10話の後の物語です。リリスパ10話までのネタバレ全開でお送りしています。内通者の正体をまだ知らない人は絶対に読まないでください。

そして前もって一言いいますと、私は内通者のキャラクター大好きです。



以下ストーリー

『ツキカゲ』は『モウリョウ』に敗北した。
半蔵門雪は死に、青葉初芽は死に、相模風は捕らわれ、石川五恵は捕らわれた。
そして源モモもまた、捕らわれの身となった。

これは、全てが終わってしまった後の物語。




pixivとマルチ投稿をしています。

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私は、正義の味方になりたかった

 過去-あの日には決して戻れない-

 

 

 

 運命だと思った。

 一目惚れだった。

 憧れていた。

 間違いなく断言できるのは、彼女は彼女の師匠を好いていた、ということだ。

 勇気をもらった。

 覚悟をもらった。

 強さとはどういうことなのか知った。

 誇りとはどういうモノなのか知った。

 信頼とはどういうモノなのか知った。

 一緒にいられる時間が楽しかった。

 共に戦えることが嬉しかった。

 誰かの役に立てることも、師匠の役に立てることも、彼女は嬉しかった。

 認めてもらえたことが幸福だった。

 傍にいられる時間が安らぎだった。

 強くなれた実感があった。成長を褒めてもらえて笑顔が浮かんだ。

 一緒に行った朝市。

 食べさせあった海鮮丼。

 一緒に乗った観覧車。

 想い出の写真。

 もう二度と、出来ない。

 もう二度と、会えない。

 源モモはもう二度と、

 もう二度と、半蔵門雪と会うことは、出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1日目前半-敗北は人生の終わりではない-

 

 

 

 目覚めは最悪だった。

 

「ぅ、……っあ?」

 

 最悪の目覚めで、最低の覚醒だった。全てにおいて最悪だった。源モモは――私設情報機関『ツキカゲ』に所属するスパイである源モモは、まず自分がどうしようもなく囚われているという現状を自覚した。

 まずもって視界が暗い。眼を開けたのにも拘らず一切の光が見えない。目隠しをされている。それも周囲を把握させないための高精度な目隠しだ。

 それに手首の感覚もおかしい。閉ざされた視界でも感覚だけで手首が何か、おそらくは手錠に捕らわれている事が分かる。試しに手を動かしてみると、ガチャガチャという音が聞こえ、手の可動範囲が制限されていることが分かった。おそらく近くの壁か何かに鎖を嵌め、その鎖から伸びた手錠をモモの手首につけ、モモがここから逃げられないようにしているのだろう。

 足はどうだろうか。モモは確認のために足を動かしてみた。地面にはちゃんと足がつく。バタバタと動かすこともできる。足は自由に動かせるようだ。最も、腕が捕らわれている以上足が自由であったとしても大した意味はないだろうが。

 視覚は閉ざされているが他の感覚は、つまり聴覚、味覚、触覚、嗅覚は制限されていない。そのことを再度確認して、モモは一度気持ちを落ち着かせた。

 落ち着かせて、冷静になってしまった。

 それが、いけなかった。

 

「……………………師……………匠………………………」

 

 落ち着かせて、だからこそモモはどうしようもなく思い出した。

 

「師……匠…………っ」

 

 半ば現実逃避をしていた思考が無理矢理に現実を直視させる。記憶、決して褪せはしない想い出。……たった数カ月、1年にも満たない関係。でも途方もない密度だった。親友よりも深く、家族よりも深く、モモは雪を愛していた。

 好きだった。好きだった。どうしようもないほどに、大好きだった。

 尊敬していた。敬愛していた。どこかできっと盲信していた。

 

「し、しょ……ぅ…………」

 

 きっと、師匠とならどんな危険な任務だって達成できると。

 きっと、師匠とならどんな危険な敵だって倒すことができると。

 きっと、師匠となら……。

 モモは心のどこかでそう思っていた。

 モモは雪が好きだった。雪を信頼していた。雪ならきっとどんな場所からだって生きて帰れると、雪ならきっとどんな敵にだって勝つことができると、雪なら……。

 

「私のせいだ…………」

 

 師匠1人なら勝てたはずなのに、

 私が足を引っ張らなければ、勝てたはずなのに。

 今になって、今になってモモは悔いていた。

 もう、全てが遅すぎるというのに。

 

「私の、せいだ」

 

 『極限の状況では誰もあなたを守ってくれない!私だってあなたを切り捨てる…!』

 

 切り捨ててくれてよかったのに、見捨てられても恨まなかったのに。

 本当は知っていた。誰よりも優しい師匠の姿を。

 見捨てるなんて言っても見捨ててはくれなかった。助けないなんていっても助けてくれた。そんな師匠が好きだった。

 分かっていた。本当は、本当に。

 優しすぎたんだ。師匠は。スパイとして失格であるほどに、優しすぎた。

 あまりにも無意味な後悔を、今更にモモはしていた。

 もう、全ては終わった後だというのに。

 

「私の」

 

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「っ!?」

 

 その声の主をモモは知っていた。知っていて当然の声だった。

 仲間だと思っていた。強く信頼していた。

 モモの師匠である雪もそうだったのだろう。だからこそ、雪はあの時声を荒げたのだろう。

 その信頼は裏切られたのだ。

 最悪の形で、最悪のタイミングで、裏切られたのだ。

 

「ちょい待ってて、今目隠しを外してあげるから」

 

 聞きたくもない声だった。信じていた。裏切られた。だからもう今モモの中にあるのはドス黒い感情だけだった。こいつのせいで、こいつのせいでっ、こいつのせいでッッッ!!!!!

 募る憎しみという名の感情は、モモ自身でも制御できず、そしてまたするつもりもなかった。

 

「ほら、とれた」

 

 拘束されていなければ全力で殴りかかっていた。それほどまでに憎かった。モモは基本的に優しい人間だ。誰かを傷つけることに少なからず忌避はあるし、自発的に誰かを攻撃するほど暴力家ではない。

 でも許せなかった。

 モモには許せなかった。

 全部、全部コイツのせいだ。

 コイツのせいで、コイツがいたから、裏切ったから。

 その激情を抑えることはしなかった。 

 2本の腕は拘束されていて動かせなかった。だけど、2本の足は拘束されていなかった。

 だから目隠しをとられた瞬間に、全力で蹴りあげた。

 

「あああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!!!!!」

「おぉ、情熱的だね、モモち」

 

 その一撃はとても簡単に受け止められた。

 避けることだってできたはずなのに、モモが全力で蹴りあげた足は片手で簡単に受け止められた。足の力は手の力の3倍ほどであると言われている。だとすればモモと彼女の間にはどれほどの実力差があるのか。何でもないことのように自然体でモモ全力の蹴りを受け止めた彼女はどれほど強いのか。

 

「でもさ、序二段の実力じゃ、関脇には勝てないっしょ」

「八千代、命ィ!!!」

「呼んでもいいんだよ?前みたいに、メイちゃんってさ」

「っ、誰が」

「裏切ったのは悪いとは思ってるよ。でもさメイの裏切りを見抜けなかったそっちも悪いよね?割とヒントは出してたと思うんだけどなぁ」

「よくも、よくもっ!」

 

 憎かった。あまりにも憎すぎた。

 憎すぎて憎すぎて憎しみしかなかった。

 殺してやりたいほどに、壊してやりたいほどに、狂いそうなくらいに、

 憎くて憎くてたまらない。

 自制できない。

 

「おお、怖い怖い。そのくらいの憎しみがあったら、ユッキーのことも助けられたかもしれないのにね」

「お前がっ、お前が師匠の名前を口にするなァ!!!」

 

 許せない。

 許せない許せない許せない。

 何でもない事のように、何にもなかったかのように、普通の態度で接してくることがモモは他の何よりも許せない。

 懸命に、まるで野犬のように只管にメイに襲いかかろうとしても拘束された身では叶わない。距離は近い。距離だけは近い。けれど、振りあげた足も、噛みつこうとする口も、決して届きはしない。

 何がおかしいのか、そんなモモの様子がおかしいのか、ガチャガチャガチャと手錠を鳴らしながら、憎しみのこもった瞳でメイを見るモモがおかしいのか、メイは唇の端を吊り上げた。

