やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。 作:白大河
とうとう7月に入りましたね。
梅雨もまだまだ明けず、大雨警報が出ている地域もあるみたいですが、皆様十分にお気をつけください。
卒業式も終わり、三学期も残す所終業式のみとなった俺は、その日いつものように午後の授業を終え帰宅しようと自転車を転がしながら校庭へと歩いていた。
最近はめっきり通常運転だ。
こんなに穏やかな日々はイツぶりだろう?
一色からの連絡もなくなり、おっさんからの呼び出しもない。
やはり、一色が俺との許嫁関係を続けたいというのは何かの間違いだったのだろう。
ようやく踏ん切りもついた。なんだか随分と長い夢を見ていた気分だ。
一応、まだ契約解除という課題は残されているが、この状況を見ればもはやおっさんも文句を言うまい。
春休み中に適当におっさんに契約解除を申し入れ、ソレで終わりになるはずだ。
なんなら最近話題の退職代行サービスみたいなのを利用してもいいかもしれない。
いや、まぁバイトも終わって収入も無くなったので、流石に本気でそんな業者に頼む気はないが……。
そんな事を考えながら、俺は自転車置き場から校門へと向かい歩いていく。
この時期は三年生がまるまるいない時期でもあるので、校庭を歩く生徒の数が目に見えて少ない。肩をぶつけられる心配もないので一安心だ。
いや、まぁ今んとこぶつけられたことないけど。
だが、あと一ヶ月もすれば今度は新入生が入ってきて以前と同じ見慣れた光景が広がるのだろう。そしてその中には一色が混じっているのだ。
「見かけても、他人のふり出来るようになっとかんとな……」
思わずぽつりと呟いてしまった。
こうやって考えている事自体が、意識している証拠ではないか。
全く嘆かわしい、しっかりしろ比企谷八幡。
そう、例えこうして校門の所に一色が立っていたとしても、「センパーイ」と手を振っていたとしても、強い心を持って視線をあわせず他人のふりをするのだ。
今後アイツが先輩と呼ぶ人間は増えるだろうからな。
勘違いはしない、平常心平常心……ん?
だが、そうして校門を通り抜けようとしていると、突然持っていた自転車にものすごい負荷がかかった。
まるで誰かに自転車を押さえつけられてるような……?
「な・ん・で・無視するんですかぁ!」
ふと振り返ると、一色が俺の自転車の荷台の部分を両手で掴みグイグイと引っ張っていた。あれ? なんでここに一色が? Youは何しに総武へ? まだ新学期始まってないよ?
もしかして校門をくぐった瞬間に時間軸を超えてしまったのだろうか? 今はもう四月なのか?
とうとう俺の中に眠っていた力が目覚めて……っていかんな、これじゃぁ材木座と同レベルだ。
俺は頭を振ってもう一度一色の方へと視線を向ける。
ワンチャン他人の空似のそっくりさんが俺と誰かを間違えて引き止めたという可能性も考えられたが、うん、やはり一色いろはだ。間違いない。
俺が改めて一色の顔を確認すると、寒さのせいか少しだけ涙目の一色は小声で小さく「本当にリセットされちゃったかと思いました……」と言いながら荷台から手を離した。
ふむ、こいつもこの時期には関係をリセットする派か。
一色レベルでもリセットを考えているのだから、やはり一般的な感覚なのだろう。
「いや、なんでお前がここにいんだよ。入学式にはまだ早いだろ」
「入学式っていうか……うちの中学今日が卒業式だったんですよ、だから来ちゃいました」
まったくもって意味がわからない、なぜ一色の中学が卒業式だと総武にくることになるのだろうか? ああ、もしかして入学の手続きとかそっち系か?
「なるほど……んじゃまぁ俺は帰るからガンバ……」
「待って下さいよ! なーんーで! 帰ろうとするんですか!」
再び歩みを進めようとすると、一色が再び荷台を引く。
なんだこれ。
すれ違っていく総武生達が「なんだあれ」と好奇の視線を投げていくのが妙に気恥ずかしい。
「なんなんだよ……学校に用があるから来たんじゃないの?」
「総武っていうか、センパイに会いたかったから来たんです!」
頬を膨らませながら語気を荒げる一色に、俺は思わず首を傾げた。
俺……?
