──くん、ひとつ他愛のない話をしよう。いやほら、私にも心の準備が必要なんだ。なんのって、それを語るための心の準備だ、察してくれ。
突然ながら、私は実をいうと夏という季節があまり好きではないのだよ。ちなみに好きな季節は秋だ。ははは、予想通りの意外そうな顔をするじゃないか。なに、ちょうど読書も終わって暇をもて余している様子だったからね。ひとつ私の暇潰しに付き合ってくれないかい。
よろしい。ならば、まずはその手に持った菓子パンをしまいなさい。違う、どうして代わりとばかりのクッキーが出てくるんだ。
なに、私の話で腹が膨れなかったときのためだと……君も言うようになったね。しかし、今日の話題は文芸部らしさもなく、他愛のない雑談なのは事実。茶菓子くらい好きに摘まみながら聞いてくれればいいさ。
それで君は夏が好きでないという言葉に驚いていたね。それは君が夏を好きだからかもしれない。しかし、夏なんて身体が溶けそうなほどの気温に、肌を焼く日光が照りつけてくる。それだけでも案外夏を好まない理由としては成り立つんじゃないかな。
世論はともかく私には当てはまらないと……ああ、なるほど。
たしかに私は寒いのが苦手だ。末端冷え症でね、なにかと辛いのだよ。ほら指先が冷たかろう、うん、君の手は温かくていいね。是非、冬になったら貸してほしい。
さらに言うと、空気が乾燥して肌のケアに苦心するし、保湿クリームを塗らなければ指は割れるし、なにかと女としても手のかかる季節だよ。しかし、私は冬よりも夏が嫌なんだ。
なにも変なことじゃない。春は花粉が舞うし、花粉症を患う人にとっては煩わしいことこの上ない。温暖な気候が好きな人間も、これだけの理由で春が苦手になる。不謹慎ながら生物は死を忌避するが、それでも生にどうしようもない苦痛を感じたとき、人間は死を選ぶこともある。多大な負の感情を抱いたときに、人間はそれ以下の嫌な選択肢を選べてしまうし、好きなものもそうでなくなってしまうのだよ。
どうだい、なんとなくだが納得が出来ただろう。
君に例えるなら動くのは好きだが、熱血な雰囲気が苦手だ。だから運動部に入部せずに、こんな幽霊部員が蔓延る文芸部へと来てくれたのだろう?
うんうん、いやいや何も言わなくてもいい。君が何も語らなくてもわかっているさ。参加しなくても特にお叱りを受けないこの部活は、君のような自由を謳歌したい人間にとってはいい隠れ蓑だからね。
強制的に部活動に入部という校訓には呆れるばかりだがこういう抜け道は存在するものさ。別段、私もそういう部員に対して何を思っているわけでもない。
……しかし、君は毎日来てくれるね。実は読書好きだったり、なんだい、その不満げな顔は。
いいから話を続けろ? 珍しく語気が強くて余計に気になるのだがわかったわかった触れないから帰ろうとしないでくれ。
ま、まあ、つまりだ。いくら好きという感情のベクトルが向いていても、それに勝る負の感情が付随してしまうと、どうしてだろうね。不思議なことに人はその対象を好きになれないんだよ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言ったものだね。恋は盲目と言うが、あれは強すぎる想いが視界を狭める、といった解釈で間違いないだろう。人は愛でも憎しみでも視野が狭まるからね。
ともすればだ。私が夏を好まない訳。そこには夏が嫌いなんて理由じゃない、別の答えがあると思わないかい?
