それまで最下位だったハリー・ポッターは最後に大迷宮へ入り、悪霊の火で大迷宮そのものを焼き尽くすという荒業を使い、優勝杯を手に入れた。けれど、優勝杯は
飛ばされた先は見知らぬ地。墓場のようだ。そこには何故か、ローゼリンデ・ナイトハルトが待ち構えていた。
「ロ、ロゼ……?」
多少は驚きつつも、ハリーは冷静に思考を働かせ。
どうやら、優勝杯の入手は途中経過であり、真の優勝を手に入れる為にはもう一手間掛かるらしい。
やれやれと肩を竦めながら、ハリーはローゼリンデに問いかけた。
「なるほど、分かったぞ。ロゼは伝言係だな? ここで最後の試練の説明をしてくれるんだろう?」
―――― 違うよ、ハリー。彼女をよく見ろ。
ローゼリンデは答えず、ハリーの内に潜むトムが語り掛けて来た。
ドクンと心臓が高鳴った。嫌な予感がした。とても……、とても嫌な予感だ。
「ロゼ……? どうしたんだ?」
額から一滴の汗が零れ落ちる。
ハリーはゆっくりと彼女の顔を見た。そこに浮かんでいた感情は穏やかなものではなかった。
「お、怒っているのか? 何があったんだ!? 誰かに何かされたのか!? それとも、オレに不満があるのか!? 言ってくれ! お前に何かした奴がいるなら、そいつをぶっ飛ばす! オレのせいなら、悪い所を直す! だから……」
―――― ハリー、分かっているんだろ? 君の頭脳なら、分からない筈がない。
ハリーは内側の声を黙らせたかった。そんな筈は無いと叫びたかった。
だけど、トムはハリーの気持ちを悟りながらも黙らなかった。
―――― 優勝杯は
ハリーの呼吸は荒くなった。思い出したくなかった。だけど、ハリーは彼女の言葉の中に一つだけ疑問を抱いていた。その疑問は一つの真実を識った後は更に大きくなった。
駄目だ。やめろ。思い出すな。認めるな。
ハリーの本能が叫び声を上げた。けれど、思い出してしまった。
《最近は苦手だった変身術も上手く使えるようになったんですよ! さすがはト……、ニコラス先生です!》
さすがだと、彼女は言った。《さすが》という言葉は、期待通りである事を示す言葉だ。
その後、彼女はニコラス・ミラーを称賛する言葉を口にした。
ハリーが冴えない男だと彼を評すると、彼女は《冴えなくなんてない》と反論した。
彼女がハリーの言葉に反論した事は、後にも先にもその時だけだった。
―――― ニコラス・ミラーはボクだ。ヴォルデモート卿の分霊だ。そして、彼女は明らかにニコラスを特別視していた。
思えば、彼女との出会いも奇妙である。入学早々に《貴方様の配下となりたく》と言って来た。だけど、それは彼女がハリーのファンだったからだと、そう思っていた。
もし、ヴォルデモートの分霊であるニコラスを特別視する彼女が目的を持ってハリーに近づいてきたのだとしたら、その目的とは? 考えるまでもない。
「ロ、ロゼ! 帰ろう! ホグワーツに!」
ハリーは焦ったように叫んだ。
―――― ハリー、認めるんだ!
「試練が終わったらパーティーだと言っておいただろう!? マーキュリーとエグレが待っている! だから!」
「……ハリー・ポッター様」
ローゼリンデはゆっくりと杖を握っている腕を持ち上げた。
そして、言った。
「あなたの命をわたしに下さい」
「……何を言ってるんだ、ロゼ」
ハリーは首を横に何度も振った。聞き間違いだ。ロゼがそんな事を言う筈がない。
「帰るんだ、ロゼ。不満があるなら何でも言ってくれ。ちゃんと直すから! 欲しい物があるなら言ってくれ。優勝賞金が出るから、なんでも買ってやる! だから……、だから……」
「わたしが欲しいのは……、あなたの命です」
そう言うと、彼女は呟いた。
「エクスペクト・フィエンド」
それは悪霊の火の呪文だった。並の魔法使いには扱えない高度な闇の魔術。ハリーが最も得意とする呪文だ。
ローゼリンデの杖から炎が吹き出す。そして、炎はドラゴンの姿で天に舞った。墓場を赤々と照らしながら、ハリーを見下ろしている。
彼女は悪霊の火を完全に制御していた。
―――― あのレベルの悪霊の火を生み出すとは……。しかも、制御している。ハリー、構えろ! 彼女を落ちこぼれと侮れば、殺されるぞ!
