やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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いつも感想、評価、お気に入り、メッセージ、誤字報告、ここ好き。ツイッターでの読了報告等ありがとうございます。

前回短かったのもあり今回長めとなります。許して。



第63話 エピソードゼロというほどでもない話

「それで? 儂はいつごろ退院できるんだ?」

 

 入院生活にも大分慣れ、春の暖かさも感じられるようになってきた四月のその日。

 儂はいつものように回診に来ていた中老の医者に向かって苛立ちをぶつけていた。

 

「はっきりとお約束は出来かねるのですが……予定通りなら恐らく五月中頃……遅くとも六月には退院という運びになるのではないかと……」

「六月か長いな……」

 

 文句を言っても仕方がないこととはいえ、まだふた月近くもこのベッドに縛り付けられているのかと思うとさすがに嫌気もさす。

 全く、最近の医学の進歩は目覚ましいものがあると聞いていたが、期待ハズレも良いところだと、ほとんど八つ当たりに近い感情を抱きながらも、それを口にすることのはあまりにも大人げないとぐっと堪え、儂は点滴が刺さったままの腕をげんなりと見つめていた。

 

「これまでもお忙しい日々を過ごしていた一色先生です、退屈でしょうが今は体を休める良い機会だと思ってご自愛いただければ……」

 

 困ったように笑う医師に、儂は「ふん」とこれみよがしに鼻を鳴らす。

 

「忙しいのは、お前の方だろう? 院長というのも大変そうだな。親父さんの苦労が少しは身に沁みたか?」

 

 そう、この医師はこう見えてこの病院の院長なのだ。

 今は別に儂の直接の担当医ということでもないはずなのだが、顔なじみという事もあってこうして毎日顔を出してくる。全く律儀なものだ。

 

「ええ、本音を言うなら今すぐにでも戻ってきて欲しいぐらいですよ」

「そういえば、親父さんは今は?」

 

 確かこいつの親父さんも去年倒れたと聞いたな。

 こいつの親父は元々儂の親父の知り合いで、儂よりは一回り年上だったはずなのでいくらか心配ではあるが、記憶を辿っても葬式をやった記憶はないので、存命ではあるのだろう。

 

「ピンピンしてますよ。倒れる前より元気で毎日うるさいぐらいです」

「そうか、また近い内にお会いしたいと伝えておいてくれ」

 

 院長が「はい、必ず」と言って再び頭を下げると、一瞬妙な間が出来た。

 これで回診も終わりだろう。

 さて、今日はこの後どうやって過ごそう? そんな風に思考を巡らせていると、未だ帰る気配を見せない院長が何やら言いづらそうにコホンと軽く咳払いをした。

 

「えっと……それで……ですね……一色先生。折り入ってご相談がありまして」

「相談?」

 

 儂が改めて院長の方へと向き直ると、院長はキョロキョロと目を泳がせてから、引き連れていた取り巻きに何やら指示をだすと一人だけを残し、部屋から追い出しはじめる。

 一体何事か、もしや儂の体に関する重大な事だろうか? と僅かに緊張が走った。

 

「息子の朔次(さくじ)です。ほら、挨拶しなさい」

 

 医師──院長がそう言うと、院長の後ろに残された一人の男がずいっと前に出てくる。

 その男の様相を一言で表すならば、なんというか……もっさりだ。

 真っ黒な四角い縁のメガネをかけているが、その眼鏡にはチリチリとした髪の毛が廃墟に絡みつく蔦のように覆いかぶさっていて、きちんと前が見えているのか心配になるほどだった。

 

「……藤崎朔次です」

「息子? ああ、あのアメリカで医者をしていると言っていた息子か、帰ってきたのか」

 

 儂の記憶が確かならば、何年か前にそんな手紙を貰った記憶がある。

 だが……こんな雰囲気の暗い青年だっただろうか?

 儂の言葉に、朔次が隠そうともせず「チッ」と舌打ちをしたのが聞こえた。

 

「そっちは長男で、こちらは次男です」

「次男? ああ、あの後ろをちょこまか歩いてた子か」

 

 言われてようやく思い出した。

 きっと今の儂の頭の上には豆電球が光っていることだろう。

 分かりやすくポンっと手を打って、もう一度息子に視線を向ける。

 

「大きくなったな以前会った時はこんなじゃなかったか?」

「ええ、一色先生がウチに寄ってくださった時なので、確か小学校に上がる前だったと思います」

 

 儂がベッドの高さぐらい、というジェスチャーで右手を腰の辺りで振ると。院長も「ようやく伝わった」とでも言いたげに満面の笑みを浮かべてくる。

 だが、決して儂が悪いわけではないぞ?

