星と風の物語   作:シリウスB

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昔々、白い世界の真ん中に、五匹の龍と人々が暮らしていました。

そこには、太陽と永遠の時だけがありました。
永遠の時のおかげで、人々は何も失いませんでしたが、
何かを得ることもありませんでした。

ある時、始まりも終わりもないことを不思議に思った人々が、龍達にその訳を尋ねました。
すると龍達は、口から水を吐いて海と空を創り、泳いで行ってしまいました。

五匹の龍は、海の真ん中へと辿り着き、体を島に変えました。
一匹は、海に沈んで陸となりました。
一匹は、空を見上げて山となりました。
一匹は、蹲って湖となり、鱗は雨となりました。
一匹は、眠りについて森となりました。
そして最後の一匹は、空に昇って青い星となり、
島の真上で輝きました。

人々は、龍達がなぜ島に姿を変えてしまったのか、どうしても分かりませんでした。
やがて、一人の青年が龍達にその訳を尋ねようと、質素な外套を纏って冥い海に小船をだしました。

ついに青年は、青い星をたよりに、龍の島へと辿り着きました。

暫く経ってから、青年が戻りました。
人々は尋ねました。
「やあ、龍達に会えたか」
青年は答えました。
「ああ、龍達に会えたよ」
さらに人々は尋ねました。
「では、龍達が島に変わった訳は分かったか」
しかし、青年はそれに答えず、
外套から龍の欠片を五つ、取り出しました。
そして、人々に欠片を渡すと、どこかに行ってしまいました。

人々は、白い世界を出て海に行き、五つの欠片から
大きな陸を、山を、湖を、森を創りました。
最後に、青年を導いた星が寂しくないようにと、明るい月を創りました。
大きな陸は太陽を遮り、朝と夜を生みました。
山と湖と森は、季節を生みました。
月は、海に波を生みました。
こうして、世界に時が生まれました。
時が流れ出すことで人々は死を得ましたが、同時に命も得たのです。

人々が大きな陸で暮らし始めてから、
一万回の朝が訪れ、一万回の夜が去りました。
人々は、龍を忘れ、時が生まれた訳を忘れました。

しかし、五匹の龍が姿を変えた島は、海の真ん中の最も大切な場所として、
その後も人が移り住むことなく在り続けました。

そこには、白き風の青年が残した、
青い星の龍への贈りものがあると伝えられています。


プロローグ:星の誕生
黒き闇の青年


 早朝。地平線から太陽はまだ出ていないものの、空は明るくなっている。

 もう少しで新大陸に到着するというのに、青年はベッドで寝転んで本を眺めたままだった。

 その簡素な部屋に設けられた本棚。そこには新大陸を40年前から調査している『一期団』からの報告書、その写しがギッシリと並んでいる。

 しかし、青年が読んでいるのは調査に関する書類ではなく、別の本だ。既に調査に関する情報は暗記していたからだ。

 

「…………」

 

 青年が持つ本の名は、『五匹の龍の物語』。

 世界の創造神話として名高い伝承を物語として纏めたものだ。現大陸の間では様々な人が読めるように沢山の種類があり、青年が読んでいたのは大人が読みやすいよう文章を主体としたものである。

 他には子供が読みやすいようにかわいらしい絵で描かれたもの、眼が見えない人のために点字で表現されたもの、学者による考察が一緒に書かれているものなどが存在するが、全て内容は共通である。五匹の龍が島となり、その後の人々があたかも世界を創るかのような物語であることは一貫して同じなのだ。

 一方で神話としての出来は良いものの、内容が余りにも現実離れしている故に最近まで本格的な研究が行われていなかった。

 しかし、その状況はある出来事で見直されることとなる。『古龍渡り』と呼ばれている現象が確認されたためだ。

 百年に一度。ブレはあるものの、一定の周期で現大陸に生息している古龍が突如として新大陸へ移動するのである。さらには古龍の種類・生息場所・季節・天候・気温など、渡りを行う古龍や当時の状況には共通点が無かった。

 学者の中には『渡り』ではなく『失踪』と表現する者もいる。渡った後の消息は掴めず、現大陸へ戻った事例が皆無なためだ。

 ただし、古龍渡り自体は数百年前の時点で既知の現象として観測されている。数百年に一度という周期が明らかになっていることからも分かる通り、現象そのものは珍しいものだが、緊急性が認められるものではない。

 事態が急変したのは、最近になって古龍渡りの頻度が異常なまでに短くなっている事だった。

 実際に観測できれば運がいいとまで言われていた『渡り』が10年周期にまで縮む。それだけでも異常ではあるが、それ以上に問題視されたのは『渡りを行う古龍の大半が老齢』という共通点が発見されたことだ。

