やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

57 / 115
いつも感想、評価、誤字報告、メッセージ、お気に入り、ここすきありがとうございます。
GW終わってしまいましたね……。


第57話 頑張れ

「んん……っ」

 

 いつまでも鳴り響くスマホに手を伸ばし、呻きながらアラームを止める。

 えっと……昨日は何時に寝たんだっけ?

 なんだか昨晩の記憶が曖昧だ……。

 張り付く瞼を無理矢理開けば、カーテンの隙間から眩しいほどの陽の光が差し込んでくるのが分かった。どうやら天気には恵まれたようだ。

 

 とりあえず……起きよう……。

 ううっ……寒。

 もうすぐ三月だというのに、布団を捲ると冷たい空気が容赦なく体を刺してくる。

 だが、ソレを我慢してベッドから立ち上がりカーテンを捲れば、目の前に広がるのはその寒さとは不釣り合いなほどに青い空。まさに快晴だ、

 良かった。

 受験当日、大雪が降って受験生の足を止める、なんてよく聞く話。

 晴れている、と言うのはソレだけで受験生にとっては追い風になる。

 

 ふと耳を傾ければ部屋の外からは既に誰かが起きている生活音と、鼻孔をくすぐるトーストの良い香りがした。よしっ。

 ……寒いしさっさと着替えて、飯食うか。

 

 そう考え、俺が着替えを済ませて一階のリビングへと向かうと、ソコには一人でテレビを見ながらトーストを齧る小町の姿があった。

 どうやら親父と母ちゃんはもう家を出たようだな、全く我が両親ながら今日も社畜根性逞しくて嫌になる、遺伝しちゃったらどうするの?

 子は親を見て育つとは言うが、俺は絶対社畜にはならんからな。ガルルッ。

 

「おはよーさん」

「おはよー……ってあれ? お兄ちゃん今日お休みなんじゃないの?」

 

 そう、今日は総武の入試なので、在校生は休み。

 しかも一色の家庭教師も終わった今となっては、完全に一日フリーの休みなので、寝ようと思えばいくらでも寝ていられたし、起きていたからと言って何か出来るわけでもないので、寝ているほうがむしろ有益まであるのだが……なんとなく、今日は起きていないといけない気になっていた。

 

「まぁ、休みなんだけどな……」

 

 とはいえ、ソレを言語化するのは寝起きの頭ではどうにも難しく、俺は小町への回答を尻すぼみにしたまま、目を逸らし、突っ込まれると面倒くさいなぁという思いを込めて、一度頭を掻いた。

 

「ふーん……変なの」

 

 だが、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、小町は俺が起きている事にさして興味も無さそうに、再び視線をテレビに戻すと、残りのトーストを頬張り、牛乳を一気に飲み干していく。

 今日の朝食は……パンとハムエッグとサラダか……。

 

「あれ? 俺の分は?」

「知らないよ、小町は普通に学校なんだから、お休みなら自分で用意して下さーい」

「へぃへぃ」

 

 まあ、言われてみれば確かにその通りなのだが……。少しだけ雑に扱われて凹みながらも、俺は言われるがまま、キッチンに入りコーヒーの準備をして、パンをトースターに放り込んだ。

 あとはどうするか……卵焼くのも面倒だな……最悪ハムだけでも良いか……。とりあえず皿出してから考えよう……。

 

 そうして、食器棚に向かった所で、ふと思う

 そういえば……結局アノ食器は回収できなかったな……。

 初めて、家族以外の女子から貰った誕生日プレゼント。

 今後アイツとの関わりがなくなる前に回収しておきたかったのだが……。

 まさかあんなにゴネられるとは思わなかった。

 また食事会をする、なんて言っていたが。そんな機会が来るとも思えないんだよなぁ。

 あんなの卒業式に女子が泣きながら言う「ズッ友」と変わらんレベルの社交辞令だろう。

 最後だからと、何となく気分が盛り上がった言葉で、ソコにあるのは約束も何も無い一方的な宣言のみ。

 どうせそのうち、あの食器類にホコリがたまって、ある日「そういえば、家庭教師用の食器なんてあったな」と捨てられるのだろう。

 だからこそ、先に回収しておきたかったのだが……。

 はぁ……。まぁ仕方ないか……。

 

