やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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いつも感想、評価、メッセージ、誤字報告、お気に入り、ココスキありがとうございます。

前回予告したとおりちょっと早めの投稿……ということで
頑張ってみました!
「どうせ次の投稿も遅いだろう」と思って47話をまだ読んでないという方はお気をつけ下さい。


第48話 募る思い

 『好き』という気持ちを口に出すと、その気持はどんどん大きくなっていく。という話を聞いたことがある。

 じゃあ『あの人は私の許嫁です』と口に出す事にはどんな効果があるのだろうか?

 許嫁としての意識が強くなる?

 それとも同じように、好きっていう気持ちが大きくなる?

 ううん、多分……ソレ以上に『その人と一緒にいたい』っていう思いが強くなっていく。

 そんな気がする。

 

*

 

 あっけないほどスムーズにセンパイの説得に成功し、センパイがうちに来る日が週に二日になってはや数週間。

 センパイは思っている以上に私の気持ちに寄り添ってくれていた。

 初日こそ、「お腹の調子が悪い」とか言って、帰ろうとしてたけど。ママが「食欲がないならお粥を作る」「風邪なら車で送っていく」「ツラいなら布団を敷くから暫く休んでいって」と慌てていたら逆に気を使ったのか「トイレ行ったら治ると思います……」と観念したように少しだけトイレに籠もって戻ってきた。

 やっぱり、週二になるの嫌だったのかな? と少し心配にもなったけど、それ以外は文句も言わず、去年自分が使っていたノートを持ってきてくれたり、参考書選びを手伝ってくれたりと一緒に総武高へ行くための道筋を考えてくれているので、多分本当にお腹の調子が悪かったんだと思う事にした。

 

 センパイのノートは正直に言えば決して読みやすいという類のものではなかった。

 汚くて字が読めないという事でもないのだけれど、誰かに見せることを想定していない感じ?

 特に多いのは国語で良くわからない慣用句とかが散りばめられている。

 逆に言うと、誰かに借りる必要性がないほど細かい書き込みが至る所にされており、とにかく自分だけが分かればいい。というまとめ方をされている。

 センパイの脳内と合わさって一冊のノートという感じだ。

 

 でも、不思議とそれを使いにくいとは思わなかった。

 わからない所はセンパイに解説をお願いすれば普通に教えてくれるし。

 センパイの頭の中を知れたような気がしてむしろドンドンと意欲が湧いてくる。

 それに、センパイとお喋りする時間が増えていくのが何より嬉しい誤算だった。

 

 ああ、センパイは去年こういう勉強をしてたんだ。

 センパイはこうやって暗記したんだ。

 そういう風にセンパイと同じ道を辿っているという事実が何より嬉しく感じて、勉強が楽しくなってくる。

 あれ? 私センパイの事好きすぎ?

 

 一応言っておくと、センパイがいないと勉強をしていないということではない。

 勉強時間は以前までと比べると倍以上……というより、食事と睡眠以外の時間は勉強をしていると言っても過言ではない。

 でも、だからこそ、センパイといる時間が唯一の楽しみになっているのだと思う。

 

 ああ、週二なんて言わずもっと来てくれたらいいのに。

 その方が効率も上がるし、変に躓かなくて済む。

 そうだ、センパイに聞かないとって思ってた所があったんだ、お願いしたら明日来てくれたりしないかな?

 

 明日はバイトの入っていない金曜日だけれど、もしかしたらという思いを込めて、その日の夜私はLIKEでメッセージを送ってみることにした。

 

【センパーイ、ここ意味わかんないんですけど】

【ここってどこだよ……せめて写真送ってくれ】

【えー? ここですよ。こーこ! 小さくて読めないんです】

 

 センパイに言われ私は該当箇所をカメラで撮って送信する。

 あ、でもこれビデオ通話にすれば、センパイの顔も見れて一石二鳥だったんじゃ?

