山本治は幻想郷で読書をするようです   作:山本 治

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【前回の問題の模範解答】
読書に集中し本の世界に入ることは、自身を周囲の環境の変化や難解な思考から乖離させてくれるから。(47字)
この問題、感想として回答頂きました。その方の解答もとてもよく仕上がっており、あちらを模範解答にしても良い程でした。ご解答有難うございました。
業務連絡となりますが、twitterもやっております。気が向きましたら、どうぞお気軽にフォローして下さい。
ID:yamamoto_no_osa


第10話「君の膵臓をたべたい」

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『みつこのよ。んなじ、をきおてぶやしりのはこはよ』

 

…眼前はほぼ闇の中で、何かが聞こえる。明らかな意図を持って発している声だが、その意図を汲み取ることはできなさそうである。

 

『んなじ、たかちのそにげくみにくりりにけな。れそくさしまゅじそ。れわらのしおせわみつ』

 

淡々と話しているかのようで、中身が全く伴わない。新鮮な感覚である。

 

『みつこのよ。がんなじみつ、しなこにこ。どれかもし、がたみつりあこにこ』

 

ここで初めて音の主の容姿が呈される。毛の生えた巨大な腕。

 

『にえゆれわら、をんなじにとわんがとめ』

 

その音が終わると、腕は黒に消える。目の前は見えないが、本能的にもうこの場にはいないのだと悟る。

 

少し懐かしい感覚がした。

 

───

─────

───────

 

囀りが眼を開く。また何かしらの夢を見ていた気がするが、今はもう現であるから、体を起こすことにする。

歯を磨きながら自分と向き合ってみると、今日も相変わらず人とは思えぬ顔である。毛に覆われた側頭部及び後頭部、そして顔だけ黒い皮膚が露出している。眼球周りは彫りが深く、常に睡眠不足を疑われそうである。

先日の夕食の残りで朝食をとりながら、本日の予定について思い出してみる。今日があの少女との外出日であることを思い出すに、そう時間はかからなかった。別に緊張して夜も眠れないとかそういうことは幸いにも無かった。しかし、それにしても、敬語を封印せねばならないのが手痛く感じていたりする。何故だか僕は敬語を使うことで、それでいて自分な気がするのである。だから正直会話が辛い。

それを申し上げたら彼女は嫌がるのだろうか。僕にもわからない。

今日は火曜日なので、妖怪の山にいるかもしれない、姿を見たこともない狒々へ向けて儀式を行う。思えば実像の伴わない何者かを崇めるなどと、なかなか変わった話ではある。

しかし大体の里の人々は、あらゆる自然に一種の“精霊”の存在を信じ信仰している。そう考えれば一種の宗教としては別段珍しいことでもないのだろうか。

ただ人里はあまり異教徒に対して寛容的でなく、ある時には激しい弾圧の末一家を社会的に殺すこともある。その結果増えるのが所謂宗教遺児。路地裏で細々とゴミを漁って生きているような子供達である。

里は金が無い人々には救いの手を差し伸べない。それは自分たちが生きるのだけでも精一杯だからである。仕方ないが、それでも醜い。

まあ、僕も同罪だが。

何か物事を考え出すと止まらないのは悪い癖である。それらを振り払うように頭を振り、僕は出かける支度を始めた。

日頃の行いが良い自信はないが、今日は運良く快晴である。

 

 

相変わらず日の届かない地下室で、フランさんの支度を待っている。

 

「おはようございます」

 

「おはよう治兄…、敬語、抜けないね…」

 

少し考えたが、やはり、言うべきなのだろうとは思った。

 

「…あの、そのことについてなんですけど」

 

もののついでに一つ申し立てをすることにする。

 

「…やっぱり敬語は許してくれません?」

 

「えー、どうしてよ」

 

「人と自然体で接する時は決まって敬語なんですよ」

 

「うーん…、しょうがないなぁ、認めます!」

 

あら、なんと器の大きなことよ。

 

「治兄が自然体でいられないのは私の本意ではないからねー、特例として認めることにします。しかし!」

 

「しかし…?」

 

「あくまで対等に!これが条件です!」

 

「…恐れ多いですが、心に刻んでおきましょう」

 

そうして日傘、財布が手元にあることを確認し、レミリアさんに報告してから紅魔館を出発した。

日の下の彼女をみるのは初めてで、新鮮な気分であった。

 