 合否の結果だけは知らせてもらう約束だが。

 来月には俺たちの間にある許嫁とかいう訳の分からない関係も終了するのだ。

 食器の事もさっさと忘れてしまおう……。

 

 そんな事を考えながら食器を取り出し、冷蔵庫を物色しているとリビングから小町の声が聞こえてきた。

 

「……お兄ちゃーん? なんかスマホ鳴ってない?」

 

 スマホ?

 言われて耳をすませてみると、確かに二階の方から微かにスマホの鳴る音が聞こえてくる気がする。

 

「んー? お前のじゃないの?」

「小町のはここにあるよ、ほら!」

 

 そう言って、小町が自分のスマホをまるで警察手帳かのように見せつけてくるので、俺は少しだけ首を傾げながら冷蔵庫を閉め、ニ階へと向かった。

 おかしい、スマホのアラームは確かに切ったはずだ。

 スヌーズ機能が作動したのだろうか?

 あれ、二度寝した時には助かるんだけど、普通に起きた時に解除忘れると面倒くさいんだよな……。

 

 だが、そう思って自室への階段を上っていくと、それがアラーム音ではないことに気がついた。

 これは……LIKEの通話呼び出し音だ。

 こんな朝っぱらから?

 俺に連絡を入れてくるような人間は家族以外には一つしか心上がりがない、一色家の誰かだろう。まさか、何かあったのか?

 それに気付いた瞬間、俺は無意識にスピードを上げ、一気に自室へと駆け抜ける。

 間に合え……!

 

 自室のドアを勢いよく開くと、暗い部屋の中、ベッドの上に放り出されていたスマホが音を鳴らしながら画面を光らせていた。相手は……もみじさんだ。

 

「はい、もしもし?」

「あ、良かった繋がった。ごめんなさいね八幡君、こんな朝から」

「いえ、それはいいんですけど……何かありました?」

 

 慌てて通話ボタンをフリックすると、スピーカーの向こうから聞き慣れたもみじさんの声が返ってくる。

 まさか、また一色の身に何かあったのだろうか?

 病気か? それとも事故か?

 俺は、最悪の事態を頭の中に描きながら、次の言葉を待った。

 

「実は今日いろはちゃん、ちょっと寝坊しちゃって……一応、今急いで出たから次の電車に乗れれば間に合うとは思うんだけど……」

「は? ……マジすか?」

 

 だが、次に聞こえてきたのは呆れたような口調で語る、そんな言葉だった。

 ……寝坊? あんの馬鹿! だからあれだけ早く寝ろって言ったのに。何やってんだ!

 

「えっと、家は出たんですね?」

「ええ、本当に今さっきね? だから多分大丈夫だとは思うんだけど……八幡君、駅まで迎えに行ってあげてくれないかしら? 心配しすぎだとは思うんだけど途中で道に迷ったりしたら大変だし……」

「分かりました、すぐ行きます!」

「あ? え? 八幡く……!?」

 

 もみじさんの言葉を途中で切り、スマホをポケットにしまうと、昨日、一色家から帰ってきてから放り出していたままになっていたカバンとコートを拾って、部屋を出た。

 一気に階段を駆け下り、そのまま玄関へと向かう。

 玄関には、今まさに靴を履いて家を出ようとしている小町の姿があった。

 

「悪い小町! ちょっと出かけてくる!」

「え? 小町ももう出るけど? どうせ出かけるなら小町を送って……ってお兄ちゃん!?」

「戸締まり頼む!」

 

 あ、そういえば一色の家の鍵も返すの忘れてたな。

 泥棒とか入ったら真っ先に疑われるやつだからこれも返さないと……。

 そんな事を考えながら、俺は自転車に乗り、全速力で駅を目指した。

 

*

 

「なんとか間に合った……よな?」

 

 次の電車が着くまであと数分。

 そんなタイミングで俺は目的の駅についた。

 もし一色が一本前の電車に乗っていたのなら余裕で間に合っているだろうし。

 ソレ以降であれば、ここで待っていれば合流出来るだろう。

 まぁ、更に一本後の電車だと確実にアウトだろうけどな……。

 

 ったく……なんで寝坊なんて……。

 というか、あいつ、ちゃんと朝飯食ったのか?