「俺?」
「はい」
なんだろう、何か企んでいるのだろうか? 正直嫌な予感しかしない。
またおっさんからの指令か?
やだな~怖いな~怖いな~。
「センパイ、デートしましょ♪」
だが、少しだけ身構えた俺に、一色が告げてきたのは、そんな意味のわからない言葉だった。
「は?」
でーと???
なにそれおいしいの?
*
校門前では人の目があるので、俺達は並んで通学路を歩き始めた。
さすがに今度は荷台を押さえつけるようなマネはしてこない。
このまま家に帰ってしまえばこちらのものだろう。
「っていうか、今日卒業式だったなら午前中で終わりなはずだろ? まさかずっと待ってたの?」
そう言って、俺は一色を見る。
一色は春先っぽい薄手のコートこそ着ているが、どう見ても制服だ。
現在の時刻は十四時を過ぎた所。
仮に卒業式が十二時に終わったとしても二時間は待っていたことになる。
「いえ、流石に一度帰りましたよ? 荷物もありましたし。でもほら、男の人って制服とか好きじゃないですか? センパイも私の現役最後のセーラー服姿見ておきたいかなぁ? って思って」
「現役って……」
その言い方だとまるで現役以外の利用法を考えているみたいな印象をもってしまうのだが……さすがに俺の考えすぎだろうか?
何か変なバイトとか始めませんように。
そして小町に悪影響を与えませんように。
「……で、なんでデート? またおっさんに何か言われたの?」
なんだかソレ以上質問をするのは少し怖い気がしたので、追求をやめ本題へと入った。
まあ、そっちも別に聞きたい話でもなかったんだけどな。
「えー、だって今日とか暇じゃないですかぁ?」
だが、俺の質問に一色はとぼけた口調でそう答えた。
「いや、知らんけど……」
卒業式の後何をしてたか? と問われても俺自身何したか覚えていないので、暇なのは理解できなくもない……が、だからといって俺を巻き込まないで欲しい。
そう思って俺は一色を振り返ったのだが、一色はキョトンとした顔で俺を見つめてくる。
「センパイのことですよ?」
なぜ俺が暇だと思われているのだろうか。
俺にだって予定の一つや二つや三つや四つ絞り出せばあるというのに。
えっと……今日は……えっと……。絞り出せ、絞り出せ……。
「……俺は今日は……帰ったら千葉テレビでプリキュアの再放送見なきゃいけないんだよ」
「つまり、暇ってことですよね?」
あれ? おかしいな? 今予定があるって言ったよね? なんとか絞り出したのだからきっちりカウントして欲しい。
なんで『アニメを見る』という趣味の時間を用事としてカウントしてくれないの? ホワイジャパニーズ ピーポー? コンナノゼッタイオカシイヨ!
「プリキュア見るって言ってるだろ、今日は……大事な回なんだよ」
多分。
「でもセンパイ、動画見放題入ってるからいつでも見れるんですよね?」
「う……なぜソレを……」
突然の一色の言葉に、俺は思わず歩みを止める。
すると一色は少しだけ得意げに笑って人差し指を立ててこういった。
「お米ちゃんに聞きました」
やはり、こいつと小町を出会わせたのは失敗だったかもしれない。
プライバシーもなにもあったものではないではないか。
そう、夏に一ヶ月無料の動画見放題サービスに入って以来ハマってしまい。その後サービスの利用を継続しているのだ。
まあぶっちゃけアカウント一つで家族も楽しめるのと、小町や親父も見せろ見せろと煩いので、交渉して料金は折半という形に収まっているので俺の出費はそこまでではない。
「というわけで、デートしましょ♪」
どうやら、これ以上問答をしても無駄なようだ。
仮にこのままゴネても、こいつはこのまま家まで付いてくる算段なのだろう。
まあ、恐らくは葉山とのデートの予行演習という名目も兼ねているのだろうが……。
小町やおっさんに報告でもされたらそれこそ面倒くさい事になりかねない。
ならば、ここらで折れたほうが最終的には体力の節約に繋がるか。
「はぁ……で、どこ行くの?」
*
その後、自転車をUターンさせ、一度駅まで戻ると。俺は電車に押し込まれ気がつけば東京BAYららぽーとに連れてこられていた。
映画館も入っている、千葉の高校生御用達のデートスポットである。
「えっと……それで、ここからどうしましょう?」
「何? ここに用があったんじゃないの?」
「いえ、特には。センパイとデート出来たら良いなぁって勢いで出てきちゃっただけなので」
「なにそれ……」
この子、思ったより頭が可哀想な子なのだろうか?
