ハリーはローゼリンデを寝かせていた場所に戻って来た。彼女が穏やかな寝息を立てている事に安心すると、その隣に腰掛ける。
それから、少しの間だけ瞼を閉じた。
「……次はダフネに殺されそうだな」
ニコラスと過ごした時間はトムと過ごした時間よりも長かった。
何度も議論を交わした。共に試行錯誤を繰り返した。互いを信じ合い、実験を重ねた。
そして、彼女の思いも察していた。
「馬鹿野郎……」
それは誰に対しての言葉だったのか、ハリー自身にも分からなかった。
◆
気がつくと、夜が明けていた。激痛に顔が歪む。応急処置は施したが、それでも
「……ロゼ」
瞼を開くと、そこにはローゼリンデがいた。どうやら、彼女の膝に頭を乗せられていたようだ。
「ハリー……」
泣いていたようだ。彼女の目元は赤くなっていた。
「……すまないな」
「どうして……」
ローゼリンデは顔をくしゃくしゃに歪めた。
「……どうして、謝るんですか?」
「ロゼを泣かせたんだ。謝るに決まってるだろ」
ハリーはすまなそうに彼女の頬を撫でた。
「……ニコラスを殺したよ」
ハリーが言うと、ローゼリンデは目を見開いた。そして、枯れる程に流した筈の涙を零した。
彼女は目を覚ました時にすべてを悟った。焼け焦げた大地と無数の魔法の痕跡を見れば、誰にでも分かる事だった。
ハリーとニコラスは戦い、そして、一方が滅びた。ハリーが生き残った以上、敗北したのはニコラスだという事も分かっていた。
「オレを殺したくなったか?」
ハリーが問い掛けると、ローゼリンデは唇を噛み締めた。
「……すまない。意地悪な質問をしてしまったな」
ローゼリンデは首を横に何度も振った。
「わ、わたしは……、わたしも……、あなたを殺そうとしました!」
血を吐くように、彼女は叫んだ。
「どうして……、どうして殺さないんですか!?」
「……殺せる筈がないだろう」
ハリーは悲しそうに言った。
「でも……、でも、あなたはハーマイオニーを選んだ!」
その言葉にハリーは目を丸くした。
そして、ゆっくりと彼女の言葉を呑み込んだ。
―――― わたしのハリー。あなたはわたしのもの……。わたし……、わたしの……永遠に……、ずっと……、ずっと一緒に……。
あの言葉の意味をキチンと理解出来ていなかった事に気がついた。
「ああ、そうか……。オレは鈍いな」
ハリーは右手で顔を覆った。
「ああ、オレはハーマイオニーを愛している。だから、ロゼの気持ちには応えられない」
その言葉にローゼリンデは体を震わせた。苦しそうに、自分の胸を抑えている。
―――― ああ、認めるとも! わたしは悪だ! 正義に対する敵対者であり、ダフネや君の敵なのだ!
あの時のニコラスと同じだ。否定したくて、それでも否定出来ない事に苦しんでいる。
ハリーはゆっくりと起き上がった。
「あっ……」
ハリーが離れると、ローゼリンデは悲しそうな声を上げた。けれど、ハリーはすぐにローゼリンデの近くに戻って来た。彼女の背中側に回り込むと、座り込み、彼女を抱き締めた。
「あっ……、はわっ……、ハ、ハリー……?」
赤くなるローゼリンデにハリーは言った。
「オレはロゼを女としては愛せない。だけど、大切なんだ。これは……きっと、家族に向けるものなのだろうな」
「家族……」
ローゼリンデは目を見開いた。
「ああ、そうだ。オレはロゼを愛している。大切な家族として……。ちょっと、おかしい事を言っているかもしれないが、他に例えが見つからない」
家族として愛している。その言葉はローゼリンデの心に染み渡っていく。
一度も家族に愛された事など無かった。関心すら向けられなかった。彼らにとって、彼女は害意と悪意の対象でしかなかった。
だから、優しくしてくれて、助けてくれたニコラスに依存した。
生きる事は苦しい事で、この世界は苦痛に満ちていると思い込んでいた彼女に世界の優しさを教えてくれた彼を慕った。
利用されていただけだとしても、彼女にとって彼は唯一無二の存在だった。
「……わたしを……、愛してくれますか? ハリー」
「言っただろう。オレは愛しているんだ。何時からかなんて分からないくらいに前から、オレにとってロゼは宝物なんだよ。だから、殺す事など出来ない。オレにとって、ロゼはオレの命よりも大切なんだ。その事を分かって欲しい」
ローゼリンデは体の向きを変えた。ハリーと向き合う形になり、そのままハリーを抱き締めた。
「愛しています、ハリー。わたしは……まだ、あなたを男の人として愛してしまってる……。でも……でも、家族として、あなたを愛します」
ローゼリンデの言葉にハリーは優しく微笑んだ。
「……ありがとう、ローゼリンデ。ごめんな、気持ちに応えてやれなくて」
その言葉に彼女は顔を彼の胸に押し付けながら首を横に振った。
「ハリー……、愛しております」
「ああ、オレも愛しているよ。大切な……、オレのロゼ」
ハリーは更に強く彼女を抱き締めた。