 単に新大陸へ移動するだけなら生息場所の変更や気候変動を避けるため、という理由が考えられるだろう。しかし、老齢な個体ばかりが向かうというのは非常に不可解な事だった。

 現大陸では古龍による災害級の被害が稀に発生する。ラオシャンロンの大移動による人々の生活圏の破壊、ナバルデウスによる地震の頻発、シャガルマガラの狂竜ウィルスによる生態系の大変動などだ。大抵は古龍が事象の原因、もしくは当事者なのだが、事象を構成する一要素でしかないというのは『古龍渡り』以外に存在しない。故に、渡りの頻発が世界規模で発生する大災害の前兆ではないかと懸念する者が増えたことは想像に難くない。

 この『古龍渡り』の真実を解明するため、現大陸に展開するハンターズギルドが総力を挙げて調査隊を結成した。それが新大陸調査団だ。

 

「相棒! 陸が見えてきましたよ!」

 

 窓を開け外を眺めていた女性が、素っ頓狂な声を上げて青年にも見るように促した。彼女は望遠レンズを調整して新大陸をひと目見ようとしたが、地平線の彼方にようやく見えるほどの距離では役に立たないようで、すぐにそれを外してしまった。その眼の周りには目立つ隈があり、寝不足であろうことが一目瞭然だった。

 

「拠点に到着したら手続きが全て終わるまで半日はかかるぞ。今のうちに寝ておくんだ」

 

 外を眺めていた女性の方すら見ずに言った青年は、本を閉じて腕を組みベッドへ体を深く沈めた。その顔が彼女の方ではなく何もない壁の方向なのに気付いて、女性は少し寂しそうな表情になった。

 彼女――受付嬢は、現大陸を出発する時から他人と関わり合いを拒むような態度をずっと取っている青年のため、『相棒』という呼び名で交流を図ろうとした。

 ところが青年は食事や討論会などの誘いには乗らず、結局軽い自己紹介を交わしただけの状態で新大陸へ到着しそうになっている。

 募集枠はもちろん、推薦組ですら与えられていない個室を配されていること、「彼の指示には必ず従え」という指示をギルドから受けたこと。しかし、五期団長という肩書きではないこと。

 以上から、受付嬢はこの青年が何か特別な任務を受けた人間なのだろうという結論に達していた。

 他人と関わるのが嫌いであったり苦手な人間であれば誰しも察しは付く。しかし青年はどちらとも付かぬ態度で受付嬢を困惑させていたのだ。

 声音に棘は無くむしろ温和な雰囲気さえあったが、声音が柔らかくとも発言に選ぶ言葉が突き放すようなものばかりであったので、その差が違和感として彼女に強く印象付けた。青年本人の『温和』な人柄、任務以外のことには極力介入しない『冷淡』が同時に表れている彼の態度は、冷めている食事を彼女にイメージさせた。

 

「では……私も寝ておきます」

「ああ」

 

 青年が返事をした後、受付嬢は何か言いたげにドアのところに立っていた。

 しかし、受付嬢は何も言わずに部屋を出た。それが任務に集中するため、短い時間でも睡眠を取ろうとしている青年の邪魔になることを理解していたからだ。自分達は遊びに新大陸へ行くわけではない、『古龍渡り』の謎を解明するという重大な任務があるという自意識が、彼女を行動させた。

 部屋のドアが閉められた音を聞いて、青年は「意外だな」と思った。

 これまで一方的におしゃべりしていた受付嬢が文句の一つを言わずにすんなりと部屋を出て行ったのは、任務に対する責任感からだろうと青年は予測した。尤も、睡眠不足であったことも関係していたのは言うまでもない。

 そして、青年も目を閉じて眠りの世界の入り口に入る。船内からは上陸前の最後の宴会が開かれているようで、ジョッキ同士がぶつかる乾杯の音や皿が乱暴に置かれる音、過去の栄光を叫んでいるらしいハンター達の声が離れた部屋でも聞こえてくる。

 青年はそれらの騒音でも全く意に介さず、すぐに深い眠りへ入っていった。

 それは、戦いを繰り返しているうちに自然と身に着けた技術の一つであった。実際には寝るスペースさえあればいつでもどこでも眠ることが出来たが、彼にとって寝心地のいいベッドというのは、それがあるだけで天国なのだ。

 

 

――――――

 

 拠点『アステラ』は混乱の真っ只中にあった。五期団が持ち込む使い切るまで何年掛かるか分からない莫大な量の物資と、精鋭中の精鋭である大勢のハンターの受入れを同時に行わなければならないからだ。