 この院長とは随分長い付き合いだが、それ以来次男とは会っていないのだ。

 長男が優秀すぎたというのもあるのだろうが、会った時には必ずといっていいほど長男が出てきて、次男の話題自体それほど聞かされていなかった気がする。

 だが、兄弟揃って医者になったということは、やはり血は争えないということか。

 

「兄弟揃って父親の後を継いで医者になるなんて、優秀な息子達だな」

 

 儂がそう褒めると「三浪の末ですが」と頭を掻く院長を息子が睨みつけていた。

 どうやら、親子関係もあまり上手くいっていないようだ。

 

「それに問題もありまして……」

「問題?」

 

 儂が首を傾げて、息子に視線を送ると、朔次はさっと儂の目から逃げるように顔を背ける。

 院長の言う問題というものが何かは分からないが、どうにも、こいつには社会人としての常識のようなものが足りていない気がした。

 

「ええ、今はうちで働かせていて……身内の恥を晒すようで恥ずかしい話なのですが、見ての通り愛想も悪く、院内での評判も良くないという状況でして……」

「……べ、別に仕事はちゃんとしてるんだからいいだろ……」

「……とまぁ、こんな感じでして。どこで育て方を間違えたのか……長男に比べると甘やかしてしまったという自覚はあるのですが、三十も過ぎていつまでも女の影の一つもないというのは親としても心配ですし、身でも固めてくれれば少しはマシになるのではと思っている次第でして……」

 

 溜息を吐きながらそういう院長に、儂は少しだけ同情の目を向ける。

 確かに、こんな様子では患者だって体を預けたいとは思えないだろう。

 

「ふむ、なかなか個性的な成長をしたようだな」

「恐縮です。そこで、相談なのですが、良かったら一色先生のお力でうちの息子に良い人を見繕ってやってくれませんか?」

 

 儂が出来るだけオブラートに包んだ評価を口にすると、院長はぐっと一度口を結び、その後そう言って、儂の手を握ってきた。

 正直、一つ前の話の流れから恐らくそういうことなのだろうという予測はしていた。

 というか、この手の依頼が多すぎて困っているぐらいだ。

 察するなという方が難しいだろう。

 儂は別に結婚相談所を開いたつもりはないんだが……一体いつからこんな事になってしまったのか。

 

「は? や、やめろよ」

「ええい、少し黙っておけ。どうでしょう? 一色先生のお力でなんとか良い相手を探してはもらえないでしょうか?」

 

 慌てた様子で、院長に抗議をする朔次だったが、院長は相変わらず儂の手を握ったままだ。

 さて……どうしたものか。

 

「どうかよろしくお願い致します」

 

 とはいえ、断る。という選択肢は儂の中にはない。

 結婚相談所を開いた覚えはないが、合いそうな子らが居たらつい口を出したくなるというのが儂の性分でもある。

 例えそれがお節介だと言われても、この年までやめられなかったのだから今更仕方がない。

 まぁ、あくまで「良さそうな相手がいたら」というだけなので明確な答えは避けているが、今回もその一環だと思うことにしよう。

 

「まぁ……一応頭には入れておこう」

「ありがとうございます」

 

 あくまで頭に入れておくだけ、確約はしていない。

 適当な相手を紹介するつもりもないので、いなかったらそれまでだ。

 

「お、俺には心に決めた人が……!」

「どうせ一方的に思ってるだけなんだろう?」

「ち、違う! 三沢さんは……!」

「三沢?」

「……っ! いいから! 余計な事すんなよ!」

 

 まずい事を言ったと思ったのか。朔次は最後に儂の方を睨みつけてから部屋をでていってしまった。

 その様子を見て、ふと儂の中の記憶が蘇る。

 

「……お前そっくりだな」

「わ、私はあそこまで酷くはありませんでしたよ!」

「そうだったか?」

「……あまりいじめないで下さい」

 

 三十年ほど前、こいつの親父さんに頼まれて院長に嫁さんを紹介したのは儂だった。

 その時はこいつが「俺には心に決めた人が!」と散々文句を言っていたのを今でも覚えている。

 その言い方があまりにも朔次の行動とかぶっていたので、儂は思わず吹き出してしまった。

 

「コホン……それで……あの、先程の件、よろしくお願い致します。私に似ているのでなまじプライドが高く、変な相手にひっかかりそうで色々心配でして……」

「まぁ、考えておく」

 

 あくまで確約はしない。

 儂がそういって手をふると、院長は最後に頭を深く下げ「それではまた」と、部屋を後にした。

 その日の朝の回診はそんな感じで終わった。

 

 ふむ、しかしまた相手探しか。

 儂としては今は他の連中より、孫娘の相手を探してやりたいと思っているんだがな……。

 今のいろはは外面ばかり気にして男というものを根本的に勘違いしている……変な男に引っかからないか心配だ。

 

 恐らくいろはには年上の相手の方が合うのだろうという予感はある。だが、具体的にどこの誰という所まではいっていない。

 まあ最近の若者は軟弱な奴が多いのでそこまで高望みはしないにしろ、出来ればそれなりに責任感をもって、いろはを守ってくれる。そんな相手がいればよいのだが……。

 

 とはいえ、いろはの相手にしろ、朔次にしろ。まずは人となりを知らないことにはどうしようもない。

 流石に見た目だけで、相性が良いかどうかなんて分からんからな。

 

 まあその辺りは焦っても仕方がない。

 こういうのはめぐり合わせというものがあるのだ。

 儂は頭を切り替え、暇つぶしがてら先日会った身近な学生──八幡の病室へと遊びに行くことにした。

 

*

 

「ん?」

 

 点滴スタンドを片手に八幡の部屋の前までやってくると、八幡の部屋の前で扉を少しだけ開けて、中を覗いている不審な人物が居ること気がついた。

 女の子だ。年の頃はいろはと同じかそれより上という所だろうか?