失うかもしれなかった命を二度と手放さないように、繋ぎ止めるように、ハリーは彼女を抱き締め続け、その髪を撫で続けた。
第八十八話『終戦』
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
ヴォルデモート卿は吹き飛ばされながら絶叫していた。未だかつて味わった事のない感覚。ブラッジャーが激突しても、ここまでの衝撃はない。ホグワーツ特急と正面衝突しても、ここまでの衝撃はない。
説明不可能。それほどの圧倒的な衝撃にヴォルデモートの思考回路は完全に麻痺していた。
やがて、背後に山が見えてきた。踏みとどまる事など出来ない。地面から数百メートル離れた位置で真横に突き進んでいるのだ。踏むべきものも、掴むべきものもない。
そして、そんな彼を彼女は追いかけてきた。ヴォルデモートを蹴り飛ばしてから、ダンブルドアとニュートに説明するのに数秒を費やして尚、彼女はヴォルデモートに追いついた。彼が激突するであろう山に先回りして、構える。
「まっ、まさか、貴様ぁぁぁぁぁ!?」
「ああ、そのまさかだ!!」
彼女は蹴った。この上、さらに蹴った。魂の状態なのに、彼女の蹴りはヴォルデモートに直撃した。
その衝撃はヴォルデモートの背中を曲がってはいけない所まで曲げた。そして、別の山に向かってふっ飛ばした。
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
信じ難いほどの激痛。生身であればとっくに百度は死んでいる。それほどのダメージをヴォルデモートは負っていた。
それなのに、エグレは再び彼を追い越して、再び蹴りの態勢を取っていた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
まるで大砲を発射したような音と共にヴォルデモートは山と山の間を飛ばされ続ける。
何故こんな事をされているのか分からない。蹴られる度に何度も何度も体を折り曲げられて、ヴォルデモートの体は歪な球状に変形していく。
何度蹴られたのか、どれくらいの時間飛ばされていたのか、それすら分からなくなっていく。
「セイハッ!」
突然、飛ばされる方向が変わった。けれど、その事をヴォルデモートは認識する事が出来なかった。もはや、体は原形を留めていない。
体は冷たくなり、熱くなり、また冷たくなる。
「……ぁ、……ぉぉ」
バジリスクの魔眼によって魂を砕かれていたヴォルデモートは自分がどこにいるのか、何をしていたのか、何も分からなくなった。
分かる事といえば、とても寒くて、とても暗くて、延々とどこかへ飛んでいく事、それだけだった。
やがて、彼の魂は小さくなっていく。どこまでも小さく……そして、消滅した。
「……ふう。マスターのようにスマートにはいかないな」
エグレは宇宙空間まで打ち上げたヴォルデモートが戻ってこない事を確認すると深く息を吐いた。
魔眼に加えて、何度も毒を撃ち込み、それでも簡単には消滅しなかった為に宇宙空間まで蹴り飛ばすという荒業に打って出なければならなかった。
「この状態だと毒が弱まっているのか? いや、そんな筈はないな……。やはり、受肉していなければ魔眼の方しか効かないのかもしれんな」
魔眼の方は明らかに効果を発していた。
「……とりあえず、シーザーの下に行くか」
一息の内にエグレがシーザーの下へ辿り着くと、そこは地獄絵図が広がっていた。
シーザーに見下される位置に大人達はいて、周囲をケンタウロス達に取り囲まれている。妙な動きをしたら射っていいとケンタウロス達には告げてあるし、シーザーにも食べていいと伝えておいた。
もしかすると、既に何人か死んでいるのかもしれない。
「……さて、マスターが戻るまでは我もこの者達の監視をしておくか」
エグレは蛇の姿に戻るとケンタウロスの脇を通り抜けた。
悲鳴が上がるが、誰も動かない。
血痕が落ちている様子はなく、代わりに糞尿の匂いが漂っている。エグレはそっと匂いの源から距離を取った。
どうやら、まだ誰も死んでいないようだ。シーザーはションボリしていた。
△
すべては終わった。
最終試練の終わりと共に始まった悪夢の終わりをシーザーに睨まれている者達以外の誰もが感じていた。
その中で、男は目を覚ました。
「……ヴォルデモートは失敗したか」
ゆっくりと起き上がると、彼は手足の動きを確認した。
それから首を鳴らして、腕を伸ばした。
溜まっていたものを出すかのように息を吐き出すと、彼は歩き出した。
「さてさてさて……」
無人になった競技場を歩き、そこに転がっている闇祓いの死体から杖を拾い上げる。残念ながら、ヴォルデモートの杖は空の彼方に打ち上げられてしまっている。出来れば、あの杖が欲しかった。
彼は杖を何度か振るうと、不快そうに顔を歪めた。
「まあ、仕方ない」
彼は軽快に歩き出す。
向かう先はホグワーツ城。