やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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第108話 犬は鎹

 と、言うわけで現在我が家にはサブレという由比ヶ浜の家のミニチュアダックスフンドが泊まりに来ていた。

 一応、我が家には既にカマクラという猫がおり、猫一匹、犬一匹で喧嘩をしないか? というのが若干不安ではあったが、そこは流石カマクラ先生。

 最初こそ人懐っこく纏わりついてくるサブレに戸惑っている様子だったが、サブレが高いところに登ってこられないということを知ると、冷蔵庫の上や棚の上、キャットタワーの上に登り一切地面に降りてこず、高みの見物を決め込むことでサブレとの交流を完全にシャットアウトしていた。見事なぼっち術だ。流石比企谷家の猫である。俺も見習わなければ。

 

「ほーら、サブちゃーん。おやつだよー!」

「わぅ! わぅ!!」」

 

 そんな中、我が家のリビングにはサブレと仲良くなろうとする一人の女子高生の姿があった。一色いろはである。

 一色はサブレと視線の高さを合わせるように地面に這いつくばりながらミニスカートに覆われた丸いお尻を俺の方に突き出し、猫撫で声を上げておやつをチラつかせることで必死にサブレに媚を売っている。

 全く持って目の毒なので一刻も早く止めていただきたい。

 

「センパーイ、なんかこの子めっちゃ吠えてくるんですけどー? 躾がなってなくないですかぁ?」

 

 だが、悲しいかなサブレはそんなおやつ攻撃にも屈せず「ヴゥゥ~……!」と歯茎をむき出しにしながら唸っていた。

 由比ヶ浜から託された“サブレお泊りセット”に入っている犬語翻訳機を使うまでもない、明らかに怒っているのだ。いや、敵視されていると言ったほうがいいだろうか?

 おかしいな、結構人懐っこい犬だと思っていたのだが……。

 

「……お前がイジメるからじゃないの?」

「えー? イジメてなんてないですよ! ね~? サブちゃん?」

「わぅ! わぅわぅ!!」

 

 そう言って一色はほんの僅か躙り寄るがサブレはそんな一色に対しタンッ! と前足で床を叩きながら険しい顔で吠え続けていく。その様子からはとても友好的な感情は見受けられない。

 うーん……? 一色から何か苦手な匂いでも出ているのだろうか? 香水を使っている──のかどうかはしらんが、ソレが悪いとか?

 俺からすると一色はいつも吸い寄せられそうな甘い良い香りがして困るぐらいなのだがな……。犬って匂いに敏感だというし、俺達には分からない何かを感じ取っているのかもしれない。

 

 とはいえ、原因は分からないまでも預かっているワンコにこれ以上ストレスを与え続けるのも良くないだろう。

 そう考えた俺は一度落ち着けようと、後ろからそっとサブレを抱き上げ一色の脅威から遠ざけることにした。

 すると、サブレはまるで人が──いや、犬が変わったかのように一度小さく「ひゃん!」と鳴いて千切れんばかりに尻尾をブンブンと振り始める。

 ふむ、どうやら機嫌が悪いとかではなさそうだな……やはり原因は一色か……。

 

「あー! センパイばっかりずるいです! ほぉらサブちゃんこっちおいで♪」

 

 そんなサブレと俺を見た一色は、サブレを横取りされたのがよっぽど悔しいのか頬を膨らませながら立ち上がり、再びサブレに手を伸ばしてきた。

 しかし、その瞬間再びサブレが愛らしい顔を歪ませ「ヴ~……!」と唸り始める。

 相当相性が悪いらしい……。本当、何がいけないんだ……?