総武受かったんだし、それなりに出来る子だと思ってたんだが……。
いきあたりばったりにも程がある。
予行演習ならせめて予定ぐらい立てて置いて欲しい。
はぁ……。
「むー、センパイもちょっとは考えて下さいよ、私の初デートなんですよ?」
「いや、俺も……」
「デートなんてしたこと無い」そう言いかけて思わず口をつぐむ。
いや、俺小町とめっちゃデートしてるな?
ということは俺はデート上級者だったのか?
なるほど、指導官としてはコレ以上無い相手だったのかもしれない。
「そっか……センパイも初めてなんだ……えへへ♪」
だが、そんな事を考えていると、一色が何やらブツブツと呟きながらにやけだした。
なんだか不気味だ。
きっとまた碌でもない事を考えているのだろうか何をさせられるのか、ちょっと怖い。
「んで、結局どこ行くの?」
「センパイが行きたい所ならどこでも♪」
「んじゃ帰る……」
「わー! 待って下さいよ! あ、じゃあこれ! 映画! 映画見ましょうよ! ほら、センパイこういうの好きじゃないですか」
俺が踵を返すと、一色が慌てた様子で俺の腕を掴み、目の前にあった映画のポスターを指差す。
そして俺はその指の先にあるポスターを見て驚愕した。
これは……なにかの間違いだろうか?
俺は夢を見ているのか?
本当に……?
本当に一色はこのポスターを指差しているのか?
「え……マジで? これ見るの?」
「センパイ、好きなんですよね?」
「まぁ……その……好きだけど……」
俺がそう言うと、一色は我が意を得たりという顔でニヤリと笑った。
そう、卒業シーズン、春に見るべき映画といえばこれしかないだろう。
プリキュア春の劇場版だ。
大体二月の末頃に始まる新プリキュアがオールスター等と銘打って、旧作──先輩プリキュア達と邂逅する春の劇場版。
新旧揃い踏みの豪華な演出にファンは歓喜の涙を流し、思わず「がんばえーぷいきゅあー」と幼児退行してしまう。
俺も、出来ることなら毎年見に行きたいと思っているぐらいだ。
だが、一つだけ問題があった。
プリキュアは世間的には女児向けアニメとして評価されている。
男の大きなお友達が一人で見に行くには非常にハードルが高いのだ。
まぁプリキュアは基本的には中学生なので、中学生ぐらいまでなら問題ないと思っているし、 実際二年前までなら問題はなかった、俺が中学生、小町はギリギリ小学生だったので小町を連れて見に来ることが出来たからだ。
だが、今の俺は高校生。
去年は事故で見に行けなかったし、今年は既に声をかけたが断られている。
流石に劇場に見に行くのは諦めて配信か円盤を待つべきかと思っていたのだが……。
一色は今日が卒業式とはいえギリギリ中学生。実質プリキュアだ。
そんなプリキュアが俺に一緒に映画を見ようと誘っている。
これはなにかの罠だろうか?
