やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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第92話 蛇足な勉強会

「それからはトントン拍子で話が進んでな。気がついたら毎週ココに通うハメになったんだよ」

 

 そうして、全ての説明を終えた俺は軽く伸びをして椅子の背もたれに体を預けた。

 実際、川崎が俺の家庭教師のサポート役と言っても、毎週お互いの家に通うなんて発想はなかったし、学校では人の目もあったので、学校からほど近く川崎のバイト先でもあり事情も理解してくれていたこの店以外に選択肢はなかった。

 だから、一色達が思うような甘酸っぱい関係や状況ではないという事は強く主張しておきたい。

 まぁ、最近周囲が騒がしくなりつつある俺にとっては新メニューの試作品と称したサービス品が貰えたりもするこの店での一時が週に一度のちょっとした憩いの場になっていたという部分があったことは否定しないけどな……。

 試作品の当たり外れはデカかったけど……。

 

「“ハメになった”だなんて酷いなぁ、八幡くんもウチに来るの楽しみにしてくれていたと思ったのに」

 

 しかし、そんな俺のちょっとした見栄というか、誇張した言い方に反応した人物が居た。

 ちょうど俺の後ろの席に座っている客にクリームソーダとコーラを持ってきたマスターだ。

 マスターは「ごゆっくり」と後ろの客に笑顔で応対してから、俺達のいる席の横へとピットインし、話に混ざり込んで来る。

 

「あ、いやまぁ、それはなんていうか……ほら、言葉の綾というか……」

「まあ、そういう事にしておいてあげよう。でもそうか、あれからまだひと月半位しかたってないのか。なんだかもう一年ぐらい通ってくれてる常連さんな気でいたよ」

 

 そう言うと、マスターは楽しそうに笑いながら一色と雪ノ下のコーヒーカップに視線を落としてから一度カウンターへと戻っていった。

 あの雰囲気からすると恐らくコーヒーのお代わりを持ってくるつもりなのだろう。

 意外と出来るマスターなのである。

 

「その間、センパイと川なんとか先輩はここでその家庭教師の話し合いみたいなことをしてたんですか?」

「川崎な。まあ……そうだな。丁度お前らが来る前に来週分の課題を受け取ったところだ」

 

 一色の質問に、俺がそう返しながら先程川崎から受け取ったクリアファイルを見せると、一色と由比ヶ浜は「へぇ」とか「ふーん」とか興味があるのかないのか良く分からないリアクションをしながら、そのクリアファイルの中身を確認しはじめた。

 中身といってもただの小テスト、それも小学生向けのモノなので見て楽しいものでもないと思うのだが、何故か二人共興味深げに指でなぞりながらその問題を解こうとしている。

 

「来週使うんだから汚すなよ」

「はーい。……とりあえず、仕事をしてたっていうのは……本当みたいですね」

 

 俺がそう注意して、プリントを返すよう促すと一色は、どうでも良さそうにそのプリントを俺に返してきた。

 だが、一方の由比ヶ浜は何故か目を細めながら「ぐぬぬ……」と険しい表情でプリントに目を通したまま返そうとはしてこない。え? 嘘だろ? 解けないわけじゃないよな? それ小学生用の問題だぞ?

 そんな事を考えながら、俺が由比ヶ浜の方に手を伸ばしたままでいると、予想通りコーヒーポットを抱えたマスターが再びピットインしてきた。

 笑顔で「おかわりはいかが?」と問いかけるマスターに、一色と雪ノ下は一瞬だけ視線を交わしてからカップをマスターの方へと向けていく。

 

「頂きます」

「あ、私も。……あの……それと……店長さんから見た二人がどんな感じだったかとかって聞いてもいいですか?」

「二人の様子? そうだねぇ……」

 

 いや、忘れてるみたいだけど、そのコーヒー元々俺のだからね?

 君が注文したキューピッドまだココにあるんだけど、何しれっとお代わりとかしちゃってるの?

 喉かわいてるならこっち先に飲みなさい?

