TS転移で地球人   作:月日星夜(木端妖精)

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第五十三話 ルージュ敗れる……!?

「しゃオラァ!」

「ぐぼ!」

 

 火の粉が舞う。

 

 強烈な膝蹴りがセルの腹に食い込んだ。

 まるで乙女の柔肌のように皮が捻じれて肉がへこみ、波立つ。

 唾液を吐き出しながら体を浮かせるセルに対して、深紅に染まったナシコは斜めに飛んでいて、顔下に両腕を引き寄せて構えるピーカーブーに似たスタイルで挟み込む。持ち上がった腕が鉄火の如く振り下ろされ、セルの背を打った。

 

「ごあああ……!」

 

 体表が大きく上下するほどの衝撃を加えられて落ちる体を膝に支えられ、逃れる事のできない状況に表情を歪めるセル。再生させていた尻尾で突き刺そうと動かしても柳のようにするりと避けられ、しなる足に頬を打たれて地面を滑る羽目になった。

 

「はあっ、はあっ、こ、この私が……うぐっ!?」

 

 それでもさすがのタフさだ。一方的に攻撃を加えられていても、まだセルは生きていた。だが蓄積されたダメージは甚大だ。手をついて上体を起こし、立ち上がろうとして足から力が抜けて片膝をつく。その体の変容に気付けていなかったらしく、なぜそんな無様を晒しているのかと困惑している。

 

「は!?」

 

 自身に意識を向ければ、ナシコが歩み寄ってくるのに気付くのも遅れてしまう。余裕などもはや欠片も無かった。第二形態へ進化したその力が、一介の地球人にまったく通用しない。

 その事実に唇を歪め、噛み合わせた歯を鳴らして顔を反らすセル。

 このような事態を受け入れる事はできない。できるものか……! 何かの間違いだ。これは悪夢だ!

 

「は……あ……!」

 

 いくらセルが現実を受け入れられないでいようとも、ナシコの歩みは止まらない。

 燃え上がる炎の気質が髪を揺蕩わせ、赤い光の欠片を散らす。照らされた地面がアラートランプのように揺れ動き、セルの双眸に軌跡を残す。

 

「あああ!!」

 

 恐慌から出た雄叫びに体を突き動かされ、片腕を突き出す。赤黒い邪悪な気が球状となって放たれた。それはベジータが使うビックバンアタックに酷似していた。

 狙いの甘いそれは、ナシコの右肩に当たって爆発した。

 

「だああああ!! はあああああ!!!」

 

 即座にもう一方の腕も向けて両手から光弾を連射するセル。もはや無我夢中であった。

 連続した爆発音が地面も、周囲の建造物をも揺らして重低音の合奏となる。膨れ上がる煙は光に照らされてまったく別の物質のように成長し増大していく。

 

「は! はァ! ハッ!」

 

 撃つ。撃つ。撃つ。

 体力の配分もエネルギーの残量も考慮しないフルパワーでの連続エネルギー弾。

 これほどの力で撃ち込めば、サイヤ人ならばともかくただの地球人ならダメージは免れないはずだ……!

 そうあってほしいと願うセルの想いが届いたのか、スーパービックバンクラッシュによって確かにナシコの一部は消滅した。

 

「こういうのがお好み?」

「ばう!?」

 

 目前まで膨らんだ煙にうっすらと影ができたかと思えば、突き出てくる拳に鼻面を打たれて後退するセル。

 

「うおおおっ……!!」

 

 勢いのまま二歩、三歩と大股で後退り、思わず顔を押さえて痛みに呻く。

 攻撃に反応できなかった。煙を注視していたのに、影が生まれたのは見えたのに、頭が追いつかなかったのだ。

 単純な力だけでなく、精神力……気力、気迫……そういったものでも押されている。

 

「……みんなこういうことしてくるよね」

 

 焼け焦げたパジャマの欠片をつまんで落としながら呟いたナシコは、着ていたパジャマにのみダメージが現れていた。胸の上に乗る衣服の切れ端を指で弾いては、両手で体を払ってぱらぱらと炭を落とす。卵の殻を破るようにしてキャミソールとスカートだけになった彼女は、変わらない速度で歩行を続けていた。

 

 あれだけの気功波を受けてまったくの無傷。──いや、凄まじい熱量に晒されて肌は火照り、汗でややしっとりとした肩や細腕に首筋に……伝う汗は噴き上がる気炎によってたちまち蒸発している。

 こもる熱を(いと)って髪を払ったナシコは、それで生まれた風に目を細めて微かに笑った。

 

「……ぁ」

 

 涼し気でいっそ美男子ともいえるその微笑みは、セルにとって恐怖以外のなにものでもなかったようだ。

 攻撃が通じなかったその一点にセルの心は囚われ、もはや立ち向かう事もできない。逃げる事もできない。

 一歩、また一歩と近づいてくる死神の断罪を待つのみだ。

 

 凛として大胆に歩むナシコの姿だけが、視界いっぱいに広がっていた。

 

 

 

 

「凄い! ナシコお姉さん、凄いですよ、お父さん!」

 

 ナシコとセルの戦いは神の居城、神殿にも伝わっていた。

 突如として膨れ上がったセルの不可思議な気に、さらにそれを上回るナシコの巨大な気。

 圧倒しているのが手に取るようにわかる状況に、床を、その先を見て歓声をあげる悟飯。

 

「ああ……すげぇな」

 

 胡坐を掻き、腕を組んでベジータ・トランクス親子が精神と時の部屋から出てくるのを待っている悟空もまた、ナシコの変化に舌を巻いていた。

 

「ナシコの奴、精神と時の部屋にも入ってないってのにものすげえパワーだ……あいついつの間に」

「きっと物凄い修行を積んだんだ……! これならセルをやっつけられるよ!」

 

 ボク達の出番はなくなっちゃいそうだ、と喜色満面になる悟飯とは反対に、悟空は視線を落として考え込んでいるようだ。

 人造人間に備える三年の間、孫家に訪れるナシコは能天気そのもので、そんなに過酷な修行をしているようには到底みえなかった。

 現にあの変化を、21号との戦いではみせなかったし、今日まで使う素振りもなかった。

 

「……こりゃあナシコの方がやべぇかもしんねぇな」

「え?」

 

 思いがけない悟空の言葉に顔を上げた悟飯は、その言葉の意味を正しく理解できなかった。

 やばい? ナシコお姉さんが?

