やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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今日はエイプリルフールということでここで嘘を一つ……。

「今月は古戦場さぼってでも毎週ちゃんと更新します」



第104話 家庭教師とその生徒

「──だから、そのためにあのグループをひとまず二つに分けて欲しい」

 

 俺が作戦概要を説明すると、葉山達が「ふむ」と自らのアゴに手をおいて考え込むような仕草をし、一瞬だけ部屋の中に静寂が生まれた。

 あくまで俺主体の作戦というのもあり、リスクは最小限のつもりだが、かといって俺一人で実行できるわけでもないので反対意見があがればこの話はここで終わりだ。

 

 ただ、それでも反対されることはないだろうという確信のようなものはあった。

 というのも、今回事前に話を通しておいた雪ノ下が何か補足をするわけでもなく、黙ってその状況を見守っていたからだ。

 奉仕部の部長たるコイツは、いわばこの場の最高責任者。

 その雪ノ下が反対していないのだから、代替案もなく作戦を中止にするとは思えなかった。

 だから、俺も大船に乗ったつもりで黙って皆の反応を待つ。

 

「でも、グループを二つに分けるって……どうすればいいんだ?」

 

 そんな中、最初に口を開いたのは葉山だった。

 まあ、正直そこが最初で最大の関門なのは俺自身理解しているので、当然の疑問だろう。

 

「そこは……そうだな、肝試しのチェックポイントが分かれているとでも言ってごまかそうと思ってる。葉山に付いていくグループと、俺に付いてくるグループとかで分ければなんとかなるだろ」

 

 その分け方であれば、大半は葉山の方に付いていくはずだ。

 予想ではルミルミ以外のメンバーは全員葉山の方へと流れていくだろう。

 まあ、それはそれで問題なんだけど……。

 

「意外とアバウトだな」

「多少アバウトなのは認めるが……俺と葉山じゃどうやったって葉山の方に流れるのは目に見えてるだろ。最後の詰めは……まぁ、俺が何とかするさ」

 

 俺がそういうと、葉山は「そうとは限らないと思うけど……」とチラリと一色の方へと視線を向け、一色が不思議そうに首を傾げる。

 まあ、こういった状況で俺に任せることに不安が残るというのは理解できなくもないが、ここは信じてもらうしかない。

 実際、この役は俺にしかできないわけだからな……。

 

「……まあ、その辺りは臨機応変にお願いするわ。ここで幾ら話し合ったところで彼女たちがこちらの予定通りに動いてくれるとは限らないのだから、鶴見さん、いえ──比企谷君の方に二人が来るよう努力してちょうだい」

「了解。まあ俺の方からはまともなアイディアは出せそうにないし、やるだけやってみよう」

 

 まだ何か言いたそうな葉山だったが、雪ノ下の言葉で納得したのか一瞬だけ考えるように目を閉じた後、パンッと両膝を叩くようにして勢いよくパイプ椅子から立ち上がった。

 

「じゃあ他に反対意見がないなら、このまま決行……ということでいいのかしら? 」

「そうだな、あんまり時間もなさそうだし、準備に取り掛かろうか。ルートの確保もしておかないといけなさそうだしな」

「うし、じゃイッチョやりますかぁ!」

「「「おおー!」」」

 

 そうして、最後に戸部が音頭を取ると、全員が一斉に声を上げ動き出す。

 まあ、実際動くのは俺と葉山ぐらいなんだけどな。

 ワラワラと出口へと群がり、夕日の差し込むその部屋を空にしていく。

 そんな中、唯一一色だけが最後まで部屋に残り、少し不安そうに俺の方へと近寄って来た。

 一体何事かと俺が首を傾げると、一色は不安げに俺の耳元に囁きかけてくる。

 

「センパイ……あの、さっきの作戦って本当に大丈夫なんですか?」

「さぁな。まあ、でもどう転んでもそこまで酷いことにはならんだろ……多分」

 

 しらんけど。

 

*

 

*

 

*

 

「よーし……じゃぁ、次に出発するのは~……この班だぁ!!!」

 

 準備と夕食を済ませ、すっかり日が落ちた頃になると漸く本日のメインイベント肝試しが始まった。

 肝試しといってもルールは簡単。

 暗い、支給された懐中電灯がなければ一歩先も見えないような林の中を進み、チェックポイントにある御札を拾ってゴールまで歩いていく、ただそれだけ。

 まぁ、一言で言ってしまえば、昨日のオリエンテーリングの夜版である。

 一応学校主催のイベントなので、事前に驚かし役にも『あまり怖がらせすぎないで下さい』と注意があったほどの安全設計でコンプライアンスも完璧だ。

 

