やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。 作:白大河
騎空士の皆様、古戦場お疲れさまでした!
なんとか今月二話目間に合いました!
葉山提案の男三人によるボウリング最終フレーム勝負が終わると、俺達はようやく本日の目的でもあるカラオケルームへと案内された。
「とりあえずドリンク頼んじゃおうよ、皆何にする?」
「俺コーラ! あとポテトとナゲットと……あ、たこ焼きとか良くね?」
「俺はとりあえず烏龍茶かな。たこ焼きは、まあ頼んでもいいんじゃないか?」
「じゃあ私もウーロン、あとなんかアイスと……海老名は?」
「えっと私はねぇ……」
扉正面に大きなモニター、左右にロングソファーのあるその部屋に入るなり、葉山達は慣れた様子で注文を口にしながら、予め席順を決めていたのか? と思うほどに自然に自らの席を確保していく。
右側のソファ奥から海老名さん、三浦、葉山。左側のソファ奥から荷物、戸部、由比ヶ浜という順番だ。
当然、俺はどこに座ればよいのか分からず少し戸惑った後、最終的にテーブル側面に置いてあった一人がけ用のスツールに腰掛ける事にした。
いや、その荷物どかしてくれれば俺も由比ヶ浜の隣に座れるんですけどね? うん。
まあ、それを言うと俺が由比ヶ浜の隣に座りたくて必死な奴みたいなので黙っておくとしよう。
ここなら外に出るのも楽だし、かえって安心するというものだ。
「ヒッキーは?」
しかし、そうして安住の地を見つけホッとしたのも束の間、由比ヶ浜から突然声をかけられ俺は思わず肩を震わせる。
よく見れば先程ここまで案内してくれた店員が『早く決めろよリア充どもが』とでも言いたげな鋭い目つきをコチラに向けて扉の所で待機しているではないか。
どうやらここはカラオケを開始する前に注文をしないと店員が帰ってくれないシステムらしい。いわゆるワンドリンク制というやつだな。
これは早く注文しなければ俺までリア充認定されてしまう……早く決めなければ。
だが、あいにくメニュー表はテーブルの向こうだ。
しかも戸部や三浦達が未だにメニューとにらめっこをしている。
さてどうしたものか……。
「あー、えっと……じゃぁ……俺も烏龍茶で」
「了解、じゃあウーロン三つと、あとピングレとオレジューと……」
少し考えた後、結局俺は葉山達と同じ烏龍茶を頼むことにした。
どんなメニューがあるか分からなくとも、すでに注文されているモノならメニューにあるのは確定しているからな。
まぁ定番のアイスコーヒーとかならあるだろうとも思ったが、ボウリングで少し疲れも出ていたので少しさっぱりしたモノが欲しかったので、これはこれでヨシとしよう。
物足りなければ二杯目で何か頼めばいいし、それになんとなく今一番飲みたいと思ってしまっている小町特製ミックスジュースはないだろうしな……。
いや本当、アレ何が入ってたんだろう? 結局教えてくれなかったんだけど、妙に癖になる味だったんだよなぁ……なんか法に触れるもの入ってなきゃいいんだけど。
「んじゃ、トップバッター俺いっきまーす!!」
そんなことを考えながら、今度こそ安心してボーッとしていると、いつの間にか店員も出ていったらしく、戸部がそんな言葉を叫びながらマイク片手に立ち上がった。
すると他のメンツも「イエーイ」と盛り上がり。ルーム内に独特のテンションを形成していく。
これがリア充特有の空気というやつなのか。もうすでについていけない。
本当に俺はなぜコンナ所にいるのだろう? 帰りたい。
「あーしも入れよ」
「優美子ずっと歌いたがってたもんね」
「ねー?」
だが、そんな俺の心境など知る由もなく、女子三人は戸部が入れた流行の歌のイントロが流れ出すとキャイキャイと盛り上がりながら物凄いスピードでリモコンを操作していく。
そんなに歌いたい歌があるなら風呂ででも歌えばいいのに。そしてそれを家族に聞かれて恥ずかしい思いをすればいいのに。俺みたいに。
「ホントマジ満室とか勘弁してほしいって感じ」
「まあ、ゴールデンウィークだしな。仕方ないさ」
とはいえ、本当に俺はこれからどうしたらいいのだろう?
