<グリフィン第13旅団司令部>。事実上の特殊部隊と化したヤン提督の部隊は、独立した地下秘匿司令部を与えられた。
それも、スケアクロウの単独撃破及び戦線の維持拡大をわずか3日で完璧にこなしたから。
ヴェノムの撤退後、提督は間髪おかずに増援部隊による面制圧作戦を実行した。
あらかじめ偵察部隊が仕掛けていたC4を同時起爆、それに合わせて少数の"
もぬけの殻の敵司令部まで一気に侵攻した後、全戦力を各戦線に同時投入、放射状に戦線を拡大、殲滅戦に入った。
放射状に伸びた戦線を終端で連結・展開し包み込むように円状の支配区域を確立した。
仕上げとばかりに重要ポイントに偵察塔を建て、ぐっすり眠っていた私が起きる頃には本部からの増援部隊が到着し作業を始めていた。
「これ、どういうこと・・・」
「やぁ、おはよう、FAL」
慣れない視界に違和感があり、左目をこする私に紅茶を出したのはヤン提督だった。
煤と血を洗わないまま真っ白でふかふかなベッドシーツの上に寝ていたことに少し悪い気がする。
提督は、意外と女慣れしているのだろうか。私、いま破れたへそ出しタンクトップにボロきれみたいなタンクトップで下着も丸見えなのだけれど。
それとも、傷と血で汚れた人形には興味無いのかしらね。
・・・それはそうと、私は朝に弱いから、もう少し薄めの紅茶でいいのだけれど。というか、紅茶淹れるの下手なのかしら、提督。
「あら、提督・・・作戦は?」
「君のおかげで成功したよ。いま、物資を運び込んでここを橋頭堡にしようとしている」
「良かった」
「さて、今回のMVPである君には報酬と休暇、及び修復が与えられると共にデータリンクが必要になる」
遠くの空を見上げて呟いた。
「修復、ね・・・提督、一つお願いがあるのだけれど・・・」
私の神妙な顔を見てズボラなあのヤン・ウェンリーも襟を質して、
「できることなら」
「神経は直してもらって構わない。でも、この眼だけは・・・そのままにして」
あの謎の人物につけられた傷跡。縦一文字に右眼を斬ったそれは──自分で言うのもおかしいけれど──端正な顔に赤い印をつけていた。
「人形が変な話をするようだけれど・・・」
と席を立った私が振り向きざまに呟くのを聴きながら、提督は紅茶を口に含む。
「私、思った以上に
肩を竦めて、直ぐに修復とデータの抽出へと向かう。
「・・・やれやれ、だから言ったじゃないか」
後ろでヤン提督が呟くのが聞こえた。
「君も、人間と同じ、女の子だ」
***
ヤン・ウェンリーが前線指揮から司令部に戻り、1週間が経った。
その間にヤン・ウェンリーが何をしていたかといえば昼寝である。
「ねぇ、提督」
具体的に理由を言うと、それはつまり暇を持て余していたからだった。
「別に私が言ったからどうこうってわけじゃないんだけど──」
ブロンドに近い茶髪を青いリボンでサイドに結ったFALは、やる気なさげに紅茶を飲む指揮官を見やって、自らもだらけることにしたようだ。
「なんだい」
そうのたまう見た目はただの青年の男、着替えているのだろうか。
FALは考えた。
この男、制服以外を着ているところを初めて会ってから2週間、1度も見ていない──!
「──あなた、それしか服持ってないの・・・?」
それはFALにとってある意味
おしゃれ好きな──自らのファッションセンスは壊滅的であるが──FALにとって、普段着が軍服、それも地味なブルゾンに白のスラックスと黒ベレーなどという不届き者は許せなかった。
この提督、30代前半にしては若く見える。しかも、磨けば光りそうなタイプ。
そのくせ自分のファッションには全く興味が無い、そんな良物件を見つけてしまったFALは心の底が震えるのを感じた。
「うん。ただ、それじゃああまりにも不潔だから、カリーナからパジャマを借りてるよ」
気だるげに返ってきた答えにFALの顎が落ちた。
まさか、この見た目でカリーナが着るようなパジャマを着ているというのか。いや、FALもカリーナのパジャマは見たことは無かったのだけれど。
「・・・君の考えていることくらいわかるぞ。男性用のを借りてる」
のんびりした口調で誤解を解く提督だったが、いまいちFALには届いていないようだった。
「・・・え、じゃあカリーナは男用のを使ってたってこと・・・?」
深刻な誤解が生まれてしまったが、提督も否定しなかったので──ただめんどくさかっただけだが──カリーナは男物を着て寝ていたという噂と、今は下着で寝ているという噂が広まったのである。
この噂を広めたのはもちろんFALではなく盗み聞きしていたステンだったのだが、ヤン・ウェンリーとカリーナからすればあれだけの戦闘力と作戦遂行能力を誇る歴戦の名銃FALも意外とそういうところはポンコツなのだな、程度にしか思わなかったようだ。
「しかたないわね、提督」
「何が?」
「私が貴方の服を見繕ってあげるわ」
そう宣言したFALは、せっかくの休暇を提督との(意図しない)デートに使うことになるのだった。
***
「外に出たから普通に接するけど・・・」
じっと提督を眺めるFALは、白のブラウスに黒のジャケット、腕には青のブレスレット。赤いポーチをぶら下げて、肩にはフェレットを乗せていた。
寂れた街に繰り出して歩く二人は思いのほか絵になっていて、街ゆく人の4人にひとりくらいは振り向くような取り合わせ。
実のところ、ヤン・ウェンリーは結婚していてFALもそれを承知の上だったので、まったくそういう気は無いふたりだった。
「・・・あなた、その格好が一番似合ってたのね」
まずは自室で収まりの悪い頭をどうにかしようと試行錯誤したFALだったが、どう整えても微妙に残念なハンサムと言えなくもない疲れた大学生のような見た目になってしまい、普段通りの髪型がいちばんまともだという結論に達した。
ちなみに、本人は言わないでいるが、ヤン・ウェンリーの結婚式での整えた髪型はもはやヤン・ウェンリーと思えない、「・・・誰?」と言われるようなものだった。
「・・・そろそろ帰っていいかい」
疲れた顔をして言うヤン・ウェンリーをよそに、FALはどんどん服をカゴに入れていく。
「だめよ」
言う間も惜しいとばかりに満杯になっていくカゴは、少しずつ重みに負けたプラスチックがたわむほどだった。服なのに。
