第百二十一話『世界の終わり、世界の始まり』
1938年、ドイツの化学者であるオットー・ハーンは放射線の研究中に原子核分裂を発見。翌年、シラード、エンリコ・フェルミ、フレデリック・ジョリオ=キュリーの三人によって核分裂の連鎖反応が確認される。それにより、各国では原子炉の開発が開始された。
その年の九月、まるで導かれるように第二次世界大戦が勃発した。世界中で原子炉の革命的なエネルギーを兵器として利用する為の議論が交わされ、1941年の十月にイギリスのMAUD委員会が核爆弾製造の実現が可能である報告をアメリカ合衆国にもたらした。
当時、レオ・シラードという科学者がアルベルト・アインシュタインを含めた大勢の科学者達の署名を集め、ナチス・ドイツによる核爆弾の保有の危険性を訴えていた。
世界の敵たるヒトラーが核を保有する可能性。そして、それが実現可能である証明が齎された事で、当代の合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは《秘密開発プロジェクト・マンハッタン計画》の発動を決断した。
超大国アメリカのすべての叡智を結集した一大プロジェクトは、遂に三つの核爆弾を完成させる。その内の一つ《
人類史上最強最悪の兵器の使用は世界を震撼させた。
「……嘘だろ」
核爆弾使用の命令が下された時、多くの人々がその言葉を口にした。
実験では幾度も使用されている。そして、その度に凶悪な特性や破壊力を示し続けて来た。
一度放てば、他の核保有国も放つ。そして、世界は終わる。だから、使わない。
存在する事で世界を恐怖によって纏め上げるもの。
人類最大の禁忌。
それを使用する事の意味を解せない者などいない。
「血迷ったのか!?」
その命令を下した者達は彼らにとって遥か天上の人物達。けれど、それでも言わずにはいられない。
世界が終わるのだ。
嘗て、《現代物理学の父》と評された偉大な科学者であるアルベルト・アインシュタインは告げた。
―――― 第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。
これはハリー・S・トルーマン大統領に向けた書簡に記されたものだ。
第三次世界大戦が起これば、もはや何も残らない。科学文明は滅亡し、人は原始の時代に戻るだろう。
人類は既に瀬戸際に立たされていたのだ。
けれど、賽は投げられた。
核爆弾は世界大戦の引き金だ。もう、逃げられない。もう、助からない。
誰もが映画の主人公にはなれるわけではない。むしろ、核戦争で生き残る事が出来る可能性など0にも等しい。
逆らえば殺されると分かっていても命令に逆らう者がいた。
逃げ出した者がいた。
家族に手紙を認め、神に祈る者がいた。
恐怖で心を病む者がいた。
それでも、動き出した時の流れは止まらない。
その命令を止めようとした者は魔法という抗う事の出来ない力によって従順な奴隷に変えられた。
核爆弾発射の命令から僅か一時間で発射の準備は完了した。そして、全ての核保有国の元首達は同時に発射の命令を下した。
第百二十一話『世界の終わり、世界の始まり』
ホグワーツ魔法魔術学校の上空に彼女はいた。
偉大なるホグワーツの創設者の一人にして、《死》と呼ばれる災厄。
ロウェナ・レイブンクローは邪悪に嗤う。
「科学とは生き物です。彼らは常に進化していく。一つの科学が次の科学へ繋がっていく。そこにあるのは発見であり、創造ではない。マグルは彼らの導きに従う奴隷でしかない。そして、科学は遂に到達すべきところに辿り着いた。だから、不要な奴隷を切り捨てる為に《世界を終わらせる兵器》を作らせた」
彼女はマグルを侮ってなどいない。けれど、脅威とも思っていない。
真に脅威たるは科学。この世界が創造された瞬間からデザインされていたもの。知性を持った生物に搭載されている
科学はいずれ魔法すら駆逐して、人類すべてを滅ぼす。
「増え過ぎた人類も劣等種も間引きました。後は科学文明を滅ぼし、偉大なる王を迎えるだけ……」
遂に辿り着いた。
千年という月日はすべて、この時の為にあった。
―――― 君の望みはなに? それって、本当に世界を変えなきゃいけない事なの?
一瞬、呼吸が止まりかけた。
どうしてなのか分からない。
―――― 僕、力になりたいんだ!
