日本に生まれて生きてきた私ですが、いつの間にか死んでいて、これまた日本に生まれた私が覚えていたのは施しの英雄の彼の名前と存在だった。
司波真昼、私はそんなこんなで健気で可愛い妹と不器用だけど頼り甲斐のある弟に囲まれてなんとかやってます。
誰かに過剰に憧れる・崇拝するということは自分の視野を狭める行いで何よりも掛け替えのない自分の未来さえも閉ざして、望まぬ結末さえも決定づける愚かな行いだと私は私が憧れた『彼』になった事でようやく気づくことになった。
それでも、私の中に悔いが生まれたかというと、それは違うと断言できる。
私は私が憧れた彼に成れた事で、かつての未熟で可能性のある私を尊いものとしてしっかりと認識できたし、なんの才能も無い私だとしてもこの身に宿る彼の力で尊い可能性を守ることができたのだから。
施しの英雄にして討たれるべくして生まれた存在・カルナ。
私はそんな彼の生き様に憧れた——唯の馬鹿者だ。
かつての私が住んでいた世界とは全く別で、しかもかつての私の視点から見て未来にあった世界。その大きな星の中で日本という島国の四葉と称される魔法師の家系において現当主・四葉真夜の双子の姉である四葉深夜とその夫の間に双子の姉として私は生まれ落ちた。
私の名前は真昼。
双子の弟の名前は達也。
普通なら子供が生まれるということは母親・父親その親族と喜びをもって迎え入れることだと思うのだが私が生まれた四葉家は世間一般で言う普通からはほと遠かったようで、魔法師の家系である四葉として魔法師の才能を全く継いでいなかったと言う理由で四葉からは全くと言っていいほど存在を認められず。
そして父である男からすれば私たちの母である四葉深夜との結婚は政略結婚のようなものだったらしく私を含め達也が愛情の一片さえも注がれることはなかった。
母親の腕に抱かれた事もあったかどうかと言う徹底ぶりで、魔法師としての才能が欠如していた私と達也は義務として、次に生まれてくるであろう四葉の後継者の護衛として育てられることが生後数カ月で決められたようだ。
幸か不幸か、私には生まれて直後から明確な意識というものがあった。
赤子の内から喋れる、なんて事はなく未熟な体では体を自分の思う通りに動かすことさえ億劫だったしと、とにかく自分の体だというのに自分の体ではないような、それでも自分の体だという奇天烈な体験を経験した。
私という意識はあっても、漫画やアニメ・ドラマのように都合の良い知識や天才的な頭脳があったなんて事はなく私は私という自我を赤子の頃から抱いて生きてきた。
私が知っていた事はとても少なく、私がここではない別の世界から来た事とそして私の中に彼の力が眠っているということぐらいだった。
幼い私は知る由もなかったが、私も弟である達也も四葉にとって重要な存在ではないのは分家も含めて家中では周知のようで、私たち双子は四歳くらいの頃から四葉の後継者を護衛する存在としての教育が開始された。
四葉深雪。
別々に教育された私と達也が教育係から伝えられたその名前は将来仕え、主人の命の危機とあらば己の命を捨ててでも守り通さなければならない妹の存在。
ふと、達也は言った。
『なんでぼくなの?』
『なんでおねえちゃんが?』
『なんで——いもうとに?』
それは私も思ったことだ。
何故、疑問を口にしようとしていた私は——振り上げられた平手を見てから咄嗟に達也の体を私で覆い隠し、体を揺さぶった重い衝撃に宙を飛ぶ事になった。
多分だが、これが達也自身が自分の感情を殺すきっかけになったのだと私は思う。
出来損ない、不良品とどう考えても四歳の子供に掛けるべき言葉ではないのだがそもそも魔法師の家系である四葉において魔法師ですらない私と達也に人権など無かったのだ。
暴力の嵐に見舞われた私と達也は、硬い床に叩きつけられて直ぐに無理矢理に立たされてこの日の教育を施された。
まぁ、そんなこんなで暴力と暴言に蔑みを与えられた私と達也は六歳になった時、ある手術を受ける事になった。
そして私と達也は、その手術を経て生まれて初めて妹の深雪と出会う事になった。
全ての情動と引き換えに不出来な魔法演算領域を得て。
日々の傷を舐め合い共に過酷な日々を過ごした掛け替えのない双子の片割れへの慈しみを失って、深雪だけに注がれる無条件の愛を心に残されて。
「誰に、何をするつもりだ……」
私やお母様にあの人達と穂波さんが避難として一時案内された狭い室内に充満するおびただしい熱気の正体は紅蓮の炎だった。
触れるだけで金属やコンクリートでさえも一瞬で融解させれるのではと思わせるほどの紅蓮が、何も無いと思っていた私の姉から噴き出てその背後にいる私やお母様や穂波さんを守る翼のように広がっていく。
「おい! キャストジャミングだ早くッ!」
「やってる! 何で魔法が発動してるんだよ?! まさか、不良品なのかコレはッ!?」
私の頭に響くような不快な音や魔法の発動を阻害するサイオン波はいまだに止まらずに、確実に魔法師の魔法発動を遮っている筈。
でも、だとしたらこの炎は一体なんなのか?
