やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。 作:白大河
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ありがとうございます!
今は復帰してよかったと心から思っています。本当にありがとうございます!
「文化祭来週だけど……本当に来んの?」
その日のカテキョの時間、センパイは私の部屋に入るなりそんな事を言ってきた。
「行きますよ! なんでちょっと嫌そうなんですか!」
もちろん行くに決まっているし、なんなら着ていく服を買ってもらおうとパパにおねだりまでしたというのに、このセンパイは一体何を言っているのだろう?
こんな可愛い子と文化祭デートですよ? 嬉しくないんですか?
まぁ、買いに行く時間がなくて結局おねだりは失敗に終わったし、小町ちゃんも一緒に行く予定だからデートとも呼べないんだけど……。
「一応確認しただけだよ、冗談でしたって事もあるだろ」
「冗談なんかじゃないです! 朝一で行きますからちゃぁんと学校案内して下さいよ?」
鞄を下ろし、いつものクッションに座りながらセンパイがそう言うので慌てて否定する。
もし冗談だと思われて別の予定を組まれてたりしたら困りものだ。
ここは強く言っておかなければ……!
「いや、俺もクラスの仕事あるから朝一なんて来られても対応できん」
「えー!! そんなの誰か友達に代わって貰えばいいじゃないですか!」
「無理、何せ代わってくれるような友達がいない」
「センパイ……」
なんで得意げな顔してるのかはわからないけど、そういえば友達いないって言ってたっけ……。
私もそんな人の事言えないけど……。
という事は他に予定を入れられる心配もない……のかな?
やっぱりセンパイって学校でイジメられたりしてるんだろうか?
そうだったらやっぱり私が総武に入って何とかしてあげないと……!
でもセンパイが黙ってイジメられてるっていうのも想像つかないんだよなぁ。ただでやられるタイプとは思えないっていうか……とは言え今ここで深く聞くのもなんか変な感じだし、気まずくなりそう……。
えーと、話題話題……。
「……あ、そうだ、これ良かったら食べて下さい! 今日の朝、頑張って作った私の手作りですよ!」
私は話題を変える意味を込めて、午前中に焼き上げておいたクッキーの乗ったお皿をセンパイに差し出した。
これはセンパイが初めてうちに来た時「おいしい」と言ってくれたママ直伝の特製手作りクッキーだ。
しかもこのクッキー、実はママがパパを落とすために開発したという逸話もあったりする。
ちょっと前までは、ただのノロケ話としか思っていなかったけど、ここは是非ともあやかりたい。
「いや……お前受験生だろ、クッキー作ってる暇あったら英単語の一つでも覚えておけよ……」
「昨日も散々やりましたよー、それに英語ばっかりじゃつまんないじゃないですかー」
「スペルミス多いんだから仕方ないだろ……」
ぐ……それを言われると返す言葉もない。
でも……同じ事を繰り返すっていうのは、どうにもモチベーションが続かないというのも本音だ。
何か目新しい目標があればいいんだけど……。
「あ、じゃあ次回はセンパイがテスト作ってくるっていうのはどうですか? それで合格点だったらご褒美ってことで! それなら私のモチベも上がるし一石二鳥でお得ですよ」
「何が“じゃあ”なのかわからん。それ作るのも褒美用意すんのも俺なの分かってる? 手間でしかないんだけど? 何がお得なの?」
「このクッキー分がお得ってことで」
私の思いつきの提案を聞いて、全力で嫌そうな顔をするセンパイの手の平にクッキーを一つ落とす。
本当は「あーん」ってしたかったけど。
一瞬、センパイの唇に私の指がつくのを想像して、慌てて手渡しにしてしまったのは内緒だ。
別にそれが嫌だとかじゃなくて、もしそんな事になったら勉強どころじゃなくなっちゃいそうだから……。
全く、センパイそこらへんちゃんと分かってるんですか?