 ココに居るということは八幡の知り合いだと思うのだが、だとしたら何故部屋に入らないのかが分からず、儂はその背中に向かって声をかける。

 

「お嬢ちゃん、八幡の見舞いならそんな所で覗いてないで入ったらどうだ?」

「は!? へ!? あ、その違くて! あ、違くないんだけどその! えっと……あの……!」

 

 だが、儂が声をかけると、その少女は慌てた様子で持っていた花束を振り回し、早口で意味のわからない言葉を並べ立てるばかり。

 このままでは埒が明かないと思い、儂は「少し落ち着きなさい」と一言いって、一歩前へと足を進めたのだが。

 その瞬間、その少女は

 

「こ、これどうぞ! お大事に!!」

 

 と言って、何故か儂に花束を渡し、病院の廊下をまるで百メートル走のトラックと勘違いしているのではないかと思うスピードであっという間に駆け抜けて行ってしまった。

 

「なんだありゃぁ?」

 

 あとに残されたのは、儂と花束のみ。いや、点滴スタンドもあるか。

 儂と花束と点滴スタンド。なんだかお涙頂戴ものの小説の題名のようだ。全く縁起でもない。

 しかし、これ儂が貰っていいものだったのだろうか?

 どう考えても儂の知り合いではないのだが……孫娘のいろはと似たような背格好だったのは確かだ、やはり八幡の友達と考えるのが妥当だろう。

 

「よぅ、八幡。お、小町ちゃんも来てるのか」

 

 そう結論付け、儂が八幡の部屋へと入っていくと、そこには相変わらず退屈そうな八幡と、見舞いに来ていたらしい妹の小町ちゃんの姿があった。

 

「おっさん、本当暇だな……」

「あ、縁継さんこんにちはー」

 

 挨拶をするなり小町ちゃんはすっと立ち上がり、病室に備え付けられている新たなパイプ椅子を用意し、儂に座るよう促してくれた。

 兄の見舞いに足繁く通うことといい、この子は本当によく出来た子だと思う。

 もし儂があと五十年若かったら……そして楓がいなかったら放っておかなかっただろう。

 

「ああ、ありがとう。八幡ほれお前のだ」

 

 「いえいえ」という小町ちゃんに目配せをしながら、どっこいしょと椅子に腰掛け、儂は持っていた花束を八幡へと渡した。

 

「え? 何これ?」

 

 不思議そうにその花束を見ながら、何度もまばたきをする八幡を見ていると、その間に小町ちゃんが儂の前にお茶を用意してくれる。

 本当に八幡の妹にしておくのは勿体ないな。

 

「今ドアの前に女の子がいてな、お前の知り合いだと思うんだが、花だけ渡して消えちまった」

「何それ怖い」

「女の子? お部屋を間違えたとかですかね?」

 

 儂が椅子に座り、ふぅと一息つくと、八幡と小町ちゃんが同じタイミングで首を傾げて花束を見る。

 

「いやぁ? 間違えてたら花は持ってくだろ? 普通にお前宛じゃないのか? よく思い出せ、多分お前と同じぐらいの年の、なんかこう……こんな、こんな感じの女の子だ。」

 

 身振り手振りでなんとかその子の特徴を伝えようと、胸元やらひらひらしたスカートやらを表現していくが、八幡は首を傾げ、小町ちゃんはそんな儂の様子を見ながら笑うばかりだ。

 

「縁継さんの顔のまま、スカート履いてるのを想像しちゃいました……ぷぷ」

「……というか女子だろ? 俺高校の入学式すらでてないんだぞ? そもそも俺に見舞いに来てくれるような知り合いがいない」

 

 なんだか哀しい事をさも当然という口調で得意げに言う八幡に呆れながらも、儂は続けて口を開いた。

 

「中学の時の友達とかかもしれんだろう? お前が事故にあったと聞いて見舞いに来てくれたのかもしれんぞ? ほら、思い出してみろ」

「それこそないな、もうリセット済だし」

「リセット……?」

 

 瞬時には言葉の意味がわからなかったが、少し考えてその意味を推測し、次にゲーム脳という言葉が脳裏をよぎった。

 そういえば、最近はそういうのが問題になっていると聞いたことがあるが、こいつもその口だろうか?

 やはり最近の若者というのはどうにも理解し難い部分がある。と少しだけ日本の将来が不安になっていく。

 

「……じゃあ、誰だったんだろうな」

「だから部屋間違えたんじゃないの? 知らんけど」

 

 そんな会話をしながら、ふと儂は八幡のベッドに掛けられている一枚のファイルに視線を向けた。

 それは看護師や医師が患者を取り違えたりしないために、部屋番号や担当医の名前等が書かれている確認用のファイルで、八幡の名前の代わりにバーコードと八幡の担当医の名前や、今後の治療予定が書かれている。ちなみに取り違え防止という意味で入院患者には全員名前付きのバーコードが手首に巻かれていたりもするのだが、これはこれで意外と邪魔なんだよな……。

 

「なぁ八幡、お前朔次──藤崎先生に診てもらってるのか?」

「何急に? まあ、そうだけど。何? 知り合い?」

 