 

「その“サブちゃん”とかいう日曜夕方の魚介類アニメにたまに出てくる脇キャラみたいな呼び方が気に食わないんじゃないの?」

 

 サブレだとそのまま洋風な焼き菓子が脳裏に浮かぶが、サブちゃんだと途端に醤油感でるもんな。案外音の響きが気に食わないという可能性はあるのかもしれない。

 

「えー? 犬にそんなの分かるわけないじゃないですか……」

 

 そういって笑う一色の横で『こういうちょっと小馬鹿にしたところを見透かされているのだろうなぁ』という言葉をなんとか飲み込み、俺がサブレを落ち着けようと背中を撫でるとサブレは再び尻尾を振り、俺の顔を舐め始めた。

 はっはっは、可愛い奴め。

 

「むー……かわいくなーい……もういいです!」

 

 俺と一色に対するサブレの態度が露骨なまでに違うということに気づいた一色はやがて不機嫌そうにそう言うと、今度は冷蔵庫の上に避難しているカマクラの方へと近寄り、両手を広げ「おいでー♪」と声をかけた。

 すると、カマクラはその意図を理解したのか面倒くさそうにしながらもスッと立ち上がり一色の胸元へヒョイッと飛び降りてその腕の中にすっぽりと収まっていく。

 

「うーん♪ カマ君は素直で良い子だねぇ、よーしよしよし♪」

「んなぁ~……」

 

 サブレとは反対に、大人しく腕の中へと飛び込んできたカマクラに、一色はモフモフとしたその背中に頬ずりをしカマクラを愛でていく。

 ああ、この時期にそんな事したら服が毛だらけになるぞ……。

 夏場は特に毛が抜けやすいのだ。

 

「くぅーんくぅーん……!」

 

 そうして俺が一色に抱っこされるカマクラを眺めていると、サブレが俺の腕の中で必死に猫撫で声を上げ何かを訴えてきた。

 カマクラに対抗心でも燃やしているのだろうか?

 犬なのに猫撫で声ってどうなんだろうな。もしかしてこいつは猫なのかもしれない。

 

「どした?」

 

 俺がそのままサブレの背中を擦るように撫で、カマクラとサブレの視線が重なるように一色と並ぶと、今度はサブレとカマクラがお互いの鼻を擦り合わせ始めた。

 なんだかんだ、こっちの相性はそこまで悪くないんだよなぁ……。

 

「ふふ、こうしてると赤ちゃんを抱っこしてるみたいですね」

「まあ、重さもそれぐらいだろうしなぁ」

 

 サブレもカマクラも五キロ前後なので、人間の赤ん坊の平均を体重三千グラム前後と考えるなら、生後半年未満といったところだろうか?

 流石にここまでモフモフはしていないだろうが……。

 そうか……これが赤ん坊の重さなのか……。

 いつか俺もこんな風に嫁さんと自分の子供を抱く日がくるのか?

 その時の俺は一体何をしているのだろう?

 そして、その相手は──。  

 

 そんな事を考えていると不意に“ピンポーン”とインターホンが鳴り、バタバタと廊下を走る騒がしい音が聞こえてきた。

 勿論一色は今も俺の横でカマクラを抱いているので、その足音の正体は小町だ。

 

「はーい、少々お待ちくださーい。お兄ちゃーん、結衣さん来たよー!」

 

 やがて、小町がインターホン越しの会話を終えると、そう言ってひょっこりとリビングに入って来る。どうやら来客の正体は由比ヶ浜らしい。

 つまり、サブレとのお別れの時間がやってきたのだ。

 

「良かったねぇサブレ。お迎えがきたよ」

 

 小町がそう言って俺の下へと近づいてくると、俺の腕の中にいるサブレの頭を撫でた。

 一色の時とは違い、サブレは全く抵抗する素振りをみせず「ヒャン!」と嬉しそうに一度だけ吠える。

 

「んじゃ小町、そっちのサブレ関係の荷物まとめて持ってきてくれるか?」

「はーい」

 

 俺の言葉に従い、小町がサブレ用のおやつやらなんやらを由比ヶ浜が持ってきたサブレお泊りセットに詰め直しているのを確認すると、俺はサブレを床に下ろしリードを付けて一足先に玄関へと向かっていく。

 あまり客人を玄関先で待たすわけにもいかないしな。

 