「ん……まぁ……うまいな」
「やった!」
センパイが口にしたその「うまい」に私の頬が緩むのを感じる。
それだけでも午前中に一人で頑張って作った甲斐があるというもの。たった今感じたセンパイに対する不満もどこかへ吹き飛んでしまった。全く我ながら現金なものだ。
「……これ、はちみつ入ってる?」
「あ、よくわかりましたね、それが美味しくなるコツなんです」
「へー」
それは本当に隠し味程度で、パパも言われるまで気付かなかったらしいのに。
もしかして入れすぎた?
でも、おいしくないわけじゃないんだよね……なら……。
「ちなみに他にも入ってる物があるんですけど、何かわかりますか?」
「バター」
「それクッキー作りの基本じゃないですか、もっと特別なものです。わかりませんか?」
私の言葉を聞いて、センパイがもう一つクッキーをつまむ。
今度は悩みながら、しっかり味わっているようだ。
さて、分かりましたかセンパイ?
「んー……分からん」
「ふふ,正解は……たっぷりの愛情です♪」
「へー……」
「へぇって……もっと他に言うことないんですか? 愛情ですよ? あ・い・じょ・う」
「あざとい」
「むぅぅぅぅ!!」
どうやら、ママ特製クッキーの効果が出るのはまだまだ先のようだ……。
***
その日の夜は何もやる気が起きなかった。
いつもだったら寝る前に最低でも三十分は机に向かっている所なんだけど……。
センパイのカテキョという楽しみが終わって、また勉強漬けの一週間が始まろうとしているのだ、気持ちが暗くなるのも仕方ない。こういうのもサ○エさん症候群っていうのかな?
いや、センパイも私に勉強させに来てるんだけどね……。しかも日曜は明日だし。
でも私にとってみれば一週間に一度しかない好きな人との大切な時間。
出来れば勉強だけじゃなく、もう少し楽しい時間にしたいと思うのは当然の事だと思う。
第一、勉強なんて毎日やっているんだし? センパイが来ている時ぐらいサボっても問題ないんじゃないかなぁ。
それに……そもそも今の私には受験勉強を頑張ろうというモチベーションが無くなってきているというのもあると思う。
原因は分かっている。お爺ちゃんだ。
総武高に入りたい、そう思っているのに。それを反対されている。
受験生にとってこれほどモチベーションを下げる行為があるだろうか?
週に一度しか会えないのに、一緒の高校に行くという目標も取り上げられた状態で、私は一体何を頑張ればいいの?
あれ? もしかして私って悲劇のヒロイン?
これまでの私は、お爺ちゃんの言われるがまま、海浜総合に入るため勉強をしてきた。
模試でもAとは行かないまでも、B判定も貰った。合格圏内だ。
そんな私が、もう少しだけランクの高い学校を受けたいというのに反対する意味がわからない。
ああ、この愚痴を誰かに言いたい。
センパイに聞いてもらいたい。
そう思っているのだけど、センパイに相談するためにはまず総武を希望している事を告げなければいけない。
でも、今の私にはまだそれを言う勇気がなかった。
だって……そんなの言ったらセンパイを追いかけてるってバレバレだし……。
だから今週もまた何も言えないまま。いつも通りの時間が過ぎて、センパイは帰っていった。
はぁ……。
ベッドに倒れ込んでスマホの画面を仰ぎ見る。
そこにはほんの少し前までセンパイと交わしたメッセージの履歴が残されていた。
『センパイ暇ですー、何かお話してください』
『暇なら今日の復習でもしとけ』
『えー、もう今日は沢山やったじゃないですかー! 少しは息抜きしたいですー』
『あなた来週も息抜きするんでしょ? そろそろ息溜めなさい?』
『あ、そうだ来週! 来週の文化祭何時に待ち合わせますか?』
『さっきも言ったが午前中は仕事あるから、まあ適当に』
『じゃあお仕事してる所見にいきますね』
『こんでいい』
『えー、何か見られちゃまずい事でもあるんですか?』
『別にないけど』
『じゃあ行きますね♪』
最後に私からのスタンプ。
そこでメッセージは途切れている。
うーん……お仕事って何だろう? 行ったら邪魔なのかな?