 失敗した。

 

【なんだそれ……何のページ?】

【国語の慣用句が書いてある所なんですけど……『天は余裕で二物以上与えるし、場合によっては一物すら与えない』とか『二兎どころか三兎を得る奴も居る』とか。こんな言葉あるんですか?】

 

 私が気になっていた所、それは国語の受験ノートに書かれた、なんだか聞き慣れない少し捻くれた言葉がツラツラと書き込まれている部分だった。

 他の教科だとこういった落書きはあまり見かけなかったので余計気になってしまったというのもある。

 何か意味があるんだろうか?

 

【あー……その辺りは気にしなくていい。ちょっとした落書き……言葉遊びみたいなやつだ】

【えー、じゃあどこまでが落書きかわからないじゃないですか! ちゃんと教えてくれないと困りますよー】

【つってもあんま覚えてないんだよな……現物見れば思い出すかもしれんが】

 

 気にしなくていいってことは本当にタダの落書きなのかな?

 まあ、それならそれで別に良い、私の目的は最初からそこじゃない。

 私は一番重要なメッセージを一文字一文字祈るように打ちながら、送信ボタンを押した。

 

【じゃあ、現物見に来てください。明日とかどうですか?】

【明日? 明日って金曜じゃん、しかも体育祭だし、いつも通り明後日でいいだろ】

 

 うーん、流石に明日は無理かぁ。

 まあ明日が無理なら明後日でもいいんだけど……とにかく、日数を増やして欲しい。

 センパイ自身もそのうち増やすみたいな事言ってくれてたし……ちょっとぐらいワガママ言ってもいいよね?

 センパイと会える日が週二に増えたはずなのに、それだけじゃ満足できなくなってる自分が少し怖い。

 

【お願いしますよセンパーイ、もうあんまり時間ないんですぅ】

【まあ……三時頃には終わるだろうし、丁度渡したいものもあったからいいか、んじゃ明日帰りに寄るわ】

 

 あれ? もしかしてこれ、明日来てくれるってこと?

 まさか本当に来てもらえるなんて思っていなくて、一瞬自分の目を疑ってしまう。

 棚ぼたってこういう事を言うのかも知れない。

 とにかくやった、これで今週は週三だ。

 

*

 

「──もうあんま時間ないから、今日からはこのまとめ問題集を使ってこう」

「問題集?」

 

 そう言って、翌日、約束通り来てくれたセンパイは私に少し使い古した問題集を渡して来た。

 どうやら新たに購入してきた物ではないようだ。

 ページをペラペラと捲ると解説部にはセンパイの物と思わしき文字で様々な書き込みがされている。

 

「あら、この問題集は八幡君が使ってたやつなの?」

「ええ、色々使った中でも結構良かった奴なんですけど、答えを直接書き込んだ訳じゃないので、新しいの買うよりはこっちの方が教えやすいかと思って」

 

 なるほどと思った。

 つまり、これなら私がどこかで詰まっても、センパイが過去に一通りやっているから解説しやすい、という事だろう。

 なんか、いつの間にかセンパイが凄い先生っぽくなってる?

 

「すごーい、八幡くん本物の先生みたい! いいなー、ママも八幡くんの授業受けたいわー」

 

 どうやら、ママも同じ感想を抱いたらしく、パンっと胸の前で両手を合せてセンパイに上目遣いの視線を送っている。

 

「ってなんでママがまだいるの!? 邪魔だから出てって!」

 

 危ないところだった。

 ここ最近はセンパイが来てもあまり長居せず出ていってくれていたから油断してた。

 全く、この人は何を考えているんだろう。

 

「えー! 邪魔しないから、ね?」

「いるだけで邪魔なの!」

「はぁ……まだ反抗期なのかしら……」

 

 反抗期とか関係なく、こんな状況で怒らない子供なんていないと思うんだけど?

