惨爪竜という名前はまったくもって相応しい名前を付けたものだとダークは思った。
他の生物では見られない独自の進化を遂げたと思える鋭利な爪は、獲物を仕留める以外に不整地を素早く走ることでも遺憾なく発揮されている。
尤も、その爪がこちらに向いていればそんな感想を考える暇は無かっただろう。
「そらっ!」
フィールドマスターはハンターが装備する一般的な規格のスリンガーでは装填できないサイズの骨を構え、発射した。
だが、その先には空虚しかない。
その独自規格の『プロトスリンガー』は、開発初期の試作品かつ大型の物である。片手で保持することは難しいサイズと重さのため、両手で構えて照準を取らなければならない。
「…………」
目の前で繰り広げられているその光景に、ダークは沈黙し双剣隊は頭を抱えた。
中央が大きく陥没したそのエリアは、ぶんどり族の拠点のすぐ隣に面している。
境目は少々狭く匍匐で入らなければならないが、大型モンスターは通れないルートだ。
そのエリアでオドガロンに遭遇したダーク達だが、フィールドマスターが相手をすることで時間稼ぎをしている。
「もう一丁!」
一発目と同程度のサイズの骨が続けざまに発射される。
連射機構の無いプロトスリンガーをここまで短い感覚で連射するのは、もはや達人の域に達した熟練技である。
その発射された骨は地面に落ちる前にオドガロンによって咥えられる。二発目は素通りしてしまったが、オドガロンは驚異的な身体能力で壁を蹴り、二段飛びで二発目も咥えることに成功した。
「なんとまぁ!」
二発目は地面に落ちる前に咥えられるとは思っていなかったフィールドマスターは、オドガロンの身体能力に驚嘆した。
そのオドガロンは一回のジャンプでフィールドマスターの元へ戻ると、咥えた骨を地面へ降ろす。
「『次は?』って顔をしてるが?」
ダークはフィールドマスターへ呆れたように言う。
目の前で待機しているオドガロンは、今か今かと待ちわびている様子だ。その首には先ほどのレイギエナと同じ物だが、瘴気で少し黄ばんだ白いスカーフが巻かれている。
フィールドマスターの『取ってこい』に気を取られている間に他のメンバーは移動しているのだが、当のオドガロンは遊びに夢中で全く気にしていない様子である。
「次で最後!」
フィールドマスターはもう一度骨を高めに発射したが、オドガロンはあっと言う間に戻ってきた。当然骨を咥えて。
「今は任務中なんだ。さあ帰った!」
フィールドマスターが鼻先を押しやる。だがオドガロンはまだ遊び足りないとでも言うように、今度はフィールドマスターのアイテムポーチを咥えて離さないようにしてしまった。
力は加減されているのだが、ガッチリと咥えて離さないオドガロンを振りほどこうとフィールドマスターは奮闘する。その時、奥の空洞から影が落ちてきたことに気付き、オドガロンは急にアイテムポーチを離した。
尻もちをつきかけたフィールドマスターをダークが支え、オドガロンが向いた先を見る。そこには上層で会ったレイギエナが滞空していた。
「また面倒なことになりそうだ……」
オドガロンは新しい遊び相手を見つけた様子で、レイギエナへ飛び掛かる。それを軽く躱したレイギエナは、ちらりとフィールドマスターの方を向いた後にオドガロンの相手をし始めた。隙だらけの背中に留まったり、尻尾を脚で掴んで引っ張ったりと、その動きはオドガロンに劣らず素早い。
その隙にダークとフィールドマスターはぶんどり族の拠点へと入る。
「あいつらはいったい何なんだ? 調査団のペットか?」
防具に付いた土を払いながら、ダークはフィールドマスターへ詰問する。
「あの子はここ最近来たばかりの惨爪竜さ。初めは他のオドガロンと同じく凶暴なヤツだったよ」
「それがどうして?」
「ゾラ・マグダラオスが大峡谷に裂け目を作った後に、三期団の基地へ大量の保存食が運搬可能になったのは知ってるね? ツィツィヤックがレイギエナを恐れて近づかなくても、恐れないヤツもいたってこと」
フィールドマスターはため息交じりに話を続けた。
「保存食は干し肉が主流だろう? その荷物を満載した輸送班の竜車があのオドガロンから不意討ちを受けてね」
「ちょうど5年前だったかしら? 保存食を平らげたオドガロンが研究基地に姿を見せるようになったノ」
