やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

50 / 115
いつも感想、評価、誤字報告、お気に入り、メッセージ、ココスキありがとうございます。

なんだか、スパム(出会い系)メッセージが大量に送られているようです。URL等クリックされないようお気をつけ下さい。


第50話 努力は自分を裏切らないから

 二度目の模試の結果が告げられ。

 後は十一月に受けた一回目模試の結果に望みを託す形となったわけだが。

 

 あれから一色は目に見えて落ち込み、最早俺としても掛ける言葉がなく、ここ数日は気まずい空気の中授業をこなしていた。

 本命だと考えていた二つ目の模試が、夏の模試と同じ結果になるとは夢にも思っていなかったからな。

 本命でC判定がでた、ということはソレより以前に受けた模試でAを取る事はほぼ絶望的だろう。

 まあ、それでも俺としてはまだ僅かに可能性は残っていると思っているのだが……。

 とにかく今は、もう一つの模試の結果を待つしか無い。

 

 予定では、どちらの模試も結果発表が近かったはずなのでそろそろ届くと思うのだが……一色からの連絡は一向に来ない。

 単純に結果が届いていないという可能性もあるので、こちらから連絡をするのも憚られる。

 くそ……。結局待つしか無いのか。

 そんな風に少しだけヤキモキした気持ちで週末を過ごし、迎えた翌火曜日の放課後。

 一色家へ向かうため足早に駅方向へ歩いていくと、ポケットの中でスマホが震えたのが分かった。

 相手は……もみじさんだ。

 

***

 

「風邪?」

『ええ、そうなの……ここの所頑張り過ぎてたから、疲れが出たんだと思うんだけど……しばらくお休みにしてもらいたいって言ってるのよ』

 

 ナルホド、風邪ならば仕方がない。

 もうすっかり季節も変わり冬らしい寒さになってきた。

 確かにここ数ヶ月の一色は張り切りすぎで、こちらが少し休めといっても聞かなかったぐらいだし、模試も終わったこのタイミングなら寧ろ少し休んだほうがいいぐらいだろう。

 だが、俺は「分かりました、今日は休みですね」そう言って電話を切る前に、何よりも気になっていた事を聞かずにはいられなかった。

 

「あの……模試の結果とかってまだ出てませんか?」

 

 そう、何度も言うが模試の結果発表日が近いハズなのだ。

 先週の土曜までにはどちらも届いておらず、一色自身も落ち着かない様子で、俺が家に行く前はポストの前で待ち、帰る時にもポストをチェックして、まるで親の帰りを待つ子供、あるいは死刑執行を待つ罪人のように、ソワソワとその時を待っていたのをよく覚えている。

 俺が一色家に行かなかった、この数日の間に届いていてもおかしくはない。

 

『ええ、実は一昨日届いて、お爺ちゃんと一緒に見てたみたいなんだけど……』

「一昨日? おっさんと? いや、それより結果は!? それだけでも……教えてもらえませんか?」

 

 もみじさんの言葉に、思わず早口でそうまくし立ててしまった。

 いかんな、少し落ち着かねば……。

 だが、一刻も早く結果を知りたい、それ次第で今後の身の振り方も変わるからな。

 A判定なら総武高校を受ける。

 B判定以下なら海浜総合高校を受ける。それがおっさんと一色の約束だ。

 AかB以下か。

 次にスピーカーから聞こえてくるのはどちらの文字か。

 たった一文字の違いで全てが変わる。

 俺は思わず息を呑みながら、その時を待った。

 

『それが……教えてくれないのよ』

 

 だが、次に聞こえてきたのはそのどちらでもない言葉。

 今、なんていった?