「……ロゼ。やめろ……、やめてくれ……。そんな危ない魔法を使うんじゃない……。火傷したらどうするんだ……」
トムの言葉をハリーは聞いていなかった。
杖を構える事すらなく、首を横に振り続けている。普段の彼からは想像も出来ない程、彼は情けない表情を浮かべていた。
「悪霊の火よ……」
ローゼリンデは悪霊の火をハリーに差し向けた。
「……ロゼ」
この期に及んでも、ハリーは動けなかった。
―――― 馬鹿野郎!!
使いたくなかったけれど、手段を選んでいる暇はなかった。
トムはハリーの意識を押しのけて、その体の主導権を奪い取り、全力で回避した。
「……ローゼリンデ・ナイトハルト」
トムはローゼリンデを睨みつけた。さっきまで彼の立っていた場所は業火に焼かれて赤く光っている。
彼女は本当にハリーを殺すつもりだった。
「それはいけない事だぞ、ローゼリンデ!」
トムは杖を構えた。
「……ハリー・ポッター様」
ローゼリンデは薄っすらと微笑みながら、涙を零した。
それを見て、ハリーの意識が急速に浮上して来た。トムから肉体を主導権を奪い返すと、泣いている彼女に手を伸ばそうとした。
―――― おい、ハリー! 彼女は君を殺す気なんだぞ!
「オ、オレは……、ロゼ! オレは……!」
「……ハリー」
ローゼリンデは初めて、ハリーを《ハリー・ポッター様》ではなく、《ハリー》と呼んだ。
「ロゼ……」
「あなたの命を下さい。それがダメなら……、わたしの命を奪って下さい」
ハリーは目を見開いた。
「どうしてなんだ……、ロゼ。どうして……」
「……わたしはあなたの命を奪う為に、あなたに近づいた。初めから……、あなたを裏切っていた……」
涙を零すと共に、彼女の悪霊の火は肥大化した。
「……わたしは死喰い人です、ハリー。あなたを殺す事がわたしの使命です」
ハリーが頑なに認めたがらなかった事実を彼女は口にした。
「わたしはあなたの敵です」
その言葉に、ハリーは涙を零した。
これは、オレのミスだ。
こうなる事を防げていた筈だ。ニコラスが分霊だと気付いた時、さっさと始末しておけば良かった。そうすれば、彼女は解き放たれていた。
ダフネと接する彼を見て、信じてしまった。
「……ッハ」
ハリーは顔を歪めて嗤った。
「ハッハッハッハッハッハッハッハ!!!」
涙を零しながら、彼は嗤い続けた。
そして、彼女を見つめた。
「ロゼ」
ハリーはローゼリンデに杖を向けた。すると、彼女はどこか安心したように微笑んだ。
この状況に陥った時点で、ハリーに取れる選択肢は殆ど残されていない。
わざわざ、この場所に誘い込んだ時点で姿現しや姿くらましは対策されている事だろう。
それに、ここで逃げれば、ローゼリンデは恐らく死ぬ。
悪霊の火は憎悪を呼び水とする魔法だ。発動に必要な魔力のコストは意外と少ない。問題なのは制御と維持であり、制御する為には憎悪を上回る希望が必要であり、維持する為には魔力が求められる。
制御は出来ているようだが、ローゼリンデは魔力が少ない。魔力を失った時、悪霊の火が消滅するだけなら問題はない。けれど、消滅する事なくローゼリンデから魔力を吸い上げ続ける可能性もある。そして、魔力が枯渇すれば精神にも影響が及び、制御が出来なくなる可能性もある。だから、彼女が制御出来ている内に悪霊の火を解除させなければならない。
だけど、ここに居る時点で彼女は覚悟を決めている。言葉だけの説得では止まらない。
だから、ハリーは選んだ。
「……殺すがいい」
杖を捨てた。
「え?」
―――― ハリー……。
ハリーには、彼女を止める術など無かった。出来るとすれば、殺す事だけだ。それでは逃げるのと変わらない。
