「……ねえ、何を書いているの?」
ジニーが問い掛ける。彼女は図書館でコリンと同じテーブルを使っている。
ロマンチックな意味はない。ただ、ハリーとハーマイオニーの傍には居られなくて、だけど、離れる事も出来なくて、一人になる事も出来なかったからだ。
コリンはマイペースで、いつも自分の作業に没頭している。彼の口数が多くなるのは、敬愛しているハリーと話している時だけだ。
邪魔をされたくないし、構われたくもない彼女にとって、コリンは実に都合のいい男だった。
だけど、彼があまりにも熱心に羊皮紙へ文章を書き込んでいるものだから、ついつい気になってしまった。
「ハリーの伝記」
「……へ?」
あまりにも予想外な答えに、ジニーは目を丸くした。
「で、伝記……?」
「うん」
短く答えると、彼は作業に戻る。
だけど、好奇心を刺激されたジニーは更に問いかけた。
「どうして伝記なんて書いてるの?」
「ハリーの事を知って欲しいから」
「どういう事?」
「みんな、ハリーの事を知らないから」
コリンは顔を上げない。いつもなら、ジニーが話しかけると仕方無さそうに顔を上げる彼が……。
「……ふーん」
ジニーは待つ事にした。一生懸命な彼を邪魔してはいけないと思ったからだ。
そして、終わったら質問攻めにする事を決意した。
第八十三話『コリン・クリービーは教えたい』
コリンの熱意が収まったのは、第二の試練から随分と経ってからの事だった。
もうすぐ、最後の試練が始まる。その少し前に、彼は満足そうに大量の羊皮紙から羽ペンを離した。
ジニーは《やっとか》と深く息を吐きながら彼の羊皮紙を覗き込んだ。
「……すごっ」
一文字一文字が丁寧に書き込まれている。読ませる事を意識した文字だ。
そして、長い文章の合間にはコリンが撮影した写真が幾つも貼り付けられている。
コリンがハリーと出会ってから撮り続けて来た無数の写真だ。
「読んでいい……?」
「いいよ!」
コリンは快諾してくれた。感謝の言葉を告げながら、ジニーはコリンの書いた《ハリー・ポッターの伝記》に目を通した。
内容はとても拙い。とても出版出来るものではなく、文字は綺麗だけど、誤字がいくつもあった。それに、伝記というには主観が入り込み過ぎている。
だけど、熱意は伝わって来た。
「……コリン」
「なに?」
「あなたが伝記を書いた理由、教えてくれない?」
なんとなく、察しはついていた。それでも、彼の口から聞きたかった。
「……だって、みんな、ハリーの事を知らないんだもん。だから、教えてあげたかったんだ」
コリンは言った。
魔法省の人がハリーを殺そうと躍起になっているのも、彼を知らない事が原因だと。
コリン・クリービーにとって、ハリー・ポッターはヒーローだ。それは、小城クラスのドラゴンを倒しても、アズカバンを消滅させても、何も変わらない。
スーパーマンが地球の自転を逆回転させる事も出来るように、ヒーローとは強大な力を持つものなのだ。力を持っている事は必ずしもヒーローとイコールで繋がるものではなく、ヴィランと繋がるものでもない。大切なのは、力を如何に使うかだ。
ハリーは一度だって、自分の欲望の為に力を振りかざした事はない。敵を倒す為、後輩の名誉の為、試練に打ち勝つ為、その為に力が必要な時が来て、初めて彼は力を行使する。
「ハリーは殺されかけても、魔法省の人に恨み言なんて言わないんだ。みんなが好き勝手な事を言っても、まったく気にしてない。だけど、彼は悪口を悪口だと分かる人なんだよ! だから、ロゼの事で怒ったんだ! 悪口を言われて気分のいい人なんて居ないだろ!? だけど、彼は怒らないんだよ! どうしてかって? 優しいからだよ!」
どうして、それが分からないのか不思議だと彼は言った。
「彼が悪人なら……そうじゃなくても、普通は殺そうとしてきた相手を許す事なんて出来ないよ! 魔法省は第一の試練の時点でハリーに復讐されても文句は言えなかった筈さ! だけど、どうだい? 魔法省は第二の試練でハリーをアズカバンに送り込んだ! そこでたくさんの囚人と吸魂鬼に包囲させて、死の呪文まで使わせたんだ!! それでも、彼は怒らないんだよ!! 怒っていいのに!! 怒るべきなのに!!」
コリンは顔を真っ赤にしながら叫んだ。普段、陽気でハリーとカメラの事ばっかり話している呑気な男の子とは思えないくらい、彼は激しく怒っていた。
「ハリーの事を不気味だって言う人がいる! おかしいって! 恐ろしいって! 分かってないんだ! 分かろうともしてないんだ! だから、分からせてやるんだ!!」
コリンは悔しかったのだ。
―――― ずいぶんと立派なカメラだな。
―――― ふふ、そうか! 写真だったな! いいだろう、許してやる! 存分に撮るが良い!!