 

「裏切り者のくせにっ、『ツキカゲ』を裏切ったくせにっ、平気な顔で、よくもっ、よくもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

「恨み辛みを喚くだけなんてスパイじゃなくてもできるよ、モモち」

 

 何もかもが異なっていた。

 モモが知っている、否、知っているつもりになっていた八千代命(千代女)という人物と今相対している八千代命(裏切り者)は本当に同一人物なのか?そんな疑いを持ってしまえるほどに、異なっていた。

 これが、素なのか。

 この軽薄さが、八千代命の素なのか。

 

「はー、ユッキーとなら楽しめると思ってたんだけど、よりにもよって弟子を庇って無駄死にするなんて、ちょい予想外だったかな。ユッキーはもうちょい『強い』って、切り捨てる『強さ』を持ってるって思ってたんだけど」

「な」

「まぁ、ユッキーは風の塔で師匠を亡くしちゃってるし、あれ、まだトラウマってたってことかな。生きてたらもっと楽しめたはずなのに。ほんと、ユッキーが死んだのは残念だよ」

「ざ、残念……?」

 

 モモは信じられない思いでメイのことを見た。

 裏切り者でも、モモはまだどこかでメイのことを信じていたのか。

 憎しみしかなくても、モモはまだどこかでメイのことを信じたかったのか。

 少なくとも『ツキカゲ』時代のメイのことを嘘だとは思いたくなかった。

 だから、だから、だから。

 だから、モモは自分の予想よりもはるかにショックを受けていた。

 流石に雪が殺された時ほどのショックではないが、それでもかなりのショックを受けていた。

 

「仲間、だったのに」

「うん、仲間()()()よ」

「友達、だったはずなのに」

「うん、友達()()()よ」

「師匠は、八千代命のことを信頼してたのに!」

「だろうね。だから、騙しやすかったよ」

 

 なんだ、それは。

 モモは愕然とした。

 破綻している。

 壊滅している。

 崩壊している。

 仲間()()()というのなら、友達()()()というのなら、なんで、そんな風に言える?

 どうでもいいみたいに、

 なんでもないみたいに、

 メイにとっては、その程度のことだったのだろうか。

 『ツキカゲ』も、仲間も、任務も、スパイも、戦いも。

 その程度の。

 

「ぜん、ぶ」

「うん?」

「全部、嘘……だったの……」

「何が?」

「全部っ、全部全部全部!師匠との関係もっ、『ツキカゲ』でのことも、フーちゃんとのこともっ!全部!!!」

「別に嘘じゃないよ?ユッキーのことは信頼してたし、『ツキカゲ』の皆と一緒にいた時は楽しかったし、フーのことだって、好きだったよ」

「っ、だったらどうして!!!」

 

 笑う。哂う。嗤う。

 楽しそうに、本当に楽しそうにメイはわらう。

 何が、そんなに面白い?

 何が、そんなに楽しい?

 

「……どう、……して…………」

 

 躊躇いとか罪悪感とかは無かったのだろうか。

 抵抗とか絆とかは無かったのだろうか。

 そんなに薄くて、簡単に切れるものだったのだろうか。

 『ツキカゲ』で育んだものは、偽物だったというのか。

 共に過ごした時間は、価値の無いモノだったのか。

 分からない。

 分からない。

 分からない。

 何も分からない。

 友達だと思っていた。仲間だと思っていた。それは全てモモからの一方通行だったのか。

 

「フーにも言ったんだけどさ、堅っ苦しいんだよね」

「堅、苦しい……?」

「正義とか、秩序とか、善悪とか、護るとかさぁ。どうしてみんなそんなどうでもいいこと気にするんだっていつも思ってた。人生1回しかないわけじゃん?なのに自分の生き方に制限加えて、何が楽しいの?」

 

 本当に不思議そうに、メイはそう言った。

 メイは本心からそう思っていた。

 いつもそうだった。

 誰でもそうだろうと思っている。

 人生を苦しく生きたい人などいないだろう。皆、人生を楽しく生きたいと思っているだろう。

 だったら、とメイは思う。

 だったら、どうして?

 

「我慢とか意味ないよね?自制とかわけわからないし。不自由とかストレス溜まっちゃうだけでしょ?自由に生きないとさー、もっと、自由に」

「……………………………………………おかしいよ」

 

 自由?自由?自由?

 自由って、そういうモノじゃないはずなのに。他人を喰い物にしてまで得られる自由は、そんなにも素晴らしいモノなのか?

 あぁ、とモモは思った。

 こんな人だったんだ。

 こんな屑だったんだ。

 こんな、

 こんな、

 こんな、

 こんな悪党(化物)だったんだ、八千代命は。

 

「狂ってる」

「そう」

「イカれてる」

「そう」

「正気じゃない」

「そう」

 

 淡々と、なんでもないように、メイは答えた。

 決定的に離れている。

 人の在り方ではない。

 もっと早く気付いていれば、もっと早く気付いていれば、もっと早く、早く気付いていれば……。

 雪は死ななくて済んだのに。

 

「って、そうじゃなかった、そうじゃなくて、メイはモモちに用があってきたんだった」

「私が、それを聞くとでも思ってるの!?」

「強がるのもいいけど、モモちに言う事を聞かせる方法なんて『モウリョウ』にはいくらでもあるよ?」

 

 悪意のない言葉だった。だから余計に怖かった。それが真実だと、分かってしまったから。

 

「……お前らの思い通りになんか、ならない」

「まぁいいんだけど……。でも、さっさと諦めた方がいいからね?ボスはメイみたいに、甘くないから」

 

 それだけ言って、メイはモモに背を向けた。結局モモにはメイの用件が何かは分からなかった。ただ単にモモの様子を見に来たのか、煽りに来たのか、それとも別の目的があったのか。

 

「バトンタッチだね。早めに降参することを祈ってるよ、元仲間としては、ね」

 

 扉が開く。

 終わったわけではない。メイとのやり取りはただの前哨戦に過ぎない。

 これからが始まり。

 本番。

 絶望。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1日目後半-悪党の悪意に限りはない-

 

 

 

「バトンタッチだ」

 

 メイと入れ替わるようにして、1人の女が入ってきた。薔薇の髪飾りを付けた、和服を着た女。

 

「烏丸、文子……」

「それは偽名だ、源モモ。私の名は天堂久良羅。『モウリョウ』の大幹部の1人さ」

 

 楽しくて仕方がないといったような笑顔を浮かべながら、天堂はモモに近づいて来る。

 そして蹴りあげた足が届かない絶妙な距離感で言った。

 

「さて、質問に答えてもらおうか。まずは、そうだな。『ツキカゲ』の内部情報について、お前にも教えてもらおうか」

「話すわけ、ガッ!?」

 

 まさしく瞬きをする間もなく、だった。すさまじいスピードでモモとの距離を詰めた天堂は、その勢いのままにモモの首を絞めた。右手をモモの首にやり、壁に向かって押さえつける。 

 

「随分と反抗的な態度だ。自分の立場が分かっているのか?」

 

 そのまま絞める。絞める。絞める。絞め殺すくらいの勢いで、絞め殺しても全然かまわないから、絞める。

 

「殺せる。軽く、殺せる」

 

 囁くように、脅す。

 ぞっとするほどに、冷たい声。

 凍えそうなほどに、昏い瞳。

 

「今ここで、殺してほしいか?なぁ、源モモ?」

「っ、ぅあ!」

 

 拘束されていない足をバタバタさせて全力で抵抗する。

 怖い。怖い怖い怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわい怖い怖い怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。

 助け!

