やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。 作:白大河
今回で長かった千葉村編も漸く終わりです
はぁ……長かったぁ……。
肝試しが終わると、林間学校最後にして最大のイベント、キャンプファイヤーが始まった。
昼間自分が必死こいて積み上げた土台がボウボウと炎の柱を立て、小学生たちが歓声を上げていく。ちょっと優越感。
きっとこの後、この炎の周りで小学生たちがフォークダンスを踊り、俺と同じようなトラウマを抱えるものが生まれるのだろう。
どうか、強く生きて欲しい。
「お疲れ様」
そんな事を考えながら小学生たちを眺めていると、ふいに背後から声を駆けられた。
声の主は雪ノ下雪乃。
コスプレ組は全員倉庫に着替えに戻ったはずなのだが…………戻ってきたのは雪ノ下だけなのだろうか? 雪ノ下の背後には誰も着いてきている様子がない。
「おう、お疲れさん。一色達は?」
「もう少ししたら戻ってくるんじゃないかしら? 『他にも気になる衣装がある』とかで海老名さん達と盛り上がっていたみたいだけれど……」
俺の問いに雪ノ下はそっけなくそう答えると、許可を求めるでもなく俺の隣に立ち、長い髪を掻き上げていく。
月光に照らされるその美しい横顔は、まるで日本人形のようで、俺は思わず息を呑んでしまった。
「まさか、ここまで上手くいくとは思わなかったわ」
俺がボーッとその横顔を眺めていると、急にそんな事を言い出したので、俺は一瞬何のことかと首を傾げる。
しかし、その疑問は雪ノ下の視線の先を追うことで解決した。
そこには巨大な炎をバックにカメラを構え由香達と集合写真を撮っている笑顔のルミルミの姿が見えたのだ。どうやら、最後の思い出作りには成功したらしい。
その姿を見て、雪ノ下も僅かに頬を緩ませている。
つまり、先程の作戦の成功を噛み締めているのだろう。
若干由香だけが不服そうな顔をし、俺の方を睨んでいるような気もするが、きっと気の所為だ。うん、気の所為である。
「正直言えば俺もだな、お前の案を聞いて思いついたが、ここまでキレイにハマるとは思ってなかった」
「私の……?」
俺の言葉に、雪ノ下は怪訝そうに目を細めた。
その瞳の端には真っ赤な炎が反射しユラユラと揺らめいている。
あれ? もしかして気がついてなかったのか? ある程度理解してくれてると思ったんだけどな……?
「言ってただろ? 共通の敵を作るってヤツ。アレを俺なりにな……」
「それが今回のアイディアに繋がったと……? 全く原型を留めていない気がするのだけれど……?」
「俺の中では留めてるんだよ」
どうやら本当に分かっていなかったらしく、雪ノ下は更に眉をひそめた。
ふむ……どう説明したものかな……。
実際、雪ノ下のアイディアがなければ、あの作戦は考えつかなかったし、少なくとも、雪ノ下の言葉を聞くまでは、こんな案はいじめの片棒担ぎにしかならないと思っていた。
その時点では『ルミルミが由香をスケープゴートにする』という結果しか俺には考えつかなかったからな。
同じ過程をもって、真逆の結果を導き出すという雪ノ下の考えがあったからこそ、俺も覚悟を決め、ルミルミに結果を委ねることができたのである。
「──だからこの作戦は俺とお前の合作みたいなもんだ」
「そう……貴方のこと、少し誤解していたのかもしれないわね」
その事を説明すると、雪ノ下は優しく微笑みそう呟いた。
一体、俺は何をどう誤解されていたのだろう?
ただ単に由香を見殺しにした最低男とでも思っていたのだろうか?
一応言っておくが『ルミルミが由香をスケープゴートにする』という最悪のパターンでも多少の保険は利かせられる作戦だったんだからな?
