やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。 作:白大河
この一週間。俺は一色のサッカー部問題の事で頭が一杯になっていた……なんてことは当然ない。
全く考えていなかったわけではないが、おっさんの助言の意味も踏まえて俺の出した回答が正しいという確証が持てなかったし、そもそもすでに解決済みという可能性もある。
加えるならそこまで切羽詰まった問題だとも思っていないので、次回以降一色の話を聞きながら適当な事を言って乗り切る案の方が面倒くさくなくて良さそうだとも思っている。
リアルタイムで情報が降りてこない俺の行動が後手に回るのは仕方のないことで、当事者でもないのだから責められる謂れもない。
だから、また土曜日がやってきても、その時点では『面倒なバイトの日がやってきた』という認識しかなかった。
そういえば一色は今週がテストなはずだから、早ければ今日にもテスト結果を見せてもらえるかもしれないな。ならば今日の授業内容は決まったも同然だ。色々考えなくて良いので楽ができる。
そんな事を考えながら冷蔵庫からマッ缶を取り出し、出勤前の一服をしていると、テーブルに置いていたスマホが震えだした。
こう毎日スマホが鳴ると自分がリア充なのかと勘違いしちゃうから辞めて欲しい。……まあ相手はほぼ一色一族からだけど……。
「ん? 一色?」
それは一色一族の中でも珍しく一色いろはからの着信だった。
こういうめったに掛けてこない奴からの着信って碌でもないお知らせだったりしない? 出るの嫌だなぁ……怖いなぁ怖いなぁ……。
などと考えていると着信が切れた、諦めたのだろうか? ほっと一安心。
だが、間髪入れずにピコンとメッセージの通知音が鳴った。
『出てください』
そして再びスマホが振動。流れるようなコンボだ。
着信相手は当然一色。
えぇ……何なの? 出来れば要件をメッセージで残してほしい……。
「お兄ちゃん? スマホ鳴ってるよ?」
俺が鳴り続けるスマホ片手にマッ缶を傾けていると。ひょこっと可愛らしい声の少女が現れた。小町だ。むしろ小町じゃなかったらどうしよう。
「なーに画面にみとれちゃって……っていろはさんじゃん! バカ兄! すぐ出て!」
小町は俺の背に回ると肩に顎を乗せ、スマホの画面を確認したと思ったら、すばやく俺からスマホを奪い取り通話ボタンをタッチした。
「ちょ、ま!」
「今どき○リのモノマネとか流行らないから! ほら、早く出る!」
それを言うならホ○のモノマネじゃなくてホ○のやってるキ○タクのモノマネだからね?
だが、俺の抵抗を物ともせず、小町はそのままスマホを俺の耳に押し当ててくる。
くそぅ……さっさと拒否しておけばよかった。
「……しもーし? センパーイ? 聞いてますかー?」
「おう……なんだ」
「あ、よかった。センパイすみませんけど今日もサイゼに迎えに来てもらえませんか?」
電話越しに聞く一色の声というのはどうにもむず痒い。まるですぐ側に一色がいるかのような錯覚に陥り、内容が頭に入ってこない。
「お、おう……おう?」
「だーかーら、迎えに来て下さい!」
「何、また捕まってんの?」
「そうなんですよー……ずっと話し合いしてるんですけど、一人だけ帰れる雰囲気じゃなくて……」
時計をみるともうすぐ十六時を回る所だった。行きがけに拾うにしてもまだ少し早いな。
「なんか進展あったん?」
「あったと言えばあったんですけど……ちょっと面倒くさい事になってて……」
