃の剣となり得る。師弟相伝の仕組みは機密保持の観点からも素晴らしい仕組みだけど師弟の絆によっては最悪の事態になる。

 私と師匠みたいに、こいつとあの裏切り者みたいに。

 『あの時』みたいに。

 

「ふーん、やっぱり焦ってるんだ」

「それは……。ようやく掴んだ情報だから……、今を(のが)したら()げられちゃう」

 

 今更焦りとか不安とかでパフォーマンスが落ちるほどやわな活動をしてきたわけじゃないから、私は別にそういう面での心配はしてない。半年前の『あの時』以来、私達は半年前とは比べものにならない修羅場を潜ってきた。

 何もかもが足りなかった。

 本当に、何もかもが足りなかった。

 技術も、肉体も、精神も。連係も、信頼も、自覚も。未熟な半端者で、それでも私達は『あの時』から命懸けで頑張ってきた。たった二人のツキカゲ。たった二人の戦い。心に負った傷はそんなに簡単には癒えなくて、成長しきってない私達はミスばかりをして、それでも今は生きている。

 後悔を抱えながら、それでも今を、私達は。

 

「別にいいけど…………」

「どうかした?」

 

 笑えなくなった。

 心の底から笑えなくなった。

 悲しめなくなった。

 あれ以上の絶望はもうないから。

 強くなった。

 そんな強さは、いらなかったはずなのに。

 

「結局いつまで続けるの、あれ?」

「……忘れられないの。それにああしないと私は上手くできないし。……分かるでしょ?」

「……、まぁ、ね」

 

 でもそれは私達を弱くするんだよ。

 いつまでも執着してたら、きっと『いつか』に命取りになる。

 私はともかく、モモちは特に。

 それを、分かってるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校終わり。モウリョウ日本支部本拠地への潜入作戦を明日に控えた私は師匠に連れられて何処へかに向かっていた。

 

「師匠、師匠?どこへ行くんですか?」

「……………行けば分かるわ」

「むー、秘密ですか師匠?そういうの良くないと私は思います」

 

 かれこれ30分近く歩いているが未だにどこに向かってるのか全く分からない。ツキカゲの関連施設はこの方向には無いはずだし、今まで連れていかれた全ての場所もこの方向には無い。何かの訓練だろうか?でも今の所ただ歩いてるだけだし……、あっ、ひょっとして観察力を鍛える訓練かな?今まで歩いてきた道に何があったのか聞かれるとか。んー、でもそれなら楽勝!私には瞬間映像記憶能力があるから、視界を広く持っていればたいていの質問にはきっと答えられる、はずだ。うん。

 

「もう着くわよ……」

「?」

 

 師匠、緊張してる?

 

「ここって」

 

 目の前に見えてきたのはきっちりと区画整備された領域。そこは死者の眠るとても静かな場所。私達の誰もが最終的に辿り着き、鎮魂歌(レクイエム)が奏でられる場所。

 

「お墓、ですか?」

 

「ついて来て」

 

 私は今まで一度も墓参りをしたことがない。お墓というモノが存在する意味を私は全うできないからだ。死んだ人間は死んだ人間以外の何物でもなく、墓参りという行為は結局の所遺族の心を慰めるモノでしかない。だから、慰められる『心』というモノを持たない私にとって墓参りは何の意味もない行動だった。父親は死んでいるけど、母親とはもう何年も会っていないけど、私は哀しい気持ちになったことなんてない。それを壊れてると人は言う。それは人間らしくないと誰かに言われた。でも、それって人間を構成するのに必要な要素なのだろうか。スパイを構成するのに必要なモノなのだろうか。例え人を人らしくする(スパイス)なんてなくても、私は間違いなく人なのに。

 

「師匠。今日は誰かの命日だったりするんですか」

「命日ではないわ」

「じゃあ」

 

 特別なのは師匠だけ。私にとって唯一は師匠だけ。だったら泣けるんだろうか?私は師匠が死んだ時には、(なみだ)を流せるのだろうか?

 

「あなたはまだ、分からないかもしれないわね」

「?」

 

 師匠の表情はいつも通りだ。いつも通りの無表情。師匠の表情が動くことはめったにない。まるでそれが罪であるかのように、師匠はずっと仏頂面だ。 

 

「ここよ」

「ここは?」

 

 そうして師匠は

 刻まれているのは見覚えの、聞き覚えのない名前。青石家之墓と墓石には刻まれている。

 

「青石家?師匠の知り合いですか?」

「任務中に殉職した、私の同期の墓よ」

「っ、師匠の……」

「別に本当のお墓ってわけじゃないけどね」

 

 そういえば一度だけ聞いたことがあった。半年ほど前にとあるツキカゲの師弟が死んだと。そっか、そうなんだ。これが、その人たちの墓。

 刻まれている名前をゆっくりとなぞる。

 青石家之墓。

 そう、確か殉職した二人の名前は……。

 

「石川五恵と青葉初芽。そうか、だから青石なんですね」

「…………二人の遺体は結局回収できなくて、こんなことをしてる私達だから親類に事情を説明することも出来ないでしょう?だから、秘密裏にだけど、せめて二人を知ってる私達だけでも二人を偲ぼうって作ったのよ」

 

 殉職した、私の前の世代の人達。

 家族にすら知らせることのできない死。

 未だに回収できないままの死体。

 

「ごめんなさい師匠。私、こういうのよくわからなくて」

 

 けれど私は何も感じない。感じられない。殉職した前の世代のツキカゲ。師匠の同期と師匠の師匠の同期。その人達の墓の前にいて、私は悲しむべきなのだろう。しんみりした気分になるべきなのだろう。でも出来ない。そうはなれない。石川五恵も青葉初芽も他人だから。知らない人だ。私の『特別』じゃない。

 

「別にそういうことを期待したわけじゃないわ。ただ、知ってほしかっただけ」

 

 何を?

 

「ねぇ、(さい)。私達は、いつ死んでもおかしくないの」

「知ってますよ?」

「……次の任務、たぶんツキカゲ史上でも最難関のモノになるわ。私もあなたも、死ぬかもしれない」

「大丈夫ですよ!私はともかく、師匠は死にません!だって師匠は私の師匠ですから!」

「あなたは怖くないの?」

「怖い……ですか」

 

 師匠の言葉を反芻する。怖い。恐い。恐怖。

 恐れ。懼れ。畏れ。

 分からない。

 私には、分からない。

 だからきっと私の答えは師匠の求める答えとは違うモノなのだろう。

 

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 今はもう、それを欲しいとも思わないけど。

 私は私の『特別』を、もう見つけたから。

 

「だから大丈夫ですよ、師匠。私も師匠も、夢も楓も、きっと大丈夫です」

 

 私の知らない、死んでしまった師匠の仲間のお墓を前にしながら、私は師匠にそう微笑みかけた。

 師匠。きっと大丈夫ですよ。ツキカゲの皆は、強いですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠曰く、全てが順調で想定通りに進んでいる時は相手の掌の上らしい。

 

「おかしい……」

 

 『カラキノソラサキ』への潜入は自分でも驚くほどに上手くいった。私達3人は殉職した元ツキカゲメンバーが作ったハンドクリームで身体を透明化して潜入し、変装術が得意な楓は単独で潜入して内部でツキカゲの衣装に着替える。この作戦は師匠の輝きに満ちた日々の中で使われた作戦の一つらしい。

 

「静かすぎるわね……」

「ひょっとしてヤバい状況ですか?師匠?」

「………………………」

 

 個人的には周囲が静かなのは別に問題ないことだと思ってる。私達は潜入してるわけだし、それがモウリョウ側にばれてないっていうのならそれ以上のことはないと思うんだけど。

 どうやら師匠たちの意見は違うらしかった。

 

「どう思う、風魔?」

「…………誘われてる、かも」

「やっぱりばれてるか」

 

 第六感とか経験論とかそういうモノだろうか?私達弟子にはまだ備わってない場数がもたらすモノ。幾つもの修羅場を潜ってきた師匠たち固有の技能。だから私は師匠を敬愛する。尊敬する。

 

「ならもう全員行動に意味はない。ここから先は二手に別れ――――――」

 

 警戒しながら前に進みながら思考を続けていただろう師匠の動きが急に止まった。その眼がまるで信じられないモノをみたかのように見開かれ、そのめったに動かない表情が驚愕に染まる。珍しい、ひどく珍しい。初めて見たかもしれない。師匠のこんな表情は。

 

「師匠?」

 

 だから気になった。

 何が師匠をそうさせた?

 何が師匠を動かした?

 

「あ、れ……は……」

 

 師匠の視線の先を追う。その先には何がある?

