兎は月に恋い焦がれる   作:タタリ

12 / 30
お待たせしました!


自分が変われば世界が変わる(なお変わりすぎることもある)

「それは! 絶対!! 『Love』ですよ!!」

 

 目をキラキラ……というよりギラギラさせながら、俺に噛みつかんばかりの勢いで身を乗り出す少女。

 やはり人選を誤ったか……と内心ため息をつきながら、俺は口を開いた。

 

「……七尾さん。ここ、図書館だから」

「……あ」

 

 今は午前10時を少し過ぎた頃。まだ朝の時間帯とはいえ、俺たちの他にも利用者は存在する。椅子から腰を浮かせて、ボリュームの増えた声を出した七尾さんはひどく注目されていた。もちろん、悪い意味で。

 恥ずかしそうにしおしおと小さくなりながら椅子に座りなおす七尾さん。俺は彼女に気を付けるよう釘を刺してから十何秒か前と同じように口を動かした。

 

「それで……七尾さんは、その……これは恋愛感情だと思う?」

 

 俺は結局、七尾さんに相談に乗ってもらっていた。今朝、メッセージを送るとすぐにOKの返事が届いたのだ。だいぶ朝早くに送ってしまったけど、七尾さんも朝早い人だったのだろうか。

 ちなみに、最初は普通に読書会をするつもりだったのだが、相談に乗ってほしいとダメ元で頼んでみたら、

 

『恋バナですか? 恋バナですね? いいですよ!!』

 

 ──と、ノリノリで了承されたのだ。ちょっと不安ではあったが、背に腹は代えられなかった。俺の周りでこの手の相談に乗ってくれる人は七尾さん以外いないのだ。ちょっと不安ではあったが。不安ではあったが。

 

 七尾さんには、昨晩の経緯を一通り教えた。

 

 妹のように可愛がっていた女の子がいること。

 俺がうっかりお酒を飲んで酔っ払ったこと。

 本心が垂れ流しの状態になったこと。

 散々ぶっちゃけた挙句、勢いで女の子に愛していると言ってしまったこと。

 酔いが覚めた後で、その言葉の意味が自分でも理解できなくなっていること。

 

「絶対そうですよ! ……今まで妹のように思っていた女の子が、ふとしたきっかけでそうは見えなくなってしまう広瀬さん。距離感がうまく掴めなくなってしまっている間、女の子に魔の手が伸びる! 悪者の手によって操られてしまう女の子に、広瀬さんは攻撃できなくって一方的に攻撃されてしまう……ああっ、どうすればいいんだろう! そんなとき、私が風と共に現れて……!」

 

 ……それらを全て踏まえた結果、彼女の中でバトルが繰り広げられていた。なにそれこわい。

 

「……ちょっと、七尾さん?」

「……クライマックスでは広瀬さんが女の子に大声で告白しながら突撃して……!」

「七尾さん? 七尾さん!?」

「……はっ! ご、ごめんなさい! ちょっとトリップしてました!」

「えぇ……」

 

 心の中で七尾さんのことを、あわてんぼうの文学少女から怪電波少女へと格下げしたのが分かった。意識してではなく、自動的に処理されたのだ。

 彼女はコホンコホンと顔を赤らめながら咳ばらいをして、勢いよく俺を指さした。

 

「広瀬さんのその感情は間違いなく、恋です!」

「そうかなぁ」

 

 改めてはっきりと言われると、少し恥ずかしい。それに、正直ピンとこない。恋というのはもっと、こう……劇的なものではないのだろうか。

 

「だって、ええとその……女の子って言いづらいですね……」

「あー……じゃあA子で」

「えー……」

「……Aだけに? 2点。10点中ね」

「違います! あまりにも適当な名前に引いてるんです!」

「適当とは失礼な。ちゃんと考えてるぞ」

「え、そうなんですか?」

「ああ。その子のイニシャルもAなんだよ」

 

