やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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いつも感想、評価、お気に入り、誤字報告、DM、読了報告、ありがとうございます。

祝!正真正銘の100話突入です!
ここまでこれたのも皆さんの応援のおかげです!
本当にありがとうございます!!
……とはいえ、この物語は一体イツ終わるのでしょうね……(同時に襲いかかる不安)


第100話 ようこそ恋愛至上主義の千葉村へ

 体は鉄で出来ている。

 血潮は油で、心はエンジン。

 幾たびの走行を経て腐敗(予定)。

 ただの一度の事故もなく、ただの一度も渋滞はない。

 

 そんな比較的快適で安全運転な車に揺られながら俺は今、一路日本に残された最後の秘境群馬を目指していた。

 強い日差しに目を細めながら窓の外を眺めれば現在地は埼玉、既に出発してから一時間ほどが経過しているが、これでようやく全行程の半分ほどだというのだから、車内に少しだらけた空気が漂っているのも致し方ないことだろう。

 

 今の俺に出来ることと言えば、せいぜいカーステレオから流れる一昔前の音楽に耳を傾けながら、一人『一色は寝坊してないだろうな?』とか『小町の奴車酔いしてないだろうな?』とか『そういや一色は乗り物酔いとかしないんだろうか?』とか『戸塚は今日も可愛いんだろうな』とか、そんな意味のない思考を繰り返し。流れる景色を眺めることぐらい。まあ、一言で言ってしまえば暇なのである。

 

 勿論、車内に人が居ないわけではない。

 助手席には葉山。二列目俺の隣には戸部。三列目左から三浦、海老名と、まるで俺を囲むように葉山グループが配置されている。だが、それが問題でもあった。

 せめて隣に戸塚か小町でも居てくれれば俺もこの車内で楽しく会話をしようという気にもなるが、前を見ても右を見ても後ろを見ても、そんな相手がいないのだから仕方がない。スマホで読書というのも微妙に酔いそうだし、通知が煩かったのでスマホ自体の電源を落とした俺がこうして一人の世界に浸るのも自明の理というものだ。 

 

 そもそも何故俺がこんな中途半端な位置に座ることになったのか?

 これまでであれば俺が最後列に座り、前の席でワイワイと楽しむ葉山たちを眺めるというのが定石だったように思う。

 なのに、今回はそうはならず結果車内は比較的静かだ。何故か?

 その原因は運転手だ。

 

 今、この車を運転しているのは葉山父なのである。

 

 元々、今回の遠征は課外学習の一環だったということもあり、平塚先生は体育教師の厚木に運転を頼むつもりだったらしいのだが、厚木も別の部の顧問として動かなければならなくなったらしく、急遽運転手を探す羽目になったところで葉山が「親に掛け合ってみる」と話をつけてきた。

 

 まあ、その時の俺としては「もうどうにでもしてくれ」という心境だったので、運転手が誰になろうがどうでもよかったし、それがコイツらのいつものスタイルならそれで問題ないだろうと思っていたのだが、殊の外問題があった。

 葉山父が運転手になったことで、三浦がよそ行きモードになってしまったのだ。

 まさに借りてきた猫状態で、乗り込むときも「ヒキオ、あんた前座んな」と俺を先行させ、自らは三列目のシートに海老名と並んで座り、大人しく口を閉ざしてしまったのである。

 

 結果、グループの中心である葉山と三浦が離れたことで会話がスムーズに回らなくなり、今もこうして気まずい空気が流れているのだ。

 

「あ、っべ。トランプ持ってくるの忘れたかも」

 

 唯一の救いは、そんな中でもめげずに場を盛り上げようと定期的に会話を振る戸部の存在だろうか?