「……いいの?」
「はい♪」
俺が恐る恐るそう聞くと、一色は一言そう言って頷くと、俺の腕に巻き付いてくる。
どうやら、冗談ではないらしい。
「あ……、でももう始まってるみたいですね……次の上映時間まで待ちます?」
一応子供向けアニメというのもありプリキュアの映画はそれほど長くない。
次の回を見ても、夕飯には十分間に合うだろう。
「まぁ……じゃぁそうするか」
「じゃ、しばらく時間潰すってことで」
そうして俺達はららぽ内へと入っていった。
*
「センパイセンパイ、これとこれだったらどっちが可愛いと思います?」
「んー……? 違いがわからん」
「ちゃんと見て下さいよ、全然違うじゃないですか! ほら、やっぱこっちの方がよくないですか?」
俺達は時間を潰すために適当にららぽ内を散策することにした。
今は服売場で一色が総武の制服に合わせられるコーデとやらを試している最中だったりする。
デートの定番、女子の買い物に付き合わされる系男子。
まぁ、本人セーラー服なんだけどな。
時間潰しが目的だというのに、何故か一色のテンションは高く、ご機嫌だ。
「……なぁ、さすがにそろそろ行かない?」
「えー? まだ上映時間まで三十分はあるじゃないですか、もうちょっと見て行きましょうよ」
「でも、買わないんだろ?」
次の上映回を見るとは言え、すでに一時間近くここでこうしている。
しかも一色はさっきから商品をとっかえひっかえして悩んでいるが、終始「見るだけ」と自分に言い聞かせているのだ。
完全に冷やかしである。
「……はい。今月は他にも入用なので……」
入学の準備で色々と入用であまり金は使えないらしい。
それなのに、この後映画なんて見ていて大丈夫なのかとも思うのだが、それぐらいの余裕はあるようだ。
ただ個人的には先にパンフを買いたいのでそろそろ向かいたい……上映後だと本来の対象年齢のお子様達がグッズ購入に並び始めるから肩身が狭くなるのだ……。
「はぁ……しょうがないですね……それじゃ、そろそろ行きましょうか」
「おう」
そんな俺の願いが通じたのか、ようやく一色がそう言うと、持っていた商品を棚に返し渋々という顔で店を出る。
そうして、ようやく俺たちはエスカレーターに乗って映画館へと向かうことにした……のだが。
「センパイセンパイ! 見て下さいよ、あの子可愛くないですか?」
次のエスカレーターに乗り換えようとしたところで、またしても一色に腕を引かれた。
今日何度目だろう? 俺、いつかこの子に腕引っこ抜かれるんじゃないかしら?
そんな事を考えながら、一色の指差した視線の先を見ると。そこにはゲームコーナーがあるのが見えた。
どうやら一色はそのゲームコーナーに置いてあるクレーンゲームに興味を示しているようだ。
クレーンゲームの中には人気のソシャゲのキャラのぬいぐるみにまぎれて、一匹だけぽつんとデフォルメされた目付きの悪い狐のぬいぐるみが陳列されているのが見える。
いや、まぁ狐はデフォルメされたら大体目つき悪いか……。
「金無いんじゃなかったの……?」
「一回! 一回だけですから」
「はぁ……一回だけだぞ?」
まぁ、ポップコーンを買うのに並んだりしなければ問題ないか……と。俺は諦めてそう一色に告げる。
見た所、明らかに一匹だけ毛色が違うので、売れ残りが混じったのか、ディスプレイ用のものが倒れてきたのだろうか? クレーンの可動域ギリギリのラインにあるので、正直取るのは難しそうだ。
そう考え、俺は首だけを動かして周囲のクレーンゲームを確認する。
もし同じぬいぐるみが他の台に入っているならそちらの方が狙いやすいだろうと判断したためだ。
だが、いくら見回してもその狐が入っているのはそのクレーン一台だけ。
ふむ、なら売れ残りの線が濃厚か。店員に頼めば良い位置に移動してもらえるかもしれない。
丁度店員が一人こちらに近づいてきているのが見えるし、どうせ強請られるなら先に手を打って……。
「ちょっと待ってろ……」
「え?」
しかし、そうして俺が店員の元へと一歩踏み出すと同時に、一色は百円玉を入れ、クレーンを動かし始めていた。
「だ、駄目でしたか?」
「いや、駄目じゃないけど……」
てっきり強請られるものだと思っていたから、拍子抜けしてしまった。
