「す……ごい」
村人達はただ、呆然と眼の前の光景を見つめるのみ。
それもその筈。普通、ドラゴンというのは空を飛び、口から火球を吐き、爪や牙で裂く生き物の筈だ。
しかし、目の前の竜は何もかもが異質だった。
まず翼が無い。つまり飛ぶ事を放棄したという事だが、そんな物がデメリットにならないくらい、俊敏であった。
そして人間並みの器用さで、ドラゴンにはできない技を次々と繰り出していく。竜種は人間並みの知能を持つモノもいるし、“韻竜”と呼ばれるドラゴンは人語を話して理解し、“先住魔法”と呼ばれる魔法まで使える。しかし、目の前の黒竜は常軌を逸していた。
口からブレスを吐いたと思ったら、その黒い焔を収束させて短剣を作り出し切りはらう。牙や尾を使って原始的に吹き飛ばしたと思えば、まるで人のように拳を振り蹴りを繰り出す。
巨体に似合わぬスピードで空を飛ぶように動きまわった後に、その巨体を生かした地を揺るがす力技を繰り出す。
止めは、逃げだす盗賊達めがけて勢いを付け、飛びあがって“黒焔の大槍”を流星のごとく投げつけた。
その所業は、村人にとってこれからも続くと思った常識を、まさに根本から覆すようなモノだったのだ。呆然としてしまうのも仕方ないのかもしれない。
『オオオオオ……ゴオオオオォォォォ!!』
地に降り立った黒竜は、初めの咆哮よりも更に大きな咆哮を上げ、紅蓮と漆黒……二つの焔が舞う中で天を見上げた。
「あの竜が助けてくれたの……?」
「まさか……ドラゴンがそんなことする訳が―――」
「でも、盗賊しか狙ってなかったんだ、俺達の所には来なかった」
「……あぁ」
村人たちがざわめく中で、少女はひっそりと嬉し涙を流していた。
(有難う……有難う、黒竜さま……)
黒竜が叫ぶその様子は、村人にとっては困惑の、少女にとっては勇ましい姿だった。
(こんな私の願いを……聞いてくれて―――この村を、救ってくれて…)
と、村人達から悲鳴が上がる。
見ると、黒竜はゆっくりとだが、此方に向かって歩いてくるのだ。村の焔と竜の焔、二色の焔も相まって、より恐怖を増進させている。
村人たちは逃げようとするが、先程見た黒竜の力を思い出し、皆諦めたように俯いている。その中から、村長と思わしき人物と頼みごとをした少女が前に出た。
二人は竜の前に立ち、まず村長らしき老人が口を開いた。
「黒竜神様よ……」
どうやら、黒竜神という呟きはこの老人のモノだったらしい。老人は何処か怯える様な、しかししっかりとした意思を込めた口調で話しだす。
「村を救ってくださった事……それが気まぐれだったとしても、わしらは感謝しておりまする。……黒竜神様、不躾な願いとご承知のうえで言わせて頂きます……どうか、村人達を見逃してもらえぬだろうか……?」
『……』
「もし……贄が必要というのならば、わしを差し出そう、じゃから……せめて村人たちだけは―――」
「まって、お爺ちゃん!」
老人の言葉を遮り、少女が声を上げる。どうやら彼女は老人の孫娘らしい。
その声は老人のように震えてはいなかったが、何処か儚さを感じさせる声色だった。
「私が黒竜様にお願いしたの、“私が何でもするから村を助けて”って。だから……私が贄になるわ」
「ま、待つんじゃ、アイリーン! お主に死なれてしまったらわしはっ……」
「……ごめんねお爺ちゃん。でもコレは、お母さんから受け継がれた様なものだから」
先ほどとは別の涙を流し、彼女はすすり泣く祖父の背中をさする。そして、思わず見惚れてしまうような笑顔を浮かべ、黒竜に向き直った。
「さあ黒竜様、私……あれ?」
少女が目を向けて先に居た筈の黒竜は、何時の間にやら消えていた。いや違う、村人の内一人が指をさして、あっちあっち、と囁いている。
その方向を見てみると、黒竜はすでにこちらに背を向け、去って行く途中だった。
「……わし等だけで勝手に盛り上がってしまっていた様じゃの……」
「う……うん……」
村長は兎も角、少女の方は顔を赤くして俯いた。しかし、すぐに立ち直り、黒竜の背に向かって呟く。
「黒竜様……本当に、ありがとう……」
その時僅かに―――本当に僅かにだが―――
―――彼がこちらを振り返った気がした。