 試験前に朝食を抜くのはかなり危険だ。

 それこそ頭が回らなくなる可能性もある。 

 

「今のうちに何か買っといてやるか……」

 

 そう思いたち、俺は急いで駅前のコンビニへと入って商品を物色した。

 手早く食べられて、腹持ちしそうなもの……。

 そうだな……これでいいか。

 これなら、一石二鳥だ。

 一応、飲み物も買っておくか……。

 

 俺は棚から商品を取り、急いで会計を済ませる。

 あ、そうかレジ袋有料なんだっけ? これなら手渡しでもいいか?

 いや……自転車だしな……仕方ない……。

 すみません、レジ袋下さい。あ、プラス三円ですね、はい……。くそっ、なんか負けた気分になるのは何故だろう。

 

 そうして俺は再び自転車へと戻り、購入したビニール袋をハンドルに引っ掛けてカバンを開けた。

 なんとなく癖で持ってきてしまったが、カバンを持ってきておいて良かったな……。

 財布も入ってるし鍵も入っている。それに……コレも入っている。さすが俺の相棒“クロノクロス”だ。

 アノ日、小町に言われて購入して良かった。

 

「とりあえず、これをこうして……」

 

 一色が来ないか駅の方を意識しながら、カバンに入っている物を使って残った作業に取り掛かる。

 するとほんの数十秒もしないうちに視界の端に電車が来るのが見えた。

 恐らく、これに一色が乗っているはず……頼む、乗っててくれよ?

 乗れてなかったら、完全アウトだぞ?

 

 俺は祈るようにぞろぞろと駅から出てくる客の群れを探した。

 だが、もう時間がギリギリという事もあってか、学生の姿はあまり見当たらない。

 降りてくるのはスーツ姿のサラリーマン、サラリーマンサラリーマン。

 どこだ? まさか本当に乗り遅れて……? いや、いた!

 

「一色! こっちだ!」

「え? センパイ!?」

 

 慌てた様子で改札を通り抜けようとするセーラー服姿の一色を見つけ、俺が声を上げると、一色は驚いたような表情を浮かべ、俺の所へと駆け寄って来た。

 

「なんでここに居るんですか? あ、でもごめんなさい! 私急がないと!」

「分かってる、とりあえず乗れ」

「へ?」

 

 自転車の向きを変え、片方のペダルに足をかけたまま、俺がそういうと、今度は意味がわからないという顔で再び俺を見てくる。

 全く、察しの悪い子だ……。

 

「良いから、乗れ! 遅刻したくないんだろ? 話は後だ」

「は、はい!」

 

 俺が少しだけ強めの口調でそう言うと、今度はオズオズと荷台に乗り、俺の腰にその細い腕を回してきた。

 小町以外との二人乗りは初めてだが……女の子ってこんなに違うものなんだな……重さがどうこうよりも、そもそも座り方が違う、小町は思いっきり荷台に跨ってくるが、一色は横座りでなんだか……って今はそんな事はどうでもいい! 時間無いんだった!

