【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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第百二十六話『夢現』

 恋! それはとても素敵なもの。そして、ロンにとっては初めての経験だった。

 ロウェナは可愛い。そして、信じられないくらい優しくて賢い子だ。

 あまりにも魅力的過ぎる彼女に、ロンはすっかり夢中になっていた。

 

「こっちよ、ロン!」

「う、うん!」

 

 彼女と遊んでいれば、その内に元の世界へ帰れる。そう言われたから、深く考えずに遊んでいた。

 草原を転がり回ったり、花畑を見たり、楽しい時間が過ぎていく。

 

「ここよ!」

 

 ロウェナはロンを川に案内した。水が驚くほどに澄んでいる。

 特に何も持たずに来てしまったけれど、見ているだけでも十分に楽しめる。

 そう思っていると、ロウェナはおもむろに服を脱ぎ捨てた。

 

「なにしてんの!?」

 

 慌てて顔を両手で塞ぐロン。けれど、その指の隙間はとても大きかった。

 

「何って、水に入るんだから服を脱ぐのは当然でしょ?」

 

 あっけらかんと言う彼女にロンは鼻の下を伸ばした。好きになった女の子の裸。14歳という思春期真っ盛りの彼には見ないという選択肢が存在しなかった。

 

「そ、そうだねー! 当然だよねー! はっはっは!」

 

 煩悩に従うロン。指の隙間からチラチラ見えていた彼女の肢体を見た。

 そして……、言葉を失った。

 

「……どうしたの? その怪我……」

 

 彼女の体は傷だらけだった。青あざに切り傷、火傷の痕まである。どう考えても自然に出来るものじゃない。

 

「あなたなら気にしないかと思ったけど、さすがに見苦しかった?」

「そうじゃないだろ!?」

 

 ロンが叫ぶと、ロウェナは首を傾げた。

 

「遊んでる場合じゃないよ! 早く治療しなきゃ!」

 

 その言葉に、ロウェナは苦笑した。

 

「なるほど、君は同情してるんだね。でも、大丈夫。見た目ほど痛くないのよ?」

「痛くない筈無いだろ!?」

 

 赤黒く変色している肌を見て、ロンは泣きそうになった。

 

「……大丈夫よ、ロン」

 

 ロウェナはロンの涙を指で拭った。

 

「本当に大丈夫なのよ。慣れてるから」

「慣れてる!? こんな怪我に!?」

 

 ロンは吠えるように叫んだ。そのあまりの大声にロウェナは少し気圧されてしまった。

 

「この怪我! どう考えても転んだとかじゃないよね!? 誰にやられたんだ!?」

 

 怒りの余り、ロンの顔は真っ赤になっていた。それはロウェナにとって望ましくない事だった。

 

「怒らないで、ロン」

「怒らないで!? 怒ってなんかない!」

 

 明らかに怒っている。ロウェナは困ってしまった。こんな事は滅多にない。

 ロウェナは随分と前に親に捨てられた。自分達の知らない知識や理外の知恵を当然のように操り、見ず知らずの人間に自分達の食料を分け与えようとする娘を持て余したのだ。

 両親だけではない。最初は同情してくれた人達も、彼女の美貌に対して好意的な印象を持った者達も、彼女の驚異的な頭脳とずば抜けた優しさを識ると離れていった。

 ロウェナの為に怒る人など、もう随分と出会っていなかった。

 

「……ロン。わたしって、変?」

 

 喜んではいけない事なのに、彼の怒りが嬉しい。

 いつ振りかも分からない感情の喚起に、ロウェナはつい本音を漏らしてしまった。

 自分が他者とは異質である事を、賢い彼女は自覚していた。けれど、認めたくなかった。

 彼女は人間なのだ。誰よりも優れた頭脳と、誰よりも深い情を持つだけの人間なのだ。

 人間だから、不安を抱く事もある。異質である事に苦悩する。

 

「変って、なにが?」

 

 ロンは困惑している。

 

「……この火傷は火事になった家から赤ちゃんを助けた時のものなの」

 

 ロウェナは言った。

 

「この噛み傷は野犬に襲われている子を助けた時のもの。この切り傷は近所の夫婦喧嘩を仲裁した時のもの。この怪我は川で溺れていた子を助けた時のもの」

 

 ロウェナは傷の理由を一つ一つ丁寧に語った。

 

「誰かにつけられたものじゃないのよ。わたしが自分の意志で負ったものなの」

「……なんで?」

 

 ロンには分からなかった。

 痛くない筈がない。苦しくない筈がない。それほどの大怪我だ。

 

「わたし、困っている人を助けたいの」

 

 ロウェナは言った。

 

「そんな怪我を負ってまで……?」

 

 ロンの声は震えていた。その反応にロウェナは悲しげな表情を浮かべる。

 

「……うん。わたし、どんなに痛くても、どんなに苦しくても、助けたいの。悲しいのはイヤなのよ。笑顔が好きなの。みんなに幸福でいて欲しいの!」

 

 その言葉にロンは言葉を見失った。

 

「わかってるわ」

 

 そんな彼を見て、ロウェナは俯きながら言った。

 

「お母さんやお父さんにも言われたわ。村の人達にも……、わたしはおかしいって……。変だって……」

「おかしくなんてないよ!!」

 

 ロンは叫んだ。

 

「おかしくなんてない! ただ……、ただ……」

 