俺がアフターケアできる状況じゃなければこんな作戦実行しようとは思わなかった。あくまで今回は由香が相手だからこそ出来た作戦で──。
「比企谷君……もし、貴方が私と同じ小学校だったら、どうなっていたのかしらね……」
俺が頭の中で必死に言い訳を並べていると、今度はそんな意味の分からない質問を投げつけてきた。
いや、或いはその言葉は俺にあてたものではなく独り言だったのかもしれない。
その証拠に、雪ノ下の瞳はただ一点燃え上がる炎の先を見つめ、どこか悲しげで、まるで天涯孤独の身寄りのない少女のように佇んでいる。
だから、俺はその問いにどう答えたら良いのかが分からず、ただただその横顔を見つめることしか出来なかった。
「……いえ、なんでもないわ。ごめんなさい、つまらないことを聞いたわね忘れて頂戴」
「お、おう。いや、別に……」
やがて、俺が何も答えないことに呆れたのか、或いは何も言わないことこそが答えだったのか。
雪ノ下は最後にそう言うとまるで逃げるように俺から顔を逸し、俺の側を離れていく。一体、今のはどういう意味だったのだろう?
追いかけて、問い詰めた方が良いのだろうか? それとも雪ノ下の言葉の通り忘れたほうがいいのか──。
「なかなか、面白い手を使ったようだな比企谷」
どうしたら良いか分からないまま、俺が雪ノ下の背中を眺めていると、今度は左隣から平塚先生がやってきた。
平塚先生は深緑色の、まるでレンジャーのような格好をしているので、どこから近づいてきたのかが分からず本当に心臓に悪い。
迷彩柄って都会だと割りと主張強いけど、こういう場所だと本当にステルス性能高いよな……。
「平塚先生……もしかして、見てました?」
「ああ、勿論……全部見ていたとも」
平塚先生は俺の問いにそう答えると、ニヤリといやらしい笑みを浮かべ、腕を組んだまま俺を見下ろして来る。
まずい、全部というのはどこまでのことだろうか?
肝試しでの作戦は一応教師陣にはバレないように動いていたつもりだが……。
もしやお説教コースだろうか?
「それで……由香……とかいったか? あの子は君とどういう関係だったのかね?」
続けて、平塚先生はそう言うとまるで夫を問い詰める妻のように恐ろしい笑顔を向けてくる。
きっとこういうところが結婚できない理由なんだろうな……。
とはいえ、そんな事を口にしたら余計に怒らせるだけだろうし、ここは正直に答えたほうが身のためか……。
「俺が家庭教師やってる家の子なんですよ……一応、アイツの苦手教科とかは理解してたので、それで……」
「……なるほど。それで君が知っている彼女の情報を使って今回の件を解決に導いたと……? 君にしては機転が利いたやり方じゃないか」
「まぁ、たまたまですけどね」
俺がそう言うと、平塚先生は続いて「ふっ」と一瞬だけ笑みを浮かべ先ほどとは違い、優しい口調で語りかけてくる。
どうやらお説教コースではないらしい。いや、お説教か?
「たまたまでいいのだよ。確かにここで君たちが出会ったのは偶然だったのかもしれないが、誰とどこでどう出会うかなんて誰にも分かりはしない。だがな比企谷、人とどう関わっていくかは自分で選べるんだ。今回の円満解決は過去の君がサボらず、あの子と関わってきたことの証明でもあるんだよ。君はソレを適切に使った。今、あの子達が笑っているのは紛れもなく君の力、胸を張りたまえ」
「はぁ……そういうものですかね……」
「そういうものさ。ああいう方法は私達教師には出来ない、今の君だから出来たのだからな」
そう褒められる事自体に悪い気はしないが、俺の中では『そんなに大げさなものか?』という気持ちが強い。
実際、次回の由香の家庭教師のことを考えると胃がキリキリだ。
ちゃんと俺の言う事聞いてくれるかしら……? 最悪クビもありえるな……そうなったら自動的に川崎の仕事もなくなるわけだが……どうしよう、許してくれるかしら……。
「そういう繋がりを人は時に人脈だったり、コネクションだったり、縁と呼んだりするのだよ」
縁ねぇ……そんな大層なもんじゃないと思うが……。
そういえば前にも同じようなことを言われた気がするな……。
ただ『縁』と言われると俺の中ではどうしてもあのおっさんの顔がチラつくのであまり考えたいと思えなかったりする。
「正直言うとな、今回の合宿で君を呼んで良いものか多少不安もあったが……誘って正解だった。雪ノ下も君のやり方を見て感じるものがあったようだしな」
「雪ノ下が?」
おっさんの顔を思い浮かべている最中に突然雪ノ下の名前を出されたので頭の中のおっさんが霧散した。
そして、自然と先程雪ノ下が行った方へと視線が移っていく。
その視線の先では雪ノ下が三浦と何かを話している最中だった。
あの二人のツーショットというのは少し珍しいな。
まあ三浦の後ろには葉山もいるので厳密にはツーショットとはいえないかもしれないが……。何話してるんだろう?
