第七話 ピッコロ大魔王を応援
「ピッコロさん、好き」
とかなんとかアイドルにあるまじき台詞を吐いたのは、見た目年齢十四歳にまで成長してしまった銀河のアイドルことナシコちゃん。つまりは俺である。
頬をぴくぴくさせて何か言いたそうにしているタニシさんからすたこらさっさと逃げて事務所へ入り込んだ俺は、ソファに背を埋めて息を吐いた。
そもそもなぜわざわざタニシさんの前でそんな事を言ったのかといえば、彼女が「天下一武道会って知ってます?」なんて言い出したからだ。
タニシさんが格闘技のファンである事は、長い付き合いだ、幾度か話題に
俺は、瞬時に「今原作はどの時期だ」と脳内検索を開始した。
……ふかーく記憶を探らないとわかんないくらい把握してないって、ファンとしてどうなのかな、と思っちゃったり。
時はエイジ756年4月下旬、アイドル真っ盛りの俺の最近の悩みは胸のお山が成長してそろそろ見た目が高校生くらいになりそうな事と、年齢が三十代後半になってしまっところかな。
……この世界に来た当初の自分の見た目から「8歳である」と設定してから経過した年数をプラスして三十幾つであるってだけで、前世含めたら五十代後半である。オバサン通り越しておばあちゃんに差し掛かろうとしてるよ。
それはそうと、俺はちゃーんと思い出せたぞ。次の天下一武道会って、ピッコロ大魔王の生まれ変わり、つまり俺の良く知るZ戦士のピッコロさんが初めて表舞台に姿を表す時だ、って。
……前回、ピッコロ大魔王に文句言いに行ってから、今回のピッコロの登場までおよそ三年。
その間お前何してたのと聞かれれば、俺はそっと目を逸らさざるをえない。
仕事……。
お、お仕事、してました。
テレビがない地域にだって足を運んだし、恵まれない子供達のためのライブもしたし、全国ニュースの生放送にまで出演したし、映画にだって出た。
はあ忙しい忙しい。忙しいから悟空さに会いに行く暇がねーだよ。
ドラゴンボールを集めに行く暇もまったくないよ。
といいつつ文句だけは言う。このままじゃまたオバサンになっちゃうぞ、っと。
ああでも、三年間原作に一欠けらも関わらなかったのか、といえばそうでもない。
ブルマさんと一緒にカメハウスに行ったりした事もあったし。
その時はちょうどクリリンがいて、ブルマさんに紹介された俺は大歓迎された。
具体的には、クリリンに
「あー! おれ、この子知ってます! ナシコちゃんですよ! アイドルの!」
って囃し立てられたり、亀仙人のじっちゃんに
「ふーむ、どうりでめんこい訳じゃ。しっかし別漫画のキャラみたいな顔しとるのう」
って褒められたりしたのだ。
ファンに声援を送られるのも嬉しいけど、こちらが一方的に知っている彼らに囃し立てられるのは満更でもなかった。セクハラはご遠慮願いたかったけどね。
クリリンはあいにく修行の旅の途中でカメハウスに立ち寄っただけらしく、すぐに出て行ってしまったから、俺はこの機会に亀仙人様に教えを乞おうと思った。
といっても、ここで修行させてくれ、なんて頼むつもりはない。亀仙流とアイドルとで二足の草鞋はできないだろうからな。ちょっとお話を聞くだけに留めた。
良い機会だし、自前の気功波だけじゃ物足りなくなっていた俺は、じっちゃんに擦り寄って「おねがぁい」とおねだりする事で、かめはめ波を見せてもらう事に成功した。
海を割っていく光は綺麗で、これが本場のかめはめ波か、と感動したものだ。
お礼のツーショット写真はばっちり笑顔。じっちゃんも大満足のアイドルスマイル。
これで俺も本物の技を覚えられたから、これくらい安い安い。
本当は俺の生写真なんて数万から数十万するんだけどね。
……ちょっと盛った。普通に良心価格で数千ゼニーだよ。世界に数枚しかないだとかそういった限定的なものは数百万だけども。
じっちゃんにやたら手とり足とり腰とりされつつも構えも教えていただけたし、文句なしに俺だって「本場のかめはめ波」の使い手になれたのだ。
この世界にやってきたなら、これだけは絶対に覚えておかなくっちゃ。
後は魔閃光でしょ、魔貫光殺砲でしょ、ギャリック砲でしょ、あ、できれば本場のデスビームも覚えたいし、バーニングアタックもいいなあ。
うん、やる気出てきた。そろそろ本格的に原作に合流しちゃおっかな!
