“煌焰の都”錬成工房街。
スビンとノイロックは、箱庭に来てから、テオドールと別行動することが増えていた。ノースティリスと違い、町中に突然モンスターが湧いたり、廃人や狂人が戯れで襲いかかってくる危険性がほぼ無いため、単独行動のリスクが低い、とテオドールが判断したからだ。別々に行動した方が、“イベント”の見逃しが減る、とも言っていた。
それはペット達への僅かな優しさ──休暇を与えるような感覚──も含まれていただろう。当のペット達としては、目を離している隙に何をしでかすか分かったものではないので、あまり離れたくはないのだが、主人が勝手にどこかへ消えてしまってはどうしようもない。
ということで、テオドールの捜索ついでに街をぶらぶらと歩き回っていた暇人二人は、飛鳥と黒ウサギに遭遇した。
「あら、スビンにノイロックじゃない。散策中?」
「まあそんな感じだ。そっちは何してんだ、こんな所で」
「ジャックさんが、この辺りの工房を借りているそうなのです。最後の同盟相手を紹介して下さるとか」
「折角だし、二人も来る?」
「そうですね、予定も特にありませんし」
そんな流れを経てやってきた第八八番工房にて。
彼らはジャックの他に、思わぬ人物と再会した。
「名無し共め……! よくも僕の前に顔を出」
「裏口の扉を蹴り破ってんじゃねえええええええええ──!!」
ドアを蹴り破って現れた人物が、激怒したジャックに殴り飛ばされた。
頭蓋骨の二倍超はありそうな拳が即頭部にクリティカルヒットし、三回転半して壁にねじ込まれる。
「全く、君という人は……此処が借家だと何度言えば分かるんですかッ! 壊した扉や壁の穴の修理代は我々が払うのですよッ!」
「お、お待ちくださいジャック殿! 壁に穴を開けたのは貴方ですぞ!」
全くその通りなツッコミを入れながらジャックを止めにかかるのは、甲冑ではなく鍛冶屋のような衣装に身を包んだ“ペルセウス”の同士である。
ということはやはり──壁から引き抜かれたのは、“ペルセウス”の首領、ルイオスだった。
鼻唇から血を流しながら、ルイオスが吠える。
「……ふッざけんなよ、このドテカボチャ頭……! いい加減にしないとその空っぽの頭蓋をぶち砕くぞッ!!」
「そう言って幾度返り討ちにあったか覚えてますか? 両手の指では足りませんよ? あと、私はドテカボチャではありませんと何度言えば分かるんでしょうかその頭蓋を柘榴の如くブッコロリーするぞゴラァッ!!」
その後怒鳴り合いはヒートアップ。因縁のある相手を前に飛鳥まで参戦する事態となり、仲裁に使われた黒ウサギの“
飛鳥とルイオスの両名は、未だに仇を見るような目で睨み合っているが。
「……にしても、“ペルセウス”が最後の同盟相手とはなあ」
ノイロックの呟きに、ルイオスがそれはこっちの台詞だ、とでも言いたげな顔をした。口に出さないのは、機関銃の銃口を向けられているからである。
そのまま話を進めると一々小競り合いが発生しそうだったので、ノイロック達が武力によって抑制することにしたのだ。
この場にテオドールが居なくて良かったなあとしみじみ思う。うっかりするとルイオスが物理的に口を開けなくなるかもしれなかった。
ちなみに“ペルセウス”の同士達は、自分達の首領が置かれている状況を甘んじて受け入れている。
「黒ウサギはいいんですか? アレが同盟相手で」
レティシアを売り飛ばそうとした上、“ノーネーム”に対する屈辱的な暴言の数々。一番それに晒されたのは黒ウサギである。
それでも同盟に納得できるのか、というスビンの問に、黒ウサギは一考してから答えた。
「黒ウサギとしても、この同盟には思うところがあるのですが……先程、気になることを言っていましたので、そう易々と無下にすることもないかなと思うのです」
「気になること? ……ああ、そう言えば。ドアが蹴破られる前に“ディーンを修理したのは自分だ”というような台詞を聞いた気がします」
“アンダーウッド”での戦いによって半壊したディーンは、“ウィル・オ・ウィスプ”預かりで修理を受けていた。現在は完了した状態でこの工房に運び込まれている。ここに集合したのは、ディーンの受け渡しも兼ねていたのだろう。
なので当然、ジャックが修理をしたものと思っていたのだが。スビンは佇む神珍鉄の巨兵を見上げた。
