複数の古龍をまとめて相手にしても有り余る力。それは、新大陸調査団だけではなく渡りの古龍にとっても脅威であった。
瘴気の谷へ逃走したネルギガンテを追うべく、ダークは谷の奥深くへ降りていく。
そこは、死を覚悟した者だけが立ち入ることができる死者の国である。
強き者、弱き者。どちらにも平等に、公平に与えられる『死』が降り積もる、命の行き付く場所。
その屍を築いたのは自然の摂理か、それとも別の、大いなる意志か。
楽園の入り口
青年は受付嬢の手を咄嗟に掴んだ。受付嬢は落石に注意を向け過ぎたあまりに、無意識にヒビの入った地面を歩こうとしていたのだ。
壁伝いに降りるだけの道だが、上下左右に形の崩れた珊瑚が見える。二人の重量が掛かった程度で崩落する可能性は低いのだが、用心に越したことはない。
「すみません……助かりました」
瘴気の谷へ入る方法は三つある。
第1ルートは輸送班が整備した道。元々大峡谷の内側に沿うように存在した道に、手すりや足場を設けて通りやすくしたものだ。
第2ルートはダークが現在通っている道。ゾラマグダラオスが大峡谷を通過した際、その衝撃で崩壊した珊瑚の中を潜るルートである。
最後は空路。三期団の船を飛ばし、目的地へ直接降りるルートだ。
しかし、過去に気球として改造された三期団の船は研究基地として改造されている。内部の実験器具などの破損を考慮し、飛行船としては暫く使えない。
また、第1ルートはネルギガンテが逃走したルートから離れすぎているために、ダーク達は現在第2ルートを使って瘴気の谷へと降りていたのだ。
「旦那さん。北側に時々影が走るんですが、何のモンスターですかニャ……?」
「影?」
ダークは北の方向を見る。
谷へ落ちた生物は分解され、瘴気となって陸珊瑚の養分となる。台地と谷の中間地点であるこの場所にモンスターの影が飛んでいる事は珍しいが、全く事例が無い訳ではない。
「モンスターの判別はできるか?」
ダークは頭に装備しているゴーグルを降ろし、目を凝らした。
谷から昇ってくる瘴気は空気で薄まっており、ここでは人体に影響を与えるほどの濃度は無い。しかし量そのものは極めて多いため、それが拡散している中間層はまるで濃霧のような光景になっているのである。
「影しか見えないですニャ。でもネルギガンテではないみたいですニャ」
ダークの視力ではその影がはっきり見えなかった。
人間よりも視力が良い獣人族であるアポロは、その影をずば抜けた動体視力で追い続ける。
「花弁のような翼、後脚の鋭い爪、たぶんレイギエナですニャ!」
現大陸にいた頃のアポロは元々受付嬢の研究を手伝っていた。護衛という名のお手伝いさんではあったが、研究者である受付嬢の仕事を間近で見ることができたために、アポロの知識は並のハンターを軽く上回る。
その目が一対の翼と鋭い後脚の爪を捉えた時、レイギエナであると断定したのだ。
陸珊瑚の環境に特化した飛竜であるレイギエナ。その一匹が瘴気の谷に来ていることは珍しいことだが、先日まで台地にネルギガンテがうろついていたことを考えると、ここへ一時的に避難しているのであろうとダークは判断した。そして、そのレイギエナが三期団にとって特別な個体であることも予測できた。五期団が新大陸に到着してから、陸珊瑚の主は座は不動だったからだ。
「こ、こっちに向かってきますニャ!」
アポロが慌てた様子でダークへ告げる。
その言葉通り、ダークの視力でもそのシルエットが徐々に大きくなり、影ではなく身体の大きさが把握できる距離まで接近してきた。
「アポロ、落ち着いて!」
受付嬢がアポロに注意をする頃には、既にレイギエナはスリンガーの射程に入るほどまで近づいている。しかしダークは戦闘行動を取らなかった。
「……???」
手で顔を覆っていたアポロが見たのは、ダークと受付嬢の前で滞空しているレイギエナであった。
アポロが知識として覚えているレイギエナは、縄張り意識が強く侵入者に容赦なく襲い掛かるものだった故に、その行動の意味が分からず固まってしまう。
「はじめましての挨拶か?」
ダークがそう言うと、レイギエナは軽く鳴き声を上げた。
直後に錐揉み状に身を翻し、谷の方へ急降下する。その動きはリオス科には出来ないほどの高度なアクロバット飛行である。
アポロはその時、ようやくレイギエナの脚に白いスカーフが巻かれていることに気付いた。調査団にとって友好的・有益なモンスターを示す識別だ。
「敵対的ではないと分かっていても、近くに来ると緊張しますね……」
