ドラコ・マルフォイは隣席に座る魔法界の英雄を探るような目つきで見つめた。嘗て、魔法界を恐怖と絶望で彩った闇の帝王を打倒した彼の名前を知らない者はいない。
その知名度には大いなる価値が存在する。極端な事を言えば、あらゆる場面で彼が立つ側こそが正義となる。彼を取り込む事が出来れば、マルフォイ家の発言権は更に強まる筈だ。
そこまでの事を考えた上で、ドラコは慎重に言葉を選んだ。彼の組分け時の所作から、そのプライドの高さを嗅ぎ分けていた為だ。
「ハリーと呼んでもいいかい?」
「もちろんさ、ドラコ」
笑顔で握手を交わし合う二人の少年。それは、傍目からは無垢な友情のスタートに見える。
けれど、実際には違う。ドラコが如何にしてハリーを取り込み、利用しようかと企んでいるように、ハリーもマルフォイと名乗った少年の利用方法に思考を巡らせていた。
ハリーは《現代魔法界の有力者達》という本で、マルフォイという名を見た事があった。莫大な資産と権力を併せ持つ一族であり、現当主であるルシウス・マルフォイはホグワーツの理事も兼任しているらしい。
魔法界でNo.1を目指す上で、彼の家の財力と権力は実に有益だとハリーは判断を下したのだ。
「ボク達は良い友人になれると確信しているよ」
「僕もさ」
ハリーは心の中でほくそ笑んだ。
―――― 貴様のすべてを奪ってやるぞ。
ドラコは心の中でほくそ笑んだ。
―――― 名ばかりの道化が、精々僕の役に立つ事だな。
そうして、表面上は穏やかに友情を温め合う二人の前にたくさんの料理が現れた。どうやら、組分けはとっくに終わっていたらしい。
ハリーはゴクリとツバを呑み込んだ。嗅いだこともない素敵な香りに、思わず理性を失いそうになった。けれど、この場でそんな無様を晒せば、今後の学生生活は非常に屈辱的なものとなるだろう。
自制を働かせ、ハリーは家で密かに練習してきた魔法界のディナーのマナーを実践した。
「中々のものじゃないか」
隣でドラコが呟いた。彼の所作をチラリと確認したハリーは気づかれない程度に息を吐いた。それはハリーの知るとおりのものだったからだ。
安心して食事に臨むと、そのあまりの美味しさに何度も膝を抓らなければならなくなった。
ローストビーフの味わい、カルパッチョの舌触り、フレンチフライの香ばしさ、どれも素晴らしい。ペチュニアの料理など比較にならない程だ。まさに人生における至福の一時であり、がっつきたくなる衝動を抑えるのは至難だった。
それでも、しばらくすれば胃袋がいっぱいになり、ハリーも余裕を取り戻す事が出来た。
カボチャジュースを味わいながらドラコとホグワーツに纏わる会話を嗜んだ。
彼はスリザリンの寮監であるセブルス・スネイプとプライベートでも親交があるらしく、彼の授業が楽しみだと語った。
そうこうしていると目の前の大皿から食べ物が消え去り、一人の老人が立ち上がった。彼がアルバス・ダンブルドアだ。このホグワーツ魔法魔術学校の校長にして、近代の魔法使いの中で最も偉大な男と称されている。
「アルバス・ダンブルドアか……」
現魔法界のNo.1。それはつまり、ハリーがいずれ乗り越えるべき壁という事だ。
第四話『スリザリン』
『ヘイ、相棒。オレ様にも少し分けてくれないか?』
それまでハリーのローブの中でぐっすり眠っていたゴスペルが言った。汽車に残していけば、勝手に寮に届けてもらえるとの事だったけれど、ハリーはゴスペルと離れたくなかった。それに、トランクを見知らぬ誰かに触られるのも嫌だった。幸いにもゴスペルはハリーのローブに隠れられる大きさだし、トランクも中の広大な空間とは裏腹にとってもコンパクトだった。
『ああ、起きたのか。ほら、美味しいぞ!』
ゴスペルにステーキを与えていると、ドラコは間抜けな表情を浮かべた。
「なんだい?」
「それ、蛇かい?」
「ああ、かっこいいだろう? ゴスペルと言うんだ。ほら、『ゴスペル。挨拶をしてやれ』」
『オーケイ、相棒。よう、ドラコボーイ。聞こえているかは知らないが、オレ様はゴスペルだ』