「彼女はなんでも一人で解決しようとする部分があってな、私としても心配していたのだよ。勿論それが悪いということではないのだが、彼女のやり方ではいつか行き詰まるときが来るだろう。そのとき君のような男が近くに居てくれたらとも思うのだが……どうだね? この機会に君も奉仕部に入らないかね?」
「いや、俺バイトあるんで……」
雪ノ下たちが何を話しているのかはこの距離からでは全く聞き取れないが、なんとなく雪ノ下が頭を下げているようにも見えた。
そういや、昨日雪ノ下が三浦を泣かせたとか何とか言っていたが、仲直りでもしたのだろうか?
俺の中で三浦の泣き顔というのが想像できないので、よっぽどのことがあったのだろう。知りたいような知りたくないような……。
「そうか。いや、そうだったな。それは残念だ」
そうして平塚先生の誘いを断ると、平塚先生はさして残念でもなさそうに一人ふふっと笑みを浮かべ始めた。
どうしよう、断られるのに慣れすぎてとうとう壊れてしまったのかもしれない。
早く誰か貰ってあげたらいいのに。
「まあ、明日でこの合宿も終わりだ。残り時間をゆっくり楽しみたまえ」
平塚先生が引き続き笑いながらそう言うものの、もう既に夕飯時は過ぎ、日も完全に落ちている、後やれることといえば精々小学生たちを眺めることぐらいだ。
最早やることがなさすぎて、いっそログハウスに戻って寝てしまいたいまである。
「楽しめったって何を……」
だから俺はため息交じりにそう言って平塚先生に愚痴ろうとしたのだが、その瞬間平塚先生が俺の方に小さな何かを投げてきた。
暗い夜闇に放り投げられたソレを俺は慌てて前のめり気味にキャッチする。
「車のトランクに花火が入っている、今回の報酬だ。ただし、開けるのは小学生が部屋に戻ってからだ。後片付けをしっかりするように」
平塚先生が投げたのは車の鍵だった。
つまり、キャンプファイヤーが終わった後、俺達だけでコッソリ楽しめということなのだろう。
確かに一色や由比ヶ浜達は喜びそうだな。後で渡しておくか。
「それじゃ、私は明日の運転のために先に戻るが、君たちもあまり騒ぎすぎるなよ?」
俺がその鍵を受け取ったのを確認すると、平塚先生は右手をポケットに入れ、背中越しに左手を振りながらログハウスの方へと戻っていった。
*
「あれ? センパイそれなんですか?」
平塚先生の姿が見えなくなると、次にやってきたのは一色だった。
どうやら今度こそ着替えが終わったらしくその背後には小町や戸塚達の姿もある。
なんというか、次から次へと千客万来だな。
これも縁というやつの力なのだろうか?