 『困ったわ』とでも言いたげな表情で、頬に手を当て溜め息を吐くママを怒鳴りつけそうになるのを我慢しながら私はその背を押し、部屋から追い出す。

 

「いいから出て! 行っ!! て!!!」

「はいはい、邪魔者は退散しますよーだ」

 

 唇を尖らせながら文句を言ってくるママの姿は、母親というよりは厄介な姉妹という感じだ。

 こんな事を言うと余計に調子に乗りそうだから一応言っておくと、別に若いという意味じゃない。いい年なのに子供っぽすぎるという意味だ。うん。

 

「八幡くん、それじゃあ後で差し入れ持ってきてあげるから楽しみにしててね♪」

 

 これみよがしにセンパイに向かってウインクを投げつけるママをなんとか部屋から追い出す事に成功すると、バンっと音を立てながらドアを閉める。

 ふぅっ。コレで一安心。

 

「センパイ……? 何鼻の下伸ばしてるんですか?」

「伸ばしてねーよ……」

 

 全く、本当に困ったものだ。

 ただでさえ目に見えないライバルに怯えているというのに身内にライバルがいるなんて考えたくもない。

 センパイもセンパイですよ? もう少ししっかりして下さい!

 

「あ、あー……それで、結局模試はどこ受けんの?」

 

 私がセンパイの事をジロリと睨むと、センパイは少しだけバツが悪そうに話題をそらす。

 あ、でもそうか、その話をまだしてなかった。

 

「そうそう、それです! 今日はその話しをしようと思ってたんでした」

 

 センパイとすれ違いながら、机に向かった私は、机の上に置いてあった封筒を二通センパイに渡した。

 それらはどちらも先日学校の帰りに貰ってきたものだ。

 

「ここと、ここがいんじゃないかなって」

「こっちは夏受けた所と同じか。試験日が十一月二十四日で結果は……一ヶ月後か。年内ギリギリだな」

 

 そう、そこは夏に受けた模試と同じ場所。

 間に合わないだろうと思っていたけれど、幸い年内にも模試をやっているようだったので一応チャレンジしてみようと思った。

 

「そっちは前にセンパイがオススメしてくれた所ですし。下手に簡単な所選んで難癖付けられても癪なので。やっぱりリベンジしときたいなーって思って。まあ……模試まで時間がないので怖い所でもあるんですけど」

「まあ、いいんじゃないか。それでこっちは……十二月八日試験で結果発表が二週間後か。こっちは早いな」

 

 二通目の封を開き、センパイが概要を確認する。

 何か問題がないかキチンと確認してくれているのか、申込用紙の隅から隅まで視線を走らせている。やっぱり頼りになるなぁ。

 

「はい、そこはオンラインで結果が見れるのと、マークシート形式なので発表が早いんだそうです。だから年内ギリギリに受けられる試験で、条件達成には良いかなって思いまして」

「マークシートねぇ……」

 

 だが、センパイはその要項をみながら、少しだけ怪訝そうな表情を浮かべる。

 やはり、何かまずいだろうか?

 

「駄目……ですか……?」

「いや、本番と違う形式なのはどうなのかと思ってな」

「そこは私も気になっていた所ではあるんですけど……」

 

 確かに、高校入試本番はマークシートではないはずだから、模試と言っていいかも実は微妙なんだけど……。

 でも、お爺ちゃんを納得させるためには手段を選んでいられないんだよね……。

 

「……まあA判定取れそうならいいんじゃない? どこでも」

 

 不安になってセンパイを見つめると、やがてセンパイはそう言って納得したように封筒を返してくれた。

 

「大丈夫です! そもそも、前回の模試は初めてで緊張してたっていうのもありますし、絶対A取ってみせます!」

「自信があるならいいけど、一応最悪の時の事も考えておけよ……」

 

 う……嫌なことを言ってくる。

 そりゃぁ不安が無いと言えば嘘になるけれど。

 でも、何故か今の私はそれほど『A判定を取る』という条件達成が難しいとは思っていなかった。

 原因はやっぱりセンパイが『カテキョのバイトを増やす』という条件を簡単に飲んでくれたからだ。

 一番難関だと思っていた問題が解決したことで少し気が強くなっていたのかも知れない。

 