ゴスペルが舌を伸ばしながらドラコにウインクを飛ばすと、いきなり周囲が騒然となった。
「冗談だろ!?」
「バカな!? 蛇語だと!?」
「うそでしょ!?」
「信じられない!」
「ありえない! 嘘に決まってる! 今のは蛇に話しかけたんじゃなくて、蛇に躾けた通りの動きをさせただけだ!」
一年生だけじゃない。上級生まで目玉が飛び出そうな程に驚いている。他のテーブルの生徒達もだ。
「は、ハリー! 君、パーセルマウスなのかい!?」
「ああ、その通りさ。信じられないのかい? だったら、証拠を見せてやるよ。そうだなぁ、『ゴスペル、ドラコ達にお辞儀をしてやれ』」
『お辞儀? これでいいのかい?』
『ああ、バッチリだ』
生徒達に向かってお辞儀をするゴスペルに、生徒達は言葉を失った。注がれる畏怖の視線に、ハリーは心地よさを感じていた。
徐々に言葉の使い方を思い出した生徒達は一斉にざわめき出した。
その喧騒をBGMに、ハリーはゴスペルと食事を楽しんだ。
『相棒はやっぱり特別だな!』
『当然さ! ボクは優れた人間なん……ッ!?』
『相棒?』
突然の事だった。いきなり、ハリーの額の傷痕が痛みを発し始めたのだ。
ハリーが咄嗟に額を押さえると、ゴスペルだけではなく、ドラコもハリーの異常に気がついた。
「どうかしたのかい?」
「いや、なんでもない。どうやら、大分疲れが溜まっていたらしい」
「ああ、そうだろうね。僕も眠いよ」
それからしばらくして、デザートが無くなった後もハリーの蛇語の事で盛り上がっていた生徒達をダンブルドアが二回の爆竹音で黙らせた後、諸注意を語り始めた。
そして、校歌斉唱が始まった。好きなように歌えと言うダンブルドア。
『ホッグホッグホグワーツ!』
ゴスペルは陽気に歌っている。ドラコはオペラのような歌い方で、近くの少女はジャズミュージックのような歌い方をした。
ハリーは口パクで乗り切った。まさか、歌を歌う事になるとは思っていなかったのだ。だから、歌の練習はして来なかった。歌はちょっと苦手なのだ。
歌が終わると、ハリーはドラコと共に監督生の後に続いて寮へ向かった。
「君、歌ってなかっただろ」
ドラコには口パクがバレていた。
「なんの事やら」
ハリーは誤魔化した。眠気の為か、ドラコもそれ以上は追求しなかった。
スリザリン寮は地下にあった。大理石に覆われた空間を緑のランプが照らしている。
『いいな、ここ! すごい落ち着くぜ!』
『それは良かった』
ハリーの眠気もその時点で極限に達していた。監督生に部屋割りを教えられ、ドラコと共になだれ込み、ほぼ同時にベッドに飛び込んだ。
「おやすみ、ハリー」
「おやすみ、ドラコ」
『おやすみ、相棒』
『おやすみ、ゴスペル』
そのまま、ハリーはあっと言う間に眠りについた。
◆
翌日から授業が早速始まった。ハリーはドラコや彼の取り巻きと行動を共にしている。彼はホグワーツの詳細な地図を父親から譲り受けていた。
「おい、ゴイル! そっちじゃない!」
「アイツは何回右と左を間違える気なんだ?」
ドラコの取り巻きの二人、クラッブとゴイルは信じ難いほどの間抜けだった。
思考速度が常人よりもワンテンポ遅いばかりか、その思考自体もまるで幼子のようだった。
ハリーは早くもドラコ達と行動を共にする事にウンザリし始めていた。
「ドラコ。君は実に我慢強い男だな」
「……この二人にも美点はある」
思いの外、ドラコは情に厚い男だったらしい。こんな愚鈍な木偶の坊を見放さずに付き合うのは相当な忍耐力を要する筈だ。
「急がないと遅刻になるぜ?」
「……急ぐぞ、二人共」
「うう」
「ぐう」
返事もまともに出来ないようだ。動物園の猿の方がまだ賢そうに見える。
ドラコを利用するためにこの二人と付き合っていかなければならないのかと考えると、いっそ、ゴスペルに噛ませてしまおうかとも思った。けれど、それでゴスペルが処分されるような事があればそれこそ最悪だ。