え、いやいや、私は夏が嫌いだなんて一言も言ってないぞ。夏が好きでないと言ったんだ。狸か狐にでもつままれた気分だと? 単純に君が話し半分にしか聞いてなかっただけじゃないかな。
真面目に聞いていたが頭の回転がよくないだけだと……うん、なんだかすまない。
いや、けれども君の初めの反応もあながち間違いじゃない。私としても夏という季節は好きなんだ。梅雨という湿度の高いジメついた先の、湿気を吹き飛ばすカラッとした空気に燦々と照りつける太陽、海に祭りに花火、楽しそうなイベントだっていくらでもある。かくいう私もそれらは好きだ。
ただね、夏にはあれがあるんだよ。うん、惜しいところを突いてくるが違う。山盛りの課題じゃないよ。あれは遊び盛りな生徒たちが、長期休暇で頭を空っぽにしないためのものだ。こら、目を逸らすんじゃない。
あのね、少し話が逸れるのだがひとつ言っておこう。君もいい加減、テスト期間の度に私に教えを乞いに来るのはどうにかしないといけないよ。夏休みの課題も終盤まで残すタイプだろ。
私としても可愛い後輩の願いを聞くのは吝かではないが、知っていたかい? 君がテスト期間なら、当然だが同校の私もそうなんだ。せめてもう少し教科の数を絞ってくれれば──話が逸れたね。うん、耳が痛そうな顔をしているが結構切実に一考しておいてほしい。
よし、楽しくない閑話は休題として話を戻そう。私としては課題は大した苦痛でもない。むしろ課題を出される原因がダメなんだ。ははは、そんなまさか、みたいな顔をありがとう。そのまさかさ。
うん、実のところ私は夏休みというものが好きでないのだよ。嘘じゃないとも、高校生としては珍しい部類に入るのは認めるけどね。
長い休みというのは、本来であれば嬉しくて然るべきもの。私だって昔は純粋に夏休みが好きだったのだが、少しばかり前からどうにもね。今から来年のことを考えると憂鬱さ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。つまるところ私にとっての坊主は長期休暇、袈裟が長期休暇のある季節というわけさ。
うん、そうなった理由を聞きたいんだよね。私としてもそこを語らねばと思っていた。ふぅ、よし。心して聞きたまえ。
──結論から言うと、君なんだよね。君がここに入部してからだよ、私が夏を好きでなくなったのは。
去年まではこの部室で私ひとりで過ごしていたが、そんなに不満もなかったんだ。帰宅部の隠れ蓑として機能している自覚もあったし、変な輩がやってきて騒がしくなるよりずっとよかったからね。
あとは自分の好きなだけ本が読めて、たまに部費で好みの本を学校図書として購入できたことを鑑みれば、むしろ満足してたほどだ。
しかし、どうしたことか。今年になって君が入部してから一転した。
いったいどうしてだか、君は毎日部活へと赴いてくれる。私の勧めた本を読んでくれて内容を語らうこともあるし、他愛ない話にも付き合ってくれる。
これが存外悪くない。というよりも好きだ。お勧めの本を見つけたときの顔が好きだ。私の推薦図書を聞く君の様が好きだ。ふたり読み終わった本について語らう時間が好きだ。
それはひとりで過ごした1年が色褪せてしまうほどだ。ここ数ヵ月でそれを痛感したよ。
とても充実した時間に私は満足している。だが、夏休みに入ると、その部活が1ヶ月とほぼ半月もないんだ。私の楽しみを返せよと、文芸部も夏休みの間活動させろよと。
だからね、そろそろ君は忘れているだろうが、それこそが私が好きな季節の理由だ。私は長期休暇という夏を越えた先に存在する季節が好きなんだ。そう、あの食欲や芸術、なにより読書にかまけられる季節。君と存分に語らえる季節さ。
「つまりだね、全部まとめて一言で言おう。私はアキが好きなんだ」
「あの、先輩。それだと、俺の名前がアキなんで告白されてるみたいで……うわ、顔真っ赤ですよ。え、もしかして今のって」
いや、だって、ほら。付き合えば君と一緒にいられるし、夏も好きになれる……ちくしょう、遠回りに伝えすぎて告白の説明をしないといけないだなんて拷問かい!? 余計に恥ずかしいじゃないか!
その後、食い気味に告白を受けたアキ君とめでたく、本当にめでたく恋人としてのお付き合いをし始めた。
しかし、好ましくない夏を克服したというのになんということだろう。今後は秋を迎える度に醜態まみれの告白を思い出すためになりそうだ。
秋に苦くも甘酸っぱい記憶が刻まれてしまった、そんな青春の一頁。
アキ:秋と後輩。
先輩:アキが好きでアキに甘酸っぱく苦い思い出ができた。
テーマ:秋での投稿でした。元旦ですがお題なので仕方ない。