 その先に在ったの壁。

 師匠の視線の先にあったのは壁他とほとんど変わらない灰色の壁面。

 ただ一点、その壁面に違う所があるとすれば、

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

百地(ももち)っ、これって」

「師匠、の……」

 

 絶句、とでも言えばいいのか。

 唖然、とでも言えばいいのか。

 動揺、とでも言えばいいのか。

 初めてみる、師匠の姿。

 たぶんこれが素。素の師匠なんだ。

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 沈黙の時間は一秒にも満たないはずだったけど、私には一時間のことにも思えた。それくらい昏く、重く、苦い時間で、空間で、圧迫感。

 そしてたったそれだけの時間で師匠は決断したみたいだった。

 

「風魔、百道(モモチ)のこと任せていい?」

「一人でいくき!?一緒に連れて行った方が」

「師匠が呼んでる。なら(弟子)は応えなきゃ」

「でもっ!」

「お願い」

 

 真っ直ぐと楓の目を見つけて、真摯に師匠はお願いしていた。びっくりだ。本当に。こんな師匠は初めて見た。

 

「お願い、風魔……」

「………はぁ」

 

 大きくため息を吐く楓。でも楓は優しいから、返答なんて決まりきってるんだろう。

 

「分かったわよ。でも死んだら殺してやるから」

「ありがとう」

 

 そこには二人だけにある共通事項があるのだろう。少しだけ漏れ聞いた、師匠たちの壮絶な過去。半年前にあったっていうツキカゲそのものを根本から変えた『過去』。私達弟子の知らないそれが、師匠たちをとても強く繋いでいる。それが少し、いやだいぶ羨ましい。それはきっと私だけじゃなくて夢もそうなんだろうな。

 

百道(モモチ)。今から風魔の指揮下に入りなさい。私は行くところがあるから」

「……嫌です」

「え?」

「だから嫌です、師匠」

 

 普段は師匠の命令に素直に従ってる私の初めての反抗。それに師匠は少し困ったような顔をして、それに私はちょっとだけ満足する。

 

「って、本当は言いたいんですけどね」

 

 ちょっとくらい私も意地悪していいよね?

 

()()()()()()()()()私でも、私だからこそ、今の師匠が危ういっていうのが分かります。だから本当は一緒についていきたいです。でも……」

 

 私も師匠を真摯に見つめる。師匠。私の唯一の『特別』。あなたに会って、私の世界は変わりました。あなたに会って、私の世界が色づきました。師匠。私はあなたが好きですよ?

 

「でも師匠、大事なことなんですよね?いつもいってるチームワークっていうのを放棄するくらいには」

「うん……」

「なら、全部終わってから聞かせてください。私、気になってはいたんですよ?師匠たちの過去が。……だからちゃんと帰ってきてくださいね」

「……弟子が師匠の心配をするなんて、生意気よ」

 

 とん、と私の額を小突いて師匠は言う。薄く笑いながら。

 僅かな接触。それだけでとても暖かくて、心充たされる。

 

「任せたわよ、風魔」

「任せときなさい、百地(ももち)

 

 そして私は師匠と分かれた。

 それが師匠との今生の別れになるなんて、気づきもせずに…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて、そんなことにはならないよね?師匠?

 

 信じてるからね。師匠。

 

 私の大好きな、源モモ先輩(師匠)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『カラキノソラサキ』の中を私は全力で走る。壁に押されていたサクランボマークのスタンプはまるで私を誘導するように、いや事実私を誘導するために連続で押されていた。曲がり角ではどちらにいけばいいのか案内され、スタンプの押されている間隔も徐々に短くなってきている。もう少し、もう少しだ。きっともう少しで……っ!

 

「ここ、に……」

 

 彩とも夢とも別れて行動してるから、自然口調も元に戻る。そして自分の感情も変化していくのが分かる。師匠としての自分から、弟子だった時の自分に。

 一つの扉の前で立ち止まる。

 ここ、ここが、ここが終着点。

 ここに案内された。

 あのスタンプは私をここに導いた。

 最後のスタンプが扉に押されている。

 

「ふぅ」

 

 いる。絶対に。この扉の奥、この中の部屋。ここを開ければもう対面するしかない。ここを開ければもう戻れない。最後の最後までいくところまで行くしかなくなる。それでもいいの?私はそれに耐えられる?

 

「覚悟は出来たよ」

 

 辛いことも、悲しいこともたくさんあった。一年前は六人だったツキカゲ。半年前に二人になったツキカゲ。今は四人のツキカゲ。ここまで来るのにどれだけの苦労をしたか。一からすべてを変えて、ツキカゲに改革を施すのにどれだけ努力をしたか。何もかもが足りなくて、いつも一人で泣いて、それでもここまで来た。

 昔の私とは違うって、今の私は成長したって、だから扉を開けて教えよう。

 私はこんなにも強くなったって、あの人に。

 

「っ!」

 

 そして私は扉を開ける。

 その先に絶望が待っていると、分かっていながらに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠と別れた私達は、師匠とは別のルートで『カラキノソラサキ』の深部に向かっていた。

 

「臭い、臭過ぎる」

「………………師匠?…………何が、ですか?」

「夢、彩も注意しときなさい。これ絶対何かあるから」

「了解です!風魔!」

「…………私の師匠を呼び捨てるな、百道(モモチ)

 

 軽く言い合いをしながら私達は最速で進む。楓曰く、侵入はもおうばれていて、今私達を放置してる理由は不明らしい。ただ、何か策があるのは確実だろうと言っていた。策、策、策ね。まぁどんな策があろうとも私達3人なら乗り越えられるだろう。それくらいの実力はつけてきたつもりだし、何より楓は師匠には劣るがかなり強い。爆発する手裏剣を高精度で操れるのなんて楓くらいだ。師匠も数十メートル先の敵に手裏剣を当てていたが、スパイスを服用した楓は五百メートル先の敵にも余裕で手裏剣を当てるらしい。全く狂ってる。師匠たちは化物だ。

 

「…………師匠、音が」

「オーケー。百道(モモチ)弁慶(べんけい)は後方警戒」

「了解です!」

「…………分かりました」

 

 ……でも、これは師匠から聞いた話だけど、師匠達はツキカゲのスパイとしては失敗作らしい。何でかっていうと、師匠達はツキカゲを受け継げなかったから、……らしい。つまるところ師弟相伝であるはずのツキカゲの技術は師匠達の代で一度途切れてしまっていて、私達が教わっている技術はツキカゲに伝わっているモノじゃなくて師匠達が新しく作った、あるいは伝え聞いて再現したモノらしい。

 だからこそ師匠達はいつもどこか背負い気味だ。私達は、特に夢はそれをどうにかしたいっていつも思ってる。

 まぁ私は楓にはそこまで興味があるわけじゃないんだけど。

 

「ち」

 

 ドシン、ドシンという音が私にも聞こえてきた。楓の指示通り振り向いて後方を警戒しているから前方から来たものが何か確信は持てないが、でもこれは音からして、

 

「ロボット?」

「当たり。またアップデートしたみたい、ねっ!」

 

 モウリョウがよく使う戦闘用人形(ロボット)。今まで何度も倒してきたし、これくらいなら三人でかかれば余裕だろう。なんなら私一人でも勝てるくらいだ。

 

「弁慶はそのまま周囲を警戒!百道(モモチ)は私のサポートをっ!」

「任されました!」

「…………引き続き警戒します」

 

 元浮浪児だった夢の警戒能力は高い。一点特化型のスパイといえるだろう。対して私はそうじゃない。まぁ特化してるものがないっていうのは嘘だけど、私の特化してるモノは()()()()()()()()()()()()()()から。私はどちらかというと万能型(オールラウンダー)。突出した技術もないかわりに苦手なモノもない。だからこういう場面は、サポートで役に立てる!