そもそもセンパイは当日何をしてるんだろう?
もう一回ぐらいメッセージ送ってみようか……。
でも流石にシツコイかなぁ?
うーん、うーん。と悩んでいるうちにチクタクチクタクと時計の針が進んでいく。
間が空きすぎたかな……これはまた明日リベンジしてみよう……。
私は「はぁ」と諦めのため息を一つ吐いた。
もう今日は勉強という雰囲気ではなくなってしまったし、さっさとお風呂に入って寝ちゃおうかな。
そして明日朝一でセンパイにおはようメッセージを送るのだ。
夜ふかしはお肌にも悪いしね。うん、そうしよう。
そうと決まれば……。
「よっ」
私は勢いよくベッドから起き上がると、パジャマ姿のまま部屋を出る。
それじゃ歯を磨いて……あ、でもその前に軽く何か飲んでこようかな……。
確か牛乳がまだ少し残ってたはず……。ホットミルクにでもすれば寝付きも良くなるだろう。
そう思いつき、私はキッチンへ向かった。
「あら、いろはちゃんどうしたの? お腹空いた? お夜食でも作る?」
廊下を抜けキッチンにつくと、そこにはママの姿。
ママは私に気付くなり、そう言って優しく微笑んだ。
「ううん。今日はもう寝ちゃおうかと思って」
私がそう答えると、ママは濡れた手をエプロンで軽く拭き、少し慌てた様子で駆け寄ってくるなり私の額にその手を載せた。
うわ、ママの手冷たい……!
「具合でも悪いの?」
「そういうんじゃないんだけど、色々考えてたら何かやる気起きなくなっちゃって」
これは嘘じゃない。
実際色々考えてた。受験の事とか、センパイの事とか、お爺ちゃんの事とか。
とにかく考えなきゃいけないことは山ほどある。
でもそのほとんどがスグには答えがでない問題なのが悩ましい。
「あらそうなの? そういう事なら……」
すると、ママは何やらキッチンの高い位置にある棚をあさり始める。
一体何事かとその背中を眺めていると。やがて目当てのものを見つけたのかママは振り返ってこういった。
「女子会しない? 戴き物のパウンドケーキがあるのよ」
ママの両手には可愛らしいティーカップが二つと、恐らくはケーキが入っているという細長い箱。
どうやら、このまま寝るという選択肢は消えたようだ。
*
「──ね、どうせお爺ちゃんは自分の思い通りにいかないのが気に入らないだけなんだってば」
ママが淹れてくれたカモミールのハーブティーを飲みながら、私は色々な話をした。
最初は今日のセンパイの授業の事。LIKEでのメッセージの事、総武高の文化祭の事。そうやって話していくうちに……‥総武高に行きたいと思っていることまで話した。
別にこの事はママにまで隠していたわけじゃない。
あの日、お爺ちゃんに反対されたことを家族みんなが知っている。でも特段誰かに相談しようとは思っていなかった。我が家では基本お爺ちゃんが最終的な決定権を持っているから、相談してもあんまり意味がないと思っていたのかも知れない。
実際、許嫁が決まった時だって、ママは賛成してたしね。
「フフ……」
そんな私の真剣な思いを聞いて、ママは笑みを漏らす。
全く失礼してしまう。
子供だと思ってバカにしているのだろうか?
「何がおかしいの? こっちは真剣なんだよ!」
私はつい語気を荒げる。
でも、ママはそんな私に動じる様子もなく、今度は真っ直ぐに私の目を見てこういった。
「フフフ、ごめんなさい、だって……あなたの話全部八幡君の事なんだもの」
「へ?」
その言葉に思わず私は硬直する。
え?
「そんな事は……!!」
ない……と思う。
あれ?
私今、何の話したんだっけ?
最初にセンパイの授業の話して……LIKEの……最後に総武……ってああああ!!
「八幡くんの事……好きなのね?」
「……」
その問いに、私は答えることができなかった。
答えていいのかも分からなかったのだ。
少し前まで、私とセンパイの事は家族全員が応援してくれている関係だと思っていた。
でも、今は違う。
少なくともお爺ちゃんは同じ高校に通う事を応援してくれていない。
ならママは……?