 

「しっ、」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

「おっと、ここで壊れてはつまらないな」

「がっ、は!」

 

 ひどく乱暴に天堂はモモの首から手を離した。たまらなく楽しかった。あの『ツキカゲ』。『モウリョウ』の野望を幾度となく阻止してきた『ツキカゲ』のメンバーが、弟子とはいえ自分の掌の上にいる。何をしてもいい。完全に勝利した。莫大な優越感と絶対的な多幸感が天童の心を満たし、それだけでもう満足だった。

 

「ぅ、ゲホっ、がふ……はぁ……ひ……っ!」

「さあて、もう1度言おうか。『ツキカゲ』の内部情報について話せ。死にたくなければな」

「ぜっ、ふ……、なんで、そんなこと、をぶッッッ!!!???」

「学習能力の無い奴だ。誰が、質問をしていいと言った?」

 

 天堂はモモの腹を思い切り蹴りつけた。内臓に衝撃が与えられ、胃の中身がシェイクし、口から唾液が飛ばされる。痛い。とても痛くて。死にそうなほどに、痛くて。

 でも、だけど、こんな程度で。

 

「し、しょうは」

「ん?」

「師匠は、私を守ってくれた……」

「そうだな、敵ながらあっぱれと言ったところだ。奴にはな」

「だから、だから……っ私は、お前ら、なんかに屈するわけには、いか、ない……」

「面白い考え方をするな、お前」

 

 懸命な強がりを見せるモモ。それを愉快気に見ながら、天堂は更なる行動に出た。

 

「だがいい、いいぞ!そうでなくては面白くない。簡単に話してくれてはつまらないからな」

 

 抵抗があればより愉悦できる。紛れもない悪党である天堂からすれば抵抗してくれた方が嬉しい。楽しみが増える。楽しめる時間が増える。楽しくなる。

 健気だ。健気すぎて泣けてくるくらいに健気だ。

 これほどまでに慕われてみたいモノだと天堂は少しだけ思った。

 師弟の絆。くだらないとも思うが、それは『モウリョウ』には無い要素だから。

 

「というわけでこれからお前を拷問する。せいぜい耐えて見せろ」

 

 拷問。

 情報を引き出させるための虐待。

 それを行うと、天堂は楽しそうに言う。

 

(師匠、……力を貸してください……。私に、力を……)

 

 もういない人に縋りついて、モモは壊れそうな心を必死に修復する。対拷問用の訓練をモモは受けていない。最も端的に想像できる拷問にすらモモは耐えられる自信がなかった。けれど、折れたくない。屈したくない。例え『モウリョウ』に敗北したとしても、ここからの逆転の目が零だとしても、心だけはまだ『ツキカゲ』でいたいとそう思っているから。

 

「さて、では始めるか」

「え……?」

「何だ?ひょっとしてそれっぽい道具でも出てくると思ったか?例えば肉を引っ掻けるような構造になったナイフ、眠ることを許さない異端者のフォーク、皮膚を剝くことのできるピーラー。あぁ、有名どころなら鋼鉄の処女(アイアンメイデン)もそうか」

 

 わざと恐怖を煽るような事を天童は言う。想像力。人間が地球上で最も反映する種になることができた理由であるそれは、常に役に立つモノであるという訳ではない。想像力があるが故に、人間は恐怖してしまう。

 未来なんて想像できなければ、未知に恐怖など感じないというのに。

 

「そんな物を使うはずがないだろう。作るのも大変だし、置き場所にも困るんだ。それに、そんな物がなくとも拷問は出来る」

 

 楽しそうに嗤いながら、本当に楽しそうに哂いながら、天童はモモを見つめる。圧倒的な優越感。絶対的な支配権。捕らえられ、逃れられない。もう決して、逃げられないし逃がさない。

 

「ふっ、どうやら『ツキカゲ』では拷問の勉強をしてはいないようだな」

 

 そう言って、天童はポケットからいくつかのモノを取り出した。ゆっくりと、まるで見せつけるように。

 

「万年筆、爪切り、ニッパー、耳かき、歯ブラシ、孫の手。別にそれっぽい道具なんか必要ないのさ。日常用品だけでも十分に拷問は出来る」

「――――――ひ、あ」

 

 汗が止まらない。

 さっきまで決めていた覚悟が一瞬で霧散する。

 それっぽい道具ならばきっとモモはここまで恐怖しなかった。鋭く砥がれたナイフ。重いハンマー。爪を剥ぐための専用装備。水責め。苦悩の無し。ファラリスの雄牛。他にも他にも、そういったどう使われるか分かる道具ならモモはここまで恐怖しなかっただろう。

 これからされることが分かっているのといないのとでは感じる恐怖心が全く違う。

 目を開けたままジェットコースターに乗るのと目隠しをされてジェットコースターにのるのでは後者の方が怖いはずだ。

 ニッパーは、爪を剥ぐために使われるのだろうか。それとももっと違う使い方があるのだろうか。耳かきは鼓膜を破るために使われるのだろうか。それとももっと違う使い方があるのだろうか。万年筆は皮膚を裂くために使われるのだろうか。それとももっと違う使い方があるのだろうか。爪きりは肉を摘みために使われるのだろうか。それとももっと違う使い方があるのだろうか。

 歯ブラシ。どんな使い方をすればそれが拷問になる?

 孫の手。どんな使い方をすればそれが拷問になる?

 分からない。分からないから、怖い。

 

「さて、もう一度だけ聞こうか。『ツキカゲ』の情報を、話す気はあるか?」

「わ、わた…………」

「今の内に話したほうが身のためだぞ?どうせ明日にはすべてを話しているんだからな」

 

 免罪符が与えられる。

 どうせ拷問を受ければ話すのだから、今話しても同じだと。結果が同じであれば余計な痛みを負うことはない。どうせモモは耐えられない。それは態度から分かる。

 恐怖している。怖がっている。それが証明だ。

 

「それに、もはや『ツキカゲ』は壊滅した。壊滅した組織の情報を話したところでお前に不利益は無いだろう?大好きな師匠も、もう死んでいるのだしな」

「師匠を、馬鹿にするな……っ!」

「別に馬鹿にしてなどいない。むしろ私はお前の師を尊敬しているさ。……2年前は、見事『ツキカゲ』に出し抜かれたからな」

 

 それは限りなく本音に近い言葉だった。2年前の風の塔での戦いは『モウリョウ』側の敗北で終わった。その屈辱を返すことができる日を、天堂は待ち望んでいた。

 あんな形で返すことになるとは思いもしなかったが。

 まさか、『ツキカゲ』側から裏切り者が出るとは。

 

「そもそも例えお前が情報を話したところで誰もお前を責めはしない。責められるのはどう考えてあの裏切り者だろう?」

「八千代命……」

「そう、そいつだ。ふっ、己が快楽を求めるあまり仲間をすら切り捨てるとはな。お前達の信頼とやらも、大したことが無かったようだな」

「っ、そんなことは!」

「否定できるのか?今でも?お前の師は、仲間の裏切りで死んだのに?」

「――――――――――――」

 

 反論は出来なかった。したいとも、思えなかった。

 八千代命が『ツキカゲ』を裏切ったのは事実であるし、その裏切りのせいで半蔵門雪と青葉初芽が死んだのも事実だ。いや、もっとはっきり言おう。

 死んだ、ではなく殺された、というのが正しい。

 2人とも殺されたのだ。命が裏切ったせいで、殺された。

 殺された。

 

「話しても構わないだろう。『ツキカゲ』の情報を。そうだな……、話すというのならお前の望みを一つくらい叶えてやってもいいぞ。例えば、相模風と石川五恵を解放してほしい、白虎とカトリーナの生死を教えてほしい。あるいは」

 

 それは餌だ。アメとムチ。心をコントロールするための術。希望があれば縋りたくなる。絶望からは目を逸らしたくなる。

 天堂はなるべく真摯に告げる。

 お前を思っていると、そう言うように。

 

「八千代命に復讐をしたい、などはどうだ?」

「ぁ」

 

 一瞬、思考に詰まった。

 復讐。

 確かに恨んでいる。確かに憎んでいる。

 全て、全ては八千代命の裏切りから発生した。そこから何もかもが崩れた。

 ドス黒い感情が渦巻く。抑えきれず、また抑えたくもない。

 悪意。

 今までのモモには無かったモノ。

 憎い。

 本当に、殺してやりたいくらいに。

 殺したいくらいに。

 だけどっ!