確かに中学の頃の俺からは考えられない光景だ。
「平塚先生の車の鍵、トランクに花火が入ってるから。皆で遊べとさ」
「やった! 平塚先生意外と太っ腹なんですね」
「待て待て、キャンプファイヤーが終わってからにしろ」
俺は自分の手から鍵をひったくって駐車場へと走ろうとする一色の腕を掴み、慌てて引き止める。
今始めたらキャンプファイヤーの邪魔にもなるし、先程の平塚先生の言葉から考えるに恐らく小学生全員が楽しめるほどの数はないのだろう。
今こんな状況で花火なんて見せたら蟻みたいに群がられるぞ。
「なるほど……じゃあ、キャンプファイヤーが終わるまでの辛抱ですね」
俺の言葉に、一色はアゴに指を置いたまま少し考えるようにそう言うと、ポスンと俺の横に腰掛けてくる。
その距離ほぼゼロ。
俺の左手に一色の冷たい肌がピタリと触れ、一瞬どきりと俺の心臓が跳ねる。
「留美ちゃん達、楽しそうですね」
「そ、そうだな……」
だが、一色はそんな事を気にする様子もなく雪ノ下同様、ルミルミ達の姿を見つけ、ほっと胸を撫で下ろすようにそう言うと、チラリと俺のほうへと視線を向けてきた。
「そういえばセンパイ、留美ちゃんの件、最初乗り気じゃなさそうだったのになんで急にやる気になったんですか?」
「いや、別にやる気になったわけじゃないんだがな……」
その言葉で俺は思い出す。確かに、今回は俺があまり口を出すべきではないのではないかと考えていたはずなのに、なぜ自分の案を強行してしまったのか。
雪ノ下の言葉で良いアイディアが浮かんでいたのは確かだが、ワザワザ皆の協力を仰いでまで動く必要はないといえばなかったはずだ。
なのに、ずっと何か考えなくてはと思っていたような気がする……それはなぜだったか?
「じゃあ、なんで助けてくれたんですか? はっ!? まさか留美ちゃんが可愛かったからとか!?」
「ちげーよ……」
ある種同族のようなルミルミを見て哀れに思わなかったのかと言われれば嘘になるが、断じて俺はロリコンではない。
いや、ルミルミが可愛くないとかそういうコトではなく、きっと成長すれば一色や雪ノ下にも匹敵する美少女になるような予感はしているが……違う違う、そういうことじゃなくて。
平塚先生から出された課題だったから?
いや、あれはあくまで奉仕部への依頼であり、俺には関係のない話。
もっと言えば、俺に直接関係がないのであれば一色達のやり方を傍観し、失敗したとしても何も問題はなかったはず。
なのに、何故俺は一色の案を否定し。
自分の案を押し通したのか?
俺は昨日からの自分の行動を振り返り、考える。
そして、ふと一つの答えが浮かんできた。
それは単純にして明快。分かりやすいぐらいにシンプルな答えだった。
「お前が『なんとかならないんですか』って何度も言うからだろ……」
「私の……ため?」
「まあ、ちょうどよくなんとかできそうなアイディアも浮かんだしな……」
そう、ずっと一色が急かしてきたから、ついなんとかしなければと思ってしまったのだ。
多分もう呪いみたいなもんだな。
こいつが困ってると、つい助けなければと思ってしまう。そんな呪い。
無意識におっさんの顔が浮かんだのかもしれない。
俺はおっさんにコイツの事を頼まれている。だからつい手を出したくなってしまったのだろう。
そう考えると、自分の行動に納得がいくものがあった。
「ふふっ」
「なんだよ……」
だが、そうして俺が自分に納得していると、一色が突然笑い始めた。
何かおかしなことを言っただろうか?
「そうでしたね。うん、あの時もセンパイはそういって……だから私は……」
「あの時……?」
一色がそういった瞬間、キャンプファイヤーの方から聞き馴染みのあるメロディーが流れてくるのが聞こえた。
それはフォークダンスの代名詞とも言えるような有名な曲。
オクラホマミキサー。
ふと顔を上げれば小学生たちがキャンプファイヤーを囲うようにキレイに輪になり、その曲に合わせて踊っているのが見える。
「センパイ、行きましょ!」
「ん?」
その曲が聞こえた瞬間、一色がピョンと跳ねるように俺の目の前に立つと、満面の笑みを浮かべたまま手を伸ばしてきた。
その意図が分からず、俺は首を傾げる。
夏の暑さでとうとう頭がやられてしまったのだろうか?
「ほらほら、立って下さいよ」
「何だよ……」
「い・い・か・ら! ほら!」
しかし、一色はそんな俺の手を無理矢理引いて立たせると、半歩足を引いて一礼。
そして俺の右腕を自らの背中に回すと、もう片方の手を俺の左手に添えてゆっくりとステップを踏み始めた。
このステップには覚えがある、今、目の前で小学生たちが踊っているものと同じフォークダンスを踊り始めたのだ。
「えへへ。女の子とのフォークダンス、初めてなんですよね?」
一色はそういうと、俺の身体を引っ張りリードするように無理矢理動かしていく。右、右、左、左。
ギクシャクと間の抜けたポーズのまま一色に操られる人形のように踊りながら、俺は少しずつステップを思い出していた。
えっと、ここで回って、次のやつと交代だったか?