 

「っ!」

 

 後方中距離から投げられる手裏剣型爆弾を上手くよけながら走り、私はすれ違いざまにロボットを斬り付ける。私の武器はもちろん刀だ。師匠も、師匠の師匠も、師匠の師匠の師匠も使っていたっていう由緒正しき武器。『上手く使えば最強よ』なんて、師匠は私に刀を渡すときにそういってたっけ。

 

百道(モモチ)

 

 静かに、非常に通る声でそう合図され、私は一気にロボットから距離をとる。

 

「一斉に、爆破!!!」

 

 轟音が鳴り響き、煙幕が立ち上り、そしてロボットが動かなくなった。投げつけ突き刺した手裏剣の一斉起爆。これは以下に丈夫なロボットといえどもたまらないだろう。

 

「まっ、この程度なら余裕、で――――――」

 

 四分の一ほど壊れたロボットを前に楓が自慢げな態度をとる。事実余裕何だろうし、私の師匠だったらもっと余裕何だろう。それくらいの実力は師匠達にはある。驕りでもなく驕れるほどの、調子に乗らなくても調子づける、先輩風を吹かせられる程度には先輩な、私達の師匠達。

 

「ぇ」

 

 だけど煙が晴れて、そんな楓の表情が固まった。

 

「し、しょう……?」

 

 その因縁を、私は知らなかった。

 だから後になって後悔した。

 師匠達の過去を、もっと、もっともっと知っておけばよかった、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開けた扉の先には一人の少女が立っていた。まるで私のことを待っていたかのように、その人は扉の方向を見つめていた。

 

「来たわね」

「来ました」

 

 後ろ手に扉を閉めて、私は私達を部屋の中に閉じ込める。これでもう二人きり。邪魔なんか入らない、入らせない。

 

「半年ぶりですね」

「私は会いたくなかったわ」

 

 閉じられた右目。隻眼。

 青色の髪。ツインテール。

 忍装束。私と同じ。

 今もまだ、使ってるんだ、その服を。

 

「私は会いたかったです。師匠も私に会いたかったからあんなメッセージをおいたんじゃないですか?」

「分断させたかっただけよ。あれを残せばあなたが、あなただけがこっちに来るって分かってたから」

 

 嘘吐き。

 分断させたいだけならここで待ってる必要なんかない。誘導だけして放置すればいいだけ。ここで待ってるってこと自体が、ここにいるってこと自体が、私と会いたかったていう証だって、そんなこと簡単に分かる。

 下手な嘘になんか騙されない。もう騙されてあげない。

 

「師匠」

「何?」

 

 冷たくて、

 その声が、あまりにも冷たくて、

 

「聞いていいですか、師匠」

「何を?」

 

 寒くて、

 その声が、あまりにも寒くて、

 

 だからわかる。もうとっくの昔に知って(理解して)いた。

 

 ――――――ああ。

 

 そう、故に私は刀を抜いた。刀を抜いて、照明を反射して(にぶ)(かがや)くそれを強く強く握りしめて、改めて自覚した。

 

 私は、師匠を(うしな)ったんだ。

 

「なんで相談してくれなかったんですか?」

「…………………………」

「私は、そんなに頼りなかったですか?」

「……………………」

「私達を、そんなに信頼できなかったんですか?」

「……………」

「ねぇ」

「……」

「師匠!!!」

 

 脳裏に(よぎ)るのは、『あの時』の光景。

 精神(ココロ)に映されるのは、永遠の後悔。

 私は、

 わたしは、

 ワタシは……っ!

 

「答えてください」

「                  」

「応えてくださいよ、師匠」

 

 歪む表情が抑えられない。スパイとして感情を制御する術を持っていたとしても、今この時だけは普通の少女に戻ってしまう。

 分かっている。私の弱点(ウィークポイント)。私達弟子の共通の欠点。

 ツキカゲの技は師弟相伝。だからどうしても、どうしたって弟子は師匠に強い執着を持つ。

 私の弟子(靄隠彩)(源モモ)を強く尊敬しているように、(源モモ)もまた師匠(半蔵門雪)のことを強く敬愛している。憧れは、例え裏切られても捨てられない。

 

「別に、大したことじゃないわ。お金が欲しかった。ツキカゲよりもモウリョウの方が金払いがよかった。たった、それだけのことよ」

「…………それが、師匠の理由ですか?」

「だったら」

「戻ってくる気はないんですか」

 

 その問いは、少なからず師匠の予想を覆すモノだったのだろう。師匠は少し本気で驚いた顔をしていた。師匠の弟子だった半年もの間でも見たことのない表情。それを見ることができて、私の心はほんの少しだけ充たされて、だから再確認。

 

 私はまだ、師匠のことが――――――。

 

「ツキカゲは変わりました。師匠の頃とは違って、今は実権も『上』じゃなくて私達が握ってます。資金面での援助もモウリョウ以上にします。だから」

「誰も納得しないわ」

「納得させます。絶対に、力づくでも。だから師匠、戻ってきてください。昔にみたいに私のことをモモって呼んでください」

 

 分かってる。私は師匠を喪った。でもだからって諦められない。例えそれがどんなに細い糸だとしても斬れていない限りはまだ繋がってる。

 私達の絆は、まだ斬れて、斬ってないですよね?師匠?

 

「私はまだ、師匠に教えてもらってない事がたくさんあるんです。師匠に教えてもらいたいことがたくさんあるんです。師匠、私は」

「遅いわよ、もう」

 

 全ての過去を斬り捨てるように師匠は言った。

 そして師匠は私を睨みつけながら、腰に差した刀を抜いて構える。

 

「だから来なさい、百地(ももち)

 

 あぁ、

 

 あぁっ、

 

 あぁッッッ!!!!!

 

「っ」

 

 だから私は、

 そこに師匠の意志を感じ取れたから。

 泣きそうな顔で笑って、

 狂いそうな心で叫んで、

 私は答える。

 師匠の望みに応える。

 

「っ、師匠!」

 

 抜いた刀に師匠の姿が映る。

 師匠の手にもたれた刀にも私の姿が映っている。

 そして私達は、私と師匠は、たった二人で輪舞(ダンス)する。

 別れていた一年もの時を埋めるように。

 それが不可能だと、知っていながらに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怖い、とそう思った。

 

「ぁ、ぐっ」

 

 恐い、とそう思った。

 

「ふ、ざけ」

 

 恐怖で身体が震える。

 

「ふっ、ざけ、るな」

 

 多くの人間とは違う精神構造をしている私でもこれは怖い。

 感じるのは怒り。怒りだ。

 まさしく怒髪天を衝くという表現が的確な、いやそれでも足りないほどの怒り。

 怒。

 怒っ。

 怒っ!

 

「ふざけるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 それはまるで活火山の大噴火。

 あるいは大質量の隕石落下。

 または星の終わりに起こる超新星爆発(スーパーノヴァ)

 

()()()()()()()()()()()!!!!!」

 

 何だろうか。今日はびっくりする事ばかりな気がする。師匠のあんな姿も初めて見たし、楓のこんな姿も初めて見た。びっくりだ。驚嘆だ。これが師匠達の素で、本音で、本当の姿なのだろうか。だとしたら今まで私達が見てきた師匠達は偽りで、嘘で、演技だったのか。

 

「はぁーっ、はぁーっ、はぁーーーっっっ!!!」

 

 いやそうじゃないだろう。そうじゃないだろうけど、そういう面もあったのかもしれない。師匠も楓も人間なんだから。ちゃんと感情のある、人間なんだから。

 

「弁慶、百道(モモチ)

「はっ、はい!」

「…………師匠?」

「悪いけどここから先は二人で行って、師匠としての役目を放棄するみたいで本当に悪いけど」

「はい?」

「…………師匠っ!?」

 

 それは信じられないような提案で、命令だった。ここから先は弟子だけでいけと?なんだそれはびっくりだ。いつもいつも信頼とかチームワークとか仲間とかそういうことを大事にして口を酸っぱくして言っている師匠達が揃ってこんなことを言うなんて。異常事態で異状事態だ。

 正気とは思えない。

 何が師匠達をそうさせる?

 何に師匠達はそんなに執着している?

 師匠達の過去に、一体何があったんだ?

 

「私は」

 

 憎しみに満ちた瞳で、楓はロボットの中央部を見ている。

 その手は手裏剣型爆弾を血が出るほどに握りしめている。

 

「私は、ここでやることがあるから」

 

 その視線の先には、

 その視線の先には、

 その視線の先には、

 

「…………師匠、誰ですか、あの人は?」

 

 ロボットの中に人がいた。

 いや、さっきまで私達が戦っていたのはロボットではなくパワードスーツだったのだろう。着込む形で戦闘能力を上げる補助用機構パワードスーツ、それを中にいたこの人が操って戦っていた?

 この人が楓をこんなにも動揺させたのか?

 この、パワードスーツを着込んでいる人が?

 

「あの人の名前は八千代命」

 

 八千代命?

 

()()()()()()()()()

「――――――」

「っ!?」

 

 その過去からは逃げられないと、楓の横顔が物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠の身体が地面を滑る。

 左右に揺れ、容易に的を絞らせないような動きをする師匠。

 

 いつか、言っていた。

 

 『モモ。あなたの動きは直線的過ぎるわ。もっとフェイントを意識しなさい』

 

 覚えている。

 師匠。私はちゃんと憶えているんですよ。

 ねぇ、師匠はおぼえてますか?

 

 『今のは中々良かったわよ。その調子で励みなさい』

 

 振り下ろされる鈍色の(かたな)を私は手に持った刀で左に受け流す。

 師匠。私、ちゃんと出来てますか?