一色はそのまま無言でクレーンを動かし、狐を狙っていく。
だが……片方のアームが狐の鼻を擦るだけ。クレーンは何事もなかったかのように定位置へと戻っていった。
「あー! もう一回!」
なんだろう……この光景、つい最近どこかで見たような……。
ああ、そうか。おっさんか。
おっさんがクレーンゲームをやっていた時の雰囲気に似ているのだ。
これが一色家の血筋というやつなのかもしれない。
俺は悔しがりながらも二度三度と金をつぎ込む一色に思わず笑みを零す。
だが、それがお気に召さなかったのか、一色は頬を膨らませながら、俺をにらみつける。
「もう! 笑ってないでセンパイも手伝って下さいよ! う……百円玉がない。この五百円玉で……」
どうやらおっさんほどの財力はないらしい。
当たり前といえば当たり前だが、俺はその様子に少しだけホッとして、改めて店員を探した。
おっさんみたいに千円札をどんどん崩していったら流石に心配になる所だからな。
お、いたいた。
「だから、ちょっと待ってろ」
「へ?」
俺は一言だけ一色にそう告げ、今度こそ近くの店員に景品の移動を依頼すると、やはり処分品だったのか取りやすい位置に動かしてくれたので、俺がそのままその狐をゲットし、一色に押し付けるように手渡した。
……本音を言うと店員に直接やってもらいたかったのだが、店員は何を勘違いしたのかぬいぐるみを取りやすい位置に動かすと、俺にサムズアップとウインクを投げてきたので仕方なく自分でやるはめになったのだ。まぁ結果オーライなので良しとしよう。
「へ?」
「何? 要らなかった?」
不思議そうな顔で俺を見つめる一色に、俺は戸惑う。
あれ? これほしかったんじゃないの? もしかして「お前が取ったやつなんていらねーよ」とかそういうアレですか?
「いえ……いります……。まさか、取ってくれるとは思ってなかったので……」
「まぁ、その……あれだ、合格祝いみたいな感じで……」
だが、一色はなんだか妙にしおらしくその狐を受け取ってくれたので、俺が思わずそう告げると、一色は小さく「……合格祝い……」と呟き、狐の顔を覗き込む。
「……ありがとうございます。大事にしますね」
そして次にギュッと狐を抱くと、一色はそう言って「えへへ」と笑った。
どうやら無事受け取ってもらえたようだ。
正直俺はその狐をそこまで可愛いとは思ってなかったし、持って帰っても置き場所に困ったからマジ助かった。
一体一色はあの狐の何が気にいったのだろう。
女子分からん。
「んじゃ今度こそ……」
「あ、センパイ。まだちょっと時間ありますし、どうせならプリも取りませんか?」
「プリ?」
プリというのはあれだ、所謂プリクラ。
その場でシールやら証明写真やらにしてくれるという陽キャ御用達の外で写真を取る機械だ。
ただ、この手の機械は女子の利用が多く、盗撮防止などの意味もこめて男子だけでの利用が禁止されている店が多い。
つまり女子が一緒にいないと出来ないので、当然俺には馴染みがない。
現にそのプリコーナーもカウンターで仕切られ「女性・カップル専用」と書かれたパネルがあちらこちらに貼られている。
「ほらほら、早くしないと映画始まっちゃいますよ」
「ちょっ、引っ張るなよ」
だが、一色はそんな俺に構うことなく、俺の腕を引きプリコーナーへと入っていくと、慣れた手付きで一台のプリ機に先程崩そうとしていた五百円玉を入れていった。
そんな俺達の様子を見てさっきの店員が「ごゆっくりー」と笑顔でこちらを見送ってくる。
あれ? おかしいな。俺はこちら側ではないはずなのだが……。
「まずは背景ですねー、それから……これと……これ」
戸惑いながらプリ機のカーテンの中へと入っていくと。一色が慣れた手付きで機械を操作していく。
俺はその様子をただ眺めていることしか出来なかった。
「はい、これでOKです。センパイもっとくっついて! カメラ見て!」
「お、おう」
あまりのスピード感に頭が付いてこない。
俺は一色に言われるがまま、ピースサインをする一色の横に並び。頭がぶつかるのではないかという程の距離でオドオドとカメラに視線を向ける。
やがて、プリ機から「3,2,1」というカウントダウンが流れ、物凄い光と共にシャッター音が聞こえてきた。
目が、目がぁー!!