 いや本当、こういう時こいつのありがたみを感じるな。

 

「それなら俺が持ってきてるよ、小さいやつだけど」

「マジ? さすが隼人くん。マジ助かるわぁ!」

 

 一体トランプで何が助かるのかは分からないが、そう言って戸部はおどけながら車内を見回し、最後に俺に向かって困ったように笑顔を向けて来る。

 とはいえ、残念ながら俺では戸部の力にはなれなかった。

 いや、なんとかしてやりたいという思いはあるのだが、そもそもどう答えるのが正解なのかわからなかったのだ。

 

「いやー、まじ隼人くんのお父さんいて助かったわぁ、マジ神っつーの? うちの親父とかマジ使えねぇから本当。マジありがたいわぁ」

 

 それでも戸部は勇敢にも会話を続けていた。

 しかも今度は運転手である葉山父に声をかけたのである。

 葉山父もまさか自分に話を振られるとは思っていなかったのか、驚いたようにミラー越しに戸部を見つめ、一瞬、気まずい沈黙が車内を支配した。

 

 ──葉山父に対する俺の第一印象は、あまり葉山に似てないな。というものだった。

 眼鏡と口ひげの似合う厳格そうな親父ではあるものの。葉山ほどの派手さはない、そんな印象。しかも職業が弁護士らしいという情報がさらに葉山父のイメージを厳格で話しかけづらいものとして、より印象付けていたように思う。

 

 だから、戸部の軽口で機嫌を損ねるのではないか? と俺も僅かに体を強張らせていたのだが──。

 

「ははは、構わないさ。ちょうど近くまで行く予定もあったし、隼人がこういうワガママを言うのも久しぶりだったからね」

 

 葉山父の口から出てきた言葉は思いの外柔和で葉山の血筋を感じさせるものだった。

 いや、まあ葉山の親父なんだから当たり前といえば当たり前なのか。

 案外、葉山の内面は父親似なのかもしれない。

 

「余計なことは言わないでくれよ父さん」

 

 葉山も葉山でそんな父親との会話が恥ずかしく感じたのか、年相応な反応を示している。なんだか珍しいものを見た気分だ。

 

 こういうやりとりを目の前にすると、今回の運転手に俺の親父が候補に上がらなくて良かったと心から思えた。

 あの親父だったら余計なことしかいわないだろうしな……まあ、候補に上がったところであの親父が俺のために車出してくれるとも思えないけど……。

 

 そんな事を考えていると「お父さんを前にしてる隼人、ちょっと可愛い……」等と後方で呟いている三浦の声が聞こえた。

 これはチャンスだ。

 ここで三浦を前に出せば、この車内の空気を少しは元に戻せるかもしれない。

 そう考えた俺はこのチャンスを逃すまいと軽く背後を振り返り、三浦に声をかけていく。

 

「なぁ、やっぱ次のサービスエリアで席変わるか?」

「は? なんで?」

「いや、葉山と近い方がいいだろ?」

「……っ! あんたは余計なこと考えなくていいの!」

 

 俺の言葉に、驚愕の表情を浮かべた三浦はそのままパシッと俺の頭を叩いて来る。

 大して痛くはないがなんだか理不尽だ。

 それでも俺は三浦への追求をやめるつもりはなかった。

 このポジションにあと一時間近く座っているのは疲れるし、最後列の方が気兼ねなく眠れそうだったしな。

 帰りのことも考えると、今のうちに快適なポジションを確保しておきたい……。

 

「いや、でも……」

「あーしのことより、あんたの方はどうなのさ」

 

 だが、そんな俺の次の言葉は三浦の問いかけに寄ってかき消されてしまった。

 俺自身、三浦が何を言っているのか分からず、思わず言葉を飲み込んでしまったのだ。

 質問の意図がわからない、俺がどうとは? 一体どういうことだ?

 

「俺?」

「ほら、なんか付き合ってるってことにしたあの一年、結局どうするつもりなの?」

 

 俺が首を傾げていると、三浦が真面目な顔で言葉を続けてくる。

 『付き合ってることにした一年』と言われて思い浮かぶ女子といえば、一色いろはただ一人だけだ。

 そんなにあっちこっちで付き合っていることにされても困るし、間違いはないだろう。

 

「一色のこと?」

「そうそう。わざわざ付き合ってるアピールするってことはその気あるんじゃないの? あんま訳わかんないことしてると拗れるよ?」

「いや、別に……そういうんじゃないんだけどな……」

 