 怖がらせてはいけないなら、もういっそ肝試しなんてやめてしまえばいいのに……。

 とはいえ、大真面目にイベントを企画してる教師陣にそれを伝えるなんてことができるはずもなく、今俺達はこうして入り口で小学生たちを誘導する小町の声を聞きながら、茂みの中で作戦決行の時を待っているのだった。

 

 そうこうしている間にも一組、また一組と小学生のグループが俺達の前を通過し、何事もなく肝試しを終えていく。

 

「うう……また笑われた……」

 

 そんな中、肩を落としながら俺達の所に戻ってきたのは由比ヶ浜だ。

 由比ヶ浜はレースクイーンよろしくやたら胸元を強調した衣装に申し訳程度の悪魔っぽい角をつけ、茂みから「ワータベチャウゾー!」と出てくる役なので、先程からずっと小学生たちに笑われ続けているのである。

 一応それが俺達なりの『怖がらせすぎない』ための配慮であるので、仕方ないといえば仕方ないのだが。

 流石にそろそろ心が折れたのだろう。

 その顔は今にも泣きそうなほどに落ち込んでしまっている。

 

「おつかれさん」

「もーやだー! 次ヒッキー変わってよ……」

「駄目よ、今比企谷くんにここを離れてもらっては困るもの」

「それはそうかもだけどー……うー……じゃあいろはちゃん変わって!」

「嫌ですよ、最初の脅かし役は結衣先輩って、じゃんけんで決めたじゃないですか」

 

 一色の言う通り、それぞれの担当は事前に決めてあった。

 俺はいつターゲットが来ても良いように、ここ──中央付近の茂み──で待機として。

 雪ノ下は俺の近くの茂みで立ち尽くす驚かし役。

 一色は雪ノ下を見て驚いた生徒たちが道に迷って逃げ出さないよう誘導する看板持ち係だ。

 

「うぅ……なんで私ばっかり……」

「しっ! 静かに……! 来たみたいよ」

 

 雪ノ下がそう言った瞬間、辺りに緊張が走る。

 小町から『ターゲットがスタートした』という合図が来たのだ。

 その場に居る全員がコクリと頷いたのを確認すると、俺は茂みからゆっくりと立ち上がった。ここからはスピードも重要だ、あまり時間を掛けすぎて教師陣に捜索依頼を出される前にことを終わらせなければいけない。

 

「センパイ! 頑張ってくださいね!」

「ああ、んじゃ行ってくる」

 

 一色の激励を受けた俺は、最後に一色の頭に軽くポンと手を置いてから少し開けた場所へと走りだした。

 なお、一色は俺の言いつけどおり、今はチャイナ服ではなくナース服に着替えていた。

 何故肝試しにナースなんだとは思ったが……もはやツッコむ気力も失せたので割愛することにしよう。アレよりはマシだった。理由はただそれだけで特に俺の趣味とかではない。

 

*

 

「やぁ、比企谷」

「悪いな、待たせたか?」

「いや、今来たところだよ」

 

 まるでデートのような会話をしてしまったことに、少しだけ嫌悪感を感じながら、俺が葉山の待つ肝試しのスタート地点からほど近い少し開けた場所へやってくると、時をおかずして、林の向こう側から懐中電灯の光が見えた。

 

「あれ? 昨日のお兄さんたちだ」

「超普通の格好してるー」

「ださー、特に八幡!」

「ってかこの肝試し全然怖くないし」

 

 同時にルミルミ達──といってもルミルミ以外の四人だが──は俺達の顔を見るなりうざったいほど上機嫌に罵倒の言葉を並べてくる。

 恐らく、茂みの向こうではまた由比ヶ浜が肩を落としていることだろう。

 その事に少しだけ苛立ちを覚えるが、ここはひとまず大人の対応を──。

 

「ぁぁん!?」

「はは、手厳しいな。でもここからは少し趣向が変わるから楽しんでもらえると思うよ?」

「えー? 本当にー?」

 

 おっと危ない危ない、大人の対応大人の対応。

 危うくケンカを売りそうになる俺を葉山が静止し、当初の予定通り作戦を切り出した。

 ここに葉山を呼んだのはやはり正解だったかもしれない、我ながらナイスな采配だ。

  

「ああ、ここからは君たちには二手に分かれてもらうことになっているんだ、片方のチームは俺と一緒に、もう片方のチームは比企谷と一緒に課題をクリアしてもらう」

「えー? なにそれ面倒くさーい」

 