どうしたもんかと悩み、急ぐ必要があるのか少し情報を引きだしたかったのだが、どうにも歯切れが悪い。
「なんかまだしばらく悩まされそうです……」
億劫そうな一色の言葉の後には『ふぅっ』と溜息らしき音が聞こえてくる。
あの状態から一体何があれば面倒くさいことになるのだろう。すでに面倒くさいのに。
しかし、毎度この調子では俺も困る。
毎回迎えにこいといわれても俺にだって予定が……特にないが面倒くさい。
これは思っているより早く解決しないといけない問題なのかもしれないな……。そう思った瞬間、おっさんの顔が脳裏をよぎった。
「……わかった。今から行く」
「へ? 今からですか?」
「なんか問題あんの?」
「いえ、ありがたいですけど、てっきり時間ギリギリまで来てくれないかと」
「それでいいなら、そうするが?」
「あー! 今すぐ! 今すぐ来て欲しいです! お願いします!」
「……んじゃちょっと待ってろ」
「はーい♪」
少しだけ機嫌がよくなった一色との電話を切ると、俺は残ったマッ缶を一気に胃の中に流し込む。
すぐ横では聞き耳を立てていた小町がニヤニヤと俺の顔を覗き込んでいた。
「何その顔?」
「な~んでもな~い。ほら、いろはさんの所行くんでしょ?」
はぁ、と溜息を吐き、重い腰を持ち上げる。
まだ三十分はのんびりしていられると思ったのに……。何故こんな事になってしまうのか。
「お兄ちゃんが自主的に許嫁さんの所に行くなんて……なんだかんだ言って結構仲良くやれてるんだね、小町感激で涙でてきちゃうよ……うう」
小町は事情も知らずそう言うと目元を拭う仕草をした。
仲良く……? いや、一方的に利用されてるの間違いだろう……少なくともあっちがそのつもりなのは確かだ。
「今のお兄ちゃん、ちょっとだけ格好良いよ?」
小町は今度は少しだけ真面目な顔で笑った。
そうか、格好いいか。
俺は身支度を整え、財布の中身を確認する。よし。
「ところで小町よ、そんな格好いいお兄ちゃんにちょっとお金貸してくんない……?」
ドリンクバーも無理だったわ。
「うわぁ……カッコ悪……色々台無しだよ……」
*
外に出ると、雨が降っていた。先週の暑さが嘘のように肌寒い。
結局俺は、小町から三千円ほど借り入れ、サイゼへと向かう事になった。
サイゼだし千円もあれば十分なのだが、『いろはさんと一緒なんだからこれぐらい持ってきなさい』と三千円を渡された。よくできた妹である。
中二にとって三千円は大金だろうに、出来るだけ早めに返してあげたい。
まあ俺にとっても大金だけど。
電車に乗り、十数分かけてサイゼの前に着くと、一色が窓越しにブンブンと手を振っているのが見えた。
なんだろう、デートの待ち合わせみたいでちょっとだけ顔がにやけてしまう。
いや、そんな色っぽいもんじゃないのは分かっているのだが。ファミレスで友達と放課後を過ごすってこういう感じなんだろうか。なんか青春っぽい。アオハルかよ。
そんな事を考えながら俺は傘を畳んでサイゼに入り、一色達の元へ近づく。
一色の他は先週と同じメンツのようだ。竹なんとか君と浅田なんとかさんだっけか。相変わらずでかい。
「センパイ、早かったですね。すぐ出るのでちょっとだけ待ってもらえますか?」
一色はあざとい笑顔で俺の袖を引きながらそう言うと、自身の隣の席へと俺を誘導した。
だが、竹なんとか君と浅田なんとかさんは突然の俺の登場に戸惑っている様子で怪訝そうに俺を見ている。え? 説明してなかったの? 完全にアウェーなんですけど?