 

「えっ、で、でも、セルを超えて……」

「ああ。それは流石だとオラも思う。でもな、さっきナシコの気が上がるまでに随分時間がかかってたろ?」

「そうだけど……」

 

 そのパワーアップには集中がいるのかもしれない。

 でも、それがどうしたんだろう。悟飯には、悟空が言わんとしている事がいまいちわからなかった。

 

「オラ達の超サイヤ人みたいな変化に近いとして、こんなに時間がかかるって事はまだ変化に慣れてない証拠だ」

「あ……」

「それに、最初は完璧に制御した静かな気だったけど、今はかなり荒っぽい気になっている……その分消耗も激しいはずだ」

 

 神妙な顔で語った悟空は、傍らに立つ悟飯が息を呑むのに気づいて、ぱっと表情を明るくさせた。

 

「とはいえ、そんなのはオラの勝手な予想だ。ナシコがしっかり技に慣らしてるって可能性もあるしな」

「そ、そうだよね! きっと大丈夫だよ、ナシコお姉さんは……!」

「ああ! オラ達はどっしり構えていよう。せっかくだからめいっぱい修行しような」

「う、うん」

 

 わしゃわしゃと頭を撫でられた悟飯は、再び下界の方を向いて激しく動く二つの巨大な気に意識を集中させた。

 悟空も再び思考に耽る。

 さっきは悟飯の不安を取り除くためにああ言ったが、どうにも嫌な予感が拭えない。

 

(はやくケリつけちまえ……ナシコ)

 

 ここからでも感じられる、怒りに揺らめく気質。

 まるで制御できていない感情のエネルギーに振り回されてしまう前に、決着がつく事を祈る悟空だった。

 

 

 

 

「ひゃあ~、すんごい地震だったわね」

「どれ、震源地はどこかの」

 

 カメハウスにて寛いでいた亀仙人とブルマは、大きな揺れに机の下から這い出ると、電源の入ったテレビへ注目した。

 

『な、なんだねキミは!』

『し、信じられません! 人が! 子供が浮いております! われわれは白昼夢でも見ているのでしょうか……それともマジックショーなのか……!』

「おや? 臨時ニュースがやっとるのう。このめんこい子は……!?」

 

 地震の情報を求めてつけたニュース番組は、現在生放送で現場に向かっているようだった。

 騒がしい空気の音に、それが都の空を飛ぶ報道ヘリからの映像だとわかる。

 だがカメラが向けられた空には、画面へ銃口を向ける少女が浮かんでいた。

 

「あら、ナシコんところのお手伝いちゃんじゃないの」

『聞こえませんでしたかぁ? これより先に進む事は許しませんよ~。大人しく帰らないのならば撃っちゃいますよ~。いいんですか~?』

 

 穏やかな口調とは裏腹に引き金に指をかけて脅す緑髪の小さなメイドは、ブルマの知る限りウィローの研究所で働いている子供達だった。

 

『わ、我々には国民に真実を伝える義務があるのだ!』

『知りませんよ~。あーんな格好を撮影されたら、それはそれで楽しそうですけれど……ううん、やっぱりだ・め・よ。撮影厳禁、通行禁止です』

『そんな……』

 

 どうやら都では何か大きな事が起こっているようだ。

 その確認に向かう報道陣を、ナシコの配下が防いでいるらしい。

 亀仙人がチャンネルを回せば、他の報道番組でも取材チームが足止めを食らっていた。こちらは地上の様子だった。

 

『あはははは! あはははは!』

『ちょ、やめないか! こら、やめなさい!』

『誰か警察呼んで!』

 

 白い髪のメイドが空に向かって銃を乱射している光景に、ブルマは「あらー」と零すほかなかった。

 友人のところの子供が大事件を起こしている……あまり関わり合いになりたくないというか、できれば知らないでおきたかった情報だ……。

 

『こっちにはなんにもないよ! ばきゅーん!』

『い、いや、でもあっちは先日ナシコちゃんが取っていた母の日の特設ステージで……』

『きゅふふふ! お母さんやってるナシコちゃんおかしかったなぁ!』

『駄目だ、話が通じん……!』

 

 耳に痛い銃撃音の中、絶えず笑顔でいる子供に根気よく対話を試みる報道陣の度胸といったら圧巻だ。

 そのうちに浮遊パトカーが駆け付けても、少女を退かす事はおろか、誰一人としてステージのある方に進めない。威嚇射撃混じりにではあるが避難誘導を試みる少女によって押し返されてしまうのだ。

 

「……世の中どうなっとるんかのう」

「そ、そーね。あはは!」

 

 しばらくナシコのところには近寄らんとこ、と心に決めるブルマであった。

 

 

 

 

「凄まじい気だ……! ナシコか!?」

「おい」

 

 椅子を蹴倒して立ち上がったラディッツは、久々の休日を堪能している最中であった。

 ターレスとの遊戯盤に熱中していて気付かなかったが、家の中にあったナシコの気が遠方に移っている。 

 最近追い回しているセルとかいう奴とぶつかったのだ……!