「……!? や、やっはろー! ヒッキー、サブレ預かってくれてありがとね」

 

 そうして玄関へと向かい少し重い扉を開けるとそこには由比ヶ浜の姿があり、サブレが喜びの声を上げ駆け寄っていった。

 

「ただいまサブレー! いい子にしてた?」

「ああ、夜泣きもせずいい子だったぞ。な、サブレ?」

「ヒャン!」

 

 俺への挨拶もそこそこにして、其の場にしゃがみ込んでサブレの頭をモフる由比ヶ浜にサブレは嬉しそうにお腹を見せていく。

 玄関先なので背中が汚れる気がするが、まあこの程度はご愛嬌というものだろう。

 

「良かったぁ、色々心配だったんだ。あ、これお土産ね」

「こりゃどうも」

「大したものじゃないけどね」

「お兄ちゃんこれで全部?」

 

 由比ヶ浜から土産を受け取っていると、漸くサブレの荷物を纏めた小町が玄関へとやってきた。

 同時にまるでそこにいるのが当然とでも言うように、一色もカマクラを抱きながらやってくる。

 

「あ、小町ちゃんもありがとね……って……いろはちゃん……も来てたんだ?」

「はい♪ 結衣先輩、どもです」

 

 その事に由比ヶ浜は一瞬驚きの表情を浮かべた後、少しだけ戸惑いながら乾いた笑いを浮かべていたので、俺は慌てて弁明する。

 最近本当に毎日のように来てるから感覚が麻痺しているが、そういえば一色が家に来てるのってなんか意味深だよな……。もうすでに俺たちの関係はバれているわけだし……。

 

「あー、なんかコイツ今年の夏休みは小町の家庭教師するって毎日入り浸っててな」

「……小町は別に頼んでないんですけどね……」

「はぁ? この間『いろはさんが居て助かります』って言ってたじゃん!」

「いや、それは家庭教師関係ないというか、今日だってお兄ちゃんと遊んでばっかりっていうか……って痛い痛いぃ! 結衣さん助けてぇ!」

 

 俺が言い訳がましくそう言うと、途端に漫才が始まってしまった。

 小町達は俺の周りをバタバタと一周してから二階へ駆け上がっていく。

 全くコイツラは仲が良いんだか悪いんだか……。

 

「……とまあ、最近は毎日ずっとこんな感じでな……」

「は、はは……そうだったんだ……なんか、賑やかで楽しそうだね」

 

 いろこまコンビが居なくなり、由比ヶ浜が呆れたように笑うと、て突然二人きりになった俺たちの間に妙な沈黙が流れた。

 それは俺にしてみればようやく訪れたチャンスの時間でもある。

 だから、俺はそのチャンスを逃すまいと拳を握り込んでゆっくりと口を開いた。

 

「あの、さ……」

「ご、ごめんね! お邪魔だったよね、サブレのこと本当ありがとう! それじゃ私行くから……!」

 

 だがその瞬間、沈黙に耐えられなくなったのか、そう言って由比ヶ浜は逃げるようにサブレを抱き上げ玄関から飛び出していってしまった。

 

「え!? あ、おいちょっと……!」

 

 突然の事に俺も思わず靴も履かずに玄関の扉を開け外へと飛び出していく。

 左右を確認し、なんとかその背中を見つけるも、既にその背は小さくなり次の瞬間には角を曲がって見えなくなってしまった。

 あいつ、案外足速いんだな……! っていやいや、関心してる場合じゃないだろう比企谷八幡……。

 

「ちょ、ちょっと出かけてくる!!」

「え!? センパイどこ行くんですか!? センパイ!?」

「いいからお前らは勉強しとけ!」

 

 俺は一度家の中へと戻り、急ぎ玄関先に出ていたサンダルを履いてそう叫ぶと、二階から身体を乗り出すようにこちらに顔を出す一色を制し、由比ヶ浜を追って走り出したのだった。

 

***

 