 

「は、話したら、本当、に……」

「『モウリョウ』の利益とかみ合わない望み以外なら叶えよう。それくらいの報酬は与えられてもいいだろうしな」

「っ」

 

 揺らぐ。

 どう使うかもわからないような拷問道具を見せられて揺らいだ心が、さらに揺らぐ。どうしてここまでして天堂がモモから情報を引き出そうとしているのかモモには全く分からなかったが、けれど同時にチャンスだとも感じていた。

 望みを叶えてくれる。復讐が出来る。あの裏切り者を、八千代命を、でも、だけど、もしも望みが叶うのならば、そのチャンスがあるのならば。それならば、それならば、モモは皆を助けたかった。雪は死んだ。初芽も死んだ。でもまだ生きている人がいる。風も五恵もまだ生きている。

 だから、助けたいと思った。

 だから、助けたいと、思った。

 

「話せ」

「……………………具体的に、何を、………………話せば」

「ならば、確認の意味も込めてお前の師匠について聞こうか。名前、年齢、血液型等のプロフィールから、経歴とお前との関わりについても」

「師匠は」

 

 『私はこの街が好きなのよ』

 

 声が聞こえた気がした。

 

「え?」

 

 『代々のツキカゲが命を賭して守ってきた空崎は今、大工業地帯として国の動脈になっている。だからこの街とこの眺めが好き』

 

 声が、聞こえた気がした。

 もういない、大好きな人の声が。

 

「どうした?話せ」

 

 『空崎に住んでいることに誇りを持っているわ』

 

「……………………………………そう、だったよね」

 

 思い出した。

 モモは思い出した。

 想い出。

 海を見ながら誓ったこと。

 そうだった。思い出した。モモは思い出した。

 どうして『ツキカゲ』に入ったのか。訓練は辛かった。、任務は大変だった。命の危機を感じたこともあった。それでも『ツキカゲ』に居続けたのは、確かにモモが雪を慕っていたのも理由ではあるが、それでも、それ以上に。

 

 『私はこの街が好きで、街のみんなが好きで、だから守りたい。そう思います!』

 

 嘘じゃない。

 嘘にしたくない。

 だから、

 

「……………話さない」

「何?」

 

 『ツキカゲ、やらせてください』

 

 あの時の覚悟は、

 あの時の思いは、

 あの時の言葉は、

 

 嘘なんかじゃない。

 

 こんな簡単に崩れる物なんかじゃ、ない。

 

「私は話さない」

「ほぉ」

「私は、絶対に話さない」

 

 その言葉を紡ぐのには、莫大な勇気が必要だった。

 拷問を受ける覚悟が必要だった。怖い。怖くて怖くてたまらない。震える足、涙の出そうな瞳、カチカチと噛み合わない歯、動悸は激しくなって、呼吸が早くなる。

 けれど、

 だから、

 

「『ツキカゲ』は負けたのかもしれない。だけど、だからって私は『ツキカゲ』を裏切らない」

 

 敗北は人生の終わりではない。

 ここから先も人生は続く。

 逆転の目はなくとも、大逆転の可能性があるのなら。

 まだ、まだまだ、まだ、まだ。

 

「私は、『ツキカゲ』のスパイだから」

「良い覚悟だ、源モモ」

 

 悪意が溢れる。

 絶望が満ちる。

 喜悦が零れる。

 

「ではまずは耳かきを使おうか。せっかく覚悟を決めたんだ。簡単に口を割ってはくれるなよ?」

 

 そして天堂は耳かきを手に取った。

 

 そして、逃れられない拷問が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2日目-今はもう眠ることさえも許されない-

 

 

 

 絶妙だった。

 初体験だったから他と比べる事は出来なかったが、けれど天堂がかなりの腕の持ち主であることは実体験で分かった。

 秀逸だった。

 どこかで甘かった認識は5秒で吹き飛ばされ、モモは自分の置かれた現状を改めて確認できた。

 巧妙だった。

 あらゆる自由が存在しなかった。単調ではなく、まるで150キロのストレートと80キロのカーブを使い分けるように緩急を伴った天堂の手腕は、モモを壊すのには十分だった。

 

「多くの人間は勘違いしているが、強固な信念のある人間は強烈な痛みなどにはそうそう屈しない。例えば爪を剥ぐ、内臓を掻き乱す、目玉を抉り取る……。なるほど確かに痛いだろうな。『弱い』人間なら折れるだろう」

 

 びちゃびちゃびちゃびちゃびちゃ、ゴボゴボゴボゴボゴボ、ぶくぶくぶくぶくぶく。

 

「だが結局の所それらは一過性の痛みだ。爪は20枚しか剥げないし、内臓を掻き乱せば人間はそうそうに死ぬし、目玉に至っては2つしかない。そして与えられる痛みは極限故に、それ以上がない。それ以上がないなら、信念のある人間は案外耐えられるものだ」

 

 溢れてくる。覆われる。濡れている。水が、ミズが、みずが。

 ぐちゃぐちゃになる。びしゃびしゃになる。

 壊れていく。

 

「結局の所拷問で必要になるのは一過性の極大な痛みではなく継続性のある死の恐怖だ。怖い、だから話す。そんな心理状態にさせるには、死ぬかもしれない、そんな本当の恐怖が必要なのさ」

 

 壊れていく。

 壊れていく。

 壊れていく。

 

「だから重要なのはそこそこの痛みを与え続ける事。終わりの無い苦痛は人の心を弱らせる。いつ終わるか分からない拷問は効果的だ」

 

 ぐちゃぐちゃに、ぐずぐずに、吸えない、足りない、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!

 

「まだ続くぞ。まだ、まだ、まだ、まだまだまだ、なぁ、源モモ」

 

 溺れる。

 水が、

 溺死する。

 ミズが、

 吸えない、吐くだけで、足りない、真っ白になる、自覚する、動かなくなっていく、見えない、怖い、誰か、嫌だ、たすけ。

 

「ほら、ほら、ほら!あとどれくらいもつ?あとどれくらい耐えられる?ちなみに人間は3分ほど呼吸ができないでいると死ぬそうだぞ」

「――――――――――――――――――」

 

 死ぬ、死ぬ、死ぬ。

 死ぬ死ぬ死ぬしぬしぬ死ぬ死

            ぬヌ死ぬ死ぬ死ぬし    ぬしぬ死ぬ死ぬ死ぬシヌ死ぬしぬしぬ死ぬシヌしぬしぬ死ぬシヌ死ぬ死ぬ死ぬしぬし

              ぬ死ぬ死ぬ死ぬシヌ死ぬしぬしぬ死ぬシヌしぬしぬ死ぬヌ死ぬ死ぬ死ぬしぬしぬ死ぬ死ぬ死ぬシヌ死ぬしぬしぬ死ぬシヌ            しぬしぬ死ぬ。死んでしまう。死んでしまう。呼吸       ができない。吐くだけで吸えない酸素が足りない抵抗、抵抗、     動けない、いあだ死んじゃう殺される溺れるつまる誰もだれもだれもこれ以                上水が、みずがあふれる口の中にこれ以上ないほどにつまっているモモの顔は水に浸かっている冷たい冷たいさむい

 

            さむいこごえる何分たった?あとどれくらい耐えれば終わる?平地で、うみのなかのように溺れて、いやだ!いや                              だあああああ!!!どんどんな動けなく

 なっていくのが分かる。身体がいうことを聞かない。あんなに温かったの

         に、あんなに抵抗                                             できたのに、激しく動かせた足は?脈が弱くなる、聞こえていた心音は?もう、なんで手が動かない。動かな   いの!動か          せない、意識が、目が、閉じて、閉じたくない!!!