 反対に、ピッコロの気が研究所の地下にあった。劣勢なのだろうか。

 

「おい」

「俺達も加勢に行くべきか……?」

「聞けよ弱虫ラディッツ」

「だぁれが弱虫じゃい!」

 

 トントンと指先で机を叩きながら呼びかけるターレスの言葉に反応してしまったラディッツは、ふてぶてしく腕を組んで、ひっくり返されたオセロを見下ろした。

 四方の角を取られてゲームエンド状態だった賭けオセロ。オセロは癒しとはなんだったのか、あと一歩で一週間ナシコの遊び相手権を押し付けられるところであったが、セルとかいう輩のせいで無効ゲームになってしまった。

 

「お前わざとひっくり返しただろ」

「む。何を根拠にそんな事を……俺は公平の男だ。そんなみみっちい事はせん、ナシコでもあるまいしな。今のは単に巨大な気に驚いてしまっただけだ」

 

 などと供述しており。その口数の多さが真実を物語っている。

 ちなみにナシコはトランプでもオセロでもチェスでもテレビゲームでも負けがこむと直接攻撃に出るタイプである。厄介極まりないのだが、相手をしなければさらに拗ねるので始末に負えない。

 そんなナシコの遊び相手を務める事を賭けたこのゲーム、どんな手を使っても負ける訳にはいかなかった。

 

「まったくお前はそそっかしいですね」

「うん?」

 

 ふとリビングに気配もなく入り込んできたのは、黒髪のメイド少女だった。

 ナシコを呼びに来て布団から引きずり出し、悠長に着替えようとするナシコの尻を蹴飛ばして急かした張本人、クロである。

 二人の視線を一身に受けて、独り言を聞かれた気まずさにやや顔を赤らめた彼女は、足早に窓の方へと向かった。

 

「……瞬間移動で連れていけるのに、勝手に飛んでいくなんて……」

 

 ガラガラと窓を開いて庭に出る際も、クロはぶつぶつと文句を言っていた。

 カラーシスターズに共通して備わる瞬間移動の力をナシコが完全に思慮の外に置いていたのが気に入らないらしい。見た目そのままの子供のようにぷりぷりと怒りながら浮かび上がり、空の彼方へと飛んでいく。

 

「……どうにも向こうは大変なようだな」

「どうせ行っても足手纏いだろう。それよか仕切り直しだ」

「……」

 

 卑屈にゲーム盤を直し始めるターレスに、ラディッツも言葉はないが同意していた。

 天下の超サイヤ人が置いてけぼりとは、この世はなんとも無情だ……。

 そして珍しく研究所の外に出てきたメイドさんが自分達を空気のように扱うのもまた無情であった……。

 

 

 

 

 メイド部隊によって人払いが成された特設ステージにて、観客のいない簡易ステージの上で、ナシコはマイクを振るっていた。

 

「どぁう!」

 

 気を纏うマイクの斬撃を受けて吹き飛ぶセルに、手の内でスタンドマイクを回したナシコは、それを傍らに置いて軽やかに跳躍し、セルの前へ降り立った。

 慌てて反撃しようとするセルの拳を打ち払い、鳩尾に掌底を叩き込む。

 

「これはウィローちゃんの分!」

「うが!」

 

 巨体の足の合間に膝をつき込んで大きく踏み込み、流れるように肘打ち。

 

「これもウィローちゃんの分!」

「ごっほ!」

 

 跳び上がって回転蹴り。鞭のようにしなる長い足に顔を打たれて猛回転して落ち行く体を爪先が捉える。

 

「がはぁあ!!」

「そしてこれは……ウィローちゃんの分だ!」

 

 回転は止まらず。

 放物線を描いて飛んだセルの体は地面にぶつかってなお勢いが死なずに跳ね転がっていく。

 一飛びして走り出したナシコが追いつきざまに足を引き――。

 

「これはなんかやられてたピッコロさんの分!」

「クソマァ!!」

 

 サッカーボールよろしく蹴り飛ばされたセルは、自分の意志とは無関係に二本足で着地してしまった。

 奇跡的なバランスに助けられ、いや嵌められるようにナシコと対峙してしまう。

 何を言うより早く、動くより早く詰め寄られ、フックパンチで限界まで首が伸びる。

 肉体を拳が打つたびに弾ける怒りのエナジー。赤い焔が迸り、セルの体が細胞から燃え尽きていく。

 

「全然寝らんなかった私の分も!!」

 

 (すく)い上げるような回し蹴り。ずっと伸びた足によって天高く打ち上げられたセルは、混濁する意識の中、ナシコの気がその両手へ集中していくのを感知していた。

 だが避けられない。逃れられない。

 球状に膨らむ力が今か今かと終わりの時を待っている――。

 

「完全に消え去ってしまえ!」

 

 ナシコは、ここでセルを完全に消滅させてしまうつもりだった。

 第一形態を追い詰めていた事からもわかる通り、物語を追うより最善を尽くす事を選んだのだ。

 被害を出してしまうなら、知っている話にならなくていい。そう決めて、自分で戦う道を進んだ。

 だからここでも手を抜かなかった。油断せず、全力で戦った。

 

「──あ、れ……?」

 

 がくり。膝をついたナシコは、あれだけ猛っていた気持ちが沈静化してしまっているのに困惑した。

 纏っていた気もまた消えている。内に秘めているのではない。まったく気が操れなくなってしまっていた。

 変化が解けて体は子供に、赤髪は黒髪に、瞳もまた翡翠に戻ってしまっている。

 

「!! がぁう!!」

「やっ……!?」

 

 そんな隙を見逃すセルではない。落ち行く中で意識を取り戻した怪物は必死の形相で腕を広げ、無防備なナシコを押し倒した。

 

「こんにゃろっ、放せっ……!」

「お、お、ぐぐぐっ……!!」

「んんぁあーっ!! どけぇえええ!!」

 

 揉み合う中でなんとか芯から絞り出した力をスパークさせて抵抗するナシコに対し、セルもボロボロの身体に鞭打って全力だ。

 押しつぶされる状況から抜け出そうともがき、這って逃げるナシコを押さえ抱え込んだセルは、一瞬喜色を浮かべてぐわっと立ち上がった。

 

「っあ!」

「ふはははは! 捕まえたぞぉう!!」

 

 持ち上げられて足をばたつかせるナシコの体表面で青白い光が弾ける。セルの体に移ったスパークは、しかしなんの効力もなさなかった。

 

「はなせっ! はーなーしーてー!!」

「はあっ! はあっ! はあっ! も、もう逃がさなぁい……!! こ、このチャンスを逃してなるものかぁあああっっ!!」

「うっ!? うあああ! くっそ! うううう!!」 

 