 

「教えない?」

『ええ……、具合が悪いってずーっと布団かぶっちゃって……お爺ちゃんも「放っておけ」っていってたからケンカでもしたのかと思ってたんだけど。今朝になって熱も上がってきて。だから悪いんだけど八幡君今日は……』

 

 結果を教えないで布団被ってるって……。そんなの答えを言っているようなものなのだが……。

 いや、決めつけは良くないな。

 もしかしたら逆に……という事もあるのかもしれない。

 安心して倒れたのか、それとも絶望して倒れたのか。

 ソレだけは確認しておく必要がある。

 どちらだとしても、正直時間がない。

 

「すんません、すぐ帰るんで今からちょっとだけ見舞いさせてもらっていいですか?」

 

 俺はもみじさんにそう告げ、再び駅の方角へと足を向ける。

 

『え? でも八幡君に感染っちゃうと困るし、やっぱり……』

「大丈夫です、俺受験ないんで!」

 

 感染ったとしてもこの時期の休みなら寧ろ願ったり叶ったりだ。

 ここの所雨続きで学校行くのも面倒だし、教室も寒い。

 まあ多少授業は遅れるが、どうせあと数日で冬休みだしな。

 二、三日分の授業と引き換えなら安いものだ。

 進学に影響するような事もないだろう。

 だから俺は最後にそう言って強引に電話を切ると、急ぎ発車直前の電車に乗るため、足を早めたのだった。

 

 

***

 

「一色? 入るぞ」

 

 見舞いの品も持たず一色家に到着した俺は、もみじさんと少し話して、一色の部屋の扉をノックした。

 流石のもみじさんも心配なのか、廊下の向こう側で俺を見はっている。

 さすがに病気の女子の部屋に押し入って無理矢理どうこうなんてしないので信用して欲しい……。

 ん? なんか口パクしてるな……「ふぁ」……「い」……「と」……?

 この状況で『ファイト』は良く分からんな、唇を読み間違えたか、まあいいや。とりあえず今は一色の方に専念しよう。

 

「……セン……パイ……?」

 

 ドア越しに聞こえてきたのは弱々しい一色の声。

 これは……いや、寝込んでいると言うのだから弱っているのは当然か。

 

「あれ……? センパイには今日はお休みにしてもらうって……あ、そうだ連絡しなきゃ……」

「落ち着け、とりあえず入るぞ……」

 

 俺は一色を落ち着かせる意味も含めて、一言だけ断りを入れてドアノブを回した。

 どうやら、電気もついていないようだ。部屋の中は暗く、カーテンも締め切られ、廊下の光が部屋の中に入り込み、足元を照らす。

 エアコンが入っているのか、熱気が漏れ出て来た。

 俺はその熱気をかき分けるように一歩ずつ、足元を確認しながら部屋の中へと踏み入っていく。

 目に入るのはいつものクッション、いつもの勉強机、だがそこに一色の姿はない。

 ふと横に視線を落とせば、ベッドが大きく膨らんでおり、枕が置かれている付近からスマホの光が漏れ出している、恐らくこれが一色かもしくは伝説の布団怪獣いろはすだろう。

 

「電気つけるぞ」

 

 すでに何度も通っている身だ、照明のスイッチの場所ぐらいは把握している。

 俺は後ろ手に扉横のスイッチを探しだし、明かりをつけ、布団怪獣いろはすを見下ろす。

 黄色を基調とした布団にくるまれた一色が眠っているのが見えるようになった。

 どうやら、布団怪獣いろはすの正体は一色で間違いないらしい。

 とりあえず、熱が出ているというのは嘘ではないようだな。

 一色の顔はいつもより紅潮し、心無しか呼吸も浅い。本当に具合が悪そうだ。

 

「大丈夫か?」

「あれぇ……? センパイがいる……?」

 

 まだ寝ぼけているのか、それとも熱で頭が回っていないのか。

 目があったはずなのにまるで幽霊を見るかのような反応だ。

 もしかしたら、俺の存在感のなさを揶揄しているのかもしれない。

 

「体調はどうだ? 熱あるんだって?」

「……頭……超重いです……」

「……ちょっと触るぞ?」

 

 俺はそう言って一色の額に触れる。

 そこでふと思い出した。やばい。

 以前小町にコレをやって怒られたのを思い出した。

 あれは小町が中学に上がったぐらいからだろうか? 『熱があるかも』と訴えてくる小町の額に手を当てた際に言われた辛辣な言葉。

 

『お兄ちゃん、看病にかこつけて女の子に触ろうとするのは犯罪なんだよ? 小町は妹だからまだいいけど、こういう時はちゃんと体温計使って。“非接触型”の奴』

 