 息が、息ができない。もっと、空        気、空気が、足りなくて、呼吸ができなから、死ぬ。死んじゃう。   生きた、まだ、まだ何も、こんな、こんなことに、どうして、

     

        どうしてっ、どうしてっ!?こんな、私は、 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お母さん。

 

 お父さん。

 

 師匠……。

 

 師、匠……。

 

 し、しょ…………う………………………………………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 助け、

 たす、

 助けて、っ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 死にたく、ない。

 

 死にたく、…………な、い……。

 

 堕ちる。

 

 堕ちる。

 

 もう、二度と、目を、覚ませ、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ白に、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 覚ませな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ」

 

 その直前で、水が引いた。

 

「げぶっ、ごはっ!!!……ひゅー、ひ……はぁっ……ひひゅぅ……、はっ、はーっ、はぁーっ!」

「そろそろ話す気になったか?」

 

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 そう呼ばれる拷問がある。

 日本語に訳せば水責め。

 背中を板に固定させた対象の頭に袋をかぶせ、頭を下に向けさせた逆立ちのような状態のまま、顔の上から水をかけて対象に窒息を生じさせるように促す拷問だ。洗面台などに頭を押さえつけるタイプの水責めは対象が息を止めることで抵抗される可能性があるが、ウォーターボーディングにその心配はない。

 逆立ちの状態で水を口や鼻の穴に注ぎ込むと気管の咽頭反射によって肺から勝手に空気が放出され、対象を簡単かつ確実に溺水状態に追い込むことができる。故に、ウォーターボーディングは簡単に対象に死の恐怖、溺死の恐怖を教えることができるのだ。

 しかも素晴らしいことにウォーターボーディングは対象の身体に傷が残らない。もちろん傷が残ることで対象を追い込むこともできるが、しかしそれは最終手段だ。傷は、そう簡単につけていいものではない。

 

「そろそろ話す気になったか?」

「ひっ……ああっ!」

 

 ポチャン、と一滴の水がモモの腕に垂れた。それだけで、ああそれだけなのにっ!

 

「ひっ、ひひ、はっ、はぁーっ、はぁーっ!!!」

 

 身体が震える。先ほどの体験が嫌でも甦る。吸っても吸っても喉を水が嚥下するばかりで、いつまでだっても新たな酸素を取り込むことができなくて、苦しかった。とても、苦しかった。

 顔の上からずっとずっと水をかけられていた。

 ずっとずっと。

 頭が下になるようにされていたから、口の中を水が満たして、飲んでも飲んでも水が入ってきて、吐き出しても吐き出しきれず、すぐに胃の中から水が逆流した。口の中だけではない。逆さにされた頭だから、鼻の穴の中にも水が入ってきた。

 本当に溺れそうになったのだ。死神がすぐ近くにいた。昨日と違って今は四肢を拘束されている。抵抗なんて出来るはずもない。

 

「あ、っや、やめ、いやあッッッ!!!!!」

 

 怖かった。たまらなく、怖かった。昨日の拷問は肉体的な痛みだけだった。想像もしなかった道具を、想像もしなかった使い方で行われた拷問だったが、傷が残らないが故の恐怖の存在する拷問だったが、しかしあったのは肉体的な痛みだけだった。

 だからモモは耐えられた。

 『ツキカゲ』を想い、雪との過去に縋り、耐えることができた。

 信念は強い痛みだけでは壊れない。

 けれどそこに別ベクトルからの攻撃が加われば?

 2日目は徹底的だった。

 天堂はモモの心を壊しにきた。

 

「そろそろ話す気になったか?」

 

 壊れたスピーカーのように、天堂はその言葉を繰り返す。

 ウォーターボーディング。何よりも死を実感できてしまった。徐々に薄れていく意識、少しずつ動かなくなっていく身体、吸えない息。それらが何よりも終わっていく命を感じさせた。

 砕けてしまう。

 消えてしまう。

 固めていた覚悟。強く決めていた腹。立てていた誓いも。

 だが、

 

「ぃ、……だ」

 

 だが、

 

「いや、だ」

 

 だが、

 

「い、や……だ……」

 

 絆は、まだある。

 だから、まだ頑張れる。

 縋れる過去がある。

 だから、モモはもう少しだけ頑張れる。

 救助の手立てはないだろう。モモはここで死ぬだろう。

 だけど、けれど、

 ここで『モウリョウ』に屈したら、自分で自分を許せなくなる。

 だから、まだもう少しだけ、

 もう、少し、だけ。

 

「これが極点だと思うか?」

「――――――ひ、ひひ」

「今受けた拷問が、極限だと思っているのか?」

「――――――話さない、私は、はなさない」

「まだ上がるぞ。まだ上がある。まだ、手加減している」

「はなさない、はなさない、はなさない、はなさない、はなさない」

「どこまで耐えられる?」

「ひ、ひひ」

「楽しみだ。なぁ、源モモ」

 

 次の恐怖は、

 

 すぐに来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 4日目前半-もう希望は何処にもない-

 

 

 

 はっきりといえば、天堂はひどく驚いていた。

 

「ぅ、ぁ……。っ、ふ、……は、ひ…………ぅう…………」

 

 過酷な、おそらくは『モウリョウ』の戦闘員ですら音をあげてしまうレベルの拷問を3日もモモは耐えた。手加減をしたつもりはない。する理由もない。緩急をつけ、脅しをし、飴を与え、言葉で揺さぶり、命の危機を感じさせて、それでもなお、モモは話さなかった。

 柄にもなく天堂は驚いていた。

 『ツキカゲ』では対拷問用訓練は行っていないと聞いた。実際に石川五恵はもう落ちた。五恵は『ツキカゲ』について知っているあらゆる情報を吐き、用済みとなったから生体実験に方にまわした。今頃は『モウリョウ』の研究班が嬉々として人体実験をしているところだろう。

 相模風ももう落ちた。最も風に関しては拷問によって情報を吐いたのではなくメイに絆された、というべきだろうが。

 

「驚いたぞ、源モモ。よくもまぁ、これだけ耐えられるものだ。いくらほとんど外傷を残していないとはいえ、相当なダメージがあるはずなのだがな」

「ぅ、ううぅぅうぅ、っ!!!???」

「尊敬するぞ。いや本当に、1年前まで一般人だったとは、とても思えない。師匠が良かったのかな?それとももとからあった素質か」

 

 自分の姿が変わっていくというのは、思っている以上にアイデンティティを刺激する。事故で片足を喪った絶望で自殺する人間もいる。火事で一生残る傷跡を負ったことに絶望して自殺する人間もいる。

 そんな『弱者』に比べれば、モモは飽きられるほどに『強い』。

 精神的な『強さ』でいえば、天堂をも上回っているかもしれない。

 だから楽しい。

 愉悦が抑えられない。

 

「私もさすがに理解したよ。どうやらお前から情報を引き出すのは無理そうだ。これ以上となると、次は生体実験に支障がでるほどの傷を与えることになるしな」

 

 天堂は嗤った。嘘だ。嘘嘘嘘。全部嘘だ。もうそんなことはどうでもいい。生体実験?こんな稀少な精神構造をしている人間をそんなモノにまわすなんてあり得ない。もっと楽しめる。個人的に所有していいはずだ。許可はもう得た。モモの所有権は今天堂にある。風の所有権をメイが握っているように。

 もっと、楽しめる。

 そんな使い方。

 

「だから、ベクトルを変えることにした。お前のような人間には、こっちの方が効くだろう」

「ぅあ?」

 

 痺れた舌がなんとか機能を取り戻す。呼吸も、だいぶ楽になってきた。

 だからそれが余計に怖い。痛みによる拷問が途切れた。3日間、ずっと続いていた痛みが切れた。なぜだ。どうして、何をするつもり、で……?

 

「入ってこい、メイ」

「はいはい、っと」

「っ!?」

 

 オレンジ色の髪をした、『ツキカゲ』最悪の裏切り者が入っていた。

 そしてドサドサと、メイは無造作に肩に担いでいた2人を地面に投げ捨てた。

 

「ぐっ!?」

「あぅ!?」

 

 投げ捨てられた2人が苦痛に声をあげる。

 その声を、いや、その姿を、2人が一体誰なのか、モモは知っていた。

 

「え……?」

 

 1人はチョコレート色の髪をヘアバンドでまとめていた。

 1人は緑色の髪をおかっぱにしていた。

 

「結愛……?それに、凪、ちゃん……?」

 

 ()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()2()()()()()()()()

 

「古典的なやり方だ。だがお前のような奴には最も効果的なやり方でもある」

「悪く思わないでよ、モモち。これも仕事なんだから」

 

 楽しそうな声色だった。平坦な声色だった。

 2人とも全く罪悪感など感じていないようだった。

 だからそれだけで、予想出来てしまった。

 最悪の想像が。

 

「モモちゃん……?」

「モモち!?良かった、無事だったんだ」

 

 畠山結愛と北斗凪。源モモの友人である2人は捕らわれていた。後ろ手で腕を拘束され、足も縄を結ばれて動かせなくなっている。動くとなれば芋虫のように地を這いずり廻らなければならないだろう。

 

月下光(ゲッカコウ)やるついでに捕まえてきたんだよ。まぁ、モモちの大切な人なら誰でもよかったんだけど」

 

 軽い口調でメイがそういった。

 誰でも、よかった?