「はい、次は盛っていきますよー」
俺がバ○スの光にやられていると、一色は何事もなかったかのように次の作業へと移っていく。
う……未だに視界の端がチカチカしている気がする。この後映画鑑賞が控えているのに支障がでたらどうしよう。
「目はもうちょっと大きくしたほうがいいですかね?」
ようやく正常に戻ってきた目で、独り言のように呟く一色の横から画面を覗き込むと、そこには目が二倍ほどの大きさになっている一色の姿があった。
正直少し気持ち悪い。
女子の可愛いと男の可愛いの感覚は違うと聞いた事があるが、一色もこれを可愛いと思っているのだろうか?
っていうかよく見ると俺の目もデカくなってるな……。
「いや……そこまででかくする必要ないだろ、そのままのが可愛い」
うーんうーんと、唸る一色に俺がそういうと、一色は何故か戸惑ったように俺を見てくる。
あれ? 俺何かやっちゃいました?
別に俺はチート能力も何も持っていないはずなんだがなぁ。
「……そ、そうですか? じゃ、じゃあこのままで……あとは……落書きですね。センパイも何か書きますか?」
慌てた様子でペンを動かす一色がそういうので、俺は「いや、俺はいいや」と首を振り、一色を見守ることにした。
正直、この狭い空間で一色と二人きりというのは落ち着かなかったが、外に出ればそこは「女性・カップル専用」のプリクラコーナーである。一色の加護がない状態でその場に出ていく勇気もなかった。
仕方なく俺は一色の作業が終わるのを待ち、やがて出てきたシールを一色が切り分けていくのをただ黙って見ていた。
「はい、これはセンパイの分」
殴られる時のセリフみたいだな。
なんて事を思いながら、二等分にされたシールを見ると、そこには『初デート!!』と落書きがされているのが見えた。そしてご丁寧にハートも飛んでいる。
更に言うと、多少設定を絞ったとはいえ、相変わらず目も大きいし、妙に俺たちの肌が白くキラキラしてる、あと俺の腕が妙に細い……あと何故かぬいぐるみの狐の目もデカイ……あと、ええい、ツッコミが追いつかん! 情報量が多い!
「スマホにでも貼りますか?」
「やめてくれ」
こんな物を貼っていたら後で小町に何を言われるか分かったものじゃない。
いや、この加工具合ならワンチャン俺ではないと言い張れ……流石に無理か。
「もういいだろ、そろそろ行こうぜ」
俺は諦めたように、一度スマホを見た。既に上映時間の五分前だ。
やはり、早めに店を出て正解だったというものだろう。
一色がこれ以上寄り道しませんように。
「そうですね。そろそろ行きましょうか」
ようやく納得してくれた様子の一色がそう言って、持っていたシールを丁寧にカバンに仕舞う。
よし、とうとうプリキュアの最新映画だ……!
「あ、そうだ」
そうしてプリコーナーを出ようとした所で、一色が突然声を上げた。
「何? まだ何か……」
何事かと一色を振り返り「まだ何かあるの?」と問いかける。
だが、俺がその言葉を言い切るより、一色は持っていた狐のぬいぐるみを反対の手に持ち替え、空いた右手で俺の左手を握ってきた。
一色は元々スキンシップの多い方だとは思うし、腕を組んで歩くことも多かったが、こうして直に肌を触れる機会というのは実はそれほど多くはない。
柔らかく、そして小さい一色の手から体温が直に伝わってくる。
突然のことに俺の心臓がドキリと跳ねたのが分かった。
やばい、手汗とか大丈夫だろうか? 出るな、出るな、引っ込め! いや、その前に離した方がよくないか?