なんとなくこの集まりに呼ばれ、ボウリングこそ参加したものの、別に俺には歌いたい歌なんてない。
残り時間、葉山たちの歌をひたすら聞かされるという退屈な時間を過ごすしか無いのだろうか? しかも有料で。
いやいや、何が悲しくて金を払ってまで人様の歌を聞かなきゃいけないの? ライブなの?
前回の一色とのカラオケの時は誕生日を祝う部屋を確保するという名目もあったし、バイトのお影で多少懐にも余裕はあるが、こんな素人の歌を聞くために稼いでるわけではないんだけどなぁ……。
もしかしてコレが所謂お友達料金という奴なのだろうか?
やっぱ友達関係……早まったかしら……。
そんなモヤモヤを抱えながら、俺はちらりと由比ヶ浜の方を見てみる。
すると当の由比ヶ浜は、リモコンを三浦に独占され手持ち無沙汰になってしまったのか、何やら指先のバンソウコウのようなものをペリペリと剥がしている真っ最中だった。
そういえばコイツ屋上で会ったときも指にバンソウコウ巻いてたっけ。バンソウコウキャラなんだろうか?
あれ? でも今ツケてるの右手の中指と薬指と……親指……だけ? しかも見た感じ汚れている感じもしない。なんで今剥がすんだ? ゴミが出るだけだろうに……。
だが、そうして疑問に思いながらふと視線を動かせば、視界の端で海老名さんも同じ行動をしているのが見えた。
三浦は……相変わらずリモコンをイジっているが……。
もしかして女子だけに伝わるカラオケ前の儀式か何かなんだろうか?
「……二人して何やってんの?」
「ん? ああ、これ? 違うよこれはネイルバン。ボウリングするとき爪守ってくれるやつ、店員さんに言うと貰えるんだ」
何となく俺が由比ヶ浜にそう尋ねると、由比ヶ浜は残りの指からそのネイルバンとやらを剥がしながらそう教えてくれた。
へぇ……ただのバンソウコウかと思ったが、違うのか。
いや、何が違うのかはよく分からんけど。
「男子はそういうの使わないから知らないんでしょ」
「そっか……。私いつも使ってたからコレが普通だと思ってた。私達が使ってたボールなんかもネイルが割れないように指入れるとこが柔らかくなってたりするんだよ」
どうやら俺の知らない内に世の中は爪に優しくなっていたらしい。
俺にはちっとも優しくないのに……。
もしかして俺、爪以下ですか? そうですか。
「そういえば優美子は爪、大丈夫だったのか?」
そうして俺が未知の爪業界へ思いを馳せていると、葉山が思い出したかのように隣の三浦にそう声をかけた。
三浦の爪……?
「あ、うん……ちょっと痛かったけど割れたりはして無かった。……心配してくれてありがと」
そこで俺は思い出した、三浦がボウリングのペア戦を早々にリタイヤしていたことを。
なるほど、アレは爪に異常を感じたからだったからか。
恐らく三浦はネイルバンを使わなかった、もしくは使ったが思っていたほどの効果は得られなかったのだろう。
結果続投が困難になりリタイヤを選んだ。葉山はそれに気づいていたから文句も言わずに一人で黙々と投げていたと……。
この辺りは流石イケメン葉山という所かもしれない。
「へぇ……結構大変なんだな」
「今日は急だったからどうしてもね、ヒッキーはそういうの気にしない人? ……って、ヒッキーめっちゃ深爪じゃん!」
そうして俺が感心していると、由比ヶ浜が突然、俺の手を掴み叫びだした。
なんで女子の手ってこう小さいんだろうな……由比ヶ浜の手は一色とも違って……ってイカンイカン。
全く……安易なボディタッチはいけませんって何度言えば……!
「うへぇ、痛そう……」
「へぇ、意外。ヒキオってそういうとこ結構ちゃんとしてるんだ」
「深爪……隼人君にちゃんと配慮してるんだね……ハヤハチ捗る。ハァハァ……」
なんとか平静を保とうとする俺、というか俺の爪を見ながら、女子三人が三者三様の感想を述べていく。
男の深爪がそんなに珍しいのだろうか?