 こんな偶然もあるものか、世間は狭い──というか同じ病院なのだしそういう事も当然あるのだろう。だが、これはチャンスだと思い儂は言葉を続けていく。

 

「知り合いってほどでもないんだがな、なぁお前から見て、藤崎先生はどんな先生だ?」

「どんな感じって言われてもなぁ……」

 

 儂がそう問いかけると、八幡は小町ちゃんと一度顔を見合わせてから不思議そうに口を開いた。

 

「普通の先生なんじゃないの……?」

「でも、あんまり優しい感じの先生じゃないよね、愛想が悪いっていうか?」

「そうか? 医者なんてあんなもんなんじゃないの?」

「違うよ、小町が熱出した時とかに見てくれる先生はお爺ちゃんだけどすっごい優しく話しかけてくれるもん」

 

 どうやら、八幡としては普通、小町ちゃん的にはあまり良い先生ではないという印象らしい。ふむ……。さすがにこれだけじゃ判断できんな。なら……。

 

「なぁ八幡、少し仕事をしてみんか?」

「どういう話の展開だよ。入院患者を働かせるとかブラックすぎるだろ、やだ俺は生涯働きたくない」

 

 軽い気持ちで仕事の依頼をだしたのだったが、思っていた以上の拒否反応が飛んできて思わず儂は目を丸くする。

 全くこいつは……。世間を舐めているのだろうか?

 

「そんな事いっても、いつかは働かなきゃならんだろう? そんなにきつい仕事にはならんさ、多分いいリハビリにもなるぞ?」

「断固断る」

「お兄ちゃん最近全然動いてないんだし、少しはリハビリしたほうがいいんじゃないの? ずっとベッドの上でスマホいじるか本読んでるだけなんでしょ?」

 

 小町ちゃんが援護射撃をしてくれるが、八幡の心は揺らぐ様子はない。

 やはりバイトというからにはアレがないと駄目か。

 

「バイト代はだすぞ?」

 

 一度首を振った後、視線を逸らす八幡に向けて、儂がそういって餌をぶら下げると。

 今度は分かりやすく反応を示してくる。

 

「……バイト代って? どれぐらい?」

「そうだな……簡単な仕事だしとりあえず“特装版”とかでどうだ? 引き受けてみんか?」

 

 最後に儂がそう言うと、八幡の眉がピクリと動いた。

 先日、八幡が購入したラノベ。どうやら通常版と特装版というのがあったらしく。

 八幡は特装版が欲しかったが、金がなくて通常版しか買えなかったと言っていたのを思い出したのだ。

 かなり悔しがっていたので、交渉材料に使えるだろうと思っていたのだが、思ったより効果はあったらしい、八幡は少しだけ何かを考えたあと、一度小さくため息を吐いて

 

「……何すりゃいいの?」

 

 と呟くと、続けて小町ちゃんも

 

「小町も! 小町も手伝いますよ!」

 

 と、言ってくれた。八幡に仕事を依頼したのはこれが初めてのことだった。

 

***

 

**

 

*

 

「これ、バイトの結果」

 

 それからまた数日後、検査やらなんやらで忙しい日々が続いた儂が、久しぶりに八幡の部屋に入るなり、八幡は手に持っていた小さなメモ帳を儂の方へと放り投げて来た。

 八幡に頼んだのは大したことではない。八幡の担当医にあの朔次という男の事を世間話がてら探って欲しいというものだった。

 だが、正直それほどの期待はしておらず、口頭で印象などを説明されるだけだと思っていたのだが、八幡がきちんとメモ帳を用意していた事に儂は少しだけ驚愕した。

 

「嫌がってた割にしっかり仕事してるじゃねぇか」

「今回だけだからな……」

 

 儂がそのメモ帳をペラペラとめくってみると、そこには朔次に関する様々な話が雑多に書き連ねられているのが分かる。

 量はそれほど多くはないが、少なくとも儂の知らない情報だらけなので問題はない。

 それに何より、そこにはあの時聞いた「三沢」という名前についての情報も書かれていた。

 どうやら、八幡を担当している看護師の一人でもあるらしい。

 本当に思っていた以上に優秀だ。

 

「お前、意外と探偵とか向いてるんじゃないか?」

「いやそっちの看護師関係はほとんど小町だから、俺は大したことはしてない。そもそも俺、専業主夫志望だし」

「……そうか」

 

 専業主夫志望という言葉に色々言いたいこともあったが、なんとか飲み込み、儂は再びメモ帳へと視線を落とす。

 実際、こいつが将来どんな職に就くのか少しだけ気になるところだ。

 専業主夫ということは、もうすでに決まった相手がいるのだろうか?