「先週紹介したよね? 家庭教師の比企谷先生」
一色が戸惑っている二人に俺を改めて紹介する。
「あ、覚えてます。竹内です」
「お久しぶりです、浅田です……」
それに習い、二人も自己紹介をしてくれた。なんか先週もみたなこの光景。
竹内と浅田ね。まあ年下だし呼び捨てで構わんだろ、とりあえず今度は忘れないようにしとこう。
「えっと……比企谷さん? はなんでここに……?」
「あー……」
そこからか、まあそれもそうだな。まさか自分たちの部活の問題に関係ない家庭教師が口を突っ込んでくるとは夢にも思わないだろう。
「先週と一緒、もう家庭教師の時間だから私帰らないと。それじゃこの話はまた今度ね」
だが一色は俺が口を突っ込む間もなく、飲みかけのミルクティを一気に吸い上げ席を立とうとした。
あ、まずい。よくよく考えれば当たり前なのだが一色にとって俺はあくまでこの場を去るためのきっかけでしかないのだった。少し話をしようと思ってた俺の完全な勇み足。
「さ、行きましょ、センパイ」
「あー……」
「ま、待ってくださいよ一色先輩! デートの件お願いします!」
しかし、俺が言葉を発するより早く一色を止めたのは竹内だった。ところで今聞き慣れない単語が聞こえたんですけどどういう事? デート? え? この子一色の事好きなの?
「だから、それは考えさせてって……」
「お願いします!」
椅子から立ち上がり、中腰のままの一色に竹内が頭を下げる。
状況が読めなさすぎる。
仕方がない、ちょうどいいしここは俺から話すか……。
「あー……とりあえず状況を教えてくれるか? 一色も座れ」
「え? でも……」
「いいから座れ」
その言葉で俺が一緒に出ていかないと悟ったのか、一色は渋々と着席した。そして俺の方をめっちゃ睨んでくる。あれ? 俺の味方いない感じですか? まあぼっちは慣れてるからいいけどね……。
とりあえず、少し長くなりそうだからドリンクバーを注文しておく。さすがに何も注文せずに長居はできないからな……。
一色を座らせたまま、今度は俺が席を立ち、ドリンクバーでコーヒーを入れ、再び席に戻った。
俺のせいだとはいえ沈黙が気まずい……。一色も目を合わせてくれない。なんで俺がこんな事を……ちくしょう。
仕方がないので俺は竹内と浅田の方を見ながら、話をきりだす事にした。決して一色に睨まれるのが怖いからではない。
「あー……っと、お前らのサッカー部の問題について、俺は一色からある程度聞いている。正直俺が口出す問題じゃないのはわかっているんだが、今日は何かアドバイス出来るかもしれないと思ってここにきた」
そう言うと竹内が一瞬チラリと浅田に目配せをした後、俺の方へと視線を向けてくれた。
一色はグラスに残っている氷をストローでカラカラと回し、『不機嫌です』アピールをしてくる。プレッシャーが凄い。くっ……これがニュータイプか!
「えっと、サッカー部の問題っていうのはどこまで知ってるんですか……?」
「お前が部長になりたくないっていう話ぐらいだ、さっきのデート云々については初耳なんで進展があったなら先に説明をしてもらえると助かる」
「センパイ……?」
自分の予想とは違う展開になってしまった事に不安を感じたのか。一色が軽く俺の袖を引く。
とりあえず不機嫌モードは終わったようだ、良かった。あのままだったらもう帰ろうかと思った。
「大丈夫だ、早めに終わらせる。説明を頼む」
「えっと、それじゃぁもう一度おさらいしますね……」
そう言うと一色はゆっくりと説明を始めてくれた。
「基本的な事は先週先輩に話した通りです。健史君が部長に推薦されてる状態です。それで先週センパイが帰った後麻子ちゃんから私に連絡がきました」
連絡? 先週の段階で何か動きがあったのか。一色の言葉を引き継ぐように今度は浅田が話し始めた。この子はなんていうか真面目系のトーンだな。どっちかというと文芸部とかの方が似合いそう。
「私は私で部長をやってくれそうな人に声をかけてたんです。そこで一人条件付きで部長をやってもいいっていう人を見つけました」
「ああ、そこからはなんとなく予想がつく、つまりその条件が一色とのデートなんだな?」
「はい」
「そうです」
「最悪です」
いろは参上!