三期団長は研究者の正装に付いた土を入念に落としたようだが、まだ汚れは取れていなかった。
「瘴気によって乾燥した肉は同時に塩分も抜かれる、血液が分解されるせいでネ。味なんかほとんど無い『瘴気肉』より、人間が作る干し肉の方が格別な味だったんじゃない?」
「餌付けしたんですか?」
話を聞いていた双剣隊の一人の男が三期団長に尋ねる。
「餌付けと言えば妙ね。研究基地と敵対する存在は少ない方が良いでしょ?生態系へ干渉しているとは言っても、自分の身を守る方が優先だとアタシは思う」
オドガロンはかつて、凶暴なモンスターという認識が強かった。
事実、最近でも調査員に襲い掛かってくる個体が出現する時がある。しかし、その類のモンスターは餌場の近くへ縄張りを置くことが目的であり、ハンターを倒すことに拘る個体などは存在しない。ハンターの長所である数を活かした連携、その攻撃で大抵の個体は縄張りを置くことを諦め、別の場所へ移動する。
先程のレイギエナとオドガロンが特別なのは、同種の中で圧倒的に強いことも関係している。しかし、最大の理由は新大陸調査団に対する行動が敵対的ではないことだろう。
現大陸と異なり、自給自足を強いられる新大陸では大規模な補給を受けること自体が極めて稀である。限られた物資と人員で食料を確保し、安全を確保し、調査を継続する。これは簡単なことではない。
陸珊瑚の台地と瘴気の谷の主は、敵対的ではない上に強力なモンスターである。それらを相手に大量の物資と人員、そして時間を浪費してまで戦って得られるものが『次に台頭するモンスターとの戦闘までの僅かな時間』では、費用対効果が割に合わなさすぎるのだ。
これは、つい最近白いスカーフが配された古代樹のリオレウスとリオレイアにも当てはまる。
「研究基地や各地のキャンプに近づくモンスターと延々戦い続ける暇も物資もメリットも無いってこと。あの二匹は雇われの用心棒ってところね」
フィールドマスターがまとめた言葉には全てが詰まっていた。まさにあの二匹は現地で雇われた用心棒、という表現がしっくりくる。
「……先に進もう。もうこの辺りは最深部に近いはずだ」
ぶんどり族の拠点では忍猫以外のメンバーは全員出払っている様子で、そこには誰もいなかった。近場には小さいながらも酸の泉が湧いているが、先ほどのエリアとは異なり足場の高さに余裕がある。流れも比較的穏やかであり、ぶんどり族にとって酸の泉の存在は特に問題は無いようである。
ダークは導蟲のコロニーを軽く叩いて刺激を与えた。それに驚いたのか、一瞬だけ青い光を出しつつ導蟲が宙を舞う。だが何処へも飛び立つことは無く、全ての導蟲がコロニーへ戻ってきた。
最深部まで来て導蟲が反応しないということは、ネルギガンテは既に別の場所へ移動している可能性が高くなった。
だが、ネルギガンテは確かに瘴気の谷へと移動したのだ。手掛かりを何も得ないまま帰還することはできない。遠征の本隊へ少しでも情報を持ち帰らなければならないのだ。
「この先は行き止まりです」
受付嬢はダークに告げる。
ぶんどり族の拠点を出ると、先ほどの酸の泉のエリアが左に見える。上手く迂回するルートでやりすごすことが出来た一行は瘴気の谷の最深部へ向かうが、地図はそこで終わっている。
「私たちが行けるのはここまで。あとは『向こう』が来るのを待つしかないね」
「向こう?」
「なんだおヌシ、知らずにここまで来たのか?」
フィールドマスターの含みを持つ言い方が理解できなかった受付嬢へ、忍猫が不思議そうに尋ねる。
「来るって、何が来るのニャ?」
「それは――」
忍猫が『相手』を受付嬢にバラそうとした時に、それは現れた。
全身を取り巻く瘴気、もはや何か元なのか判別の付かない屍肉、薄っすらと光る赤い目。
酸の泉の中を優雅に歩くその姿は、この世の者とは思えない印象を見る者に与える。
「ヴァルハザク……!」
受付嬢はその名を呼ぶ。
三期団によって発見されたその古龍は、古の言葉で『死の楽園』を意味するという。
ヴァルハザクは、ゆっくりと受付嬢の前に歩みを進める。
「おっと、大丈夫だよ」