 だが、高校には友達がおらず、それまでの関係もリセットしたと言い張っていたはずだ、一体どこまでが本気なのか判断が難しいな。 

 

「ぶっちゃけあの先生と話してるだけじゃ碌な情報手に入らなかったからな、小町が看護師に色々聞いてたから実質小町の仕事だ」

「なら今度小町ちゃんにもちゃんとお礼しとかんとな。儂が色々動いてると思われたく無かったんで正直助かった。ありがとう」

「……まぁ、俺もこのまま報酬だけ貰うのもなんだし、もう少し調べてみる……」

 

 儂が礼を言うと、八幡が少しだけ照れたようにそう口にしたので、儂は驚きを隠せなかった、仕事なんてしたくない。働きたくないと言っていたから、責任を感じるような事はないと思っていたからだ。

 報酬も儂からすれば安価なものだったので、本当に軽く話を聞いてくる程度で終わると思ったのだが。

 責任感もいっちょ前に持っていたらしい。

 もっと適当な奴かと思ったが、こいつは案外……。

 

*

 

 そうして八幡からメモを受け取った儂は、八幡の病室を後にしてナースステーションへと立ち寄った。

 ココまで来たら目的は一つだ。

 

「三沢さんはいるかい? ちょっと話をさせてもらいたいんだが……?」

「はい? 三沢は私ですけど……なんでしょう?」

 

 ナースステーションーのカウンターで声をかけると、目の前の若い女性の看護師がそう答える。

 どうやら、いきなり当たりを引いたようだ。

 

「藤崎──朔次先生のこと、といえば分かるか? 何、悪いようにはしない、本当にちょっと話を聞きたいだけだ。儂は院長とは古い仲でね」

「……もうすぐ交代なので、その後で……その、少しだけなら」

 

 警戒しているのだろう「少しだけ」という言葉を強調しながら、こちらを探るように渋々という体で承諾してくれた。

 

「ああ、それじゃ談話室で待ってる。この時間なら人も居ないだろう」

「はい……」

 

 談話室は入院患者が見舞客と話すためのスペースだ。

 テーブルごとに仕切りもあるし、夕食前のこの時間ならほとんど人が居ない、声が漏れることもないだろう。

 そう考え、儂は一足先に談話室へと足を進めていった。

 

*

 

「さて……まずは自己紹介だな。儂は一色縁継、見ての通り入院中の身だ」

「お名前は存じております、三沢美津葉(みつは)です」

 

 やがて私服姿で現れた三沢嬢に、儂が自己紹介をすると、三沢嬢も深々と頭を下げて名乗ってくれた。突然の呼び出しにも関わらず礼儀もしっかりしている出来たお嬢さんだ。

 儂は予め購入しておいた、コーヒーとお茶のペットボトルを三沢嬢の前に出し、好きな方を選ばせてから、ふぅっと、一度息を吐いて本題に入った。

 

「いきなり呼び出されてアンタも不安だと思うので、単刀直入に言おう。ちょっとした縁でここの院長から、息子──朔次の嫁探しを頼まれた。だが、息子の方には想い人がいると聞いている、もしその相手がアンタで、二人が好き合っているというなら、儂の方から特に何かしようとは考えておらんから正直に教えてほしい。おまえさん達は……好き合ってるのか?」

 

 あまり長引かせても悪いと思い、儂が一気にそう言うと、三沢嬢は「ああ、その話か」とでも言いたげにげんなりとした表情で一度首を振る。

 

「いいえ……、藤崎……朔次先生とは、タダの同僚。同じ病院で働く先生と看護師というだけです。ソレ以上でもソレ以下でもありません」

「ふむ、だが。どうにも病院内での噂を聞いた限り、それだけではないように思えるんだが?」

 

 儂は八幡の仕入れた情報を元に、三沢嬢と会話を続けた。

 八幡から聞いた話では、どうにもこの二人が付き合ってる、それどころか朔次が次期院長候補であり、三沢嬢はその夫人であるという噂が流れているらしいのだ。

 

 では何故そんな噂が立っているか? というと。

 朔次が何かに付けて院内で三沢嬢を贔屓しているというのが多くの看護師の見解らしい。

 具体的な内容としては三沢嬢の夜勤シフトを減らし、無理矢理他の看護師に回すという露骨なものから。

 他の看護師がミスをした時には鬼のように叱責したのに、三沢嬢が同じようなミスをした時は何もしないというもの。

 自分の回診の時には必ず三沢嬢が付いてくるように指示していたりもするものなど、とにかく多岐にわたる。

 当然、反感を持つものも少なくないが院長の息子であり、次期院長候補からの指示なので誰も文句は言えない。

 だが、視点を変えるとまた別の物も見えてくる。

 

「その……これはあまり他言しないで頂きたいのですが……」

 

 三沢嬢によると、そういう事はやめてくれと何度も言っているそうなのだ。

 実際既に仕事に支障が出ている。

 一部の看護師からは陰口を叩かれ、仕事もしにくくなっているらしい。

 まあ、それはそうだろう。

 よほどの神経の持ち主でなければそこまで露骨な扱いを受けて喜ぶ者は居ない。

 ましてや好き合っているわけでもないなら尚更だ。

 

 朔次本人が元々コミュニケーション能力に難がある奴だという話でもあるので、少し行き過ぎた愛情表現をしているという部分が強いのだとは思うが。

 好意自体には三沢嬢も気が付いてはいるので、遠回しに断っても通じないので困っているらしく、気難しい人物ゆえ下手に刺激するのも怖いのだという。

 

「それは中々大変そうだな……」

「……正直どうしたらいいか分からなくて……」

 