葉山だって大して変わらないだろう。
だが、海老名さんの様子を見るに、凄く嫌な想像をされているようなのでここはキチンと弁解しておいたほうが良さそうだ。
「俺の場合はギターやってるから……一応な」
「え!? ヒッキーギター弾けるの!?」
そう、別に俺は元々深爪派だったわけではない。
それこそほんの一年前までは特に何も考えず、ごく普通に『伸びたと感じたら切る』その程度の認識しかしていなかった。
だが去年の誕生日、パパハスこと弘法さんからギターを貰った事で少しずつ爪に対する意識も変わっていったのだ。
そりゃ、最初からそこまでやる気があったわけではない。深爪なんて痛いし怖いし出来るならやりたくはない。
だが、一色が総武を目指すと決めた辺りからだろうか? 一色家へ赴く頻度が上がり、同時に弘法さんと会う機会も増えた事で、弘法さんからのアドバイスやレッスンを受ける機会も増え、爪に対する意識も少しずつ変わり、俺の爪は深爪が普通になっていったのである。
弦を押さえる指先も大分固くなってきているので『ギターをやっている』と言っても見栄や嘘ということにはならないだろう。
「へぇ、意外だな。比企谷にそんな特技があるとは」
「特技ってほどでもないけどな……」
とはいえ、実際俺が弾ける曲はそれほど多くはない。
俺の腕前はあくまで嗜む程度。初心者の壁と言われるFコードこそ乗り越えたものの。弾ける曲は弘法さんが練習用にと勧めてくれた一昔前のポップスを数曲となんとなく雰囲気だけ練習したアニソンが数曲程度だ。
流行の最新曲なんて当然弾けないし、人様にお披露目できるようなものでもない。
もし『何か弾いてくれ』という定番のリクエストを受けたところで、白けた空気が流れることは分かりきっていた。だからこの話はもうさっさと終わって欲しいのだが……。
「ヒキタニくんギター弾けるってマ? なんなら俺らとバンド組んじゃう?」
そんな俺の心境など知る由もなく。
タイミング良く一曲目を歌い終わった戸部が会話に割って入ってきた。
「バンド?」
「ああ、実は俺もギター、戸部はドラムを始めてね。まぁ、まだ人前で弾けるような状態じゃないんだけどそういうのもいいなって話をしてたんだ、良かったら今度一緒に……」
「断る」
戸部の言葉を引き継いだ葉山の補足が言い終わる前に俺はその申し出を断ると、葉山は「そ、そうか。残念だな」とさして残念でも無さそうに苦笑いを浮かべた。
全く、何を言っているんだコイツは。
俺はこれ以上面倒な事に巻き込まれたくはない。
バンドなんて始めたらどうせ部とか立ち上げたり、ライブやりたくなって路上で歌ったり、打ち上げで変なやつに絡まれたり、パリに卒業旅行に行かなきゃいけなくなったりするのだろう? そんなのはゴメンなのである。
俺のギターはあくまで個人的な趣味。人様と──それこそ葉山と一緒にやるようなのではないのだ。
セッションなんて、何ヶ月かに一度弘法さん指導のもとにやるぐらいで十分である。
「えー、でも私もヒッキーのギター聞いてみたい!」
だが、それでもなお食い下がってくるのは由比ヶ浜だった。
一体俺のギターに何を期待しているというのか……。
やはりこんな所でギターの話なんてするべきではなかったのかもしれない。
「……まぁ、機会があったらな」
仕方なく、俺は社交辞令を口にする。
これ以上問答をするのも面倒だし……まあ、大人の対応という奴だ。
ああいや、そもそも由比ヶ浜の言葉自体が社交辞令という可能性もあるか。
どちらにせよ、俺自身がギターを持ち出すつもりもないので、こんな話はそのうち忘れられるだろう。
「うん、約束ね!」
「ドリンクお持ちしました」
「あ、はーい」
由比ヶ浜が嬉しそうにそう言うと。タイミング良く部屋の扉が開きトレイに大量の飲み物やら食べ物を載せた店員が入ってきた。
店員はそのまま俺のスグ横で跪くとテキパキとトレイの上のものをテーブルの上に移動させていく。