 誰、でも?

 

「っ!まっ、まって」

「待たない」

「まっ、待って!待って!!!その2人は関係」

「関係無い、なんていうもんじゃないよ、モモち。大切な、モモちの数少ない友達でしょ?」

 

 平時であれば素晴らしい言葉だった。

 非常時の今は憎らしい言葉だった。

 

「私達を、どうするつもりなんですか……。あなた達は、何者なんですか」

「お前達がそれを知る必要はない。だが、しいて言うならお前達は贄だ」

「やめて!お願い……、2人を傷つけないで!!!」

「お願いするならさ、それ相応の態度ってもんがあるんじゃないの?モモち」

「っ、……お願い、します……。助けてください……。全部、全部話すから……。2人のことを、解放してください。お願い、します。お願いします!!!」

「ほぉ、『ツキカゲ』の内部情報も話すか?」

「話すからっ、全部話すから!なんでも、なんでも話す!なんでもするから!!!お願いだから、2人のことを、巻き込まないで、ください……。お願い、お願いです」

 

 手錠で壁に繋がれたまま、モモは全身全霊で真摯に謝り願っていた。

 固めていた覚悟は一瞬で折れた。

 強く決めていた腹は一瞬で消えた。

 無くしてしまった師匠はもう帰ってこない。戻ってこない。だから、だからこれ以上喪うわけにはいかない。全部、全部、全部。こんな、これ以上。

 

「だが、もう遅いな」

 

 天堂はあくまで無慈悲だった。

 

「がっ、ああああ!!!!!?????」

「っ、ひ!?」

 

 鮮血が舞った。

 天堂はその手にもった刀で畠山結愛の腕を大きく切り裂いた。

 悲鳴が上がった。

 抑えきれない恐怖の声がした。

 

「あ、あぁあああぁああああ」

 

 なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで。

 

 

 

 

 声が聞こえる。

 

 

 

 

 

()()()()()()()

 

 

 

 

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

 

 

 

 

  聞き覚えのある声がする。

 

 

 

 

 

()()()()()()()

 

 

 

 

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 なぜ、こんなことに。

 

 どうして、こんなこと、に。

 

 

 

 

 

 

 声                       が

               聞

                    

 

       こ                                  

 

                                         え

            

 

る                                           。

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

「結愛っ!結愛あああ!!!!!なんで!?どうして!!!???」

 

 必至に結愛に近づこうとするモモ。その距離はあまりにも近すぎて、けれど決定的に離れていた。手錠で壁に拘束されているモモは絶対に結愛の下にはたどり着けない。数メートルの距離が数光年までに遠い。

 血が、血が、血が。

 顔が歪んで、苦痛に歪んで、このままでは結愛は失血死してしまうかもしれなくて。

 モモが友達でなければ、結愛は傷つかずに済んだのだろうか。

 モモがスパイにならなければ、結愛は傷つかずに済んだのだろうか。

 

「全部、全部話すのにっ!全部話すから!!!嫌だ、やめて!これ以上2人を傷つけないで!!!お願いだからっ、師匠のことも、話すからぁ!!!」

「いや、もういいんだ。それはもういいんだよ」

 

 バサリと、切り捨てた。

 刀を左右に切り払いながら、天堂はモモの言葉を斬り捨てた。

 

「お前が『ツキカゲ』にいた時に得た情報。確かに欲しかった。2日前まではな」

「は?」

「『ツキカゲ』の、そしてそれに付随した各地の私設情報機関の情報はもう十分に得ているんだ。月下光(ゲッカコウ)も成功した今、実はお前から情報を得る必要は、もうないんだ」

「なっ」

「くっ、くくくっ、だからさ、もう今の私は、お前の苦しむ姿が見たいだけなんだよ!!!」

 

 そしてもう一度、刀を振り下ろす。

 今度は結愛にではなく、凪に。

 

「い、ぎあっ!?」

「あ、ぁああぁぁぁあぁあああああぁぁああああぁぁああぁあああああぁあああああぁぁあぁぁ」

 

 今度は凪の腹が切り裂かれた。あり得ないほどに深く切り裂かれた腹から、その中にある内臓が零れ落ちそうになる。グロテスクなその様から目を逸らせない。このままでは死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死んでしまう。2人とも2人が、モモの大切な、友達。友達が、こんな理不尽に、そんなっ!

 

「だから言ったでしょ、モモち。さっさと諦めた方がいいって、早めに降参することを祈ってるって。モモちがそんな風だから、この子達は巻き込まれたんだ」

「私の、せい、……で」

「そう、モモちのせいだよ」

 

 まるで無責任にメイはそういった。

 モモのせいで、死んだ?

 モモのせいで、死んだ。

 モモのせいで、

 何か、変わっていたのだろうか。

 モモがもっと早く諦めていれば、2人は傷つかずに済んだのだろうか。

 モモがもっと『弱け』れば、モモがもっと弱ければ、

 結愛も凪も、傷つかずに。

 

「単純な2択だ。分かるだろう?」

 

 本当に楽しそうに哂いながら、天堂はモモのことを真っ直ぐ見て、言った。

 

「さぁ選べ。源モモ。どちらかを助けてやる。どちらかを殺してやる」

 

 その絶望を、言い放った。

 

「お前が、選ぶんだ。源、モモォ!!!」

 

 悪党かくあれかし。

 天堂久良羅は間違いなく、『モウリョウ』の大幹部に相応しい悪党だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 4日目後半、命の重さは量れない

 

 

 

 残酷だった。

 あまりにも、残酷だった。

 

「そんな、こと」

 

 『どちらかを助けてやる。どちらかを殺してやる』

 

 どちらかを?モモが、助けられるのは1人だけ?

 こんなことに何の意味がある、とモモは思った。半ば現実逃避的な思考。けれど現実逃避をしなければとてもやっていけない。今にも発狂してしまいそうな、目を逸らしたくなる現実。

 1分が、1秒が、過ぎていく。貴重過ぎる時間が過ぎて、赤く染まった床の面積も増える。

 血が、血が、血が。

 死が、死が、死が。

 モモのせいだ。

 全部、モモの。

 

「こいつらが死ぬまで後どのくらいかな?10分か、5分か、あるいはもっと短いか?どのみち早く選ばなければ、両方死ぬぞ?」

「迷ってるようならアドバイスを上げるよ、モモち。メイだったら、そうだね。傷が浅い方を助けるかなぁ。ほら、この子、内臓零れちゃいそうだし。助けても死んじゃうよ?」

 

 他人事のような言い方。いや事実他人事なのだろう。そんな言い方をするメイに、もう、今のモモは怒りの感情を抱くことさえもできなかった。

 どちらかを選ぶ必要がある。

 どちらかを選ばなければならない。

 でも、それは、1人を切り捨てるということ。

 1人を助けて、1人を殺すということ。

 結愛も凪も、大切な友達だ。

 結愛も凪も、大切な友達だ。

 それを、選ぶなんて。

 助ける人を、選ぶなんて。

 1人を殺せ、だなんて。

 

「……モモ、ちゃん」

「っ、凪ちゃん!ごめんっ、私の、私のせいでっ……!」

「結愛ちゃ……のことを、助けて、あげて」

 

 苦しそうに、青い顔で、健気に、凪はそういった。

 畠山結愛を選べ、と。

 

「っ、凪!?」

「え……?」

「ダメ……、な、の。私……たぶ、…………たすから、な、……いか……ら…………」

 

 北斗凪は恨み言の一つも言わなかった。

 モモのことを責めてもいいはずなのに、お前のせいだと責め立てて、お前がいたからと糾弾してもいいはずなのに。

 

「もう、……らだの、わかんなくて……。さむい……さむいの…………」

「なんで、そんなこと、言うの」

「っ……、凪………………」

 

