鼓動が速い。
もう数分もすれば、大本営との演習が開始されるだろう。
私たちは――勝てるだろうか?
霞、私は――。
「オイ、大丈夫かよ朝潮。顔色悪ぃぜ?」
「っ! ……いえ。問題ありません、天龍さん」
「なら良いけどよ。……不安に思うのは分かるが、今更だぜ? もうやるしかねぇんだ。全力でな」
そう言って右の拳を左手に叩きつける天龍さん。革製の指貫き手袋がぱぁんっ! っと小気味良い音を立て、彼女は牙を剥いて獰猛に笑った。
「俺は誓った。仲間を、提督を守るためならなんだってやるってな。これも同じことだ。お前がヤバくなったらいくらでも助けに入ってやる。
しかし。ふっ、と表情を緩めると、天龍さんは私の頭を乱暴に撫でた。つい数秒前とは打って変わって、慈愛に満ちた……大切にしまった宝箱の中身でも眺めるような。そんな優しい微笑みを、私に向ける。
「そうやでぇ、朝潮。うちらは
天龍さんに次いで、龍驤さんは快活に笑って見せた。司令官に作戦説明を行うと呼び出された日から、龍驤さんはよく笑顔を見せるようになったと思う。あまり周りと関わらず内向的な人だと思っていたけれど、本来は明るい性格なのかも知れない。それを司令官が引き出した、ということなのだろうか。
龍驤さんは本人が以前言っていたように、空母として平時から運用するのは中々難しいらしい。それでも司令官ははっきりと、今回の演習においての役割と、その作戦内容を説明して見せた。それから彼女は、よく他人と話すようになったと思う。少なくとも、私の目にはそう映った。
「朝潮だけやない。うちもキミらに助けてもらわんと、司令官からのお役目果たせんからね。特に隼鷹! しっかり頼むで?」
「ふふん。わーかってるってぇ。勝ったらご褒美くれるらしいじゃん? 上手くいったらお酒買って貰うんだ~♪ 提督とは美味い酒が飲めそうだぜぇ! ひゃっはー!」
「……司令官って未成年やろ?」
「鎮守府は治外法権って言うし、いけるいけるぅ! せっかくだし祝勝会なんか開いてさぁ、パーッといこうぜ~。パーッとな!」
「まったく、気が早いやっちゃで。……でも、悪くないな!」
これから正規空母二隻と制空争いに臨むというのに、龍驤さんにも、隼鷹さんにも。気負った様子は見られない。自分たちが負けることなど、全く考えていないようだった。
考えないようにしている、のかも知れないけど。
……私は、怖い。
演習に負けることも、敵戦艦の主砲や空母の艦載機攻撃に被弾することも、もちろんそうだ。
でも、何よりも。司令官の期待に応えられないことが、ひどく怖ろしい。
『……演習の出撃を代わって欲しい?』
本来この演習に参加するのは、妹の霞のはずだった。暁光鎮守府の駆逐艦では最も練度が高く、司令官や他艦娘との関係も良好だ。編成に加わっているのは当然と言えた。
きっと霞は、こんな状況でも不安なんて見せず、確実に作戦をこなそうとするだろう。司令官も、それを知っているからこそ迷いなく霞を選んだ。
でも、それを理解していてなお。私は自ら霞に願い出たのだ。"代わって欲しい"と。
『……やれるの?』
その問いかけに、私は自信をもって頷くことは出来なかった。まるで駄々っ子のように。霞より優れていると根拠を明示するでもなく、演習に出撃したい理由を説明するでもなく。
ただ床に視線を巡らせる私に、霞は。
『……分かった。クズ司令官には私から具申しておくから。……頑張ってね、朝潮姉さん』
その優しい声音に思わず涙が溢れそうになり。彼女が立ち去るまで、やっぱり私は視線を上げることが出来なかった。
……私は、怖い。
今度こそ、司令官の力になれるだろうか?
今まではそうあろうと努力して、
司令官と仲間たちに、これ以上不快な思いをさせないよう。私は作戦に参加することが少なくなっていった。
だから、今度こそ。今回が、最後の
取り戻すのだ、いつかどこかの海に置いてきた、私という駆逐艦を。
そして……欲を言っていいのなら。
司令官に一言、"よくやった"と。そう声をかけてもらえたなら。
妹を……他の
〈――これより、大本営艦隊と暁光鎮守府艦隊の特別演習を開始します。観覧されるご来賓の皆様、及び各提督は護衛の艦娘を伴って――〉
――始まる。
「HEY! 皆さん、お喋りはそこまでネ! 扶桑、お願いしマース!」
「……ええ。では、各艦。作戦通りに……行きましょう」
「Follow me! 皆さん、ついて来てくださいネー!」
扶桑さんの落ち着いた声に、天龍さん、龍驤さん、隼鷹さんが同時に頷き、一拍遅れて私も首肯した。金剛さんが拳を掲げ、扶桑さんと並んで航行を開始する。
いつかの、自信と……司令官への信頼に満ちていた、自分の影。
今の、自身に存在意義を見出せない、ただの鉄屑のような自分とそれを、脳裏で重ね合わせる。
――大丈夫、やれる。
霞が……妹が、信じてくれた。私自身が信じ切れていない、私の力を。
間接的にでもいい。その霞を信じてか、司令官も私を演習のメンバーに選んでくれた。
――十分だ。これなら、戦える。
自分に足りないものは、みんなが補ってくれる。霞が、司令官が、臆病な心を支えてくれる。先を行く仲間たちが、共に勝利を目指してくれる。
――勝てる。……いや、勝つ。勝ち取るんだ。
そして、取り戻す。今までを……これからを。
一度大きく息を吸い込み、一瞬の
「……駆逐艦朝潮、出撃します!」
ついに50話になりました。
応援ありがとうございます! そして更新頻度が安定せずすみませぬ。
前置きが長くなりましたが、次話よりやっとこ演習本番になりますので、良ければお付き合いくださいませ。