 そんな風に俺が心のなかでツッコみを入れていると、マスターは二人にお代わりのコーヒーを淹れながら「うーん」と数秒視線を泳がせ、口を開いた。

 

「一言でいうなら、長年連れ添ったパートナーみたいな感じかなぁ。時々意見を交換しながらまるで子供の教育方針について話す夫婦みたいに仲良くやっていたよ」

 

 しかし、それはなんというか……余計な言葉のオンパレードだった。

 他の席で接客をしている川崎が思わず「はぁっ!?」と動揺を見せ、俺を睨んでくるほどだ。

 この後の展開は知っている。何故か俺が怒られて女性陣から非難されるのだ。本当に勘弁して欲しい。

 

「へぇ……ヒッキーとサキサキってそんなに仲良かったんだ……」

 

 そんな俺の予想通り、由比ヶ浜が俺に非難の目を向けると同時に、俺の左側から冷気が漂って来た。

 ……ん? 冷気? なんだ? 冷房をつけるには些か早すぎる気がするが……誤作動か?

 だが、当然そんな訳はない。

 恐る恐る俺がその冷気の漂ってきた方向へと視線を送ると、そこにはニコニコとまるで仮面のような笑顔を俺に向ける一色の姿があった。

 うん、こうやって見るとやはり一色には楓さんの血が流れているんだな。今更だけど。

 

「……センパイ? その川なんとか先輩とは本当にお仕事上の関係っていうだけなんですよね?」

「……そ、そうに決まってるだろ……」

 

 そもそもおっさんの差し金でこんな事になっているのだから、文句ならそっちに言って欲しい。どこに俺が悪い要素があるというのだ。

 それでも、俺の言葉を疑っているのか、或いは他に納得がいかないことがあるのか一色は俺の目をじっと見つめてくる。

 一、二。三、四、五。

 たっぷり五秒はあっただろうか。

 まるで嘘発見器にでも掛けられているかのようなプレッシャーの中、俺が冷や汗を垂らしながらじっとその目を逸らさず見つめていると、漸く納得したのか、一色は『ふーん……』と息を吐き、コーヒーカップを傾ける。

 

「ははは、もしかして余計なこといっちゃったかな? コレは沙希ちゃんもウカウカしてられないねぇ」

「店長!! アタシと比企谷はそういうんじゃないって何度も言ってますよね……!」

 

 そんな俺達の会話から何かを感じ取ったのか、雪ノ下の分のコーヒーを淹れた後そう言って茶化しながらカウンターへと戻るマスターだったが、その言葉に反応したのは他の席で接客中だった川崎だった。

 

「はいはい、ごめんごめん。他のお客様にご迷惑だからもう少し静かにね」

 

 対して悪びれた風でもなく、そういうマスターにこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか、川崎が再び俺を睨んでくる。

 いや、だから俺を睨まれても困るんだがなぁ……。

 ほら、他のお客さんも困惑してるぞ。

 スマイルスマイル。

 

 そう、忘れがちだが、ここは店の中なのである。

 決して多くはないが、客は俺たち以外にもいるし、店内でウェイトレスとマスターが叫ぶように会話をしていれば、当然客の視線も自然と集まってくる。

 しかも、そのウェイトレスが俺を睨んでくるのだから、その視線は俺の方にもくるわけで……。針のむしろ状態で堂々としていられるほど図太くもない俺は、思わず目の前のキューピッドに口をつけ、その場を濁すことにした。

 

 もう間接キスだなんだと気にしている場合ではない、そもそも一色が気にせず俺のコーヒーを飲んでいるのだから、気にしている俺のほうがどうかしているまである。

 だが、そうして目の前のストローに口をつけると、由比ヶ浜が一瞬「あ」と声をあげた。

 もしかして飲みたかったのだろうか?

 そんなに気に入ったのか?

 でも、由比ヶ浜の前のグラスはまだ半分以上残ってるしな……。

  

 そんな事を考えながらしばし由比ヶ浜と視線を交わしていると、やがて店内の空気も元に戻り、静かだった店内にザワザワ──という程多くはないものの客同士の喧騒が再開されていく。

 

「なるほど……これはあながち小町の読みが外れたというわけでもなさそうだね……」

 

 俺の背後からその声が聞こえてきたのは、丁度そんなタイミングだった。

 聞き慣れた単語とその声色に思わず背後を振り返る。

 俺の背後、つまり先程マスターがクリームソーダを運んでいた席だ。

 客がいるのは知っていたが、席の高さ的にどんな人物が座っているのかは分からなかった。

 ただ分かることといえば、背もたれの上の方にぴょこぴょこと揺れ動く“何か”が見えているということ。

 その“何か”は、一言で言ってしまうなら髪の毛──アホ毛だ。

 どこかで見たことがあるそのアホ毛は、楽しそうにゆらゆらと左右に揺れたかと思うと、突然ピタリと動きを止め、やがてにょきにょきと上へと伸びて行く。

 アホ毛が伸びていくとはどういうことか? とも思うが、他に表現のしようがないのだから仕方がない。

 