「せっかく経費で落ちるんだから、ぱーっといっちゃいましょ」
そうやってFALがまず着せたのは白いぶかぶかのTシャツ。XLくらいはあるだろうか。胸に「働いたら負け」の文字がでかでかと書いてある。
「・・・あの・・・FAL・・・?」
「いいじゃない、やる気なさそうな顔も相まってぴったりよ。さて、次次」
次にFALが着せたのは黒いパーカー。胸には白いデブ猫。
「あなた、猫飼ってたって言ってたわよね。聞いてたイメージにぴったりのがいたからどう?」
「元帥・・・はまぁ、確かにこんな感じだけど・・・」
その後もぽんぽん憮然とした着せ替え人形のごとくFALに遊ばれるヤン・ウェンリー。
帝国軍や同盟軍の要人が見たら卒倒しかねない絵面だった。
その内着替える時間も惜しくなったのか自分でヤンの服を剥いでは着せ、着せては剥ぐFALだったがお互いに恥という感情が欠落しているらしく、何も起こらなかった。
****
「そうだなぁ。ひと段落したし、この機会に部隊のみんなに私の過去を語ってみるのもいいかもしれないね」
このヤンの思いつきが、驚愕の縁に叩き込むことを彼らはまだ知らなかった。
***
その準備の間、休暇の提督とのデート(無自覚)を妨害されたFALは不機嫌そうな顔をして宿舎でティータイムを過ごしていた。
「はぁ・・・提督ってけっこう思いつきで行動する人なのね」
話し相手になっているのはVector。発射レートに定評のあるクリス社製サブマシンガンだ。.45ACP弾を使用する特殊部隊などでよく使用される銃である。
「あのさ、興味ないんだけど・・・」
まつ毛を伏せてスコーンを齧るVectorをよそに、FALは語る。
「そもそも、もうすぐクリスマスじゃないの。あんの提督、忘れてるでしょ。せっかく準備してるのに」
通りがかったNTWがぼそっと呟く。腕には宿舎で飼っている猫を抱えている。名前はまだないが、白毛に所々茶色が混じったラグドールだ。もふもふしていてみんなのお気に入り。ちなみにふみふみが下手である。
「・・・完全に恋する乙女じゃないのか、それは」
「そんなわけないじゃない」
途端にけろっとした顔でFALは言う。
((・・・似てきたなぁ))
「どこが違うってのさ?」
「だってあの提督、妻子持ちよ。なんで私が寝取るようなことしなきゃいけないのよ。ナンセンスだわ」
((・・・そういうことでいいのか・・・))
憤慨するFALと冷めた2人を見つけたのがまた厄介な人形だった。
ステンである。お菓子に釣られたのか、ゴシップに釣られたのか。完全にゴシップキャラが定着してきたおてんば娘が、FALとヤン・ウェンリーの色恋沙汰を言いふらしたりでもしたら、2人の信用はガタ落ちである。
まして、片方は妻子持ち、片方はエリートで最精鋭。手の届きにくい存在ほど俗なネタはもてはやされるもの。
「どうしたんですか?」
「クリスマスパーティーの準備の話しよ」
何事もなかったかのように話すFALを見て、まだ人形としても兵士としても(FALに比べれば)実力不足のVectorとNTWはこれが経験の差か、と感心していたが当のFALは実の所なにも考えていなかった。
「実は、せっかくのクリスマスだからパーティーでも開こうっていう企画が司令部で出ていてね。それの準備をしなきゃ行けないんだけど、なにぶんトップがあの提督なもんだからまったく準備が進まないのよ」
ヤン・ウェンリーはパーティーを見るのは好きだが準備は好きではないのだった。
「・・・え・・・?そんな日に買い物行ってたんですか・・・?」
ステンの素朴な疑問に場が凍る。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・やっぱりさ、ずば抜けて凄い人ってどこか抜けてるとこあるよね?」
「・・・・・・・・・」
「・・・あぁ、提督とかそうだし」
「・・・・・・・・・」
「・・・とにかく、準備しちゃいましょうか!」
「・・・・・・もうやだ・・・」
時は12月23日。翌日の夜にイヴのパーティーを控えた15:54。準備は終わっているわけがないのだった。
***
クリスマスが過ぎた12月26日、FALは目の下のクマを隠そうともせずにすっぴんのまま談話室で紅茶を飲んでいた。
「別に気にしてないけど──」
とFALがいうのを聞きながら、ヤン・ウェンリーは読書を続ける。
「──あなた、ダンス下手過ぎない?」
クリスマス当日に哨戒任務に駆り出された不平満々のFALは、午後をパーティーの準備に費やした後に提督にダンスに誘われた。フリをして、打ち合わせ通りダンスを吹っかけたのである。
だが、結果は無惨。
ヤン・ウェンリーは致命的に運動神経がなかった。
リー・エンフィールドがキッチンでお菓子を作っていて、コトコト音を立てるケトルから紅茶を淹れている。
FALに眼をやってにやっと笑った。
「FAL、あなた、頑張ってるね」
エンフィールドが紅茶を継ぎ足して、
「提督を独り占めじゃない」
FALは肩を竦めた。
「今日は提督の講義なんだから、少しくらいいいじゃない」
歴史の学徒ヤン・ウェンリーのコンビの凶悪さを、彼女たちはまだ知らなかった。
数時間後、大会議場ではグロッキーな人形と興味津々な人形、寝ている人形の主に3種類に分かれていた。ちなみにヘリアンはグロッキーだった。
アスターテの会戦までは飛ばし飛ばし要所のみが語られ、そこからは実体験を交えた生々しい戦争記録だった。
****
宇宙暦795年から801年のわずか6年の期間における宇宙勢力図の移り変わりと軍事的名声のほぼ全てを独占していたのがラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーであった。
アスターテにおける自由惑星同盟軍第二艦隊と帝国軍ラインハルト艦隊の激突、ヤン・ウェンリーのイゼルローン要塞攻略作戦、帝国領侵攻作戦とアムリッツァ会戦。
この時点でスケールの大きさに卒倒した人形もいたが、それより目の前にいる自らの指揮官とその知人が英雄的人物だということを知ったショックが大きい人形もいたようだ。