もし本当にルイオスがディーンを修理したのなら、話くらいは聞くのが筋かもしれない。
「そこの所、どうなんです? 本当に貴方が修理したんですか?」
「……フン。それぐらい楽勝だ。“ペルセウス”には“オリュンポス十二神”が一柱、“鍛冶神・ヘパイストス”の神格が授けられているからね」
「ヘパイストス?」
「ギリシャ神話群における、数々の武具を創造した神様ですね。伝承では、ペルセウスがゴーゴン退治の際に授かった武具は兜・具足・楯・鎌の四つ。そのうち楯はゴーゴンの首と融合させて女神に返上したと言われております。ゴーゴンの首を楯に
「あー……何だ。要するに、鍛冶神の加護を持ってるってことか」
「端的に言うなら、そうですね。実際は神格そのものではなく恩恵付与に特化した神格具でも与えられたのでしょうけど、それがあれば、神珍鉄や金剛鉄の製鉄も可能かもしれません」
確認するように視線を送ると、ルイオスが自慢げに笑う。
「当然だね。この僕の手にかかればあの程度のことなんて造作も、」
「ルイオス様、見栄を張らないで下さい。ジャック殿が居なければ、どこから手を付ければいいか分からなかったではないですか」
諌めるように側近の男が告げる。ルイオスは怒気を隠さず舌打ちした。
前途多難な同盟相手に溜息を漏らす黒ウサギだったが、ふと気になったようにジャックに問う。
「一つ気になったのですが……“ウィル・オ・ウィスプ”と“ペルセウス”は、どのようなご関係なのですか? 失礼ですけど、友好的には見えないのですよ」
「ヤホホ……まあ、ちょっとした貸し借りのある間柄というやつですよ。以前にお話したかもしれませんが、我々“ウィル・オ・ウィスプ”は“マクスウェルの魔王”に幾度か襲撃を受けていまして」
「YES、それは聞きました。五桁でも最上位の魔王と──」
「いえ、それはもう以前までの話です」
「へ?」
「彼奴はもう、五桁ではありません。我々が“アンダーウッド”に行っている間に──
“マクスウェルの魔王”は、四桁にまで上り詰めたという噂です」
◆
“煌焰の都”北区の商業街・大通り。
行き交う人々の頭上で、縦横無尽の鬼ごっこが繰り広げられていた。
壁を蹴り、街路樹を伝い、時にはキャンドルランプを吊る配線さえも足場にする。軽業師も顔負けな芸当で逃げ回る“神隠し”──その名を混世魔王と言う──は、非常に焦っていた。
(ありえねえ、ありえねえ、あの糞ガキマジありえねェ!)
所詮は人間と侮っていた小僧が、己のギフトを無効化するわ、あっさり正体を当ててくるわ、人外並みの脚力で追ってくるわと、もう散々だった。
スピードでは引き剥がせそうにないと、機動性を活かしてフェイントをかけたりしてみても、追跡者は揺らがない。どう動いても確実に付いてくる。しかも、まだ余力があります、という顔をしていた。絶対人間じゃねえだろ。
(畜生……! 蛟劉の野郎が支配者に収まったっていうから人里に来たものの……とんだ厄日じゃねェかよォ!)
混世魔王の本来の目的は、蛟魔王を襲うことだった。彼らの間にある因縁については割愛するが、そのために乗り込んだ“煌焰の都”で、挑発するように“神隠し”を成功させていた混世魔王だったが──こんな訳の分からない人間が居るなんて、聞いてない!
(……仕方ねェ。蛟劉の野郎が来る前ってのが癪だが──)
突如、混世魔王の雰囲気が劇的に変わる。“混”一文字の下に隠された霊格が膨張し、不吉な風が吹き荒ぶ。
足場の建築物の倒壊を避けて攻めあぐねていた──しかも鬼ごっこに半ば飽きてきていた──十六夜も、それに気付いて己の失態に苛立って舌打ちした。
(“
力を持つ修羅神仏にのみ許された、
今頃“ウィル・オ・ウィスプ”が飛鳥に新しいギフトを渡している筈なのだ。ぶっつけ本番で魔王と戦わせるのは荷が重い。
煉瓦畳の街道を踏みしめ、ミシリと軋ませる。
「させるかッ!」
足元の崩壊を顧みない、全力の跳躍。瓦礫を撒き散らし、音をも追い越して“混”一文字の背に迫る。
指先が触れそうになった、その刹那。
背後で、マンドラが叫んだ。
「後ろだ、避けろッ!!」
ハッと背後の脅威を察する。しかしその反応は致命的に遅かった。
十六夜が振り向くや否や──炎熱の街に、極寒の風が吹雪いたのだ。
(何──ッ!?)