おっと、これは違う作品だったな。
「一回デートするぐらい良いじゃないですか! いろは先輩モテるからどうせそういうの慣れてるんでしょうし?」
「別に慣れてるわけじゃないよ……。面倒くさい買い物に付き合ってもらったりは結構あるけど」
買い物に付き合って貰ったことはあるのか。しかも面倒くさいっていう所がいかにも一色らしい。
ん? でもそれデートとどう違うの? デートってなんだ?
「えっと……具体的にはどういう奴なんだ?」
俺は脳のCPU使用率の数パーセントをデートの定義に奪われながら、言い合いをする女子二人を避け、竹内に聞いてみることにした。
「葛本和夫先輩。二年のレギュラーなんですけど。ちょっと女の子好きというか……。セクハラっぽいことをしてくるってチアの子達からもクレームが来たりしてて、兄さ……部長にも何度か注意もらってる人です。部のイメージを悪くするからって結構きつく言われてるみたいなんですけど全然堪えてないみたいで……」
「何かって言うと肩に手を回してきたり、しつこく迫ったりしてるんです。自分がモテてるって勘違いしてるんですよね。デートなんてしたら何されるか……」
どうやら絵に描いたようなチャラ男タイプらしい。ホラー映画で真っ先に死にそうだな。
なんにしても一色がデートをすればそいつが部長になるという選択肢が増えたわけで、竹内にしてみればほぼノーダメージで事が収まる状態か。
だが、一色が嫌がっている以上、この解決策ではおっさんに出された課題をクリアしたことにはならないだろう。
ここは一つ、試してみるか……。
「一つ確認したい、竹内……でいいか?」
「あ、はい」
俺が話しかけると、飲んでいたメロンソーダらしきコップのストローから口を離し、まっすぐに俺の方を見つめてきた。
見るからに好青年という印象だ。さすがに同年代とは思わないが、少し前まで小学生だったというのが信じられない程度には大人びて見える、最近の子は発育がいいなぁ……。イエ、浅田サンノ事ジャナイデスヨ?
きっと将来有望というのはこういう奴の事を言うんだろう。ちくしょう、う、羨ましくなんてないんだからね!
「じゃあ、竹内。お前、サッカー好きなんだな?」
「はい」
間髪入れずに答えてきた。よほど好きなのだろう、目がキラキラしていてちょっと俺には眩しい、直視していると目が潰れてしまうかもしれない。
くそ、これが光属性という奴か。
「あー……先の事はどこまで考えている?」
「先?」
「あくまで趣味のレベルで続けていくのか、プロを目指すつもりがあるのかっていう話だ」
「もちろんプロになりたいです。高校は艦橋にいくつもりです!」
艦橋。千葉でも有名なサッカーの強豪校だ。一年のうちからすでに志望校を決めているなら実際入れるかどうかは別として、少なくとも今は本気で考えているのだろう。
「じゃあ部活をやめるっていう選択肢はないんだな?」
「はい! 何があっても続けたいです」
「なら、なんで部長にならない?」
その質問をすると、先程までの夢を語る少年は鳴りを潜め、肩を落とし俺から視線を逸した。
「フミ君は一年なんですよ? こんなイジメみたいな方法で部長にさせられたって上手くいくわけないじゃないですか!」
だが、意外なことにその問に答えたのは、浅田だった。しかも何故かちょっと怒っている。
思わず謝ってしまいそうになる剣幕だ。
ごめんなさい。
そして、その突然の乱入にショックを受けているのは俺だけじゃないようで、竹内もしょんぼりと肩を落としていた。空になったドリンクの底を悲しそうに眺めている。い、今のは俺のせいじゃないからね?