 

「んじゃ行くぞ? シッカリ掴まってろよ?」

「お、お願いします!」

 

 俺の言葉を聞いて、一色が腰に回した手にギュッと力を入れたのがコート越しに伝わる。

 だが、決してそれが不快とかではない。むしろ、なんていうか、か細くてか弱くて……守ってやりたくなるような、そんな弱々しい力だった。

 

「あ、あの。なんでセンパイがここにいるんですか?」

「もみじさんから連絡もらったんだよ、お前が寝坊したってな。だから昨日は早く寝ろっていっただろ?」

「だ、誰のせいで眠れなかったと思ってるんですか!」

「? 誰のせいなの?」

「そ……それは……私のせいですけど……センパイのせいでもあるっていうか……」

 

 ちょっと何を言っているのか分からない。

 なんで俺のせいなんだよ。

 そもそも俺、早く寝ろって言ったしなぁ……。

 もしかして小町が夜更しに付き合わせたとかそういう事なんだろうか?

 それなら、兄として謝罪しよう。本当に申し訳ない。

 きっちり後でお説教をしておかなくては。

 

「んで、飯は食ったの?」

「あ、はい。ママが小さいオニギリを何個か持たせてくれたので。電車の中で少し食べました」

「あ、そう。ならこれ要らなかったな」

 

 どうやら、心配は杞憂に終わったようだ。

 だが、折角買ってしまったのだし、一石二鳥とはならなくても一鳥にはなるからいいか。

 俺は少しだけスピードを緩め、片手でハンドルにぶら下げていたコンビニのビニール袋を一色に手渡した。 

 

「なんですかこれ?」

「もし飯食ってなかったらと思って買っといた。まあ今要らなきゃ昼飯の時にでも食ってくれ」

「あ、ありがとうございます……?」

 

 一色がソレを受け取るのを確認すると、再び両手でハンドルを握り、スピードを上げる。

 時計を見れないのが少し怖いが……このペースなら十分間に合うだろう。

 

「野菜ジュースと……チョコレート?」

「まぁ、ちょっと早いホワイトデーって事でな」

「ええぇ……これがですかぁ?」

 

 だが、そんな俺の心境とは裏腹に、背後で一色がこれでもかという程に不満げな声を上げた。

 おかしいな? そんなに悪いものではないと思ったんだが……。

 

「文字通り三倍返しってことでな」

 

 そう、俺が渡したのは一色がくれたチョコレート菓子と全く同じものを三箱。

 きっちり三倍返しにさせてもらった。

 

「……あーりーがーとーうーごーざーいーまーすー!」

 

 しかし、一色は不満げだ。

 えええ……なんで?

 だってあれ、受験生が貰うやつだろ?

 俺が貰うより、一色が貰った方が絶対ご利益があるはずだ。

 『きっと勝つ』ってな。まあ、人によっては『CUT』で『足切り」って意味になるらしいが……。

 先に送ってきたのは一色の方だし、気にしてないなら大丈夫だろうと思ったんだが……。え? まさか気にしてる?

 

「むー……」

「……チョ、チョコはすぐエネルギーになるし、腹持ちもいいんだよ。今日で最後なんだから、悔いのないように腹減りそうならちょっと摘んどけ」

「……はーい……」

「……」

 

 俺の説明に納得していないのか、一色は尚も不満げな声を上げ、ほんの一瞬沈黙が流れる。

 なんだよ……普通に美味いから良いだろ……。

 元々そっちがくれた奴だし。

 何が不満だっていうんだ……。

 

「……まぁその……なんだ……絶対間に合わせるから……合格……出来ると良いな」

「……」

「……」

 

 なんとなく失敗した感があって気まずかったので、激励の言葉をかけると、一色が俺の腰に回した手に再び力を入れ、少ししなだれかかってきたのが分かった。

  

「……あの……センパイ。ずっと気になる事があったんですけど聞いてもいいですか?」

 

 そして不機嫌モードだった一色が遠慮がちに口を開いてくる。

 なんだろう? 何だか空気が重くなった気がする、心無しかペダルを漕ぐ足にも力が入り、不思議と心臓も早くなる。だが……こんだけ全力でペダルを漕いでいれば心拍数も上がるってものだろう。まさに心臓破りの坂。いや、別にここ坂じゃないけど。

 

「気になる事?」

「その……なんていうか、ずっと違和感みたいなのがあって……」

「何?」

 

 違和感? もしかして、俺何か間違えて教えていた事とかあったのだろうか?