 葉山の説明を聞いてもなお、由香達は調子にのった言葉を吐いてきた。

 そう、まず第一の問題はこいつらは徒党を組むと強気になり調子に乗るということだ。

 そのアドバンテージを奪うためにも、まずはコイツラの数を減らさないといけない。

 だからこここそが今回の作戦の一番の肝となる部分でもあるのだが──。

 さて、どういう組分けになるのか……。

 

「鶴見あんた残りなよ」

 

 当然、このメンバーで分けるなら最初に外されるのはルミルミだろう。

 由香の言葉にルミルミは一瞬だけ目を見開くが、ソレ以上抵抗の素振りを見せずグループから外れていく。

 よし、ここまでは計算通り……。

 

「それじゃ、もう一人選んでくれるかな?」 

「えー? 一人じゃ駄目なんですか?」

「ここからは半々に分かれるっていうルールだからね。どうしてもっていうならこちらから選ばせてもらうことになるけど……もしかして……怖いのかな?」

 

 葉山が優しく諭すように、それでいて少し鋭い目つきでそう言うと、残った四人はお互いに目配せをして、牽制をしはじめた。

 

「別に怖くないけど……ねぇ?」

「それならヨッコが残る?」

「や、やだよ、森ちゃん残りなよ……」

 

 だが、そこからも俺の予想通りの展開が続いていく。

 全員が葉山と共に行く道を希望しているのだろう。あるいはルミルミと残る事に不安を感じているのかもしれないが、なんにせよ四人が揉め始めたのだ。

 やいやいと、冗談っぽく、でも絶対に残りたくはないという意思を見せつけながらお互いにその役目を押し付けていく。

 とはいえ、このままコイツらに任せていたら埒が明かないし、俺の望む展開にならない可能性もある。

 だから俺はそのタイミングで口を挟むことにした。

 

「……はぁ、面倒だな、由香もうお前残れ」

「はぁ!? なんでアタシが!」

 

 俺の言葉に、由香はまるで毛虫でも見るかのような目で俺を睨みつけてくる。

 

「こんなところで時間かけてられないからだよ、なんだ? 友達が戻ってくるまでの間待つこともできないのか? やっぱ怖いの?」

「別に怖くないし! ただ八幡と一緒っていうのが嫌なの!」

 

 そこまで直接言われると流石の俺も少し傷つくんだよなぁ……。

 語気を荒らげる由香に俺も思わずたじろぎそうになる。

 しかし、ここで引く訳にもいかないので、俺は再度由香に歩み寄った。

 

「そう言わず頼むよ……このメンツで俺の言う事聞いてくれそうなのお前しかいないだろ? この際俺の顔を立てると思って……」

「ほ、ほら、お兄さんもこう言ってるし、由香ってそのお兄さんと知り合いなんでしょ? じゃあ由香が残るのがいいんじゃない?」

「うん、そうだよ、由香残りなよ!」

 

 やったか?

 俺の言葉に他の連中が同調し始め「え、いや……でも……」と戸惑う由香をグループから外そうという流れが出来た。

 少し可哀想な気もするが、これで当初の目的『“由香”とルミルミを残す』が達成できそうだ。

 これはもう、この流れに乗ってなし崩し的に由香をこちらのグループに引きこんでしまうのが得策だろう。

 

「よし、決定だ──」

「……私、残ろうかな……」

「え!? いいの!」

 

 だが、そうして勝利を確信し、最後の勝どきをあげようとした瞬間、予想外の事が起きた。

 由香のグループの一人、仁美が自ら残留を志願し始めたのだ。

 その突然の申し出に、由香が喜色を浮かべ、葉山が動揺の色を浮かべたのが暗闇の中でさえ伝わってくる。かくいう俺も思わず表情を固めてしまった。

 一体何故……このタイミングでこいつが?

 

「うん、っていうか、私は別にどっちでも良いと思ってたんだよね……。残ってればそっちのお兄さん……八幡さん? と二人きりってことでしょ?」

 

 どういう意図があるのかは分からないが、仁美はそう言うとチラチラと俺の方へと視線を向けて来る。

 そもそもルミルミがいるので仁美の言う“二人きり”にはなりえないのだが……なんだこれ? どういうことだってばよ。こいつ俺に何かしようとしているのか? 怖い。助けて葉やマン!

 俺は思わず葉山と視線を交わすが、葉山は「だから言っただろう?」とでも言いたげに苦笑いを浮かべ俺をみてくるばかり。

 くそ、どこで計算をミスった? 葉山はこうなることを予期していたのか?