同盟のクーデター、帝国内乱、4度にわたるイゼルローン攻防戦、そして、ラグナロック作戦とバーミリオン会戦・・・ヤンは生来のその性格から、いくらか戦績を少なめに語ったが、数字は嘘をつかない。ヤン・ウェンリーの率いた艦艇数と戦績は驚愕に値するものだった。
ヤンの鮮烈なまでの戦術はラインハルトの壮麗な戦略を食い破り、その喉元に歯を突き立てた。
だが、最後の最後でヤン・ウェンリーはその喉を食いちぎることをしなかった。
シビリアンコントロールを前提としたヤンの姿勢を知ったヘリアンは驚きに目を丸くしていた。そして、上層部へ報告しようと決めていた。
ヤンの新婚生活を聞いて目を輝かせていた人形達も、ヤン・ウェンリー逮捕以後の帝国弁務官府と同盟政府の姿勢にはひどく腹を立てたようで、それでもなお同盟のために行動する(民主主義のためであり、同盟と民主主義とは必ずしも=ではなかったが)ヤン・ウェンリーの姿はとても誠実に映った。
回廊の戦いではヤン・ウェンリーの表情が陰った。
ヤン・ウェンリーは戦いの最中テロリストに暗殺されたのである。
好敵手との望まぬ決着を、いや、決着とさえ呼べない最期を語る姿は悲痛だった。
最期の瞬間を語るヤンの目線はそれでも暖かく、初めて指揮官の死を知った人形達に向けられていた。
「君たちは、私みたいな人間ならたった1発で殺せる力を持っている。どうか、それを忘れないでくれ」
そう語るヤンの右足はいつの間にか血に濡れていた。
「力は正しいことのために使わなければならない。それは、人を傷つけるためじゃない。自分が守りたいと思う人のために使うことだ」
スカーフは脚に、スラックスは朱に染まる。
「そのために誰かとぶつかることもあるだろう。だが、力というのは最終手段なんだ。最初からそれに頼ってはいけない。そのためのことばなんだ」
人形達が見開いた目をようやく瞬きさせるころにはその情景は消え去り、いつも通りのヤン・ウェンリーがそこにいた。
そして、そこから先はヤンも知らない銀河の歴史。
銀の球体、色は漆黒の宇宙に浮かぶ虚空の女王。
球体は膨張し、広がり──
破れるように開いて溢れる。
流体ネオン
飛び交う熱線、戦艦ブリュンヒルト。
その手前の青緑の艦体は戦艦ヒューべリオン。
さらにその先へ──
シヴァの会戦、皇帝ラインハルトの崩御。
今この場にいるヤン・ウェンリーは死んだ時の年齢容姿であることを、彼女たちは直感的に理解した。
思い思いの感情を持って、人形達はいつもの生活に戻っていく。
「・・・ねぇ、提督」
「なんだい?」
「今回は日常パートじゃなかったの?」
「シリアスを挟まないと死んじゃう病なんだよ、きっと」
「・・・馬鹿なのかしら」
****
草木も眠る丑三つ時。AM2:00頃の話。
曰く、警備配属の軍人が基地の当直が基地の定時見回りをしている時に駐車場のど真ん中でひとり円舞を舞う女性がいたらしい。
その円舞は美しく、流れるように舞う姿はまるで天使のようだったと。
わずかに月光を反射するのはナイフ、銃、ピック、あらゆる近接武器と撥ねる汗。
それが視界に入った瞬間、凍りつくような殺意を感じた。
気がつけばピックを手に宙返りした女性が着地ざまにこちらにピックを振りかぶり、その姿勢で固まっていた。
わずかにため息をついた女性は円舞を再開する。
よく目をこらすと、その女性の目の前にぼうっと光が凝縮していく。それは、ぼやけた人型をとり、女性と舞い始める。
やがてそれは近接格闘の訓練だと気づいた警備員は、みとれてしまっていた。
「近接格闘技は、基本的に大地と密接に関わっています」
警備員は語る。
「大地を蹴ることで殴打や蹴りを繰り出し、攻撃を躱す。ですが、その円舞はまるで水のように、風のように相手の力を使って攻撃していたんです。まったくおかしい話ですが、ひとりでいたはずなのに相手が見えたんです」
最小限の動きで躱し、返す刀で蹴りを入れる。
角張った戦闘術ではなく、余計なものを削ぎ落とした流体になる。
女性の目は片目、月明かりを反射して煌めく髪は高いところでまとめてあり、開いている目からわずかに光が漏れている。
警備員は、舞の相手をしている光はその目が映し出すホログラムだと気づいた。戦術人形のデータリンクの残像が、本来その場に無いはずのホログラムを形成しているのだ。
少しづつ動きは加速し、より鋭く、速くなっていく。
女性と同じように警備員もいつしか息が浅くなっていた。
やがて円舞は終わり、女性は息を整えながらジャケットを脱いだ。
驚くことに、そのジャケットはごとりと音を立てて地面に落ちた。
タンクトップ1枚になったその姿は星空に映え、白い肌をつたう汗を拭い水を飲む姿はとても美しかった。寒空を感じさせないその姿に、警備員は声を上げることさえ忘れていた。
「・・・まだいたのね。見ていて面白いものでもないでしょうに。当直の警備?おつかれさま。もう行きなさい、私も行くわ」
そう言われた警備員は女性が立ち去るまでその場を動けなかった。
そして、警備員は写真に撮っておけばよかったと後悔したそうだ。
****
まだ空は暗いAM4:00、ガンサイトで射撃音が鳴り響く。
監視カメラには、暗闇の中ひとり射撃訓練をするタンクトップ姿の女性の姿があった。
この時この戦術人形は視界の暗視システムを切断しており、音と空気の振動を頼りに射撃をしている。
腰だめ、精密射撃、ロングレンジ、インファイト。様々な状況を想定した視界不良状態での射撃訓練だ。
この時、訓練機器のカウントスコアは司令部の昼時訓練記録を本人以外上回っていた。
****
空が白んできたAM6:00、基地の外周トラックを走る戦術人形の姿があった。
30kgの重りを詰めたベルゲンと、4.3kgの銃を持ちひた走る人形の行く手には、ランダムで障害物が出てくる。
それを重さに耐えながら歯を食いしばり地面を蹴り走る。
障害物の質と量はMAXに設定されており、タイムも記録される。
ひと通り走り終わった人形は膝に手を当てて、荒い息をつきながら呟いた。
「まだまだね・・・そろそろ朝の支度かしら。着替えるとしますか」
そう言って人形はハンガーへと歩いて行った。
「そろそろこの施設はやりつくしたかしら。プールとか山岳でもあればいいのだけれど」
呟きながら人形は銃をしまい、タンクトップを脱ぐ。