 そういやその件もまだ解決してないんだったか。

 気が付けばもうあれから二ヶ月。

 なんとなく、何も言われないので忘れていたが、例の噂がどうなっているのか一度確認して見ても良い頃合いだろう。問題がなければ予定通り夏休み明けぐらいで解消という話になるだろうが──。

 

「へ? 何々? ヒキタニ君彼女いんの!?」

 

 そんな事を考えていると、今度は戸部が俺たちの会話に割りこんできた。

 ……そういえばあの時戸部は居なかったんだったか。

 さて、どう説明したものか……。

 確かに車内の空気をなんとかしてほしいとは思ったが、俺の話題で盛り上がって欲しいわけではない。

 

「まあそのうちなんとかするさ……」

 

 だから俺は本来の目的も忘れ、顔を前に戻すとドスっと深く座り直して無理矢理会話を終わらせる──終わらせた、つもりだったのだが……。

 

「でもさでもさ! 彼女はいないけど、彼氏はいるんだよね?」

「いるわけねーだろ!」

 

 突然斜め後ろからヒョッコリと海老名が鼻息荒く飛び出してきて、思わずツッコんでしまい、車内にドッと笑いが巻き起こる。

 奇しくもそのことがきっかけで車内の空気が和み、俺たちは残りの時間、車内でトランプをしながら千葉村へと向かったのだった。

 

 

***

 

***

 

***

 

 そうして車に揺られること更に一時間強、長い長い旅の果てにたどり着いたのは群馬県内に何故かある我が千葉県の領土──高原千葉村だ。

 どうやってこの秘境で千葉が自国の領土を奪い取ったのかは不明。

 チーバくんがぐんまちゃんと争い、勝ち取ったという説が俺の中で濃厚だが真相は闇の中である。きっとその裏には壮絶な戦いがあったのだろう、千葉県内にも東京の領土があったりするしな。

 チーバくんは今日も他県に睨みをきかせながら俺たち千葉県民を守ってくれているのだ。ありがとうチーバくん。

 ああ、もしかしたら葉山父はグンマーまでチーバくんの弁護に来たのかもしれない。ここも近々閉園するみたいな噂も聞いたし、未だに事務所にファックスが置かれているという原始時代っぷりだし、案外劣勢だったりするんだろうか? 頑張れ葉山父。

 

「センパー……!」

「おにいちゃーん!」

「はちまーん!」

 

 そんな風にチーバくんと葉山父への感謝を胸に荷物を下ろし終え、散策がてら散歩をしていると見知った面々が乗った車が敷地内へと入って来た。

 どうやら奉仕部組も到着したらしい。

 

 中でも戸塚はいち早く車から降りて来ると右手を大きく振りながら俺の方へと走り寄ってくる。

 その様子はまるで恋人同士が感動の再会を果たす、ドラマのワンシーンのようであり、背後に花が飛んで、スローモーションで近づいてきているような錯覚に陥ってしまったほどだ。

 その笑顔があまりにも眩しく、油断すると浄化されてしまいそうだ、恐るべし戸塚。

 

「八幡は葉山君達と一緒の班だったんだね。待ち合わせ場所にいなかったからてっきり来ないのかなって心配しちゃったよ」

「あ、ああ、悪かったな……さ、彩加」

 

 なんとなく、小町達に見られているというのもあり、見栄を張ってもう一度名前呼びにチャレンジしてしまったが……やっぱ名前呼びは慣れないな、戸塚は戸塚でいいや。

 今日泊まりだし、このまま名前呼びを続けているとどこかで戻れなくなりそうで怖い。

 

「ううん、でもそれならそれで一言欲しかったかな」

「俺も昨日の夜知らされたんだよ、人数的にこっちにしろってな……」

 