受付嬢はレイギエナの姿が見えなくなると、溜息と共にその言葉をつぶやく。
編纂者にとって、大型モンスターは研究対象であっても本物を目にすることは少ない。捕獲されたモンスターに近づく時でさえ、麻酔が効いていると頭で理解していても緊張してしまうものである。
しかし、これを未熟と評価する者はいない。少しの油断や慢心が原因で命を落とす可能性がある以上、『恐怖心』は身を守るための重要な要素なのだ。
「白いスカーフが付いてましたニャ!」
「そうだ。あのレイギエナが三期団が言っていた陸珊瑚の主だろうな。もっとも、今は旅行中のようだが」
ダークが軽口を言うのが珍しかったのか、アポロはきょとんとした顔でレイギエナの行き先を見た。
―――――
幾重にも重なった白骨、干からびた肉片、それらを糧に成長する植物。そして、キャンプへ降りる道の途中からでも見える巨大な頭蓋骨。
初めてここに来たものは大抵同じ印象を受けるだろう。
地獄、あの世、死者の国。だが、それらの言葉で言い表せるほどこの地は単純ではない。
「瘴気の谷……!」
受付嬢は今までに見たことが無いその風景に、フィールドの名前を無意識に独り言ちた。
既に瘴気の谷に関する研究結果は現大陸へ報告されている。そのため五期団は全員がフィールドについての知識を持っており、それは受付嬢も例外ではない。
しかし、知識で覚えているという事と実際に目で見る事はやはり違うものだ。
「あの巨大な頭蓋骨はダラ・アマデュラでしょうか!?」
その亡骸は完全に白骨化してはいるものの、原形を保ったまま谷の中央に鎮座している。
「そうとも言えるし、違うとも言えるね」
巨大な頭蓋骨に気を取られていた受付嬢はキャンプで待っていた人物の声に気付かず、驚いた様子を見せた。しかしその人物が誰なのか分かった瞬間、受付嬢は興奮気味に話し始めた。
「申し訳ありません!その!気付かなかったもので……!」
目の前に憧れの人物が突然現れたとなれば興奮しても仕方がないことだろう。しかし今は急を要する任務があるために、個人的な話は最小限に留めて軽い自己紹介を済ませた。
「この瘴気の谷へネルギガンテが逃げ込んだのは昨日の夕方だ。その前後にこちらで何か変化は?」
「そうだね……ラドバルキンやドスギルオスはここ数週間前から見ていないね。特に珍しいことでもないんだけども」
ダークはフィールドマスターへの質問と同時に、先日の炎妃龍救出任務を思い出す。
任務そのものは成功したが、ネルギガンテに関する認識を根底から見直さなければならない事態へ発展してしまったことだ。
渡りを行った古龍達を執拗に付け狙うネルギガンテは、今まで並外れた筋力と再生能力のみに特化した古龍だと思われていたが、その予測を遥かに上回る危険な能力が先日の戦いで判明した。その未知の力を研究班は『龍封力』と名付けた。
黒い霧状のエネルギーを周囲に放出し、それに触れたエネルギーを無効化するというものだ。古龍がそれに触れてしまえば、風を操るクシャルダオラや炎を操るテスカトの番いであろうと、一切の属性攻撃の手段が無くなってしまう。ネルギガンテが最も得意とする接近戦、格闘戦へ強制的に持ち込む恐るべき力である。
さらにこの龍封力は古龍のみならず、武器や弾薬といった道具類にも影響を及ぼした。
ネルギガンテの生態が判明していないため、古龍種に一定の効果を上げる例が多い滅龍石や龍属性の武器を装備していた調査団のメンバーは、その霧に触れた瞬間に所持していた龍属性のアイテムが使い物にならなくなっている事を確認した。
竜人ハンターの操虫棍、警備班の双剣、オトモとかなで族達が持ち込んだ滅龍石。龍属性に関する物は例外無く無力化されたのだ。
一方で、調査班リーダーやソードマスターといった龍封力の影響を受けなかった者も大勢存在した。ネルギガンテはそれを認識したか、もしくは数で不利を悟ったのか瘴気の谷へと逃走したのだ。
狩猟に関する対策が確立されていない以上、それほどまでに危険な古龍が瘴気の谷へ一時的に移動したことは、生態系を大きく乱す可能性がある。
「瘴気の谷でネルギガンテが待ち伏せしている可能性もある。細心の注意を払って前進し、双剣隊と合流しよう」
ネルギガンテの住処は龍結晶の地であることを調査団は既に確認しているのだが、なぜ瘴気の谷へ向かったのかを調べるためにダーク達はここへ来た。
元々は龍結晶の地でネルギガンテの生態を把握するための遠征であったが、一部の部隊が瘴気の谷へ向かうことになった。ネルギガンテへの対策を即座に取れるよう、現地で分析を行う研究班も同行している。