途切れた炎の隙間から見えた黒い筈の姉の髪は、見違える程真っ白になりか細い体には輝かんばかりの黄金の鎧を身に纏って、私の前に立って……姉は魔法師の才能が欠如しているとお母様やお家の人から言われてきたのが嘘のようだった。
「誰に、何をしようとしているのかしら……? 母を、穂波さんを……深雪を……あまつさえ達也の心さえ穢そうというのかしら……?」
まるでこれはそう、姉の怒りが炎として具現化したかのようで、姉の感情を向けられていない視界の外の私であってもその怒髪天をつくあり様に呼吸を忘れる程だった。
「真昼……? どうして、貴女に感情が……?」
轟々と燃え盛る炎に当てられて何かが溶ける音が私の耳に届く中、お母様の声を私は確かに聞いた。
キャストジャミングに当てられて先程までお母様は床に臥せっていたというのに、姉の異様な様を見て、いや感情の発露を見て、魔法の発動以前に感情がある様を驚いているかの様だった。
まだまだ炎が燃え上がるもその向こう側では動きがあった様で呻き声や何かがぶつかった様な硬い音が聞こえてきて、その慌ただしい音と動きが収まると同時に炎が収まり向こう側が見え始めて私たちを襲ってきた『取り残された血統』の軍人たちは別の軍人たちに押さえ付けられていた。
そして、お母様の命令で周囲の探索に出たいた筈の兄が一度も見たことがない様な血相を変えた顔で私の方に、一目散に駆け寄ってきた。
「深雪!? あぁ……無事か、よかったッ……!」
「お兄様!」
兄が無事で、人間らしく感情をあらわにした様を見て私の中に妙な安心感が生まれたが私の視線は姉に釘付けになった。
「真昼……お前なのか……?」
兄の呟きは私の代弁であると同時に、警戒と共に銃を構える軍人たちの代弁でもあったと思う。
害を為す存在か否か。
姉が姉であるかと口にした兄の疑問はもっともだった。
だって、私が見てきたいつもの姉は肩口くらいで切り揃えていて、髪が黒くて目つきが鋭くて無口なこともあってか暗い印象があった。
だけど、今の姉は髪が白く逆立っていて、体を覆う様な黒の装束に黄金の鎧を纏い身の丈を優に越した槍を持っていて、そして何より近寄りがたい神々しさともいうべき雰囲気があるのだから。
「……達也。貴方は深雪の側にいなさい」
姉はそう言った。
私を見て、兄を見て、お母様と穂波さんを見て微笑みながら。
その目に宿った慈しみは決して感情が無い人間が宿せるものではなく、私たちを守れたという事に安堵して、そして誇りに思っているようだった。
「ッ!? まて真昼!」
姉は背を向けてこれ以上何も語らずに廊下の先へ走り去っていく。
張り上げられた兄の声や無意識に伸ばした私の手が届かなくなる闇の先へと姉は一人で消えていく。
私は何も知らなかった。
姉のことも、兄のことも。
何もかも、知らなかった。