だが、どうにも雑だ。
新人なのか、それともゴールデンウィークの忙しさのせいなのかは分からないが、ガチャガチャと皿同士をぶつけながら、テーブルの片隅に大量の飲み物やら食い物やらを所狭しと並べていく。
「ごゅっくりどぞー」
そうしてやる事はやったと言わんばかりに適当な挨拶をして店員が出ていくのを確認すると、俺と由比ヶ浜は席が近かったというのもあり、店員が無理やりテーブルに置いたメニューを改めて並べ直していく。
とりあえず……大皿は中央でいいよな。
……たこ焼きと……ポテトと……。
ってああ、テーブルの下にポテト落ちちゃってるじゃん勿体ない……。
誰か踏む前に拾っとくか。
「えっと、コーラが戸部っちでしょ? ウーロンはヒッキーと優美子と……」
「あ、あーしもう隼人から貰った」
「え? じゃあこっちが隼人君か、はい隼人くわっ!?」
「冷っ!?」
俺がスツールに座ったままテーブルの下に落ちたポテトを回収し、頭を上げた瞬間、何かが俺の後頭部にぶつかった。
直後、冷たい液体が俺の首元から背中へと広がり、中身をぶちまけたプラ製のコップがコンッと床を叩く。
「ヒッキーごめーん!! 大丈夫!?」
「あ、ああ……俺こそ悪い……」
一体何が起こったのかと状況を確認すると、どうやら俺の目の前でドリンクの受け渡しをしようとした由比ヶ浜の腕と俺の後頭部が接触してしまったらしい。
結果、由比ヶ浜が持っていた烏龍茶が俺の背中にぶちまけられたと……。
完全に俺の不注意……とはいい難いが。まあフィフティーフィフティーという所だろうか。
全くツイテイナイ……。
「ヒキオ、とりあえずコレ使いな」
「お、おお。サンキュ」
ポタポタと背中から滴る烏龍茶に成すすべなくただ呆然としていると、三浦がそういってギャルにはあまり似つかわしくない可愛らしい花柄の刺繍がが施された小さなハンドタオルを投げてくれた。
一瞬使って良いものか悩んだが、どう見ても備え付けの紙ナプキンで拭き取れるような量ではないので、俺は一瞬だけ迷った後遠慮なく首元を拭わせてもらう。
後で高額なクリーニング代請求されませんように……。
「私もタオル……あー、今日ハンカチしか持ってきてないや、しかもさっき使っちゃったからちょっと湿ってるし……」
「なんなら一回脱いだほうが良くないか?」
葉山にそう言われ一瞬悩むが、確かにこの被害量だと一度脱いでしまったほうが良さそうだ。
とはいえ、ここで脱ぐのはちょっと抵抗があるな、なら……。
「ああ、まぁ……そうだな……ちょっとトイレで絞ってくる」
俺がそう言って立ち上がると、背中に留まっていた小さな氷が床に落ち、腰のあたりで止まっていた水が一気に下半身へと侵食していくのが分かった。
まずいな……これじゃ漏らしたみたいだ……。とにかくこれ以上被害が広がる前になんとかしなくては。
「悪いけど、後任せていいか?」
「う、うん大丈夫! こっちは任せて。本当にごめんね」
「ああ、気にするな」
「がんばれよー!」
俺はびしょ濡れのスツールや床を由比ヶ浜に任せ、一人部屋を後にする。
全く、歌いたくもないカラオケに来て、ボウリング勝負までさせられて……今日は厄日だろうか?
ああ、やはり家でのんびりしていればよかった。
そんな後悔をしながら、俺はトイレへと飛び込んでいく。幸い、俺以外に利用者はいなかったので、俺はそのままトイレの個室へと入り上着を脱いだ。
しかし、トイレで半裸とか本当俺なにやってんだろうな。
こんな所誰かに見られたら完全に変質者扱いだ。
バレる前にさっさと抜け出さなくては。
俺は便器の上でシャツを絞り、脱いだシャツで髪と背中を拭う。
若干パンツも冷たくなっているが……その辺りはトイペで対処。
とりあえず、これ以上の侵食は防げた……と思う。
でも、結局これをもう一度着なきゃいけないことには代わりないんだよなぁ……。
さて、どうしよう。
トイレに備え付けられているハンドドライヤーでも使ってみるか?