 非接触型を強調してくる辺りにスゴク悪意を感じたが……。

 アレ以来気をつけようと思っていたはずなのに、つい癖でやってしまった……。

 ましてや一色は兄妹ではなく他人なのに。

 そう思って慌てて額から手を離そうとしたのだが、その瞬間。

 

「センパイの手……冷たくて気持ちいい……」

 

 そんな事を言うので、つい離すのを躊躇ってしまった。

 これはあれだ『手が冷たい人は心が温かい』とかそういう奴ではない、単に外が寒くて冷えただけだ。

 逆に熱があるという一色の額は暖かくて心地良い。

 このまましばらくカイロ代わりにしていたくなるな……。あー……生き返る……。

 おっと、いかんいかん。早く離さなければ。

 いつまでも触っていたらそれこそ変質者扱いされてしまう。

 

「結構熱いな……後でちゃんと測っておけよ? 辛いなら早めに病院行け?」

「……はーい……」

 

 その返事は、なんだか少しだけ名残惜しそうな声に聞こえたが……いや、さすがにそれは俺の願望がすぎるか。

 熱で辛いから弱々しい返事になってしまったのだろう。

 そう結論付け、俺はいつものクッションへと腰掛け、一色と視線を合わせる。

 ちょっと近いかな……少し離れるか……。

 よし、こんなもんだろう。一色の顔も見れる……と思ったのだが、一色はそれがお気に召さないのか、顔の半分ほどまで布団を被ってしまった。

 

「あんまり見ないで下さい……髪とかボサボサなので……」

「あ、ああ。すまん」

 

 病気なんだから仕方ないと思うのだが……。

 あ、でもそういや、寝込んでる女子の見舞いとか看病で喜ばれるのは二次元だけだって小町も言ってたな。

 見舞いも看病もされて嬉しいものなんじゃないのか? 小町以外の女子に看病されたこと無いから分からないけど……。女子本当分からん。

 まあいいか、それならそれでさっさと用事を済ませて帰ろう。

 そう、今日はそのために来たのだ。

 

「それで?」

「……ふぁい……?」

「十一月の模試結果、出たんだろ?」

 

 その言葉に、一色がビクリと震えるのが分かった。

 だが、一向に答えは返ってこない。

 あるいは、その沈黙こそが答えだったのかも知れない。

 分かっている。この状況で結果を察しないほど鈍くもない。

 一色にしてみれば俺が追い打ちをかけに来たように見えたかも知れない。

 でも勘違いしないで欲しい、それはそれでしっかりと確認しておかなければいけない事実だったのだ。

 出てしまった結果は変えられないが、これからの事なら変えられるからな。

 残された時間も少ない、やれる事がまだあるうちは動くべきだろう。

 

「どうだった?」

「机の引き出しに……入ってます……」

「……見て良いんだな?」

 

 俺の問に、一色が一度だけ小さく頷く。

 それを確認すると、俺はゆっくりと立ち上がり、一色の勉強机へと向かった。

 普段だったら絶対に怒られるであろう一番上の引き出しを開ける。

 中に入っていたのは少し厚めのA4のクリアファイル。どうやら、ここにはコレまでにやったプリント類が挟まれているらしい。

 その隙間から見えるのは『C判定』の文字。これはこの間の奴だな。

 一応プリントアウトしておけと言っておいたのだが、今確認すべきなのはこれじゃない。

 

 俺はその用紙を一度机の上に置くと、二枚目に挟まっていた三つ折りにされた紙を手に取る。

 それはプリントアウトした普通紙とは少し違う、上質な紙。

 その紙を広げてみると、上の方に少し握り潰した痕のような皺が残っているのが分かった。

 これだけで一色がどんな気持ちでこの紙を見たのかが目に浮かぶようだ。

 そして同時に、自分の予想が外れていなかったという思いを再確認しながら、俺は紙に視線を落とした。

 ああ、やっぱりか……。まあ……そりゃそうだよな……。

 

「駄目だったか……」

「……駄目でしたね……A取れませんでした」

 

 俺の言葉に、一色がハハッと力なく笑う。

 まぁ、仕方がない。

 俺としても本命より先に受けた模試で『Aを取れました』なんてご都合主義を期待したわけでもない。

 現実なんてそんなもんだ。

 

