やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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現実世界ではとうとう十二月に入りましたが
作中時間は四月に戻りました
現実も戻れたら良いのにね……


第91話 招かれざる客?

 電話でおっさんに「会って貰いたいヤツがいる」と伝えるとタイミングが良かったのか「今すぐ連れてこい」と言われたので、まだ昼前だったというのもあり、俺たちはそのまま電車に揺られおっさんの家へと向かった。

 

「ねぇ、本当にアタシも付いていって良いの?」

「向こうが来いって言ってるんだから大丈夫だろ」

 

 根は真面目らしい川崎は、突然の展開に少しだけ戸惑い、警戒心を顕にしながらも俺の後をついてくる。

 完全に先ほどとは立場が逆転して会話も無く少しだけ気まずいが、なんだか人の家の猫を世話している気分だ。

 『ほ、本当ならアンタなんか頼りたくないんだけど、他に手段がないから仕方なく付いていってあげるんだからね!』とかそんな感じだろうか。

 まあ、別に俺が困るわけじゃないので嫌ならついてこなくてもいいんだけど。 

 

「ついたぞ」

「……でか……」

 

 そんな事を考えながら電車に揺られること数分、歩くこと数分で漸くおっさんの家の前に辿り着くと川崎が“思わず”という表情でそんな言葉を漏らし、門を見上げていた。

 気持ちはわかる。俺も初めてここに来た時は驚いたものだ。

 とはいえ、川崎にとっては驚きの豪邸でも、今の俺にとっては勝手知ったるなんとやら、女子の前で格好つけたかったという思いもあり、少しだけ優越感に浸りながら緊張した面持ちの川崎を横目に軽くチャイムを鳴らす。

 

「いらっしゃい」

 

 ピンポンという音が響くと、それほど時を置かずして女性の声と共に門の扉が開いた。

 声の主は楓さんだ、ニコニコと笑顔を浮かべたまま、おっとりとした所作でペコリと頭を下げ俺たちを迎えてくれている。

 だが……何故だろう? なんだかその笑顔がいつも通りというにはあまりにも作り物のようで……少しだけ違和感を覚えた。

 もしかして……突然来たから怒っていらっしゃる?

 

「ど、ども。あの急にすみません、おっさんと約束してるんですけど──」

「ええ、話は聞いているわ。こんな所ではなんですからとりあえず上がってくださる?」

 

 なんとなく、下手に出ておいたほうが良いと本能で感じ取った俺はとりあえず今日の目的を説明をしようと口を開いたのだが、楓さんは笑顔を崩さずそう言った後、川崎をチラリと一瞥してから踵を返し玄関へと足を向けた。

 

 付いてこいという意味なのだろう、俺たちはその後に続き恐る恐る門をくぐると敷地内へと足を踏み入れていく。

 もしかして、おっさんと喧嘩でもしたのだろうか?

 それとも、急に来たことを怒っているのだろうか?

 余りにもいつもと違う楓さんの態度に少し戸惑いを覚え、何か声をかけたほうが良いのかと悩みながら重い足取りで玄関へと向かう俺。

 しかし、そうやって考え事をするにはその道程は余りにも短く、気がつけば楓さんはニコリと一度微笑んでから玄関の扉を開けて俺たちを待っていた。

 

「さ、どうぞ」 

「お、お邪魔します」

「お邪魔します……」

 

 促されるまま、玄関の敷居を跨ぐと同時に俺の背中に冷気のようなものが走る。

 なんだこれ? 寒い? もう四月だというのに、なんでこんなに寒いんだ?

 恐る恐る後ろを振り返ると、そこには無表情で俺を見つめる楓さんの姿。その顔はまるで能面のようだった。

 

「か、楓さん……?」

「どうしたの? さぁ遠慮せず上がって?」

 

 俺の視線に気がつくと楓さんは再び笑顔を取り戻し、何事もなかったかのようにそう言い放つ。

 もしかして、俺が何かしたのだろうか?