 ギリギリと音がするほど潰さんとする両腕の拘束からなんとか片一方の手を抜け出させることに成功したナシコは、セルの顔を押し退けようとして、それでは埒が明かないのに拳を握りしめて胸を殴りつけた。

 後ろへの攻撃に力など乗るはずもなく、肘打ちであろうとただセルの体を揺らすだけだ。

 

「あぅううっ! っは、くのっ……うああんっ!」

 

 徐々に強くなる締め付けにナシコの顔が苦悶に歪む。

 抵抗する声より悲鳴ばかりが溢れて、少女の高い鳴き声を浴びるたびにセルは余裕を取り戻していく。

 もはや優劣が逆転しているのを理解し始めたのだ。自らが抱くこの生意気なガキが、もはやほんの少しも自分を傷つけることなどできないとわかった。

 

「なんでっ……なんでぇっ……!?」

 

 無駄な抵抗を繰り返すナシコの疑問に答えてくれるものは誰もいない。

 完璧に制御していたはずだ。ルージュは完成していたはずなのに……!

 

 ナシコのその認識は正しい。

 深紅の存在となる界王拳の完成形であるルージュを、ナシコは完全にものにしていた。

 ただ、それは条件があってのことだ。

 

 まずナシコは、この変身を大人にならなければ発動できなかった。

 あまり大人に変化する事を好まない彼女が無意識にそうしているのが証拠だ。

 ルージュは子供の体では扱いきれない。おそらくは未熟な肉体での強化に無理があるからだろう。

 だが大人状態であるならば完璧に制御下に置けた。

 

 ……50倍、そのままであったなら。

 

「ふぐっ……や、ぁああ!」

 

 嫌がるように頭を振って身をよじるナシコをセルはあやすように揺すった。

 そうしても抜け出されないことを確かめているのだ。

 

 ナシコは致命的なミスを犯した。

 確かにルージュの状態は、50倍界王拳を負荷なく扱えるし、通常時となんら変わりがない。

 だがあくまで戦闘力を上げている状態だ。そこからさらに界王拳を使うのは、さすがに通常時に界王拳を使うのとはわけが違う。

 ナシコにとっては1.5倍の界王拳も、ルージュの状態で使えば素の戦闘力の75倍。

 2倍界王拳なら100倍だ。

 

 いくらナシコが界王拳を熟しているといっても、耐えられるはずもない。

 その無理が祟って技の強制解除となってしまったのだ。

 

「さあて……おてんば娘を捕まえたところだが、私にはもう一つ吉報があるぞ?」

 

 いわばこのピンチは自ら招いてしまったもの。

 片腕で締め付けられたまま、もう片方の手で顔を掴まれ頬を挟まれたナシコは、無理矢理に上向かせられて自分を覗き込むセルと目を合わせさせられた。

 

「17号を吸収し、進化したことによって我が体内のプールに余裕ができたのだ……」

「はっ、はぁ、ふ……?」

 

 プール? なんでいきなり水泳の話を、と疑問符を浮かべるナシコの頭を揺さぶり、愉快そうに顔を解放してやったセルは、尻尾を持ち上げてその先端をナシコの眼前へ持ってきた。

 

「つまり、生体エキスの吸収でさらにパワーが得られるようになったのだ」

「あ……!」

 

 ようやく理解が及び、表情を引き攣らせるナシコ。

 それはつまり、自分を食べようとしているってこと……!

 

「ぃやっ、やだあああ!! はなせっ! はなしてっ!! やあだぁ!!」

「おう! おう! なかなか元気じゃねぇか!!」

 

 吸収なんてされてたまるか!

 手足を暴れさせて、気も全開で抜け出そうとするナシコは、とっくに今の自分の力では逃げられないことを理解していた。

 それでももがいた。怖いからだ。その針が刺さる痛みを想像して、吸われる気持ち悪さを想像して、死の恐怖に怯えるだろう自分を見たくなくて、涙を滲ませて抵抗した。

 

 無意味だった。

 無駄に体力を消耗するだけだった。

 

 こらえた嗚咽と涙が健気さを演出して、セルの嗜虐心を煽るばかりで生存には繋がりやしない。

 

「どうだ、無力なものだな……!」

 

 強気な態度で語気をも強めるセルだが、その頬には汗が伝う。いつまたこの少女が未知なる超パワーを発揮するかわからないからだ。

 それでも余裕ぶっていた。何かの血がそうさせるのか、焦りはあっても甚振るように……。

 

「はぐっ!」

「ぐぁあおおう!!?」

 

 頬に這わせ、顎をすりすりと撫でていた指を見下ろしたナシコが、おもむろに噛みついた。

 これにはさすがのセルも目玉が飛び出そうなほどに痛がり、余裕の仮面を脱ぎ去ってナシコの顔を殴りつけた。

 

「ぷあっ……!?」

 

 顔を狙われるとは夢にも思っていなかったのだろう、セルの指から口を放せさせられたナシコは一瞬ぽかんとして、つぅっと鼻血が出るのに何をされたのかを認識した。

 

「ひっ……!?」

「はあ、はあ、く、クソガキめ、そんなに今すぐ吸収されたいか……!」

「やめ、やめて……!」

 

 腫れた指に息を吹きかけていたセルは、腕の中のナシコがすっかり大人しくなっているのに気が付いた。

 どうやら顔への攻撃が相当効いたらしい。しおらしくなるばかりか小鹿のように震えているではないか。

 試しに頬へ針を擦りつけてみれば……?

 

「ぅぁああ……やだ、やだよぉ……!」

「く、ふははは……!」

 

 この通りだ。幼子のように涙を流して恐怖に固まっている。

 もはや抵抗の危険もないだろう。尾の先で涙を掬い、唇に擦りつければ吐息で針が震えた。

 脅かすために体中に尻尾を這い回らせて触覚に訴えかけ、腕に力を籠めて筋肉を膨張させ、締め上げる事で痛覚に訴える。

 

「さあて、どこから吸収して欲しい?」

「ゃ……やっ!」

 

 突きつけられた恐怖から逃れようと顔を背けるその姿が非常にそそる。

 もっと痛めつけてやりたい。恐怖に歪む顔が見たい!