 本来なら戸塚に声をかけたのは俺なので、一緒に行動すべきだろうとも思うのだが、こればっかりは仕方がなかった。

 奉仕部組は一色・由比ヶ浜・戸塚・雪ノ下・小町。そして運転手の平塚先生の六人。

 対する俺たちは葉山・三浦・戸部・海老名。運転手である葉山父・そして俺の六人である。

 女子は荷物が多いと言うし、二台車があるのなら均等に分かれるのがベストだろう。

 奉仕部員ではない俺が奉仕部組に無理矢理混ざる理由もないしな。

 かといって、俺と戸塚を交代させるなんて真似も出来ない。そんなのはライオンの檻にウサギを投げ込むようなものだ。守りたい、この笑顔。

 戸塚男だけど……。

 

 最も、葉山と一色を一緒にという案もないわけではなかったし、小町を生贄にすることもできないわけではなかったが、前者は奉仕部の合宿という前提から考えれば他の部員二人と引き離すべきではないし、後者は戸部や三浦から悪影響を受けたら困るという保護者視点から却下するしかなかった。

 結局のところこの組み合わせがベストだったのだろう。

 まあその分俺のストレスがマッハなわけだが……。こうして戸塚に駆け寄ってもらえたというだけで十分苦労も報われるというものだ。

 

「お兄ちゃんあっちで迷惑かけなかった? ちゃんといい子にしてた?」

「俺のセリフだそれは……迷惑かけてないだろうな?」

「大丈夫迷惑なんてかけられてないよ、凄く楽しかった。ね、小町ちゃん?」

 

 戸塚の次に俺の側に駆け寄ってきたのは小町だ。

 小町は戸塚の言葉に「はい!」と力強くそして楽しそうに返事をすると、ニコニコと俺に笑顔を向けてくる。

 

「ならいいけど……あんまはしゃぎすぎて熱だしたりするなよ?」

「ちっちゃい子じゃないんだから大丈夫だよ。お兄ちゃんこそ女の子に囲まれてるからってあんまり張り切りすぎないでよ? 小町修羅場はゴメンだよ……」

 

 今更だが、今回の合宿何故か俺だけ兄妹参加なんだよなぁ。

 一色が誘ったという話自体は聞いていたのだが、まさか平塚先生が許可を出すとまでは思っていなかった。

 いや、これって部活の一貫じゃなかったっけ? なんかちょっと恥ずかしいんですけど?

 とはいえ、来てしまったものは仕方ない。ここは腹を括り余計なことをしないよう、俺が兄としてしっかり管理せねば。

 でも今お兄ちゃん戸塚と話してるからちょっと向こういっててくれる? 今後の俺の人生に関わる問題だからね?

 

「お前が既に暑さでやられてるというのはよくわかった……とりあえずほら、あっちに自販機あるから熱でやられる前になんか買ってこい」

「飲み物ならまだ残ってるよ……」

「あ、そういえば僕何か買おうと思ってたんだ、ちょっと買ってくるね」

 

 小町を引き剥がそうとしたのに、戸塚の方が反応して自販機の方へ行ってしまった。くそぅ。

 作戦の失敗を悟った俺は少しだけ非難の目で小町を見下ろしていく。 

 しかし、小町はそんな俺の視線など無視して、真面目な表情になるとこっそりと耳打ちをしてきた。

 

「ねぇ、お兄ちゃん……戸塚さんって男の人らしいんだけど、本当なの?」

 

 どうやら向こうの車内で真実を知ってしまったらしい。

 ただ、真実と言っても俺自身が確認したわけではないので可能性は残されていると思うんだよな……。

 そう考えると一体どう答えたら良いものか……。

 うーんやはり俺としてはまだワンチャンあると思っているんだがなぁ……。

 

「ああ……多分」

「多分ってどっちなのさ! あああ、ますます混乱するぅ」

 

 だから俺は曖昧にそう答えたのだが、その答えが気に入らなかったのか小町は頭を抱えて天を仰いでしまった。どうやら暑さで大分脳がやられているようだ。

 早めに日陰に連れて行ったほうが良いかもしれない。

 心配になった俺は小町の背中を押してとり急ぎ近くにあった東屋へと連れて行く。

 そこは八角形の屋根からなる、ちょっとした休憩スペースだ。

 そしてそこには既に日陰で涼を取る葉山たちの姿があった。

  