 このタイミングで小難しい事を言われても困るのだが……。

 まあ、試験の最中にモヤモヤされるよりはずっといいか。

 後で何言われるか分かったもんじゃないしな。

 そう思って、俺は一色の『気になる事』とやらを待った。

 さて、一体何を気にしているのだろう?

 

「センパイって私に『頑張れ』って言わないですよね? これまでも、昨日も言ってくれませんでしたし」

 

 だが、一色が口にしたのは、試験とは直接関わりの無いそんな言葉だった。

 え? そんな事?

 俺はそれが何かの冗談じゃないかと、次の角を曲がるタイミングで、チラリと一瞬だけ一色の方を見たのだが、一色は真剣な表情で俺を見上げている。

 どうやら……本当にそれが気になっていることのようだ……俺は完全に肩透かしを食らい、少しだけ脱力した。

 

「あー……」

「……何か、理由があるんですか? 本当は私に頑張ってほしくない……総武に来てほしくない……とか?」

 

 なんだか寂しそうに一色がそう呟き、コツンと俺の背中に頭をぶつけてくる。

 ……まさか、そんな事を気にしているとは思わなかった。

 いや、別に頑張ってほしくないとかそんなつもりはなかったのだが……そうか、言わないと言わないでそういう事も起こるのか……。

 少しだけ反省しつつ、俺は一色にどう答えたものかと一瞬思案する。

 

「いや、そう言うつもりはなかったんだけどな……」

「けど?」

「……なんつーか……頑張ってるやつに、頑張れって言い続けるのは酷だろ。傍から見てても、お前は十分頑張ってたしな」

 

 受験というのは、一年もしくはソレ以上の長い期間続き、これだけやっていれば大丈夫という保証のない孤独な戦いだ。

 だから、というわけではないが受験生というのはそれだけで、よく知らない周りの人間からも『頑張って』と声をかけられたりする。一年間ずっと。

 近所のおばちゃんとか、よく知らない親戚のおっちゃんとかな。

 もちろんソレは受験生に対する応援という意味で、悪気があるわけではない。

 それは分かっている。

 だが……。

 

「適当に頑張れって何度も言われると、なんかムカツクだろ?」

 

 その言葉は確実に受験生を蝕んでいくのだ。

 受験生なんだからもっと頑張らなくてはいけない、まだまだお前の頑張りは足りないぞとプレッシャーを与えられている気分になる。

 たった一日、ほんの数分息抜きをしているだけなのに。その言葉を聞かされた瞬間。お前は受験生なんだぞ、忘れるなよと釘を刺されているようなそんな気さえしてくる。

 

「ちょっとした応援じゃないですか……そりゃまぁ、言われすぎるとウンザリはしますけど……だからって一回も言わないのは流石に捻くれすぎてません?」

「お前じゃなかったら俺だって普通に言ってたよ」

「私じゃなかったら……? 私以外には言うんですか!? 私にも言ってくださいよ!」

 

 家庭教師とかいう役職がついてなければ、俺だって気軽に言ってたと思う。それこそ来年、小町にはむちゃくちゃ言うかもしれない。

 だが、仮にも俺の生徒という立ち位置にある一色に『頑張れ』とは言えなかった。

 それは今日までの過程も結果もすべて一色に委ね、俺が家庭教師という仕事から逃げたみたいだったから……。

 どうしても言うことが出来なかったのだ。

 でも、一色がその言葉を望んでいるという事なら……ちょうど良かったのかもしれない。

 

「……まぁ、代わりってわけじゃないが、さっき渡したチョコの裏側見てみろ。ま、一個しか書いてる暇なかったけどな……」

「え?」

 

 そう言ったタイミングでちょうど目の前の信号が赤に変わった。

 俺がキッとブレーキを鳴らし自転車を止めると、後方で一色が慌てたようにがガサガサとビニール袋を漁る音が聞こてくる。

 なんか……自分が送ったプレゼントの採点をされるようで少しだけ緊張するな。

 