とはいえ、ここで踊っているのは恥ずかしいことに俺と一色だけなので、交代する相手はおらず再び一色と同じステップを繰り返していく。
いや、めちゃくちゃ恥ずかしい。小学生たちにも見られてるしもう離して欲しい。
「あ、いろはちゃんずるい! ゆきのん! 私達も踊ろ!」
だが、俺が一色から離れようと手を引くと、不意に背後から由比ヶ浜のそんな叫び声が聞こえてきた。
「え? いえ私は別に……ちょ、ちょっと由比ヶ浜さん!?」
「いいからいいから、ほら!」
思わず「え?」と声を上げる俺だったが、そこからの由比ヶ浜の動きは早い。
由比ヶ浜は雪ノ下の手を取るとタタっと俺達の隣へと陣取り、一礼をしてから同じように雪ノ下とオクラホマミキサーのステップを踏みはじめる。
「戸塚さん小町たちも行きましょう!」
「ふふ、僕で良ければ」
そんな由比ヶ浜達を見て、何を思ったのか今度は小町と戸塚までもが俺の隣へと走ってきた。
「何やってんのアイツら、恥ず」
「いいじゃないかこんなときぐらい、なんなら俺達も踊ろうか?」
「え!? は、隼人が言うなら別にいいけど……い、いいの?」
「ああ、俺で良ければ」
「いい! 隼人がいい!」
更にまさかの三浦と葉山も参戦。
「これはもう乗るしかないね、このビッグウェーブに! ほらほら、戸部っち行くよ!」
「え!? あ、よっしゃぁ! やってやんべ!」
最後に海老名と戸部がその輪に加わり、気が付けば、合宿メンバー全員がフォークダンスを始めていた。
小学生たちの大きな円の隣に高校生の小さな輪が出来上がり。たった五組による小さなフォークダンスの輪はキャンプファイヤーのおこぼれを貰いながら、その影を伸ばしていく。
それはいつか夢に見た光景。
最早こうなってしまえば俺も一人だけ踊るのを辞めるとは言い出せず、引き続き一色とステップを踏んでいく。
「ふふ、そうそう上手い上手い! なんだ、ちゃんと踊れるじゃないですか」
「一応言っておくけど、俺別に踊れないとは言ってないからね……?」
楽しそうに笑う一色に俺はため息交じりにそう返す。
そう、別に俺は踊れないわけではないのだ、エアフォークダンスをやったというだけで、別に運動音痴というわけでもない。
突然横からヤジが飛んできた。
「ちょっといろはちゃん、早く交代してよ」
「えー? もうしょうがないですね……、まぁ、センパイの初めてのフォークダンスですし、ここは大きな心で譲ってあげますか……。それじゃセンパイ、また後で♪」
一色はそう言って俺にウインクを投げると、俺の手から離れ、次に俺のもとへは由比ヶ浜がやってきた。ペアが変わったのだ。
そうして気が付けば由比ヶ浜が三浦に代わり、海老名、小町そしてまた一色へと戻って来る。どうやら雪ノ下は完全に男役になってしまったらしい。
そのことを雪ノ下自身がどう思っているのかは分からなかったが、ただ一つ言えることは、俺はこの日人生で初めて女子とのフォークダンスを楽しんだのだった。
*
**
***
フォークダンスと花火を一通り楽しんだ俺達は心地よい疲労感に見舞われ泥のように眠り、気が付いた時には朝になっていた。
昨晩、少しはしゃぎすぎたせいか、朝食時になっても皆まだ眠そうに目をこすっている。
まあ、幸い今日は特にやることもなく、後は車に乗って千葉に帰るだけなので車の中で眠るのも有りかと思ったのだが……流石に葉山父の運転する車で熟睡ってわけにもいかんよなぁ……。
そんな事を考えながら車の前で大きな欠伸をしていると、突然何かがツンツンと俺の袖を引いてきた。
「ねぇ八幡。帰りの車さ、交換しない?」
「へ?」
その何かの正体は戸塚だ。今日も可愛い。
ちなみに戸塚とは昨晩連絡先を交換した仲だったりする。
恐らく昨日のフォークダンスが開放条件だったのだろう。これでいつでも戸塚と連絡できるんだぜ? 信じられないだろ?