「センパイ? 受験生に『最悪の時の事』なんて禁句ですよ? まあ本音を言うと、そういう時のためにもう一件ぐらい受けたいんですけど、色々問題もありまして……お金とか……」

 

 そりゃ、出来ることなら目に入った模試を片っ端から受けていきたい。

 例え今すぐにAが取れなくても段階的に上がっていくという事はあるだろう。

 でも、そうなるとその度に模試対策をしなきゃいけないし、申し込むのには当然お金がかかる。

 流石にまだAが取れないと分かっている内に無駄なお金を使うぐらいだったら、数を絞ったほうがいいと思った結果がセンパイに提示した二件だったのだ。しかも内一件はあくまで保険。

 

 不安がないわけじゃないけれど、それでもセンパイがいれば大丈夫だろうという安心感もあって。二件も受ければいいだろうと思っていた。

 私だってこれまでとは違う。

 模試まで毎日本気で頑張れば、Aなんて簡単に取れるはずだ。

 根拠はないけれどそんな自信があった。

 

「……まあ、模試を受ければ学力が上がるってわけでもないからな……。時間もないし。やるだけやるか」

 

 私の言葉を聞いて、センパイがこめかみをポリポリと掻く仕草をすると、そう言って、息を吐く。

 やっぱり、今のセンパイは私に凄く協力的みたいだ。

 あれ? もしかしてこれ、センパイも私と一緒に通いたいって思ってくれてるのかな?

 まだ時間もあるし、これなら絶対合格出来るよね!

 

「はい!」

「んじゃ、折角来たんだし今日も始めるぞ」

 

 私が大きく返事をすると、今度は後頭部を搔きながら、センパイは定位置へと着いた。

 さて、二人三脚でお勉強の時間だ。

 

***

 

「センパーイ、終わりましたー」

 

 センパイに指定された問題集のページに空欄が無いことを確認したあと、ペンを置き、大きく伸びをしながらセンパイを呼ぶ。

 セットしておいたスマホのタイマーは残り3分。

 『これからは問題をやるとき、解く時間も意識しろ』と言われてやってみたけど。

 うん、上出来、これならセンパイも褒めてくれるだろう。

 間違っていなければだけど……。

 さて、どんな風に褒めてくれるかな?

 そんな事を考えていたのだが、待てど暮らせど一向にセンパイからの返事が返ってこない。

 あれ?

 

「センパイ……?」

 

 不審に思った私が、椅子を回転させ振り返ってみると、そこには確かにセンパイの姿がある。

 でも、そのセンパイはいつも通りクッションに腰掛けたまま、クビを後ろのベッドに持たれかけて、寝違えそうな──寝苦しそうな姿勢のままスースーと寝息を立てていた。

 

「そういえば、今日体育祭だっていってたっけ……」

 

 総武の体育祭は、文化祭の後に行われるらしい。

 九月、十月とイベントが盛り沢山で楽しそうだけれど、私が参加できないのでとても寂しいとも思う。

 

 今年のセンパイは一体どんな競技にでたのだろうか?

 リレー? 障害物競走? 棒倒し? 騎馬戦?

 うーん、高校生だし……意外とダンス対決とか?

 

 色々想像してみるけれど、どんな競技だとしても不思議と『汗まみれで頑張っているセンパイ』というのは想像できなかった……。

 でも……。

 

「見たかったなぁ……」

 

 もし私があと一年、いや、一ヶ月早く生まれてさえいれば。

 私はセンパイと同じ学年になって、同じ景色を見れたのに。

 どうしようもない事と分かっていても、つい、その事を考えてしまう。

 ほんの一ヶ月。なんなら半月とちょっとだけでも良かったのだ。

 一体神様は私に何の恨みがあってこんなひどい仕打ちをしたのか。

 ああ、でもこの場合の神様はパパとママかな。

 そんなクレームを入れられても困るだけだろうから、絶対言わないけど。

 はぁ……。

 

「センパイが、もうちょっと遅く生まれてくれても良かったんですよ……?」

 

