キミに溺れる。   作:祈祷師

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エピローグ 上

 

 三月がずっと続けばいいと思った。

 マフラーをかき上げ、手袋に守られた手に白い息を吹きかける。

 

 なんてことのない仕草。

 なんてことのない日常。

 全てが思い出に移りゆく。

 

 けれど。

 

 それでも私は、振り向けなかった夢をまだ覚えている。

 

 

 

 

 

 

 中学の卒業式と違って、高校の卒業式は号泣してしまった。

 多分、高校生活が人生の中で一番充実していたんだと思う。手放してから気付く大切さを、私はここに至るまでの道のりで噛み締めていただろうか。今となってはもうわからない。

 

 思い出がしゃぼん玉のように溢れ出す。

 入学式。香澄と出会った日。高校で初めてできた新しい友達。香澄を初めとして、様々な人と交流するようになった。

 文化祭。皆がキラキラ輝いていた日。ステージの上で演奏する香澄達がひたすら眩しかった。私はそれを一人、遠くから眺めていた。

 夏休みも、冬休みも、春休みも。それ以外のなんてことのない日だって、どれもがキラキラ輝く愛しの瞬間だった。二年生になっても、三年生になっても、同じ日なんて一日たりともなかった。

 

 ふと振り返れば、それらはまだ近くで消えないように息づいている。

 

 

 友達と別れの挨拶を交わした。

 誰もと涙ながらに交わしたそれは、思えばなかなか口にしない言葉だ。

 永遠に続くと思っていた。当たり前のように明日があると思っていた。

 けれど、違うんだ。

 私達はもう「またね」とは言えない。

 

 それぞれが違う道を行く。大学だったり、就職だったり、はたまた別の道だったり。

 多くの人と再び道を交えることは、残念ながら難しいだろう。だから、今日でほとんどの人とお別れになる。

 それが良いことなのか悪いことなのか、私達にはわからない。

 わからないけれど、悲しいと思う。

 そして同時に、悲しいと思うけれど、どこかで折り合いをつけて進まなければいけないことなのだと思う。

 目に見えるのは過去だけど、私達の行くすえは未来だから。

 

 でも今日は卒業式。

 過去を振り返る日。

 そして、未来へ踏み出す日。

 

 楽しかったな、高校生活。

 ありがとう、花咲川女学園。

 

 私達は、惜しむように手を振った。

 

 

 

 

 

 

 生憎の雨の中、傘をさして私は涼太との待ち合わせ場所へ向かう。

 久しぶりに一緒に帰る約束をした。涼太が香澄と付き合うようになってからはそういう機会もなかったので新鮮だ。

 

 あれからも二人の交際は順調で、多少の喧嘩やすれ違いはあるけれど、とても円満なカップルだと言える。

 まぁ、傍から見ても相性が良い二人だなと思うし。ホント、お似合いだよ。

 いつだって初めから私が入り込む余地なんてなかった。私が勝手に傷ついていただけ。人を好きになるって難しい。

 

 いつものカフェの前で待ち合わせ。

 着くと、すでに涼太は待っていた。

 これもなんだか新鮮だ。いつも私が涼太を待つ側だったから、何とも言えない不思議な感覚に陥る。

 

「……おす」

「おす」

 

 何十年と交わし慣れた挨拶が雨に濡れていく。しっとりとした余韻は、優しい雨音の中に溶けていった。

 今日は涙腺が緩んでいるから涙が出そうになったけど、意地でどうにかグッとこらえた。

 

 どちらともなく店内へ。

 新人の店員さんに席へ通される。

 いつも見かける店員さんはもういない。多分辞めたのだ。きっと行き先を見つけ、そこへ向かって一歩踏み出したのだと思う。というか、そうだといいな、と妄想している。客と店員の間柄でしかなかったけど長い付き合いだった。なんであれ、私は陰ながらエールを送った。

 

 入口から向かって右側の奥から二番目。その私達がいつも座る席は、知らない誰かが座っていた。

 だから今日は一番奥の席に座る。いつもの席を通り過ぎる瞬間、少しだけ背筋がしゃんと伸びた。

 

 雑談も無く席について注文をする。二人ともブレンドコーヒーだけを頼んだ。

 コーヒーを待つ間、ぼんやりと窓の外を眺めようとした。しかし、窓の結露による水滴に阻まれる。仕方なく目を閉じて耳をすませば、歌声のような雨音が聞こえた。とても優しい音だ。

 店内に意識を戻すと、微かなクラシック音楽が聞こえる。けれど今日の主役は雨音のようで、どんな曲かハッキリとはわからなかった。

 