「比企谷、と……あぁ、比企谷の妹さんだね。久しぶり、俺のこと覚えてるかな?」

「え? あ、はい! 勿論覚えておりますとも、その節はお世話になりました」

「え、いや、特にお世話はしてないと思うんだけど……」

 

 葉山の言葉に小町は一瞬戸惑い、俺の方へきょとんとした顔を向けたが、次の瞬間には営業スマイルを浮かべていた。

 恐らく葉山のことなど覚えていなかったのだろうが、瞬時に『覚えていない』と言ってはイケないキャラだと判断したのだろう。

 

「あれぇ? 君どっかで会ったような……」

「何なに? ヒキオの妹さん? 超可愛いじゃん何年生?」

「ど、どうもはじめまして兄がいつもお世話になっております。兄の妹の小町と申します中三です。今回はよろしくお願いします」

「ねぇねぇ、コスプレとか興味ある? 今度お姉ちゃんとお着替えしようか?」

 

 小町が葉山のことを覚えていない証拠に戸部に関しては完全に初対面モードだった。

 まあ、確かあの時小町は自己紹介はしてなかったはずだし、三浦達とは本当に初対面なのでそれほど不自然さはなかったものの、我が妹ながら恐ろしい処世術である。

 気が付けば小町は葉山グループの中心で三浦や海老名に頭を撫でられながら、まるで昔からの後輩であるかのように可愛がられていた。

 ちょっとジェラシー。

 

 おいおいおい小町は俺の妹なんですけど?

 何その“みんなの妹”みたいな扱い。

 くそぅ……葉山め……! 俺から兄の座まで奪おうというのか……許すまじ!

 それだけは……それだけはやっちゃぁいけないだろうが……!!

 

 そうして俺が殺意の波動に目覚め、親指の爪を噛み血涙を流しながら葉山を睨んでいると、不意に背後から同じような殺意の波動を感じた。思わず背筋に寒気が走る。確実に俺より強いやつだ。

 そのただならぬ気配に慌てて俺が振り返ると、そこには人を殺しそうな勢いで俺を睨んでいる物凄いオーラを纏った一色が立っていた。

 

「……」

「い、一色……? どした? もしかして車で酔ったか?」

 

 その余りにも強烈なプレッシャーに気圧されそうになりながらも、俺はなんとか一色の下へと近づいていくが、その反応は鈍い。体調が悪いのだろうか? 車酔いならまだいいが、今度こそ熱中症かもしれない。

 だから俺は小町をそのまま葉山達に預けて、一色の下へと駆け寄ると一色の小さな額に自らの手を押し当てた。別に変な意味じゃない、熱を測ろうとしたのだ。

 

「ひゃっ!? な、なんですか急に!」

「熱は……あるのか無いのかよく分からんな。とりあえず冷やしておけよ」

 

 外が暑すぎるせいでよくわからなかったが、平熱よりは高い気がしたので俺は取り急ぎ、飲みかけのペットボトルを軽く振って一色の首元に当てていく。

 ずっと手にしていたのでそれほど冷たくはないかもしれないが、多少の涼は取れるだろう。

 

「むー……! こ、子供扱いしないでくださいよ!」

 

 俺の行動に悪態をつく一色だったが、特に抵抗することなく、そのままペットボトルに頬を当てるように首を傾け、少し気持ちよさそうに目を細めていく。

 その様子から熱中症ではなさそうだと判断したが、やはりまだ機嫌は悪いらしく、ちらりと俺を見上げる瞳には「まだまだ不満です」という強い抗議の意志が込められていた。

 困った、俺、なんかしたっけ? 

 

「何イライラしてんの? 車でなんかあった?」

「べっつにー! なんでもないです! 良かったですね戸塚先輩とイチャイチャできて!  いつのまに名前で呼び合う仲になったんですか? あーやだやだ、これだからシスコンは!」

「いや、名前で呼んだのはその……そういう話があったからで俺としては出来れば戸塚は戸塚のままで居てほしいというか……そもそも戸塚はシスターではないというか……」

 

 何故戸塚を名前呼びしたことを怒られているのかは分からなかったが、そのあまりの剣幕に気が付けば俺はモゴモゴと陰キャっぽさが滲み出てしまう気持ち悪い口調で言い訳を並べていた。

 名前呼びなんて割りと普通のコトなのかと思っていた矢先のことでもあったので、俺自身戸惑ってしまう。やっぱこういうのは葉山のようなイケメンだから許される特別な行為なのだろうか?

