今回よりようやくゴブスレさんが出てきます。
“冒険者に、興味はありませんか?”
あの言葉を切っ掛けに、冒険者とやらになって早5年が経った。
白磁より始まり、幾度もの戦いと頼みごとを経て、多くの人と触れ合い、その果てに今の地位がある。
首より垂れ下がるは
眩い銀の輝きを宿し、絶えず煌めき続けているソレは第三等級『銀』の証明。
国家レベルの難事に携わる『金』、そして伝説的存在のみが至れる『白金』を除けば、実質最上位の等級。
現実に、ギルド内ではこの等級こそが一般冒険者たちにとっての最上位であるらしく、金もそうだが、白金に至っては伝説の『勇者』ぐらいしかなれる者はいないらしい。
よって、この出来事は意外だったというか、予想外だったというか。
何であれ、それは彼を驚かせるに足ることだったには間違いない。
「……金等級への昇格?」
「はい! 上層部が直接決定し、この度晴れて、金等級冒険者への昇格が可能となりました!」
おめでとうございます! と太陽のように明るげな一声を以て、女性職員が彼へと告げた。
その声の大きさは発した本人の想像以上のものだったらしく、周囲に散らばっていた冒険者たちの視線が一斉に集まり、所々でひそひそと話し声が聞こえ始めた。
「嘘だろ、マジかよ」
「金等級って、確か国からの依頼で動くアレか?」
「より重大な案件を任されるって聞いたけど……まさかアイツが」
「いいや、寧ろ当然だろう。何せあいつは――」
――
そう、
冒険者になって間もない頃、彼はこの世界にも『デーモン』がいることを知った。
話を聞く限り、どうもこの世界におけるデーモンとは、『混沌』という勢力に属する魔物の一種であるらしく、鋭い爪、蝙蝠を思わせる翼、尖った牙、そして悍ましき形相などといった特徴を持つ存在であるらしい。
まあ最も、その時はロクに話も聞かずに依頼を受諾し、いざ都にやって来て見れば出会った彼らは想像を大きく外れた存在であったので、ひどく落胆したことは今や懐かしい。
ともあれデーモンはデーモン。デーモンを殺すことこそ、自身の生存の意義であると既に見出していた彼は、そのまま都でデーモンどもを葬り続け、それから来る日も来る日もデーモンたちを相手し続け、骸と変えていったことから、いつしかその称号を冠するに至ったというのが経緯だ。
近頃は
「だが貴公、金等級というのは……」
「はい。国家から直接の依頼を受け、それを実行し、成し遂げる冒険者。
見方を変えれば、国家所属の証明とも言うべき等級です」
「……私は別に、それに能うだけの功績を出しているとは思えんのだが」
「何を言っていますか! 3年前より始めた
強力な魔物の討伐のみならず、幾つもの町村を救い、遂には去年、あの混沌の勢力が一角を率いる魔神将を討ち取った人物……それがあなたなんですよ!」
寧ろ当然の昇格です! と誇らしげにその豊かな胸を張り、自慢げに笑みをこぼす彼女の姿は、見ていてどこか微笑ましい。
しかし、去年の、というと彼女が言っている魔神将というのはアレのことか。
やたらデカい図体をしていて、それでいて強力な魔法も行使してきたことから確かに厄介な相手ではあったが。
(確かあの時は、一緒に戦った冒険者を囮に使って後方へ回り込み、デモンブランドで脳天落下攻撃だったか……)
さりげなく伝説の聖剣を用いて殺めた相手が、まさか敵軍の将が1人であったとは。
あの時はもう無我夢中でやっていたので、何が何だか分からなかったが、取り敢えず生き残れたのでそれで良しとしたのは覚えている。
実はアレ、敵将とは言っても最弱の方ではなかったのだろうか? とは彼の考えであるが、その真実は文字通り闇の中である。
ともあれ、昇級というのは本来ならば喜ばしいことだ。
冒険者になって早5年。この世界の言語や文字、文化や知識についてもある程度は深まっていた。
そして昇級すればより高難度の依頼を受けられるようになり、それで得られる報酬も高いことを彼は知っていた。
この体になって以降、腹の虫とは全くの無縁であり、食事も本当に必要な時にしか摂らなくなってしまったが、それでも金銭のあるなしを問われれば『ある』方を選ぶ。
戦うには道具が要る。道具を得るには金が要る。金を得るには依頼をこなさねばならぬ。
故に少しでも金銭を多く得られるのなら、それにこしたことはない。
いずれ来たる『真のデーモン』のため、備えは幾らあっても不足とはならない筈だ。
だからこそ、今回の昇級も、その方面を考えれば受けるべきなのだろうが。
「貴公、金等級というのは、その……」
「え? ――あ!」
しまった――と、これほど顔に出す職員もそうはいないだろう。
思い出したのだ。彼が何故、自分のあの言葉を機に冒険者となったのか、その理由についてを。