跳躍の際に巻き上げた瓦礫を足場にして回避しようとする。だがタイミングを見計らったかのような絶妙な一撃を、躱しきることは困難だった。
キャンドルランプの篝火さえ凍らせる極寒の風が、十六夜を襲う。
「っ……!!」
冷気によって生み出された氷の刃は叩き落としたが、風そのものを防ぐことはできない。極寒の風に煽られて落下しながら、せめて混世魔王の行方だけは把握しようと目玉を動かし、視界に割り込む影を見た。
「テオド──!?」
メキョ、という致命的な音と共に地面に激突する何か。その後を追うように、十六夜も売店の天幕に落下する。
天幕によって衝撃は和らいだが、その売店が果物屋だったのは誤算だった。全身を果汁で濡らした十六夜は不機嫌そうな顔で立ち上がり、舌打ちを漏らす。
「……くそ。水で濡れるのは慣れっこだが、果汁で濡れるのは不愉快だ」
言いながら、地面に墜落したものを確認しに行く。
ようやく追いついたマンドラも駆け付けた。“神隠し”の姿が見えない彼ら憲兵隊は、包囲網も張れずに十六夜を追いかけることしかできなかったのだ。
「おい、大丈夫か!?」
「ああ。それよりこいつを見ろ」
売店のすぐ横、陥没した地面の中心に、混世魔王が倒れていた。完全に白目を剥いているし、口から泡ぶくを吹いている。もう死んでるんじゃないかと思ったが、流石は魔王。辛うじて息はあるようだ。
「これが“神隠し”か!?」
「そうだ。どうやら見えてるみたいだな」
気を失ったせいでギフトが解除されたのか、マンドラの目にも“神隠し”が見えているらしい。
マンドラは声を張り上げ憲兵隊を召集してから、十六夜に向き直った。
「……助かった。お前のおかげで犯人を捕縛することができた」
「いや。お礼はテオドールに言ってやってくれ。こいつを叩き落としたのはあいつだ」
「そうか。……その本人はどこへ行った?」
「さあな」
歯切れが悪い答えにマンドラが眉を寄せる。だがそう言うしかない。
十六夜が落下する直前、飛び出てきたテオドールは混世魔王の脳天に踵落としを食らわせた後──まるであの極寒の風に攫われるように、ふっと消えてしまったのだ。
恐らく本来は、混世魔王がそうなる筈だった。十六夜はそういう現象を起こすことができる手段を知っている──“空間跳躍”。何者かがそれを仕掛けたのだとしたら。
混世魔王の同士ではないだろう。そんな使い手が仲間にいたのなら、焦って“主催者権限”を使おうとはしなかった筈だ。
つまり、考えられるのは、未知の第三勢力の存在。
「細かい話は後だ。とにかくすぐサンドラに伝えろ。この“神隠し”とはまた別の、良くない勢力がこの街に潜んでる可能性がある」
「……それは本当か」
「十中八九な。まあもしかしたらテオドールが全部片付けちまうかもしれないが──」
「マ、マンドラ様! 大変です!」
憲兵隊の一人が慌ただしく駆けてきたので、二人は会話を切って振り返った。
血相を変えた隊員が、マンドラの返事も待たずに報告する。
「サンドラ様が宮殿を抜け出したとの報告が……!」
「なんだと!?」
「幸いなことに都市内で目撃者が多数おり、現在は“星海の石碑”の展示回廊に居られるとのこと!」
「ええい、こんな時にアイツは何を──」
恫喝しようとしたマンドラだったが、突然言葉を呑み込む。苦い表情を浮かべ、十六夜を見た。
その反応が気になりはしたが、追及する程でもないか、と流す。
「悪いが“星海の石碑”まで付き合ってもらうぞ」
「まあ、あの展示回廊は見ていて飽きないからな。タダで入場できるなら喜んで付いていくさ」
事態がいつ動くか分からない。十六夜としても見過ごせない状況だ。共に頷き合い、展示回廊へ駆け出す。
ちなみに犠牲になった売店の修理費用は、憲兵隊の隊員達がしっかりと支払った。マンドラ付けで。
◆
──“紅玉の洞穴”地下水路。
着地すると同時に、熱風がテオドールを襲った。
石造りの床を焦がす程の灼熱の嵐。しかし炎耐性が万全のテオドールにとってはただのちょっと熱い風だ。完全にそれを無視して、敵意を感じた方へと一瞬で駆け抜ける。