 

「先ずはどこ行くの?」

 

「昼までは少々あるので、先に少し大自然に触れておきましょう」

 

「だ、大自然?」

 

そう、先ず僕は午前中を大自然に満たしてもらうことにした。お出かけプランを考えるのは非常に骨が折れたが、僕なりに頑張ったつもりである。もとより人と関わらない人間だから、人と出かける計画など、耽溺したと表現して良い程に練りに練った。

それでもきっと凡人かそれ以下だろうが、まあつまり努力はしたのである。誰に対する言い訳か知らないが。

 

紅魔館付近にはやたらと霧の深い湖があるのだが、それを抜けると森が広がっている。その林道を歩くと人里が見えるのだが、その前に少し寄り道をと別の道を歩く。

 

「実は先日、吸血鬼が苦手なものを調べて参りました」

 

「おー、熱心だね」

 

怪我でもさせたら切腹ものであるから、それはもう念入りに。

 

「先ずはニンニクですか」

 

「ちょっと臭くて嫌い」

 

あ、その程度?

 

「次に十字架」

 

「んー、それは正直言って別にどうでもいいと言うか…」

 

あ、人間が勝手にすがってるだけなのね。

 

「で、銀」

 

「あれでつけられた怪我って中々治らないらしいよー」

 

それ以外のものは大丈夫なのだろうか…

 

「後は、流水と」

 

「うん、それは火傷しちゃうからね」

 

ああ、流水は駄目なのか。

ん? だとしたら、気になることが。

 

「じゃあ風呂なんかはどうしてるんですか?」

 

「温水だからね」

 

そんなものなのだろうか。僕にはよくわからない。

 

「言わずもがな日光も駄目ですか」

 

「それは誰でも知ってそうだよねー。…で、なんでこんな事情聴取みたいなことしてるの?」

 

「安全にお出かけを楽しむためですよ。怪我でもしたら大変です」

 

そこまで言うと、木々の向こうに目的地が見える。

 

「ほら、見えてきましたよ」

 

「んー?」

 

 

先ず第一の目的地は、何も名が付いていない、ただの河辺である。風に揺れる緑色は初夏の匂いを感じさせ、僅かな音を伴い流れる水が風流を感じさせる。川の近くは短い草か砂利で構成されており、川幅は凡そ10m弱といったところだろうか。

何故ここを選んだのか、と彼女は不思議に思っているだろう。

 

「きっと今フランさんの頭の中には?が一杯のはずです」

 

「…水遊びはできないよ?」

 

「ご安心を、それを考慮に入れてのここです」

 

そう言って僕は砂利石の中から平たい石を探す。

 

「…昼までは後30分そこらです。ですから、これで勝負しましょう」

 

僕は川面に水平に、回転をかけた石を飛ばす。

それは一跳ねもせず水中に没した。ダサい。

 

「…本当は水面を跳ねるんですよ?」

 

「…プッ、アハ、アッハハハハ‼︎ 」

 

「わ、笑わないでくださいよ…次はちゃんとお手本見せますから…」

 

大口を開けて笑っている彼女にお手本を見せなければならないので(先ず見せないと競技が成立しない)、次の石を探し回る。

 

「これで跳ねた回数を競いましょうッ」

 

第2投は三回跳ねてくれた。有難い。

 

「ふーん、で、勝った方は何かあるの?」

 

「何でもすると言いたいですけど、貴女は弾幕ごっことか言い出しそうですからねぇ…。なんで、もし僕に勝ったらみたらし団子買ってあげます」

 

そう言うと、彼女はよく姉に似た顔で笑った。

 

「…乗った」

 

「フッ、手加減は致しません」

 

これこそ大自然と一体のアクティビティ。いざ尋常に勝負。

 

 

「へー、みたらし団子ってこんな味なんだね」

 

「アッハッハ.ソレハヨカッタデスネ」

 

確か僕は4回跳ねて、彼女のは対岸まで辿り着いた。僕は彼女の身体能力を甘く見ていたらしい。小さくても吸血鬼で、コツを掴んだ彼女から放たれた石は、常人のそれより遥かに回転していた。

どんな結末であれ奢ってあげるのが大人の嗜みだと思ったが、正々堂々と負けたのが悔しい。

おかげさまでこの通り、美味そうなみたらし団子を見せつけられながら僕がよだれを飲んでいるのであるが。

 

「んー、とっても美味しいよ!ほーらほら」

 

「ン-.オイシソウデスネ-.イイデスネ-」

 

「ふふ、冗談だよー。はい」

 

流石に気を使ったのか、僕に食べかけの串を差し出す。

しかし今日は気を遣ってもらうわけにはいかないのである。

 

「…男に二言はありません」

 

「強情だなぁ……えい」

 

「ぶほぉ」

 

いやん、アタシのお口の周りに甘いタレが!