と気合いを入れたところで、コンコンとノックの音がした。
「ナシコちゃん」
思考に沈んでいた意識を浮上させれば、ちょうど事務所の扉が開いてタニシさんが入ってくるところで、彼女は頬を膨らませてちょっと怒り顔だった。……結構年いってるだろうに、似合うなあその顔。
「もう、どうして逃げちゃうんですか」
「あ、その、す、すいません……えへ、えへへ」
寛いでいた体勢からさっと体を丸めて太ももの間に両手を差し込みつつ、なんとか言葉を返す。
長い付き合いの相手でもどもっちゃうのは仕方ない。これはもう、俺のキャラみたいなもんだ。
もう何年も人付き合い繰り返してきたのにぜーんぜん治る気配がないんだから、どうしようもないでしょ?
……なので治す気はもうない。
いいじゃん、意思疎通できるんならさ。むしろ、人と会話できるんだよ? それだけで凄いって言えるだろ!
「そ。それで、あのお……」
「天下一武道会の観戦に一緒に行きませんかって、お誘いしたかったんです」
結局なんの用だったのか、って聞きたかった俺の意図を察して答えてくれた彼女は、すぐ隣に座ると、持っていた一枚の紙を俺にも見えるように広げた。チラシだ。
チラシには『第23回天下一武道会、開催!』の字が躍っている。
この時期の大会は、まだマイナーなものなんだったっけ。
テレビとかで放送されるようになるのはミスターサタンが優勝する頃で……つまり、今ならばまだ観戦しに行くのは割と簡単である、と。
しかし、俺は知っている。
この大会は危険だ。
ピッコロは観客がいたって容赦なく気功波を撃ちまくるし、超爆発波で会場とその周囲を消し飛ばしてしまう。
光弾は俺が気合いで掻き消せばいいだけだし、天津飯の回りにいれば爆発波はなんとかなるだろう。
でも万が一って事もあるから、なんとか彼女に武道会の観戦をやめさせなければ。
タニシさんにもしもの事があったら、きっと俺は笑顔でいられなくなってしまう。二度とアイドルなんてできないし、ドラゴンボールのお話どころじゃなくなっちゃう。
浅い付き合いではないのだ。失くしたくない人。
……何を言えば行くのやめてくれるかな。
こんなに行きたがってる彼女に「NO!」を突きつけられるほど俺は対人能力に優れてないし、口が上手い訳でもない。
……なら正攻法だ。
「あっ、あっ、お仕事、あるじゃないんですか?」
「ふふっ、大丈夫ですよ。きっちりお休みが取れるよう、調整いたしますから」
なんとっ。
彼女の有能さが障害になる時がくるとは夢にも思わなんだ。
「でも……」
「ナシコちゃん」
なおも言い募って、なんとか行くのをやめさせようとする俺の肩に手を置いた彼女は、優しげな笑みを浮かべて顔を寄せてきた。
「休むのも、仕事の内ですよ」
「あっ……」
完全論破。
俺が人様に口で勝とうなぞ百年早かったようだ。
仕方がないのでその気になった俺だぜ。
いそいそと出かける支度をして、タニシさんに一言断ってから近くの100ゼニー均一ショップへと走った。
購入したのは無地の布と細長い木の棒。それだけ。
事務所に戻り、休憩時間を利用してこれらで工作する。
完成したのは『頑張れマジュニア!』とマジックで書かれた応援旗だった!