道中の壁をぶち抜いて、最短距離で現れたテオドールに、青と赤のコントラストで彩られた外套を身に纏った男は僅かに目を瞠った。
「ほう、私の居場所を悟るとは──」
テオドールはバックパックから取り出した大鎌で、迷いなくその首を刎ねた。
知覚することすらできずに頭を失った男の身体が、それでも変わらずそこに在るのを見て悟る。生命力を削りきれなかったのだ。首を失っても死なないということは、恐らく人間ではないのだろう。
だったら死ぬまで切り刻む他ない。
間髪入れず、圧倒的な〈速度〉から繰り出される怒涛の斬撃が、男の生命力を──霊格を奪い去っていく。再生しようとしていた男の身体は、それ以上の速度で細切れになる。
果たして、テオドールが動きを止めた時には、男は塵のように崩れ落ちていた。
霊格を失い、原形を失くした誰か──思わず殺してしまったが誰だったのだろう──を見下ろすテオドールの背中に、何かがコツンと当たる。
カラン、と音を立てて落ちたのは短剣だった。刃には一滴の血も付いていない。テオドールの耐久力を超えられなかったようだ。
「……嘘、」
狼狽したような少女の声を聞き逃す筈も無かった。瞬時に敵と判断、接近し、鎌を振るう。
細い首を食い破ろうとした大鎌は──その寸前で動きを止めた。
まるで見えない壁があるような重みが、それ以上刃が近付くことを拒んでいる。
その一瞬の間に見た、目を白黒とさせる少女の顔に、テオドールは見覚えがあった。
「……吸血鬼の城に居たな」
確かリンと呼ばれていた少女が、息を呑んだ。
◆
“空間跳躍”の座標に別人が割り込んだせいで、混世魔王を味方に引き入れることに失敗した。
でも問題ない。まだいくらでもチャンスはある。
そう思ったのも束の間だった。まさかあの“マクスウェルの魔王”が手も足も出せずに殺されてしまうとは、どうして予想ができよう。
動揺が隠せないまま牽制として投げた短剣が、躱されもせずただ地面に落ちた。それが間違いだった。
真っ直ぐに向けられた無色透明な殺意に、リンの足が竦む。
「……吸血鬼の城に居たな」
気が付けば、自身の首に鎌が迫っていた。
ギフトが無ければ間違いなく死んでいた。リンのギフト、“アキレス・ハイ”は相対的な距離を操る。どんなに強力で速い攻撃も、届かない。
だが、死なないだけで、自分では勝てないとすぐに分かった。次の瞬間にはリンは離脱を図り──*Error occurred. Undefined skill found, try debugging*──バチン、と耳障りな音がして、“アキレス・ハイ”が無効化された。
「え?」
鎌の刃が首に喰い込む。血が首を伝っていく。
その瞬間が、リンには何秒にも感じられ──
「…………?」
いや、違う。
刃は確かにリンの首筋を舐め取ったが、そこで止まっていた。
困惑してテオドールを見れば、彼は先程までの殺意なんてなかったような澄ました顔でこちらを見つめている。その目からは何を考えているのか読み取れない。
これはチャンスなのかもしれない。思わず腰の短剣に手を伸ばそうとし、
「動くな」
肩を震わせたリンが動きを止めると、また殺意がすっと霧散する。さざ波すら立たないような静かな空気は、先程までの苛烈な殺意の痕跡を一つも残さない。
じわじわと、リンの中に恐怖が積もり始める。
端的に言うならば。
(……この人、やばい……!)
絶体絶命であった。
◆敵意を感じた方
〈探知〉スキルの賜物。一部ヴァリアントではこのスキルがあると敵がいる方向を察知できる。
元々の効果は隠し通路や罠を発見するスキル。正直いらない。
◆壁をぶち抜く
〈採掘〉スキルの賜物。elonaは町だろうがネフィアだろうが壁を掘って進むことができる。
王様の寝室に不法侵入(無罪)して勝手にベッドを使う(無罪)ためのショートカットに使ったりする。
◆マクスウェル
霊格が粉々になってしまったので修復不能。
炎も氷も効かない相手だったばっかりに…
◆途中の謎英文
所謂システムメッセージなので誰にも聞こえてない。テオドールは薄々何が起きてるか気付いてる。