でも、なんとなくこいつの性格と力関係が見えてきた。これならいけるかもしれない。
とりあえずここは浅田は無視して竹内を集中攻撃だな。
「お前プロになるんだろ? 実力主義の世界じゃないのか? 俺もそんな詳しいわけじゃないから偉そうな事は言えないが、年下が遠慮してプロになれるような世界ではないと思うぞ」
「……それは……そうですけど……」
「なら……」
「やめてください! 皆そうやってフミ君に押し付けようとするんです! だから私達がこうやって話し合ってるんじゃないですか! いろは先輩からも言って下さいよ」
業を煮やしたとはこういう事をいうのだろうか、浅田は勢いよく立ち上がりテーブルを叩くと、一色に救いを求め始めた。一色も困ったように俺の顔を覗き込んでくる。
まずい、ここで主導権を奪われる訳にはいかない、俺はまだ半分以上残っているコーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。うっ……ちょっと気持ち悪い、来る前もマッ缶飲んできたからなぁ……。
「ふぅ……竹内、飲み物取りに行こうぜ」
「ふぇ?」
なんだその声は萌キャラのつもりなら百年早い。一回小町に生まれ変わって出直してこい。
「あ、それなら私が行きます!」
場の空気に耐えられなくなったのか、一色が挙手しながら気遣いのできる女の子アピールしてくる。
だがそれでは意味がないのだ。
「私……」
「一色は座ってろ」
浅田もついてこようとしたので少し語気を強めて威嚇しておく。
ガルルルル。ここは少し俺のほうが立場が上だというのを見せておきたい。
だが返ってきたのは一色の「は?」という冷たい低音ボイス。
あれ? 一色さん怒ってらっしゃいますか……?
「た、健史、行くぞ」
ここで一色と浅田を同時に敵に回すのはまずい、とにかく一刻も早くここを立ち去らなければと、竹内を名前で呼んで精一杯の不機嫌なお兄ちゃん感を出してみる。
弟属性なら兄属性の俺が有利なはずだ……。
少なくとも少し前の小町だったらこれで最後は言うことを聞いてくれた。
なお今は「はぁ!?」っとキレられるのでもう使えない。
結局誰にやってもキレられるんじゃねーか。もうこの技は封印だな……。
「……はい」
だが今回は成功だったようだ。
健史はのそりとグラスを持ったまま立ち上がり俺の後をトボトボとついてくる。
去り際にチラリとテーブルを見ると浅田にも睨まれているのが見えた。
ああ、胃が痛い。もうあの席戻りたくないわ。
まぁとにかく、二人になることには成功した。ここからが勝負だ。
「……お前、プロになりたいっていうけど、実力的にはどんなもんなの? まあそんなに部長が嫌だって言うなら少なくとも葛本とか言うのよりは下手なんだろうけど」
「べ、別に葛本先輩に実力で負けてるとは思ってません!」
意外なことに健史は食い下がってみせた。まあ俺にはよくわからんが、やはり多少なりプライドはあるのだろう。
「でも、部長になる気はないんだろ?」
「……それはそうですけど……」
「まぁ正直言うと俺はお前が部長になろうとなるまいとどうでもいいんだけどな、どうせ最初にお前を部長に推薦した奴だってお前が本当に部長として相応しいだなんて思ってないだろうし?」
「……」
「そいつら今頃大爆笑だろうな」
「……」
「それで、葛本が部長になって更に爆笑」
「……」
「そういうの……腹立つよな?」
健史は何も言わない。だが伏せていた顔を少しだけ上げた。俺はコーヒーのボタンを押し、カップに黒い液体が溜まっていくのを感じながら、言葉を続ける。
「やっぱやられたら、やり返さないとな?」
「……でも、やっぱり僕が部長なんて出来ないです……」
もうひと押しか。
「出来る」
「比企谷さんが俺の何を知っているっていうんですか!」
「知らんさ、何もな。だが状況から考えてお前がベストな人選だというのはわかる」
「ベスト?」