 全部、あなたに教わったことですよ。

 

 『筋力が足りないなら攻撃を『止める』ことではなく『流す』ことを意識しなさい。相手の体勢も崩せて一石二鳥だから』

 

 流された刀につられるようにして師匠の体勢も崩れる。左方向に傾いたその身体に私は躊躇わず蹴りを入れる。

 

「っ」

 

 ガードされた。

 刀を握っていない方の掌が絶妙に私の蹴りを受け流す。

 上手い。

 とても、上手い。

 真っ向から攻撃を受け止められる筋力がないからこその、相手の攻撃を受け流すという行動。まだまだ、まだまだ全然届いてない。

 私はまだ、まだまだ全然――――――。

 

「はっ!」

 

 連撃。蹴りを受け流されたその瞬間、私は手に持った刀を師匠の喉元に向かって突く。殺す、殺す、殺したい――訳じゃないけども、それでも私は刀を突く。その程度の覚悟も持たずに師匠に刀を向けるだなんて、とても失礼なことだから。

 けれど、その攻撃は当然のように届かない。

 一歩下がった。たったそれだけ。

 たったそれだけの距離があまりにも遠い。

 遠すぎて、届かない。

 もう決して、交わら(届か)ない。

 

 『大切なのは意志。やるというのなら私が鍛えるわ』

 

 トンッ、と伸びきった腕を叩かれる。その衝撃はとても軽いモノだったけれど、叩かれてしまったことで私の意識はどうしても一瞬腕に向く。視線が叩かれた腕の方を向き、刹那よりも短い時間だけ私の瞳は師匠を捉えられない。

 

 その隙を師匠が見逃すはずもなかった。

 

 音もなく詰められる距離。

 躊躇いなく振るわれる鈍色の刀。

 

 でも、今の私にその程度の攻撃は――

 

 『モモ』

 

(ぁ)

 

 妙にだぼついていた師匠の袖から何か黒いモノが(こぼ)れ落ちた。

 

 

 

 

 

 『閃光弾(フラッシュ)は卑怯だって、戦場で敵にそう抗議するの?』

 

 

 

 

 

 いつか、そう、怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局私達は楓と別れて進むことにした。師匠達のサポートがなくなるのはかなり不安だけど、私達もそれなりの実戦経験を積んできた。よほどの敵が来なければ任務を遂行する自信がある。

 

「…………百道(モモチ)

「何?弁慶?」

「…………師匠、大丈夫かな?」

 

 心配か。心配なのだろう。私だって心配だ。

 いくら強い師匠でも、それは正常な状態での強さ。誰にだって弱点はある。最強はいても無敵はいない。人間は核ミサイルが直撃すれば確実に死ぬ。つまりどんな人だって確実に負ける可能性はあるのだ。鍛えるとはその確率を減らすことでしかない。師匠を信じているけど、でも本当は心配だ。

 私だって、師匠と一緒に戦いたかった。

 

「大丈夫でしょ。それより私達は自分たちの心配をしないと。……周囲に危険は?」

「…………今のところは」

 

 でもそんなのは(おくび)にも出さない。わざわざ夢を不安がらせる必要はないし、私がそれを表に出す理由もまたない。

 けれど、と心の中だけで私は笑う。

 誰かを気づかえるようになるだなんて、私も随分成長したもんだ。

 

「…………というかびっくりするくらい反応しない。……たぶん、この先に危険は、ない?」

「はぁ!?」

 

 驚きのあまり声を上げてしまった。

 

「なにそれ、危険がない?戦闘員がいないってこと?」

「…………少なくとも私の『センサー』には反応ないけど」

「どう思ってる?」

「…………私を信じるなら、たぶん大丈夫だと思う」

「…………………………………」

 

 元浮浪児で、裏路地で様々な種類の危険にあってきたが故に鍛え上げられた夢の危機察知『センサー』。

 師匠達とは別枠での第六感。

 私にはない、鍛え上げられる技術とはまた違う、人生経験からくるモノ。

 

「ダミー、か?」

「…………師匠達も怪しんでた」

「っ、だとしたら……」

 

 嵌められたのかもしれない。

 誘われたのかもしれない。

 狙いが違うのかもしれない。

 この罠は、誰を引っかけるためのモノだ?

 

「最低限の警戒でなるべく速くいこう、弁慶。なるべく速く最深部に行って情報盗んで全部ぶっ壊して、師匠達の救援に行く」

「………………賛成」

 

 焦りは感覚を鈍くさせるが弁慶のセンサーは信用に値する。だからたぶんこの先に危険はないはずだ。そも敵地でセンサーに反応がない事自体が異常。そしてそれを考えるなら、今最も危ないのは私達じゃない。

 師匠達だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光。

 あまりにも眩しすぎる閃光があの子の瞳を焼く。

 音。

 あまりにも激しすぎる爆音が私弟子だった子の耳を壊す。

 

「っ、ぁああッッッ!!!???」

 

 閃光弾(フラッシュ)。私が袖口から落下させたそれは何の準備も対策もしていなかったであろうモモ(元弟子)の瞳と耳にクリティカルヒットした。

 もちろん、モモだって昔の私と同じように一流のスパイだ。ひょっとしたらもう今はツキカゲ時代の私よりも優秀なスパイになっているかもしれない。だからモモがそういう搦手を、閃光弾(フラッシュ)のような搦手を想定できなかったのかと言えばそうではないだろう。

 ツキカゲに入ってから一年あまり、そしてモモの師匠だった私がツキカゲを裏切って半年あまり。それだけの時間があればモモだって十分に成長できる。超一流とまではいかないが、十二分に一流と呼べるレベルまで成長できる。そのくらいの潜在能力があの子にはあると、私は知っている。

 だが、けれど、だからこそ、だ。

 油断がなくても、増徴がなくても、欺瞞がなくても、ただ親しみがあった。

 私は知っている。

 ツキカゲの弟子なら誰でもそうなのだ。

 相模楓にとっての八千代命のように。

 石川五恵にとっての青葉初芽のように。

 靄隠(もやかくし)(さい)にとっての相模楓のように。

 相良(あいら)(ゆめ)にとっての源モモのように。

 師匠を相手取る時、どうしても、どうしたって、弟子は無意識のうちに本気になれなくなる。

 それはツキカゲの師弟システムの最大の欠点。

 だからあの子は私の閃光弾(フラッシュ)をよめなかった。

 無意識の親しみが、それを出来なくさせた。

 

「しっ、しょうぅううぅうぅ!!!???」

 

 叫びながら無茶苦茶に刀を振り回すモモを見て、私は薄く笑う。モモの視界が回復するまで後何秒だ?モモの聴覚が回復するまで後何秒だ?5秒?10秒?30秒?なんにせよそれだけの時間があれば十分で十二分。平時の数秒でも戦時なら永遠に近い。特に今のような近接戦を繰り広げる私達からすれば余計に。

 

「う、っァ」

 

 身体を回転させ、まるで踊り狂うかのように全身を動かしまくるモモ。それを私は少し距離をとって観察する。モモの思考はわかる。聴覚と視覚が回復するまで私の事を近づけまいとしているのだろう。それにはとにかくもう動きまくるしかない。出来る限り身体を動かして攻撃動作をよめなくして私の躊躇いを望むしかない。そうすることでしかこの危機を乗り越えられない。そう、モモは判断したのだろう。

眼が見えない耳が聞こえない。それは一般人にとってもスパイにとっても大きなハンデだ。

 敵の位置が分からず、敵の動きが分からず、敵の攻撃も防御もわからない。

 だからきっと私は心のどこかで気付いていた。

 この戦いの結末を、心のどこかで理解して(分かって)いた。

 

「さよなら」

 

 音にならないほどに小さな声で私は言い放つ。過去との訣別の言葉。そこに乗った感情は何なのか、私は自問自答する。躊躇いはあるのか?戸惑いはあるのか?罪悪感はあるのか?喜悦はあるのか?快感はあるのか?いい気味だと思っているのか?それとも、何の感情もないのか?