「ワンチャン……あると思ってたんですけどね……」

「まぁ、お前も駄目だって薄々分かってただろ……。二度目の模試もあれだったし……」

 

 それは一色自身分かってた事だろう。

 このタイミングで逆転サヨナラホームランが出ないことは理解していたはずだ。

 

「まぁ、進学先変更するのも急だったしな……仕方ないんじゃないの?」

 

 そう、あんなタイミングで進学先を変更しなければいけなくなった原因を作ったやつが悪い。

 結論、悪いのは葉山である。

 だから俺も悪くない。

 

「急って……だってしょうがないじゃないですか……」

 

 うん、まぁ一色から見ればしょうがない事だったのだろう。

 例えそれが傍から見たら下らない理由でも、一色にとってはきっと大事なことだったのだ。

 その事をとやかく言うつもりはない。

 だが、俺にはもう一つ確認しておくべきことがあった。 

 

「……おっさんにはもう知られてるんだな?」

 

 もみじさんの話によれば、一色が倒れたのはおっさんが来た後。

 となれば、おっさんもこの結果を知っている可能性が高い。

 だから、その確認はどうしても必要だった。

 もし、まだこの結果を知らないのであれば、取れる対策はある……と思っていたのだが……。

 俺の問に少しだけ戸惑うような表情を浮かべた布団の中の一色は、小さく頷いた。

 

「……そうか……」

 

 どうやら隠蔽や偽装も出来ない状況にあるらしい。

 そんな作戦が通用する相手じゃないことは理解しているが。

 それでも、打つ手が無いという現実を突きつけられているようで少しだけやるせない気持ちにもなるな。

 流石に今からやってる模試を探すのも無理だし……。

 

「んじゃ、次からは海浜総合向けの授業にシフトするか……まあ少し楽になるからいいんじゃないの?」

 

 油断していいというわけでもないが。ランクを下げる事にはなるので、今までのような強行軍をする必要はなくなるだろう。

 なんなら俺のシフトもまた減るかも知れない。

 とにかく、受験に対するモチベーションは保ってもらわなければ。

 そんな思いで、少し軽口を混ぜてみたのだが。

 俺の言葉を聞くなり、一色はガバっと勢いよく布団から起き上がってきた。

 

「は? なんですかそれ!」

 

 ボサボサの頭のまま、俺を真っ直ぐに見つめてくる。

 

「っていうか、まだ終わってませんし、寧ろこれこそお爺ちゃんへの有効な責め方です! タイミングよく熱も出て、こんなの周りだって心配するし、気遣うじゃないですか? それにあとあれです、やっぱ可愛い孫娘の事って気にしますよね? 可哀想だって思うじゃないですか? だから、この敗北は布石です……次を有効に進めるための……だから……その……頑張ら、ない……と……」

 

 早口に、そして最後の方はもはや嗚咽混じりになりながら、一色はそう捲し立てるだけまくし立てると再び布団を被った。

 だが、今度は少しも顔を見せず、完全に布団と一体になっている。

 そうか、こいつはまだ諦めてなかったのか……。

 げに恐ろしきは葉山への執念という事なのだろう。

 少し……羨ましいな……。 

 

「凄いな、お前」

「センパイのせいですからね……こうなったの……」

 

 布団の中でスンスンと鼻をすすりながら、一色がそんな事を言ってくる。

 それはつまり、俺の教え方が悪かったという事なのだろう。

 勿論そこに対する責任は感じている。

 だから、何か出来ることがあるならしてやりたいとは思う。

 

 だが、どうする?

 もう今年は一週間を切っている。

 年内に受けた模試の結果は出ており、新たにA判定を取ることは不可能だ。

 

 一色の言うように、おっさんが折れてくれるのを待つ?

 いや、それは流石に楽観的すぎる気がする。

 俺に出来ることはもうないのか?

 本当に?

 他に何かないか?