 なんとなく、杏奈の名前をはっきりと声に出すのに抵抗があった。とっさに出てきたのがイニシャルだったが、七尾さんには適当に考えたように見えたらしい。

 考えてみれば、七尾さんと杏奈の間に関係はないだろうし、本名を出しても特に問題はなかったのではないか。それこそ仮名として扱ってしまっても良かったのだから。

 

「おぉー……ご、ごめんなさい。失礼なこと言っちゃいました」

 

 申し訳なさそうな顔をする七尾さん。俺は彼女に動揺を悟られないように口を開いた。

 

「いいよ別に。そうでなくてもA子にしたんだし」

「……やっぱり適当なんじゃないですか!」

「だって呼び名なんて何でもいいし……」

「そ、それはそうですけど……!」 

 

 七尾さんはぐぬぬ……とひとしきり俺を睨んだ後、軽く息を吐いた。

 

「……コホン、えーっと、そう、広瀬さんはA子ちゃんに恋愛感情を持っているって話ですよね」

「違う。持っているのかどうかがわからないって話だから」

「あぁ……はい、そうでしたね」

「そうでしたねって、そんなどうでもよさそうに……」

「いや、だって私から見れば明らかに恋してるんですもん……」

「な……ん、で、そう思うのさ」

 

 喉を詰まらせつつそう尋ねると、七尾さんは「そうそう、その話でしたね」と話を切り出した。

 

「だって、A子ちゃんに愛してるって言ったことだけが気になっているんですよね?」

 

 頷く。

 

「で、A子ちゃん以外の人にも同じように色々言ったけど、それは特別気になるものではない、と」

 

 頷く。

 

「言い換えると、A子ちゃんのことだけが気になっている訳で」

 

 頷く。……ん? 

 

「ね? 恋してるでしょう?」

 

 いやそのりくつはおかしい。

 

「そりゃ、誘導尋問ってやつだろう」

「ど、どこがですか?」

「言い換え方に他意を感じたぞ?」

 

 ジトッとした目で見てやると、七尾さんは目をそらしながら口を尖らせ、ひゅうひゅうと口から息を吹いた。口笛のつもりだろうが全く音が出ていない。……というかこんなベタなごまかし方をする人初めて見た。確かにあざとかわいいが、それで追及をかわすのは無理があるだろうに。

 

「で、でもですよ? その言葉だけがすんなり飲み込めていないっていうのは、そういうことだと思うんです!」

 

 誤魔化せないことを悟った七尾さんは、両手をわたわたと動かしながらそう言った。

 慌てて取り繕うように出されたその言葉は、しかし正鵠を射るもので──

 

「……むぅ」

 

 口に含まれていた否定の言葉が、喉の奥で滲んで消えた。

 確かに、そうなのだ。自分でも妙だなとは思っていた。骨ごと呑み込んだ黒歴史に、引っ掛かりを覚えるはずがないのだから。

 問題なのは『愛していると言ったこと』ではなくて、その言葉に含んだ意味。つまり、引っ掛かった小骨は、飲み込んだものにあったものではなく、元々自分の中に存在していたことになる訳で……。

 

「……納得、できませんか?」

 

 机に組んで置いている自分の両拳が映る視界の端に、七尾さんの顔が入ってきた。

 ここでようやく、自分がうつむいていたことに気づく。そっと苦笑しながら顔を上げると、こちらに身を乗り出すような姿勢だった七尾さんも、合わせて体を戻した。

 

「どう、なんだろうね。分からん」

「広瀬さん、難しそうな顔してますもんね」

 

 誤魔化すように頭をガシガシと掻いて言うと、七尾さんはクスクスと笑った。

 む、かわいい。……こうしていれば、真っ当な美少女なんだけどなぁ。妄想爆裂娘なんだよなぁ。

 

「どうしたものかね、ホント」

 

 そっと視線を七尾さんから外しながら言う。彼女は特に気にすることもなく、何かに気がついたように手を合わせた。

 

「じゃあ、意識することを意識してみたらいいんじゃないですか?」

「ん、ん? どういうこと?」

 