 新しい期団の受入れ自体は既に何度も行われているが、五期団は過去の受入れとは規模が違う。準備だけでも相当な手間がかかるために、港ブロックがその作業を行う人で埋め尽くされている事を五期団船からでも確認できたほどだ。その人員の大半は、先に新大陸入りをしていた四期団である。

 物資運搬担当のチームとハンター受付のチームが準備のために忙しなく動いている。

 入る側も迎える側も、一度に全ての作業を同時に行うことは無理があるため、受付は各船ごとに行う事になっている。その間、他の船は順番が回るまで待機という流れだ。

 全部で7隻ある五期団船の内、青年が乗船していた船は一番最初に港に入る事になっていた。

 五期団とは別の、積み荷と人員を無傷で送り届けることを使命とする船員達が大声で合図を出し合い、船が入港する。もしここで勢いをつけた船体を港へ直撃させてしまうと、積み荷の破損はもちろん拠点の施設をも破壊してしまう。それを全員理解しているため、ハンターや編纂者達は誰も喋らない。船員達の合図をかき消してしまわぬように、ただ黙していた。

 やがて、岸壁に並べられた緩衝材に軽く触れた程度の緩い音が響く。その直後に船長のよく通る声が続く。

 

「待たせたな五期団! 新大陸へ到着だ!」

 

 その瞬間、今まで船内で行われていた宴会とは比べものにならない歓声が湧きあがった。精鋭のハンターと編纂者達を乗せた1号船は、無事に新大陸調査拠点へ到着したのである。興奮している者が大多数を占めていたが、残りは緊張しているのか不安そうな顔をしている者や、感極まって嬉し泣きしている者までいた。

 

「さぁ、外へ出てくれ。ギルドカードの準備も忘れるなよ!」

 

 四期団や船員の誘導に従い、五期団達は次々とアステラへと入っていく。早く新大陸の土を踏みたい者ばかりであったからか、人数の割に入場はスムーズに進んでいるようだった。

 甲板でアステラを眺めていた青年も一番最後に船を降り、列から一歩離れた場所で並んでいた。10秒で一歩進む程度の流れは、最後でありながら比較的早く受付へ到着した。1号船の全てのハンターと編纂者が自身のギルドカードを拠点の担当者へ渡し、拠点へと入る。最後の一人となった青年に、受付担当の男が近づいてきた。

 

「アステラへようこそ、五期団! ギルドカードを頂けますか?」

 

 先に大勢のハンターや編纂者を相手に手続きをしていた男だが、その言葉には飽きや面倒くささを全く感じさせない真面目な様子で話し掛けてきた。

 

「持っていない」

 

 青年はありのままの真実を言った。それは後ろめたいことでもなかったし、新大陸では隠す必要も無かったからだ。

 

「他にハンターとしての資格を示せるものはありませんか?」

「それも無い」

 

 狩猟許可証、紹介状、取引記録、ハンターであることを示す物は他にも種類があったが、青年はどれも持っていなかった。

 

「ありゃ……ではあちらで新しい免状を作って下さい。大丈夫、あなたがフィールドに出るころには手続きを終わらせておきます」

 

 四期団の男はそう言うと数名のハンター達を指で差した。全員が屈んで羽ペンを走らせているその集団は、ギルドカードを現大陸に忘れてきた者達である。

 本来であればギルドカードや狩猟許可証などの紛失はかなりの叱責を受ける重大な事である。しかし往復する手段が無い新大陸まで来てしまった以上、再発行する以外に方法は無い。

 

「それは必要ない」

 

 四期団の男はムッとしたような、しかし困ったような顔をした。このような反応を返されることは全く想定していなかったからだ。

 

「俺はギルドに所属していないからな」

 

 青年が続けたこの言葉で、男はようやくハッキリと険しい表情になった。ギルドカードを忘れてきただけならただのドジなハンターで終わっていただろう。しかしカードを所持していない、そしてギルドに属さないハンターとなると、答えは二つある。自分をハンターだと思い込んでいる『一般人』か、『密猟者』かのどちらかである。どちらも新大陸調査団にとっては歓迎されない者だ。

 

「それはどういうことです? どうやって船に乗ったんですか?」

「いいんだ、後で説明する。総司令に会わせてくれ」

 

 青年は四期団の誘導を無視して司令部へ向かおうとしたが、騒ぎを聞いていた他の四期団と思しき者たちが行く手を阻んだ。

 

「ちょっとちょっと! ストップ!」

 

 青年と四期団の一触即発の空気へ女性の声が割り込む。頭髪の片面を編み込みもう片面は流している不思議な髪形をした浅黒い肌が、彼らの前に割り込んだ。

 