だが……そうして仲が深まったからこそ戸塚の提案の意図が分からず、俺は首を捻ってしまった。
「ほら、八幡と小町ちゃんは家が一緒でしょ? 帰りは同じ車のほうが荷物とか楽だと思うんだよ。たまには僕も葉山君達とゆっくり話してみたいと思ってたし」
「いや、それなら、小町がこっちにくればいいっていうか。なんなら俺が戸塚と一緒に……」
「わぁ! ソレ良いですね! ほら、センパイ乗って下さい!」
俺としてはむしろ戸塚と一緒に乗りたいまであるのだが、その戸塚の提案に乗った一色はグイグイと俺の手を引いてきた。
まずいこのままではいつものパターンだ。ここはしっかりと意思表示をせねば……。
俺だっていつまでも流されているだけの男ではない……!
「ちょ、ちょっとまて! 俺は戸塚と……!」
「待ちたまえ」
なんとか一色の手を振りほどこうと固い意志を持って声をあげると、突然平塚先生がそう言って俺の方に手をおいた。
思わぬ方向からの援護射撃に俺もびっくりだ。
まあ、行きの車も葉山の方に乗れって言ったの平塚先生だしな。
やはり女子の車に男が混ざるというのは教師としても問題があるのだろう、ココは一つガツンと言ってもらうとしよう……。
「なんですか平塚先生?」
「そういうことなら比企谷は助手席だ」
あ、違ったわ。援護射撃じゃなかった。
普通にフレンドリーファイヤーだったわ。
いやいやおかしいだろ、それなら戸塚と一緒に乗りたいんですけど? 行きも帰りも戸塚と離れ離れとかどんないじめだよ。
何なの? ロミジュリなの?
「えー!! なんですかそれー! そんなの横暴です!」
「うるさい、ほら、さっさと乗れ比企谷」
「え、いや俺は……」
だが、そんな一色の抵抗も虚しく平塚先生はガチャリと助手席の扉を開けるとグイグイと俺を押し込んでいく。
ちょ、まっ、その体制じゃ乗れない、乗れないから、肩、肩が引っかかって、あぁぁああ!?
「ふぅ、比企谷に後ろでイチャつかれたらうっかり事故ってしまう可能性があるからな」
「私……帰りは葉山くんの方に乗せてもらおうかしら」
「こ、小町も……」
そうして、俺は雪ノ下達のそんな声を聞きながら無理矢理助手席に詰め込まれ、一路千葉を目指したのだった。
っていうか小町ちゃん? 君が向こうに乗ったら戸塚の提案の意味がなくなるからね?
*
「はいセンパイ♪ あーん♪」
「自分で食えるっつーに……」
「ヒ、ヒッキーこれも美味しいよ!! ほら!」
車が発進すると、俺の後ろに座った一色と由比ヶ浜が交互に俺の口へ菓子を放り込んできた。
よほど暇なのだろう。
こんなことならやはり無理を言ってでも戸塚と一緒の車に乗るんだった。
そもそもこの車七人乗りなんだから戸塚が移動する必要なんてないんだよな……。
その事にもっと早く気がつくべきだった……。
「結衣先輩? センパイのお世話は私がしますから、結衣先輩は寝ててもいいんですよ? 昨日あんまり寝られなかったって言ってましたよね?」
「べ、別に眠くないし! 子ども扱いしないでよ。それにヒッキーには話したいこともあったし……!」
「話したいこと?」
何やら揉め始めたのが聞こえたので、俺が後方を振り返ると由比ヶ浜が少し困ったような視線を向けてくるのが見えた。
なんか、この二人って仲が良いのか悪いのか良く分からんよな……。
しかし、由比ヶ浜の話とはなんだろう?