 

「……私だってセンパイ……名前……まだなのに…………」

 

 だが続く一色の呟きに俺は考えを改める。

 小さな声だったので一部は聞き取れなかったが、つまり俺がどうこうではなくこいつ自身が名前呼びをしたいということなのだろう。

 まあ、こいつ四月生まれであんま後輩って感じもしないし、俺を敬う気持ちもなさそうなので、いっそ名前で呼んでしまいたいという思いもあるのかもしれない。

 

「ん……? 名前で呼びたいなら、一色も好きに呼べばいいだろ、今更お前に呼び捨てにされるぐらい構わんが」

「そ、そういうコトを言ってるんじゃないです! 私にとってセンパイはセンパイだからいいんです!」

 

 だから俺はこれ以上この話を長引かせないためにも、分かりやすい解決策を提示したのだが──最早何を言っているのかわからない支離滅裂な回答が返ってきた。

 熱中症やべぇな。最早ヒステリーの領域だ。 

 これはもう医療班を呼んだほうが良いのかもしれん。

 

「あーもういいです!! もう帰りは私と車交代しましょうね! センパイはその方が楽しそうですもんね!!」

 

 続く言葉で、ようやく俺は自分の間違いを認識した。

 一色の機嫌が悪い理由、それは葉山と同じ車に乗れなかったことへの不満の現れなのだろう。成る程、それで機嫌が悪いわけかと漸く合点がいく。

そういうことならば話は簡単だ。

 一色の言う通り、帰りは俺と交代すればいい。

 

 交代すればいい──のだが、そうすることが正しいことだと理解しつつも俺はその一色の提案を飲み込むことが出来なかった。

 何故か?

 もし、俺がそれを許したら、向こうについたときには俺達の関係が取り返しがつかないほどに変わってしまいそうな、そんな気がしたからだ……。

 

「……そういうわけにもいかないだろ。これは奉仕部の合宿なんだ、奉仕部が分かれてたら意味がない、だろ……?」

 

 だから俺はそれが詭弁だと分かりつつも一色の案を否定していく。

 ああ、なんだか無性に胸のあたりがモヤモヤする、もしかしたら俺も熱中症なのかもしれない。あるいは車酔いか……。

 

「そ、れは……そうかもしれませんけど……それなら他の人と……!」

「とにかく後は俺がやるから疲れたなら水分補給して休んどけ。ほら、荷物よこせ」

 

 それでも尚言葉を続けようとする一色の言葉を遮り、俺は一色の荷物を奪い取り、代わりに飲みかけのペットボトルをそのまま握らせる

 これ以上ここで話を続けていると余計なことを口走ってしまいそうだ。

 人の目もある、とにかくこの場から移動しよう。

 

「え? あ、ありがとうございます?」

 

 しかし、突然荷物を奪われた一色は俺の行動の意図が読めなかったのか、先程までの怒りはどこへやら戸惑いの声を上げ、きょとんと俺を見上げてきた。

 どうやら頭が回っていないらしい。

 ああ、もう面倒くさいなぁ。

 

「君たち、荷物を置いたらさっそく仕事だぞ。キビキビ動くように」

「ほら、平塚先生もああ言ってるし行くぞ」

「え?! あ、は、はい……」

 

 俺は平塚先生のその言葉を合図に、いつも一色がそうするように荷物を持っていない方の手で一色の手を握るとそのまま強引に足を進めていった。

 ここは暑すぎるのだ。

 周囲を見回せば、既に由比ヶ浜も雪ノ下も、そして戸塚も荷物の搬入を終えている。

 東屋にいる小町達を除けばこの場に残っているのは俺たちだけ。

 その事に気がついた一色は、突然の俺の行動に戸惑いの声を上げつつも、その手を離そうとはせず、ただ無言で俺の後をついてくる。

 手のひらから伝わってくるのは俺より少し低い一色の体温。

 そういや、俺手汗大丈夫だろうか……? なんだか心なしか顔も熱くなってきた。

 これが熱中症というやつなのかもしれない。

 ああ、今日はまだまだ暑くなりそうだ……。

 