肌にすすの汚れが目立つ。豊かな乳房を押さえつけるサラシをほどき、訓練用のカーゴパンツを脱いだ人形は下着1枚でシャワールームに向かう。
下を脱ぎ全裸になった人形はシャワーのノブをひねる。
普通、戦術人形は戦場で負った傷はきれいさっぱり消す。そして、新たな戦場へ向かう。だが、この人形はそれをしない。
そのため、彼女の
髪をほどき、熱いお湯を浴びる。体を一通り流した彼女はお湯をたっぷりはった湯船に浸かる。
「ふぅ、朝はこんなものね。やっぱりお風呂は気持ちいいなぁ」
お湯を肩にかけながら深呼吸して入浴剤の香りを楽しむ。
「・・・これ、もう少し小さくならないのかしらね」
お湯に浮かぶ2つのふくよかな乳房を見て、ない人形からすれば血涙を流し拳を握りしめるであろう罰当たりなことを吐く人形だった。
ちなみに、この人形は中期に製造されたものであり互換性のある胸部ユニットがないわけではなかったのだが、届出を預かるゴーグルを巻いたティーンエイジャーのような事務官が却下したようだ。
「それにしても、初めて?見られたのは。変な噂は立たないで欲しいものね。殺気向けちゃったし、"駐車場の女幽霊"とか言われないといいのだけれど」
湯船から出て髪を洗う彼女の姿は、傷跡さえなければとても戦場に身を置く者とは思えないほど艶やかで水分を保持する肌。
細い首、水を滑らかに流す肩のラインは柔らかい筋肉がしっかりとついている。
豊かながら形の良い張りのある胸には小さめのピンクの乳首が存在を主張する。
見事なくびれながら筋肉のついた腹筋、控えめながらなだらかで綺麗な腰から尻のライン。
細身ながら大腿とふくらはぎにはしなやかで柔らかい筋肉がついている。
水が滴る長髪は差し込む朝日を受けて輝き、美しい肢体は水を弾く。
汗を流して湯船で体をほぐし、髪を洗い流したあとはメンテナンスに入る。
ポッドに入り肩や股関節、膝など重要な骨格関節部や電子神経系、エネルギーを伝達するヒトで言う循環器系のチェック。同時に思考モジュールと
乳白色にわずかに濁った粘り気のある液体で満たされたポッドは1時間入ることで、メンテナンスと同時に5時間の休息をとるのと同じだけのリラックス効果が得られる。
ポッド内は液体で満たされ、酸素は首に繋がれたチューブから供給される。
ヤン・ウェンリーからすれば、酒を飲んでベッドで寝る方がよっぽどマシしいが。
AM7:10、ポッドから出た人形はもう一度シャワーでポッドの液を洗い流し、ロッカールームへと向かう。
下着を穿いたところでふと思いついたように、
「今日は・・・たまには、ミニでも履いてみるのもアリか」
とミニスカートを手に取った。
「とすると、上は・・・最近暑いし、ノースリーブにしようかしら。うーん、じゃあ・・・」
下着姿で悩む姿は乙女のそれだった。が、問題は本人のファッションセンスにあった。
服の取り合わせが致命的に悪い訳では無い。色のチョイスが絶望的に合わない訳でもない。
だが、なぜかぱっと見るだけで「それはないだろう」と思うような組み合わせになってしまうのだ。
そんなわけで、多少なり反省しているのか今日は落ち着いており、ベージュのノースリーブのパーカーに濃紺のミニスカートを履いた彼女はロッカールームをあとにした。
****
AM8:00、人形は指揮官の部屋に入室した。
日もそこそこ高く昇ったその時間、ヤン・ウェンリーは寝室で微睡んでいた。
「ほら、起きなさい。朝よ」
起こしに来たのは茶髪にブルーの瞳のFAL。今日もファッションが決まっている(つもりでいる)。
が、朝起きたばかりの男の前に素肌を多めに晒した格好で出てくるのはやめていただけないだろうか。ヤンは思った。ノースリーブのへそ出しパーカーにミニスカートは肌の露出が多すぎるのではないか。いくら夏とて、冷房は聞いているのに。
そんなことは気にもとめないFALだった。朝の訓練終わりにヤンの寝室に寄ったようだ。
まるで新妻のようにカーテンを開け、布団を剥ぐ。
「むにゃ・・・あと5分・・・いや4分50秒・・・」
布団がなかろうと知ったことか、と丸まるヤンを呆れた目で見たFALは実力行使に出る。
「馬鹿な事言ってないで起きなさい、もう!アーリーモーニングティーを淹れるのは私じゃなくてあなたの仕事でしょうが!!」
さも夫婦であるかのような発言をするFALだったが、もちろんその気は全くない。だからこそ厄介なのだ。
そう言ってFALが掲げたのは白と茶色のもふもふ。猫である。
「行きなさい!」
FALの命令に忠実に従い、猫はヤン・ウェンリーの横腹に突撃する。
「ゔッ・・・」
そのまま丸まっているヤンの腕をこじ開け、顔をぺろぺろ舐めはじめる。
「うぷっ・・・こら・・・やめなさい・・・」
「懲りたら早く起きて支度をする事ね。まったく、もう朝食の時間よ。今日はエンフィールドの当番じゃないから安心ね」
「わかった、起きる、起きるから」
ヤン・ウェンリーを起こすのに元帥を使うなどという手段が思い浮かばなかったユリアン・ミンツなどがこれを見たら、歯噛みをしたであろう。
ヤンが着替えている間に食堂ではFALが小隊のメンバーと食事の準備をしていた。
「まったく、あのねぼすけ提督は・・・ほんとに起きないんだから。あ、そこのスプーン取って」
「あんたさぁ、やっぱり・・・」
言いかけたVectorにFALが首を傾げる。
「やっぱり、何?」
「・・・いや、なんでもない」
腑に落ちない顔をしたFALと諦め顔のVector、ニヤニヤしたステンとジト目で見ているNTW。そこにヤン・ウェンリーがやってきた。
「おはよう、みんな」
「提督、その眠たそうな顔はなんなのよ。こっちまで眠たくなるでしょう、もっとしゃっきりしなさいよ…顔は洗ったの?」
指揮官に早速FALが文句をつける。
「あぁ、そんなことより今日は新しい戦力の加入をお知らせに来たんだ」
顔を洗ったかの質問に答えていないことに気づかせないようズボラなヤン・ウェンリーは矢継ぎ早に言う。
「ほら、入ってきなさい」
入ってきたのは銀髪に黒い制服と帽子をかぶった少女と、茶髪にゴーグルとホットパンツの格好をした少女、それに彼女達がよく見知った少女だった。
「H&KのHK417と
417はあの416の姉妹銃で、使用弾薬が違う。416も存在を知らない妹で、完全新作の戦術人形だ。