 優しかった。

 凪はとても優しかった。

 せめてもの救いは、あまりにも死に近すぎて、凪の痛覚がほぼ麻痺してしまっている事か。でなければ今頃、凪は発狂しそうな痛みに襲われて暴れ回っていたことだろう。

 

「モモち!凪のこと助けてあげて!!!今ならまだ間に合うから!早く!!!」

「っ、でもそしたら結愛が!」

「あたしのことはいいから、早くしないと、凪が、凪が死んじゃう!!!」

「でっ、でも」

「モモちはっ、凪のことを殺したいの!!!!!?????」

「っ!?」

 

 違うと、声を大にして言いたかった。

 でも、と大声で言いたかった。

 分かってるの?分かってるに決まってる。ここで凪を生かす選択肢をとるということは、それは結愛を殺すという事。モモがそれを選択しなければならない。モモだけがその選択権を持っている。

 大声を上げて笑いそうになる自分自身をなんとか抑え込んで、天堂は3人を見る。楽しくてたまらない。これだ。これだ。これがいいんだ。この善意の空回りが、素晴らしい。

 死の匂い。

 死の香り。

 死。

 

「そろそろ決まったか?」

「モモち!!!!!」

「なっ、凪を」

「ん?」

「凪の、ことを」

「はっきり言わないと聞こえないよ、モモち?大きな声でハリーアップ!」

 

 急かすように、焦らせるように、

 楽しそうな声ではないけれど、罪悪感を感じている声でもなく、

 

「凪のことを助けてください!!!」

「いいぞ」

「それは無理だね」

 

 一刀両断。

 一瞬の間もなく、全く同時に、天堂とメイは正反対のことを言った。

 

「意地が悪いね、ボス」

「くくっ、選んだのは源モモだ。私では、ない」

「な、なにを。早く凪のことを助けてよ!!!」

「だからそれは無理なんだって、モモち。つってももう選んじゃったし、変更はきかないみたいだけど」

「どう、いう」

 

 悪趣味な上司に辟易しながらも、メイはモモに説明する。

 無意味な選択だった。

 大人しくメイのアドバイスに従っていれば、こんなことにはならなかったのに。

 モモには分からなかったのだろう。

 拷問を受け思考力の落ちたモモでは、分からなかったのだろう。

 だからメイは告げる。

 端的に、その選択の意味を。

 

「いやモモち、冷静になってよ。死体を助けてどうすんの?」

「し、……たい…………?」

「ん、あぁ。モモちの所からじゃよく見えないか。ちょい待ち」

 

 そういって、メイは無造作に地に伏して動かないモノを持ち上げた。持ち上げて、それをモモの目の前まで持ってきた。

 

「ほら」

「――――――嘘だ」

 

 眼鏡をかけていた。それは血で汚れていた。

 緑色の髪をした少女だった。それは血で汚れていた。

 髪型はおかっぱだった。それは血で汚れていた。

 美少女とはいえないまでも、十分な可愛さをもった少女だった。それは血で汚れていた。

 苦しそうな表情だった。それは血で汚れていた。

 眼は閉じられていた。それは血で汚れていた。

 手がだらんとたれさがっていた。それは血で汚れていた。

 冷たい。

 もう二度と起きない。

 何を、何も、何が。

 

「もう死んでるよ、この子」

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ぇ」

 

 思考が止まった。

 真っ白になった。

 なん、なんて?

 八千代命は今、なんて、言った?

 

「さて、源モモ。お前が選んだのは北斗凪だったな。では畠山結愛の方は殺すぞ」

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………な、は」

 

 意味が、分からない。

 理解が、追いつかない。

 何を?

 どうい、う?

 どういうこと、だ?

 な、に……が…………。

 何を、何で?

 どう、し、て……。

 

「最後に何か、言い残しておくことはあるかな?」

「…………地獄へ落ちろ、屑」

「残念だな。私達を裁ける善は、もうこの世のどこにもいない」

 

 それはせめてもの抵抗。

 とても儚く無意味な、抵抗。

 熱はもう、モモの身体には、ない。

 モモはもう、滾れない。

 

「モモち!!!!!」

 

 びくり、とモモの身体が震えた。

 反射的に、見たくもないはずなのに、瞳が結愛の方を向いてしまう。

 結愛は、笑っていた。

 笑顔だった。

 その後ろで、天堂も嗤っていた。

 笑顔だった。

 天堂は、刀を、振りあげて、い、た。

 

「モモち!あたしは、モモちが友達で幸せだったよ!!!」

 

 斬、と。

 

 とても簡単に、結愛の首が落ちた。

 

 源モモはまた、何もできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5日目-絶望は終わらない-

 

 

 

「やだ……っ。もうやだぁ…………、助けて、ください。私を……、もう、殺して……ください……」

 

「は」

 

「ごめんなさい。私が、間違ってました。ごめんなさい。ごめんなさい、助けてください。おねがいしますごめんなさい私が悪いんですなんでもします許してください助けてください」

 

「は」

 

「やだ、みんなをもう傷つけないで……、見たくない……。もうみたくないよぉ……」

 

「はは」

 

「助けてください。助けてください。助けてください」

 

「ははは」

 

「ごめんなさい。許してくださいなんでもします……。おねがいしますごめんなさいごめんなさいごめんなさい全部私が悪いんです私のせいですごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい殺して……、もう死にたい……、もう殺して……」

 

「あはははは」

 

「っ、や、やめてください!お母さんはっ、お母さんだけには、やだぁ、なんでもするから、お母さんだけには、おねがいだから、家族には、手を、ださないでぇ」

 

「あははははははははははははははははは」

 

「おねがいします。たったひとりの家族なんです。私にはもう、お母さんしかいないから……お母さんには、手を出さないでください。おねがいしますおねがいしますおねがいしますごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいおねがいしますゆるしてくださいたすけてくださいたすけてくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいたすけてくださいたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて」

 

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 

「い、や」

 

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 

「やめてええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

「ふっ、ふふふ、ふはははは、あはははははははははははははははははははははははははははははッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6日目-あなたに希望は必要ない-

 

 

 

 結局の所、耐えられるはずもなかったのだ。

 源モモがどれだけ才能にあふれた人間であったとしても、モモはスパイになって1年にも満たない素人だ。長き時を『モウリョウ』で過ごし、大幹部の地位にまで上り詰めた天堂とは最初から格が違った。

 モモはそうそうにギブアップするべきだった。

 そうすれば、犠牲者は最小限ですんだ。

 犠牲になるのは『ツキカゲ』の人間だけですんだ。

 畠山結愛と北斗凪。それにモモの母が死ぬ事も、なかった。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「あちゃー、完全に壊れちゃってるねぇ」

 

 天堂はもうモモに対する興味を無くしてしまっていた。

 天堂がモモに執着していたのはあくまでモモが抵抗していたからだ。天堂の苛烈なまでの拷問に耐えきったからだ。壊れていないから執着した。壊れないから興味を持った。

 だから、もう天堂はモモに対して興味を持たない。

 壊れてしまったおもちゃで遊ぶ子供が、いないように。

 壊れたモモに天堂が興味を持つことは、ない。

 

「おーい、モモちー?裏切り者のメイだよー?分かるかな?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「これを治すのは骨だなー。んー、どうしようかな」

 

 モモの処断はメイに任されていた。ここまで壊れてしまった以上、研究班の方にまわすことも出来ない。適当に鼠の餌にしてもいいが、それにしてもどうでもいい。

 だから天堂はメイにモモの処遇を任せた。

 殺すもよし、サンドバッグとして飼うもよし、どう扱ってもいいと言われていた。

 

「正直、メイは別に『ツキカゲ』に情とかないんだよね。メイのモットー『風のように自由に、やりたいようにやる』だし。モモを治す義理もないんだけどさー」

「ああぁぁあぁああああぁあぁぁぁぁぁぁぁああああぁああああ!!!!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!!!!」