 一体何事かと、そのままアホ毛を気にしていると。やがて一色達もその異常に気がついたのか同じようにアホ毛を注視していく。

 そして次の瞬間、そのアホ毛の根っこの部分から大きな丸い頭と奇抜な七色の星型のメガネが生えてきた。

 まるでおもちゃのようなその星型眼鏡のレンズ部分は酷く薄っぺらく、その下に隠された二つのクリクリとした愛らしい瞳と一瞬だけ目が合ってしまう。

 だから、俺はそれが女子だということにすぐ気が付いた。うん、紛うことなき女子だった。女子と言うか……。

 

「小町?」

  

 俺がそう呟くと、星型眼鏡は「ヤバ」と再び背もたれの裏へと消えてしまった。

 しかし、人間が実際に消えるわけがない。

 だから俺は、椅子から立ち上がり背もたれの反対側を覗き込んだ。

 

 すると、そこには案の定というかなんというか……椅子の背もたれに顔を押し付け丸まっているマイリトルシスター小町の姿があった。

 その余りにも滑稽な体勢に、俺はなんと声をかけたらいいのか分からず思わず視線を泳がせてしまったのだが、その時初めて小町が一人ではないことに気がついた。

 小町と向い合せの奥の席に目深に帽子をかぶった妙な男が座っていたのだ。

 そう、小町と向かい合わせた前の席に──。

 

「オマエダレダ」

「あ、えと……」

 

 思わず声が低くなってしまうのを感じながらも、俺は背もたれ越しに男を睨みつける。

 だが、男は一瞬ビクリとその身を震わせるものの、顔を伏せたまま何も答えようとはしなかった。おいおいなんだその反応?

 まさか『お付き合いさせてもらってます』とか言うんじゃないだろうな? お兄ちゃん許しませんからね?

 

「あ、あれぇ? お兄ちゃん? 偶然だね! こんなところで会うなんて、これもやっぱり小町とお兄ちゃんの絆の為せる技なのかな? あ、今の小町的にポイント高い!」

「……何が『偶然だね』だ。明らかに覗き見してただろ」

 

 危うく闇落ちしそうな俺を制したのは、他でもない小町だった。

 小町はわざとらしくワァっと手を大きく広げ『びっくりしたぁ』とでも言いたげに俺とその男の間を遮るように顔を上げると、今度は冷や汗を垂らしながらこの場をどう言い繕おうか考えるように視線を彷徨わせながら「アハハぁ……」とサングラスを外し、男の方へと視線を向ける。アイコンタクトというヤツだ。

 

 って、おいおい、何今の目と目で通じちゃう感じ。

 まさか、その男本当に小町のか、か、か……かれかれかれかかかかか……とかじゃないだろうな!?

 思わず再び闇落ちしかける俺だったが、こちらの異常事態に気付いたらしい川崎が慌てたように近づいて来るのが見えた。

 

「大志!? アンタなんでここにいんの!」

「よ、よぉ,姉ちゃん……」

 

 川崎の言葉で、今度は男の方が観念したように顔を上げ軽く手を挙げると、チラリと小町と視線を交わし「もうダメだ」と観念したように項垂れる。 

 

「何? 川崎の……弟?」

「うん、弟の大志。そっちは?」

「ああ、妹」

 

 その様子から、なんとなくお互いの関係性を理解した俺たちは確認の意味をこめて簡単にそれぞれの弟妹を紹介した。

 ふむ、川崎の弟か……、言われてみれば確かに目元が似ているような気がしなくもない。

 しかし、なぜその弟が小町と?

 同じ川崎家の人間ならけーちゃんとかと一緒に来てくれれば良いのに何故男なんかと……。

 そして、いつの間に? そもそもなんでここに?