 それはわからない。もうどうすればいいのかも分かっていなかった。

 けれども、

 

「――――――――――――」

 

 モモが振り回す刀を上手くよけながら、私は己の刀が届く位置まで歩を進める。刀というのはそもそも一撃必殺の武器だ。斬ることで敵の命を奪うそれを私は全力で振りかぶり、そして、

 

「っ」

 

 斬、と空気を裂く音が空間を満たし、全てが一瞬静止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()ッ、と。

 私は高速で動き回りながら手裏剣を投げる。

 いつか、言ってくれた。

 

 『フーは手裏剣が得意だからいいところでいい感じにね』

 

 いいところでいい感じってどんな感じだ、とその時は思ったっけ。

 

 『二人でやっていけばいい。私たちは完璧な師弟だから』

 

 でも今私の隣には誰も居ない。そして今の私には師匠以外に支えないといけない人がいる。

 

 『これからは、私達がツキカゲなんだ』

 

 一番の新人のくせに、師匠が裏切って一番ショックを受けてるくせに、あの時モモちは意気消沈の私に決意のこもった瞳でそういった。本当は私がそれを言わないといけなかったはずなのに、本当は私がツキカゲのリーダーにならなくちゃいけなかったはずなのに。モモちは、あの馬鹿は。

 

 『二人になっちゃったけど、たぶん、これから先色々あるだろうけど。……頑張ろう、(ふう)ちゃん』

 

 強がって、強くなって、今じゃ立派にリーダーになった。

 いつの間にか弱みを見せなくなった。

 いつの間にか笑わなくなった。

 いつの間にか本音を隠すのが上手くなった。

 弟子に接する態度はあの裏切り者を真似るようになった。

 うそつきだ。

 私もモモちも、嘘つきだ。

 

 『それでも、私達はツキカゲだから』

 

 馬鹿。

 ほんと、なんて馬鹿なヤツ。

 

「だから、こんな卑怯な手に屈するわけにはいかないの!」

 

 モウリョウ。

 許せない。

 元より許す気も無かったけど、今はより許せない。

 誰から聞いたのか知らないが――いやほんとは気付いてるけどこの際無視する――知らないが人の師匠をだしにして、人の師匠を人質にして、無礼千万この上ない。まぁ、礼儀なんてもとから無いわけだけど!

 

「っ!」

 

 ロボットに対する中央部への攻撃は師匠(八千代命)を傷つける可能性があるから出来ない。攻撃するとしたら腕か、あるいは足。とにかく機動力を削いで師匠を救出する。そうしないと始まらない。

 

「全く」

 

 罵りの言葉なんていくらでも出て来る。

 反省の言葉なんていくらでも出て来る。

 全く、全く、全く。

 

「全く、嫌になっちゃう」

 

 せっかく一般人になった師匠がまた裏世界に巻き込まれるなんて、本当に、この世界はすくわれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂。

 痛いほどの沈黙が私と師匠の間に流れていた。

 

「………………」

「………………」

 

 カラン、と刀身の半分から先が床に落ち、転がった。

 己の手で全力をもって振り下ろされた刀の先端を見る師匠。その瞳に映された感情を私だけが読み取れる。

 

「………………………………」

「………………………………」

 

 自信を持て、源モモ。

 自覚を持て、百地(ももち)

 例え師匠よりも裏世界に身を宿した時間が少なくても、例え師匠よりも深い特別な事情が存在しなくても、例え私がまだ、まだ師匠のことを強く強く強く愛していたとしても。

 

「眼が見えないから」

 

 私は、

 

「眼が見えないから、耳が聞こえないから、攻撃を受けられない、避けられない。そう思ってましたか、師匠」

百地(ももち)……」

「私だって成長してるんですよ。師匠がいなくなってからも、私は私を鍛えてきたんです」

 

 今の私は、

 

「今の私は、師匠よりも強い!」

 

 今の私は、ツキカゲのリーダーだ!!!

 

「投降してください、師匠。悪いようにはしません。風魔も、師匠が帰って来れば喜ぶはずです」

「…………………随分と、上から目線ね、百地」

「いくら師匠が強くても、そんな欠けた武器で私に勝てるとでも思ってるんですか」

 

 ちらり、と私は地面に落ちた刀の半分を見る。

 閃光弾(フラッシュ)は確かに私の眼と耳をダメにした。けれど、そもそも私がどうしてツキカゲに入ることができたのか、師匠は忘れてしまったのだろうか。

 

 そう、そうだ、そうだろう。そもそも私がツキカゲに入ることができたのは、

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「視覚が潰されても聴覚が潰されても、私なら嗅覚で師匠の居場所が分かります。ツキカゲに入る前ならともかく、ツキカゲに入ったばかりならともかく、今の私は閃光弾(フラッシュ)ごときじゃ戦闘不可能にはなりません」

「だったら?」

「っ、まだ戦う気ですか師匠!本気で、武器を失ったままで私に勝てると思ってるんですか!?」

「武器を失ったままで、ね」

 

 何だ。

 まだ、何かあるのか?

 いや、そんなことはないはずだ。

 師匠の刀はもう斬った。半分の長さになった刀じゃまともな攻撃なんて出来るわけがない。閃光弾(フラッシュ)で視覚と聴覚が潰された状態のまま、私は嗅覚で師匠の動きを感じ取って振り下ろされた刀を斬り捨てた。

 それは師匠にとっても予想外のはずで、だから予備の武器なんてモノは無いはずだ。

 なのに、その余裕は何だ?

 師匠はまだ何か、隠しているのか?

 

「切り札は最初に見せないモノよ、百地」

 

 スカートの中に手をやる師匠。だけど私は迂闊に動けない。師匠が何をしようとしているのか分からない以上、こっちから動けはしない。誘いか、ブラフか、本命か。それを確認してからでも遅くは……。

 

「な、……」

 

 師匠が取り出した『それ』を見て私は固まる。

 まさか、

 まさかっ!

 

「スパイス!?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ッッッ!!!???」

 

 瞬間走り出すが、私の行動はあまりにも遅すぎた。

 失敗した。

 失敗した失敗した失敗した。

 失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した!!!!!

 まにあ わ  な

 止められない!!!

 

「さぁ、第二ラウンドよ」

「師匠……っ!」

 

 そして状況はリセットされた。

 ここから先の曲調は変わるだろう。

 より激しく、より複雑なものへと。

 輪舞(ロンド)から奇想曲(カプリッチョ)へと。

 私は、それを無意識のうちに感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけ強かったとしてもロボットはロボットでしかない。プログラムされた通りの動きしかできない木偶の坊に、私が負ける理由はない。

 

「それにしてもっ」

 

 人質としての師匠(八千代命)。その役割は十分にはたされているものではない。師匠が囚われているのはあくまでパワードスーツの腹部だ。そこ以外への攻撃は躊躇いなくできるし、そこ以外の攻撃は余裕で通る。

 加えて、パワードスーツの装甲が想像よりも薄い。

 

「……師匠を捕らえたなら、もっと効率的な使い方があるはずなのに」

 

 私が今戦いを優位に進めているのは師匠の意識がないからだ。師匠はパワードスーツに組み込まれているけど、別にパワードスーツは師匠の意志で動いていない。だから余裕だ。

 例えばこれが師匠の意志で動いているパワードスーツであればこうはならなかった。

 例えばこれが洗脳された師匠と直接戦うのであればこうはならなかった。

 例えばこれが重傷を負った師匠を救出しなければならないのならばこうはならなかった。

 だからそもそもこの状況が奇蹟。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……でも」

 

 それは無いはずだ。あの裏切り者は今は私達の敵。ツキカゲの敵。あいつの、あの裏切り者のせいで全てが狂った。尊敬してたのに、師匠だって信頼していたのに、どうして、どうして、どうして、あんな、あんな事件を起こしたんだろう。

 

「ふっ!」

 

 もう慣れた。もう慣れたよ。パワードスーツ動きにはもう慣れた。

 もう慣れたのよ、この胸の、痛みにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 交錯し合う鈍色の刀二つが接触のたびに甲高い音を鳴らす。

 力を込めなければ一瞬で押し切られると分かる膂力。さっきまでの師匠とは大違いだ。

 

「っ!」

「ふッ!」

 

 ヤバい。ヤバい。すごくヤバい。完全に圧されている。まさか師匠がスパイスを服用していなかったなんて予想外だ。そしてスパイスを服用していないのにも関わらずあの戦闘能力。スパイスを服用してこの戦闘能力。

 マズイ。このままじゃ勝てないっ!

 

「くっ!」

 

 あり得ない。あり得ない。意味が分からない。刀身が半分になってるのにどうして私と互角にやり合うどころか私を圧せる!?いくらスパイスを服用したからってそんなに強くなれるのか!?

 武器のリーチは私の方が分がある。刀身が半分になった以上、刀の重さも変わるから取り回しはさっきみたいにいかないはずだ。500グラムは軽くなったはず。なのにまるでさっきまでと変わらないかのように師匠は刀を扱っている。

 どうしてそんなことができる!?

 欠けた刀なのに!?

 これが、

 これが

 これが、

 

「師匠の本気ですか!」

 

 強い。強い。強い。

 やっぱり、私の師匠は――――――!!!

 

「はぁッッッ!!!」

「ッ!?」

 

 だから敗けられない。

 あぁ、だから余計に負けられない。

 

「はああああああああああ!!!!!」

 

 気合を入れて無理やりギアを一段階上げる。師匠、師匠っ、師匠っ!私は、私はここまで、こんなにもっ!