 まずい、本当にまずい。ここから挽回する手段が思いつかない。このままでは俺の作戦が実行できない。

 考えろ、考えるんだ、比企谷八幡。なんとか由香をこの場に残す方法を──。

 

 混乱する俺の前で、誰よりも早く動いたのは葉山だった。

 

「え……残念だな……仁美ちゃんは俺と来てくれると思ってたんだけどな……」

 

 葉山は俺と仁美の間に割って入るように立ちふさがると、視線の高さを仁美と合わせるように腰を曲げ、至近距離でそう優しく語りかけていったのだ。

 一瞬、その意図が分からず俺は思わずポカンと口を開けてしまう。

 

「え?! そ、それってどういう意味ですか?」

 

 それが仁美を俺から遠ざける策なのだと気がついたときには、もうすでに仁美は葉山の術中に陥っていた。しかも効果は絶大だ。

 仁美はまるで漫画のように「ボッ」という音が聞こえてきそうなほどに耳まで顔を赤くさせ、まるでお祈りをするようなポーズで胸の前で手を合わせ始めたのだ。

 その情景は突如舞い降りたアイドルに跪く熱狂的なファン。いや、憧れの王子様を目の前にしたプリンセスといったところだろうか?

 俺では逆立ちしても真似できないような策を、葉山はやってのけたのである。

 さすが葉山、そこにシビれる! あこがれるゥ!

 

「そのままの意味だよ。俺、この肝試し仁美ちゃんと一緒に行けるのを楽しみにしてたんだ……」

「えー、なにそれ仁美! モテモテじゃん!」

「え、えー……なにそれ、どうしよっかなぁ……」

 

 至近距離で繰り出される葉山スマイルに、女子たちはテンションを上げ、ルミルミでさえ一体この後どうなるのかとその様子を固唾を呑んで見守っている中、ただ一人置いてけぼりの由香だけがあんぐりと口を開きその様子を眺めている。

 

「ま、まぁ? お兄さんが『どうしても』っていうなら? 一緒に行ってあげなくもないけど?」

 

 やがて、仁美は気分を良くしたのか、そう言って恥ずかしそうに葉山から視線を逸す。

 だが、当然そこで最後の詰めを誤るような葉山ではない。

 葉山は「どうしてもっ」と両手を前で合わせ、拝み倒すようにウィンクをし、仁美の最後の理性を奪っていく。

 全く以て恐ろしいイケメンである。

 

「し、仕方ないなぁ。ごめんね、由香。そういうことだから、やっぱりここは由香が残るってことでよろしく! そっちも頑張ってね~」

「え!? あ、ちょっと仁美!? 森ちゃん!? ヨッコ!? 待ってよ! ねぇってば! ちょ、八幡離しなさいよ……!」

 

 そうして、葉山が三人を連れて暗闇の中へと歩いていくと、俺はその後を追いかけようとする由香の手首を掴み、少々強引にだが当初の目的を果たしたのだった。

 ふと振り返れば、葉山も同様に俺の方へと振り返り『貸しだからな』とでも言わんばかりに微笑みかけてきている。

 全く気障なやつだ。

 

 とはいえ、実際葉山がいなかったら作戦がぱぁになっていたところなのでこれは完全に借りということになるのだろう。

 仁美が何故あんなことを言い出したのかは分からないが、子供の気まぐれというのは恐ろしいものである。

 

 何にしてもこれでようやく第一段階が完了。

 アイツはアイツの仕事をした、なら俺は俺の仕事をしよう。

 

「行っちまったな。まあ、何も取って食おうってんじゃない。チェックポイントを通過するまでの辛抱だ。こっちはこっちで頑張ろうな」

 

 俺は気を取り直すようにそう言って置いていかれた二人に語りかける。

 そこにいるのは当初の目的通り、由香とルミルミの二人。

 二人はお互い微妙な距離感で佇みながら、片方は困ったように右手で左の肘を押さえ、もう片方はチッと舌打ちをし、俺を睨みつけてきていた。

 どっちがどっちかはあえて言わないことにしよう……。

 

「ああもう……分かったわよ……分かったからさっさと終わらせてよこんな肝試し……! 本当、最悪……」

「まあ、そう言うな。もしかしたら向こうよりコッチに残ってよかったと思うかもしれないぞ?」

「はぁ? それってどういうこと?」

 

 俺はブツブツと文句を言う由香を宥めながら、二人に「ついてこい」と合図を出し、ゆっくりと林の中へと入っていく。それは本来の肝試しの順路からは外れたルート。

 もし、この現場を他の教師にでも見られたらかなりやばい状況だ。

 だからこそ急がなければならない。

 