 特にこれといった心当たりはない──はずなのだが……。

 なんだろう、まるで昔絵本で読んだ山姥の家にでも迷い込んでしまったような、そんな錯覚すら覚えてしまう。コレは夢か? 今日は帰ったほうがいいのだろうか?

 だが、今更引き返そうにも玄関前には笑顔のままの楓さんと、不安げに俺を見る川崎が居て、俺の退路を絶っている。

 どうやら逃げることは許されない強制イベントが発生しているらしい。くそっ、直前でセーブしておくんだった……。

 

 仕方なく、俺は出来るだけ楓さんを刺激しないよう、丁寧に知りうる限りのマナーを駆使して靴を脱ぎおっさんの家へと足を踏み入れていった。

 

「ちょっと……大丈夫なの? なんか、歓迎されてなさそうだけど……」

 

 キシリキシリと床を鳴らし、緊張しながら冷気が漂う薄暗い廊下を三人で歩いていくと、やがて川崎もその異様な雰囲気に我慢ができなくなったのかヒソヒソと俺の耳元でそう囁いて来る。

 

「分からん。俺もこんなの初めてだ、もしかしておっさんと喧嘩でも……」

「あら? 二人共随分仲が良いのね? 妬けちゃうわぁ」

 

 それは本当に小さな声で、距離的にも楓さんには聞こえていないものと思っていたのだが、そんな俺達の会話に楓さんは『全部聞こえてますよ?』という表情で、半分だけ顔を振り返りながら割りこんできた。

 その事に、俺たちは思わずビクリと体を震わせ、数歩後ずさる。

 あのクールな川崎が俺のブレザーの肩の部分を引っ張り、今にも泣きそうな顔で俺を盾にして隠れているほどだといえば、この恐怖が少しは伝わるだろうか?

 っていうか引っ張りすぎだろ、脱げる脱げる。

 

「は……はは……ご冗談を……」

 

 ありったけの平常心をかき集め、半分ずり落ちたブレザーを引き上げながら、そう言うと楓さんが再び廊下を進み始める。

 一体、どこまで行くのか?

 いや、この道はいつもの広間へと続く道だとは思うのだが……。

 俺、今日無事に帰れるのかしら?

 

「さ、入って。うちの人もお待ちかねよ」

「ど、どうも」

 

 そうして、永遠とも思えるような長く薄暗く冷たい廊下を抜けると予想通りいつもの客間の前へと辿り着く。

 そう、いつもの客間──いつも俺とおっさんが話をするあの部屋の前、のはずなのだが……その襖は固く閉じられておりまるで大魔王の部屋の扉のような雰囲気を醸し出していた。

 さながら最終決戦直前という緊張感の中、俺と川崎がゴクリと喉を鳴らすとそれが合図だったかのように楓さんがガラリと襖を開く。

 すると、そこにはいつものように長いテーブルが置かれ、その上座に腕を組んだまま目を瞑り、何か考え事をしているように座るおっさんの姿があった。

 

「来たか……。入りなさい」

「……うす」

「お、お邪魔します」

 

 やはり、というかなんというか。楓さん同様おっさんからも妙に重苦しい空気が漂っている。

 もう今すぐにでも帰りたい気分だが、流石にここで逃げるわけにもいかず、俺と川崎はお互いに視線を交わし恐る恐る用意されている下座の座布団へと腰を落とした。

 

 俺の左隣に川崎、目の前にはおっさん。そして襖の近くでお茶の準備をしている楓さん。

 おおよその座り位置はいつもどおりだが……。

 まるでおっさん達の中身だけが宇宙人と入れ替わっているのではないか? と思うほどのいつもとは違う重苦しい空気感に、俺は困惑しながらチラチラとおっさん達に視線を向ける。

 それは『コレは一体どういうことだ?』というアイコンタクトのつもりでもあったのだが、おっさんはムスッと口を一文字に結んだまま、不機嫌そうに目を閉じ、俺達を見るだけだった。

 いや、目を瞑っているのに俺たちを見ているというのもおかしな話なのだが……なんとなく、見られている、睨みつけられているという感覚なのだ。

 