 それから走ることおよそトラック半周ほど。

 開けた交差点の赤信号で立ち止まっている由比ヶ浜を見つけた俺は周囲の目も憚らず思わず由比ヶ浜の名を叫んだ。

 

「由比ヶ浜っ……!」

 

 その叫び声に由比ヶ浜がビクリと肩を震わせ振り返ってくれたことに若干の安堵感を覚え、俺は少し速度を緩めていく。少なくとも聞こえてはいるようだ。

 

 だが、それがいけなかったらしい。

 俺に気付いて振り返った由比ヶ浜は一瞬ギョッと驚いたような表情を浮かべた後、信号が青に変わったタイミングで再び俺から逃げるように走り出したのだ。

 

「え!? 由比ヶ浜!? ちょっと待……!」 

「な、なんで追いかけてくるのさ!?」

「そっちが……逃げるから、だろ……!!」

 

 慌てて再び速度を上げる俺と由比ヶ浜は道行く人々に奇異の目で見られながらチェイスを続けていく。

 はぁ……はぁ……真夏の全力疾走とかしんどすぎるだろ……暑い……死ぬ……給水ポイントはまだか……。

 くそ、こんなことならちゃんとした靴履いてくるんだった……。

 とはいえ、少しずつではあるが距離は縮まっている、あと数メートルで由比ヶ浜の肩に手をかけられそうだ。

 そう確信した俺はこれで最後だと自分に言い聞かせ、重い体を押し、一気にスピードを上げていく。

 

「きゃっ!?」

「え!?」

 

 そうしてようやく由比ヶ浜の肩に手が触れた瞬間、それは起こった。

 突然由比ヶ浜の腕に抱かれていたサブレが空を飛んだのだ。

 いや、厳密に言うと由比ヶ浜の肩を蹴り、俺の方へと飛び込んできた。

 その突然の行動に、俺は思わずその足を止め慌ててサブレが地面に叩きつけられないよう両手をばたつかせながら空中でキャッチする。

 

「うおっ、危ねぇな!」

「ご、ごめんねヒッキー! 大丈夫!?」

「ああ、ちゃんと受け止めたから怪我とかはないと思う……ったく、気をつけろよ……」

「ひゃん!」

 

 俺達の心配などどこ吹く風で嬉しそうに尻尾を振り回すサブレに、俺と由比ヶ浜は思わず顔を見合わせ僅かに笑みを零した。

 まあ、とりあえず由比ヶ浜も止まってくれたし、結果オーライというところだろうか?

 

「……で、なんで逃げたの……?」

「べ、別に逃げたわけじゃ……ヒッキーが追いかけてくるからじゃん……」

 

 なんにせよ、本題はここからだ。

 サブレを由比ヶ浜に返しながら、俺が出来るだけ平静を保ちそう問いかけていくと、由比ヶ浜は罰が悪そうに視線を彷徨わせ俺を非難して来た。

 こういう時、女子ってずるいよな。

 例え事実がどうであれ“自分は被害者だ”と主張すれば必然的に男の俺の方が立場が弱くなってしまうのだから。本当に理不尽である。

 冤罪、駄目絶対。

 

「いや、それはおかしい。順番が逆だろ……」

「お、おかしくないし。追いかけて来たのは本当じゃん……」

 

 なんだか卵が先か鶏が先かみたいな話になってきているが、この問答を続けても何にもならないし、ここで引き下がればきっと由比ヶ浜は今後も俺から逃げ続けるのだろう。

 だから俺は一度「ハァ」と大きく息を吐いてから由比ヶ浜を宥めるように本題を切り出していく。

 

「話があったんだよ……」

「はな、し……?」

「ああ……なんつーか、その……最近ずっとこんな感じだろ? 俺のこと避けてるっていうか……LIKEでも他所他所しいっていうか……なんか様子が変だったから……」

 