「そういえばさ」

 

 届いたコーヒーに角砂糖を落としながら、涼太は口を開いた。

 

「沙綾の進路聞いてなかったな」

 

 その問いを耳にして、私は意外だと言わんばかりの表情を顔に貼り付ける。

 

「興味無いのかと思ってた」

 

 うわ、「お前はバカなのか」って顔された。

 なによ、失礼な。

 

「幼馴染の進路に興味無いわけないだろ」

「……そっか」

 

 最後まで私は、涼太にとってただの幼馴染でしかなかった。それに対して今更あれこれ思うことはない。ただ、清々しいまでに突きつけられるその事実が、やけに虚しかった。

 

「普通に進学だよ。大学行く」

「へぇ、どこの」

「○○大」

「……まじか。県外じゃん」

「うん、そう」

 

 ちなみに涼太は地元の大学。学部は違うけど、香澄と同じなんだって。

 

「てっきり沙綾は家から出ないのかと思ってた」

「まぁ、最初はそのつもりだったんだけどね」

 

 体の弱い母さんがまた無理をするんじゃないかって心配だった。まだ幼い弟妹が寂しがるのが心配だった。その全てを支えることになる父さんが心配だった。

 

 ――そして、キミがいるから。

 

 これまでも、そしてこれからも。

 当たり前のように近くに居るのだと、そう思っていた。

 

「背中を押してくれたんだ。父さんと母さん、それに純と紗南もね」

 

 でも私は、外の世界を見てみたくなった。キミのいない世界を見てみたくなった。

 

 だってここに、キミがいるから。

 

 いつまでも子どものままではいられない。少しずつ、一歩ずつ、進んでいくしかない。

 そして、私にとっての大きな一歩が、キミのいない世界。

 

「……そうか」

「何も聞かないの?」

「だってもう決めたんだろ。それに沙綾は頑固だし、口硬いし、どうせ多くは言わないしな」

 

 さすが幼馴染だ。よく分かっている。

 

 コーヒーを飲んだ。口に残る香りも味もほろ苦い。けれど、確かな温かさがある。私はその温かさに満足感を覚えた。

 

「帰ろっか」

「だな」

 

 時間にして一〇分程度。

 おそらく過去最短の滞在時間だ。

 けれどもう、思い残すことはない。

 

「あ」

「ん?」

 

 会計を終え店から出た瞬間、涼太は何かを思い出した風な声を発した。

 

「沙綾、卒業おめでとう」

 

 今日は卒業式。

 過去を振り返る日。

 

「うん。涼太も」

 

 そして、未来へ踏み出す日。

 

 

 

 

 

 

 シャワーのような雨が傘を撫でる。

 小気味いい音を立てて水が滑り落ちてくる。

 

 雨の中。何百、何千日と歩いた帰路を行く。

 隣には幼馴染の彼がいる。

 私達の傘がぶつかることはない。

 

 ふと、香澄と付き合ってることが決定的になった日を思い出した。

 あの日も雨が降っていた。

 二人は一つの傘におさまり、身を寄せ合っていた。

 

 疑問。これまで私は、彼と相合傘をしたことがあっただろうか。

 いや、無かったと思う。

 その違いは、なんだかとても大きなことのような気がした。

 

 私達の家が見えてくる。

 隣同士。

 私の家がパン屋で、彼の家はケーキ屋。

 店の正面からは入らない。裏手に回った所が玄関だ。

 そして、塀で隔てて私達の家の玄関は隣合っている。

 

「じゃあな」

「うん」

 

 ずっと隣にいた。誰よりも近くにいた。けれど、いつだって届かなかった。

 

 予感がある。今日を逃したらもう、彼と当分会うことはないだろう。

 隣から鍵を開ける音が聞こえる。雨が降っている。私も玄関の鍵を開けた。

 

「涼太!」

 

 名前を呼んだ。塀の上から覗くキミの目が私を捉える。表情は窺えない。

 

「あのね」

 

 雨が強くなってきた。まるで世界を溺れさせようとするように。あるいは、心の氷を無理やり溶かそうとするように。

 

 

 もし、キミに恋したことが。キミと過ごした日々が、これからの私を作っていくのだとしたら。

 

 あの日泣いてしまったことも無駄じゃなかったと、思える日が来るのだろうか。

 

 そんなこと、考えたってわからないけれど。

 

 それでも、私は。

 

 

「私、キミのことが――――」

 

 

 溺没の果てで、そんな日を待っている。

 




この沙綾はPoppin’Partyに加入していません。理由は色々とありますが、話を書くとしても長くなるので割愛します。

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