ハリーはどうやって二人を排除するかを考え始めた。
◆
「変身術はホグワーツで学ぶ魔法の中でも極めて複雑かつ、危険なものです。いい加減な態度でわたしの授業に臨むものは即刻出ていってもらいますし、二度とクラスに足を踏み入れる事は許しません! 最初に警告しておきます!」
マクゴナガルは授業の時も変わらず厳格だった。既に記憶していた内容を延々とゴーストの教師が朗読するだけの魔法史では授業を完全に放棄して別の授業の教科書や本を読み耽っていたハリーも、彼女の授業では真面目な姿勢で臨んだ。
配られたマッチ棒に教わった通りの呪文を唱える。ハリーは問題なく成功させる事が出来た。変身術が彼女の授業だと聞いていたから、家では特に念入りに練習していたのだ。
「見事です。ミスタ・ポッター、ミスタ・マルフォイ、ミスタ・ノット、ミスタ・ヴェニングス、ミス・ヴァレンタイン。それぞれに一点を与えましょう」
ハリーは他にも成功者がいた事に不満を覚えた。マクゴナガルの称賛を独り占めにしたかった。そんな彼の不満を感じたのか、マクゴナガルは僅かな微笑みをハリーに向けた。
教室を出ていく時、ハリーの足取りは羽のように軽くなっていた。
◆
眠気と寒さに耐えながらの《天文学》やニンニク臭が充満する教室での《闇の魔術に対する防衛術》の授業を耐え抜き、ハリーは金曜日を迎えた。
この日はグリフィンドールの生徒との合同授業だった。内容は《魔法薬学》であり、教師はスリザリンの寮監であるセブルス・スネイプだった。
「やあ、ロン」
教室に入ると、ハリーはロンを見つけた。
「あっ、ハリー……」
ロンはハリーに対していくつもの感情が入り混じった表情を向けた。
ハリーにはそれが不快だった。
「ロン。友人に対して、その態度は無いだろう?」
「だって……、君、スリザリンだ」
その言葉にハリーは目を細めた。
「なるほど。スリザリンだから、ボクとの友情を捨てるんだな?」
「それは……、その……」
歯切れの悪いロンに対して、ハリーは苛立ちを覚えた。
彼との交流はホグワーツ特急の中での一時のみだった。その理由も、ハリーが魔法界の常識のすり合わせをする為だった。
彼にとっても、寮の違い程度で捨てられる程度の関係だったという事だ。
「あばよ、ロン」
『いいのかい? 相棒』
『どうでもいいさ』
ハリーはロンから離れて行った。
「は、ハリー!」
ロンが慌てたように手を伸ばしてきたが、ハリーは振り払った。
「ハリー。ウィーズリーには近づかないほうがいい」
ドラコの隣の席に座ると、彼が言った。
「あの家は《血を裏切る者》だ」
「どうでもいい。授業の準備を始めようぜ」
ハリーはさっさと教科書を開いて予習を始めた。今は、あまり会話をしたい気分では無かったからだ。
しばらく待っていると、スネイプが入って来た。
彼ははじめに出席を取った。
「……ハリー・ポッター」
ハリーの名前を呼んだ後、スネイプは僅かに沈黙した。その間、彼はハリーを見つめていた。
ハリーはスネイプの瞳にさっきのロンと同じものが宿っているように感じて、不愉快な気分になった。
出席を取り終えると、スネイプは生徒達を見回した。
「この授業では魔法薬調剤における微妙な科学と、厳密なる芸術を授ける。このクラスでは杖は使わぬ。そこで、これでも魔法なのか? と諸君らは思うかもしれない。ふつふつと沸く大釜、ゆらゆらと立ち昇る湯気、人の内を這い回る液体が宿す繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力。諸君らがこの見事さを真に理解出来るとは期待していない。ただし、諸君らが我輩の教えてきたこれまでのウスノロよりもマシであったのなら……、伝授してやろう。名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする。そういう業を……」
スネイプは探るような視線で生徒達を見回した。
そして、ハリーを見つめた。