今にして思えば、あまりにも不躾なお願いだった。
いきなり目の前に飛び出して、写真とサインをねだったのだ。だけど、彼は快諾してくれた。
写真を撮る事を一緒になって楽しんでくれた。
―――― ありがとう、コリン。写真の現像は手間だろうに、実に丁寧に仕上がっている。素晴らしいぞ、コリン。
勝手にやっている事なのに、彼は褒めてくれた。
一緒にヒッポグリフに乗って遊んでくれた。秘密の部屋にも連れて行ってくれて、そこではエグレの背中にも乗せてもらえた。
伝説の生き物の背中に乗る。そんな事、ホグワーツに来るまでは夢にも思わなかった。
図書館でロゼと一緒に勉強を教えてくれて、ホグワーツの楽しさをこれでもかと教えてくれた。
―――― 素晴らしい……。素晴らしいぞ、コリンよ! それでこそ、オレのコリンだ!
ハリーはヒーローだ。それなのに、よく分かっていない連中が好き勝手な事を言って、彼を責め立てて、攻撃して、腸が煮えくり返っていた。
「ハリーは僕のヒーローなんだ!! かっこいいんだよ!! 優しいんだよ!! ハリーを悪く言うなんて、許せないんだよ!!」
思いの丈を叫び、肩で息をしながら椅子に座り込むコリン。
ジニーは彼に圧倒されていた。
「コリン……」
これほどの激情を抱いているなんて想像もしていなかった。
「……そっか」
ジニーはようやく理解した。
どうして、ハリーが《オレのコリン》と言うのか不思議だったのだ。
ローゼリンデの事は分かる。彼女は彼の配下であり、彼にとって身内も同然なのだろうと納得していた。
だけど、コリンは配下じゃない。それなのに、自分やルーナ、ロルフ、アステリアには決して《オレの》などと言わない。
「そうだったんだ……」
コリンは特別だったのだ。
彼に対するバッシングを止める為に彼の良さを知らしめる為の伝記を書くなんて発想は自分には無かった。
ただ、バッシングを相手にせず、卓越した存在で在り続ける彼の事をただ凄いとしか感じていなかった。彼の為に、何も行動を起こしていなかった。
彼にとって、自分はルーナやロルフ、アステリアと同列の存在でしかない。ただの後輩であり、それ以上でもそれ以下でもない。
だけど、コリンは違う。彼にとって、ローゼリンデと等しいくらいに大切な身内なのだ。
「……凄いね、コリン」
「ジニー……?」
悲しそうに、寂しそうに呟くジニーにコリンは首を傾げた。
「……わたし、もう図書館には来ない」
「え?」
ジニーは席を立つと、そのまま図書館を出て行った。
「……僕、何か怒らせる事言っちゃったのかな」
残されたコリンは不安そうに呟いた。そして、直前に自分が口にした演説に悶えた。ジニーは呆れてしまったのだと思い、ドラコに教わった
なにしろ、ここには当の本人であるハリーも居たのだから。
◆
ジニーはとぼとぼと廊下を歩いていた。自分が惨めになっていた。
「わたし、バカみたい……」
結局、最初から最後まで独り相撲だ。ハリーには相手にもされていない。
愛して貰いたいと、求めるばかりだった。だから、ハリーの為に動けるハーマイオニーに負けた。
「……わたしだって」
何もしていなかったわけじゃない。
いつか、彼に手料理を作ってあげたくて、料理を教えてもらっていた。
可愛いと思われる為にオシャレにも気を使っていたし、完璧なプロポーションを得る為にストレッチも欠かした事はない。
だけど、そんな努力は無駄だった。
「ハリー……」
―――― 可哀想に……。
誰かの声が聞こえた。
「え……?」
辺りを見回してみる。だけど、誰も居ない。
一人になりたくて、誰も来ないところを目指して来たのだから当然だ。
―――― 愛とは残酷なもの。
「だ、だれ!?」
気の所為ではなかった。
明らかに、人の声がした。
だけど、どこにも人の姿はない。この廊下は見晴らしがいい。隠れられる場所などない。
―――― けれど、それ以上に残酷なものがある。
「誰なの!? どこに居るの!?」
不安になって、ジニーは叫んだ。
―――― それは運命というもの。本来ならば、君こそが彼の伴侶と成り得ていた。けれど、あるべき道は歪められ、得られる愛は失われた。
「なんなの!? 何を言っているの!?」
―――― 罅割れた心に、朽ちかけていた暗黒。拒絶すれば英雄の道。共に歩めば魔王の道。受け入れたならば……。
「誰なのよ!! さっさと出て来なさい!!」
―――― 哀れな乙女よ。愛を奪われた少女よ。それでも、君は得られぬ愛に生きられるかい?
「わけの分からない事ばっかり!!」
ジニーは逃げるように駆け出した。
それでも声は傍から聞こえる。
―――― 君が愛に生きるのなら、ワタシは君の味方だよ。愛しきグリフィンドール生よ。
それっきり、声は聞こえなくなった。