だが、俺が手を引くと、当然その手を握る一色も一緒に俺の方へ近づいてくる。
一色との距離が近い。駄目だ意識すると余計に手汗がでそうな気がする……!
静まれ、俺の汗腺!
「な、何?」
「……今日は手を繋ぎたい気分だったんです。その……見せつけられちゃったので」
上ずった声で俺が尋ねると、一色はそういって握る手に力を込めてくる。
見せつけられたって一体誰にだろう?
すれ違っていくカップルにか?
だが、周りを見てもソレらしきカップルは見当たらない。
どういうことだってばよ!
「へへへ」
一色はそんな俺の疑問など知る由もなく、妙に締まりのない顔でニヘラとだらしのない笑みを浮かべていた。
本当女子分からん。
しかし、何をどうしたらいいのかは分からんが、これ以上問答をしている時間はない、急がないとプリキュア始まっちゃう。
「──っ、と、とにかく急ぐぞ!」
「はい!」
そうして俺は一色の手を引き、今度こそ映画館へと向かったのだった。
***
**
*
「結構面白かったですね」
「だろ?」
結局、映画を見ている間も一色はずっと俺の手を離さなかった。
おかげで映画の前半は映画に集中できなかったし、ポップコーンは食べづらかった。
だがそれでも、後半はさすがプリキュアという熱い展開で気がついた頃には手を繋いでいたことも忘れていた。内容には大満足だ。
ただ一つ心残りがあるとすれば……。
「やっぱ応援ライトは貰えなかったな……」
「小学生以下って言ってたじゃないですか。私、来月高校生ですよ? センパイも私も制服ですし」
そう、チケットを渡して入場する際、入場特典の応援ライトを貰えなかったのだ。
一色は実質プリキュアなんだから貰えるかもしれないと期待していたのだが……くそぅ、やはり一色はプリキュアじゃなかったのか、騙された……。
「まぁ、来年があったらまた見にくればいいじゃないですか」
「バッカお前、プリキュアの次の映画は来年じゃなくて秋なんだよ」
素人丸出しの提案に、俺は思わず強い口調で抗議する。
プリキュアの映画は年に二回ある。
春と秋。
先にも言った通り、春は主に新プリキュアが先輩プリキュアと出会い、協力していくストーリー。
だが、秋は新プリキュアの単独映画だ。つまりそれまで今年の新プリキュアを追いかけなければいけない。今年もしっかり応援せねば。
「へぇ、じゃこれから年に二回はセンパイと映画見に行けますね」
「へ……?」
意気込む俺に、一色はさらりとそんな事を告げる。
年に二回……? センパイと……。つまり俺が一色と……?
一体それはどういう意味なのだろう?
「それで、センパイは何頼みます?」
そうして、一色が手を上げて店員を呼ぶ素振りを見せた。
今、俺たちは喫茶店に来ている。
映画が終わった後の感想と、帰る前に少し休憩をしようという話になったからだ。
春先になり、多少日が伸びたとは言え、日はすっかり落ちきっている。
一色の門限が何時かはよく知らないので、もう帰ったほうが良いのではと思ったが、一色がこれで最後だからとせがんだ結果でもあった。
「……タピオカ」
「タピオカ? ……センパイ、タピオカは流石にちょっと古いですよ」
え? まじか俺結構好きなんだけどな……。
まぁ割と高いからそんな頻繁には飲めないが、たまにふと飲みたくなる。
ココ数ヶ月は収入も多かったからな。
ただ本格的な店のは女子と一緒じゃないと買いづらいのでそういう時は小町に頼んだりしていた。
あれ? 世の中女子が居ないと出来ない事多すぎない?