「でも、このままなのも癪なんだ。メイは別に、『モウリョウ』の配下になったつもりはないし」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「五恵ちゃんはもう生体実験にまわされちゃったし、フーのことはもうしばらく手放すつもりはないし、モモちに暴れてもらうのが一番だから。早く正気に戻ってほしいんだけど」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「モモちー、聞いてるかな?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 モモはもう壊れてしまった。

 ただ謝罪を繰り返し、許しを請うだけのガラクタになってしまった。

 友達を2人、自分のせいで喪った。

 唯一の肉親であった母親もまた、天堂によって殺された。

 砕け散った心のパーツ。

 壊れてしまった精神。

 もうダメだ。

 もうダメだ。

 もう、全部、ダメになってしまった。

 

「ダメだこりゃ。はー、めんどうだけど回収しないと覚醒できないなら、やるっきゃないか」

 

 メイもまた、壊れている。メイは快楽至上主義者で、楽しければそれでいい人格破綻者だ。そこに他人の都合は無く、そこには自分本位の考えしかない。

 人を思いやることができないわけではない。ただ、メイは人の気持ちを考えた上で、自分中心で動いているだけだ。

 だからメイはモモを治すつもりだった。

 停滞した世界はつまらない。適度な騒乱が必須ならば、光と闇の2陣営が必要なのだ。

 月下光(ゲッカコウ)が成功した今、放っておけば『モウリョウ』は世界を支配してしまうだろう。それではつまらない。だから、必要なのだ。『モウリョウ』に強い憎しみをもって、『モウリョウ』と敵対する人間が。

 

「また明日来るよ、モモち。明日は正気に戻っててね」

 

 その人間として、メイはモモを選んだ。

 

「いつまでも狂った振りなんかしてなくて、さ」

 

 壊れているけれど、壊れきってはいない。

 心は砕け散らばってしまったが、補強できないわけではない。

 中途半端なのだ。

 中途半端に壊れている。

 この程度の崩壊具合では真なる狂人ではない。

 とてもとても、今のモモを狂人というのは狂人に失礼だ。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいゆるしてくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 源モモはまだ、治せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7日目-正義の味方はどこにもいない-

 

 

 

 神様はいない。

 神様がいるのならば、この世に不幸があるはずがない。

 そんなことを思っていたのは、いつのころまでだったか。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「モモち、そろそろ正気に戻ってもらうよ」

 

 2人がいる場所は『モウリョウ』の秘密基地ではなかった。その外。空崎市のとある公園だった。

 モモが外にいるのはもちろんメイがモモを連れ出したからだ。そしてモモを外に連れ出す許可が出たのは、この1週間でメイが『モウリョウ』のかなり中枢に近い立場に辿り着いたからだっら。『ツキカゲ』で得た世界各地の私設情報機関の情報を提供したメイのことを『モウリョウ』はかなり高くかっていた。裏切り者という立場を利用して、メイは『モウリョウ』の信用を得ていた。

 かなり強く、得ていた。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「はぁーっ、あんまり、死者を冒涜するのは好きじゃないんだけどなー」

 

 口先だけそんなことを言って、メイはモモをベンチに座らせ、いったんどこか遠くに行った。

 そんなメイのことを、モモの視線が追う。といってもそれはただ動いている物を追っているだけで、何か明確な目的があるわけでは無かった。ただ、ただ、ただ外の世界の情報を部分的にでも得ているという時点で、モモはまだ完全に狂気に浸っているわけでは無かったのだ。

 まだ、正気に戻れる余地があった。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 呟くように、謝り続ける。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 呟くように、謝り続けて。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 呟くように、謝り続けたら。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「モモち、持ってきたよ」

 

 戻ってきたメイは誰かをおんぶしていた。

 メイがおぶっている人物が誰かは、すぐにわかる。

 その人物は今のモモに正気を取り戻させることのできる、おそらく唯一の人物。

 

「ほら、ユッキーの死体だ」

 

 無造作に、

 塵を扱うように、

 メイは半蔵門雪の死体を、地面に放った。

 

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

「おっ、分かるかなモモち?モモちの大好きな師匠の死体だよ」

「―――――――――――――――――――師、……………匠………………?」

「うん、ユッキーだよ」

「師、匠……」

 

 ふらふらと、

 まるで蜜に群がる蜂のように、

 モモはゆっくりと、それでも確かな足取りで半蔵門雪の死体に近づいていった。

 だからだった。

 

「そしてこのユッキーの死体を」

 

 メイは思いっきり足を振り上げて、

 

「こうします」

 

 ぐちゃ、とメイは雪の顔面を踏みつけた。

 

「………………………………………………………………………………………………ぁ」

 

 踏みつけた。

 踏みつけて、踏み躙った。

 顔が汚れる。

 あの時と同じく血で汚れていた顔が、靴で踏み躙られて穢れていく。

 

「こうして、こうして、こうします」

 

 何度も何度も、

 グチュグチュと、

 何度も何度も、

 グサグサさ、

 何度も何度も、

 グチャグチャと、

 

「………………………………あ」

 

 汚くて、汚くて、汚くて、

 汚れて、汚れて、汚れて、

 大好きな、大切な、大事な、

 敬愛していた、尊敬していた、盲信していた、

 

 半蔵門雪の死体が、その尊厳が、冒涜されている。

 

 それは、モモが正気を取り戻すには十分な凶行だった。

 

「あ、あぁああぁあ、ぁぁああぁあぁああぁああああぁぁあぁあぁあぁぁあああああああああ」

「目が覚めた?モモち」

「八千代、命」

「メイちゃん、って呼んでくれてもいいよ」

「八千代ッ、命いぃぃいぃぃぃいいいぃいぃぃいいいぃぃいいいいいぃぃいぃいいぃいいッッッッッ!!!!!!!」

 

 身体の節々が痛かった。1週間も拘束されていた影響でモモの運動能力は間違いなく落ちていた。だから、無駄だった。今のモモがメイに襲いかかったところで、敵うはずもなかった。

 パシっ、と軽く腕を叩かれて、そしてメイはモモを思いっきり投げ飛ばした。

 地面にぶつかった衝撃で肺から全ての空気が放出され、モモは呼吸困難になる。けれどそんなことはどうでもいい。どうでもよくて、よくて、だからモモはもう1度立ちあがってメイに襲いかかろうと。

 

「憎しみだけじゃ、勝てないよ」

「がっ、はがッ!?」

 

 踏みつける。

 メイはモモを思い切り踏みつけて、見下す。

 見下して、言い放つ。

 

「またね、モモち。今度はさ、もっと『強く』なってから、戦おうね」

 

 それだけ言って、メイは去っていった。

 公園には倒れ伏したモモだけが残された。

 何時間そうしていたか、雨が降ってきた。

 

「………………てやる」

 

 憎い。

 

「………………ろしてやる」

 

 こんな気持ちを仲間に向けることになるなんて、思いもしなかった。

 

「………………殺してやる」

 

 赦せない。許せない。ユルセナイ。

 

「絶対に、殺してやる」

 

 裏切ったことが許せないんじゃない。それも確かに許せないけど、そんなことよりもはるかに許せないことがある。

 拷問されたことが赦せないんじゃない。確かに痛くて痛くてたまらなかったけど、今も身体の全てが痛くて誰か人を見るだけで壊れてしまいそうなほどに息が荒くなってしまうけど、そんなことよりもはるかに許せないことがある。

 

「絶対に、殺してやる」

 

 赦せないのは、

 あの裏切り者の何よりも許せないことは、

 

「絶対に」

 

 師匠を、

 私の師匠を、

 半蔵門雪を、

 

「絶対にっ!」

 

 よくも、

 よくもよくもっ、

 よくもよくもよくもッッッ!!!!!

 

 よくも、あんな風に!!!

 

「殺してやる、八千代、命ぃ!!!」

 

 8月25日、午後11時28分19秒。

 土砂降りの雨に打たれながら、喪った凡てを回顧し懐古しながら、あまりにも憎すぎて張り裂けそうになるほどの心で、モモはそう誓った。

 

 誰でもない自分自身に、そう誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その誓いが果たされるのは、今から10年後のことだった。




 個人的にはハッピーエンドだと思うのですが、皆さまはどう思いますか?

 なんとか11話が放送される前に投稿できて本当によかった。間に合わなかったら破棄するところでした。


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