だが、ハンドドライヤーがあるのは個室の外。
その間に他の利用客が来たらアウトだ。せめて見張り役がいてくれれば……。
「比企谷、大丈夫か?」
そんな事を考えていると、扉の向こうから声が聞こえた。
突然のことで思わず身構えてしまうが。この声は葉山だろう。
助かったという思いと、戸部なら良かったのに。という複雑な思いが俺の中を駆けめぐる。
「葉山か? 何? 笑いに来たの?」
「はは、そんなことしないさ。何か手伝えることないかと思ってね。良かったら服買ってこようか? Tシャツなら売ってるみたいだけど……」
「……」
それは非常に魅力的な提案だった。
新品のTシャツを着れるならそれに越したことはないだろう。
だが、問題は値段である。
多少金に余裕はあるとはいえ、元々俺は衣服に金をかけるタイプではない。
こんな所でデザインも良く分からない服を買うという状況に二の足を踏んでしまう。
しかも葉山をパシらせる形で。
これは非常に難問だ。
もしこれが小町や一色、材木座あたりだったら頼んでしまっていたかもしれない。
だが、俺は
「……いや、まぁ、真冬ってわけじゃないし放っておけば乾くだろ」
だから俺はできるだけ平静を装って葉山の提案を拒み、まだ濡れているシャツを広げ、バサバサと大きく振る。
こうなったらもはやハンドドライヤー作戦も諦めるしかないか。
「そうか、他に何かできそうなことがあったら言ってくれ」
「ああ……」
しかし、葉山はそんな俺の見栄から出た言葉を見透かしたかのように受け流し、それ以上何も言わず、トイレの中に沈黙が流れる。
個室の扉は閉まっているのでお互い顔は見えないが、葉山が部屋に戻った気配はない。
恐らく俺が出てくるのを待っているのだろう。
全く……俺のことなど気にせずさっさと戻ってくれれば俺も気が楽なんだけどな……。
だが、きっと“イケメン葉山”としては。ここでびしょ濡れの知人を放っておくという選択肢を取ることができないのだろう。
葉山隼人というのはそういう男なのだ。
「……その……悪かったな……」
「ん?」
そんな状況になんとなく耐えられず、先に口を開いたのは俺の方だった。
葉山を連れたコンナ状況で一人トイレの個室でシャツを乾かしているのが情けなくなったというのもあり、ついそんな言葉を漏らしてしまった。
「お前のだったんだろ? 烏龍茶。代わりに俺の飲んでてくれていいぞ、手ツケてない」
「何かと思ったらそんなことか」
何が面白かったのか、俺の言葉に葉山は笑いながら「気にするなよ」と返すとククッと笑う。
まあ、葉山ならそう言うだろうとは思っていたので想定内ではあるのだが……。
しかし、俺にはソレ以上に謝らなければいけないことがあった。
飲み物なら弁償すればいい、だが弁償できないものもあるのだ。
「それに……」
「それに?」
「……それに、場、シラけさせちゃっただろ……」
それは空気。
別に俺はいちいち葉山達の空気に合わせようとかそういうつもりはないが、文字通り俺の行為が葉山達の楽しみに水を指したのは間違いない。
恐らく、俺はもう二度とこの集まりには呼ばれないだろう。
別に呼ばれたいと思っている訳でもないが。
俺を呼んだことで由比ヶ浜に気まずい思いをさせたくもなかった。だからココで俺はコイツに謝っておく必要があったのだ。
「そんなコト気にする連中じゃないさ。まだまだ時間はあるし早く戻って皆で楽しもう」
だが、葉山は事も無げに二度目の謝罪も受け流す。
本当にどうでも良いとでも言いたげなその口調が妙に腹立たしく、シャツを振る俺の腕に少しだけ力が入ってしまう。
俺たちの間に再び沈黙が流れ、パンパンという少し強めのシャツをはたく音だけがトイレに響くと、やがて、トイレに葉山ではない他の客が入ってくる気配を感じた。
はぁ……さすがにいつまでも個室を占領しているわけにはいかないか……。
そもそも五分やそこらで乾く量でもないし……仕方ない。
俺はTシャツ購入の提案を断ったことを少しだけ後悔しながら、まだ濡れているクシャクシャのシャツを身に纏い、扉に手をかける。