「少なくともお前の兄貴はそう判断した。今の二年の奴らよりお前のほうがマシだと推してるんだろ? まあ、お前の兄貴が実はサッカーの素人だというなら話は別だが」
「そんな事は……ないです……兄さんは凄い上手くて僕の憧れで……」
「なら、悩むことないだろ」
カップに溜まったコーヒーを持ち、砂糖とミルクを手に取ると。場所を健史に譲る、だが健史はその場で立ち尽くしていた。
「まぁ、確かに色々難しいだろう、だがきっと得るものは大きい、なんだか分かるか?」
「経験とか……内申とかですか?」
「それももちろんだが『大好きなマネージャーと二人きりの時間』だ」
「はひゃ!?」
健史がまたしても変な声を上げた、なんだろうコイツ意外と可愛いやつなのかもしれない。
「だ、大好きってなんですか! 別に僕麻ちゃんの事なんてなんとも!」
麻ちゃん……麻ちゃんねぇ……。
「まだ浅田の事だなんて一言もいってないんだけどな……一色は眼中に無いってことか」
「あ……だ、騙しましたね!」
「別に騙してはねーよ」
確か先週、一色からそんな話を聞いていた気がしただけだ。まあ半分は賭けみたいなもんだったけどな。でもどうやら大当たりのようですねぇ……。
「一色はもう卒業だ、他にマネージャーがいないなら二人きりになるチャンスもあるだろ。なんなら部長としての仕事も手伝ってもらえ」
「……比企谷さんって結構ずる賢いですね……」
「なんで『ずる』なんだよ……」
そこは素直に褒めて欲しい。だがまぁ俺のことはいい。
今確実に健史の心が揺れ動いているのが分かる。あと少しで落とせる、そんな気がしていた。
ああ、こうやって打算的に考えているのがいけないのか。だが今更引き返せない。
「……僕に出来るでしょうか……?」
「それは知らん、結局はお前次第だ」
健史の指がメロンソーダのボタンの前で止まった。
どうやら、また同じものを飲むようだ。まあ俺も人のことは言えないけどな。
ちらりと一色達の席をみると、一色と浅田が睨むようにこちらを見ているのが見えた。
「それで、どうする……?」
「……やってみてもいいんでしょうか?」
「推薦する方にだって責任はあるんだ、むしろチャンスだと思って気楽にやってみたらいいんじゃないか? 無理なら無理で大好きな麻ちゃんとやらにでも泣きつけ」
「……なんだか、比企谷さんに乗せられてる感じがしますけど……やってみようと思います」
竹内はそういうと「泣きつくつもりはありませんけど」と軽く笑った。
どうやら、成功したらしい。
ふぅ……。
「そうか……んじゃそろそろ戻るか、一色が凄い目でこっち睨んでる」
「はい! あ、もしかして、比企谷さんは一色先輩のこと好きなんですか?」
「ちげーよ……これも仕事なんだよ……頼むから受験生をこれ以上引っ張り回さないでやってくれ」
「……すみません……」
そう、これは仕事の一環。
これで一色の悩みは解消されるだろう。
俺はおっさんに出された課題をクリアしただけ。
それ以外の理由を考えてはいけない。一色もこの場を切り抜ける口実に俺を使っただけなのだ、変な勘違いをしたり、家庭教師である事以上の見返りを求めるようなことでもない。
「あ、僕が麻ちゃんの事好きだって言わないでくださいよ?」
「……言わねーよ」
飲み物をこぼさないよう、ゆっくりと歩きながら、健史が笑う。
徐々に近づいてくる一色と浅田は怪訝そうに俺たちを見つめていた。
えー、前回「八幡といろはの関係に進展が!?」なんていう思わせぶりな予告をしましたが、
進展しませんでした、楽しみにしてくれていた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。
いや、まさかこんなに長くなるとは……。
例によって裏話は活動報告で……。
感想、評価、お気に入り、誤字報告いつもありがとうございます!
一言でもお言葉をいただけると赤子のように喜びますのでお気軽に!