 

「気持ちだけが強くても、実力は上がらないっ!」

「戻ってきてくださいよ、師匠ッッッ!!!」

 

 一合二合と刀を打ち合わせ、所々で蹴りを織り交ぜる。師匠の攻撃を状態を逸らして避け、刀で捌き、距離をとって避ける。刀を突きだし、上から下に振り下ろし、フェイントを混ぜながら一気に距離を詰める。

 届かない。だけど。

 届かない。だから。

 届かせたい。今こそ。

 

「はぁっ、はぁっ、っ!」

 

 息が荒くなる。手にもった刀が重い。足が動かなくなりそうで、集中が途切れそうになる。ここまで来ても、ここまで来ても、師匠っ、師匠!

 

「っ、まっ、まだまだ」

「届かないわ」

 

 その声が信じられないほどに冷たく聞こえるのは私があの時から何も成長していないからなのか。

 その声がとてつもなく私を責め立てていると感じるのは私が昔と何も変わっていないからなのか。

 

「まだです。師匠、私はまだっ!」

 

 違う。頭を振って全力で否定する。変わったんだ、私は。昔と違う。成長した。師匠よりも強くなった。ツキカゲを変わらせた。ツキカゲのリーダーになった。強くなった。不測の状況にも対応できるようになった。ミスをしなくなった。考えるようになった。指示を出来るようになった。強くなった。弱さを見せなくなった。偽れるようになった。強くなった。強くなった。強くなった。

 強くなったはずなのにっ!

 

「まだ、私の方が強い」

「ししょうおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 それが挑発であるとは分かっていた。でも耐えられない。他の誰でもなく、師匠だけは特別だから。思わず感情的になってしまって、私は師匠にとびかかる。

 強くなったって知ってほしい。

 私は強くなったって、知ってほしくて。

 師匠。

 師匠。

 師匠。

 私は、あなたがいなくなってからも頑張ってたんですよ。

 

「どうして」

 

 無機質な瞳で(さば)かれる。

 師匠。

 師匠。

 師匠。

 私はまだ、あなたが帰ってくるべき場所を護ってるんですよ。

 

「どうしてっ」

 

 機械的な動作で防がれる。

 師匠。

 師匠。

 師匠。

 私はまだ、あなたに教えてほしいことがたくさんあるんですよ。

 

「どうしてっ!」

 

 私よりも圧倒的に上手く避けている。

 師匠。

 師匠。

 師匠。

 私は、

 私は、

 私は、

 

「どうして、いなくなっちゃったんですか!!!」

 

 師匠。

 師匠。

 師匠。

 師匠。師匠。師匠。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞ッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 自分でも分かるくらい表情を歪ませながら、私は精一杯刀を振るう。どんどん精度が落ちていくのが自覚できる。どんどん威力が落ちていくのが自覚できる。それでも、それでも、それでも。

 

「――――――――――――」

 

 憎いくらい冷静に、

 焦がれるよりも冷徹に、

 憧れるように無表情で、

 師匠の刀は振るわれる。

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 どうしてそんなに変わらないでいられるんですか?

 師匠。師匠にとって私はどんな存在でしたか?

 大切だって、大事だって、ほんの少しでも思っていましたか?

 なんで黙ってモウリョウにいったんですか?

 どうして話してくれなかったんですか?

 あの日、あの時、あの場所でしたあの誓いは、嘘だったんですか?

 師匠。

 私は今も、師匠を尊敬しています。師匠を想っています。

 師匠。

 変わらないモノなんてないって、師匠は言ってましたよね。

 師匠。

 私はそれでも思うんです。

 師匠。

 私は――――――。

 

「っ」

 

 ダンっ、と師匠が一段と強く踏み込んできた。鈍色の刀が私の喉に向かって突かれる。首を動かして避けることは難しい。だから私当然自分の刀を使って師匠の刀の軌道を逸らす。それでも体勢を崩さない師匠に私は回転蹴りを放つ。ここまでの近距離なら外すことはない。威力は低くなるだろうけど、それでも師匠に主導権を握られ続けるよりは余程マシだと思って。

 

 そして師匠に地面についている足を払われた。

 

「ぁ」

 

 蹴りを放った左足。足払いをかけられた右足。どちらも空中に浮いて、私は無様にしりもちをついて、

 

「百地」

「師匠」

 

 師匠が私に馬乗りしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 救出は思ったよりも、いやかなり簡単だった。

 

「まっ、余裕ですね。師匠」

 

 一年前は出来なかっただろう。半年前なら苦戦しただろう。けれど、だからこそ今の私には出来る。余裕だ。驕りではなく成長した。昔の師匠よりも、私は強くなった。ツキカゲの強さランクで言えば関脇なのだ。今の私は。

 流石にあの裏切り者には及ばないけど、強いんだ、私は。

 

「師匠っ、師匠っ!大丈夫ですか師匠!?」

「っ、……ぅ…………」

 

 何か薬でも嗅がされたのか、それとも強力な殴打でも受けたのか、パワードスーツの中に組み込まれていたとはいえあれだけの戦闘の中でも師匠は一切目を覚まさない。

 いくらツキカゲを脱退したとはいえ、ツキカゲでの経験はまだ身体に染みついているはずなのに。

 いや、でもそれも仕方ない事なんだ。

 今の師匠はただの一般人なんだから。

 

「とりあえず弁慶達に連絡、……ううん、安全確保が優先だね」

 

 ガシャガシャと音を立てながらまるで逃げ口を塞ぐかのように人形(ロボット)共がわらわらと這い出てきた。その数、五、十、二十ほど。

 地面を埋め尽くす鉄屑の山に一切の恐れはない。

 こんな、こんな鉄屑共なんて、さっきまでの師匠を格納したパワードスーツに比べれば雑魚同然だ。

 

「ふっ」

 

 手裏剣を投げる。当然命中する。手裏剣が爆破する。ロボットがただの鉄に変わる。

 

「はっ!」

 

 気絶してる師匠の傍を離れて、ロボットの攻撃が私に集中するように上手く動きながら戦いを続行する。単純制御のプログラム行動ならより脅威度の高い方を優先的に攻撃するはず。

 だったら私が師匠の傍にいるのはむしろ逆効――――――っ!?

 

「なっ!!!???」

 

 一機のロボットの、いや一機だけじゃない!?

 私が師匠と距離をとった途端、全てのロボットの銃口が師匠へと向けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠との距離が近い。近すぎて、呼吸すら止まりそう。

 

「――――――」

「――――――」

 

 今の状況が分かってる?なんて、もう一人の私が呟いてる。

 分かってるよ。分かってる。うん、分かってる。

 危機的状況だよね。今にも殺されるかもしれない。

 でもさ、これっていけないことかな?

 今までよりもずっと近くに師匠を感じられて、それで悦に浸るのってそんなにいけないことかな。

 あぁ、時間が止まればいいのに。この距離が、永遠に続けば――――――。

 

「っ!」

 

 なんて、そんなわけにもいかないよね。

 振り下ろされたのは半分の長さになった鈍色の刀。殺傷能力が下がっていても刀は刀だ。私を殺すには十分で、十二分。

 だから当然私はそれをどうにかしないといけない。

 といっても私の膂力じゃスパイスを使った師匠には敵わないだろう。片手で片手は止められない。両手で片手は止められるけど、空いた片手で師匠は私を殴りつけるだろう。そうなれば私の負けだ。私の人生はそこでジ・エンドだ。

 だから止めない。

 受け流すだけ。

 

「っ」

 

 振り下ろされた刀の側面を重ねた両手で殴りつける。例えスパイスを服用していたとしても人は側面からの衝撃に弱い。これもまた、師匠に教わったこと。

 ダンッ、と軌道が変わった刀が私の左肩のすぐ上に刺さる。

 一瞬焦ったけど、けどこれで師匠はもうこの刀を使えない。

 だから攻めるなら、今。

 

「!?」

 

 右手に握った刀を師匠に向けて振り上げようとした瞬間、腕を足で蹴られた。流石。判断が早い。

 だけどこれで膠着状態。

 

「もう武器は無いですよ。師匠」

「それで」

「まだ、やりますか?」

 

 近い。近い。誓い。

 近いけど、離れてる。

 だから満足できない。

 こんなに近いのに、

 あんなに遠いから、

 

「状況は私の方が有利よ」

「本当に?」

「あなたに伏せ札でもあると?」

「だとしたら?」

「どうやって?」

「師匠にもう札は無いですよね?」

「だったら?」

「この状況が私の想定通りだとしたら?」

「まさか」

「私は、……師匠」

 

 近い。誓い。ちかい。

 ハッタリを含めた言葉でも、今ならきっと。

 

「まだ師匠に、本気で、戻ってきてほしいと思ってます」

 

 本心の本音の本来の本当。

 二つの意味での、ラストチャンス。

 

「……………」

 

 沈黙。

 静寂。

 長閑。

 

「嘘つき」

 

 最後の交渉は失敗した。

 

「ッ!?」

 

 一切の容赦なく師匠が殴りかかってくる。馬乗りになられた姿勢のままじゃ反撃することもままならない。だからって一方的にやられる私じゃない。

 師匠に言った言葉に嘘はない。

 武器を持たないで極近距離で話せる状況に誘導した、というのは本当に真実だ。

 師匠を説得したかった。

 師匠に戻ってきてほしかった。

 師匠とまた一緒に戦いたかった。

 師匠にまた色々なことを教えてもらいたかった。

 1年前は楽しかった。6人で戦っていた時が人生で一番充実していた。楽しかった。私の最盛期。

 それを嘘にしないためにも、

 ツキカゲを存続させるためにも、

 師匠の意志を次の世代に繋ぐためにも、

 師匠と過ごしたすべてを無かったことにしないためにも、

 

「            」

「            」

 

 だから、

 だからっ、

 今なんだッッッッ!!!!!