 おっさんを納得させられるような何か……。

 どうにかしてあのおっさんを説得する方法……。

 

 あのおっさんはああ見えて、結構単純だ。

 考えろ、考えろ。

 

 総武を受ける条件。A判定。海浜総合。

 家庭教師。俺のシフト。文化祭。葉山。

 そして一色の今日までの努力。

 

 エアコンの稼働音と、時々鼻をすする音が聞こえる部屋で思考を巡らせる。

 少し暑いな……。ブレザー脱ぐか……。

 俺がブレザーを脱ぐため、先程から手に持っていたクリアファイルを一度机に置こうとしたところで、ふと気がついた。

 

 さっきは模試の結果しか見ていなかったが……これを使えば或いは……?

 いや……だが、そんなに簡単に上手くいくか?

 それに、これは俺が勝手に動いて良いものではない。

 まずは、確認が必要だ。

 俺は、脱いだブレザーを一色の椅子の背もたれに掛けると、再び一色の方へと向き直る。

 

「……一色、一つだけ聞いていいか?」

「……なん……ですか?」

「諦めて海浜に行く気はないんだな?」

 

 俺が続けて問いかけると、一色が布団から少しだけ顔を出し、力強く頷くのが見えた。

 その瞳は赤く充血している。

 

「なら……」

 

 本当は、こんな事するべきではないのかもしれない。

 俺の雇い主はおっさんであって、一色ではない。

 おっさんが総武に反対なら、俺も総武行きを反対すべきなのかもしれない。

 本当ならこのまま諦めさせた方が俺にとっても楽なのだとも思う。

 

「受験当日まで、本気で努力する覚悟はあるか? 絶対合格するって約束出来るか?」

 

 だが、聞いてしまった。

 一色がどこの学校に通おうと、俺には関係が無いはずなのに。

 それを聞いたらもう、動かなくてはいけなくなってしまうと分かっていたのに……。

 

「あ、あります! センパイと同じ高校に行くためならなんだってします……! 諦めません……! 絶対合格してみせます!」

 

 一色が再び起き上がり、赤い目とボサボサの頭のまま、俺を見つめて力強くそう答えた。

 それはある意味では予想通りの言葉。

 予想外だったのは『俺と同じ所』という部分だが、まぁ深い意味はないだろう。

 熱も出てるし、こんな状況で葉山の名前を出せないのは分かるからな。

 

「んじゃ……やるだけやってみるか」

「え?」

 

 言質は取った。

 いや、今更責任逃れをするつもりはないが……もしうまく事が運んだ場合でも本人のやる気は必須だからな。 

 あとは、おっさんの許可だけ、となると必要なものは……。

 

「一色悪い、これちょっと借りるぞ」

 

 俺がそう言って持っていたクリアファイルに、先程机の上に広げた模試の結果を仕舞うと、そのまま自分のカバンに入れた。

 突然の事に一色も怪訝な表情を浮かべ、俺を見てくる。

 

「何に使うんですか?」

「ちょっとな……」

 

 そう、ちょっと使うのだ。

 これがあればもしかしたら現状をひっくり返せる……いや、その切っ掛けになるかも知れない。

 だが、とりあえず詳細は伏せておこう。

 変に期待させてぬか喜びという事にもなりかねないからな……。

 そうなったらなったで後が怖い。

 

「んじゃ、帰るわ。とりあえずお前は早く体調整えろ、しっかり寝ないとまたニキビできるぞ」

「!!!?」

 

 俺がそう指摘し、カバンを肩にかけると、一色は声にならない声を上げ、額を押さえる。

 そう、今の一色は額にバンソーコーをつけていないし、俺が額を直接触れたので、当然冷たく熱を吸収するシートもついていない。

 そして、代わりに出来物のような赤い点がいくつか散見していた。

 まごうことなきニキビだ。

 

 勉強しなければという思いで夜ふかしを繰り返していたのだろう。

 バンソーコーと前髪で一時的に隠せても、根本的な解決にはならない。

 まあ、遊びでする夜ふかしとは違うので咎めにくいが、今回のように体調を崩すこともあるのだから、やはり指摘はしておくべきだ。

 そう考えるなら、このタイミングで体調を崩したのは逆に良かったのかも知れない。

 これが本番当日だったら目も当てられないからな。

 

「次来る時までに風邪治しとけよ?」

「え? ちょ、ちょっと! センパイ!? キャッ……! いった!!」

 

 そう言って俺が部屋を後にすると、最後の最後に扉の向こうで、どんっと重たい物が落ちる音と一色の叫び声のような物が聞こえた気がするが……。まぁ恐らく何か落としたのだろう。