「……『A判定。慌てず落ち着いていけ。お前の家庭教師より』……っ!」

 

 どうやら、見つけたようだ。

 そう、それは俺があのチョコレート菓子のメッセージ欄に書いた応援メッセージ。

 どうせホワイトデーのお返しにするなら、同じ事をしてやろうと思ったのだ。

 まぁ、流石に俺が『許嫁』だなんて書いたら『調子乗るな』と言われ。『来年は後輩だ』なんて書いたらこれまた『調子のるな』と言われるだろうからな、無難に一言。

 本当、カバン持ってきておいて良かった。

 ずっと一色の家庭教師用に使ってたから『筆記具』も入っていたんだよな。

 だから、思いつきでソレを書くことができた。

 

「ま、あれだ。今日までの成績表っていうか通知表っていうかな……。そんな感じだから……まぁその……“頑張ってこい”」

「センパイ……これは……さすがにあざとすぎませんか?」

 

 そう口にされると、俺もちょっと恥ずかしい。やはり、狙いすぎだっただろうか。

 まあでも一色が後ろに座っていてくれてよかった。

 この位置関係なら多少顔が赤くなってもバレないだろう。

 

「でも……ありがとうございます。センパイがA判定だって言ってくれるなら私もう怖くありません! 絶対、絶対合格してきます!」

 

 スンッと一度鼻を鳴らしそう言った一色の声を背中越しに聞き、信号が青に変わる気配を感じ取りペダルに足を掛けると、一色は再びコツンと俺の背中に頭を乗せてくる。

 やはり、小町を乗せている時とは少し違うな……なんだか、胸がドキドキする。

 全力疾走したせいで不整脈がでたのかもしれない。

 でも、総武はもう目の前だ。

 もう一踏ん張り……!

 

「んじゃ、最後飛ばすぞ?」

「前の二人乗りー! 止まりなさーい!」

 

 だが、信号が青に変わり、俺がペダルに体重をかけた瞬間、反対側から来た白と黒のツートンカラーの車に突如そう注意された。

げぇっ国家権力ぅ!?

 まずい。今ここで捕まって時間を取られるわけにはいかないというのに……。

 

「セ、センパイ! パトカーですよ、私、ここからは走って……」

「……いや、掴まってろ」

「え?」

 

 そう、ここで捕まるわけにはいかないのだ。

 俺は一色が離そうとした手を左手でギュッと握り。片手ハンドルのまま加速する。

 

「こら! そこの自転車止まりなさい! 聞こえないのか! 前の二人乗りの自転車! 君達だよ!」

「センパイ、やっぱり私……!」

「すんません! こいつ受験生なんで! 送り届けたら説教でも罰でもなんでも受けるんで! 見逃してくれろさい!」

「受験生?」

 

 とうとう、俺を追いかけてきたパトカーに向かって俺はそう叫ぶと、脇道へと入り込んだ。

 ここなら細いから車は入ってこれないはずだ。

 とりあえず、このまま一気に正門へ!

 

「しっかり掴まってろよ!」

「は、はい」

 

 全力全開!!

 ゼンッカイッジャー!!!!

 

*

 

「も……無理……限界……」

「だ、大丈夫ですか……?」

 

 朝から二人乗りの全力疾走は心臓に来る……しかもよく考えたら俺自身が朝食抜きじゃん……俺、もうここで死ぬかもしれん。

 長い間、八幡ペダルをご愛読頂きありがとうございました。

 比企谷八幡選手の来世にご期待下さい。

 

「オェッ……い、いいから……お前は早く行け、せっかく間に合ったんだから……」

「でも……」

 

 心配そうに俺の背中を擦る一色にそう言いながら、俺はその場でヘタリ込む。

 校門も開いていて、チャイムも鳴っていない。

 間に合った……はずだ。

 

「何をしてるんだね君達? ……って比企谷?」

 