訪れた一瞬の静寂。
それでも何か、何か言わなきゃ。そう思っているのに頭の中がうまくまとまらない。
一刻も早くこの気まずい雰囲気を脱しなきゃ、そう思って 頭をフル回転させていたけれど。
やっぱり言葉は上手くでてこなくて……先にその静寂を破ったのはママの方だった。
「ねぇいろはちゃん、それはね別に恥ずかしいことじゃないのよ。好きな人が出来たら、その人の事ばっかり考えちゃうのは女の子としては当然。例え相手に好きな人がいたって、思う事をやめなくていいのは女の子の特権なんだから」
顔を伏せる私に、ママは諭すように優しい声色でそう言ったのだ。
そしてその瞬間、なんだか色々考えていた自分がバカみたいな気がしてきた。
ああ、やっぱりママは私のママだなぁ……。
そんな風に感じてしまったのだ。
一瞬でもママに反対されるかも……なんて思った自分が情けない。
そう、ママが誰かを好きになる事を反対するはずなんてなかったんだ。
でも……。
「それはやだなぁ……」
センパイに好きな人がいる……そんな状況はあまり想像したくなかった。
少なくとも今、センパイの周りに女性の影はない……と思う。思っている。
とはいえ、もしかしたら私が知らないだけで、高校には仲の良い人がいるのかもしれない。
そういえば、例のスーパーで会った人が同じ学校だって言っていたっけ。
あんまり顔は覚えていないんだけど……。
まさか、急接近……なんてことはないよね?
「フフ、そうね。それは嫌よね。でもボヤボヤしてたら分からないわよ?」
やっぱり、そうなんだろうか……?
正直、女の子に興味津々っていう感じでもないから、そこまで心配はしてなかったし。むしろもっと私に興味持ってくれればとさえ思っていたんだけど……。
うーん、考えることが増えてしまった……。
「入院中も女の子がお見舞いに来ていたらしいからね」
「え!? なにそれ聞いてない!」
突然の爆弾発言に私は思わず椅子から立ち上がってしまう。
お見舞い? 女の子?
小町ちゃんの事……じゃなくて?
一体誰? センパイとどんな関係?
「そんなに怒らないでよ、ママだって詳しく知ってるわけじゃなくて……お爺ちゃんから聞いただけなんだから」
突然立ち上がった私を見て、ママは両手を上げて降参のポーズをしながらそういった。
その様子を見て、私はふぅ……と一度呼吸を整え、ゆっくりと椅子に座り直す。
そして、まだ暖かいハーブティーに口をつけた。
でも……本当に誰なんだろう?
入院中なら彼女……とかじゃないよね?
さすがに彼女持ちの人を許嫁にするほどお爺ちゃんも軽率じゃないだろう。まさか……元カノ……とか?
……まぁ、どんな関係の人だっていいか、どうせ私の方に諦めるつもりはサラサラ無いのだ。
その人が何回お見舞いに行ったのかは知らないけれど、少なくともここ数ヶ月のセンパイの話に出てきたこともない、その程度なら大した問題にもならないだろう。
もし……万が一何かあったとしても最悪、最後に勝てばいい、うん。
私はそう決意して、パウンドケーキの残りを一気に口に放り込んだ。
「見事な百面相ね……。ねぇ、いろはちゃん。お爺ちゃんにはそういう気持ちちゃんと伝えたの?」
「百面? ……言うわけないじゃん……言ったってどうせ駄目って言われるんだし……」
言えるわけがない。だって、お爺ちゃんには既に反対されているのだ。
そんな状況で、下手なことも言えない。
大体、私が「総武に行きたい」って言った時点で「センパイと一緒にいたいのかな?」とか気を使ってくれても良いんじゃないだろうか?