 

「で、なんでお前らが一緒にいんの? ま、まさか付き合って……?」

「まさか。大志くんとは塾が一緒なだけだよ」

「そ、そうか……」

 

 バッサリとそう言い切ってケラケラと笑う小町を見て肩を落とす大志に、少しだけ同情してしまったのは内緒だ。何故女子というのはこうも容赦がないのだろうか。

 いや、兄としてはその方が安心なんだけどな……。

 

「いつの間に入って来たの? 全然気づかなかった……」

「ああ、その二人なら何か訳ありっぽかったから、僕が案内したんだよ」

 

 俺が小町を問い詰めるのと同様に、川崎も大志を問い詰めていたが、その疑問に答えてくれたのはマスターだった。

 思わず川崎が「は?」と首を傾げながらカウンターに立つマスターに視線を送ると、マスターは 何故か得意げにサムズアップを決めている。

 まあ、気づかなかった俺達も鈍感だったというかなんというか……。

 

「それで? 何しにきたの? まさか普通に茶飲みに来たわけじゃないんだろ?」

 

 とはいえ、来てしまったものは仕方がない、俺と川崎は見下ろすようにしながら二人を睨みつけ、その理由を問いただす。

 だが、小町も大志もアワアワと視線を泳がせるだけで、何も答えようとはしてこない。

 そんな二人の態度に、俺と川崎は一度視線を交わすと、コクリと一度頷きあった。

 どうやら川崎もこういう時の妹──弟の態度には心当たりがあるらしい。

 そう、これは……あれだ。ロクでもないイタズラをして怒られるのを避けている時の反応だ……。

 

「小町……?」

「い、いやぁ、修羅場の匂いがしたもので……」

 

 仕方なく、俺が最後通告の意味をこめて低い声でそう呟くと、小町はやがて観念したように「あはは……」と頭を掻きながらそう答えた。

 修羅場?

 何を言ってるんだこいつは?

 

「あ、あのね。二人はサキサキがこのお店にいるのをたまたま見かけただけみたいで。ここに来ようって言い出したのはいろはちゃんなんだよ」

 

 その俺の疑問に答えてくれたのは由比ヶ浜だった。

 由比ヶ浜の言葉で、漸く俺はこの状況を理解する。

 つまり、こいつらが俺と川崎がここにいることを一色たちにチクったということか。

 まあ、うちの学校からそれほど離れてないからいつか誰かに見つかるだろうとは思っていたが、まさかこんな一気に来られるとはな……。

 全く、余計なことを……。

 

「そういえば、お米さぁ……センパイが居るの知ってたんだよね? なんか、私たちをココに来させないようにしてなかった?」

「イ、イヤダナァいろはさん、小町ガソンナコトスルワケナイジャナイデスカァ」

 

 そんな事を考えていると、突然一色がそう言って立ち上がり、小町の隣へと席を移ってその肩に手を回しながら、まるで輩のように絡み始めた。

 一色にペチペチと頬を叩かれる小町は、焦ったように言い訳を述べ「お、お兄ちゃぁん……」と俺に懇願の目を向けてくる……。

 正直状況が全くつかめないのだが……。まぁ、自業自得というやつだろうから放っておくことにしよう。

 

「こら! 大人しく吐きなさい!」

「うぇぇ、お兄ちゃん助けてぇ!」

 

 小町のそんな叫びが店内に響くと、再び周囲の客の目が俺たちの方へと集まってくる。

 これ以上はまた店の迷惑になるな……。

 そう考えた俺は、その叫びを無視してぽすんと席に付き「アハハ……」と疲れたように笑う由比ヶ浜と、最早興味もないという風に単語帳を捲り始めた雪ノ下を見ながら、ハァとため息を吐いたのだった。

 

*

 

「で、結局お米はなんで私がココに来るの止めようとしてたの? いい加減吐きなさい」

 

 それから、俺は小町のことは一色に任せることにして、眼の前でバツが悪そうに笑う由比ヶ浜と視線を交わしながら、背もたれ越しに二人の会話に聞き耳を立てていた。

 相変わらず何の話かは分からないが、とりあえず矛先が俺に向いてこないのであれば何も問題はない。

 あわよくば大志とどれぐらい会っているのか? とか、連絡先を交換しているのか? とかそういう情報を聞き出してくれれば万々歳だ。

 

「それはですね……まあ、なんといいますか……小町としては一応何かあったときの保険は必要かなぁと考えていたというか、お姉ちゃん候補は多いほうが良いというか……」

「ほぅ……?」

「ぼ、暴力反対!」

 

 突然ドンっと席が揺れたので、何事かとチラリと上から一色たちの様子を伺うと、一色は小町の頭に手を回し、その頭を自分の胸に押し付けるようにグイグイと引き寄せていた。

 ヘッドロックのようにも見えるが……ははは、まさかな。ちょっとじゃれ合っているだけだろう。

 うんうん、仲が良いのは良いことだ。

 いろこまは今日も通常運転である。

 