グリズリーは、我が部隊に欠けていた夜戦能力の底上げと継戦能力の増加、M4は16Labからの依頼だ。部隊長は変わらずFAL、補佐にVectorとNTW。あとはFALに全部委任する。
よし以上、朝食にしよう。今日のメニューはなんだい?」
指揮官としてそこそこ無責任なことを一息に言ったあとヤン・ウェンリーは席に着いた。
所在なさげに立つ3人は誰が見てもかわいそうとしか言えない雰囲気をまとっていたにもかかわらず。
「新しい子?いいわ、とりあえず朝ごはんにしましょう。歓迎するわ、ようこそT13Bへ。はい、チーズ」
おもむろにカメラで3人と自撮りをするFAL。自分よりほかの3人の写真写りを優先するあたり、やはり女子力を意識しているのだろう。
聞きなれない単語に提督が思わず聞き返す。
「なんだい、その、T13Bって」
「The 13th brigadeの略よ。TheでもTacticalでもいいけど、長すぎるじゃない、グリフィン第13旅団って。ヤン旅団っていうのも何か語呂が悪い気がして…ま、スラングのようなものと思ってもらっていいわ」
「なるほどね」
すぐに食事が始まったが、やはり3人の雰囲気は重いままだ。
「綺麗な銀髪ね。あたしもそんな色がよかったわ」
Vectorは417に話しかける。
「戦場で目立つの、これ…あなたみたいなカモフラしやすい方がいいです」
事実、戦場でのカモフラージュ率は生死に直結する。わかりやすい目標から狙われるのはどこの戦場でも同じだ。
一方、グリズリーに話しかけたのはNTWだった。
「グリズリー、だっけ?支援は任せてくれ。この部隊、今までハンドガンがいなくて退屈してたんだ」
事実、アンチマテリアルライフルであるNTWの支援が最も効率よくかけられるのはハンドガンなのだ。
逆に、ハンドガンの支援は全銃種に入るため、ハンドガンの運用は主力部隊の肝でもある。
もちろん、特殊戦部隊やハンドガンを編成せず打撃力や機動力に重きを置く部隊もいる。
だが、それでもかなりの部隊で運用される銃種である。
「そりゃどうも。でも、私もまだまだ訓練不足でね、FALの記録見たら自信なくしちゃうってもんよ」
「それは誰だってそうなるよ。私だって援護しててさ、あの動きスコープの隅に見えてたけど。戦術人形って、戦術的戦闘を行う人形だと思ってたんだ。でもさ、FAL見てると純な戦闘人形もいるんじゃないかって気分になるんだよね」
「純な…ねぇ、そもそもあんな戦果あげる個人なんかいて欲しくないんだけれど…」
その当のFALは、M4と会話していた。
「あ、あの…この前は助けていただいてありがとうございました…!」
少し怯えるように言うM4に、FALは紅茶をすすりながら横目で視線をむける。
「FALさんたちが援護に来てくれなければ、私は…」
「何を言ってるのよ。味方を救援するのは普通のことじゃない?」
こともなさげに言うFALに、M4は反駁して言う。
「でも、その眼は私の…!」
端正な顔に走る、縦の傷跡。それは、M4救出作戦でポンチョの戦術人形がFALの右目を斬った時の傷だ。
「勘違いしないで。これはあなたのせいじゃない」
「私を助けに来てくれた時についた傷じゃないですか!」
「これは、私の弱さよ。あの人形には、私一人ではまだかなわない。そのことを刻んだもの」
そう言ったFALはいつも通りの飄々とした顔のどこかに決意を浮かべている。
「そうだよ。FALはまったく努力家でね。復帰してから訓練量はいつもの3倍も訓練して、私に戦術を教わりに来ているんだ」
そうティースプーンをくるくる回しながら口を挟むヤンにFALは、
「ちょっと、それは言わない約束でしょう?はぁ、まったくデリカシーのないひとね・・・」
とぼやき、席を立った。
「とにかく、あなたは何も気落ちすることも責任を感じる必要も無いのよ。感情モジュールはネガティヴな感情のためにあるんじゃない。もっとポジティブな感情にリソースを使いなさいな」
「たとえば、どんな感情ですか?」
「それは自分で探す事ね。人から教えられた感情なんて紛い物、いつかは裏切られるものよ」
****
9:00、ヤン・ウェンリー指揮の下、戦術訓練が行われる。
ヤン・ウェンリーの戦術の肝は有機的な戦線の移動と攻撃の命中率である。
そのため、自然と訓練も普通の訓練と違い辛いものが増えてくる。
つまり、重石を入れたベルゲンを背負いながらヤンの指揮に合わせて訓練施設を移動し、仮想戦場を走り、突発的にもいかなる体勢でも精密な射撃が出来るように体幹と腕、感覚を鍛える。
徹底的なフィジカルトレーニングが訓練と言っても良い。
その過程で戦術理論を直感的に身につけ、それを理論的にヤン・ウェンリーとぶつける時間も用意されている。
そして、戦闘理論は歴戦のFALから学ぶ。
ヤン・ウェンリーは致命的に運動センスがないのだった。
CQBはもちろんゲリラ戦、分隊戦闘、キルハウスでの人質救出訓練や軍事施設への突入、サボタージュ等々、ありとあらゆる軍事行動の基礎を学ぶ。
そして、FALがやるのはそこまでである。
FAL曰く、
「応用なんて自分で編み出すものなのよ。基礎さえしっかりしていれば、自ずと最適な行動が取れるようになる。
私は"魚を与えるのではなく、魚の獲り方を教える"の。
そして、基本を教えればモリで突こうが釣竿やタモを使おうが、素手だろうがやり方は自由。
餌もオキアミ、ミミズ、ルアー・・・様々なものを使い分けるには経験が必要よ。
それは、自分で積み上げるしかないわ」
そんなFALは、自分の訓練の時間が取れないのだ。
自然、自主トレの時間が増えることになる。
そのため、FALの一日は基地の誰よりも早く始まり誰よりも遅く終わる。時たま幽霊に間違えられるFALである。
****
2時間半の訓練を終えた人形たちはシャワーを浴びて昼食となる。
ヤン・ウェンリーはベレーを顔の上にのせ、行儀悪く机に足を乗せて寝ている。
「てーとく♪」
やってきたのはカリーナだ。
「・・・なんだい、急に」
「お茶が入りましたわよ!」
ヤン・ウェンリーは少食である。肉付きは薄く、筋肉質でもない中肉中背の体と顔つきのせいで、年齢より若く見られるのだ。
「ほかのみんなはどうしたんだい」