 苦しげな表情を浮かべる彼に、ロウェナは狼狽えた。

 おかしくない。そう断言された事以上に、彼がこれから何を言うのか不安だった。

 もしかしたら、彼なら肯定してくれるかもしれない。そう、僅かに期待していたのだ。

 僅かな間だけど、接していて分かった。ロン・ウィーズリーという少年は凡庸だ。どこにでもいる普通の男の子だ。ただ、少しお調子者で、そして、優しい人だ。それに、彼は明らかに自分に好意を抱いていた。

 本音はともかく、拒絶する事なく、自分に気に入られる為に言葉を選んでくれる。そう思っていた。

 だから、『ただ……』の後に続く言葉が怖かった。

 

「君は間違えてる!」

 

 その言葉に落胆するより早く、彼は彼女の肩を掴んだ。

 痛くない。まるでガラス細工を触るかのように、彼の手は優しかった。

 

「困っている人がいたら助けるのは当たり前だよ! 僕だって、みんなが不幸でいるより、幸せでいてくれた方がいいさ! 悲しい顔より笑顔が好きだよ!」

 

 その言葉にロウェナは俯いていた顔をあげた。

 

「だけど、それは僕が幸せだからだ!」

 

 ロンは言った。

 

「ロウェナ! 僕は僕が幸せだって事を知ってるんだ! そりゃ、おさがりばっかりな事に不満はあるさ! ハリーみたいなスーパーマンじゃない事を僻んだ事もあるよ! 兄貴達みたいに立派になりたいと思ってる! ママに怒られる事もしょっちゅうさ! だけど、幸せなんだ!」

 

 その言葉はロウェナの心を揺さぶった。

 

「僕は家族が大好きだ! 大嫌いなパーシーだって、本当は大好きさ! アイツがママに手紙を送ってくれたおかげで新品の杖でホグワーツに入学出来た! 勉強だって、イヤだって言っても教えてくれた! 意地悪してくるフレッド達だって、面白いジョークを教えてくれるし、悪戯グッズをくれたりもする! ママの料理はいつだって絶品さ! ……サンドウィッチは微妙だけど」

 

 ロンは言う。

 

「友達がいて、家族がいて、夢中になれるものがある! 幸せなんだ! だから、他の人も幸せな方が良いって思えるんだ! 僕が幸せだからだ!」

 

 涙を零しながら、彼は傷だらけな彼女の体を見つめる。

 

「君が誰かの幸せを願うなら……、まずは君が幸せにならなきゃダメだよ!」

「わた、しが……」

 

 ロウェナは目を見開いた。

 

「そうだよ! こんな怪我ばっかりして、さっきの口振りだと家族や周りの人とも上手くいってないんだろ……?」

 

 ロウェナは押し黙った。図星だったのだ。

 

「怪我を治すんだ、ロウェナ! 家族とも仲直りするんだ! 僕も手伝うから! 君はまず、君を幸せにしなきゃ! それからだよ! なにもかも!」

 

 ロンはロウェナの手を掴もうとした。すると、まるで靄のようにすり抜けてしまった。

 

「……え?」

 

 気がつくと、世界が白一色に変わっていた。

 

第百二十六話『夢現』

 

「な、なに!?」

 

 ロンは慌てながらもロウェナを守ろうとした。だけど、彼女の姿はどこにもなかった。

 

「ロ、ロウェナ!? どこ!?」

 

 ―――― 彼女はいないよ。

 

「え?」

 

 どこからか声が響いた。

 

 ―――― 彼女も言っていたように、君は夢を見ているんだ。

 

「夢って……、でも、ロウェナは……」

 

 ―――― 本当はもう少し長く視てもらう筈だった。だけど、君は彼女を変えてしまった。決定的に……。

 

「ど、どういう事……?」

 

 ―――― あの時、君と出会っていれば、彼女は別の道を歩んでいた事だろう。だけど、現実は違う。彼女は彼女のまま、彼女の道を歩んだ。

 

 よく分からない。あまりにも曖昧な言い方だ。ロンは少しイライラした。

 

「何が言いたいの!?」

 

 ―――― 彼女は自らの幸福を望まぬまま、見知らぬ誰かの幸福を望み続けた。君の言う、間違えたまま……。

 

「ど、どういう事だよ!? だって、ロウェナはさっきまでそこにいたじゃないか!」

 

 ―――― 彼女は過去だ。だから、君が変えてしまった時点で世界は終わりを迎えた。

 

「ロ、ロウェナが死んじゃったって事!?」

 

 ―――― そうじゃない。そうじゃないんだよ、ロン。彼女は生きている。ただ、間違えたまま、今に至ってしまった……。

 

「ど、どういう事……?」

 

 さっきから、どういう事? しか言ってない気がする。

 

 ―――― ロン。君は……いや、まさかロウェナの名前を聞いても気づかないとはさすがに思わなかったのだけど……、まあ、君だから仕方ないのかもしれないが……、

 

「もしかして馬鹿にしてる!?」

 

 ――――― い、いや、そんな事は……。と、とにかく!

 

「おい、誤魔化されないぞ!?」

 

 ―――― とにかく!!

 

 謎の声は声を張り上げた。誤魔化す気だとロンは見抜いていたけれど、かなりドスが効いていて気圧されてしまったのでそれ以上は追求しなかった。

 

 ―――― 彼女は生きている。そして、今も間違えている。彼女の間違いを正せるのは……、きっと君だけだ。

 

「……お前、誰なんだ?」

 

 問いかけても返事はなかった。

 やがて、世界はゆっくりと暗くなっていった。

 完全に闇に消える前、ロンはそれまでいた白い世界がグリフィンドールの談話室に似ている事に気付いた。

 そして……、夜が明けた。


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