 それは、これまでの俺だったら絶対にしなかったであろう話題。

 少なくとも目の前にいるのが由比ヶ浜でさえなければ俺はきっとこうやって追いかけてきたりしなかっただろう。

 でも、今の俺はどうしてもそれを聞かずにはいられなかった。

 

「あ、あはは……私そんなに変だった……? 普通にしてたつもりだったんだけどな……」

「……」

 

 俺の言葉に由比ヶ浜は目を泳がせ、下手な作り笑顔でそう答えていく。

 ただ俺にとって何より辛かったのはその取り繕ったような態度よりも、そこに否定の言葉が含まれていないことだった。

 それはつまり、これまでの由比ヶ浜の行動が俺の勘違いではなく、本当に俺を避けていたという事実に他ならなかったからだ。

 こうなってくると最早話を切り上げることもできず、俺は少しだけ目を伏せながらも続けて口を開いていく。

 

「その……よかったら少し話さないか……?」

「……あんまり話したくない……かも、今更話したところでどうしようもないっていうか……手も足もでないっていうか……」

 

 それでも由比ヶ浜の態度は変わらない。

 それどころか、まるで俺を責めるように、そして悲しそうに笑いながら小さな声で呟いた。

 

「……だって、ヒッキーといろはちゃんって……許嫁……なんでしょ?」

 

 その絞り出すような言葉に、俺はゴクリと生唾を飲み込む。

 やはりターニングポイントはそこか……。

 由比ヶ浜の態度がおかしくなったのがあの時からだということはなんとなく理解していた、ただなぜそれで由比ヶ浜の態度が変わったのか、その理由が分からなかったのだ。

 あの日、俺は俺自身が気づかないところで何かやらかしていたのだろうか?

 そう考えた俺は脳をフル回転させもう一度あの日の──合宿最終日の記憶を呼び起こしていくのだった。

 

***

 

**

 

*

 

 

「じゃあ、君が例の婚約者──いや、“許婚君”かな?」

 

 合宿が終わり、千葉へと戻ってきた俺たちの前に突如現れた雪ノ下陽乃と名乗る女性の不意打ちに、俺は思わず目を丸くする。

 完全に油断していた。

 恐らく俺は、一色から雪ノ下姉の存在を聞いた時点でもっと警戒しておくべきだったのだろう。

 この人が俺達のことを──おっさんのことを知っているという事実を軽視すべきではなかったのだ。

 いかんな、このままでは一色の高校生活に支障が出てしまうかもしれない。

 ココは俺がなんとかしなければ……。

 幸い、俺と雪ノ下姉が出会うのは今日が初めて、まだ取り繕う事は可能なはずだ!

 

「ナ、ナニ言ってんスか……? 俺と一色ハ別ニ……」

「あれぇ? 違った? お姉ちゃんこういう勘は外さない方なんだけどなぁ……」

 

 だが、いくら頭でそう考えていても。

 その時の俺は、雪ノ下姉の『逃さないぞ』と言わんばかりの視線に気圧され、まともな受け答えができなくなってしまっていた。

 一言で言えばテンパってしまっていたのである。

 蜘蛛の巣にかかった獲物というのはきっとこんな気分なのだろう。

 抗えば抗うほどにその糸が絡みついてくると分かっていても、ソレ以外にどうすればよいか分からず「あ……えと……」と視線を彷徨わせていく。

 視界に入るのは不安そうに俺を見上げる一色の姿。

 くそっ……なんとか……なんとかこの場を乗り切らねば。

 どうする? どうすれば話題を逸らせる?

 ええい、タンク役は何をしている! ヘイト管理ぐらいちゃんとしてくれよ……! いや、この場合一色のタンクが俺なのか? だとしたらアタッカーは誰だ?