彼はどうにも、デーモンに対して並ならぬ拘りを持っている。
あるいは執着と呼ぶべきなのか、ともあれ彼はデーモンを殺すために等級を上げ、必要な等級へと至ってからは、ただひたすらにデーモンを狩り、殺し続けてきた。
時たまデーモン以外の討伐を選ぶのは、彼曰く「情報収集」であるらしく、あくまで本命はデーモンであり、それ以外には大して興味はないらしい。
逆に、彼はデーモンのために多くを費やしてきた。
金や道具は勿論のこと、自身の時間の多くさえも割き、優先してデーモンたちを殺し、屠り、葬ってきたのだ。
故に金等級への昇級が決定した場合、これまでのような自由は保障されない。
いついかなる時もデーモン討伐を、というわけには行かなくなり、時に国家の要請で相応のレベルの案件を任される可能性さえ出てくるのだ。
だから彼は躊躇っていたのだ。金等級への昇級は、自由の保障の破棄。
デーモンを狩るために等級を上げてきた彼にとってそれは、本末転倒というか、手段が目的化しているというか、とにかく宜しくない件であった。
「す、すみません。その、どうも勝手に舞い上がっちゃってたみたいで……」
「いや、気にするな。貴公が悪意を持って口にしていたわけではないことは、理解している」
その気遣いが余計クるんですよー、という声を心の中にのみ秘めて、彼女は眼前に屹立する鎧の男を見上げた。
思えば彼との付き合いも5年だ。最初に会った時は、本当にどうしようかと思ったものだったが、今となっては最も付き合いのいい冒険者。
依頼を受ければ必ずこなし、無事に帰ってきてくれる存在。
たまに体が透けて見える時もありはするが、その度に「気のせい」だと彼自身が言っているので、多分気のせいなのだろう。
デーモンを殺す者――
いつの間にかそう呼ばれるようにまでなってしまった英雄を前に、彼女はただ、その成長を申し訳なさを抱きつつも、喜ばずにはいられなかったのだ。
「ちょっとこれ間違ってるわよ! ワームドラゴンは孵化したての竜、ワームは長虫!」
「ひゃいっ!? すみませんっ!!」
後ろの方で発せられた怒声と、それに応じる泣き声じみた若い声。
見ればギルドのベテラン職員が、入ったばかりの新人職員の犯したミスを指摘し、それを指摘された新人職員が涙目のまま忙しなく駆け走っている。
大変そうだなー、と他人事のように呟く彼女の姿を前に、彼――デモンスレイヤーは同じく新人職員の姿を見ながら、独り言のような調子で彼女に問い掛けた。
「今年は新人が多いな」
「ええ。都での研修を終えて、
ちょっと今は頼りなさげですが、いつか、このギルドを背負う人材の1人として成長していくと思いますよ」
「それは、貴公もそうではないのか?」
「えっと、それは……」
そう問われた彼女は、どこか答え辛そうに目を泳がせつつ、言葉を濁した。
言いたくないのか、それとも言えない理由があるのか。
前者であれ後者であれ、言えないのであればそれでいいと彼は思った。
だが、対する彼女は違う。
長年の付き合いである彼にだけは、滅多なことでは隠し事はすまいと密かに決めていたのだ。
それが自分と彼との付き合い、その先に関わることならば、尚更に。
「その、ですね。私……」
「ふむ……?」
言いよどむ彼女を前に、デモンスレイヤーも不思議げに首を傾げつつ、腕を組んでじっと待つ。
まるで次の言葉を待っているようなその姿勢に、遂に彼女も決心を固め、言えなかった『その先』の言葉を口にした。
「その……結婚するんです、私」
「……ほう」
そうか、と彼の口から出てきた言葉はそれだけだった。
彼女に曰く、都の方に前々から付き合っていた相手が居て、先月、その相手から遂にプロポーズされたとのこと。
近いうちに引っ越して、彼の居る都へ移り住むことが既に決まっているらしく、従ってデモンスレイヤーとこうしていつものやり取りができるのも、そう多くはないのだ。
「都へ引っ越すと共に、私もギルドを辞めて主婦になるって決めてるんです。
金銭面は彼が上役人ということもあって困りませんし、わざわざ働く必要も無くて……」
「であろうな」
「それに彼、色々と忙しいみたいで、仕事はともかく、家事の方にまで手が回らないらしくて」
「使用人でも雇えば良いのでは? 金については余裕があるのだろう?」
「……そういう考えのデモンスレイヤーさんは、嫌いです」
ふむ……? とまたも不思議げに彼が首を傾げる。
分からないことがある時、困った時は大抵彼はこんな感じだ。
デーモンにはやけに詳しいくせに、女心についてはまるで分かっていない銀等級の英雄。
まあ、冒険や魔物、報酬にしか興味がない冒険者はこんな感じであろうが、流石に5年もの付き合いになるのだから、そこは少しは分かって欲しかったというのが彼女の本音だった。
つまりは、だ。