 俺達は無言のまま、ざっざっと足音を鳴らしながら林の奥へと入っていく。

 そして、ほどなくしてチェックポイントへとやってきた。

 そこは木々の間に二つの小さな机とライトが置かれている。ちょっとした休憩スペースのような場所。

 夜なのでライトに物凄い量の虫が群がっており、由香達が「ひっ」と小さく悲鳴を上げたのが聞こえたが、俺にはどうすることもできないのでここは一つ我慢してもらうとしよう。

 

「コッチのチェックポイントは……これだ」

「何コレ? 机? 何するの?」

 

 林の中にぽつんと置かれる机という妙な状況に、由香はもとよりルミルミも不安げに首を傾げ俺を見上げてくる。

 

「さて、それじゃお前たちにはこで簡単なテストを受けてもらう」

「は? テスト? 聞いてないんですけど?」

「今初めて説明してるところなんだから当たり前だろ……いいからちゃんと聞け」

 

 そういいながら、俺は二人をそれぞれの机の前に立たせ、用意しておいた紙を机の上に裏返して置いていった。

 

「まあ、簡単なテストだ、向こうの組がチェックポイントを通過して戻ってくるまでの間の時間つぶしだと思って気軽に解いてくれ」

「はぁ……? なんでこんなところでテストなんて……」

「そういうチェックポイントなんだよ、良いから黙ってやれ。ほらほら早くしないと皆戻ってくるぞ。よーいスタート!」

 

 俺が急かしてそういうと、二人が今回初めて視線を交わし、釈然としない顔をしながらも机の上に用意された鉛筆を手に取り、ほぼ同時に紙を裏返していく。

 そして、その内容を見た由香が俺を睨みつけて来た。

 

「ちょっとなによこれ……!!」

「何って、見ての通り日本地図だが?」

 

 それは俺が午前中、頼れる相棒川崎に、ファックスで送ってもらった由香の苦手分野でもあり、盆休みの宿題にしようかと思っていた地図の穴埋め問題だった。 

 

 そう、こいつ実はめちゃくちゃ地理に弱いのである。

 というのも、どうやら由香の学校──あるいは由香のクラスだけなのかも知れないが──日本地図、都道府県の暗記を必須としていないらしいのだ。

 俺とか小町は小学校の頃九九と一緒にがっつり覚えさせられた覚えがあるんだけどな、これも時代の流れというのだろうか?

 日本に住んでいながら都道府県を理解していない人間というのは大人になっても多いという話も聞くので、地域によって教育方針が違うのかもしれないが……。

 とはいえこれは一般常識の範囲内だ。覚えておいて損ということはないだろうと、何度か覚えるように仕向けたのだが……一向にやる気にならないので、これを今度の宿題にしようと川崎と話し合っていたものを急ぎ簡略化して送ってもらったのである。

 流石に四十七都道府県全部だと時間がかかるので、全十問。

 他の三十七都府県に関しては既に名前が記入済みだ。

 

「あれ? そういや、お前まだ日本地図覚えてないんだっけ?」

「こんなの全然肝試しと関係ないじゃん! もしかして……わざと?」

「わざとってなんのことだ?」

 

 ニヤニヤと笑う俺を由香が睨みつけてくるが、俺としては何度「覚えろ」と言っても覚えようとしない由香に嫌気がさしていたところでもある。

 この機会にたっぷり勉強してこなかったことを後悔してもらおう。

 

「ほらほら、時間ないぞ。制限時間は五分だからな、さっさと解けよ」

「ちょ、ちょっと待って!」

「待たない。ほら、残り四分三十秒だぞ」

 

 そう言って俺は無慈悲にスマホのタイマーを二人に見せつけたのだった。

 

*

 

*

 

*

 

「──おし、タイムオーバー。そこまで回収するぞ」

「あ、待って……!」

 

 ピッピッピとスマホがタイムオーバーを知らせる音を鳴らすのと同時に、俺は由香の答案用紙を取り上げた。

 ふむふむ……大分悩んだ後が見て取れるな。

 まあ、流石に全問不正解なんていうことにはなっていなくて俺としても一安心だ。

 

「おお、なんだ一応埋められてるな……それで……ルミルミの方はっと……」

「……はい」

 

 続いて、ルミルミの用紙を取ろうとすると、ルミルミは由香と違い自分からその用紙を提出してきた。自信もあるのか、由香同様空欄は全て埋められている。

 ……うん、やはりな。これなら心配なさそうだ。

 

「……よし。それじゃお互い交換して答え合わせしてくれ」

 

 俺は回収したルミルミの答案を一通り確認した後、そう言って由香の答案をルミルミの机に、ルミルミの答案を由香の机にと置いていく。

 