 そんな事を考えていると、救いの手は思わぬところからやってきた。

 

「あ、あの……ヒッキー困ってますから……!」

 

 由比ヶ浜がまるで突き飛ばすかのように雪ノ下姉の肩を押し、俺から引き剥がしてくれたのだ。

 その由比ヶ浜らしからぬ態度に俺は勿論、雪ノ下姉も一瞬目を丸くし、自然と由比ヶ浜に視線が集まっていく。

 

「へぇ、比企谷君って結構モテるんだ? こーんな可愛い子いっぱい侍らしちゃって。憎いねぇコノコノォ♪」

「は、はべ!?」

「ち、違います! ヒッキーはそういうのじゃなくて!」

「そういうのじゃないならどういうのなの? お姉さんに詳しく教えて?」

「だ、だからその……えっと……」

 

 俺がモテる? 一体この人は何を言っているんだ?

 どこをどう見たらそんな風に見えるというのか──ってそうか……今この場にいる男は俺だけなのか……。

 となると……ここで俺が下手に口をだすのは逆効果だな……。

 この手の勘違いをしたがる人種は何を言ったところで聞く耳を持たないのだ。仮に何か言ったところで今の由比ヶ浜のように誂われ、遊ばれるのが落ちだろう。

 最早この場は完全に雪ノ下姉にペースを握られてしまっているのだ。

 ただ、ソレは同時に現状の打開策がないという絶望の証明でもあった。

 今は俺が何を言ってもやぶ蛇になりそうだ……。まずいな……。

 

「陽乃! その辺にしておけ……」

「やっほー、静ちゃん♪」

 

 そうして俺が雪ノ下姉対策で知恵熱を出していると、今度は思わぬ方向から二度目の援護射撃がやってきた。平塚先生だ。

 やけに砕けた調子で話す雪ノ下姉の態度から察するにそれなりに親しい間柄らしい。

 一体どういう関係だ? まさか婚活仲間……?

 

「平塚先生、お知り合いなんですか?」

「昔の教え子だ……」

 

 俺がそう問いかけると、平塚先生は少しだけ面倒くさそうにそう答えてくれた。

 なるほど……。ということは、雪ノ下姉は俺の先輩──OGに当たる人物なのか?

 まあ、だからといって特別敬う気持ちが湧いてくるとかでもないのだが……。

 

「姉さん、あまり私の友人に迷惑をかけないで頂戴。今は私を迎えに来ただけなのでしょう?」

「え? あ、そうだった。お母さんが待ってるんだった」

 

 続く雪ノ下の言葉にも雪ノ下姉はあっけらかんとそう答えるが、その興味の対象は依然として俺へと向けられているらしく、ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべたまま俺を見ていた。

 その視線はなんというか“面白そうなおもちゃを見つけた”とでもいいたげで、正直向けられていて気持ちの良い類のものではない。

 

「な、なんすか……?」

「あ、あの……」

「へぇ……いろはちゃんの『センパイ』で、雪乃ちゃんの『友人』ねぇ……ふーん……」

 

 その言葉に俺は『いえ、雪ノ下が友人といったのは一色の方であって俺の方ではないですよ』と、否定しようかと思ったが、ソレより早く雪ノ下が叫び声をあげた。

 

「姉さん!」

「はいはい分かりましたよー。それじゃ、いろはちゃん、比企谷君。今度はゆっくりお話聞かせてね♪」

 

 やがて、雪ノ下姉は自らを急かす雪ノ下に引っ張られ、最後にそう言ってルンルンとスキップ混じりに先程乗ってきた黒塗りの高級車へと乗り込んでいく。

 当然、雪ノ下も乗り込んでいくのかと思ったが、雪ノ下は車に乗り込む前に一瞬だけ立ち止まり、こちらへと振り返った。

 

「……ごめんなさい」

 

 その謝罪が一体誰への、何のためのものなのか理解できなかったが、雪ノ下がそのまま俺たちの返答をまたず車に乗ると、車はゆっくりと走り出していってしまった。

 

「なんだったんだろうな……」

 

 嵐が去った。

 というのはきっとこういう状況のコトを言うのだろう。

 いや、あるいはそれ自体はまだ嵐の予兆だったのかもしれない。

 今更、雪ノ下姉が放った言葉をなかったことにはできないのだから──。

 