しかもその女子の力でブームになったタピオカがもう衰退とか……ちょっとショックまである。
「まぁ、センパイが飲みたいならいいですけど……」
一色はそう言うと「じゃあ私も」とメニューのドリンクの欄を見直し始めた。
別に好きな物飲めば良いと思うが……。
「ミルクティーでいいんですか?」
「あ、うん」
「すみませーん!」
あまりにもサラリと言うので、俺は思わず素で答えてしまった。
そうして慣れた感じで一色が店員に二人分の注文を伝え、それほど時を待たずして、それぞれのドリンクが運ばれてくる。
いつ見てもストローがでかい……。今日は喉にダイレクトアタックされませんように……。
「それじゃ、いただきまーす! ……んー! 懐かしい味」
「懐かしいって……そこまで古いもんでもないだろ」
「いいんですよ、こういうのは気分なんですから……」
「さいですか」
ズズッともうひと口タピオカを吸い込み、口の中で潰していく。
「んで、今日はこんなんで良かったの?」
デートの感想を聞くなんて男としては情けないことだと聞いたことはあるが、今日のこれは予行演習だ。
多少の感想を聞いてもバチは当たらないだろう。
何しろ俺はデート上級者だからな。
「へ?」
だが、そう思っていた俺とは逆に、一色は「一体なんのことですか?」とでも言いたげに首を傾げてくる。
「だから……その……デート……」
予行演習なんだろ。参考になったか? という言葉を出しかけ、それはあまりにも大人げないのではないかとなんとか押し止め、俺は問いかけた。
すると、今度は「ああ」と大きく頷きぽんと手を打って視線を斜め上へと動かす。
恐らく今日の出来事を振り返っているのだろう。
さて、判定やいかに。
驚きの鑑定結果はCMのあと!
「んー、そうですねぇ。まず女の子に誘われてほいほい付いてきちゃうのは減点ですよね」
「どうしろってんだよ……」
どうやら最初の段階から駄目だったらしい。
つまりあそこで断って帰った方が点数があがったってこと? でもそれだとデートにならなくない?
いや、マジどうしろというのだ、流石に理不尽すぎません?
「それに、買い物してる時もずっと上の空でした。これも減点です。あ、そういえば総武で会った時無視しましたよね? あれは大問題です」
どうやら減点方式らしい、二本目の指を折り、三本目の指を折り、一体どこまで点数が下がっていくのかと逆に楽しみになってきた。
しかし、そうしてボーッと一色を眺めていると、一色はやがて「でも……」と指折り数えていた手を開き、カバンから例の狐のぬいぐるみを取りだして胸元に小さく抱きしめながら言葉を続ける。
「さらっとこの子を取ってくれたのは格好良かったですし、プリでも可愛いって言ってくれたし、映画もなんだかんだ結構楽しめました」
噛みしめるようにそういう一色に、俺は思わず息を呑んでしまった。
あ、そうか……俺あの時「可愛い」と口に出してしまっていたのか……。
やばい、メチャクチャ恥ずかしい……。
俺は少しだけ気まずくなってそっと一色から目を逸し、ズズっとタピオカをすすった。
うっ……ダイレクトアタック……。
「それに……」
だが、そんな俺にお構いなしという様子で、一色は言葉を続ける。
まだ何かあるのだろうか?
「それに、相手がセンパイだったので。最初から百点満点です♪」
「お、おう……そうか」
思いの外高評価だったらしい。
おかしい、これではまるで一色が葉山ではなく俺のことを好きみたいではないか……。
落ち着け、落ち着け俺。
これは単に俺がデート上級者だという事実が証明されただけだ。
勘違いするな、顔を赤くしている場合じゃないぞ。
「それで……ですね?」
「ん、うん?」
少しでも顔から熱を放出するため、熱いなぁなどと言いながら冷たいタピオカの入ったコップを手で包み。冷えた手で頬杖を突く。どうか、バレませんように。
そう祈る俺を一色は真剣な眼差しで見ながらチラチラと見てくる。
「だからって訳じゃないんですけど……」
「なんだよ……」
言いづらそうにしている一色に少しだけドキドキしながら、俺は次の言葉を待った。
「……センパイ。もう少しだけ許嫁続けてみませんか?」
というわけで65話でした。
八色のイチャラブまだー?と仰っていた方々へ
こんなんで大丈夫だったでしょうか?!
例によって細かいアレやこれやは活動報告で。
感想・評価・メッセージ・お気に入り・誤字報告・ここすき。
何でも良いのでリアクション頂けますと本当に助かります。