 椅子に座ったまま、頬杖をつき、少し前かがみ気味にセンパイを覗き込む。

 しかし、相変わらずセンパイは眠ったままだ。

 

「ふふ、かわいい」

 

 二人きりの部屋、眠るセンパイと私。 

 いっそこのまま時が止まってしまえばいいのにとさえ思う。

 

「あ、そうだ」

 

 そこでふと思いつき、私は静かに椅子を回すと、机の上にあったスマホを手に取った。

 あ、危ない、あと十秒でセットしておいたタイマーが鳴る所だった。

 とりあえず解除して、音を立てないように……。

 

 そぉっと立ち上がると、一歩、また一歩と眠るセンパイに近づいていく。

 さっきまで、それほど気を使っていなかった事を考えれば、少し滑稽だとは思うが。

 思いついてしまったのだから仕方がない。今はとにかく一刻一秒を争うのだ。

 とにかく音を立てないように、最大限の注意を払ってスマホのアプリを開き、センパイの顔を覗き込む。

 

 そぉっと……そぉっと……。

 

パシャッ!

 

 よしっ。撮れた。

 スマホを覗けば、そこには眠るセンパイの姿が大きく映し出されている。

 これを壁紙に設定しておこう。

 あ、でもセンパイに見られたら流石に言い訳できそうにないし。

 ロック画面じゃなくてホーム画面にしておこう。

 あー、でもこれはこれでアイコンが邪魔だ。

 ちょっと整理……よく使うの以外はこっちのページに移動して……よしっ。こんな感じかな?

 

 前に撮ったのはお米ちゃんも一緒のやつだから、センパイだけのって無かったんだよね。

 これでいつでもセンパイの顔が見れる。

 それに、寝顔なんて相当レアじゃない?

 あ、やばい。

 顔がにやける。

 だってこんな無防備な顔を見せてくれるようになったのって大分私に気を許してくれてる証拠ですよね?

 

「どうせなら……ツーショットも撮っておこうかな……」

 

 イタズラに成功した子供が、欲を出してハードルを上げるように、私は再び椅子から立ち上がる。

 大丈夫、さっきは上手く行った。

 だからもう一回、もう少しだけ起きないでくださいね……。

 そぉっと、そぉっと。

 スマホのカメラを内側に切り替えて、今度はセンパイの横に座り込んで、センパイの顔と自分の顔を近づける。

 

 近い。

 センパイの匂いがする。

 センパイの寝息が聞こえる。

 センパイの体温を感じる。

 

 もうセンパイの心臓の音さえ聞こえるのではないかと……ううん、私の心臓の音でセンパイが起きてしまうんじゃないかと思うほどに体を密着させている。

 伸ばした手の先には私とセンパイの姿が映るスマホの画面。

 そこには少し不格好な二人が収められている。

 あとはシャッターを押すだけ。

 それでミッションは成功。

 でも……この距離なら……。

 

 この距離でも起きないなら……。

 

 キス……とかしても大丈夫かな?

 

 ソレは悪魔の囁きだった。

 本当はそんな事しちゃいけない。

 するならせめてセンパイが起きている時にする方がいいに決まっている。

 

 でも……。これから数ヶ月は受験で、デートも出来ないだろうし。

 センパイが気軽にキスしてもいいって言ってくれるようになるまで、どれぐらい掛かるかも分からない。

 だからこれは……そう、仕方のないことなのだ。

 これは、これから頑張る私へのご褒美の前借り。

 

 ほっぺなら……いいよね?

 ほんと、軽く……ちょっとだけですから……。

 

 だから、どうか怒らないで下さい。

 どうか目を覚まさないで下さい。

 

 私は心の中で何度も願いながら、その頬を見つめる。

 大丈夫、ほっぺにキスぐらい……今時小学生だってやってる。

 だから

 

「……いいですよね?」

 

 それは私のなけなしの良心。

 もし、その問いかけでセンパイが起きてしまえばそれまで。

 でも、もし起きなければ……。

 

 祈るように、センパイの答えを待つ。

 一……二……三……四……五。

 心のなかでゆっくりと数字を数えるが、一体何秒待てば正解なのかはわからない。

 何度目かの静寂が、私とセンパイの間を流れ、どんどんと自分の心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。

 だけど、そんな私の心臓とは対照的にセンパイの胸は静かに規則的に上下運動を繰り返し。変わらず穏やかな寝息を聞かせてくる。

 起きてない……よね?