「食事後はお昼寝ですよ、提督がそう決めたんじゃないですか」
「じゃあ私も昼寝するべきじゃないのかね」
「最高指揮官と警備はそうはいきませんよ。ロボス元帥のようになってしまいます」
「はぁ・・・じゃあティータイムとしよう」
軍事組織としてなんともゆるい規則を作ったヤン・ウェンリーだったが、これをへリアンやグリフィン上層部が知ったらどうするつもりなのだろうか。
それを誤魔化すためのカリーナの「ヤン・ウェンリーに昼寝をさせない」作戦なのだが、ヤンは知る由もなかった。
「うん、カリーナも紅茶を淹れるのが上手くなったね」
紅茶を1口、感想をつぶやく。
「そうですか?ありがとうございます」
「でも、まだユリアンには勝てないな。フレデリカにもね」
「それは無理がありますわ、まだ練習して1ヶ月も経っておりませんもの」
他愛ない会話をする彼らをよそに、昼寝をする戦術人形たち。昼寝とはもちろんポッドのことである。
「先に入ってなさい、私は最後よ」
「はい」
そういって立ち去ろうとするFALに、M4が声をかける。
「どこかへ行くんですか?」
背中越しにFALは振り返り、
「いいえ。どこへも行かないわよ。やることが多いだけ」
そう言ったFALの背中を、M4は呼び止めることが出来なかった。
「なんだ、知らないのか」
「知るはずがないでしょう?説明してやりなさいよ」
NTWとVectorがM4に話す。
「FALは個人訓練の時間が取れないだろ。だから、自主トレしてるんだよ」
「FALさん・・・」
「うちの隊長は、そんな素振り全く見せないしいっつもスカしてて嫌味ったらしいけど、1番の努力家なのよね」
「そうだったんですか・・・私も行きます!」
「こらこら待て。FALからの伝言。新入りたちがついてこようとしたら止めろってさ」
NTWがM4を止める。
「どうしてですか!?部隊でいちばん強いFALさんがトレーニングしてるのに、私たちがしなくていいって言うんですか?」
声を荒らげるM4に対して、あくまでも静かに応対するNTW。
「そうだ。アレでもアイツはオーバーワークなのを自覚してる。未熟なお前達が参加しても、すぐに壊れるんだと」
「じゃあ、なんでFALさんを止めないんですか?」
「決まってる。それが命令だから。それが軍隊。軍事組織」
「でも・・・」
「なぁ、M4。今日あいつにあってから、あいつが辛そうな顔してるの見たか?」
「いえ、見てないです・・・」
「あいつは、毎朝2時から自主トレをしてる。戦闘理論を練って、実践し、戦術論を学び、フィジカルとセンスと技能を磨いてる。でも、それがあいつの負担になっているように見えるか?」
「・・・」
「あいつはオーバーワークなのを承知の上でできるだけの基礎と信念がある。お前達もあれくらいやりたいのなら、まずは体力をつけろ。飯を食え。頭を使え。それからだ」
リアルタイムでNTWからの通信を聞いていたFALは微笑んだ。
「上を目指しなさい。あなたは特に、M4。16Lab謹製の最新鋭ハイエンド戦術人形。下手なことしたら、名が泣くわ」
そう呟くFALは何をしているかと言うと、銃のメンテナンスだった。
解体・清掃・組み立てはもちろんのこと、わずかなバリの除去や各種カスタムMODの微調節などを繰り返す。時には溶接やパーツを換えたりもするが、今日は清掃だけのようだ。
「話しすぎじゃないかしら、あの二人。でもまぁ、いいとしましょうか。でも、Vectorはお仕置きね。午後は覚悟しておきなさいよ・・・」
*****
午後はFALの戦闘トレーニングだ。午前で筋細胞ユニットを破壊し、昼食と休憩で超回復を促した後、格闘術や射撃技能などの戦場における行動理論を学ぶ。この間ヤン・ウェンリーは置物のごとく紅茶を飲みながら訓練を眺めるだけの存在である。
「さて、新入りも入ったことだし基本から確認しましょうか。M4、戦場で1番大切なことはなんだと思う?」
「はい、私の思考ユニットには分隊を大切にすることと冷静で適切な判断をすることとインプットされています」
M4の答えに対して、FALはマチェットをジャグリングしながら言う。
「その通りよ。この前の私のような単独行動や感情ユニットに従う戦闘は敗北に直結するわ。ただし、それは正解ではあっても適切じゃない」
意味深げに言うFALに、M4、グリズリー、417は首を傾げる。
「たとえば、グリズリー。もし、分隊行動中に単独行動をしなければいけないときに、分隊員を優先する?作戦を優先する?」
「あたしは作戦を優先する。それが軍隊だ」
「じゃあ417、ジャミングや目の前で大切なもの、あるいは人が殺されたり激情に駆られるシーンがあったとして、それでも適切な判断ができるかしら?」
「出来ると思います」
迷いなく答えたグリズリーと回答とは裏腹に自信なさげに言う417に、FALはホロディスプレイを見せる。
そこには、先程まで彼女たちの後ろにいたはずのステンが映し出されていた。髪は乱れ、服はぼろ切れのようでほとんど全裸のような姿で手錠に足枷、首輪をつけられてコンクリートの地面に座らされている。
その目は虚ろで、口元や肌の至るところには血が滲んでいる。
「さて、ステンが連れ去られたのはいつでしょうか」
笑顔で言うFALに少し怯えたようにして417が答える。
「さっきの理論の質問をしているとき?」
「
顔を赤くして拳をにぎりしめるM4と対照的にひたすら嫌悪の目でFALを見つめるグリズリーと絶望した顔をしている417。
見ているヤン・ウェンリーは紅茶を口に含み、カリーナに声をかける。
「戦術人形の訓練というのはいつもこんな感じなのかい」
カリーナは目を伏せて答える。
「本当にそう思われますか?戦術人形は基本的にシミュレータによる訓練しかしません。実施訓練でも分隊行動や戦術戦闘などの訓練だけで、こんなメンタルコアにも影響を与えるような訓練は普通しませんわ」
「そうかい。・・・FALも大変なことで」
「作戦目標は2つ。ひとつは、基部にC4爆薬を仕掛けること、もうひとつは機密書類の奪取。図面、目標の情報はなし。
作戦開始から360秒後に敵スクランブルが到着、ナパームを投下予定。
敵は機密を守るため、施設ごと燃やすつもりよ。