 

「腕か? 末端からじっくりと干からびていく恐怖を感じたいか?」

 

 巻き付く腕にかかる小さな手へ針を当てて肌の上をゆっくりと走らせる。

 引き攣る呼吸に、抑えられた泣き声は、隠そうとしても触れた尻尾から伝わってくる。

 

「腹か? 臓物をドロドロに溶かしつくし啜られる痛みにのた打ち回りたいか?」

 

 肌着の裾から侵入した尾が直接腹を撫でさする。

 少し針を押し込めば薄い肉付きがはっきりとして楽しめる。これを捌いてしまうのは簡単だろうが……。

 

「うあっ」

 

 握り方を変えられ、両腕を背側で一掴みにされたナシコの体の前面でざらついたものが蠢く。

 

 蛇のようにのたくる尾がさらに上へ進み、肌着に形を表す。

 プツ、と内側から針が顔を覗かせた。肌着の上部。ちょうど鎖骨の真ん中あたりの部分。

 それが下降していけば、強靭なキャミソールが薄布のように裂けていってしまう。

 

「ぇ、あ……?」

 

 二つに分けられた布が重力に引かれて左右にわかれる。

 正中線周りが露わになってしまった。

 何をされたのか、ナシコは理解できていない。肌にかかる布の感覚でわかってはいるが、事態を飲み込めない……そんなところだろうか。

 この年頃の少女の恐怖心を煽るには何が効果的か。セルはそれをよくわかっていたらしい。

 悠々と抜け出した尾がついでとばかりに裁断された布の端を弾いて肌の露出を増やしていく。

 

「首がいいか。体内へ突き進む冷たい死の感覚はさぞ心地良かろう」

「はっ、はっ、はっ……」

 

 鎖骨をくるりとなぞる針の鋭さに、引っかかれた肌に血が滲む。

 新雪に跡をつけるような愉悦がセルの胸に生まれた。

 未だ穢れを知らないうら若き乙女の肌に疵痕を残す悦びを知ってしまった。

 

「いっそ一思いに胸を突いてやろうか。心臓に突き刺し血液の全てを吸い尽くしてやろう」

 

 真正面からぴたりと胸へ狙いをつける尾に、ナシコの目がそこに集中して離れない。やや開いた瞳孔は精彩さを欠き、常の元気も勝気な光も失われていた。

 

 息は浅く短く、震えは長く小刻みに。

 

 ──無論、生体エキスの吸収を目的としてそなえられた尾は血液のみを飲み干すような器用な真似はできない。

 それがわかっていて、ナシコの恐怖を煽るためだけにそんな言葉を口にしているのだ。

 効果はてきめん。怯え竦む少女は細かな動きの一つ一つに過剰に身を竦ませて情けない声を発している。そのうちに許しを請い始めそうなくらいだ。そうすれば助けてやると嘯けば、あるいは本当に懇願するかもしれない。

 

 だがセルはそうしない事にした。あっさりと命を奪ってやる事にしたのだ。

 それは慈悲だった。健闘した少女への手向け。

 

 宣告する。

 

「決ぃめぇたぁぞ!! まずはじっくり、じっくり、じっくりと生体エェキィスをいただきぃ……お前が泣き叫ぶ様を見せてもらおう。安心しろ、その後はこの尾を広げて、一思いに丸呑みにしてやる。お前ほどのパワーをモノにできれば、私はより完璧に近づくだろう……完全体になれるようには設計されていないのが実に残念だ……」

 

 いやらしく首元を撫でていた針が、鎖骨の合間を通ってゆっくりと下りていく。引き裂かれた服を退けて、その先端が肌を押した。

 プツリと珠の血を作り、それが流れ出し……冷たい感触がゆっくりと侵入していく。

 ナシコは、そのおそろしい異物感に何も言えなくなって顔をあげた。

 目をつぶり、ただひたすらに気持ち悪さに耐えている。

 

 ジュルリと吸収される音が、感覚が、体の中に響いた。

 

 

 

「ぶらぁああああっ!!!?」

 

 

 突如、ナシコは地面へと叩きつけられた。

 無理に引き抜かれた針が体内に引っかかり、傷を残していく感覚に顔を歪め、遅れて受け身を取って身を起こす。

 確かに今、じゅるりと何かを吸い取られる感覚がした。これ以上ないくらい気持ちの悪い感覚と、遅れてやってきた激痛に傷口を押さえる。

 なぜ、解放されたのかがわからない。霞む視界を持ち上げてセルを窺えば、自ら尾を握り潰すように掴んで苦しんでいるようだった。

 

「な、なんだ、どうしたというのだ!? こ、この高揚感は……わ、私はいったい、どうなってしまっているのだ……!!」

 

 あるいは、困惑。

 セルは自身を襲う思いがけない変化についていけていなかった。

 ──ナシコの純粋なる善性を持ったエネルギーを取り入れてしまい、悪の細胞と激しい拒絶反応を起こしてパワーダウンしているなどと、誰がわかるだろうか。

 

 そして、セルを襲う凶事はそれだけではない。ナシコの肉体は願いで得たものだ。ちやほやされたいという願いを元に再現された、人の気を惹いてやまない体。

 純粋悪でもない限りは触れれば深層意識に植え付けられるナシコへの好意。姿を見れば興味を惹かれ、微笑みかけられれば心を浸食され、接し続ければ際限なく高まっていく庇護欲。

 

 セルは、無意識下に植え付けられたナシコへの絶対的好意と、触れ合うどころか一時一つとなってしまった事で一瞬のうちにナシコへの親愛度がMAXを通り越してしまったのだ。

 もはやセルは決してナシコを殺せないし、本気で傷つける事もできない。

 

 もちろん、セルにそんなつもりはない。今はただ困惑しているだけで、それが収まればナシコを襲うだろう。本気で殺すつもりで拳を振るうだろう。だが本人も知らない内にパワーがセーブされ、パンチにはブレーキがかかる。気功波でナシコを殺しきる事もできなくなる。