私とセンパイを許嫁にしたのはお爺ちゃんなのだ、それぐらい気を利かせてくれてもバチは当たらないだろうと思う。
「それは違うわ。お爺ちゃんが言ったこと、ちゃんと覚えてる?」
「お爺ちゃんが言ったこと?」
「ほら……あなた自分の事ばっかりでお爺ちゃんの話、ちゃんと聞いてなかったんでしょ?」
そんな事はない……はず。
あの時はとにかくなにか突破口はないかって色々考えながらだけど、しっかり聞いていたつもりだ。
何か失言でもしてくれればとも思った。
だけど結局、何一つお爺ちゃんに言い返すことが出来なかった。
「お爺ちゃんの言葉を思い出して、それでいろはちゃんの真っ直ぐな気持ちをちゃんと伝えればお爺ちゃんだって分かってくれるんじゃないかなぁ……」
真っ直ぐな気持ち……?
あの時は『総武に行きたい』ってストレートに伝えたつもりだったんだけど……。
「何かあるならママからお爺ちゃんに言ってよ……」
「それは駄目、これはあなたの将来の事でしょ? 相手が他の人ならともかく、相手はお爺ちゃんなんだからちゃんとあなたが自分で伝えないと、きっとお爺ちゃんだって納得しないわ。私も、多分八幡君もね」
センパイにまで反対されたら再起不能だよ……。
何か、私に出来ることがまだ残ってるって事なのかな……。うーん……。
*
その後、少しだけママの学生の頃のパパとの恋話を聞いて、二つ目のパウンドケーキに手を伸ばしそうになった頃。二人だけの女子会は解散した。
流石に夜中にこれ以上甘い物を食べるのは怖い……。
でも、なんとなくだけど収穫はあった気がする。
恐らく今私がやるべき事はお爺ちゃんの言葉を思い出すことだ。
ママがあれだけ念を推すぐらいだから、きっと私が気が付かなかった突破口があるのだろう。
あの時、お爺ちゃんなんて言ってたっけ?
私は部屋の電気を消して、ベッドに横になりながらあの日のことを思い出す。
あの日は……確か……。
──────
────
──
「……駄目だ」
総武に行きたいと言った私に、お爺ちゃんは確かにそういったのだ。
「え……? 今なんて?」
当然、私としてはお爺ちゃんは応援してくれると思っていたから、とにかく狼狽えた。
一瞬何を言われたのか分からなかったほどだ。
きっと聞き間違えだろう。
もしかしたら、私の言ってることが上手く伝わらなかったのかも知れない。
だから、もう一度ゆっくりちゃんと説明しよう。
「駄目だと言ったんだ」
だけど、私が次の言葉を発するより早く、畳み掛けるようにお爺ちゃんはそういった。
「な、なんで……だって総武だよ?」
「なんとなくで上を目指すとか、将来の視野だとかよくわからん理由を並べ立てとるからだ。それなら総武じゃなくても選択肢はあるだろう」
再び問いかける私に、お爺ちゃんは一瞬の迷いもなくそう答える。
まさか反対されるなんて思っていなかったこの時の私は半ばパニック状態だった。
だって……理由なんて一つしかない。
私、センパイの許嫁なんでしょ?
今この状況で、あんな事があった後で、私が総武に行く理由なんて……。
分かるでしょう?