 最早何をしたら良いかわからない状況の中、俺がモゾモゾと尻を動かしていると、再び川崎が俺に耳打ちをしてくる。

 

「ちょっと……本当に大丈夫なの?」

「大丈夫……なはずなんだけど……」

 

 あまりにも予想と違う展開に、答える俺の声のトーンも自然と下がってしまう。

 ただちょっと川崎のバイトの相談に乗って欲しかっただけなのに、何故こんな事になってしまったのか。

 もしおっさんの機嫌が悪いとかなら、最悪川崎を生贄にして脱出しよう。

 まあ、本当に俺が何かヤラかしたという可能性もまだ捨てきれないわけだが──。

 

「さて……八幡……」

 

 そうして今後の対策を練りながら無言の時を過ごし、カチコチという時計の音を聞くこと十数秒。

 おっさんが一度ゴホンと大きく咳払いをしてから、重い口を開いた。

 そのあまりにも低い声に、俺も思わず「はひ……」と声にならない返事を漏らしてしまう。

 一体何を言われるのだろう?

 最悪土下座で許してもらえるだろうか?

 

「どうやら、儂はお前を見誤っていたようだな。正直ガッカリだ……」

「え……? あ、はぁ……」

 

 しかし、土下座の準備に入った俺の耳に入ってきたのはそんな意味の分からない言葉だった。

 

 やはり、俺が何かおっさんの意にそぐわない事をしたという予想は当たっているらしい。

 とはいえ、その原因が分からない。

 先月おっさんと話したときはいつも通りだったし、なんなら四月に入ってから連絡したのはさっきの電話が初めてだ。

 一体俺の何を見誤ったというのだろう?

 もしかして川崎を連れてきたのがまずかったのだろうか?

 

 そこで、俺はふと一つの可能性に辿り着く。

 やはり俺が家庭教師の話を他人にすること事態が間違っていたのではないだろうか?

 おっさんにとって俺に家庭教師をさせたのはあくまで“許嫁”を認めさせるための口実でしかない。

 それなのに、おっさんに改めてバイトを斡旋してくれと頼めばタカられていると感じたとしても不思議ではないのではないだろうか?

 

 川崎を助けてやりたいと、つい動いてしまったが、よくよく考えれば俺個人の力で何とか出来ない以上、おっさんに頼るべきではなかったのだ。

 というより、俺はイツから誰かを頼るような男になった?

 これまでだって何事も一人でやってきただろう。

 助け合い、なんて幻想で。

 自分一人でどうしようもないことは諦めるしか無い。それが現実だ。

 いつから誰かを頼るなんて軟弱な男に成り下がった、比企谷八幡。

 女子に頼まれたからって調子にでも乗ったか?

 そう考えると、どんどん自分が恥ずかしい男のように思えてきた。

 いつの間にか、俺は自分が嫌いだった人種になり下がっていたのだ。

 

 その事に気が付いた俺は、やはりココに来たのは間違いだったと反省し川崎にも詫びるつもりで一瞬だけ視線を送る。

 恐らく、今日川崎の望みは叶わないだろう。

 だが乗りかかった船だ、中途半端に期待させてしまったという引け目も有る、なんとか川崎の悩みを解決する別の方法を──。 

 

「確かに、儂はお前の気持ちを優先するともいった。その時は儂がいろはを説得するとも言った。だがな……だが、あれからどれだけの時が経った? 関係を続けると言ってまだひと月も経っておらんだろう……!」

 

 そうして反省し、別案を練り始めた俺の耳に再びおっさんのそんな意味の分からない言葉が届いた。

 

「……へ?」

 

 俺はその言葉を反芻しながら思わずぽかんと口を開け、マヌケな顔を晒す。

 ふと楓さんの方をみると「そうだそうだ」と言いたげにぶすっと頬を膨らませながら俺の方を見ていた。あれ? それって楓さんもやるんですか? もしかしてその怒り方って遺伝なのか……?