「あんた達遊んでいる暇無いでしょ! さっさと仕事に戻る! そこのボロい外套のニーチャンはこっち!」

 

 両方のチームに指示を出していた女性――物資班リーダーは、手に持っていた分厚い何かのリストを隣にいた別の四期団へ押し付け、青年の腕を掴んで引っ張るように歩き始めた。青年もそれに抵抗せず、並んで歩き始めた。

 

「リーダー! 仕分けはどうするんです!」

「最初は整理するだけでいいの! 細かい仕分けは後で確認しながらやるって言ったでしょ! 私はこいつを連れていくから!」

 

 物資班リーダーは歩きながら指示を出す。うろたえていた四期団達はその指示でハッとしたように行動を開始し始めた。たった一人の不審者に時間を割くほど、彼らは暇ではないらしい。

 そんな彼らへ声が届かない位置まで歩いたところで、今度は物資班リーダーが動揺した声でまくし立てた。

 

「最後に来るなんて聞いてなかったわよ! 五期団船の中までに探しに行ってたんだから!」

「何かあったのか?」

 

 傍目から見れば作業員か誰かを強引に案内する物資班リーダーである。

 腕をグイグイ引かれながら、青年は物資班リーダーへ尋ねた。その質問はたった今起こったトラブルについてでは無く、調査団全体のことだ。

 本来の予定では総司令が直々に迎えに来るはずであった。甲板からアステラを見ていた青年が総司令の姿を確認できなかった事から、司令部が集まらなければならない事態が発生していると予測したのだ。

 

「御名答、詳しい話はこの後の会議で説明することになるわ。……私は物資班のリーダーを務めてる者よ。消耗品・食材・素材、名前の通りあらゆる物資の取引を統括してるの。他の四期団には後で私から説明しておくから。今後ともよろしくね」

「ああ、よろしく頼む」

「あなたの到着を他のリーダー達も待ってる。すぐに会議が始まるわよ」

 

 そう言う間に二人は司令部に到着した。五期団の受け入れで調査団ほぼ全ての人員が作業に当たる中、特に大きな仕事は無い司令部に注意を払う者などいなかった。物資班リーダーは青年の腕を離すと、司令部に揃っていたリーダー達の列に入った。眼鏡を掛けた若い竜人男性と老齢の技術者と思われる竜人の間である。

 

「あんなにがっちり腕掴んで……仲良いのかい?」

 

 眼鏡を掛けた若い竜人――――研究班リーダーが軽い冗談を耳打ちするが、すぐに脇腹を肘で小突かれる。黙っていれば端整な学者なのに、口を開けばこのような冗談が次々と飛び出てくるのだ。

 

「…………」

 

 悶絶している研究班リーダーを横目に、ダークは新大陸調査団の頭と言える顔ぶれを眺める。メンバーが全員揃い、調査団の長が青年に向き直った。他にも眼帯を掛けた鍛冶師そのものといった容姿の男と、会議の場でも本を手放さない竜人の生物学者、巨漢の獣人、旧式の防具に一期団の紋章を身に着けた寡黙な男など、一癖も二癖もありそうな個性的な面々が揃っていた。

 

「ギルドマスターの依頼を受けて参上した、暗号名『黒き闇』だ」

「調査団全体の指揮を執っている一期団所属の総司令だ。君をアステラに迎えられて光栄だ」

 

 青年は自身をここに送ったのがギルドの選考委員ではなく、ギルドマスター本人であることを述べた。

 緊急任務が発生した場合、契約によるクエスト受注は一時的に停止され、ギルドマスターを頂点とする命令系統が確立される。拠点存続に関わる状況の中で、任務中の逃亡や背信行為を防止するためだ。

 だが、この青年が新大陸に来たのは緊急任務ではない。ギルドマスターの『命令』ではなく『依頼』で来たのである。それが意味するところは、ギルド直属の特殊任務を遂行するハンターとは全く違う人物だという事だ。

 

「ちょっと待ってくれ。暗号名ってのは合言葉みたいなもんだろう? それじゃ他人行儀みてぇじゃないか。本当の名前は何て言うんだ?」

 

 リーダーズの中で最も年配の老人が青年に尋ねた。背中に巻き尺を背負った技術者の竜人は名前も重要な情報と考えている。暗号名という回りくどい言い回しよりも、本当の名前を知りたがった。

 

「Dark……ダークだ」

 

 青年の名は、ダーク。

 限られた者にしか明かされない、『黒き闇』という暗号名を持つ者。

 その彼の胸元には、見る者を引き込む漆黒のアミュレットが在った。


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