「こ、交換?」

「ああ、自己採点だと不正のおそれがあるからな……」

「そ、それなら八幡が採点すればいいじゃん!」

「めんどい。ほら答え言うぞ。そこに赤ペンもあるからちゃんと丸つけろよ。一問目の答えは──そうだね、北海道だね」

 

 俺がそう言うと、二人は慌てて鉛筆の横にあった赤ペンを手に取り丸を付けていく。

 流石に一問目は二人共間違えてはいなかった。『シャシャ』っと丸を書く音が周囲に響き渡った。

 正直ここ間違っていたらどうしようかと思ったけどな、まぁこの辺りは序の口だろう。

 

「んじゃ二問目──我らが故郷千葉」

 

 同様に丸を書く音が響く。ここも二人共正解。

 流石に自分が住んでる県ぐらいは理解できていて当然だよな。

 もし理解していなかったらチーバくんに土下座してもらうところだ。

 だが、問題はここから──。

 

「ドンドン行くぞー、三問目は愛知だ」

「……っ!」

 

 ここで初めて音が割れた。

 由香が悔しそうな顔をしながら、丸を書き。

 ルミルミが少し戸惑った表情で俺を見上げてくる。

 どれどれ?

 

「由香……名古屋なんて県はない。名古屋は愛知の県庁所在地だ」

「う、うるさい! なんとなく聞き覚えがあった気がしたのよ!」

 

 まあ、名古屋県ってのは割りとあるあるな解答だけどな。

 むしろその方が分かりやすいまであるが……。

 自分の教え子がこんな王道のボケをかますのを見ているのは少し情けなくもある。

 

「はぁ……とにかく次、四問目──」

 

*

 

*

 

*

 

 ──そうして、全ての問題の答えを口頭で伝え、お互いの採点をした答案用紙を回収していく。

 結果はルミルミが十問中の八問正解。由香が二問正解だ。

 ルミルミがある程度できるだろうという予測はしていたが、島根と鳥取の左右を間違えただけなのはカナリ優秀と言って良いだろう。とはいえ由香の方は──。

 

「予想以上に酷いな。特に四問目なんてかなりのサービス問題のつもりだったんだぞ? もしかしてお前……自分が今どこにいるのかもわかってないのか? 千葉村は千葉じゃないんだぞ? 知ってるか? っていうか俺夏休み前にここ覚えておけっていったはずなんだが?」

「う、ウルサい! 群馬なんて普通覚えてるわけないでしょ! こんなド田舎!」

 

 おいおい、お前今何言ったか分かってる? お前は今この地に住む全グンマーを敵に回したんだぞ? 原住民に襲われて明日帰れなくなっても知らないからな……? 今夜大量のだるまに押しつぶされる悪夢とか見ても泣くなよ?

 あ、俺はちゃんと群馬のコトわかっているので、コイツとは全く関係ないので見逃して下さい。よろしくお願いします。上毛かるた最高!

 

「どうしたルミルミ?」

「べ、べつに……」

 

 そんな風に俺が由香の間違いを指摘していると、隣にいるルミルミが下を向きながら肩をプルプルと震えているのが見えた。

 まあ、気持ちはわからなくもない。俺も家庭教師という立場じゃなかったら同じように感じていたことだろう。

 

「お、そろそろ向こうも戻ってきたみたいだな」

 

 そうこうしているうちに、俺達が来たのとは逆の方向から懐中電灯を持った一団が近づいてくるのが見えた。葉山たちだ。

 時間ぴったりだな。さすがイケメン葉山様だ。

 

「よお、丁度コッチも終わったところだ。そっちはどうだった?」

 

 俺が片手を上げそう問いかけると、先頭を歩いていた仁美がいち早く俺のもとへと走り近づいてくる。

 

「全然面白くなかった、やっぱり葉山くんより、お兄さんの方に残ってたほうが良かったかも。葉山くんの話も別に面白くなかったし」

「はは、それは残念」

 

 先程まで『お兄さん』呼びだったのが、いつのまにか『葉山くん』呼びに変わっている。

 向こうも向こうで何かあったのだろう。

 少しだけ距離が縮まったようにも見えるが、当の葉山は全く動じていなさそうだが……。

 俺としては今もどこかで見ているであろう三浦の反応が気になるところだったりする。頼むから今ココで出てこないでくれよ? 作戦が台無しだからな……。

 

「そっちは何かあったの……? なんか由香の顔真っ赤だけど?」

「う、ううん、なんでもない……!」

 

 森ちゃんにそう指摘された由香が慌ててルミルミから自分の解答用紙を取り上げると、そう言って何もなかったかのように振る舞っていた。

 まあ、それもそうだろ、あんなとんでも珍回答をしていたと知られたらコイツの立場がないからなぁ。

 だが、そうは問屋がおろさない。

 