 頭を抑えながらそういう三沢嬢に、儂は少しだけ同情した。

 全く、院長もとんでもない依頼をしてきたものだ。

 そもそも人間として未成熟ではないか、これではまともな相手を見つけるのも一苦労だ。

 

「一応……これは確認なんだが、あんたが朔次を選ぶっていう選択肢はないんだな?」

「はい……その……実は私、来年には実家に帰ろうと思ってるんです」

「ほう、それは朔次が嫌で?」

「いえ、元々決めてたんです、お爺ちゃんが青森で小さな町医者をやってまして、そこの手伝いをするのが小さい頃からの夢だったんです」

 

 そういう三沢嬢の目には先程までの弱々しさは消えて、強い力が宿っていた。

 よほど強い思いがあるのだろう。

 会ったこともない祖父に思わず嫉妬心を抱くほどだった。

 いろはがこんな事を言ってくれる日は来るのだろうか?

 

「祖父が一度は大きな病院で働いてみるのも良い経験になるからって背中を押してくれて、五年間こっちで働いたらその経験を生かして、祖父の病院に戻ろうと思ってたんですけど……」

 

 それがこんな事になるとは思っていなかった。という言葉の代わりに溜息を吐くと。

 力なく微笑んで、先程渡したペットボトルの蓋を開けた。

 

「なるほど、孝行な娘さんを持って、お祖父様もさぞ幸せだろうな」

「そうでしょうか? そうだといいんですけど……」

 

 相変わらず力なく笑う、三沢嬢。

 その姿をみて、儂もつい応援したくなってしまう。

 

「だから、藤崎──朔次先生とはそういう事は考えられないんです。ご本人もこの病院を継ぐ気のようですし」

「まあ、そうだろうな」

 

 既にこの病院の院長は二代続いて藤崎家が担っている。

 今後三代目として長男の方に継がせる可能性もあるが。その長男が日本を離れている今、朔次が自分が次期院長だと考えるのはありえない話ではない。

 三沢嬢に対する態度も調子に乗った結果とも言えるのかもしれない。

 

「ですから、朔次先生には私以外のかたと幸せになって欲しいと思っています……」

「ふむ……これはあくまで儂の直感だがな、アンタと今のアイツが合うとは思えん。仮に今のままなにかの間違いで二人が結婚までいっても同居生活に嫌気が差して離婚となるのがオチだろうよ。まあ心配すんな、無理矢理どうこうさせようとは思ってないし、儂がさせない。安心してほしい」

 

 儂がそう言うと、三沢嬢は少しだけ安堵の表情を浮かべ、頭を下げた。

 

「というか、いっそきっぱり振っちまえばいいんじゃねぇのか?」

「告白もされてないのにですか? それこそ何を言われるか……」

 

 プライドを傷つけられた、と思って逆に嫌がらせをされる可能性もあって怖いのだという。

 

「ふむ……なら儂の方から叱っておこうか?」

 

 むしろ親の方も一度呼び出して叱りつけたい気分だったので、儂が軽くそう提案したのだが……

 

「や、辞めて下さい! そんな事してそれこそ逆恨みでもされたら……」

 

 三沢嬢は慌てて両手を自分の前で振り儂の提案を拒否した。

 

「だが、そうしないといつまで経っても解決しないだろう?」

「何とかしていただけるなら助かりますけど……その……あまり私の事とかは抜きで……相手を怒らせない方法にしていただけると……」

 

 そう言われて儂は口ごもってしまう。

 今回の件で三沢嬢の事を話さずに三沢嬢を諦めさせるというのは非常に難しい。

 

「分かった。何か……考えてみる」

 

 最悪贔屓をやめろ、程度の事は言えるかもしれないが、それでは根本的な解決にはならない。恋は盲目とも言うからな。

 叱る以外に何か良い方法があるのだろうか?

 一度ガツンと言ってやったほうが良いのではないかと思うのだが……。

 

「ありがとうございます。まぁ……どうにもならなかったとしても、あと一年の辛抱ですから……」

 

 そう言うと、三沢は少し困ったように、そして泣きそうな顔でくしゃっと笑った。

 

 

 

*

 

「と、言うわけで、概ねお前の調べた通りだったんだが……お前ならこの後どうする?」

「いや、どうするって、何その話? 俺が聞いてもいい奴?」

「まあ、お前が外に漏らさなきゃ問題ないだろ。これも仕事の一貫だ」

 

 翌日、儂は病院の屋上で八幡に事情を説明していた。

 実の所三沢嬢と話した後、儂はとりあえず一度朔次と話をしようと朔次に会いに行った後だったりもする。まぁ「忙しい」「あなたと話すことはない」と聞く耳をもたず一方的に追い出されてしまい、何の成果も得られなかったのだが。さて、どうしたものか……。

 

「……つか、おっさんが乗り込んだのはかなりの悪手だと思うぞ……? そもそもおっさんは何がしたかったの?」

 

 八幡にそう問われ、儂は少しだけ頭を捻った。

 ……儂は一体何がしたかったのだろうか?