 

 吸収は、悪手だった。

 セルは、ナシコを捕まえたその時点で縊り殺してしまうべきだったのだ。

 

「こ、こぉのガキぃ……!」

「う、く……」

 

 重々しく歩んだセルが尻尾を使ってナシコを持ち上げる。

 血走った目で少女の涙目を睨みつけて、息も荒く脅しかける。

 だが、そこまでだ。それ以上の動きが起こらない。

 

 怒りに突き動かされて攻撃しよう……そういう気が起こらない事に、セルは、今はまず息を整えているのだと自分で納得した。

 確実にトドメをさせるよう……何かイレギュラーが起こった時、対応できないのは上手くないからな……。

 

「……む!?」

 

 そうして何分か。もがく事を諦めてただ吊るされるままのナシコを眺め、なかなか収まらない息を整えようとしていたセルは、飛来した光弾に反応して顔を上げ、ぶつかる寸前にナシコを引き戻して体の後ろへやると同時に前へ突き出した手から気を放出させた。

 半円状に現れた緑のバリアーが気弾の爆発から身を守る。

 

「ぬ……誰だ!」

 

 二つの巨大な気が前に下り立つのを感じた。

 覚えがあるような、ないような、いや、こんな巨大な気は知らない……!?

 

「ずいぶんお楽しみみたいじゃないか。お前がセルか?」

 

 逆立つ金髪に青のボディスーツと白いプロテクター。戦闘服を身に纏うベジータが、腕を組んで立っている。

 精神と時の部屋での修行が完了したのだ。そしてトランクスを伴って即時下界へ降りて来たらしい。

 

「ナシコちゃん……!」

「……トランクスか」

 

 遅れて下り立ったトランクスは、セルの後ろからぬうっと持ち上げられてきたナシコの姿に悲壮な表情を浮かべた。ぐったりとして力の入っていない体に、生気を失った目は、傍から見れば死んでいるようにも見えたのかもしれない。

 

「いや、まだ息がある! 待っててナシコちゃん、すぐに助けるから!」

「チッ、おいセル! そんなカスみたいな奴を甚振って楽しいか? 喜べ。このベジータ様が直々に相手をしてやる」

 

 若干無視される形となったベジータが苛立ち紛れに首切りサインで挑発する。

 その高慢なジェスチャーに呆気に取られたセルは、次には肩を揺らして笑った。

 

「相手をする? ……お前が? 私をか?」

「そうだ。そんなお荷物は今すぐ放り捨てておくんだな……後悔する事になる」

「……」

 

 常なら──第二形態の力を十全に扱った後のセルならば、その自信を一笑に付し、ナシコなど放って馬鹿な二人を殺しに向かっただろう。

 だがそうはせず、持ち上げたナシコの顔を見て、自身の前へ、盾にするように移動させた。

 先程昂ったトランクスの気と、ベジータのあの自信……何かあるかもしれない。

 この世には思いがけないパワーアップがある。ちょっとは慎重に向かっても良いだろう……。

 そう判断したセルに、ベジータは忌々し気に舌打ちをすると、手の平を差し向けてきた。

 

「そんな作戦がオレ様に通用すると思ったか! 貴様ごと破壊するのはわけないんだぞ!?」

「父さん!? やめてください、ナシコちゃんが!」

「黙っていろ!」

 

 ──黙っていろ、と言われて大人しくしていられるトランクスではない。

 守ると決めたばかりの少女が危険に晒されているのだ。たとえ抑えようとしたとしてもその気の高ぶりは抑えられるものではなかった。

 

「!」

 

 ボッと噴き出した黄金の光に、セルは顔を歪めながらも自らの判断が正しかったと知った。

 信じられない事に……トランクスのパワーは、第二形態のセルを完全に超えている……!

 

「ちっ、馬鹿が!」

 

 直後に力を解放し、手の先に光球を生み出したベジータの戦闘能力もまたセルを超えている。

 ここに来て余裕ぶっていられない事を知ったセルは、腰が引けてしまった自分に気付いて、だが人質を取っている事も同時に思い出した。

 

「いいのか? そのまま攻撃すればナシコも死ぬぞ?」

「くそっ……なんて卑怯な奴なんだ……!」

 

 ナシコの後頭部へ指を差し向け、脅しをかければトランクスが反応する。よし、よし。どうやら人質は有効なようだ。そう実感したセルは、この場は引くべきか……いや、それともナシコを盾にしたまま二人を殺してしまった方が良いかと算段を立て始め……フッ、とベジータが笑うのに思考が止まった。

 

「聞こえなかったか? そんなものは無駄だと言ったんだ」

「ま、まさか……」

 

 撃つのか? ベジータは、ナシコが傷つこうが関係ないという顔をしている。それはハッタリではない……光弾にはどんどん気が送り込まれ、一撃でセルを消し飛ばせるレベルにまで至っている。

 

「父さん! そんな事をしたら……!」

「したら、なんだ? 怪物が一匹この世から消え去るだけだ。永遠にな」

 

 ……本気だ。きっと冗談だと薄ら笑いを浮かべていたセルは、必死に止めようとするトランクスを一顧だにしないベジータに、盾など無意味だとわかってしまった。

 

「あ、あ……!」

 

 いよいよ慄く。

 そうなると尾でナシコを捕まえているのは一手失う枷でしかない。実力で上回られているのにそれでは、殺してくださいと言っているようなものだ。

 ナシコと、光弾とを見比べる。その間にも増大していく恐怖心が行動の幅を狭め……!