まさに『死』が直接迫る錯覚を受けた受付嬢は、怯んで数歩後ろへ下がろうとする。その時にフィールドマスターにぶつかってしまうが、彼女は優しい声音で受付嬢をなだめる。
「彼女こそ、この谷の礎。瘴気の谷の生命の源」
「えっ?」
フィールドマスターがその言葉を言い終わる時、受付嬢は自身の身体から瘴気が流れていくのを目にした。
「これは!」
「ニャ!?」
受付嬢だけではない。アポロ、フィールドマスター、三期団長、双剣隊、そして忍猫とギルオス達からも瘴気が流れ出し、ヴァルハザクへと吸収されていく。
「瘴気が……!」
「を゛を゛~、気持ちいいニャ~」
まるで昼寝から目覚めた時のような解放感に、アポロは気の緩み過ぎた声を出す。
他の者たちも、アポロほどではないが解放感に満ちた声で背伸びをする。
「なぜこの地で生き物が生きていけるか、わかったかい?」
フィールドマスターは悪戯を成功させたような顔で受付嬢を見る。
「ヴァルハザクが瘴気を吸収してくれるから……!」
「その通り。谷の生物は屍肉を食べると自然に瘴気を吸収してしまう。けど、ヴァルハザクがそれを糧にすることでみんな生きていけるのさ」
瘴気に完全な耐性を持つヴァルハザクは、同時に瘴気を糧にする生態を持つ。
生物にとって有毒な瘴気が満ちている上に、モンスター達がなぜ古龍が住み着くこの地から逃げ出さないのか、受付嬢とアポロは理解した。
「他の生物は瘴気の谷で屍肉を食べ――」
「体に溜まった瘴気をヴァルハザクに治してもらってるのニャ!」
その回答に、フィールドマスターは満足そうな笑顔で頷いた。
「屍肉を食べたモンスターは瘴気をヴァルハザクに届け、そしてヴァルハザクはそれを吸収することで瘴気を効率よく集める。ここは地獄のように見えるフィールドかもしれないけれど、モンスターにとっては安息の場所じゃないかい?」
アポロは忍猫の連れていたギルオスに気付いた。彼らの表皮を侵食していた瘴気が完全に無くなっており、元気そうな様子である。
気分が爽快になった一行の後ろから、何かが地を蹴る振動が伝わる。
ダークは背後から迫る振動に剣を抜きかけたが、それがネルギガンテよりも速いことに気付いて収める。先程別れたオドガロンが背中にレイギエナを乗せた状態で全力疾走してきたのだ。
「アニャァァァイ!?」
並のモンスターとは比にならない速さで迫ってきたオドガロンがアポロにぶつかる寸前に跳躍し、さらにレイギエナが後方回転しながら飛び立つ。さながら曲芸を見せつけるかのような動きに全員が唖然とする。
「あれはどういう意味なんですかニャ?」
「さあ? 身体に溜まった瘴気を吸ってくれ、というアピールかもしれないわネ」
三期団長の軽い予測は意外にも的中したらしく、ヴァルハザクはやれやれといった様子で瘴気を吸収した。
屍套龍:ヴァルハザクはフィールドマスターと三期団によって比較的調査が進展している古龍である。
全身に屍肉を纏っているのは、瘴気を少しでも多く溜めるための工夫である。ハンターで例えるならば、食料と予備弾倉を満載した状態であろう。
調査員やギルオス達、オドガロンとレイギエナの瘴気を吸い尽くしたヴァルハザクは、全身に渦巻く瘴気の勢いが更に上がったように見える。
「ほら、あんたも吸い取ってもらったらどうだい? 瘴気は人間には毒だからね」
フィールドマスターが最後尾で警戒していたダークを呼ぶ。
周囲にネルギガンテの痕跡が見当たらない事を確認していたダークは、古龍を喰らう古龍であるネルギガンテがなぜヴァルハザクの前に現れないのか考えていた。
ダークが前に出る。
この地に君臨する古龍の前に歩みを進めたダークは、真っ直ぐヴァルハザクの目を見る。そして、この次に起こることが予測できた。
「…………」
最後の一人の瘴気をヴァルハザクが吸収し始める。
全身から引き摺られるように伸びた瘴気が、表皮で渦巻く方の瘴気に触れたその時だった。ヴァルハザクはまるで目の前に突如天敵が現れたかのように驚愕し、大きく後退した。
ダーク以外の者は何が起こったのか分からず、狼狽えるだけだった。
「何をしたの!?」
三期団長がダークへ問い詰める。
ヴァルハザクが敵対心を見せたことすら初めての経験であったため、三期団長はひどく慌てた状態だった。
ダークは片手剣を抜き、切っ先をヴァルハザクへ向けた。