でも、完全に真面目モードに入ったお爺ちゃんに、改めてソレを言った所で今更状況が覆るとは思えなかった。
センパイと一緒に居たいからなんて言ったらそれこそ反対されそうだ……。
「そ、そんなの海浜だって変わらないじゃん! お爺ちゃんに言われたからなんとなく受ける事になっただけで、私別に海浜総合でやりたい事なんてないし!」
そうだ、海浜総合は私が希望したわけじゃない。
私は自分が思うよりも早口でそう反論する。
だけどお爺ちゃんは、そんな私を見て、大きなため息をついた。
「あの時は『やりたい事もないなら海浜総合でも目指したらどうだ』と話したんだろうが。あそこは学力も必要だが、何より他とは違う『単位制』の高校で、その話をした時『単位制は自分に合ってるかも』と言ったのもお前だろう」
う……確かにそんな話はしたかも……。
戸惑う私にお爺ちゃんが総武と海浜総合の“違い”を私に示し、さらに言葉を続ける。
「第一、ちゃんと総武の学校見学とかは行ったのか? 海浜総合に行った時は嬉しそうに設備が凄かったとかはしゃいでただろ」
「……まだ……」
「お前なぁ……」
お爺ちゃんはそこで、呆れたように大きなため息を吐いて肩を落とした。
「……別にお前が志望校を変えるのは構わん。海浜総合を勧めたのはお前の学力も下がって、将来の事も心配だったから分かりやすい目標を提示しただけだ。ただ変えるなら志望動機をちゃんと説明しろ。総武じゃなきゃならん理由をな」
「だから……それは……」
志望動機……。総武じゃなければいけない理由……。
そんなものはどこにもなかった。
結局、私の中にあるのは『センパイと一緒にいたい』という不純な動機で、極論そこにセンパイがいるのであれば、総武でなくてもいいのだ。
そこがたまたま総武だっただけで、そこに学力とか将来とか、そういった類のものは一つも含まれていない。
なんなら海浜よりランクが高かったからお爺ちゃんを説得しやすいとさえ思っていた。
だけど、これだとお爺ちゃんは……大人は納得してくれないという事なのだろう。
そういえば昔『制服が可愛いから行ってみたい』って言った時も反対されたっけ「そんな簡単な気持ちで大事な進路を決めるな」って……。
そしてその経験があったからこそ、私は上辺だけを取り繕った言葉でお爺ちゃんを説得しているんだけど……。
「答えられんか……」
どうやら失敗したみたい。
そのショックで、もうお爺ちゃんの言葉も半分聞いていなかった。
こんな事ならもっと入念に理由作りをしておくんだった。
とはいえ、今となっては全ては後の祭り。
もう何を言っても無駄なのだという無力感と、三年間センパイのいない海浜総合高校で過ごさなくてはいけないという絶望感が私の中に渦巻いていく。
「あなた、何もそんな追い詰めなくても……」
そんな私を見かねたのか、いつの間にかお風呂から上がってきたお婆ちゃんがそっと肩を抱いてくれたのが分かった。
肩越しにお婆ちゃんの温かい熱が伝わってくる。
「こんな中途半端な状態で総武に行かせたら八幡にも迷惑をかける、アイツの為にもここははっきりさせとかんと」
その言葉を、私は聞き逃さなかった。
今、なんて言ったの?
「センパイの……ため?」
突然お爺ちゃんの口から発せられたセンパイの名前。
どうして? なんで今ここでセンパイなの?
海浜に行くことがセンパイの為になるの?
私は、センパイと一緒の学校に行っちゃいけないの?
「ひいてはお前のためだ……」
お爺ちゃんはお婆ちゃんから視線を外すと、再び私の目を見てそう言った。
今度は私のため?
もう何一つ理解できない。
でも、その時の私は上手くその疑問を口にすることが出来なかった。
「お前はまだ、アイツの事を分かっとらん」
私が……センパイを分かってない……?
「もう……もうお爺ちゃんより私の方がセンパイとの付き合いは長いんだけど?」
そうだ、確かに出会ったのはお爺ちゃんの方が先だったのかもしれない。
でもお爺ちゃんがセンパイに会うのは今では月に一度あるかないか。
そのお爺ちゃんが私よりセンパイの事を分かってる?
そんな事絶対にありえない!
「いろはちゃん、お爺ちゃんはね……?」
「楓は余計な事をいうな」
何か言おうとするお婆ちゃんをお爺ちゃんが強い口調で制する。
「一応聞いておくが、進路変更の事は八幡には言ったのか?」
「……言ってない……」
先にお爺ちゃんに言っておくのが筋だと思っていたし、言えるわけもなかった。
「言わなくて正解だな……」
それは私に対する言葉というよりは、独り言のように小さな声だった。続けて「もしアイツに知られていたら……」とも言っていたような気がするけれど、聞き間違いかもしれない。そこだけははっきりと聞き取れなかった。
先にセンパイに言えばなんとかなったのだろうか?