 いやいや、そんな事はどうでもいい、今は楓さんよりおっさんの対処が先だ。

  

「お前がそんな薄情なやつだとは思わなかったぞ!」

「えっと……何を言っているのか全く分からないんだけど……?」

 

 そもそも、このおっさんは何の話をしているのだろう?

 関係を続けるとか、あれからひと月とかって──つまり、そういうことだよな?

 “続ける”といえば例の“許嫁を続ける”云々っていう話し。

 時期的にも正直それぐらいしか思い浮かばないし、さすがにコレが誤解ということは無い気がする。

 だが、何故今ここでその話を?

 その理由がわからず、ますます俺の頭の中のクエスチョンマークが増えていく。

  

「しらばっくれるな!! 今日はいろはとの関係を解消しにきたのだろう? まさかお前がこんなに移り気なヤツだったとは……くぅっ……情けない……!」

 

 そう言われた瞬間、俺はおっさんの勘違いに気づいた。そしてこれ以上余計なことを話される前に慌てて立ち上がった。

 このおっさん、今日の目的を何一つ理解していない。

 それどころか、俺が一色との許嫁を解消しにきたと思っているのだ。

 その事に気が付いた俺は、とにかく誤解を解こうと立ち上がり、声を荒げる。

 

「ちょ、ちょっとまってくれよ! 何でそんな話になるんだよ!?」

「お前から『会ってもらいたいヤツがいる』と電話が来て女を連れて来た、これ以上何の説明もいらんだろう!」

 

 あー……、そういえば、以前そんな話をしたような気がするな。

 確か、好きなやつが出来たら許嫁を解消するから、おっさんに紹介しろとかそんな話。あれは確かちょうど一年前ぐらいだったか?

 しかし、俺自身考えても居なかったことをこのタイミングで言われ俺も軽くパニック状態だ。ここで妙な事を口走れば川崎にまで誤解が発生しかねない。

 

「確かに……確かに『そういう相手が出来たら連れてこい』とは言った、だがお前が先日儂の前で言った言葉がその程度のものだったのかと思うと……儂はもう情けなくて情けなくて……!」

「だからちょっと待ってくれって俺は別に……!」

 

 なんとかおっさんの勘違いを正そうと俺も必死で頭の中を整理する。

 一体何をどこから説明すればこのおっさんに納得してもらえるのか……。

 いや、先に落ち着かせるのが先か?

 とにかく、こんなことで一色との関係を終わらせるなんて“絶対”に──。

 

「あのー……何か勘違いされてるみたいなんで、一言だけいいですか? 私と比企谷は別にそういう関係じゃないんですけど……」

 

 俺の脳裏にある言葉が浮かんだ瞬間、横から川崎がそう言って挙手をしながら声を上げた。

 どこまで俺たちの話を理解したかは不明だが、少なくとも話の流れから自分の立ち位置ぐらいは把握したのだろう。

 川崎は俺の方へと目配せをすると、コクリと無言で頷き「お嬢ちゃんはちょっと黙っていてくれないかね」とでも言いたげなおっさんの視線を物ともせず一歩前に出た。   

 

「とりあえず挨拶をさせてください、アタシは川崎沙希。総武高のニ年で比企谷とは──」

 

***

 

***

 

***

 

「なぁんだ、そういうことなら早く言えよ。電話で“会ってもらいたいヤツがいる”なんて言うから儂はてっきりそういう相手なのかと思っちまったじゃねぇか」

 

 川崎が自己紹介をし、今日ココへ来た目的、そして俺たちが恋愛関係にはないということを説明すると、おっさんは先程までの表情から一変「がっはっは」と高らかに笑っていた。

 

「あら? 私は八幡くんがそんな子じゃないって信じてましたし、あなたから話を聞いた時からおかしいなぁと思ってましたよ? 全く、人騒がせなんだから」

 

 ふと横をみれば楓さんも先程までの雪女のような雰囲気を消し、部屋の隅っこでそう言いながら口元に手をあてて「おほほほ」と笑っている。

 いやいやいや、絶対楓さんも勘違いしてましたよね?

