コリン・クリービーはカメラのレンズを磨きながら考えていた。
彼は牛乳の配達員の息子として生まれ、ホグワーツに入学するまでは魔法なんて夢物語の産物だと確信していた。
けれど、同時にコミックスや映画のヒーローに対する憧れを抱いていた。彼らが実在する事を夢見ていた。
魔法界の存在を知った彼は、同時に英雄の存在も知った。
ヴォルデモートという闇の帝王を打ち倒した少年。彼の武勇伝は既に非公式の書籍となって出版されていて、教科書を買う時に購入したその本をコリンは夢中になって読み耽った。
かの英雄は、千年以上も謎に包まれていた《秘密の部屋》を見つけ出し、伝説的な怪物である《バジリスク》を使役し、究極の闇の魔術と言われる《悪霊の火》を使いこなす。そして、復活を目論んでいたヴォルデモートを二度も一方的に撃退した。
コリンにとって、ハリー・ポッターはまさにスパイダーマンやバットマンにも引けを取らないヒーローだった。
「会いたいなー。一緒に写真を撮って欲しいなー。サインが欲しいなー」
ベッドの上でコロコロ回りながら彼は唸る。
本当なら今すぐにでも駆けつけたい。カメラを手に、一緒に撮ってくださいとお願いしたい。
けれど、上級生達が許してくれなかった。
―――― 命が惜しければ、ハリー・ポッターには近づくな。
ハリーの武勇伝を口にする時、彼らは熱に浮かされたような表情を浮かべる。そして、その熱は語れば語る程に冷めていく。最後は青褪め、震え出す。
誰かが言った。
―――― 闇の帝王が打倒された。それはつまり、闇の帝王を超える者が現れたという事だ。
語り始めの熱は現実から逃避する為のもの。
彼らの脳裏には未だに大広間で二度引き起こされた恐怖の光景が焼き付けられている。
一切の躊躇いもなく殺害されたクィリナス・クィレル。あと一歩で殺害されそうになったハリーの親友であるドラコ・マルフォイ。
現実に目の前で一人は死に、一人は殺されかけたのだ。
その事実は生徒達の心に大きな爪痕を遺していた。
親友すら、殺しかけた事が恐怖に拍車を掛けた。彼が殺すと決めたなら、相手が誰であっても関係などないのだと理解させられた為だ。
―――― 彼は、まさに『
そう呟いたのは最上級生の男子生徒だった。コリンから見れば、既に大人の仲間入りをしている彼が青褪めた表情で怯える姿はあまりにも異様だった。
それでも、コリンの好奇心と憧憬の念は消えなかった。
むしろ、《
第二十七話『コリン・クリービー』
それから、コリンは遠目からハリーの事を観察し続けた。すると、おかしな事に気がついた。
まず、ハリーは殺しかけた筈の親友と未だに親友を続けている。
彼に殺されかけた当事者であるドラコ・マルフォイはハリーと親しげに会話を交わし、時には彼を窘めさえする。
それに、ハリーは一年生のローゼリンデに対して非常に優しく接していた。特に厳しく叱りつける事もなく、図書館では勉強をみてあげている。
数日観察を続けて、コリンは考えた。
「……もしかして、先輩達は大げさな事を言っているだけなのかも」
コリンは試しに数人の上級生達に同じ質問をしてみた。
「あなたはハリーに直接何かをされた事があるんですか?」
答えは十人が十人ともNoだった。誰もハリーから直接傷つけられた事など無かったのだ。
コリンはいよいよ上級生達がただの臆病者に思えてきた。
そして、新学期が始まってから最初の週末である日曜日、事件は起きた。
ハリーがスリザリンのシーカー選抜試験を受ける事になったのだ。ホグワーツは上も下も大混乱だった。
曰く、闇の魔術に対する防衛術の先生は毎年変わるらしい。けれど、今年に限ってはスネイプ先生が続投していて、その事を誰もが不思議がっていた。
そして、その理由は去年の闇の魔術に対する防衛術の教師であるクィリナス・クィレルがハリーに殺されたのが新学期開始から一週間後の事だった為に、一年が終わってもスネイプの任期が一週間伸びたのではないかと誰ともなしに言い始めた。
スネイプの任期が終わる日とスリザリンのシーカー選抜試験の日が重なった事で、ハリーがシーカーになれない怒りからホグワーツを焼き尽くすのではないかという噂が流れ始めた。