 繰り返すようだが儂は結婚相談所をやっているわけでも、恋愛相談を受け付けているわけでもない。

 今こうしているのも暇つぶしという意味合いの方が大きかったりもする。

 とはいえ、昔からの友人でもある院長の頼みだ、手っ取り早く朔次に合いそうな奴がいれば紹介してやりたいという程度の人情もないわけではない。だが、頭の中にアイツに紹介できそうな奴も思い浮かばないので、どうしようもない。それに何より、すでにアイツの心に三沢嬢がいるのであれば、どちらにしろ一度諦めさせないといけない。

 そして、三沢嬢自身もそれを望んでいる。

 だから変な嫌がらせだけでも辞めるよう一度お灸を据えてやろうと思っていたのだが……。

 ……出来るだけ波風の立たない方法を取ってほしいとも言われているのだ。

 儂は一体何をしに行ったのだろうか?

 

「……八幡から見て今の状況を打開する手段はあると思うか? 儂としてはやはり直接言ってやった方が早いと思うんだがな」

 

 叱るというのも一種の愛情だ。

 儂のやり方が間違っているとも思えない。

 少なくとも儂はこの年までそうやって生きてきた。

 

「正直、おっさん──というか第三者にそれをされたあとの逆恨みが怖いってのは少し分かる。あの先生結構プライド高そうだからな、ああいうタイプは切れたら何するかわからないし。もう手を引けば?」

 

 だが、八幡は真正面から儂の生き方を否定し、その上で最後に「ま、俺には関係ないけど」と無責任に呟き空を仰ぐ。

 放っておきたいのは山々だが、儂としてはもう三沢嬢の心の内を聞かされてしまっている。

 あんなに祖父思いの子が苦しんでいるというのは見るに堪えないのだ。

 

 そもそも好いた女に気持ちが届かなければ後は努力するなり、諦めるなりするものじゃないのか?

 独りよがりの方法で『私はアナタの事を思っています』とアピールされてもそれが相手にとって迷惑なのであれば意味がないではないか。

 やはり儂としては朔次にガツンと一言言ってやりたくなる……なんなら拳骨を食らわしてやりたい気分だ。

 だが、そうして拳を握り込む儂を見て、何かを察したのか八幡が小さく首を振る。

 どうやら、やめろ。という事らしい。結局堂々巡りだ。

 

 そんな事を考えながらベンチの背もたれに体を預けると、ふいに誰かが屋上に出てくる気配を感じた。

 

「おい! 八幡! 隠れろ!」

「へ?」

 

 見えた人影は二つ。

 一人は朔次、そしてもう一人は、昨日とは随分雰囲気が違うが看護師姿の三沢嬢だ。

 儂は慌てて、八幡の頭を下げさせると、ベンチの影へと隠れる。

 

「ごめんね、三沢さん、急にこんな所まで付いてきてもらって」

「……いえ、あの……なんですか? 私すぐに戻らないといけないんですけど……」

「ああ、大丈夫。君の仕事はちゃんと他の人に代わって貰うよう言っておいたから」

「あの、こういうの本当に困るんですけど……」

「ふ、ふふ、気にしなくていいよ。朝から急患で疲れただろう? 僕と一緒なら怒られないさ」

 

 お互い日本語を使っているはずなのに、まるで会話になっていないような会話を繰り広げ、徐々にこちらに近づいてくると、二人は丁度屋上への入り口と儂らの間にあるベンチの辺りで立ち止まると、先にベンチの座った朔次が、鼻の下を伸ばし、三沢嬢に自らの隣に座るよう何度も指示を出していた。見るからにエロオヤジという雰囲気だ。

 当然三沢嬢もソレには従わず「ここで大丈夫です」と何度も断りながら距離を取ろうとしているが、「いいからいいから、ほらほら」と何度もベンチを叩いている。

 

「駄目だな、やっぱりここは儂がガツンと……!」

「待てって……」

「離せ八幡!」

 

 もう我慢出来なかった。

 儂は八幡の頭を押さえつけていた手を握り込み、そのまま二人のところへ行こうと力を込める。

 

「はぁ……仕方ない……これも仕事か……」

 

 だが、八幡は溜息を吐きながらそう言うと、立ち上がろうとした儂と入れ変わるように、スッと立ち上がり、スタスタと二人の元へと向かって行ってしまった。

 儂は一瞬何が起きたのか分からず、思わずあっけに取られぽかんと口を開ける。

 アイツは一体何をするつもりなのだろう?

 儂も行ったほうがいいのだろうか?

 だが、アイツの考えが分からず、儂は結局年甲斐もなく一人そのままぽつんと八幡の背中を眺めることしかできなかった。

 一歩一歩確かめるように二人の元へと近づく八幡に、やがて三沢も朔次も気がついたようで、二人の視線が八幡へと集まっているのが分かる。

 

「あれ、君は……」

「比企谷くん?」

 

 二人が八幡の姿を捉えても、八幡は止まらない。

 ズンズンと進みながら、朔次の前を通り過ぎ、やがて三沢の前で止まる。

 

「ずっと前から好きでした! 俺と付き合って下さい!」

「!?」

「!!」

「?!」

 

 三者三様の驚きが屋上を支配した。

 しかし、次の瞬間三沢が儂の存在に気付き、目があう。

 だから、儂は無言で一度頷いた。

 それで何かを察したのか、三沢は驚きの表情を隠し、真面目な表情へと切り替えていく。

 