 なんなら今日一番怖かったのは楓さんまであるんですが?

 少なくとも、今後楓さんを怒らせるようなことはすまいと心に誓ったのはこの瞬間だ。

 

「ふむ、しかし家に迷惑をかけたくないから働きたいか……今どき珍しい良い子じゃないか。しかもいろはの恩人だったか……ぁい分かった! そういう事なら儂が良い男を紹介してやろう!」

 

 ジト目で睨みつける俺を無視し、おっさんは先程までの態度はなんだったのか、川崎をいたく気に入った様子で膝を叩いてそう言うと二カッと口角を上げる。

 いや、あの。その前に俺に何か言う事あるんじゃないですかね?

 謝罪とか謝罪とか謝罪とか……って、ちょっと待てよ? 男を紹介?

 

「待て待て違う、そうじゃない! バイト! バイトを紹介してくれって話なんだよ!」

 

 危ない危ない、そうだった、このおっさんはスキあらば人に許嫁を紹介するタイプのおっさんだった。

 これ以上話をややこしくしないで欲しい。収集がつかなくなるぞ。

 

「ああ、そうかバイトか……」

 

 俺の言葉に、おっさんは漸く少し落ち着いたのか右手で顎を擦りながら真剣な顔で俺を見据えてくる。真剣といっても先程までの重苦しい空気はなく、少しだけ計算が狂ったとでも言いたげな、いたずらに失敗した子供のような表情だ。

 これはこれで嫌な予感がする……。

 

「正直言うとな、丁度お前に家庭教師を頼もうとは思っていたんだ」

「は? 俺?」

「ああ、実は楓がな……」

 

 俺の予感は当たったようで、おっさんがそう言って俺を見た後、チラリと楓さんの方を見たので、俺たちもそれに倣って楓さんの方へと視線を向ける。

 すると楓さんはお茶菓子を乗せたお盆を持ち上げ、俺たちの前にソレを並べながら少し困ったように、ゆっくりと口を開いた。

 

「私のお友達のお孫さんがね、小学校六年生らしいんだけど最近遊んでばかりで成績が芳しく無いらしいのよ」

 

 まあ、そういう事もあるのだろうなぁと俺は思わず「はぁ……」と気の抜けた相槌を打ち、目の前に置かれた高級そうな最中の紙包みを開き、少しだけ足を崩した。

 この後の展開を予測しつつも、話の続きを待つ。

 

「それで、ちょうどその時いろはちゃんに家庭教師をつけて高校も無事受かったっていう話をしてたから『良い人がいたら紹介してくれないか?』って聞かれちゃってね……」

「そこで、お前のことを紹介しといたんだ」

 

 少しだけ申し訳無さそうに話す楓さんとは裏腹におっさんは『名案だろう?』とでも言わんばかりに自信満々に俺を見て来るので、俺はこれみよがしにため息を吐いて見せた

 本当に危ないところだった。

 もし、今日ここに川崎を連れてこなければ、その役は俺に押し付けられていたということなのだろう。

 そういう事なら今日川崎をココに連れてきたのはタイミング的にも正解だったのかもしれない。

 

「いや、それなら丁度良いし川崎にやらせてやってくれよ俺は別に……」

 

 そう言って俺がボロボロと崩れる最中を口に含むと、おっさんはふぅっと肩を落とし『これだから何もわかってない素人は』とでも言いたげに首を振ってきた。

 その反応とおっさんの先程までの態度も相まって、俺は少しだけ苛立ちを覚える。

 俺、何かおかしなことを言っただろうか?

 至極真っ当な、それでいて全員が幸せになれる案だと思うのだが……?