***

 

**

 

*

 

「では最後に、皆さんのお手伝いをしてくれる、お兄さんお姉さんに挨拶しましょう」

 

 それから俺たちは照りつける日差しの中、休む間もなく平塚女王の下で働く働き蜂として活動させられていた。小学校の教師らしい大柄な男がマイク越しに小学生達に挨拶を述べると、背後に並んでいる俺たちの中から代表して葉山が一歩前へと踏み出し、挨拶の言葉を述べていく。

 いつの間にか打ち合わせでもしていたのだろうか?

 なんだか並び方が妙だとは思ったんだよな、葉山だけやけに中央に近い方に立ってたし。

 ちなみに、俺は小学生達から見て左の端で一色は平塚先生に寄って右の端へと連れて行かれたのでこの並びには他にも意味があるのかもしれない。

 千葉特有の誕生日順? いや、違うな……。「一色」が最初ってことはシンプルに五十音順か? でも隣「雪ノ下」だしな……うーん……やはり並び方に意味は無いのか?

 

「それではオリエンテーリングスタート!」

 

 そんな事を考えていると、いつの間にか葉山の挨拶も終わり、オリエンテーリングが開始されていた。

 つまり、俺たちの最初の仕事がやってきたのである。

 このオリエンテーリングで俺たちは、班ごとにチェックポイントを通過しゴールを目指す小学生たちをサポートすることになっているのだ。

 もう少し具体的にいうならルートから外れて迷子になったり、怪我をしたりするのを防ぐためのスタッフといったところか。

 自分が小学生の頃はあまり考えていなかったが、こうやってみると確かにこれは教師陣だけでは手に余りそうだ。ボランティアスタッフが必要というのも納得。

 こんだけの数の小学生とか何しでかすか分かったもんじゃないしな……。

 

「んで? 俺らはどうすんの?」

「基本的には私達も子供たちと同じよ。チェックポイントを回って道中でトラブルがないか確認。最後尾からついていけば、遅れてる組への対処もしやすいでしょうしね」

「了解」

 

 雪ノ下の言葉に従い、俺たちは小学生が順番に出発していくのを待つことにした。

 先頭には教師陣もついて行っているようだし、雪ノ下の判断ならそれほど間違いはないだろう。そもそも俺はあくまで手伝いなので、指示に従う以上のこともしたくはない。

 

「ヒッキー、大丈夫? 暑くない?」

「ああ、これぐらいなら問題ない。そういや悪かったな朝小町連れてってもらって」

「ううん、全然。小町ちゃん可愛いし、一緒で楽しかったよ!」

「そか、なら良かった」

 

 そうして一組、また一組と進んでいく小学生たちを眺めていると由比ヶ浜が俺の隣へとやってきた。そういえば由比ヶ浜は朝出る前に会ったけど、コッチ来てからはまだ話していなかったということに思い至る。

 

「センパイ? そういえばなんでおこめのこと結衣先輩に頼んだんですか?」

「いや、あえて頼んだわけじゃないんだが、家出る時偶然あったんでな」

「へぇ……偶然……」

 

 そう、今朝一人で家を出ようとすると、何故かそこに準備万端といった装いの由比ヶ浜が立っていたのだ。

 まあ、由比ヶ浜も奉仕部員なので目的地は同じだし、俺の通学路と由比ヶ浜の犬──サブレの散歩コースが被っているというコトも踏まえると、それ自体は偶然と言って差し支えはないだろう。

 

「んで、折角だから小町のことを頼むことにしたんだ」

 

 加えて、由比ヶ浜は俺が葉山組に参加するとは知らなかったようだったので、小町が合宿に参加することに一抹の不安を覚えていた俺は由比ヶ浜に小町のことを任せ先に葉山たちと合流したのである。