 

「あ、ごめんなさい…」

 

「…身長差半端ないですからね、じゃあ、お言葉に甘えましょう」

 

どうやら僕のお口に突っ込む気だったらしいが、僕は2メートル10センチ程度に対し、彼女は1メートル50センチ弱。その串は不幸にも僕の顔面に激突してしまった。

僕が頑固なのもいけない。ここはおとなしくもらうべきなのだろう。

彼女に精一杯笑いかけながら、僕は団子を頬張る。

 

「…凄い上物じゃないですか」

 

「でしょ⁉︎ フランの選んだ店に狂いは無かったよ」

 

いや、場所教えたの僕ですけどね…

 

 

あれから食欲がそそられてしまい里で買食いを沢山してしまった。あまり里を歩いたことが無かったからわからなかったが、まだまだ僕の見たこともないものが多くある。二十余年生きてきたが、現世小説にも名が出てくる「チーズ」を食べたのは初めてのことだった。

それで今は少し体を休ませるために、僕が本拾いの帰りにしばしば寄る喫茶店でたわいもないお話に興じているのである。

その店の名前は「喫茶 No name」。なんて読むのかはさっぱりわからなかったが、僕が常連として通い詰めるうちに店主と顔見知りになり、読み方が「のーねーむ」であると教えてもらった。

後々読んだ小説にも同じような文字があり、よく翻訳してもらったものである。

そして本人も語っていたが、彼自身は現世出身らしい。

また今度現世について教えてもらいたいものである。

 

 

「ここってよく来るの?」

 

「そうですね、本拾った帰りによく寄りますよ。店主が若くてね、僕より年下らしいですよ」

 

「…治兄って今何歳?」

 

「老けるのがバレないのはいいですね。僕は今23歳ですよ」

 

…そう言われると気になるのが、目の前の少女の実年齢。なんか前に495年は少なくとも生きてるって聞いた気がするが──

まあ取り敢えずそれは置いておくとして。レディに失礼である。

僕は店主に目をやる。黒い長髪が靡く男性で、人によってはあれ目当てに訪れる人もいるんじゃないだろうか。憶測だが。

 

「割と美形だねー」

 

「割ととはなんですか、彼に失礼ですよ」

 

「治兄だよ」

 

予想外の砲撃に折角の紅茶を吹き出す。

 

「お世辞下手過ぎですか」

 

「フフッ、他のゴリラ見たことないからよくわかんないけど、よく見てると表情が豊かで楽しいよ?」

 

それ美形って褒めてないような気が…

 

「見世物じゃありませんよ。動物園でもありません」

 

僕は大人だが、今はこの子に負けてる気がする。

果たして大人かどうかを決めるのは生きた年数か、振る舞おうとする努力か。

 

「…治兄、楽しい?」

 

この子は藪から棒にが好きなのだろうか。

 

「? どうかされましたか」

 

「いや、さっきからフランが行きたがってるところにしか行ってないかなーって思ってさ…」

 

思えばこの子があそこ行きたいって言ったらそれに従ってた気がする。

 

「…正直、行く場所は決めあぐねてたんです」

 

「?」

 

「僕は人を連れてお出掛けなんてしないタチですから。ですが、とっても活発な少女がさっさと決めてくれたんで、僕としては楽なことこの上ないですよ」

 

「…それは皮肉ってるのかな?」

 

「いやぁとんでもない。存外楽しいものです。僕が教えるつもりになっていましたが、いつの間にか貴女に外の楽しさを教えてもらっています。寧ろこれからもどんどんリードして欲しいものです」

 

「ほんと?」

 

「嘘はつきませんよ。基本」

 

「えへ。ありがとう」

 

別にお礼を言われる筋合いはないのだが。

 

「んー、じゃあ次はあそこ行きたい!」

 

そう言って彼女が指差した先には、店の窓ガラスを通して向かいの建物が見える。それはやたら目立つピンク色の──

 

「…あそこは、ダメです。あそこはいけません」

 

「えーどうしてー」

 

そう言ってこの少女はニタニタ笑っている。貴様!勘付いているなッ!