好きな男に尽したいという、恋する女性として当然の願いを、彼女は内に秘めていたということだ。
「……よく分からんが、とにかく頑張れ。頑張るか、あるいは足掻けば、道はきっと開かれるだろう」
「ああ……はい。分かりました」
全然分かっていないのはあなたの方ですけどね、と。
誰にも聞こえない声で口にした言葉とは別に、彼女にはもう1つの言葉があった。
あるいは思い、願望、願いというべきか。
金等級になれば、国の要請にいち早く応えるべく拠点を都に移すかもしれない。
そうなれば、引っ越してもまたいつでも
恋慕の情とは異なり、しかしそれと比しても変わらぬ深さの友愛を抱く相手に対する願いは、結局口に出せぬまま。
やがて話を終えたデモンスレイヤーの背を見送り、再び仕事に取り掛かった時。
彼女がその時目にしたのは、目元が髪で隠れてよく見えぬ、どこか
*
ギルド内には、工房が1つ存在していた。
ギルドで冒険者登録を済ませた冒険者は、その大部分がこの工房で武具を調達し、そこから晴れて冒険へと向かうわけだ。
壁に立て掛けられた剣や槍、槌、斧。
飾り台に飾られた革鎧、鉄鎧、あるいは衣服にも似た謎の軽装。
決して名剣名防具というわけではないにしろ、やはりギルド内に設置されている工房なだけあってか、相応の出来で仕上がったものばかりだ。
そんな工房だからこそ、冷やかし甲斐があるというものなのだが、今日はどうやら、既に先客がいたようだ。
「えーと、流石に伝説の剣とかは扱ってない……よね?」
「そんなもの置いてあるわけがなかろう」
双眸をキラキラと輝かせ、店主の翁にそう問い掛ける青年と、その青年の問いにうんざりだと言わんばかりに顔を顰めた翁。
毎年よく見かける光景だが、流石にこうも典型的な例を見ると、見ているこちらもうんざりとした気持ちになってくる。
おそらく――いや、ほぼ確実にあの青年は、今日冒険者登録を済ませたばかりの輩だろう。
こういう手合いは、その多くが英雄譚や冒険譚に憧れ、自分もそうなるのだと信じて疑わぬ馬鹿者ばかり。
見栄えだけ重視し、性能を考えぬ武具ばかりを集め、結局扱い切れずに死んでいった輩がはたして何人いたことか。
まあ、そういう手合いが死のうと生きようとどうでもいい。
馬鹿は死んでも治らぬとは極東の国の言葉であったか。そうでもしなければ治らぬのなら、いっそ本当に死んでしまえばいいものを。
と、そんな考えを頭の隅で巡らせつつ、工房内の武具の類を見ていると、その隣をずかずかと通り過ぎていく人影が1つ。
「――装備が欲しい」
「……む」
発せられた声は、年相応の、まだ少年ぽさが抜けきっていないもの。
けれどもその声に含まれているものを感じ取ったデモンスレイヤーは、思わずそちらの方へと視線を向けて、じっとその声の主を見つめた。
若い。おそらくこの世界での成年に達したばかりの、15歳程度の男子であろうか。
晒されている両手についた筋肉から察するに、それなりに鍛えこんではいるようだが……。
そこから先は若者と翁のやり取り。
金はあるのか。お袋さんか姉かの財布でもちょろまかしてきたのか。ものはなんだ――。
要求を尋ね、そこからさらに何が欲しいのかと掘り出すように訊ね続ける翁。
その問いかけに淡々と答え、自身が求めるものを明確に示していく若者。
そのやり取りは機械的で、しかしある意味では、冒険者と武具屋との理想の姿と言えなくもない。
先の青年が夢見がちな英雄志望者ならば、こちらの若者は現実のみを見据えた
何であれ、どちらが好ましいかと問われれば、デモンスレイヤーとしては後者の方だ。
やがて翁とのやり取りを終えた若者は、まず飾り台から革鎧を剥ぎ取り、続いて壁に立て掛けてあった円盾も同様の動作で取っていく。
冒険者というより略奪者ではないのか、と問い訊ねたくなったが、ここでそんな阿呆な問いは控えるべきだ。
「な、なあ、あんたも今日冒険者の登録をしたのか?」
着替えの途中である彼に、それまで無言にならざるを得なかった青年が動き、問うた。
だが若者は答えない。答える気がない。
しかし言葉ではなく首肯を以て応じると、青年は幸いとばかりに笑顔を深め、さらに言葉を続けた。
「実は俺もそうなんだ! その……良かったら、一緒に冒険へ行かないか?」
「……冒険」
ここで初めて、若者が青年の言葉に対して声を発した。
冒険という言葉が何かの切っ掛けだったのか、発せられた声は妙な重さを伴っていた。
だが青年がそれに気づくことはなく、そして発した彼自身さえもそれに気づかず、話を続けた。
「――
その瞬間――不意にデモンスレイヤーの脳裏に、ある光景が過ぎった。
蹂躙され、滅ぼされた廃村。
汚臭漂う巣穴。無数の緑肌の小鬼。
そして、小鬼の首領に犯される女の姿。
何故、ゴブリン? どうしてそこでゴブリン?