 

「そういうわけにはいかん、去年までと違い今回は他人様の子供を預かるんだ、監督もなしでな。コチラとしても紹介するならある程度の信頼がないと、相手にも申し訳が立たん」

 

 そう言い終わるとおっさんは川崎の方へと視線を移し、少し厳しい視線を向けた。

 その視線に川崎も一瞬だけ怯んだように肩を揺らす。

 

「いろはを助けてくれた事は感謝しているが、お嬢ちゃんのことを儂等はまだ何も知らず。八幡と違って実績もない状況では、もし八幡がこの仕事を断ったとしても今すぐお嬢ちゃんに任せるようなことはできん」

「実績……?」

 

 その意味不明な単語に首を傾げると『おいおい、忘れたのか?』とでも言いたげにおっさんが俺を見て来た。そういや、前に似たようなコトを言っていた気もするが……?

 なんだったっけ?

 

「前にも言っただろう? 八幡、お前にはもうすでに家庭教師として一年働き、現役総武高生を生んだという実績があるんだよ。例え今後お前が何をしたとしてもその実績は消せないし、あって損をするもんでもない。ちゃんと覚えておけ」

 

 うん、やはり前にも似たような事を言われたがピンとこない。そんなに重要なことだろうか?

 そもそも一色の家庭教師に関してだって特別なことをしたつもりはないしなぁ。

 川崎にも手伝って貰った部分もあるし……。

 

「へぇ……あんた結構すごいんだ」

 

 感嘆の声を漏らす川崎に、俺は『大袈裟すぎだろう』と否定の言葉を口にしようとしたのだが、口の中に含んだ最中に水分を持っていかれ上手く言葉を発することが出来なかった。

 その一瞬の隙をついて、おっさんが更に言葉を続ける。

  

「そこでだ。時給はそれほど高くないだろうが丁度人手を必要としてる人間に心当たりがある。お嬢ちゃんにはそっちをあたってみようと思うんだがどうかね?」

「人手?」

「ああ、まだ若いんだが喫茶店を経営してるヤツでな。つい先日嫁さんが妊娠したという報告を受けたのと一緒に、人を雇おうか悩んでいるという相談を受けたところだ、余程のことがなければ受け入れてくれるだろう」

 

 そうして、俺がお茶で最中を流し込んでいると、おっさんが今日初めて席を立ち、部屋の隅にある棚を開けて何かを探し始めた。

 馴れた手付きで引き出しの中をあさり、やがて一枚の紙を持ち自分の席へと戻ってくると「良かったら、そこで働いてみんかね?」とその紙を俺達の前に置いた。

 

 その紙は喫茶店がオープンするという宣伝のチラシ。

 日付が二年前になっているのに状態がキレイな事を見ると、オープン記念で大事に保管されていたものなのだろう。

 チラシの隅に載っている住所を確認すると、おっさんの家よりも総武高の近くにあるようで。こんな所に喫茶店があるのかと少し驚いたほどだ。

 こんな所で人が来るのだろうか?

 いや、隠れ家的な喫茶店で実は人気という可能性もあるのか。

 少なくとも、おっさんが紹介する店ならそれほど悪い店、悪い人ではないのだろう。

 

 だが……と思う。

 きっとそれは川崎の望む仕事ではないだろう。

 実際、川崎の方へと視線を向けると、川崎は少しだけ不満げに、そして不安げに口を開いた。

 

「でも、ここって時給とか……」

 

 そう、普通のバイトを選ぶなら川崎だってワザワザ俺に頼んだりしない。

 川崎が俺を頼って、俺がおっさんを頼ったのはあくまで“高時給”なバイトを求めた結果なのだ。

 その条件をクリアしていないのであれば、ワザワザおっさんの紹介するバイトを受ける理由がない。

 家庭教師ならまだ交渉の余地はありそうだが、人を雇うか悩んでいるというレベルの店にそれほど多くは望めないだろう。

 なんならそこらのコンビニの方が時給が高いまである……。

 

 そんな俺達の不満を感じ取ったのか、おっさんはピッと指を一本立てて口を開いた。

 

「まあ待ちなさい……これは話を聞いた時から思っていたんだが……まずお嬢ちゃん、奨学金を利用することは考えているのかな?」

「奨学金?」

 

 奨学金とは、つまり俺が狙っているスカラシップのことだ。

 その事については、俺の方からも後で川崎には確認しようと思っていたが、まさかおっさんに先を越されるとは思わなかった。

 いや、寧ろおっさんだからという見方も出来るか……。

 