 

()()()()()()()()()()!!!!!」

 

 私は奥歯を強く噛んだ。

 

「なっ、ァッッッ!!!???」

 

「――――――」

「――――――」

 

 うそつき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連続する銃声の十六重奏。

 それが鳴り響くほんの三秒前。

 

「師匠っ!」

 

 まるで神速の抜刀術のようにスカートの裏からスパイスを取り出して私は一瞬でそれを口に含む。

 途端、頭の中のギアが切り替わる。身体の中作り替わるような錯覚。

 

「ふッ!」

 

 半年前の事件を契機にツキカゲの体制で変わったことはいくつかあるが、その内の一つは『スパイスを使わない』ことだ。スパイス。スパイスはいうまでもないことだけツキカゲの切り札だ。でも私達は切り札を使い過ぎた。使い過ぎたから半年前の事件が起きた。

 だから私とモモちは決めた。もうツキカゲは『スパイスを使わない』、と。

 今は使ってるけど。

 

(届かせるっ!)

 

 スパイスは使わない。ギリギリまで使わない。出し渋る。そうして、本当にどうしようもないとき、どうにも出来ないとき、そんな時だけに使う。スパイスを使ってなくてもスパイスを使ってる時みたいな戦闘能力をみせて敵にスパイスを使ってると誤解させ、そうやって切り札を使わずに勝つ。

 ツキカゲは変わったけど、変わったようにみせないために私達は頑張った。

 その頑張りを、今こそ発揮する時!

 

(見える)

 

 時間の流れが遅くなる。基礎能力が上がったおかげで弾丸一つ一つがくっきりと見える。なるほど、この世界で動くんならモモちが刀で弾丸を斬れるようになったのも納得できる。

 

 『もっと強くならなきゃ』

 

 聴こえるのは幻聴。

 

 『私、(ふう)ちゃんまで喪ったら……っ!!!』

 

 私もだよ、モモち。

 だから、

 だから、頑張ってるんだよ。

 もう、誰も喪わないために。

 それがひどい矛盾を孕んでいるって分かっていても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりにも呆気なく。

 あまりにも突然に。

 あまりにも唐突に。

 

「やっぱり師弟で考えることは同じですね、師匠」

「ぐ……っ」

「私も」

 

 ぐらり、と師匠の身体が傾いた。武器なんてなくても私の身体は十分に凶器になってる。たった一発だったとしても全力で殴りつければそれで十分。

 師匠には特に効いたはずだ。

 きっと師匠は、さっきまでの私を本気の私だと思っていたから。

 でも違う。

 だから勝った。

 さっきよりも今の私の方が十倍強い。

 その理由は。

 

()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()

「百地……っ!」

 

 いつかに教わった。切り札の使い方。伏せ札の見せ方。格上の敵の倒し方。

 強くなったでしょう、師匠。

 私は、こんなにも。

 

「終わりです、師匠」

 

 宣言する。これで勝ちだと。

 

「今度こそ今度こそ、これで本当に、」

 

 宣告する。これで王手だと。

 

決着(終幕)です」

 

 一閃。

 

 それが、私と師匠の戦いの結末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三秒あれば師匠を救出する事なんて簡単にできた。

 だから問題はその後だった。

 

「っ、キツすぎ!」

「……………………………」

 

 師匠(気絶している人)を抱えながら十六機のロボット相手に高速戦闘を繰り広げるのはきつすぎる。弾丸の雨を掻い潜り近接戦から逃げ、師匠を守りながら手裏剣をとばしてロボットを破壊する。

  一機二機ならできる。五機くらいでもまぁ、時間はかかるだろうけど出来る。けど十六機だ。十六機は多い。笑っちゃうくらいだ。

 

「ぅ、……う…………」

 

 モウリョウが私にさせたいことはわかってる。この危機的状況を逃れるためにはどうすればいいか。どうするのが一番なのか。そんなのスパイじゃなくても分かる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「しない」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そんなこと、しないっ」

 

 物理的な、そして精神的な重し。師匠さえいなければこんなことにはならなかった。師匠さえいなければ私こんな苦戦なんてしてない。師匠さえいなければ、師匠さえいなければ。

 

 ――――――なんて。

 

「思うわけないでしょ!!!」

 

 今私が追い詰められているのは私が弱いからだ。師匠は何も悪くない。師匠は私を救ってくれた。師匠は私を鍛えてくれた。師匠は私を守ってくれた。短いけど、師匠といられた毎日はこれ以上ないほどに幸せだった。全てが狂った半年前。何もかもが終わった半年前。師匠はいなくなって、私はモモちと二人きりになった。ツキカゲはたった二人だけの組織になった。

 だけどっ!

 

「私は前に進む」

 

 後悔はいつもある。けど、師匠の言葉を私は憶えてる。

 

「だから師匠は見捨てない」

 

 弱きを守り悪を滅するのがツキカゲだって、いつかに師匠は言っていた。

 私もそう思う。

 そう思うよね、モモち。

 

「私は負けない。モモちのためにも、夢や彩のためにも、師匠のためにもっ!負けてなんか、やるもんか!!!」

 

 宣戦布告は炎に満ちて、

 けれどそんなこととは全く関係なく、私の右肩を弾丸が貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝敗は完全に決した。誰が見てもここからの逆転はない。私の勝ちで、私の勝利で、私は師匠を上回ったのだ。

 師匠を負かした。

 

「私の勝ちです。師匠」

「私の敗け、か」

 

 ただ事実を確認するかのように師匠は呟いた。

 見下す私と見上げる師匠。

 無防備な師匠と再び武器を持った私。

 倒れ伏す師匠と立ち上がった私。

 力関係は此処に決したのだ。

 そのはずなのに、

 

「なんて言うと思った!?」

「まだっ!?」

 

 まるでばねのように急激に身体を起き上がらせて、師匠はもう一度私に攻撃してくる。だけどもう師匠がスパイスを服用してから中々の時間がたっている。さっきスパイスを服用したばかりの私なら、今の師匠との力比べも勝てる!

 

「なんでっ、なんでそこまで……っ!?」

 

 殴りかかってきた腕を片手で抑えて、蹴りを放とうとする足を思いっきり踏みつける。そしてその流れで一本背負いっ!

 

「っ!?」

「もう勝負はついてるじゃないですか!師匠っ!!!」

 

 師匠を地面に叩きつける。拘束を決して緩めず、私はなおも師匠を説得する。

 見上げる師匠と見下げる私。いつかとは逆の光景。

 

「ツキカゲに戻ってきてくれたっていいじゃないですか!師匠がモウリョウについた理由は、ツキカゲを裏切った理由はお金なんですよね!?だったら私がどうにかしますって言ったでしょう!!!モウリョウの十倍、百倍渡します。だからっ、だからっっっ!!!!!」

 

 必死の決死の訴えでも、師匠には届かないの?

 私はこんなにも師匠を求めてるのに、師匠にとって私はどうでもいい存在だったの?

 ねぇ、師匠。

 どうして、裏切ったんですか。

 本当に、ただお金が理由なんですか?

 

「もう遅いのよ、百地(ももち)

 

 何が?

 何がですか、師匠?

 私馬鹿だから、ちゃんと言ってくれないと分かりません。

 

「遅すぎて、遅すぎるの」

 

 どうして、そんな哀しいことを言うんですか?

 どうして、そんな寂しいことを言うんですか?

 

()()()()()()()()()()()

 

 何ですか。それは。

 殺せって、そう言ってるんですか?師匠。

 私に殺してほしいんですか?師匠は?

 どうして?その理由は?

 モウリョウ。ツキカゲ。スパイ。スパイス。

 まだ何かあるのか?