ああ、背中が気持ち悪い。
まるで、これからあの場所に戻らなければならないという俺の心境を表しているかのようだ。
「……待たせたな」
「いや。……大丈夫か?」
全くもって大丈夫ではないが、俺はコクリと一度頷き、葉山と供に由比ヶ浜達のいる部屋へと戻っていく。
そういえばさっき慌てて飛び出たので部屋番号を覚えていなかったりするんだが……、まあ葉山がいれば大丈夫だろう。
コレばかりは葉山に感謝だな……。
ああ、それにしても背中が冷たい。早く乾きますように。
「あ、ヒッキー、おかえり。隼人君も。……大丈夫だった?」
「ああ、まあ……悪かったな後始末任せちゃって」
「ううん、こっちこそ本当にごめんね……ちゃんと弁償するから!」
「いや、そこまでしなくてもいい、本当。ちょっと濡れただけだ。洗えば問題ない」
勢いよく立ち上がる由比ヶ浜を静止し、俺は少しだけ気まずい空気を肌で感じながら元のスツールへと腰掛ける。
その周囲は店員によって掃除がなされたのか、はたまた由比ヶ浜達の手腕によるものかは分からなかったが、もはやチリ一つ残っていないんじゃないかと思うほどキレイになっていた。
というか、逆に俺のシャツの方を任せてキレイにして貰えばよかったまである。
「それじゃ、戸部頼む」
「OK! んじゃ隼人君とヒキタニ君も戻ってきたことだし、気を取り直して盛り上がっていきまっしょうー!!」
やがてそんな俺と由比ヶ浜の暗い雰囲気を吹き飛ばすように戸部が立ち上がりそう叫び始めた。
こういう時こういう奴がいるのは助かるな。
その瞬間俺の中で初めて戸部の株が上がったと言っても過言ではない。
延々謝られるより、いっそ放っておいてくれたほうが助かるのだ。
後は俺は壁の花になっていればいい……。
「ヒ、ヒッキーも何か歌う?」
だが、そんな俺に変わらず話しかけてくる人物がいる、由比ヶ浜だ。
「え……いや、俺は別に……」
「……そ、そっか」
当然、俺は断るのだが、今度は由比ヶ浜が萎縮し、分かりやすく落ち込んでしまう。
困った。
ここは詫びの意味も込めて俺が何か歌った方が良いんだろうか?
でもなぁ……。
俺の歌なんて誰も聞かないだろうし、逆に白けさせてしまう可能性のほうが高い。
ここは大人しく壁の花を演じている方が良いと思うんだが……由比ヶ浜はそれでは納得してくれなさそうだ。
「そうだ比企谷、さっきの勝負覚えてるよな?」
どうしたものかと、俺が頭をひねっていると突然横から葉山が声をかけてきた。
『さっきの勝負』つまり先程行ったボウリング最終フレーム勝負の事を言っているのだろう。
それを今ここで持ち出すとは……なんだか嫌な予感がする。
「……覚えてるけど。何? 俺に何させるつもり?」
その勝負の条件は勝ったほうが負けたほうに何でも命令できるという単純明快なもの。
そして、誠に遺憾だが、俺はその勝負に敗北したのだった。
つまり、今の俺は葉山の命令を一つだけ聞かなければいけない立場にあった。
そう、それこそが俺が葉山に対して「これ以上借りを作りたくない」と思っていた原因でもあった。
ボウリングが終わった後、そのまま慌ただしくカラオケに移動してきたので、後日何か無理難題を課されるのだと思っていたが……まさかこのタイミングで持ち出してくるとは思わなかった。
くそ、やはりどんな手段を使ってでも勝ちに行くべきだったか。
いや、だが敗北といっても勝負自体は非常に僅差ではあったんだよなぁ。本当あと二本。あそこでスペアさえ取れればなぁ……。
やはりあんな勝負受けるんじゃなかった……。
ちなみに一応言っておくとあと一本倒せていれば戸部ともタイだったことを付け加えておこう……。
ああ、そうだよ、ビリだったんだよ畜生。
「それじゃ、ここは空気を変えるためにも一曲、比企谷の歌を聞かせてもらおうか」
「えーいいじゃん! ヒキオ歌いなよ」
「比企谷くん頑張れー!」
「ヒキタニ君ワンマンライブとかマジ上がるわー」
「は? いや、でもそれは……」
何故か俺の意見ガン無視で盛り上がり始めている葉山一同。
いや、だから俺このメンツで歌える歌とかないぞ?