本来では研究班や編纂者といった非戦闘員達が大勢フィールドに入る場合は、事前にハンターが現地の安全を確保するのが原則である。
しかし、ネルギガンテの行動を予測することが出来ない現在は一刻も早く情報を入手することが先決だった。
警備班の実戦部隊である双剣隊は、遠回りだが安全なルートである第1ルートから研究班を護衛しながら降りている。
ダークが使用した第2ルートは訓練を受けた者でなければ危険な道だったため、そのルートからはダークと受付嬢、アポロが降下し、現地で調査を行っているフィールドマスターと合流する段取りであった。ダークらが位置する南側と双剣隊ら北側からそれぞれ中心に向かうことで、痕跡を虱潰しに探す算段である。そして、ここまでは予定通りであった。
「ん……? あれま。意外な助っ人が来たみたいじゃないか」
フィールドマスターが指を差した先には、左脚に白いスカーフを巻いている先程のレイギエナの姿があった。高所の骨に留まっている風漂竜の目線は、ダーク達に向いている。
見下ろす形でこちらを見ているレイギエナだが、やはり攻撃するそぶりは見せなかった。
「ほ……本当に大丈夫なんですかニャ?」
アポロは動揺した声でフィールドマスターへ訪ねる。今はまだお腹が空いていないだけで、空腹になれば襲い掛かってくるのではないかという不安である。
ダークもその理由が気になった。白いスカーフを身に付けたレイギエナの報告書は記憶に無かったからだ。
「ああ、あの子の事に関してはまだ調査中で、ギルドへは報告していないんだったね。あのレイギエナが三期団の船を撃墜したレイギエナだよ」
「ニャ!?」
フィールドマスターの返事が想定外だったため、アポロは仰天した。
「レイギエナが気球を撃墜したのは故意じゃなかったって事さ。恐らく初めて見る気球に興味を持ったんだろうね。その時に爪が引っかかり、気球が破れて墜落……ってのが三期団遭難の真相なのさ」
「三期団とあのレイギエナの関係は良好なのですか?」
受付嬢が質問をする。
「もちろん。三期団の皆はモンスターに恨みを持つほど暇じゃないし、レイギエナも故意ではなかったとはいえ、墜落させてしまった事に罪悪感を感じたのかもしれないね。私が最初に陸珊瑚へたどり着くまで気球の傍を離れなかったらしいよ。そのおかげで他のモンスターは近寄らず、ツィツィヤックといった肉食竜に襲われずにすんだってことさ」
フィールドマスターは明るい調子で言うが、受付嬢は当時の状況を想像して背筋が凍る感触を覚えた。未知のフィールドで未知のモンスターに遭遇し、全員が遭難、普通であれば全滅してもおかしくはない出来事である。それほどまでに危険な状況を乗り越えられたのは、義理を重んじるレイギエナとサバイバル技術に長けたフィールドマスター、そして未知の陸珊瑚でも食用かどうかを調べることができる三期団の知識、様々な偶然が重なった結果なのだろう。
「さて! こちらもそろそろ行動した方が良い頃だね。向こうは慣れない研究班のお守で脚が遅れてるとはいえ、双剣隊も精鋭中の精鋭揃い。モタモタしてると痕跡発見の一番乗りを向こうに取られちまうよ!」
フィールドマスターの喝に、受付嬢とアポロは気を引き締める。
陸珊瑚の台地で繰り広げられた戦いの後、様々な場所にネルギガンテの痕跡が残っていた。それらを匂いを記憶している受付嬢の導蟲は、ネルギガンテに対する感度に優れている。
ただし、同じモンスターでもフィールドが違うと僅かに匂いも違うらしい。一度ターゲットを捕捉した導蟲でも、別のフィールドで追跡する場合は現地の痕跡を回収しなければ導蟲は反応してくれないのである。人間どころかアイルーでも分からない『匂いの誤差』とも言うべきこの現象、これは現地の痕跡を回収し続けることで、導蟲が『似ているが僅かに違う匂い』を『同じモンスターの匂い』と認識するまで続けなければならない。
無論、匂いの元であるネルギガンテに接近すれば痕跡を回収せずとも導蟲は反応してくれるだろう。
だが、相手を確認する前にその現象が起きたのでは手遅れである。それは、目と鼻の先までネルギガンテが近づいているのだから。
「さあ、行こうかい」
先頭を歩き始めたフィールドマスターに受付嬢とアポロが続き、最後尾を歩くダークは後方を警戒しながら護衛を行う。
死した全ての命が流れつく場所である瘴気の谷。
ダーク達は、まだ門を通っただけに過ぎない。