 

 じゃぁ……その……失礼します。

 センパイが眠ったままなのを確認すると、私は一度自分の唇を内に仕舞い、そっと舌でなぞった。

 もし、バレたら?

 センパイが途中で目を覚ましたら?

 私の気持ちが伝わっちゃうかな?

 

 でも……ココまで来たらもう、止められない。

 もう、今の私には……センパイの顔しか見えない。

 ほっぺ……いや……いっそ……。

 

 そう考えたら、私の顔は自然とセンパイの顔との距離を縮めていた。

 センパイの規則的な寝息がはっきり聞こえてくる。

 大丈夫、気付かれていない、ううん、気付かれてもいい。でも気付かないでほしい。気づいて欲しい。

 自分でもどうなりたいのか分からないぐらい、相反する感情が私の中を駆け巡る。

 

 あと十センチ。

 

「……ちゃーん……」

 

 あと五センチ。

 

「りょ……てー……」

 

 あと三センチ。

 

「……たわよー……くーん? ……入るわよー?」

 

 セン……パイ……。

 

「お疲れ様ー。紅茶が入りましたよー! ……っていろはちゃん何してるの? ベッドの上でお行儀の悪い」

 

 だが、あとほんの数センチという所で、ドアが開く音がして、私は慌ててベッドに飛び上がった。当然……未遂だ。あっぶなぃ……!

 

「マ、ママ!!? 入るときはノックぐらいしてよ!!」

「何度も声かけたじゃない。『両手塞がってるから開けてー』って言ったのに。全然返事ないんだもの」

 

 全然聞こえなかった。

 いや、聞いてなかったのかな。

 でも本当びっくりした心臓止まるかと思った。

 あー……まだドキドキいってる。

 でも、そのドキドキがセンパイに近づきすぎたせいか、それともママに驚かされたせいか、今となってはもう分からない。

 

「あー……悪い寝てた……ってもみじさん?」

 

 あー、もう。センパイも起きちゃったじゃん……!

 こんな事ならさっさとツーショット写真だけでも撮っておくんだった。

 寝てるセンパイとのツーショットがあれば、センパイに近づいてくる人がいても『センパイなら私の横で寝てますよ?』って言えたのに。残念。

 いや、まぁ、そこまで悪女っぽい事をする気はさすがに無いんだけど。

 

 欲張りすぎた。二兎を追うものは一兎をも得ずって多分この事だ。

 あ、でも一応寝顔写真は撮れてるから一兎は得たのかな。三兎なんて夢のまた夢。

 仕方ない、今日の所はこれで我慢しよう。

 

「あら、八幡くんお疲れなの? ちょうどよかった。この紅茶リラックス効果もあって疲れが取れるわよ。冷めないうちに飲んで?」

「あ、ども、ありがとうございます」

 

 ちゃっかりとセンパイの横に座るママとセンパイを見ながら、私はベッドから降りて自分の勉強机へと向かう。

 はぁ、なんか疲れちゃった。

 

「って一色? なんでそんな疲れた顔してんの? 課題終わった?」

「とっっっくに! 終ーわーりーまーしーた!」

 

 全く、誰のせいだと思っているんですか!

 いつか絶対ぜーーーったい! そっちからキスしたいって思わせてみせるんですからね!




というわけで受験編進んでおります。
次話の早め投稿はちょっとお約束致しかねますので何卒ご了承ください。

お時間がありましたら活動報告とかも覗いていただければ幸いです。
感想、評価、メッセージ、誤字報告、お気に入り、ココスキお待ちしてます!

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