 

「…貴女がもう少し成長してから、好きな男の人と然るべき時に行く建物です。今の貴女には早過ぎる」

 

「私治兄のこと好き!」

 

「いや、そうじゃなくてですね、その、うんまぁ、うーん」

 

 

性懲りも無くりんご飴を食べながら町中を歩く。ここは比較的大通りで一部であるが電気も通っている。まだ昼間なので消灯しているが、夜になっても明るいのはこの辺りだけである。

 

「うーん、今日一日だけでかなり太った気がしますね…」

 

「そんなことないと思うけどねー」

 

「こらお腹をぺちぺちするのをやめなさいやめなさい」

 

 

 

するとふと、視界の端に何か動くものを捉えた。

建物と建物の合間、昼間だというのに暗いその場所に、みすぼらしい少女の姿がある。きっと、なんらかの原因で一家が弾劾されたか、或いは育てることを放棄されたかは容易に想像ついた。

ああいう人々に手を差し伸べるのは、あまり良くない行為とされている。社会的には。

僕としても社会的地位は惜しいし、同様の目にあうことは避けたい。

もとより僕は臆病なのである。

 

「…治兄?」

 

ただ。

やはり、僕は。

 

「…ちょっと御手洗い行ってきていいですか?」

 

「あ、うん」

 

偽善者なのだろう。

他人から見て、悍ましく思える程に。

 

 

周りに人がいないことを確認して、僕はその路地に近寄る。

顔を上げた少女に、無言で食べかけのりんご飴を差し出す。

自分でも、残酷な行為だと思った。これではまるで家畜の餌付けとも言えそうな光景である。

しかしこういうことをしなければ自分の罪悪感すら拭えない、あまりにも臆病で見栄張りな性分で。

やりきれなくなる。

僕は最低である。

 

「…ありがとう…」

 

「…申し訳ありません」

 

弱々しい少女が絞り出す声に、罪の気配を感じずにはいられない。

その罪が足を絡め取る感覚を感じながら、僕はその場を後にした。

 

 

「いやー、お待たせしました」

 

「…りんご飴、どうしたの?」

 

「馬鹿なことに便座に落としてきました。勿体無いです」

 

「…ああいう子って、よくいるの?」

 

「…」

 

「…」

 

「…見苦しいところを」

 

「…そんなこと無いよ」

 

「…こればかりは気を遣うことも無いです。あれは酷く偽善でした」

 

「…でも、さ」

 

「…?」

 

「あの子、凄く有難がってたよ」

 

「…あの子を養う余裕もないが、目の前の罪悪感からも逃れられないんです。だからああいう卑怯な行為に出ました」

 

褒められたものではない。それはこの僕が一番よくわかっている。

 

 

 

あれから雨が降ってきてしまい、急いで近くの油屋に避難した。しかも思ったより本降りなので、傘をさしても濡れてしまうリスクを考え、止むか弱まるまでここで待つことに決めた。

今日一日とても遊んだ。これが止んだら彼女を家に帰し、僕のお勤めは終了である。

思えば今日は彼女の、思ったよりも優れた社交性が見られた。長い間地下室に閉じ込められていたはずなのに、一体どういうことであろうか、僕が人参を選んでいる間八百屋のおじさんと会話を弾ませていた。

そのことを含み、僕はこの子との関係について考えていた。

ただ、善意と思慮で構成されたようなこの子に、あくまで普通の人間で、人目を気にする自分が関係していて良いのかと。

それに、自分は数十年後には確実に死ぬ。

ここに来て尚、死生観がこびりついて離れない。

 

「雨降ってきちゃったね」

 

「そうですねー、もう少し止むのを待ちましょうか」

 

「…今日は楽しかったよ。ありがとう治兄」

 

「いえいえ、こちらこそ沢山学べましたよ。まだまだ人里には見所があるものですね」

 