 そうして、俺が心配そうな一色を追い払おうとしていると校舎の方から一人の教師がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 その人は白衣を着ていて、黒くて長い髪をゆらゆらと揺らしながらこちらへと近づいてくる。

 助かった。平塚先生だ。

 

「あ、平塚先生……こいつ、受験生なんで、後頼みます」

「受験生? ってもうすぐチャイムがなるぞ!! ほら、急ぎなさい!」

「は、はい!」

 

 平塚先生に急かされ、一色が慌てて校舎の方へと走り出す。

 これで、もう大丈夫だろう。

 完全に俺の仕事は終わり。

 ミッションコンプリートだ。ォェッ……。

 

「センパイ!」

 

 だが、そう思った瞬間。

 昇降口まで走っていった一色がこちらを振り向いた。

 

「私! 絶対! 絶対合格しますから!」

 

 おう……頑張ってこい。

 声にならないその言葉は、なんとか右手を上げることで伝えられたと思う……。

  

 一色は、俺の振り上げた拳をみて満足げに笑うと、平塚先生を追って校舎へと消えていった。

 

*

 

「あー……まじ足パンパンだ……」

 

 試験開始らしきチャイムが聞こえたのを確認すると、ようやく帰る気力も戻ってきたのでゆっくりと立ち上がる。

 ああ、腹が減った。

 さっさと帰って飯くおう……。

 それから寝よう……。もう小町が帰ってくるまで寝てやる。

 

「……全力疾走なんて久しぶりにしたわ……もう二度とやらん……」

 

 そう決心して独り言を言いながら、自転車の向きを変えると、背後から声をかけられた。

 

「そうだね、全力疾走は危ないし、二人乗りもやらない方がいいね」

「え?」

 

 え……嘘……だろ?

 恐る恐る顔を上げると、ソコには先程のパトカーらしき車と、警察官が二人校門の前に立っていた。

 マジカ……流石にしつこすぎませんか?

 これが……国家権力……。

 

「あ……あの……本当、さっきは急いでてですね、悪気があったわけではなく……その……」

「うん、大体事情は察したよ、遅刻しそうだった受験生を送り届ける、それは凄く立派な事だと思うんだよ? でもね? 二人乗りは禁止されているんだ。だから、注意したらちゃんと聞いてほしかったかな?」

 

 冷や汗を垂らしながら恐縮する俺を見下ろし、目の前の警察官は一度ニコリと笑う。

 それはとても人の良い、優しそうな微笑みだった。

 どうやら、事情は理解してくれているらしい。

 これなら軽い注意で済むか。

 

「確か、送り届けた後だったらお説教でも罰でも受けるんだよね?」

「あ、いや、あれは言葉の綾で……」

 

 だが、その警察官はそう言うと妙に馴れ馴れしく俺の肩に手を回してくる。

 え? 何怖い。お巡りさん! この人です!

 ってこの人がお巡りさんじゃん!?

 

「はい、じゃあ少し車でお話しようか? 今日も寒いしね」

「く、車で!? せ、せめて学校からは離れてもらえますか? 知ってる先生が凄い目でこっち睨んでるんで……」

 

 ふと校舎に視線を向けると、先程一色を送っていった平塚先生がこちらに戻ってくるのが見えた。

 まずい。これはあれだ、ガチで怒られるやつだ。

 おかしい、今日の俺は割と頑張ったはずなのに。

 神は善い行いをした人間を見捨てないんじゃないの?!

 こんなの詐欺だ!

 

「そうか、先生がいるなら丁度いい、一緒にお話させてもらおうかな」

「うぇっ……まじすか……」

「まじっす」

 

 自転車の二人乗りは原則違法とされています。

 思わぬ事故や、教師を交えた公開説教にあう可能性もあり、大変危険です。

 絶対にやめましょう。

 

 くそっ……。




お約束END。

今回はGW期間ということもあって比較的早めに完成しました。
細かいあれこれは活動報告にて。

感想、評価、誤字報告、メッセージ、お気に入り、ここすきいつでもどこでも何度でもお待ちしています!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。