前回の一色のバースデーカラオケだって俺自身はほとんど歌っていないのだ。
アイツらが入れた曲を一緒に歌えと言われてマイクを渡されたぐらい。
それなのに、完全にアウェーなこの状況で一人で歌えと?
「別に無理難題ってほどじゃないだろ? カラオケで歌うだけなんだし、かなり常識的なお願いのつもりだけどな」
「そりゃ、まぁ……そうかもしれんが……」
確かに、カラオケで歌うだけと言われれば非常に常識的な範囲かもしれない。
だが、よく考えて欲しい。
陽キャのノリに混じって陰キャが一人歌うとか拷問以外の何者でもないだろう。
なんならその様子を撮影されて、在学中ずっと笑いものされるまである。
「それとも、今度改めてギターの演奏会をして貰うほうがいいかな? まあ俺としてはどっちでもいいけど」
く……葉山め。
とうとう本性を出してきやがったか。なんて汚いやつなんだ。
鬼! 悪魔! 葉山!
「は、隼人くん、皆も! そういう無理強いは……!」
「はー? カラオケ来て一曲も歌わないとかありえないっしょ? こんなん隼人の命令とか関係なくない?」
そんな状況でも俺を庇おうとしてくれるのは当然由比ヶ浜なのだが、これはこれでまずい。
このままでは矛先が由比ヶ浜に移ってしまう。それだけは避けなければ。
由比ヶ浜は俺の唯一の友達なのだ。
俺が原因で由比ヶ浜の立場が危うくなる自体だけは避けなければ。
そう考えた俺は仕方なく、由比ヶ浜が見せてくるリモコンの画面に視線を移す。
幸いなことにそこには人気の曲ランキングというのが表示されていた。
『うるさいなぁ』とか『ぼっちは嫌われている』とか『melon』とかネットでも有名になったサビや一番だけなら俺でも聞いたことがあるような有名な曲ばかりだ。
この辺りなら問題ないか……?
「あー……コレなら歌える……かも?」
「え? どれどれ?」
口に出したつもりはなかったが、どうやら声に出ていたらしい俺に、由比ヶ浜が慌ててリモコンの画面を見せてくる。
一つのリモコンの画面を二人で見る状況になるので当然、距離が近く、お互いの肩が触れ合ってしまっているが、今はそんなコトを考えている暇ではない。
どうやら、もう俺が歌うことからは逃げられそうにない覚悟を決めるか……。
そう考え俺は観念して由比ヶ浜が持つリモコンの画面に表示されている一曲を指差した。
「えっと……こ、これ?」
「コレね! じゃあコレ一緒に歌お!」
え? 一緒に歌うんですか?
俺パート分けとか分からないんだけど?
っていうかこれデュエット曲だったっけ?
まぁ……いいか。
***
**
*
──ああ、喉が痛い。
気がつけばすっかり日も暮れて、十八歳未満は入場お断りの時間になり現地解散となった俺は一人帰路へついていた。
まぁでもなんだ、その……思っていたより楽しめたな。
俺の歌なんて誰も聞かないし、俺が好きな曲なんて誰も知らないだろうと思っていたのだが、結局あの後俺が歌ったコトで場が盛り上がり、その後も何曲か歌わされてしまった。
カラオケって思っていたより難しくないのかもしれない。
今度また一色と小町誘って行ってみるのもいいかもな……その時は由比ヶ浜にも声かけてみるか。今日の詫びもこめて。
しかし何にしても今日は疲れた。
慣れないことをしたせいか頭も重く、なんだか背中もまだ冷たい気がするし、さっさと風呂に入ってベッドに倒れ込んでしまいたい気分だ。
「あ、センパイおかえりなさーい! 遅いですよー!」
そうして重い体を引きずり、なんとか我が家の玄関の扉を明けると、そこには何故か一色が居た。
あれ? 俺家間違えた?