「お前らぁ、あんま店に迷惑かけんなよ」

「はーい……ほら、アンタのせいで怒られちゃったじゃん」

 

 そんな声を背後に聞きながら、俺は眼の前のキューピッドに口をつけていく。

 一度口をつけてしまったのだから、最早二度目も三度目も対して変わらない。残すぐらいならと俺は一気に残りを吸い上げていく。

 そうしてズズッと、土色のソレを飲み干していくと何故か由比ヶ浜が俺を見ていることに気がついた。

 見る、というか凝視する、というイメージだ。

 何か気になることでもあるのだろうか?

 そう思い、俺はそのストローから口を離し由比ヶ浜に問いかける。

 

「ん? どした?」

「う、ううん。えっと……その……良かったら私のも飲む?」

 

 どうやら俺が一気に飲んだのを見て、よほど喉が渇いていると思われたらしく、由比ヶ浜はそう言うと自分の飲みかけのキューピッドをズイと俺の方へ押し出してきた。

 それはきっと優しさからくる提案だったのだとは思うが……当然俺の答えは「ノー」だ。

 そこまで喉が渇いているわけではないし、そんなに沢山飲むようなものでもないからな……。仮にもしまだ飲み足りなかったとしても、別の何かを頼みたい。

 

「いや、いらん。気遣わないで自分で飲めよ」

 

 だから、俺はそう言って由比ヶ浜の申し出を断ったのだが……由比ヶ浜は何故か少し残念そうに「……そっかぁ……」と呟くとイジケたようにストローを回し始めた。

 あれ? 俺何か間違ったこと言ったか?

 もしかしたら、由比ヶ浜の口に合わなくて飲んで欲しかったとか……? いや、でもさっき『美味しい』って言ってたよな……?

 

「あれ? もしかして結衣さんも……?」

 

 その由比ヶ浜の行動に、俺が首を捻っていると、再び小町が頭上から現れそんなよくわからないことをブツブツと呟き始めた。

 ん? “も”ってことは、小町もキューピッド派か?

 あれ? でもさっき運ばれてきたのってクリームソーダとコーラだよな……?

 キューピッドなんて何時飲んだんだ?

 あんな特殊なカルピスを家で作った記憶はないのだが……。

 

「でもセンパイ、そういうことなら今日はもうお仕事終わりってことでいいんですよね?」

 

 そんな事を考えていると、いつの間にか俺の隣の席へと戻ってきた一色がそう言ってニコニコとした笑顔を向けて来た。

 なんだか今日は怒ったり笑ったり忙しいやつだな……と思いながらも、こいつがこういう顔をする時は大体ろくなことがないんだよなぁ……。と少し警戒しながら一色の質問に答えていく。

 

「まあ、そうだな……。今日はもう仕事にならなそうだしさっさと帰……」

「じゃあ、折角ですしこのまま少し私の試験勉強見てくださいよ」

「は?」

 

 そんな俺の言葉を遮るように一色がパンと手を叩くと、一色は突然自分の鞄を漁り「そもそも今日はその予定だったんですよねー」とテーブルの上に筆記用具を広げ始めた。

 え? 何? 試験勉強? 何の話?

 

「ね? いいじゃないですか、家庭教師の延長ってことで」

「わ、私もヒッキーに教えてほしいなぁ……なんて……」

 

 その突然の展開に俺が困惑の表情を浮かべていると、眼の前の由比ヶ浜もいつの間にかノートを広げ、上目遣いでチラチラと何かを訴えるように俺を見てくるが……。

 

「結衣先輩は雪乃先輩に教えてもらえば良いんじゃないですか? ほら、丁度ペアになってますし、いいですよね? 雪乃先輩?」

「……元々、今日は由比ヶ浜さんに勉強を教える約束をしていたわけだから、私は構わないけれど……私じゃご不満かしら?」

「う、ううん。不満なんてないです、はい……」

 

 ああ、そういえば今日学校出る時そんな話もしていたな。

 まあ、雪ノ下は学年トップだし。教わるならコレ以上の適任者はいないだろう。

 というか、俺なんて必要ないまである。

 

「いや……全部雪ノ下に教わればいいじゃん、俺もう帰りたいんだけど……。ほら、店にも迷惑だろうし、小町も送ってかなきゃいけないし」

「ああ、店の事は気にしなくていいよ、ゆっくりしていって。どうせ満席になることなんてないしね」

「小町の事もお構いなくぅ、どうせ帰っても一人だし」

 