「とうろう県……」

「ぶふっ……」

 

 俺がこの世に存在しない県をこっそりと呟くと、とたんにルミルミが吹き出した。

 それは先程由香がとある県の名前として記入していた珍回答の一つだ。

 なんでも最近由香の親父さんが口にしていたのを思い出し、慌てて書いてしまったのだそうだ。

 ちなみに螳螂拳とはカマキリの動きからヒントを得て考えられた中国拳法の名前である。断じて日本の都道府県名ではない。

 

「なに? とーろー……?」

「ちょっと、八幡! 鶴見!」

「ご、ごめん、だって……」

 

 ルミルミは申し訳程度の謝罪を述べるが、相変わらずその肩は震えている。

 そう、先程からルミルミが震えているのはずっと笑いをこらえているせいだったのだ。

 だが、今さっき合流したばかりの仁美達は何故ついさっきまで暗い顔をしていたルミルミが笑っているのか、何故由香が顔を赤くして怒っているのかが分からず首をかしげるばかり。

 

「お前がちゃんと勉強しないのがいけないんだろ? これに懲りたら、帰ったら俺が教えた所もう一度復習しておけよ?」

「じ、時間がなかったんだからしょうがないでしょ! こんなテストがあるって分かってたらちゃんとやってるもん!」

 

 普段の由香らしからぬその反応に、仁美も森ちゃんもヨッコもポカン顔だ。

 恐らく、由香は学校ではそういった自分の苦手分野についての話をしたことがないのだろう。

 

「くふ……ふふふ……!」

「ちょ、鶴見いつまで笑ってるのよ!」

「だって……ふふ……!」

 

 一方、ルミルミが地図をそれなりに把握しているのは川で遊んでいるときに確認済みだ。

 川へ来るときに『地図を見れば分かる』と言っていたし、ぼっちは必然的に空き時間に勉強ぐらいしかやることがなかったりするからな。もしかしたら……と二、三簡単なクイズをしたら、普通に答えてくれた。

 とはいえ、テスト内容自体は小六なら解けて当然な問題なんだけどな……。

 由香が俺の言いつけを守らないのもいい加減なんとかしたかったし『知らなくてもいいと思っていたこと』が『知らないと恥ずかしいこと』に変われば、これからの勉強にも身が入るというものだろうという打算もあった。

 まあ、実際は『知らなくてもそれほど困らないコト』ではあったりするのだが……その辺りは自分で成長したときに気づいてくれると信じよう。

 

「それじゃ、あとは全員でこっちのルートに進めば肝試しは終わりだから、足元気をつけてね」

「「「はーい」」」

 

 そうして葉山が最後に由香たちを正規ルートへと送りだそうとするので、俺はすかさずもう一度先程の由香の珍解答を口にする

 

「佐川県」

「ぶ……」

 

 まるで配達専門業者のような県の名前を聞いた瞬間、ルミルミが再び吹き出し、由香がキッとルミルミを睨みつけた。

 

「ちょっ! 鶴見! 待ちなさい!!」

「え!? ちょ、ちょっと、私達懐中電灯持ってないんだけど!?」

「由香!! “留美”!! 置いてかないでよ!」

「えーん、皆待ってよー!」

 

 グループで唯一懐中電灯を持った由香がルミルミを追いかけると、残った三人がその二人を追いかけるようにして元のルートへと戻っていく。

 うん、これでミッションコンプリートだ。

 

「上手く……いったんですかね?」

 

 彼女たちを見送っていると、恐らく近くの茂みからずっと様子を見ていたであろう一色達がガサガサと暗がりから顔を出して来た。

 ナースに雪女に、小悪魔。そして私服の三浦だ。改めて見ても良く分からないラインナップだが、こうして改めてみるとある意味怖いといえば怖い組み合わせなのかもしれない。

 特に三浦さんの目が怖い。いや、俺何もしてないんで……本当……すみません……。

 

「作戦は成功……という認識でいいのかしら? 最後きちんと鶴見さんの名前も呼んでいたみたいだし……」

 

 そう言って総括をしたのは雪ノ下だ。俺はその意見に軽く頷き、同意の意を示す。あの様子ならそれほど大事にはならないだろう。

 少なくとも、今回初めてルミルミの笑顔が見れたというだけでも作戦は成功といっても良いのではないかと思う。

 

「でも結局、センパイは何をしたんですか?」

「なんていうかな……一言でいうと、あいつらの関係性をバグらせたんだ」

「バグ……?」

 