「名前ぐらいは聞いたこと有るだろ? それとも、最近の学校はそんな事も教えないのか? 嬢ちゃんのように、金がないが学びたいという学生を支援してくれる制度は意外と多い、勿論多少悪どい事をしているところもあるようだが……本気で学びたいというのならそういう選択肢を選ぶ事もできるということを覚えておきなさい」

 

 続けておっさんが教師のようにそう説明をすると川崎は少しだけ考えるように顔を伏せる。その表情は真剣そのもので、今後の計画を考え直しているのだろうということは傍目からも理解できた。

 

「……でも、奨学金ってアタシでも貰えるの?」

「勿論、奨学金を受けるにはそれなりの学力は必要になるだろうが……八幡と同じ総武に通える実力があるなら、無理ってことはないだろう。まぁ、大学に行きたいと言っても、適当な大学に入って四年間遊んで暮らしたいとかなら話は別だがな」

 

 挑発的なおっさんの言葉に川崎は「は……?」と一瞬だけおっさんを睨んだが、はっと我に返りそのまま黙り込んでしまった。

 そんな川崎に、おっさんはふっと小さく笑うと、テーブルの上のチラシをトントンと叩き、今度は優しい口調で語りかけていく。

 

「……ここの店主はな、儂もよく知っている男で、学生を夜遅くまで働かせるようなことはせんし、教員免許も持っている、事情を話せば空き時間に勉強を見てくれるぐらいの度量はあるはずだ。まぁ確かに時給はそれほど高くはないかもしれんが勉強しながら働くというのであればそれほど悪い物件ではないだろう……」

 

 おっさんの言葉に、川崎は思わずチラシを手に取りその内容を読み込んでいく。

 といっても、そこにバイト募集や時給の項目はない。

 出来ることと言えば精々、書いてあるメニューや写真から店の雰囲気を読み取ることぐらいだ。

 だからだろうか、イマイチ決め手に欠ける部分もあり川崎は頭を悩ませているようだった。

 

「その上で、だ」

 

 しかし、そんな川崎の反応を見越してかおっさんは再びイタズラっ子のような表情を浮かべると、そう言って川崎の手からチラシを奪い取り、俺の方へと一瞬視線を向けた。

 

「八幡のサポートもしてみないか?」

「俺の?」

「サポート?」

 

 おっさんの言葉に、川崎と俺の声が思わず重なる。

 あれ? もしかして俺、今重要なコト聞き逃したか?

 おっさんの話に俺の事なんて出てきたっけ?

 俺のサポートってなんだ? 別にサポートなんてしてもらう必要はないはずなんだが……。

 

「そう、八幡には実績があるとはいえ次の仕事先は小学六年生の家庭教師、しかも女の子だ。授業内容も決めていないだろう?」

「いや、そもそも俺そのバイト受けるなんて一言も──」

 

 おっさんの言葉を慌てて否定する俺。

 何シレっと俺がその小学生の家庭教師を請け負うことにしてるの?

 おかしいよね? おかしいでしょ?

 引き受けてないのに授業内容も糞もないだろうに。

 それでもやはりというかなんというか、例の如くおっさんは俺の言葉を遮って川崎の目だけを見ながら話を続けていく。

 

「そうだな……八幡が週に一回その子の学習内容を伝えて、共同で学習計画を建てるというのはどうだ? プリントやテストなんかを作ってくれれば尚良いな」

 

 川崎もおっさんの言葉の意図か理解できず、俺の方を一度チラリと見ながらも何を言うでもなくおっさんの言葉に耳を傾けていた。

 

「もしその成果が出て成績が上がったなら儂の方からお嬢ちゃんにバイト代を出してやろう。孫を助けてもらった礼もあるし、多少色を付けてやっても良いぞ? どうだ?」

 