そういえば合宿中は由比ヶ浜と話す機会あんまなかったし、もしかして、俺何かやらかしただろうか?
「うん、そうヒッキーと小町ちゃん。二人にお願いがあるんだけどさ」
「はい、小町もですか?」
「うん、あのね。今度うち家族で旅行するんだけど、その時さサブレをペットホテルに預けても大丈夫かなって悩んでて、それでね……もし良かったらヒッキーの家で一日だけサブレ預かってくれないかな?」
だが、少し身構えながら話を聞いていると、それは合宿とは全く関係のない話だった。
「えー? なんでセンパイに頼むんですか? 結衣先輩なら他にも頼めそうな人いますよね?」
「だ、だっていろはちゃんの家マンションでしょ? ゆきのんもだし、ヒッキーのとこなら一軒家だし、サブレも懐いてるし……もしかしたらと思って……」
「ぅ……」
ぐうの音も出ないような正論に、流石の一色も黙り込んでしまう。
『ウチで預かりますよ』が言えないなら口を挟むべきではないし、この場では俺に頼むのが一番可能性が高いだろう。
ふむ……どうしたものか。
サブレというと、由比ヶ浜が飼ってる犬だよな。
正直な事をいうのであれば、うちは猫──カマクラを飼っているので他所様の犬を一晩というのは少しリスクがあるのだが……。
とはいえ腐っても一軒家の二階建てなので、一日ぐらいならなんとかなるか……?
大事な友人からの頼みだしなぁ……うーん……最悪俺の部屋から出さないようにするのも有りか。
「小町はかまいませんけど……お兄ちゃんは?」
「……まあ、一日ぐらいならいいんじゃないの? どうせ母ちゃん達も仕事だろうし、俺らが面倒見る分には反対はしないだろ」
「やったー! 実は結衣さんのワンちゃん一度会ってみたかったんですよね!」
そういってはしゃぐ小町をバックミラー越しに見ながら、息を吐いていると雪ノ下がこちらを見ていることに気が付いた。
その表情はどこか優しげで、少し羨ましそうに見えたのは、俺の気の所為だろうか?
「比企谷くんって結構しっかりお兄ちゃんしてるのね……」
「俺はイツだってお兄ちゃんだよ」
雪ノ下の言葉にそう返すと再び一色が「はいセンパイあーん♪」と棒状のお菓子を口に放り込んでくるので、俺は何度目かになるそれを咀嚼していく。
道中暇なのだろうし、やりたいようにさせておいたほうが静かだしな……。
そう思い、まるで動物に餌付けをする子供のような一色を放っておくと突然横からボソッと平塚先生の呟きが聞こえてきた。
「あー、このままアクセル踏み抜いて壁に突っ込んだら気持ち良いんだろうな……」
「「「絶対やめて下さい!!!」」」
*
**
***
そんな風にワイワイと騒ぎ、平塚先生の精神を宥め落ち着かせながら車を走らせること数時間。
漸く俺達は我らが故郷・千葉へと戻ってきた。
「ふっぅー……!」
俺は車の扉を開けた瞬間から襲いかかってくる肌にまとわりつくようなジメジメした熱気を吹き飛ばすように思い切り空に手を伸ばし、ぐぅっと伸びをして、固まった身体を解していく。
大分サービスエリアで寄り道をしてしまったが、戸塚達はもう家についているのだろうか? 折角連絡先を交換したのだし、早速連絡してみようか。
「お兄ちゃん手伝ってよ!」
「おぅ、今行く」
俺がスマホを取り出そうとすると小町がそう言って俺を呼ぶので、俺は取り出しかけたスマホをそのままポケットに仕舞い、トランクの荷物を下ろそうと車の後ろへと回りこんだ。
まあ、この場の男手は俺だけだしな、平塚先生には長時間の運転をしてもらったことだし荷下ろしぐらい手伝っても罰は当たらないだろう。
そう考え、俺はトランクに載っているバッグを一つずつ下ろし、小町に受け渡すという作業をしていると、ふいに駐車場の入り口に見覚えのある車が止まったのが見えた。
それは見るからに高そうな黒塗りの高級車。