 雪ノ下と視線を交わしていると、今度は一色がちょんちょんと俺の肩を(つつ)いてくるので、俺は改めて自分がしたことを言語化してみることにした。

 

 今回の件含め、無視をする側というのは、自分より下だと認識した人間をターゲットにする事が多い。

 実際先程の班分けでもルミルミは反対意見の一つも言わずただ皆に言われるがままグループから外れていった。

 

 そこで、今回俺はルミルミに由香のウィークポイントを見せることにしたのだ。

 まあ、ウィークポイントと言っても、由比ヶ浜でもやらかしそうな笑い話にしかならないようなネタなのだが。それが小学生の由香にとっては死活問題なのだろう。

 それもルミルミを無視をしなければならない立場の由香にしてみれば非常に厄介な問題になったはずだ。

 もし下手にルミルミを責めれば逆襲される恐れがあり、他の三人に自分の珍回答を知られれば更に馬鹿にされるかもしれないのだからな。

 つまり、これまで四人でルミルミを無視してきたが、由香としてはルミルミに強くでられない。そういうバグを発生させたのである。

 

「ルミルミも言ってただろ、最初はそういうゲームだったって。今回のはただのきっかけづくりにすぎないんだよ」

 

 加えて、今回は元々これがゲームだったという点を踏まえてきっかけ作りをしてみた。

 そう、ルミルミは言っていた『最初はゲームのつもりで別の誰かを無視をしていた』と。

 そして、気がついたときには無視をする側だったはずのルミルミがターゲットにされてしまった、と。

 つまりあいつらは元々友達同士で、ターゲットなんて最初から誰でも良く、きっかけさえあれば簡単に変更させることが可能なのだ。

 今回はそのきっかけを作る手伝いをしたのである。

 少なくとも最後に由香がルミルミを無視せず追いかけたことで、残りの三人にとっては『ルミルミを無視をしている場合ではない』『無視をするより面白いことが起こっている』と思ったきっかけになったはずだ。

 そうならなかったら、もう少し由香を追い詰めなければいけないところだったからな……正直助かった。

 

「きっかけ……ということは……。下手したら今度は由香ちゃんが無視されちゃいません?」

「まあ、その心配があったんだけどな……多分、大丈夫だろ、ルミルミも言ってたし……」

「留美ちゃんが言ってた?」

「ああ……今朝、川でな」

 

 とはいえ、単にターゲットを移しただけでは意味がない。

 だから俺は今朝、川辺でルミルミに質問をしたのだ。

 『もし、無視のターゲットを誰かに移せるとしたら、このゲームを続けるのか?』と。

 その結果次第で俺は作戦を決めようと思っていた。

 そしてルミルミはその問いにこう答えた。

 『もうしない、つまんないもん』と。

 恐らく、自分がターゲットになって初めてそのゲームの愚かしさを理解したのだろう。

 それを聞いたからこそ、俺は雪ノ下に習い、その後の展開をルミルミの良心に委ねる、この作戦を決行することにしたのだ。

 

「ターゲットとかゲームとか……そんなことのために留美ちゃんが無視されてたのかと思うと、やるせないね……」

「そうね……」

 

 俺と一色の会話を聞きながら、由比ヶ浜と雪ノ下が哀しそうに天を仰ぐ。

 やられた方とは違い、やる方はいつだって遊び半分。

 それがわかっているからこそ、今回ルミルミに武器を持たせた。

 その武器を使って、今までのことを『なぁなぁ』で済ませながら偽物の関係を続けていくのか。それともターゲットを由香に変えてまたゲームを続けるのか。はたまた今までの立場を甘んじて受け入れ続けるのか、あるいは俺達の想像もつかないような選択をするのか……それはルミルミ次第。

 俺達にはこれ以上あいつらと関わる術がないので、どんな結果になるにせよ、あとは本人に頑張ってもらうしかない。

 まぁ、一応次のバイトで由香のアフターケアぐらいはしてやろうとは思ってるけど……。

 

「……とりあえず、バレる前に片付けようか」

「そうね。他はともかく、ココのものは早く片付けてしまいましょう」

 

 そうして俺達が林の中に設置しておいた机やらライトやらを片付け始めると、やがて遥か遠くから小学生たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 本当に楽しそうだ、あの声の中にルミルミの声は含まれているのだろうか?

 それを知る術を俺達は持ち合わせてはいないはずだったが──。

 

「留美ちゃん達、楽しそうですね」

 

 一色がそう言って笑うので、俺達も思わず釣られ、作戦の成功を確信し口元を綻ばせたのだった。




というわけで解決編いかがだったでしょうか?
今回のいろはすは「いろは ナースメイド」で(以下略

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