 さて、時刻はまだ十七時台。もみじさんから連絡貰ってすぐ来たから大分早いが。

 今からなら間に合うだろうか? まあ明日でもいいんだが、とりあえず断りの連絡は入れておくべきだな。

 

「それじゃ、お邪魔しました!」

「え!? 八幡くん!? 帰っちゃうの!?」

 

 もみじさんに捕まるとメンド……気を使わせてしまいそうだったので、声だけで帰りの挨拶だけを済ませ廊下を駆け抜けた。

 玄関に掛けてあった自分のコートを手早く身に纏うと、足早に一色家を後にする。

 電話しないといけないし、今日は階段で降りていくか……。

 決してもみじさんが追いかけて来るのを警戒したわけではないし、本当は歩きスマホというのは良くないのだが。

 まあ、十階から階段を使う奴はそんなにいないだろうから許して欲しい。

 

「おお、八幡か。なんだお前からかけて来るなんて珍しいな」

 

 もみじさんが追って来ていないことを確認しながら、早足で階段を駆け下り、七階に差し掛かった所でスマホのスピーカーから相手の──おっさんの声が聞こえてきた。

 

「おっさん、突然で悪いんだけどちょっと話があるんだ、時間貰えないか?」

「話?」

「ああ、大事な話なんだ」

 

 俺の言葉に、おっさんが驚いたように『ほぅっ』と小さく息を吐くのを感じる。

 何故だろう、今更なのに少し緊張してきた。

 

「電話ですむ話か?」

「いや、見てもらいたいものがあるから、出来れば会って話したい……」

 

 そう、見てもらいたい。見て貰わなければいけない物がある。

 だから、直接会うというのは最低条件だ。

 ああ、そうか、あの時の一色の急用もこんな感じだったのかもな。

 

「本当に珍しいな。つまり……長い話になりそうなんだな?」

「それは、おっさん次第だな」

 

 俺が足を止め、そう言うとスマホの向こうから「いろはの事か……」という小さな呟きが聞こえた。

 もう既に何かを察したのだろうか、相変わらず怖いおっさんだ。

 でも、恐らく俺に向けた言葉ではないだろう。まだ俺が何を言うつもりなのかまでは分かっていないはず……。はずだよね?

 

「なら、明日家まで来い。場所は覚えてるんだろ?」

「ああ、多分大丈夫だ。んじゃ明日。学校終わったらそっち行かせてもらうからよろしく」

 

 とりあえずアポは取れた。

 これで、少なくとも話は出来る。

 さて、後は話し合いが上手くいくかどうか。

  

 一色は今日まで自分の出来ることを全力でやっていた。

 それは俺が見ていたから分かる。

 きっと、おっさんに総武行きを伝えた時も全力だったのだろう。

 だから、次は俺の番だ。

 

 なに、勝算がないわけじゃない。

 少し前までの俺だったら信じられるものなんて俺自身しかなかったが、あのおっさんの事なら多少は信じられる。あの人はそこまで悪いおっさんじゃない。

 だから、勝算がないわけじゃない。

 

 よし、今日は早い所家に帰って、もう一度模試結果を確認しておこう。

 他にも何か使えるものがあるかも知れないからな……。

 そう思い、ようやく一階に辿り着いた所で、手に持っていたスマホをポケットにしまおうとしたところで、そのスマホが小さく震えた。

 なんだ? おっさんか?

 何か言い忘れた事でもあったのだろうか?

 そう思い、しまおうとしていたスマホを再び開く。

 だが、そこにあったのは一色からの一通のメッセージ。

 

【センパイ! ブレザー忘れてます!】

 

 あ……。 




50話記念と併せて
初投稿が2019年3月15日ということで二周年(一年のブランクがあるので実質一周年)を迎えることが出来ました。ワー!!パチパチパチ!!

これもひとえに皆様の応援のおかげです。
本当にありがとうございます。
引き続き完結に向けて努力していきたいと思っていますのでよろしくお願い致します。

感想、評価、誤字報告、お気に入り、メッセージ、ココスキなど
リアクションをしていただけると、とても喜びますのでよろしくお願いします!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。