 なるほど。今度は副職の提案ということか。

 つまり、川崎には喫茶店のバイトをした上で、それとは別に学校や家で出来る副職を勧めているのだ。

 これなら確かに普通のバイト一本よりは稼げるかもしれない。

 俺が心配していたような非合法なバイトをするよりは遥かにリスクも少ないだろう。

 

「学校に通い、バイトをしながら勉強をし、暇な時間に小学生向けの問題を作ればボーナスが手に入る。そう悪い話じゃあるまい?」

 

 バイトにかまけて勉強が疎かに馴ればスカラシップ──奨学金を狙えなくなってしまうし、自分のペースで稼ぎながら勉強ができる環境というのはある意味理想的ですらある。

 しかも、川崎の方はサポートだから最悪やらなくても怒られないわけだ。

 いや、それなら俺がサポートに回りたいんだが……。

 これじゃぁ俺が川崎の上司みたいじゃん……。

 

「まあ、そうなると給料も八幡経由で渡すことになるだろうから……八幡が直属の上司になるな。一応言っておくと八幡がクビになったら自動的にお嬢ちゃんの仕事もなくなるからそのつもりでな」

「はぁ!?」

 

 そんな事を考えていると、まるで俺の考えを見透かしたかのようにおっさんがそう言ってカッカッカと甲高い笑い声を上げる。

 戸惑う俺に、川崎は「本当にアンタで大丈夫なの?」とでも言わんばかりの目で不安げに俺を見てくるだけだ。

 

「なんだ? この期に及んでお前が断るのか?」

「……いや、断るっていうか……」

 

 その川崎の表情を見て、漸くおっさんが俺の反応を確認する。

 いや、本当今更過ぎるだろ、一番最初に確認すべきポイントだと思うが……。

 

「まぁ、八幡が家庭教師を断るなら当然お嬢ちゃんのボーナスの話もなしになるわけだが……」

 

 チラチラと俺を見ながら、態とらしく悲しげな声をあげてくるおっさんには可愛げも何もないが。

 期待の目を向けてくる川崎の視線は少しだけクるものがあった。

 

「──っ! わかったよ、やる! やればいいんだろ!」

 

 結局、俺はその川崎の視線に負け、そう叫び残ったお茶を胃に流し込む。

 そんな俺を見て、おっさんは笑い、楓さんは「それじゃあお願いね」とお茶のおかわりを淹れてくれた。

 あー、もう、小学生の女子とか絶対面倒くさいことになる気しかしないんですけど?

 

「素直にそういや良いんだ。さて、後はお嬢ちゃんだが……どうする?」

 

 俺の答えに満足するとおっさんは次にそう言って川崎の目を見る。

 

 といっても、俺と違って川崎の返事はもう既に決まっていたらしく、真剣な眼差しで少し前のめりにおっさんを見ながら「やります、やらせてください!」と力強く頭を下げていた。

 

「よし、そういうことなら丁度いい時間だし、昼飯がてら“アイツ”の喫茶店まで案内しよう。楓、車の鍵を!」

 

 川崎の答えに満足したのか、おっさんはウンウンと力強く頷くと勢いよく立ち上がり、楓さんに向かってそう叫ぶ。

 するといつの間に広間から出ていた楓さんはおっさんの行動を既に読んでいたらしく、その両手に車の鍵を持ち戻ってきた。

 なぜ、そこまでおっさんの行動を読める人が、あんな勘違いをしていたのかと不思議で仕方がないのだが……。

 

 何はともあれ、こうして俺の次の職場が決定してしまったわけだ。

 はぁ……なんでこんなことに。

 横を見れば、川崎はバイトが決まったという安心感からか、安堵の表情を浮かべ少し冷めたお茶に口をつけていた。




拙作きっての人気キャラで、再登場の声が最も多かったと言っても過言ではないおっさんの久しぶりの登場いかがでしたでしょうか?

正直、当初の予定以上に好き勝手に動いてくれたので
今回また少し長くなってしまい前後編に分ける羽目になってしまいました
ぐぬぬ……相変わらず文字数が読めない
次回でなんとかこのあたりの話は終わらせたいと思っておりますので
もう少しお付き合い頂けると幸いです

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