一色の家に通っていたから無意識に一色の家に来てしまったのだろうか?
いやいや、そんなわけないだろう。
オートロックなかったし。エレベータに乗った記憶もないんだが?
「ちょっと八幡、こんな可愛い子放ってドコ行ってたの!」
「え? 母ちゃん……」
混乱した俺が声のした方角に視線を動かせばキッチンの奥から母ちゃんが顔を覗かせて来る。
母ちゃんがいるということはやはりココは俺の家か。
という事は……えっと……どういうことだ?
駄目だ、疲れてるせいか頭が働かん……。
「あー……なんで一色がウチにいんの?」
「ゴールデンウィークだからって遊びに来てくれたんだよ、お兄ちゃん何度LIKEしても全然返事しないんだもん」
今度は小町にそう説明され、俺はポケットからスマホを取り出してみる。
するとそこには二桁に及ぶ一色、小町、そして母ちゃんからの通知が入っていた。ちょっと怖い。
ん? でも今日スマホ全然鳴らなかったよな?
ああ、いや、そういや昨晩LIKEの通知を切ったんだった。
そうか、通知を切ると一色や小町からの通知も来なくなるのか……そりゃそうだわな。後で直しとこう。
まあ何はともあれ今は風呂だ……。
「とにかく、もうご飯だからあんたも早く来なさい。今日のご飯いろはちゃんが手伝ってくれたのよ? やっぱり女の子っていいわぁ」
「お母さん? 小町も女の子なんですけど……?」
「えへへ、今日のは結構自信作なんですよ──ってセンパイドコ行くんですか? ご飯できてますよ?」
「風呂……今日は疲れたからとにかく風呂入りたいんだよ……なんか寒いし服も汚れてるし」
右手に絡みつく一色を振りほどこうとすると、今度は左側に小町が絡みついてくる。
仕事から戻って、子供に纏わりつかれる親ってこんな感じなんだろうか?
本当お疲れさまです。
「汚れてるって、センパイどこ行ってきたんですか? ん? っていうかセンパイなんか顔赤くないです? はっ! もしかしてセンパイご飯にする? お風呂にする? それとも……っていうのを期待して? そりゃ私だってそういう妄想したことぐらいはありますけど流石にお米の前でとか無理なのでごめんなさ──ってセンパイ聞いてます? おーい、センパーイ?」
ああ……頭がガンガンする……。なんでこう女子っていうのはウルサイんだろう。
俺はただ風呂に入って布団で寝たいだけなのに……。
「うわ! 熱っ! センパイ熱あるじゃないですか! もう! 本当にどこ行ってたんですか──ってえ!? なんで脱いで!?」
「ちょ! お兄ちゃんここで脱がないでよ! ちょっとお母さーん!! お兄ちゃんが壊れたー! お母さーん!!」
「おば様大変です! おば様ー!」
おば様って誰だよ、うちの母ちゃんはおば様なんて柄じゃないぞ。
おば様っていうのはどっちかって言うともみじさん。いや、楓さんだな。
うむ。楓さんにこそふさわしい称号だと思う。
上品で優しく優雅、まさしく様を付けるにふさわしい女性だ。
それに比べたらうちの母ちゃんなんてオバハンだぞ、オバハン。
比べることすら烏滸がましい。
小町も一色ももっと楓さんを見習って──。
そんなコトを考えながら俺はガンガンと響く頭を押さえ、小町と一色の声をステレオ音声で聞きながら最後の力を振り絞りズルズルと風呂を目指したのだった。
読んで頂きありがとうございます。
※この作品はフィクションですネイルバンが現在も貰えるかどうかはわかりません
前後編となった葉山グループとのグループデート(?)回いかがでしたでしょうか?
八幡的には踏んだり蹴ったりな今回でしたが、それなりに良い思い出にはなったのではないかなぁとか思っているのですが……さてさてどうなることやら。
ということで次話もよろしくお願いいたします。
感想、評価、お気に入り、誤字報告、メッセージ、ココスキ、読了報告など何かしらリアクション頂けますとモチベーションも上がりますのでお手すきの際には何卒よろしくお願いいたします。