その車を見た瞬間、一瞬俺の背中にピシッという痛みが走った。
古傷が痛むというのはこういうことを言うのだろう。
間違いない──あの時の車だ。そのコトにはすぐに気がついた。
だが、今ここには一色や小町達がいる。
下手に騒ぎ立てる必要もないだろう、そう思い俺はなんとかその車の事を頭から追い出しながら、トランクの荷下ろしを続けていく。
「雪乃ちゃーん」
すると、その高級車の中から一人の美女が現れた。
美女、そう表現するのは間違っていないだろう。
整った顔立ち、真っ白いワンピースから見えるスラッとしたモデルのような体型。
文字通り『良いところのお嬢様』という出で立ちのその大学生ぐらいの女性はまるで映画のワンシーンのように大げさに手を振りながら雪ノ下の方へと近づいていく。
「姉さん……! なんでここに?」
「なんでって、雪乃ちゃんを迎えにきたんじゃない」
その美女の顔立ちと、雪ノ下の「姉さん」という言葉を考えるに、きっと二人は姉妹なのだろう。
そう考えると確かに二人はよく似ている。
ただ、その雪ノ下と違い、ニコニコと笑顔を振りまくその様子から、その性格はあまり似ているようには思えなかった。
雪ノ下を“静”とするなら、雪ノ下姉は“動”とでもいうのか。まるで真反対の性質を持った二人、そんな印象を覚えたのだ。
「迎えって……子供じゃないんだから……」
雪ノ下自身もそのことを理解しているのか、少し苦手そうに顔を逸らしている。
姉妹仲はあまり良くないのだろうか……? でも小町も小町の友達の前で俺と会うと他人のフリするしなぁ……。
「センパイ、隠して隠して……!!」
「へ?」
「しー!」
そんな事を考えながら、車の陰から二人の動向を見守っていると、突然一色がそう言ってトランクの影に隠れるように俺のもとへとやってきた。
そこでようやく思い出す。
そうか、あれが雪ノ下姉ということはつまり──。
「あれぇ? いろはちゃんだぁ!」
だが、俺がすべてを思い出すより早く、雪ノ下姉は身体を九十度傾け、車の陰を覗き込むように一色を捕捉してきた。
いや、恐らく最初から捕捉されていたのだろう。
その顔はどこまでも楽しげだ。
「久しぶり♪」
「お、お久しぶりです……」
「アレ? 男の子もいるんだ? 合宿って言うからてっきりお姉ちゃん女の子だけの合宿かと思ってたよ」
トランクの後ろにいた一色が見つかったので、当然先程まで車の影に隠れていた俺も見つかったのだが、雪ノ下姉は俺を見るとキョトンとその瞳を丸くさせ、俺を値踏みするように見てくる。
「へぇ……ふぅん……君、名前は?」
「……比企谷ですけど……」
「比企谷君ね。私は雪ノ下陽乃。雪乃ちゃんのお姉ちゃんだよ、よろしくね」
「はぁ……ども」
妙な緊張感が俺の中を走る中、俺はなんとかそう答えるのが精一杯だった。
だってそうだろう?
一色の話が本当なのであれば、この人はアノ事を知っているのだ……。
言ってしまえば、今俺達の前にいるのはいつ爆発してもおかしくない巨大な爆弾。
マイクラで言うところの匠である。
「あ、あんまりセンパイに近づかないで下さい……!」
しかし、そんな俺の警戒心とは裏腹に、一色は何故か俺の腕を絡め取り雪ノ下姉から俺を引き剥がすように俺の体を引っ張った。
あ、バカ! 今そんな事したら……!
「へぇ、センパイ……センパイねぇ……」
そう思った時にはすでに遅かった。
一色の言葉で何かを察したのか、雪ノ下姉は新たな玩具を発見した子供のように笑うと、躊躇うコト無くその爆弾に火を付けたのだ。
「じゃあ、君が例の婚約者──いや、“許婚君”かな?」
というわけで105話でした。
前回足りなかった分のインパクトをここで多少は補填できたんじゃないかなぁとか個人的には思っているのですが如何でしょう?
皆様のご感想どしどしお待ちしております!