頬に冷たい感触が走る。
指でなぞると、濡れていた。
「……わたくしは世界を救うのです」
それが己の存在意義であり、義務なのだ。
「どうして、あなたの言葉は……」
彼方から音速を超えて大量のミサイルが飛来してくる。ロウェナはその全てを停止させた。如何なる装置で動いていても、未だに人類は魔法を解明出来ていない。グリンデルバルドが筆頭となり、幾重にも呪文を重ねているけれど、そんなものに意味はない。魔法に対する理解も、扱う技術も不足している。それではロウェナの魔法に対抗する事は出来ない。
その物体の時を完全に停止させてしまえば、核爆弾だろうと無力となる。
「……滅びなさい、科学文明よ」
すべての核爆弾が反転する。飛んできた方向へそれぞれが戻っていく。
慌てた各国が迎撃ミサイルを発射するけれど、そのミサイルもロウェナの魔法によって発射地点へ戻っていく。
そして、世界は核の炎に包まれた。
■
世界は核保有国が核を使用した事を識った。
そして、遂に第三次世界大戦の火蓋は切られた。
その事態を避ける為に核の使用を決断した元首達はそれぞれが発射した核によって天に召され、もはや止められる者など残っていない。
「……ははっ、ハッハッハッハッハッハッハッハッハ!」
ゲラート・グリンデルバルドは壊れたように嗤っていた。
ようやく気がついた。己は利用されていた。その事を自覚出来た時点で、己が用済みとなった事も識った。
まさに道化という他ない。正しい事をしている気になって、世界を最悪な状況に導いた。アルバスの事を想った気になって、彼を殺害した。
こんな筈ではなかった。たとえ、誰に恨まれても、呪われても構わない。ただ、世界を救いたかった。
それだけがアルバスに対する罪滅ぼしになると考えたからだ。
愛していた。今も愛している。あの世で再会した時に許してもらいたい。愛してもらいたい。
ただ、それだけだった。
「アルバス……。ああ、アルバス。わたしの愛しいアルバス。すまなかった。わたしは……、わたしは……」
世界を滅ぼした大罪人。その結果だけが残った。もはや、アルバスに愛してもらえる筈がない。
若返りの秘薬によって二十代の肉体に戻っていた筈の彼の顔は見る間に萎びれていき、まるで老人のようになってしまった。
□
ルーファス・スクリムジョールは立っていられなかった。
悪意を持って悪を討つ。その決意の結果がこれだ。全人口は更に半減してしまった。第三次世界大戦が勃発して、各国は敵が誰かも分からないまま、泥沼の中を藻掻いている。
最初の核爆弾の爆発によって情報、物流、生産、政治のすべてが麻痺してしまっている状況なのに、それでも戦争だけは止まらない。それを煽る者、導く者が居る為だ。
既に小国の幾つかは滅亡した。
「……わたしがグリンデルバルドを解放したからだ」
勇猛果敢な闇祓い局の局長。
彼の心は折れていた。
「わたしのせいだ……。すべて、わたしの……」
いっそ、ハリー・ポッターの後を追って、自害しておけば良かった。
「おお……、おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
あまりにも大き過ぎる罪の意識が彼を押し潰した。
髪は真っ白になり、声はやがて小さくなり、ただ小刻みに震える事しか出来なくなった。
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イギリス魔法界はルーファス・スクリムジョールがいた事で辛うじて体裁を保てていた。けれど、彼の統率を失った事で一気に混乱が広がっていく。
あまりにも強大過ぎる敵の存在。国の中枢が核爆弾によって壊滅しているにも関わらず戦争の為に人命や物資が一刻毎に消費されていく現況。
誰の心にも絶望が広がっていた。
「立ち上がるのだ!」
その時だった。一人の男が声を上げた。
ルシウス・マルフォイは俯く職員達に声を掛けていった。
「まだ終わりではない! 我々は明日を掴む事が出来る! 《救世主》は存在するのだ!」
救世主が存在する。
その言葉を発したのは彼だけでは無かった。
ホグワーツではマクゴナガルがその言葉と共に消沈する教師や生徒達を励まし、ジャーナリストのクリストファー・バーレンを筆頭に、各国の報道も救世主の存在を示唆した。
「救世主は存在するのです! 我らを導く、偉大なる王が!」
それを直ぐに信じる者は稀だった。
けれど、状況が深刻化する程に、その言葉を信じる者が増え始めた。
「我らを救う救世主! 偉大なる王!」
その信奉が一線を超えたものとなった時、ロウェナの仕掛けた魔法が発動した。
魔法とは心で操るもの。呪文とは心の所作。
生き残っている人類の心の力は束ねられ、現世と冥界の間に道が開かれた。