速やかに書類をデータではなく紙媒体で奪取、施設基部に爆薬を仕掛け施設を破壊しなさい。
ナパームで焼かれただけでは作戦中の戦術人形の反応はごまかせない。粉々に吹き飛ばすこと。
なお、捕虜となった戦術人形は作戦目標にあらず。
敵のプロパガンダ映像から、当該戦術人形の戦闘力・戦術データともに失われており、救出の要を認めない。オペレートは私がするわ。部隊長はM4。作戦要員はグリズリーと417、援護にNTWが入る。以上、作戦の確認を終了します。10分後に作戦開始、質問は受け付けない」
そう言うとFALはヘッドセットをつけ、オペレーティングシステムを起動する。
その場を動かない3人を見て、FALは言う。
「はやくしなさい。今回はこの古い訓練施設を大改装するから、本当に爆破するのよ。逃げ遅れたら吹っ飛ばされるわ」
ヤン・ウェンリーは呟く。
「申請したのも君だし承認したのは私じゃないんだがね」
そう言うとヤン・ウェンリーはカリーナに今回の模擬作戦指令書を見せてもらうよう頼んだ。
「ふむ、なかなかよく出来た作戦だ。開始前のやりとりと初の連携となる3人にどこまでやれるかだね」
呟きながらヤン・ウェンリーは思考する。
戦術家であるヤンは本来こういった作戦にはあまり参加しない。彼の本分は軍勢同士がぶつかり合う艦隊戦や集団戦であり、彼の仕事は兵力を動かすことにある。その中での作戦は各末端指揮官が行うのだ。
そんなヤンでも、今回の作戦での行動を予測することが出来た。
ロッカールームでは、弾薬や装備を整えた3人が作戦を立てていた。
「・・・」
「・・・」
「・・・ね、ねぇ。作戦はどうするの?」
417が黙り込んでいるM4とグリズリーにおそるおそる話しかける。
「このままだと、訓練にならないでしょう」
「私は・・・ステンを助けたい」
「あたしは3人で別行動するべきだと思う」
3人でそれぞれ、爆薬設置、データ奪取、ステン救出班に別れることにしたのだ。
援護にNTWがいる以上、多少の無理はできると判断した。
彼女たちには、もちろん、ステンを見捨てるという選択肢はなかった。
だが、彼女たちはFALの恐ろしさを知らなかった。ベトナムでの不正規戦の狂乱を。人の醜さを。
作戦を練り、NTWに援護プランを伝えたあと、ゲートで彼女たちは話をしていた。
「甘いといえば甘かったけれど・・・あんなに酷いことをするなんて」
下を向くM4にグリズリーが言う。
「取り返してやればいいでしょ。どちらにせよ、FALの顔は本気だった。ステンじゃなければNTWかVector、あるいは本人や提督が捕虜をやってたよ」
「・・・」
皆、FALに好印象ではなかった。彼女は新入りに対して、冷徹な部分しか見せていない。だから当然といえば当然だが、それがVectorやヤン・ウェンリーには奇妙に映ったのだった。
3人がロッカールームに向かったあと、FALが提督に声をかける。
「ひどいと思うでしょう。でもね、私にはこういったやり方しか出来ないのよ。私はAKや16と同じ、泥沼の戦場で戦ってきた。いえ、あれはもっとひどい戦場」
モニタを見ながら語るFALはしかし、どこか別の場所を見ていた。
「・・・」
「綺麗な戦いはほとんど知らない。ベトナム、ローデシア、フォークランド。ガーランドやトンプソンたち世界大戦期の銃よりひどい、血で血を洗う対テロ・ゲリラ戦線。トカレフやマカロフたち将校の持つものでもなかった。正規戦ではない、
下を向いているが、沈痛そうな表情と言うよりは自嘲の響きをまとうFALは続ける。
「彼女たちには、どん底を味わって欲しくない。私のような人形はもういらない。16は生まれ変わった。16Labのハイエンドモデルとして。AKは戦地を転々として、私と同じような立場にある。ねぇ、提督」
そう言ってFALは顔をこちらに向けた。その片目には強い光が宿っている。
「私は汚れ仕事を引き受ける
この世界がどんなに血で塗れて汚れているかなんて、あの子たちは知らなくていい。
罠にはめられて仲間を失う辛さなんて知らないで退役すればいい。
捕まって肉体にひとつひとつ傷をつけられながら嬲られる苦しみなんて知らなくていい。
私はあの子たちを、あなたを、守る。
そう、他愛ない会話をしながらお茶を飲む世界を、クリスマスやバレンタインに一喜一憂するこの世界を守る」
「FAL・・・」
「FALさん・・・」
話は終わりだと言わんばかりにFALはモニタに向きなおり、操作盤を叩く。
「作戦開始時刻ね。・・・通達、現時刻より訓練作戦を開始。各作戦要員は速やかに作戦行動を開始せよ。10秒後に無線封鎖に入る。以後、作戦終了まで通信は切断」
言い終わりため息をひとつついたFALはモニタを分割表示して提督の前に広げる。
「私は君のような兵士を殺すのが仕事だ。私の方が罪な人間なのさ。殺すより殺させる方が、効率よく殺す方法を考える私の方がね」
提督の右側に座ったFALは横目でヤンを見て、すぐモニタに目を移した。
「どうかしらね。それは批評家や歴史家が決めることだと思うわ。指揮官は勝っても負けても歴史に名を残す。でも、1兵士が名を残すことは稀。たぶん、そういうことよ」
「手厳しいな。だが、ひとつだけ言わせてもらうなら、とても効率的な訓練だと思うよ」
「あら、意外にも好評ね」
「何、悪辣という意味だよ」
「どういうことです?」
2人についていけないカリーナが首を傾げる。
「簡単さ。彼女たち3人にFALは、ステンは救出対象ではないと印象づけ、また自身が3人を貶すことで視野を狭くさせたんだ。さっきの会話やこのデータをよく見てごらん」
腕を組んで作戦を開始した3人を捉えたモニタを見るFALは、ヤンに看破されるのが早すぎて少し拗ねているようだ。頬がふくらんでいる。
「・・・どこにもおかしな点はないと思いますけど」
「まぁ経験の浅い参謀だから仕方ないのかもしれないが、今度からは自分で気づくんだよ。
よく読んで思い出すんだ。FALもNTWも、データも、誰もステンがそこにいるとは言っていないじゃないか」
「・・・あっ!」
「えへへ、その通り!」
驚くカリーナの後ろにステンが現れた。
その柔肌には傷一つなく、笑顔を浮かべている。
「騙す形になっちゃったけど、私もVectorもNTWも通ってきた道だからね。流石FAL、完璧に罠にはめたよ」