「……ひょっとして、先輩達はバカなんじゃないかな」
コリンを含めた一年生達はローゼリンデを除いて全員が大広間に集められていた。そこで右も左も分からないまま閉じ込められた。
事情をそれなりに知っている生徒達が不安そうに囁き合うけれど、コリンはちっとも怖くなかった。上級生達が心配するような事などあり得ないと分かっていたからだ。
「バカってどういう事だい?」
ルームメイトのアレン・マクドネルが問いかけると、コリンは一週間に及ぶ調査の結果を彼に語った。
「結局、だーれもハリーに攻撃された事なんてなかったんだ! それなのにハリーを怖がってる! 一番怖がってなきゃいけない筈のドラコは怖がるどころかハリーを叱ったりしてるんだよ! それなのにドラコは死んでない! 先輩達は大げさなのさ!」
コリンの演説にアレンや他の聴衆達は感心したように頷いた。
「たしかに、ただ試験を受けてるだけなのにこんなドタバタしてバカみたいだよな!」
「わたし達を連れて来た先輩なんて、真っ青な顔して《ハリー怖いハリー怖い》って怯えてたわ」
「かっこわるーい」
去年の事件を直接見ていない一年生達にはコリンの意見こそ正しいと思えた。実際、この一週間、ハリーは特に何もしていない。それに、コリンの言う通り、彼がローゼリンデに熱心に勉強を教えてあげている所を目撃していた生徒も多かった。
「今日だって、きっとなーんにもないよ」
そのコリンの予言は的中した。結局、ハリーは試験に落ちてもホグワーツを燃やさなかったし、それどころか勝者のドラコを讃えていた。
それなのに上級生達は何故か勝者でもなんでもない試験官のフリントを褒め称え、ホグワーツが燃えなかった事を喜んだ。
一年生達は呆れ果てていた。
◆
嵐のような週末が終わり、翌日の月曜日、コリンは意を決して立ち上がった。
ハリー・ポッターは怖い人じゃない。そう結論づけたのだ。
早朝、コリンは大広間の前でハリーが来るのを待った。
「来た!」
コリンはドキドキしながらハリーの前に飛び出した。
すると、ハリーは目を丸くした。隣にいたローゼリンデも驚いている。
「あ、あの! は、ハリー! 僕、僕はコリン! コリン・クリービーと言います!」
「お、おう」
周囲がざわついたけれど、コリンは気にしなかった。
「あ、あの、構わなかったら写真を撮ってもいいですか!?」
「写真?」
ハリーはコリンの首から提がっている大きなカメラを見た。
「ずいぶんと立派なカメラだな。しかし、どうしてまた?」
「僕、あなたが凄くかっこいいと思います! あの《例のあの人》を三度も倒したとか! 伝説の《秘密の部屋》を発見して、《バジリスク》を従えたとか!」
ハリーはコリンの言葉に鼻を大きく膨らませた。
こうして去年の事を偉業のように褒め称えてくれた人間はあまりいなかった。尊敬してくれているローゼリンデも何がどう凄いとは言ってくれないのだ。
ドラコやハーマイオニー、ロンは《ヤバい奴》としか言わないし、フレッドとジョージ、パーシーも去年の事にはあまり触れてくれない。他の生徒達は大半がハリーを怖がっている。
ハリーはまたたく間にコリンを気に入った。
「……ふ、ふふ、そうか! 写真だったな! いいだろう、許してやる! 存分に撮るが良い!!」
「いいんですか!? じゃ、じゃあ、あの! ぼ、僕があなたと並んで撮ってもいいですか!? それから写真の裏にサインもしてくれますか!?」
ハリーはニヤケ顔を必死に抑えた。
「コリンだったな。いいぜ、一緒に撮ろうじゃないか! 来てくれ、マーキュリー!!」
ハリーが叫ぶと、バチンという音と共にマーキュリーが現れた。
「参上致しました、ハリー・ポッター様!」
マーキュリーの出現にコリンは目を丸くした。
「おい、コリン」
「は、はい!」
「カメラの使い方をマーキュリーに教えろ。マーキュリー、すまないがカメラでボク達を撮ってくれないか?」
「かしこまりました!」
ハリーはダイアゴン横丁で巨匠ロックハートに仕込まれた最高の笑顔を浮かべながらコリンと肩を組んだ。ポーズもロックハート仕込みだ。