「……ごめんね比企谷くん。私、今は誰とも付き合う気はないの。誰に告白されても付き合う気はないの。今は仕事に集中したくて。私ね、来年から青森にある実家の病院の手伝いをするつもりなの。それが小さい頃からの夢だった。だから今は恋愛とかに時間を割いてる余裕がなくて、今この瞬間もすぐに仕事に戻って看護師としてレベルアップしたいと思っているの。だから、ごめんなさい」

「……そうですか。なら、仕方ないですね」

 

 驚いた。

 本当に驚いたとも。

 

 ガツンとやられた。

 頭を殴られるような衝撃、なんてもんじゃない。

 自分が年老いたという現実をまざまざと見せつけられた気分だった。

 

 やがて、三沢嬢がペコリと一度頭を下げ屋上を後にすると朔次が「比企谷くん……君は……」と「いや、なんでもない……」と言って屋上を出ていった。

 あとに残されたのは儂と八幡だけだ。

 

 こんな奴が……こんな馬鹿がまだいたのか。

 最近の若者は軟弱者が多いと思っていた、いろはの前でもつい「儂の若かった頃は」と昔の自分がいかに凄かったか語った事もあった。

 だが、儂にあんな事ができるか?

 いや、出来ないだろう。

 儂にはあんな若さはもうない。

 

 ふと握りしめていた手の平を開けば、そこには皺くちゃの爺の手があるだけ。

 だから、ただただ嫉妬した。その無鉄砲さに。その実直さに。その若さに。

 儂はこんなにも年老いてしまったのかと、落ち込んだほどだ。

 ただの思い上がった若造の拗らせ恋愛の一つや二つ、儂が適当に叱りつけて、それでオシマイだと思っていた。

 だが、アイツは儂の思いつかない方法で、自分の身一つでこの場を乗り切ったのだ。

 これで朔次も三沢嬢の思いに気付いただろう。気付かない方がどうかしている。

 その上でまだ仕事に支障をきたすやり方を取るならソレこそ上の奴が叱ればいい。

 あいつは三沢嬢の気持ちをもう知ってしまった、その上で仕事の邪魔をするのであればそれは愛情表現ではなくただの嫌がらせでしかない。

 

 八幡のやり方は決してスマートなやり方とは言えないし、今後もこの方法が取れるか? と聞かれれば当然否だ。決して褒められたやり方でもない。

 だが、今この場においてあいつのやり方がベストであったことは誰にも否定できないだろう。

 

 しかし、それでも一つだけ分からない事があった。

 

 儂は、屋上から三沢嬢と朔次が完全にいなくなったのを確認してから、八幡の元へと歩み寄り、それを確認しにいった。

 

「お前、なんであんな事を?」

 

 八幡は、つい今さっきも「俺には関係ない」といい、この状況には微塵も興味を持っていない様子だった。

 八幡にはあんな事をする理由が一つもないはずなのだ。

 

「……さっき自分でこれも仕事の一貫だって言ってただろ? だから仕事だよ……特装版忘れてないからな?」

 

 だが、八幡はこともなげにそう言って、少しだけ恥ずかしそうに儂の目を見る。

 その姿に、儂は一瞬あっけに取られてしまった。

 そして同時に笑いがこみ上げてくる。

 どうやら、こいつは思っている以上に捻くれているらしい。

 

「は……はは、はははは! はははははは!! お前、最高だな!!」

「まぁ……楓さんからも頼まれてたしな……って、痛い、痛いって! そこヒビ入ってるから! 折れる折れる! マジ辞めて下さいおねがいしまずぁ痛ぇぇぇぇ!!?」

 

 バンバンと八幡の肩を叩きながら、儂は大いに笑う。

 一瞬楓の名前が出た気がしたが、そんな事は気にもならなかった。

 比企谷八幡という男の本質が少し見えてきた気がしたからだ。

 目が腐っていると思っていたが、どうやら性根は腐っていないらしい。

 こいつは、思っていた以上の逸材かもしれない。

 綺麗事を並べ立て、いざという時に動けないという人間を儂はこれまで嫌というほど見てきた。だが、こいつは口ではなんだかんだ言いながら、動くべき時に動ける。

 それは一つの才能だ。

 思い返してみればこいつが入院する原因もそうだった。儂がこいつに惹かれたのはそういった部分もあったのかもしれない。

 

 朔次のように、他者の気持ちへの配慮が出来ず、自分のことしか考えられない若者がいる昨今、こんな男に出会えたことは幸運といえるだろう。

 まだたった数週間の付き合いだが、こいつなら……。こんな男になら儂の大事な孫娘を任せられるのではないだろうか?

 もちろん、全く不安がないわけではないが、こいつはまだ高校生。未来に投資するだけの価値はある。

 手をこまねいていれば、こいつの魅力に気付く奴もゴロゴロ出てくるだろう。

 だから早めに手を打っておきたい。

 

 勿論、突然そんな事を言っても、こいつもいろはも承諾しないだろうなぁという予感はある。

 お互いまだ若い。納得させるのは随分と骨が折れそうだ。

 

 そう考え、儂は青空の下で何年ぶりかの大笑いをしたまま。その空に二人の許嫁計画を描き始めていた。




というわけで世にも珍しい縁継さん視点でした。

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