取り留めのない会話を繋ぎながら、雨が止むのを待つ。

勢いを増す雨を見ると頭の中に先程の少女がよぎり、この空模様のように心が沈む。

眼前の少女にだけは悟られないように、僕は必死だった。

 

「しかしこれいつ止みますかね」

 

「まだ暫くは降ってそうだね」

 

「寒かったりしませんか? 大丈夫ですか?」

 

「うん、取り敢えず大丈夫だよ!」

 

実際気温は若干低下していた。それでも蒸し暑いと言えるほどではあったため、それが少しは救いであるか。

 

「ねぇ治兄」

 

少女が切り出す。

 

「次回はどこ行こうか?」

 

 

純粋に目を輝かせる少女を見て、僕はふと虚しさを感じる。

果たして僕はこんなに幸せを得て良いのだろうか。純朴の塊であるこの少女と次を確約していいのだろうか。

考えるより先に、僕は言葉を発していた。

 

 

「次──はもう、いいんじゃないですか」

 

 

「…え?」

 

先程と打って変わって困惑した表情。

心情の豊富さが伝わってくる。

 

「貴女はもう十分に社交的です。貴女に足りないものは経験だったんです。一度外に出てしまえば、もう後は人の手助けはいりませんよ」

 

「治兄…?」

 

僕は視線を決して彼女に合わせない。

 

「レミリアさんとの約束を果たすことも叶いました。もう僕のような一人間が関わるなど、そういったおこがましいことは望みませんよ」

 

「…何でそんなこと言うの?」

 

今、どんな顔をしているのだろう。

 

「フラン、言ったよね。あくまで対等にって…」

 

彼女の声は消え入りそうだ。

 

「あの日からずっと遊んできて、今日も、楽しかったよ? …治兄は、やっぱり楽しくなかった…?」

 

「いや、そうではありません」

 

そう、そうではないのである。もっと酷い理由である。

 

「あくまで、僕はほぼ契約の身分です。貴女の世界の一脇役になる資格は持ち合わせていません」

 

「資格って何? それって大事?」

 

彼女の声が荒くなってくる。

これはいけない。僕は彼女を悲しませることも怒らせることも望んではいない。

ならば論理的な説明で説得するしかないだろう。

それこそ、得意の本を使って。

僕は顎に手を当てる。

 

 

「…僕は自分なりの死生観というものを持ってるんです」

 

「…」

 

「その基礎となったのが、『君の膵臓をたべたい』って本なのですが、こちらは住野よるさんという方が書かれた小説です」

 

「…」

 

返答がないのもキツイものである。

 

「ざっくりとしたあらすじとしては、主人公の男の子がある日病院で“共病文庫”なるものを拾いまして、これをきっかけに余命宣告を受けた女の子の山内桜良と関わることになるのです」

 

「で、ですね。あまり言うとネタバレになるから詳しくは言いませんが、この本は一言で言うと「切ないラブストーリーとは十把一絡げに言い切れない何か」です。双方が互いに抱いていた感情は、恋愛感情、とも言い切れないですが、尊い感情であったと言えるでしょう」

 

「そんなストーリーですが、僕はこの本の主題は正しく“死生観”と思います」

 

「僕がこの小説で一番好きな一文が、『小説は、最後のページまで終わらないと、信じていた。』です」

 

「人の人生は、張っておいた伏線や謎が全て確実に回収される訳ではなく、ある時突然終結するものです。僕自身もこれを読むまで履き違えていましたが、人の物語は、基本綺麗に終わりません。あ、安心してください。この小説ではちゃんと救いはありますよ」

 

「面白いのは主人公が山内さんの名前を呼ばないことです。これは自分の中に他人の存在を定義したくない、と語られていますね。ある誰かを定義したら失うのが恐ろしくなってしまう、など、理由は多々あるそうですが。他にも本来山内さんが呼んでる主人公の名前の箇所が【秘密を知ってるクラスメイト】みたいにその時々の関係で変わる、といったように、見所は沢山ある小説ですから一度読んでみてください」

 

「…」

 

僕は一度咳払いをする。

 

「…貴女が気になっている本題は、ここから。先程の話で、『他人の存在を定義したくない』と語りました。資格って何、という質問でしたが、こういうことです。僕は、貴女の世界で存在を定義されてはいけません」

 