そしてタニシさん用に『負けるな孫悟空!』と書かれた応援旗も作成し、彼女に手渡す。
「……?」
まだ大会に参加する選手の名前なんてわからないのになぜ、みたいな顔をしているタニシさんに、「まあいいじゃないですか」とてきとーな言葉を投げかけておく。
幸い孫悟空は前回の大会で準優勝しているから、その実績に彼女は納得して小さく旗をふりふりした。ちょっとかわいいと思ってしまった。
「さ、そろそろレッスンの時間ですよ。今度の曲は三人ユニットで、でしたね」
「はい。えと、ベテランさんと、新人の子と組むんです……」
「ふふ、頑張ってくださいね!」
「は、はいっ」
初めてのチームでの行動に不安がいっぱいだが、アイドルモードの俺に敵はない。「私、甘いものがだぁいすき!」とか恥じらいもせず言っちゃうような奴なのだ。……俺だけど。
ちなみに、普段の俺もアイドルの
「あ、そうそう」
扉に手をかけたところで思い出したような声が聞こえてくるのに振り返れば、タニシさんが顎に指を当てて思案顔をしていた。
なんだろう。何か言い忘れた事でもあったのかな。
「後で、『ぴっころさん』という方についてお話聞かせてくださいね?」
「ひぇ」
やだ、笑顔なのに怖い。
アイドルに恋愛はご法度だもんね。口は災いの元、だ。
ひーん。
◆
飛んで、5月某日。
俺達は天下一武道会会場へと足を運んだ。
ちなみに俺はウィッグと眼鏡で変装している。これでも結構有名人なのだ。せっかくの大会をお騒がせしたくないので三つ編みまでして地味子になってみたぜ。
いやあ、この時ばかりは成長しちゃってて良かったなって思った。
もしも今の俺がまだろりろりしいボディを保っていたら、溢れ出るかわいさに誰もが気付かずにはいられんかっただろうからな。はっはっは。
「あら? あれはひょっとして、孫悟空さんでは?」
と遠くを指差すタニシさんは、帽子をかぶって薄着してる程度で変装とかはしていない。彼女は有名人って訳でもないからね。俺だけばりばり変装してる。……お忍びデート、みたいな感じ?
指の先に視線をやれば、受付前に集まる小集団が見えた。
なるほど確かに悟空がいる。背が伸びて凛々しくなった。これじゃあもう「悟空」だなんて呼び捨てにはできないよ、「悟空さん」だよ。ふああ……見てるだけでドキドキしてきたあ。
でも彼はチチさんの婿なので危険な恋はしないのです。そもそも俺、心は男なままだしね。
それでも惚れちゃうのが彼の魅力だ。
そいでもって割と近くの人混みの中に緑色も見つける事が出来た。ターバンで触角を隠したピッコロ大魔王の生まれ変わりこと、マジュニア選手だ。
「大きくなりましたねえ、孫選手……なんだか怖い顔してますけど、緊張しているのでしょうか」
「怖い顔?」
タニシさんの言葉が気になって悟空の方を見れば、たしかに怖い顔をしてきょろきょろしている。
きっとピッコロの気を感じ取ったのだろう。ふふふ、二人の試合が今から楽しみだ。耳を澄ませばざわめきの中にある彼の声を聞き取る事ができる。
「この会場にもっととんでもねえ奴がいる……そんな気がするんだ」
「え? おい、誰なんだよ、そのとんでもない奴って」
「わかんねえ……気配がでかすぎて、どこにいるのかすらわかんねえんだ。オラ、こんな超パワーの気感じんの初めてだ……!」
あら^~。戦慄する悟空とクリリンの会話に、こっちまで緊張した空気が伝播してきて胸が高鳴る。
やっぱ原作の物事は間近で見るのが一番だ。ただ傍で見て、聞いているだけなのにこんなに心が躍るなんて、アイドルやってるのと同じくらい楽しいじゃないの!
「チッ……どこだ、どこにいやがるんだ……!?」
一人うきうきと盛り上がっていれば、俺の地獄耳がピッコロヴォイスを捉えた。
あれっ。あなたさっき、しっかり悟空の事見てなかった?
いったい誰のことを探してるんだろう。
「そろそろ観戦できる場所へ移動しましょうか」
「あ、はい」
考えてもわからないので、思考を放棄する事にした。
タニシさんに促されるまま歩き出す。
と、後ろからヤムチャの声が聞こえた。
「そういやブルマ、ナシコちゃんはどうしたんだ? 大会にエントリーはしていないみたいだが」
ドキッ。
な、なんでヤムチャは急に俺のような超銀河アイドルの事を話題に出したんだ?
……いや、言葉から察するに、三年前にでしゃばったのが原因だろう。
あの一瞬だけで強キャラ認定でもされてしまったのだろうか?
「はあ? 当たり前でしょ。あの子アイドルよ? ア・イ・ド・ル。戦える訳ないじゃない」
「ああいや……」
彼らから離れて行く俺に代わってブルマさんが言い返してくれた。
そーだそーだ、アイドルはかよわいんだぞー。
……嘘です。毎日鍛えてるから、正直強いよ。
神龍から貰ったスーパーパワーは衰えるどころか日々増していってるんだから。
きっと現地球最強は俺だね。
……あ、地球には魔人ブウが眠ってるんだったな。
地球人最強は俺、という事でひとつ。
「おいヤムチャ、そのナシコってのは……」
「ああ。あの時の女の子だ」
天津飯とヤムチャの交わした言葉を最後に声は聞こえなくなって、俺は非常にもやもやした気持ちで観客達の波に紛れ込んだ。