 

「じゃあな」

「!」

 

 邪悪に笑ったベジータが腕を引く動作に、発射の予兆を感じ取る。

 

「父さ──くそっ!」

 

 ベジータが撃つよりはやくナシコを奪還しようというのかトランクスが飛び出す。

 同時にベジータが腕を突き出し──。

 

「ああああ!!」

 

 どう対応しようかなど考える間もなく、尾をしならせてナシコを投げつけたセルは、脱兎のごとく逃げ出した。

 

「おっと、どこに行くんだ?」

「──え?」

 

 体が止まっていた。

 そして、自らを見上げるベジータの腕が、腹に突き刺さっているのを遅れて認識する。

 

「ご、あ、は……!?」

「そうら!」

 

 腹を抱えようとして顎をかちあげられ、浮いた体にもう一発蹴りをくらって吹き飛ぶセル。

 揺さぶられる意識に、先程の光弾がただの脅し……自分にナシコを手放させるための罠だったのだと、ようやく気付いた。

 

 

「ナシコちゃん! 仙豆を……ほら」

「う……」

 

 少し離れた場所で、トランクスは肩でナシコの背を支えていた。

 先程の一瞬、トランクスは光弾を弾くために動いていた。だが投げつけられたナシコに目的を変更し、受け止める事にしたのだ。怪我をさせないよう柔く受け止めたその瞬間に真横をベジータが通り抜けていくのが見えた。

 そこでトランクスもまた、父の考えを理解してほっとした。

 よかった……諸共消し飛ばしてしまおうとしたのは、ただの演技だったんだ。あまりにも迫真だから、自分まで信じてしまった。

 

 ナシコによって精神と時の部屋に揃って押し込まれ、一年。

 二人きりの境遇で過ごし、ベジータの不器用な優しさに触れた。

 ぶっきらぼうながらも、息子である自分を想ってくれている事がうっすらとわかった。

 でもその過激さや傲慢さが欠点なのもわかっていたのだ。

 

「う、う……」

「ナシコちゃん……もう大丈夫だよ。安心して」

 

 口元に運んだ仙豆に気付かなかったのか、トランクスの首に手を回して抱き着いたナシコは、震える体を落ち着かせようとしているようだった。滲む血が戦闘服を濡らすのに、トランクスとしては一刻も早く治してあげたいところだが、恐怖を取り除いてあげるのもまた肝心だろう。背中を撫でてやるたびに僅かずつ震えがおさまっていく。

 

「は、とら、トランクス……!」

 

 手を掴まれ、それを頬に当てさせられたトランクスは、冷たい彼女の体が熱を欲しているとわかって、大人しくされるがままにした。目をつぶって手袋越しの体温を感じている様子のナシコの、上下する胸に視線をやったトランクスは、裂かれた肌着を合わせて整えてやりながら、大変な辱めを受けたのだとわかって怒りを燃やした。

 

「ちくしょおおおおおお!!!」

 

 空間を震わせるセルの嘆きが、怒りの声が聞こえたのは、ナシコが落ち着いた頃だった。

 ベジータの余裕の攻勢によって手も足も出ずやられたセルが、もはや敵に目を向ける事もなく慟哭している。

 

「完全体に……完全体になりさえすればぁ……!」

「ほう?」

  

 雲行きが怪しい。

 セルの狂言にベジータが乗り始めている。

 

「トランクス、セルやっつけちゃって……」

「え、あ、だけど、今割って入れば父さんが……」

「かな……」

 

 ようやく仙豆を口にして、飴でも舐めるように口内に留めているナシコが、ベジータの悪癖を無視しろと囁く。

 そうしたいのはやまやまなトランクスだが、ベジータは戦いに割って入られるのを好まない。

 せっかく深まった親子仲に亀裂を走らせるのはナシコとしてもよくない。

 

「ベジータ、はやくやっちゃって! 完全体に敵う訳ないんだから!」

「……!」

 

 四つん這いになったままのセルが、ナシコの声に忌々し気な視線を送る。

 それでベジータが動けばおしまいだからだ。

 

「ほ、本当だぞ! 完全体になればきさまら如きわけはない!」

「……」

 

 思案する様子のベジータに、セルは縋りつくようにして訴えかけた。

 生き足掻こうとするその様を嘲笑したベジータは、ナシコ達へ目を向けて。

 

「そう言われると試したくなるのがオレ達サイヤ人だ……いけ、セル。完全体とやらになるがいい」

「父さん! 駄目だ!」

 

 本気でセルを見逃そうとしているベジータに、まさかそんな事をするはず……! と心のどこかで信じていたのだろう、割り込むことに抵抗をみせていたトランクスは、ここに至ってようやく立ち上がった。

 一緒に立ち上がったナシコは、仙豆を噛まずに飲み込んでしまって喉を押さえてけほこほやっている。

 

「そいつを逃がしちゃいけない……ここで倒すべきなんだ!」

「なんだ、トランクス。きさまは見たいとは思わんのか? 完全体とやらの力を……それでもサイヤ人か!」

「そんな事は関係ない……!」

 

 満身創痍の状態で逃げ出そうとするセルを追うには、ベジータが邪魔だった。

 トランクスの前に立ちはだかるベジータ。

 

「きさまも大人しくしておけ」

 

 お腹の傷が完治したのを確認していたナシコにも声がかけられる。

 だがそれに従う理由も意味もない。即座に飛び上がったナシコは、事態が悪い方向へ進んでいると知った。

 

「遅かったか……!」

「17号……17号はどこにいるんだい!?」

 

 騒ぎを聞きつけた人造人間達がこの場にやってきてしまったのだ。

 いや、16号が先頭であるのを見るに、おそらくは巨大なパワーと17号がぶつかったのを感知して加勢にやってきたのだろう。

 

 いると聞いていた17号の姿が見えない事に18号は辺りを見回して困惑している。簡易ステージ、広場……どこにもその姿がない。

 21号は夢の国帰りのようにナシコグッズに身を包んで、空に浮かぶナシコへ手を振っている。ぴょんぴょんと小さく跳ねる様子はまるで一桁代の年齢であるようだ。

 

「セルの姿が大きく変化している……まさか」

「……あれに、吸収されちまったってのかい? あんな奴に、17号が……!?」

 

 わななく拳を握り締め、18号がセルを睨みつける。

 口を開け、呆然とするセルは手負いだ。いかに変化していようと、今なら完全に破壊する事もできる!