「貴女は純粋です。それはもう素晴らしいほどに。そして貴女は何より優しい。ですから、きっと僕のような人間の死にも感傷的になってくれてしまうでしょう。ですが…」

 

「…僕は、あまり褒められた人間じゃありません。一般人です。僕という存在に、いつか悲しみを抱いて欲しく無いんです。僕という時限爆弾を抱えて欲しくありません」

 

「僕の自意識過剰に聞こえるかもしれませんが、貴女はそれだけ優しすぎる。例え道端のアリを踏んづけてしまったとして、それに気がついたら、貴女はきっとその行為に罪を感じずにはいられません。でなければ、そんな能力を持ち合わせながら、あの地下室にこもる理由が無い」

 

「ご存知の通り、僕は人里の子供一人救えない愚か者です。そんな存在にいつか貴女が哀惜を感じてしまうのは、そんなの僕のわがままじゃないですか」

 

 

非常に論理的な説明だと自分で思う。ことわっておくと、僕は自尊心が無いわけではない。並の人間ほどには立派な自信がある。

ただ、まあ、並の人間なのである。この子の数十年とその先の感情を奪っていいほどの価値があるとは思わない。

 

「……治兄はすぐ死ぬから、関わるなってこと…?」

 

なんと表現したら良いかわからない感情を滲ませる少女。

 

「…さっきから治兄、自分の事蔑んでばっかりじゃん。やれ自分には時間をかける価値はないだ、やれ愚か者だって…」

 

「いや、蔑んでいるわけではないですよ。ただそれだけ僕は標準的に人間であって──」

 

「うるさい!黙って!」

 

思わず僕は仰け反る。

まさかこんな反撃が来るとは予想もしていなかったので、驚きが隠せない。

 

「そうやって貴方は自分で自分を卑しめてることも自覚できない、自己否定が誰も傷つけないと思い込んで…!」

 

「貴方の悪い所はそういうところだよ‼︎」

 

「標準的な人は吸血鬼の館に呼びつけられても行かないし、自分を殺しかけた少女に物事を教えようとしない!」

 

「貴方が死ぬなんてわかってるし、貴方を看取らなければならないかもしれないなんてこと、わかってるよ…」

 

「でも数少ない時間だから、精一杯一緒にいたいって、思うのはおかしいの…?」

 

「私は貴方が好きで、その先の哀惜なんて考えたくもないくらいだけど、貴方がそう言うなら、ちゃんと考えるから…」

 

「だから、だから、お願い…」

 

僕は、もう出す言葉が見つからない。

 

「私の友達を馬鹿にしないでよ…」

 

 

 

…参った。

関係性を定義しようと試みた時、一度も“友達”だなんて言葉は出てこなかった。そんな言葉は、最初から除外していた。僕達は、それ程までに対等とは思わなかった。

目の前の少女は、やはり今を生きているのである。そして、未来を生きているのである。

僕の過程が、甘かった?この子は既に覚悟していた?

処理が追いつかない。彼女の感情的な言葉を咀嚼しきれない。

僕は論理的な世界で一人こもっていたから、こんなに強い強い言葉を受けたのは生まれてこのかた初めてである。

取り敢えず、僕に今できることは、と考えて。

 

 

「…申し訳、ありませんでした…」

 

 

と、だけしか言えず。

 

 

「…もう、自分の事馬鹿にしない?」

 

「…善処します」

 

「…許す」

 

そう言って彼女は、僕のことを抱きしめた。

 

確かに、きっと、僕が間違っていた。

 

 

彼女を家まで送ってから、僕は自宅に帰る。

自室の中で、僕は一人考える。

 

彼女は僕のことを友達と言ってくれた。

それは素晴らしいことである。

彼女にとっての僕は素晴らしいとして。

他の人にとってはどうであろう。

あの孤児にとっての自分は、見て見ぬ振りの大衆の一人なのではないか。

誰かにだけ優しいは優しさではない。

彼女は僕に自身を蔑むなと言った。

ならば僕はどうすれば良い?

依怙贔屓ともとれる僕の態度は、果たして蔑まないでいられるか。

 

 

静寂な夜。

明確なカタルシスを得られないで、僕はそのまま眠りについた。




話が長いくせに本の紹介があまりできませんでした。映画化もされた有名な本なので、原作を未読の方は是非読んでみてください。

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