 私の知らない。私の知らない何かが。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 殺せないから、勝てない?

 死なせられないから?負けない?

 そんなことはないはずで、そんなことはないはずなのに。

 分からない。理解できない。師匠の考えが全くわからない。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 考えろ。考えろ。考えろ。

 師匠は何を考えている。

 九天サイエンス。空崎市。財団。私設情報機関。師弟関係。

 絶対に何かあるはずだ。

 師匠のことは、私が世界で一番理解している。

 

()()()()()()()()()()

 

 ツキカゲ。私設情報機関。財団。九天サイエンス。モウリョウ。ドラッグ。スパイス。スパイ。裏切り。お金のため。私は死ぬまで止まらない。師弟。半蔵門雪。モウリョウ幹部。記憶消去。政府との協力関係。クラスメイト。特殊能力。狙撃銃。刀。身体強化。秘密。軍議の社。スパイスのタイプ。黒いスパイス。モウリョウ日本支部。殺人。殺害。捕獲。九天ゼリー。

 

百地(ももち)

 

 …………………………………スパイス?

 

「………………嘘」

 

 気付いた。

 私が気付いたことに師匠も気づいたのか、私しか分からないくらいの微笑を師匠は浮かべた。

 いや、いや、いいや。

 だとしたら、まさか、そんな。

 

 ()()()()()()()()

 

「…………どうしても、ですか」

「私は死ぬまで止まらないわ、百地(ももち)

 

 あぁ、分かった。完全に理解した。

 

「分かりました。師匠」

 

 それが師匠の覚悟なら。

 

「師匠が死なないと止まらないっていうなら、そうしないとこれからも罪を犯し続けるっていうなら」

 

 それが私達に課せられた呪いなら。

 

「私は」

 

 私が、

 

「私は」

 

 私が、

 

「私はみんなのために、あなたを殺します」

 

 私がきっと、変えてみせるから。

 

 これが本当に最後。

 これで本当に終わり。

 さようなら、師匠。

 あなたの意志は、私が継ぎます。

 

 ――――――突、と。

 

 師匠の胸を、私の刀が、貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めは最悪の気分だった。

 

「ぅ」

 

 何だろう、何かべちゃべちゃするしむかむかするしぐらぐらする。おかしいな、別に昨夜体調が悪かったわけじゃないはずなんだけど……?

 寝惚け眼をこすりながら、メイは一度大きく伸びをして、

 

 気付く。

 

「良かった……。起きたんですね…………」

「ぇあ……?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ、どうし」

 

 べちゃっ、と起き上がり様に床についた掌からそんな音がした。

 

「な、に」

 

 気付く。

 気付く。

 気付いた。

 

「ここはどこ、なんだ……?」

 

 出るのは乾いた笑いだけ。この一瞬だけ目の前の血濡れ少女のことすらも頭の中から吹っ飛んだ。

 何だ、これ?

 メイはさっきまで間違いなく家のベッドで寝ていたはずなのに、今はなん、なに此処?妙に広い空間、目の前にいるのは血塗れの少女、その背後にはロボットのようなモノがたくさん積み重なっていて、床についたメイの掌は少女から流れ出た血で血みどろだ。

 寝る前の日常はどこへやら、メイは今、非日常のど真ん中にいる。

 けど今はメイのことよりもっ!

 

「大丈夫!?今、救急車をっ」

「別に、これくらい大丈夫ですよ……。止血もしたし、見た目ほど大怪我してるわけじゃないから……っ」

「そんなわけないじゃん!とにかく安静にしててっ!メイが絶対――――――」

「だから大丈夫だって」

「そんな強がり」

「良かった」

 

 それは重傷を負っている少女が発したとは思えないほどに優しげだった。そしてそれ以上の含みがあった。

 何だろう?

 この少女を、メイは知って……?

 

「無事でよかった」

 

 どうして、そんな表情を浮かべられるの?

 どうして、そんな大怪我をしているの?

 どうして、メイはここにいるの?

 あなたは、メイを知ってるの?

 あなたは、メイの友達なの?

 メイは、あなたを忘れて……?

 

「メイ達、どこかで……?」

「っ、初対面でだよ。私達は」

 

 だったらどうしてそんなにも悲し気なんだろう。

 きっと、あったんだ。

 メイとこの子の間には、何か繋がりが。

 きっととても大切な、何かが。

 

「今までも、これからも」

「でも」

 

 シュッ、と小さな音が聞こえた。

 するとなぜか目がかすんできた。

 あれ、どうして?

 なんか、ねむ…………。

 

 少女の口が、小さく動いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人を殺すのは、これが初めてじゃない。

 ツキカゲの一員として戦っていく中で、私だって何度か人を殺したことがある。

 腕を切り落としたり、頸動脈を切り裂いたり、胸を突き刺したり。だからこんなのは全然普通。辛くなんてない。いつもやってる事。

 いつもやっている事のはずなのに、

 

「あ、ぅ」

 

 人を殺すのはこれが初めてではないけれども、

 人を殺すのにはもう慣れたと思っていたけれども、

 私みたいな人殺しに涙を流す権利なんてないと思ってる。

 私みたいなスパイは人並みであってはならないと思ってる。

 

「っ、…………ぉ」

 

 ()()()()()()()()()()ッッッッッ!!!!!

 

「師匠ッッッッッ!!!!!!!」

 

 ごめんなさい。

 ごめんなさいっ。

 ごめんなさいっ!

 

 私が弱くて、師匠に全部背負わせて、ごめんなさいっ!

 

「師匠っ、私、私はっ」

「モモ」

 

 返り血で真っ赤になるツキカゲの衣装すらも気にせずに、私は致命傷を負った師匠の身体を思い切り抱きしめた。あぁ、なんて、暖かくて冷たいんだろう。あぁ、なんで、こんなに寒くて熱いんだろう。

 人を殺すのはこれが初めてじゃないけど、人を殺して涙を流したのは初めてかもしれない。

 私にとって特別。

 私だけの師匠。

 私の唯一。

 それがもう、いなくなってしまう。

 もう、二度と会えなくなる、なんて。

 

「ごめんなさい」

 

 だからもう抑えなくていいよね。

 全部知りたい。

 全部教えてほしい。

 

「あなたのことが、大好きでした」

 

 

 

 

 

 最期の口づけは、冷たい死の味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「さよなら師匠。また会えて、だいぶ嬉しかったです」」

 

 ばいばい師匠。

 

 ばいばい、師匠。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばいばい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絡めていた舌をようやく離す。

 あまりにも名残惜しいけど、捨てないといけない。

 私はツキカゲだから。

 

「…………嘘つき」

 

 口内に残る師匠の唾液を嚥下しながら、私はゆっくりと立ち上がる。

 幸せそうな死に顔を魅せる師匠の死体から必死に眼を逸らして、それでも師匠の想いを感じとってしまう自らの五感の鋭敏さを恨みながら、私はありったけの敬意となけなしの侮蔑を込めて、誰にも届かないとわかりながらも吐き捨てる。

 

「師匠の、大嘘つき」

 

 こんな風に、褒めてほしかったわけじゃ、ないのに。




バッドエンドよりのビターエンドでした。
まぁ本編でこんな展開になるのは嫌だけどね!!!



ネタバレ全開の解説

わざと分かりにくくしていますが、アニメ時空の1年後を想定した二次創作です。

アニメ1話より出ている『裏切り者』=半蔵門雪という解釈で書きました。たぶん外れてますが。





以下簡易登場人物紹介

源モモ
 現ツキカゲリーダー。戦闘が得意になるしかなかった。良い意味でも悪い意味でも強くなってしまった。

半蔵門雪
 裏切り者。雪が裏切った本当の理由はもうモモにしかわからない。

相模楓
 心労絶えないモモをサポートするツキカゲのサブリーダー。交渉やら潜入やら裏方が得意になるしかなかった。良い意味でも悪い意味でも強くなるしかなかった。

八千代命
 半年前の事件でツキカゲを脱退済み。とある事情のため己の師との再会を諦め、記憶を消して一般人に戻る道を選んだ。けれど一度入った裏の世界からは逃げられなかった。

石川五恵
 死亡済み。遺体未回収。

青葉初芽
 死亡済み。遺体未回収。

靄隠(もやかくし)(さい)
 源モモの弟子。最初の方に出てきた弟子はこいつ。コードネームは『百道(モモチ)』。モモのコードネームと読みが被ってるのでコードネームを変えろと仲間からは言われているが無視している。名前のモデルは霧隠才蔵。

相良(あいら)(ゆめ)
 相模楓の弟子。元浮浪児であり、相良の『相』の字は相模の『相』からとった。コードネームは『弁慶』。名前のモデルは相良忍軍及び弁慶夢想。


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