 だが、そんな俺の言葉に、マスターと小町が揃って自虐的にそう答えると「お兄ちゃんが女の子に囲まれて勉強会……今晩はお赤飯炊かなきゃ……!」などとブツブツ言いながらスマホをいじりはじめた。

 どうやら、この場に俺の味方は一人もいないらしい。

 

「決まりですね♪ 店員さんすみません! そういうわけで何かつまめる物追加してもらっていいですか? あと、来週からは私もご一緒させてもらうのでよろしくお願いしますね♪」

 

 一色が川崎にそう言うと、川崎は今日一番の驚愕の表情で「はぁ!?」と俺を睨んできた。

 いや、おかしいだろ。なんで俺を睨む。

 今までの流れで察してくれ、俺に発言権などないのだ。八幡悪くない。

 

「大丈夫ですよ、お仕事の邪魔はしませんから。ねー? センパイ♪」

 

 何が大丈夫なのかは分からないし、何が「ねー?」なのか分からないが、俺が何を言ってもコイツの言葉は覆らないだろう。

 ソレを察したのか、やがて川崎も諦めたようにため息を吐くと、軽く頭を振って伝票に何かを書き込んでいく。

 

「はぁ……つまめるのってポテトとかでいいの? あと大志、あんた今日ちゃんと金持ってきてるんでしょうね? 姉ちゃん奢らないからね」

「ええ……今月ピンチなのに……」

 

 そうして川崎がカウンターへと戻ると、川崎弟は財布の中身を確認し始めた。

 おいおい、姉貴に集る気満々だったのかよ。

 おっと、そういえば俺もきちんと釘を差して置かなければ、最悪全部俺持ちなんてことにされかねないからな……。

 

「うーん……やっぱり本命はいろはさんかなぁ……一点買いで大儲け? でもやっぱりリスク管理は大事だよね……」

「何ブツブツ言ってんの? お前も自分で払えよ?」

「えー!? お兄ちゃんのケチぃ!」

 

 やはりこちらも俺に集る気でいたらしい、危なかった。

 言質取るって大事だよな。うん。

 

「ところでセンパイ? 他に隠し事とかはないですか?」

「隠し事?」

「川なんとか先輩のコトみたいに、私に内緒でやってることはないですよね? ってことです」

「川崎な。特にない……と思うけど。というか別に今回のことだって隠してたわけじゃないだろ」

 

 不服そうな一色に、俺は改めてそう説明するが、一色は何故かジト目のまま俺を責めてくる。

 俺からすれば詳しいことはおっさんから伝わっているものだと思っていたし、必要な情報は言ったつもりなのでそんな目で見られても困るんだがなぁ……。

 というより、一色相手となるとどう考えても言う必要のなさそうなことですら、隠し事認定されてしまうことがあるのは困りものだ。

 少なくともおっさん関係で言っていないことはもうない……はずだ。

 そう思ったのだが、その時一つだけ一色に伝えておかなければならないコトがあるのを思い出した。

 

「あー、そうだ。一個忘れてた」

「はい? なんでしょう」

「今度お前んち行くことになってるんだけど、そっちは聞いてる?」

「へ?」

 

 それは今伝えるには少し早いかもしれない、来月以降の予定だったのだが。

 今日の流れから察するに早めに言っておかないとまた難癖を付けられそうだったので今のうちに言っておくことにした。

 

「き、聞いてないです! いつですか!? なんなら今日でもいいですけど!」

「いや、ソレは流石に……そうだな、多分テスト明けぐらいだな……」

 

 案の定、話を聞いていなかったらしい一色が驚きの声を上げ、スケジュールを確認しはじめた。

 やはり、聞いていなかったか。

 もしかしたら“もみじさん”が敢えて教えていなかった可能性もあるが……言っておいてよかったなと俺はほっと胸をなでおろし、スケジュールを確認しようとスマホへと視線を落とす。

 すると、丁度川崎がポテトが運んできたので、ふと顔をあげると、何故かそこには驚いたような表情のまま俺を見て固まっている由比ヶ浜の姿があった。




ラストのガハマさんの心中はお察しください……。

前回の続き……というより前回のCパートに入る予定だった部分でもあるので大分蛇足的な内容となりましたが、まあ、こういう回もあるよねということで……。

次回からまた少しお話が動きます。

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