討つべき魔物など幾らでも居るだろう。
例え未だ白磁の身であったとしても、他にも相手すべき魔物はいるだろうに。
そんな考えを巡らせるデモンスレイヤーとは別に、あの明るげな青年は違うと全身を使って否定し、自分はさらに上のだの何だのと喚いている。
だがそれを、件の青年は無視し、最後には「俺はゴブリンを退治しに行く」と言って、それきり青年への興味を見せなくなった。
そこから彼の行動は単純で、まず腰に佩いた剣を抜き、軽い素振りを数回。
感覚を掴むと、次に円盾を腕に括り付け、装備を万全なものへと整える。
そしていよいよそれら一式を購入すべく受付に戻り、翁に金を支払おうと財布に手を掛けたところで――
「――待て」
そこで彼――デモンスレイヤーは初めて、彼に声をかけた。
今まで沈黙していた鎧の人物が、突然自分に声をかけてきたからか、若干ながら驚いているのが見て取れた。
だがそれ以上に驚いていたのは、その先で大きな目玉をギョロリと剥き出すように見開いた翁の方だ。
「貴公、本当にその装備で大丈夫なのか?」
「何がだ?」
「ゴブリンどもは……」
一瞬、そこで奇妙な躊躇いを見せたが、それも言葉通りの一瞬。
すぐに彼は先を語るべく、言葉を続けた。
「……ゴブリンどもは、その多くが洞穴などを住処としている。
平地でならともかく、狭い穴の中でその刃渡りの剣は不向きだ」
選ぶのなら、小剣を勧めるぞ――と。
自分でも何をしているのかと思ったが、体が勝手に、という程に彼へ助言を述べていくのだ。
自分はこんなことはしない。ここまでお人よしであった覚えなどはない、と。
そんな彼の思いとは逆に、口は最後まで助言を紡ぎ終えると、その助言を素直に受け入れたらしい若者が、腰に佩いていた長剣を取り外し、小剣に替えるよう翁に頼み始めた。
「……邪魔をした」
何であれ、一刻も早くここから抜け出したかった。
そんな思いと共に、適当な理由をつけて彼はその場から立ち去ると、それに続くように小剣へと取り替え、新たに角付き兜を購入した若者も工房を後とした。
そんな2人の後ろ姿を見送った翁と青年は、片方はニヤニヤと笑い、もう片方はポカンと間抜けそうに口を開いたままだった。
「な……なあ、おい! さっきの鎧の奴、何だったんだ……?」
「あん? 何だお前、知らねえで
全くこいつは、と顔を再び顰めつつも、どこか誇らしげな笑みを湛えて翁は語る。
あれこそは英雄。あれこそは戦士。
真に戦いの何たるかを知り、白と黒の総てを知り尽くした戦人の鑑。
冒険者なれど冒険者ならざるモノ。
祈る者なれど祈らざる者。
辺境に住まい、冒険者たちに関わる者ならば誰もが知る存在。即ち――
「あいつこそが辺境最凶。巷で噂の辺境の英雄、
「え――えええええええぇっ!?」
工房内で発せられた驚愕の絶叫は、はたして如何なる理由からくるものだったのだろうか。
噂に聞いていた英雄の姿は、想像していたものと大分異なっていたことか。
それとも名高き魔性殺しの英雄が、実は結構すぐ近くにいたことか。
おそらくだが、きっとその両方なのかもしれない――。
あとがきで書くのも何ですが、取り敢えず一言。
……ランキングが10位から5位になっとった。
ただでさえランキングに載るのが久しぶりなのに、まさかの一桁台突入とは……!
これも応援して下さっている皆様のおかげです。本当にありがとうございます!