 一応小町に関しては一色がいれば問題がないとは思っていたが、待ち合わせ場所の道のりに由比ヶ浜が居てくれればそれはそれで安心だしな。

 

「ああ、それで結衣さん待っててくださったんですね」

「う、うん。実はそうなんだ……!」

「おこめ? 今度から知らない人について行っちゃ駄目だからね?」

「あれ? 私誘拐犯扱いされてる!?」

「いや、結衣さん知ってる人ですし、小町、いろはさんと一つしか違わないですからね?」

 

 まあ少々過保護だったかと思わなくはないが、こうやって小町が奉仕部の輪に入れてもらえているのを見れば結果オーライといったところだろう。

 小町が楽しそうにしているなら、俺が多少嫌味を言われるぐらいは何の問題にもならない。小町の笑顔はプライスレスなのだ。

 

「それで、ヒッキーは、あっちの車で楽しかった?」

「別に、普通だよ……」

 

 そんな会話を繰り広げているとやがて、小学生の最後の一組が出発しようと動き始めたのが見えた。いや、目についた。といったほうが正しいかもしれない。

 勿論単純に最後の一組だから目についた、というのもあったのだが、その女子だけで構成される五人のグループは少しだけ他のグループとは違う、妙な違和感のようなものを放っていたのだ。

 その違和感の正体は、その五人組が立ち上がり、順路に沿って歩き始めた時点で直ぐに分かった。

 五人組は、五人組ではなく、四人組と一人。だったのだ。

 一人だけ、明らかにその輪から外れるように一歩いや、三歩ほど引いて後をついて行っているのである。

 

「……!?」

 

 もしこういう時にハグレる奴がいるとしたらああいう奴だろう、少し注意して見ておいた方が良いかもしれない。そう考えながら俺も後を追うため先んじて一歩踏み出すと、向こうもコチラに気づいたのか振り返り足を止めた。

 まずいな、変質者だと思われたのかもしれない。

 いやいや、さっきお手伝いをしてくれるお兄さんお姉さんがいるって説明あったよね? 怪しくないよ? ほら、葉山なんとか言ってやれ。

 俺は、慌てて敵意がないことを示そうと笑顔を作る。

 だがその瞬間五人組のうちの一人が大きく目を見開き、俺を見つめてきたのが分かった。

 

「センパイ……?」

「ヒッキー?」

 

 その視線の先に俺がいることに目ざとく気が付いた一色と由比ヶ浜が心配そうに俺を見つめてくるが、俺もなんと答えたら良いか分からず思わず足を止め、目を逸らす。

 すると、視界の端でトテテッと俺のもとへ走り寄ってくる少女の姿が見えた。

 

 思えば、随分前からフラグは立っていたような気もする。

 キーワードは『林間学校』。

 そう、“アイツ”はこの夏休み『林間学校に行く』と言っていたし、平塚先生も今回の合宿を『林間学校の手伝い』だと言っていた。

 同じ千葉県内で、学区も近いということを考えるならこうなる事は十分予測できたはずだ。

 しかし、俺はその事を考えていなかった。

 だからきっとこれはそのフラグに気がついていなかった俺への罰なのだろう。

 

「ちょ、ちょっと! なんで八幡がここにいるの!?」

 

 そこには俺がこの春から家庭教師として働いている家の生徒──楓さんの友達の孫娘──"由香"の姿があった。




ということで第100話いかがだったでしょうか?
記念の100話なのでちょっとでもインパクトのあるお話をと思ったら少しだけ長くなってしまいました、お許し頂けますと幸いです。

まだまだ物語は続いていく予定で
正直何話で完結が見えていないのですが
頑張って書いていこうと思っていますので引き続き応援の程よろしくお願いいたします

※ちなみに『高原千葉村』は本当に閉園して、現在は『ちばむらオートキャンパーズリゾート』になっているらしいですが、そのことと葉山父は無関係です。この物語はフィクションです何卒ご了承下さい。

感想、評価、お気に入り、メッセージ、読了報告、誤字報告etc、100話超えてもリアクション一つで赤子のように喜びますので、お気軽によろしくお願いいたします。

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