マーキュリーは撮影方法をコリンから教わり何度もシャッターを切った。
「ハリー・ポッター様、次はこのようなポーズで! コリン様も指をこう!」
マーキュリーは拘るタイプだった。
何枚か撮影すると、ローゼリンデがハリーの服を掴んだ。
何も言わない彼女に、ハリーは笑いかけた。
「よし、次はロゼも入れるぞ! 構わないか? コリン」
「は、はい! もちろんです!」
「え? わ、わたしはその……」
「いいから、一緒に撮るぞ!」
ハリーはローゼリンデの肩に手を回した。真っ赤になる彼女に構わずマーキュリーにシャッターを切らせる。
コリンはそんなハリーに瞳を輝かせた。
「な、何してるんだ?」
しばらくすると、ドラコが廊下の向こうからやって来た。
「よし、ドラコも撮るぞ!」
もはや、ハリーはコリンに許可すら取らなかった。
「は? え?」
困惑するドラコを撮影会に取り込む。
「あなた達、何してんの?」
「よし、貴様も特別に加えてやるぞ! 来い!」
「はい……?」
ハーマイオニーも取り込む。
「なにやってんの?」
ロンも有無を言わさず取り込む。
「なんだなんだー!?」
「面白そうな事やってんじゃーん!」
フレッドとジョージは言わなくても入って来た。
「……君達、朝食も食べずに何をしてるんだ?」
「パーシー!! あなたも是非!!」
「ほあ!?」
パーシーも引き込んだ。
「グレンジャー様! もっと視線をこちらに! ロナルド様! 前髪が目にかかっています! パーシー様、もっと顎をあげてください!」
徐々に大所帯となって来た撮影会。マーキュリーの指示が飛ぶ。
ハリーは楽しくて仕方がなく、コリンを肩車したり、ローゼリンデを抱き上げたりした。
「あなた達! もうすぐ授業が始まりますよ!」
すると、マクゴナガルがやって来た。
「先生! 一緒に撮りましょう!」
ハリーはマクゴナガルをカメラの前までエスコートした。
叱りに来たのにあまりにも嬉しそうに撮影に誘ってくるハリーにマクゴナガルは思わず写真を二枚撮ってしまった。
「……いえ、ですから! そろそろ授業が始まりますから!」
「ニュート! 待っていましたよ! こっちです!」
「え? この集まりはなんだい?」
遅れて朝食を食べに来たニュートもハリーに捕まった。
ハーマイオニーとパーシーは授業に遅れたくなくてこっそり抜け出そうとした。
「ウォッチャー、フィリウス!!」
バチンという音と共に逃げ出した二人は連れ戻された。
「よし! エグレも呼ぶぞ!」
「はぁ!?」
「お止めなさい!!」
「ちょっ!?」
「やっちまえ!!」
「サーペンソーティア・バジリスク!!」
ハリーが周囲の制止の声を無視して杖を振るうと、エグレが飛び出した。
『……いや、状況は理解しているが、正気か? マスター』
『エグレ! さあ、ポーズを取れ!!』
『ええ……』
エグレは渋々と自分で一番かっこいいと思うポーズを決めた。
「エグレ様、枠からはみ出ております! もう少し顎を下げてください!」
『えっ!? は、はい……』
普段はエグレに怯えきっているマーキュリーの指示にエグレはおとなしく従った。
今の彼女はプロのカメラマンだった。
「は、ハリー! 本当に授業が始まっちゃうから!!」
「マーキュリー達にそれぞれ送ってもらうから問題ない! よし、最後にマーキュリー達も入れ! あと、ドラコ! ドビーも呼べ!」
「かしこまりました!」
「……はいはい」
バチンという音と共に飛び出すドビー。
マーキュリー、ウォッチャー、フィリウス、ドビーの四人は枠ぎりぎりの所に行こうとしたけれどハリーに真正面に立たされた。
コリンを肩車して、ローゼリンデを自分の前に立たせ、ハリーは満面の笑顔を浮かべた。
そして、撮影会が終わるとみんなが慌てて大広間に残っている朝食をかき込むと、マーキュリー達にそれぞれの授業の教室へ送ってもらうのだった。
残されたハリーはマーキュリーに送ってもらう前にコリンに写真が出来上がったら持ってくるように命じた。
コリンは心底嬉しそうに「はい!」と頷いた。