よくわからない。
センパイにとってお爺ちゃんは雇用主だ。
センパイがどちらの味方をしてくれるのかは半ば賭けのような部分もあるし、そもそもセンパイに相談したとしても、理由を話せないままなのは変わらない。
この場にセンパイがいるというだけで、結局話は堂々巡りな気もする。
「話はそれだけか? ならそろそろ寝ろ、そうすりゃ寝言も治るだろ」
もう話は終わりだと言いたげなお爺ちゃんがソファから立ち上がる。
「あなた、だからもう少し言い方を……」
「わかったわかった……」
でも、その言葉をお婆ちゃんに窘められると、お爺ちゃんは面倒くさそうに頭をかいた。
ああ、なんか今の仕草、センパイに似てるかも……。
こんな状況だというのに、私はふと、そんな事を思ってしまった。
それはもしかしたら現実逃避だったのかもしれない。
「いろは、本気ならせめてもっと焦れ。今のお前の言葉は何一つ響かん」
「焦る?」
もう時間がないのは分かっている。
焦っているからこそ総武への変更をこのタイミングで伝えているのだ。
「私はずっと本気で……!」
私の言葉を、お爺ちゃんは私の肩をぽんと一度叩いて遮ると、スッと横を通り過ぎていく。
「お爺ちゃん!!」
叫んでもお爺ちゃんはもう反応しない。
焦る? それが、私が総武に行くことと何か関係があるのだろうか?
だが、私の願いも虚しく、お爺ちゃんは大きな伸びをしながら「おやすみ、お前も早く寝ろ」と背中越しに呟き、和室へと消えていった。
そのあまりにも適当な態度に、胃の当たりから怒りがムカムカと湧いてくるのが分かる。
「お……」
「お?」
「お爺ちゃんのバカーーーー!!」
襖越しにそう叫ぶと、目を丸くするお婆ちゃんを残して、私は自室へと戻った。
勢いよく閉じた自室の扉の向こうから、豪快に笑うお爺ちゃんの声が聞こえて、私はその笑い声が聞こえないように、その日は枕を被ってふて寝をしたのだった。
──
────
──────
うん、あの日はこんな感じだった……でも……ママの言っていたお爺ちゃんの言葉って?
『焦れ』ってこと?
正直これでもかってぐらい焦ってるから、あの時はあんまり考えてなかったけど……。
もしかして、今からじゃ総武は間に合わないって言いたいって事なのかな?
それは確かに否定できない。
繰り返すようだけど、海浜だってあくまでB判定、決して余裕という程じゃない。もっと焦らなくちゃいけない。
それは分かってる。
でも、だからって総武を諦めるっていうのは違うんじゃないかな……。
センパイに告白“してもらう”ための努力はするつもりだ。
お爺ちゃんが許可さえしてくれれば、きっと勉強にだってもっと身が入る。
いっそ、今年のクリスマスに告白してもらえるよう急いで動いてみるのもいいかな?
先に私達が付き合っちゃえば、さすがにお爺ちゃんも反対するような事はしないだろうし、センパイも協力してくれるだろう。
センパイと付き合う……。ふふ……だめだ。顔がにやける。
あー、だけど、それだと余計に勉強の方が間に合わないか……。
許可がでても総武に入るための勉強が出来なきゃ意味がない……うーん……。
……他に何か、他に……考えなきゃいけないことが……。
焦る……焦って……もっと……。
しかし、その時の私はすでに眠気が限界に来ており、具体的な対策を思いつくより先に、瞼を開くことができなくなっていた。
ああ、明日は早く起きて……センパイにメッセージ……送らなきゃ……。
来週は……文化祭……デー……ト……。
というわけで四十話でした。
執筆裏話などは活動報告にしたいと思いますので。
ご興味の在る方はそちらへお願いします。
感想、誤字報告、評価、メッセージいつでもお待ちしています!
p.s
一週間立ったのでアンケート締め切りました。
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ご協力ありがとうございました。参考にさせていただきます。