「……さて、ポッター」
「なんです?」
ハリーは不愉快な視線を向けてくるスネイプに対して、感情を剥き出しにしたまま返事をした。
その態度に、スネイプも不愉快そうな表情を浮かべる。
「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じた物を加えると何になる?」
「眠り薬。《生ける屍の水薬》だ」
ハリーが即答すると、スネイプは僅かに目を見張った。
「……では、ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、どこを探す?」
「ヤギの胃の中」
「モンクスフードとウルフスベーンの違いは?」
「なにも無い。先生、ボクを舐めているのですか? こんな常識すら知らないだろうと?」
ハリーが表情を歪めると、スネイプは反対に先程までの不快そうな表情を消し去った。
「名声にうつつを抜かしているのではないかと邪推したのだ、謝ろう。スリザリンに五点与える」
「……どうも」
ハリーが鼻を鳴らして言うと、スネイプは他の生徒達を睨みつけた。
「さて、諸君らは何をしているのかな? 何故、今のをノートに書き取らないのだ? 諸君らにとっても、今のは常識だったのかね?」
その言葉に、一斉に羽ペンと羊皮紙を取り出す音が広がった。どうやら、大半の生徒にとって、今の問答は常識的では無かったらしい。
それから、スネイプは生徒達におできを治す簡単なクスリを調合させた。
干しイラクサを測り、蛇の牙を砕く。
『ヒエッ! 残酷な事するなぁ、おい!』
ゴスペルはその光景に身を縮ませていた。同胞の牙を砕かれる光景というのは、彼にとって中々に残酷らしい。ハリーは今後は魔法薬学の時だけゴスペルを留守番させる事にしようと決めた。
「こんなものかな」
「そっちも問題無さそうだね」
ハリーとドラコは見事に調合を成功させた。スネイプは二人のクスリの完成度を褒めて、参考にするようにと言いながら二人に五点を与えた。
合計で十点もスリザリンの点数を稼いだハリーに後ろの席からダン・スタークという生徒が「やるな!」と声を掛けてきた。
「まあね」
ハリーは少しだけ気分を良くした。
その時だった。いきなりグリフィンドールの生徒の大鍋が吹っ飛んだ。
「馬鹿者!! 大方、大鍋を火から下ろさない内にヤマアラシの針を入れたのだな!」
顔中がおできだらけになっていたのはヒキガエルを飼っているふとっちょだった。
「こんな簡単な調合をどうすればミスるんだ」
ドラコは呆れ返っている。
「教科書通りの事すら出来ないのか……。クラッブとゴイルは大丈夫か?」
ハリーはそもそも二人が教科書をちゃんと読めているのか不安になった。二人の席を見ると、案の定、明らかに液体の色が違っていた。
ハリーとドラコはゆっくり二人の席から距離を取った。
授業が終わると、一人の女の子がハリーに近づいてきた。
「あなた、ハリー・ポッターだったのね」
その女の子は汽車であった子だった。名前はハーマイオニー・グレンジャー。
「そういう君は、ミス・グレンジャーじゃないか。スリザリンであるボクに何か用かい?」
「わたしじゃないわ。彼があなたに用があるみたいなの」
「彼?」
ハーマイオニーは後ろを顎で示した。そこにはロンがいた。
ハリーは舌を打った。
「彼はボクに用なんてない」
そう言って、ハリーはハーマイオニーとロンに背中を向けた。
『ロニーは謝りたいんじゃないかい?』
『どうでもいいさ』
「ハリー!」
立ち去ろうとしたら、肩を掴まれた。
「なんだよ……」
「……その、ごめん。僕、君とは友達でいたいんだ」
「……そうかい、好きにしろよ」
ハリーはドラコの下へ向かって行った。
「ハリー……」
「またな、ロン」
「……うん!」
ハリーは肩を竦めた。
「君の方こそ、隨分と我慢強いじゃないか」
「君には負けるさ」
ハリーは深く息を吸い込んだ。まるで、それまで息をするのを忘れていたかのように。
「やれやれだ」