 気がつけば先程までのワイワイという楽しげな雰囲気はすっかり消え去り一色と由比ヶ浜がそれぞれ何か言いたげな視線を俺に向けてきている。

 恐らく、もうこれ以上俺と一色の関係を隠し通すことは不可能だろう。

 

 唯一の救いはここにいるのが合宿参加メンバー。それもその半分の人数だということ。

 より正確にいうならバレたのは雪ノ下姉妹、由比ヶ浜、そして平塚先生の四人だ。

 少なくとも由比ヶ浜に関しては俺と一色が名ばかりの“許嫁同士”で、あまり大っぴらにしたくないことを説明すれば『へー、そういうことだったんだ、早く教えてくれれば私も協力したのに』とか今後も相談に乗ってくれる可能性は高いだろう。

 となると問題なのはやはり平塚先生──。 

 

「さて……私もそろそろ車を返しに行かないとな……」

 

 しかし、そんな俺の予想とは裏腹に平塚先生はタバコを口に咥えたままそう言うと、まるで何事もなかったかのように運転席へと戻り車のエンジンを駆け始めた。

 

「それじゃ、私は行くが君たちは寄り道などせず帰るようにな、それと夏休み中問題を起こさないように」

「え、あ、はい……分かり、ました……」

 

 ぽかーんとマヌケな顔を晒す俺にちらりと目配せをすると平塚先生はそのまま車を走らせ、あっという間にその場を去ってしまう。

 残されたのは俺、一色、由比ヶ浜、小町の四人。

 その空気は最悪だ。

 

「そ、それじゃ私もそろそろ行くね。いろはちゃん、小町ちゃん。それに……ヒッキー……その、またね」

「お、おう……またな」

「結衣さんまたでーす……」

「またです……」

 

 やがてその空気に耐えられなくなったのか由比ヶ浜がそう言って走り出すと、俺はホッと胸をなでおろし「じゃあ……俺らも帰るか……」と小町と一色を連れ無言のまま帰路へと付いたのだった。

 

*

 

**

 

***

 

 それが、あの日起こったことの全てだ。

 あの時点では由比ヶ浜は俺を助けてくれたし、俺たちの関係には何の支障もないと思っていた。

 だが、どうやらそれは俺の希望的観測に過ぎなかったらしい。

 由比ヶ浜が「許嫁……なんでしょ?」と問い詰めるその顔は至って真剣そのもので、俺は一瞬どう答えたら良いか分からず思わず、グッと息を呑み込んでいく。

 

 この場合、俺はなんと答えるのが正解なのだろうか?

 しらばっくれたほうがいいのか、あるいは正直に話したほうがいいのか。

 そもそも何故由比ヶ浜は怒っているんだ?

 いや、というより由比ヶ浜は怒っているのか?

 この時の俺はそれすらも理解していなかった。

 

「否定……しないんだね……」

「あ……」

 

 返事が出来ないままの俺に、由比ヶ浜が追い打ちをかけるように、冷たく言い放つ。

 それは、これまでの由比ヶ浜からは想像もつかないような本当に悲しそうな声だった。

 最早、隠すことは出来ないだろう。

 ならばやはり由比ヶ浜との会話は必要不可欠。

 そこで俺はようやく腹を決めることにした。

 

「ああ……俺と一色は許嫁ってことになってる……一応な……」

「一応……? それって……?」

「ちゃんと話すから……逃げないで聞いてくれるか? 由比ヶ浜には全部聞いて欲しいと思ってる……」

 

 俺がそう言うと、由比ヶ浜は少しだけ考えた素振りをし、腕の中のサブレと視線を交わした後、数秒してから小さくコクリと頷いた──。




今回ちょっと難産だったのでぶつ切りになってしまいましたが
解決編の次回はちょっと短め予定です
本当は一話に纏めたかったんですけどねぇ……

ということで次回解決編もお楽しみに!
次話以降もよろしくお願いいたします!

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