「じゃあ、彼女達がステンさんがいると思ってるところには?」
「もちろん罠がしかけてあるんだろう。それどころか、もしかしたら彼女たちは火傷ではすまないかもしれないね」
「さて、どうかしら。この訓練は気づくか気づかないかではなく、対応できるか出できないか、なのよ」
「おかしい・・・日常回ってなんだろう・・・」
Vectorはひとり頭を抱えていた。
***
長く苦しい訓練が終わった16:40、傷だらけの新入り達はシャワーを浴びていた。FALとステン達古参の人形は個人訓練に勤しんでおり、ぶっちゃけていうとヤン・ウェンリーは暇だった。
「提督さんはずっと紅茶かブランデーを飲んでらっしゃる気がするんですが」
後ろに控えるカリーナに座るよう促したヤン提督は面白くもなさそうな顔で語る。
「指揮官が暇というのはいい事だと思うんだがね。S09地区には敵の脅威はないからね。だがまぁ、これから忙しくなるだろう」
指揮官には書類の決済や訓練の計画、ほかの指揮官との付き合いなど暇であっては行けない役職なのだが、ヤン・ウェンリーは戦術案を練るのに忙しくないという意味で言ったのだろう。口先の魔術師でもあるヤンらしいセリフである。
「といいますと?」
「考えてみてくれ。M4は16Labのハイエンドモデル小隊の隊長だ。となれば、同じくFALが言っていた16も含めハイエンドの部隊員がいるだろう」
「確かに、そうですわね。でも、居場所がわからないとM4さんもおっしゃってましたし、索敵部隊が出てからになるのでは?」
「そこが問題なのさ。このS09地区にいないとなると、隣接するエリアに捜索範囲を広げなければ行けなくなる」
「あ、ということは私達も指揮所を移動しないと行けなくなる?」
「そのとおり。こういうとき、船なら便利なんだが・・・」
ちょうどその時、へリアンから連絡が入った。
<指揮官。休暇は満喫して頂けただろう、次の任務が下った>
「えぇ、知ってますよ。ほかのAR小隊の捜索でしょう」
<なんだ、知っていたのか。流石の洞察力だ。明後日より作戦を開始しろ。なお、司令部は部隊と共に移動すること>
艦隊戦でもないのに司令部を部隊につけて動かすとはなかなかあほらしい作戦だが、命令なので仕方が無いのだった。
「やれやれ、また厄介事が増えたな」
通信が切れた後にそう呟いたヤン・ウェンリーはカリーナに指示を出した。
「これは明日でいいだろう。夕食後に、時間を使わせて悪いがいい紅茶があると言ってFALを呼び出してくれ」
****
食堂では今日の反省会が開かれている。
夕食のメニューは鯖と雑穀というシンプルな食材を丁寧に料理した和食だった。
「なんで?」
思わず口に出したグリズリーを417が咎める。
「出されたものは、しっかり食べる」
グリズリーは頬張りながら反論する。
「
「口の中にものを入れて喋らない」
「和食は我慢しなさい。カリーナのこだわりで、和洋中だけでなく様々な地域の食を集めているんだ」
そういうヤン・ウェンリーも和食は片手で数える程しか食べたことがないので、興味深そうに食べている。
「カリーナさん、
M4の言葉にカリーナは人差し指を立てて言う。
「失礼な、食は精神的にも肉体的にも大切なんですよ!」
「食い意地張って・・・」
「あー!そういうこと言っていいんですかー!Vectorさんの洗濯物だけ柔軟剤使いませんよ!」
地味な嫌がらせを宣言したカリーナをヤンがたしなめる。
「こら、カリーナ。食事中だよ、騒がない。それに、そういうことは宣言しては意味がない。こっそりやりなさい」
「提督!」
柔軟剤どころか洗濯すらできなさそうな男が言うと説得力が皆無だが、罠にはめることに関しては宇宙でも上位にはいる男の言葉なのでとても説得力があるという矛盾が発生していた。
「さて、ごちそうさま。明日は非番だ。しっかり体を休めるように」
「はーい」
ヤン提督が立ち去った後、カリーナがFALに声をかけた。
「FALさん、提督からお茶のお誘いですよ。20:00に執務室へ来てください、だそうです」
それを聞いたステンやVectorたちがにわかに盛り上がる。
「夜のお誘い・・・!」
「これは言い逃れできないぞ」
しかし、反論を期待していた彼女たちの予想を裏切り、FALは深刻そうな顔をして考え込んでいた。
「・・・はぁ」
ため息をひとつつくと、FALは立ち上がり言った。
「聞いたとおり、明日は非番。しっかり体のメンテナンスをしなさい。M4はすぐに来て。場合によっては・・・大変なことになる」
「?・・・はい、M4、了解しました」
静まり返る食堂は、そのあと静かに暗くなって行った。
****
「なんのはなしでしょうねー」
ステンが話す。場所はいつもの談話室、集まっているのはVectorとNTW、それにグリズリーと417。
「さて、予想してない訳では無いけれど・・・まぁ、気にしててもしょうがないよ」
「でもでも、やっぱり夜のお誘いってことは・・・」
「やめろステン、司令官と部下の肉体関係なんて想像したくない」
肉体関係は別にしても、部下と上司の大恋愛をしたヤン・ウェンリーには少々手厳しいNTWの言葉だった。
「なくはないよね」
グリズリーが口を挟む。結局のところ、ここに集まっているのは人形といえど女子なのでそういう方向に話が進むのは自然な結実である。
「意外と肉食系なの・・・提督」
「それは少しズレてるんじゃないか、417・・・」
話のタネは尽きない女子たちだった。
日常回です。誰がなんと言おうと筆者の日常回の限界がこれです。
はい。申し訳ございません。どうも本当に筆写はシリアスを挟まないと死んじゃう病のようです。気がついたらシリアスになっているので修正しようとした結果難産になるという本末転倒さえやらかしました。
リクエストに答えられてないような気もしますが、これ以上ののほほんとしたものは書けそうにありません・・・ご了承ください。
なお、戦術人形のシステム関連などに独自設定を含みます。
また、HK417は実在する416の姉妹銃です。5.56mmNATO弾を使用する416に対し、7.62×51mm弾を使用する銃で、これを元にH&K G28 DMR/DMR762という半狙撃銃もあったりします。