彼女を殺す事など、彼には出来なかった。
「オレの命をやろう。だけど、それで終わりだ。きっと、魔法省はお前を罪に問わない。奴等もオレを殺したがっていたからな。だから……、ドラコを頼れ。そして、ヴォルデモートとは縁を切るんだ」
「な、なんで……」
ローゼリンデは顔を歪ませた。
「……オレのロゼよ。答えはシンプルだ。難しい事など何もない。ただ、お前の命はオレの命より重い。そう、オレが思っているからだ」
その言葉にローゼリンデは目を見開いた。
そして――――、
「あは……、あはは……、あはははははははははははは!!!」
嗤った。泣きながら、腹を抱えながら嗤い続けた。
「あぁ……、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
そして、髪を掻き毟り、ハリーを見つめた。
「……わたしのハリー。あなたはわたしのもの……。わたし……、わたしの……永遠に……、ずっと……、ずっと一緒に……」
「ああ、ずっと一緒だ」
紅蓮のドラゴンはゆっくりとハリーに迫っていく。
そして、彼は業火に包まれた。
第八十五話『死の飛翔』
ハリーが優勝杯に触れた瞬間、彼の姿は虚空に消えた。それが意味する事をダンブルドアはいち早く気が付き、即座に行動を開始しようとした。
けれど、その前に競技場の周囲を紅蓮の炎が取り囲んだ。
観客席から悲鳴が響き渡る。そして、その男は競技場の中心に姿を現した。
「久しぶりだな、ダンブルドア」
漆黒の髪をかき上げ、美丈夫は審査員席のダンブルドアを見上げた。
「……トム。優勝杯を移動キーに変えたのじゃな?」
「もう一人のオレ様がやった事だがな。今頃は奴がハリーの相手をしている筈だ。オレ様の目的は貴様だよ、ダンブルドア。ここで貴様を始末する」
「出来ると思っているのかね?」
「思っているとも。だからこそ、この状況になるまで待っていたのだ」
ヴォルデモートがそう告げると共に、競技場を取り囲む炎が更に火力を上げた。
そして、徐々に競技場の壁を焼き始めた。
悲鳴がこだまする。観客達は壁から慌てて離れ始めた。そして、壁を焼き切った炎の壁は更に迫って来る。
「ここはホグワーツの敷地内だ。姿くらましは使えないぞ。このままだと、全員丸焼きだな」
「愚かな、ヴォルデモート!!」
嗤うヴォルデモートに、闇祓いは一斉に動いた。躊躇なく、彼らは死の呪文をヴォルデモートに放つ。けれど、呪文は彼を通過した。そして、そのままポールや壁にぶつかった。
「なんだと!?」
「馬鹿な、幻影か!?」
「そんな……」
慌てふためく彼らにヴォルデモートは邪悪に嗤う。
「幻影と思うか? ならば、受けてみろ」
ヴォルデモートは闇祓いの一人に杖を向けた。
「アバダ・ケダブラ」
緑の閃光が走る。その光はロジャー・ウィリアムソンの胸に命中して、彼の命を奪い去った。
「ロ、ロジャー!?」
彼の同僚である闇祓い、アネット・サベッジは取り乱した。そんな彼女にも、ヴォルデモートは杖を向けた。
「や、止めろ!!」
慌てて、ガウェイン・ロバーズは放たれた死の呪文とアネットの間に体を滑り込ませ、死亡した。
「き、貴様、ヴォルデモート!!」
右腕であるガウェインを殺害された事に局長であるスクリムジョールは激昂した。次々に呪文を放っていく。けれど、その尽くがヴォルデモートの肉体を貫通していく。
「何故だ……。何なのだ、貴様は!!」
「ヴォルデモート卿だ、ルーファス・スクリムジョールよ。
その言葉に、スクリムジョールは思い出した。
彼だけではない。多くの人々が、忘れかけていた事実を思い出した。
闇の帝王、ヴォルデモート卿。嘗て、誰もが恐れていた彼の真の恐ろしさを……。