 俺が首を傾げると、七尾さんは得意げに話し出した。

 

「A子ちゃんと付き合いたいーって、日頃から意識するんです」

「お、おう?」

「それでそのまま、あぁ好きだなー恋人同士になりたいなーってなれば、それが答えになるじゃないですか!」

「……なるほど。あ……A子のことをそういう目で見るのは無理だったとしても、答えは出たことになる……と」

「はい! どうですか、この案!」

「……間違いなく俺が羞恥心に襲われることを除けば、いいと思う」

「あー……でも、行動しないといつまでも変わらないですし、そこはこう……頑張ってください!」

 

 グッ、と親指を立てる七尾さん。おのれ他人事だと思ってからに……。

 ……でも、七尾さんの言っていることも正しい。やってみないことには、始まらないのだ。どうせ、このままでいてもきっとギクシャクしてしまうのだ。だったら、さっさと答えを出してしまった方がいいはずだ。

 俺はため息を一つ吐いて──

 

「……わかった。やってみるよ」

 

 七尾さんの目を見ながら、ゆっくりと頷いた。

 

 

 

 …………

 

 

 

 その後、七尾さんが「せっかくですから恋愛をテーマにした本を読みましょう!」と言って、読書会もすることになった。それでも気を使ってもらったのか、一冊読み終わった頃に彼女の方から解散を提案された。そのため、図書館を出たのは昼時を少し過ぎたころであった。

 今思えば、本を読もうと言ってきたのも読書会の体裁を整えるための気遣いだったのかもしれない。もしそうなら七尾さんは相当なやり手だな。

 そんな益体も無い想像をしながらマンションのエレベーターを待っていると、後ろから声が聞こえた。

 

「……あ……! お、お兄ちゃん……!」

 

 振り向くと、今一番会いたかったような、会いたくなかったような相手──杏奈が、マンションの入り口に立っていた。

 

「あ……杏奈か。……って……」

 

 よく見ると杏奈は若干息が乱れていて、前髪が額に張り付いていた。

 俺の知っている杏奈は、学校に遅刻しそうな時だろうと歩いて登校する少女である。しかも、今の杏奈はOFF状態だ。ON奈ならともかく、OFF奈が肩で息をしているところなんて、俺は今まで一回も見たことがなかった。

 

「どうしたんだ杏奈、そんなになって」

 

 ハンカチを使って、杏奈の前髪を整えつつ額の汗を拭う。

 

「あ、ありがと……じゃなくて、えっと……あの……!」

「落ち着け。深呼吸だ杏奈」

「う、うん……すぅ、はぁ……。……、ふぅ……」

 

 杏奈がここまで取り乱すなんて、ますます珍しい。部屋で遊んでいたときに、黒光りするアイツを見つけたときだってもう少し落ち着いていた。

 

「で、何かあった?」

 

 杏奈が落ち着いたころを見計らって聞いてみると、杏奈はゆっくりと言葉を探し出す。

 

「その……あのね、お兄ちゃん……!」

 

 杏奈は俺と目を合わせては逸らしを繰り返しながら、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。

 息はもう整っているにも関わらず、頬の赤みが引いていない。声も、いつもより一回り大きかった。

 

「杏奈……杏奈ね……!」

 

 そして、へその辺りで組んでいた両手に力を入れながら、しっかりと俺に目を合わせた。

 

「アイドルになる、よ……!」

「………………は?」

 

 チーン、という音とともに、エレベーターの扉が開いた。何もできずにあんぐりと口を開く姿は、どうしようもなく間抜けに見えたのだった。




改めまして、大変お待たせしました!

まずい、すっかり月一ペースに落ち着いてしまっている……!
3~4000文字程度なら毎日投稿できると思っていた時期が私にもありました。くそう。
習慣ができればもう少し投稿ペースを上げることもできるのかなぁ。

お気に入り、評価、感想、本当に本当にありがとうございます!
とっても励みになるのでもっとください(スペシャルアピール)
杏奈ちゃんの小説もください(アナザーアピール)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。