 

「よくも17号を!」

「! 18号、待て!」

 

 円盤状の気のエネルギーを振りかざして突進する18号に、セルの口が笑みの形に変わってゆく。

 

「間に合え……!」

 

 もちろん、ナシコもこの突然の事態に、指をくわえて見ている訳ではなかった。

 片手に生み出した光弾を振りかぶって放った。その瞬間に、セルが額に両手をあてがってすさまじい光を広げた。

 

「──……」

「そいつが完全体か。思っていた通り、大したことはなさそうだな」

 

 光が収まれば、セルは完全体に進化してしまっていた。

 最悪の展開だった。ナシコが思い描いていたはずの未来は消え、本来の歴史通りに進んでしまっている。

 ベジータが完全体のセルと戦闘に入る中で、気力を失ってゆっくりと地面に下りたナシコは、そのまま膝をついてうずくまった。

 なぜ、こうなってしまったのだろう。

 それはやはり、自分がいい加減で、しっかりと物事を考えられない馬鹿だからか。

 

「父さ-ん!!」

 

 戦いと呼べる戦いすらできずに敗れたベジータを助けるため、トランクスが飛び出していく。

 だが彼の秘策がまったく通用しない事をナシコは知っていた。それを指摘する気にもなれなかった。

 

「ふ……孫悟空も、私を倒すために修行中……か」

 

 筋肉を膨れ上がらせ、パワーに頼った変身を行ってセルに挑んだトランクスは、やはりこれも戦いにすらならずに負けを認めてしまった。

 だがトランクスは、まだ抗おうとしていた。自分のマヌケさを痛感しはしたが、ここで退けば殺されるのは自分だけではない……守ると決めたナシコも、この時代の人々もやられてしまう。

 失意の中、それだけを想ってなんとか奮起したが……力の差は如何ともしがたい。

 

 そこでセルから問いかけられたのだ。短期間のパワーアップの秘密は何か。さらなるパワーアップも可能なのか?

 そして、まったく姿を現さない孫悟空は何をしているのか。

 

「面白い。お前達が束になれば、楽しい戦いができそうだ……」

 

 スマートになった体を広げ、第二形態よりも小さくなった体でセルが笑う。

 

「武道大会を開こう。こいつは17号が勘案していたものだ……名前は、そうだな……同じ名前というのも芸がないな」

 

 一本指を立てたセルは、"セルゲーム"の開催を予告した。

 これも歴史通り。ナシコは、己の存在がまったく影響を与えられていない事に悔しさを覚えていた。

 修行が足りなかった。真剣さも、努力も、何もかも足りていなかった。

 きっともっと死ぬ気で頑張っていれば、セルを第一形態のうちに倒せていたはずなのに……!

 

「じゃあな」

 

 ビッと二本指でサインを送ったセルは、ひとりどこかへ飛んで行ってしまった。

 

「う、ああああ!!」

「ナシコちゃん……!?」

 

 失意のうちにベジータを抱えて戻って来たトランクスは、ナシコが喉の奥から絞り出すような声を上げるのに慌てて駆け寄った。

 横目で16号や21号の動向を窺うのも忘れない。彼らが穏やかなのは知っているが、やはり人造人間というのは恐ろしいのだ。

 

「あい! 反省した、反省終わり!」

「え……」

「むんっ」

 

 天へ吼え、立ち上がったナシコは、それでいったん全ての感情を吐き出して白紙に戻した。

 もうなってしまったものはしょうがない。だったら今後の事を考えた方がよっぽど健全だ。うじうじするのはあの世でもできる。

 

 そうなるとやることはたくさんある。

 セルが誰にも危害を加えないように注意しなければならないし、人々を守るために動くには今すぐ方々に連絡を入れて準備する必要があった。

 こんな場所で立ち止まっている暇などない。それに、もっとずっと強くならなければならない。

 

「私も入ろ……精神と時の部屋に……!」

「ナシコちゃんも知っていたんだね、あの場所の事を」

「うん。あ、うちのサイヤ連中も入れたいな……ベジータが目を覚ましたら大慌てでもっかい入りたいって駄々こねると思うんだけど、先に入らせてもらってもいい?」

 

 腰に手を当てて立つナシコの勝気な顔に、トランクスは内心でとても感心していた。さっきはセルの完璧な強さを前にして心を折られていた様子だったのに、もう普段通りだ。この立ち直りの速さは見習いたい。……いや、見習うべきだ。

 未来で唯一の戦士であるトランクスは、どんな時も折れてはならない。なぜなら彼が斃れた時が、未来の最期になってしまうからだ。

 

「お互い頑張ろうね!」

「……ああ!」

 

 絶望的な状況になってしまったというのに、明るい笑顔を見せるナシコにつられて、トランクスも朗らかな笑みを浮かべた。

 なんとかなるんじゃないか。ナシコを見ていると、そんな気がしてしまうのだ。

 もちろん気持ちだけでどうにかなる相手でないのはわかっているから、頑張って修行しなければ。

 

「おい、もう規制は良いのですか」

「んお?」

 

 ふっとかかる影に見上げれば、クロが下りてくるところだった。

 地面に下りてすぐ顔を顰め、携えたエネルギーガンでナシコを小突く。

 

「お前、なんて格好をしていやがるのですか。自殺願望でもあるのですか? 世間的に」

「え、あ、やだなにこれ!? ちょっと服貸して!」

「……触らないでいただけます?」

 

 どうやら今の今まで自分がとんでもない格好になってたのをわかっていなかったらしいナシコは、クロに飛びついてエプロンドレスを剥ぎ取ろうとしてとても嫌がられていた。

 なんともいえない光景に、どうにも気が抜けてしまうトランクスであった……。




TIPS
・ベジータ(超サイヤ人)
基礎戦闘力は2000万
超化50倍で10億

・超ベジータ(超サイヤ人第二段階)
少し筋肉の盛り上がった形態。出力は1.1倍くらいか
10億1000万くらい

・トランクス(未来)
格闘形態。基礎戦闘力は2000万
超化50倍で10億

・ムキンクス(超サイヤ人第三形態)
パワー特化形態。出力は3割増し
13億

・セル(完全体)
セル第2形態1450万+18号1/20(1000万)→2450万
超化50倍 12億2500万

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