テクスチャの少女   作:明神阿良也のオタク

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久しぶりの一次連載。よろしくお願いします。


狂人が生まれた日

 とある休日の昼下がり。市村紅里(いちむらあかり)は、小学校の友人達と遊びに出かけていた。小学五年生の彼女にとっては休日に友人と遊ぶことが何よりの楽しみであり、その日も両親から設けられた門限の直前まで校区内を巡って遊び回った。

 

「紅里ちゃん、またね!」

「うん、じゃあね、また明日!」

 

 普段通りの日常。少女にとってかけがえのない時間だ。名残を惜しむように一度だけ振り返って、紅里は足を自らの家へと向けた。

 

 門限の五時前。部屋の明かりを付けるほど暗くはないが、それにしてもやけに人の気配が感じられないような気がして、紅里は家に入る時に僅かな違和感を覚える。

 

「ただいまー!」

 

 玄関で靴を脱ぎながら鍵を閉めて、リビングの方へ声を張り上げた。それでも足音や返事が聞こえないことに疑問を覚えて、もしかして出かけてしまったのかと少し寂しさを覚えながらリビングのドアを押し開ける。

 

 気がつくべきだったのだ。何故家族が少女に何も言わずに消えてしまったのか。この家に立ち込める鉄臭さは何から立っているのか。

 しかしそれを小学五年生の少女に求めるのも無理な話。結局紅里の運命がこの日に歪むことは決定づけられていた。

 

「やあ、おかえり」

 

 少女を迎えたのは温かい家族の言葉ではなく。歪んだ笑みを浮かべる長身の男だった。紅里にそこまで気を回す余裕はなかったが、男は至って普通の服装をしていた。街に紛れ込んでいたら、あるいは道ですれ違っても違和感を覚えることもないだろ平凡な服装。

 

 そしてその足元には血塗れの少女の家族()()()()()が転がっていた。

 

「ひっ、あ、だ、だれ!? あ、ああ、お母さん、お父さん! 康太も!」

 

 一瞬で叩きつけられた情報量に思わず脳内の動揺を口走りながら、紅里は近くに倒れていた母親に駆け寄った。その身体には何度も刃物を突き立てられた穴が空いており、今も大量に血を流している。既に命の灯火は掻き消えていた。

 

「キミのお母さんはもう死んだよ。みんな私が殺してしまったからね」

「ひっ!?」

 

 駆け寄ったはいいが母親にどうすることもできず、現実を受け止められないままオロオロとしていた紅里に、男が笑いかける。

 

「ど、どうして」

「どうしてって……そりゃあ……どうしてだったかな。きっと楽しいからだ」

 

 手に持ったナイフを弄びながら、紅里に気づかせぬよう男が退路を塞ぐ。殺人犯だけあって、用意は周到だった。

 

「趣味みたいなものさ。人が絶望する顔とか、恐怖する顔とかそういった表情が好きなんだ。サスペンスじゃあ満たされないから、仕方がない」

 

 そう言って男がナイフを振り被る。しかし、鋭利な刃が突き立ったのは致命傷には遠く及ばない紅里の太腿だった。鮮血が噴き出し、滴り落ちる。

 額に滲んだ脂汗が、前髪を張り付かせた。

 

「あっ!? うぐぅ……」

「ほら、その顔だよ。叫ぶのを我慢できて偉いねぇ。そのぶん痛そうだけど」

 

 痛みに顔を歪める紅里を見て恍惚とした表情で殺人鬼は嗤う。逃げなければ、とようやく紅里が退路を探し始めた時には、殺人鬼は既に道を塞いでいた。

 子供に極限下で判断を求めるのは酷ではあるが、紅里は些か油断し過ぎた。親を殺した人間から逃げるどころか剰え会話をするなど、どう考えても異常行為だ。男があまりにも自然体だったという理由も、あるにはあるが。

 

「うん、そうだね……それなら、チャンスをあげよう」

「…………」

「三つ数えるから、それまでに外に逃げ切れたらキミの勝ちだ」

 

 殺人鬼はまたも嗤った。彼は楽しくて仕方がなかったのだ。小さい子供を護る両親を嬲り殺しにして随分と満たされてはいたが、その後に現れたのはやけに冷静な子供。彼にとって食後のデザートのような少女は、彼を昂らせるに足るものだった。

 

「さん」

 

 有無を言わさず数え始める。痺れて動かない左足を引きずって、紅里が玄関へと足を進める。男の脇をすり抜け、血を滴らせながら、廊下へと倒れるように駆け込んだ。

 

「にい」

 

 だが、思うようには進まない。使えない片足が訴える痛みは、想像以上に紅里の足を鈍らせた。震える手で壁を押して支えながら、つとめて痛みを意識しないようにする。それでも、小学生の身には重すぎる負荷だった。

 

「いーち」

 

 玄関のドアへあと少しで手が掛かる、という所で、リミットを告げる男の声が聞こえた。

 

「ゼロ」

「い、嫌っ……!」

「はい、ざんねん」

 

 思わず振り返ってしまった彼女が目にしたのは、血の着いたナイフを振りかぶって楽しそうに笑う男。それが、市村紅里が最後に見た光景だった。

 

 

 

 


 

 

「……また、この夢か」

 

 春が近づくとよくこの夢を見るようになる。私の人生が明確に狂ってしまったあの日。

 どうしてこうなってしまったのだと悔やんでも、過去は変えられない。結局、私はこの境遇を受け入れるしかないのだった。

 

 寝汗を吸ってしまった布団から起き出して、寝巻き着を着替える。布団に消臭剤を吹き掛けて、後で祖母に干しておくように頼まなければと思いながら学校へ行く準備をする。すっかり馴染んだ高校のセーラー服を着て、時間割の確認をしながらサッとカバンの中身を改めた。

 忘れ物がないかの確認をしてから、自室を出る。目覚めは良くなかったが、色々やっているうちに眠気と気だるさはマシになっていた。

 

「おはよう、紅里」

「うん、おはよう」

「ご飯はできてるよ。お弁当も置いてあるからね」

「ありがとう。あ、あと布団を干しておいてくれる?」

「はいはい、今日は晴れみたいだからちょうどいいわね」

 

 居間に入ると、ちょうど祖母が朝食をテーブルに並べ終えたところだった。ご飯と味噌汁、卵焼きと半身の焼鮭とほうれん草のおひたし。品数はそれなりだけど、一品毎の量は少ないから食の細いあっさりと食べられる。低血圧とかでもなく朝から食欲はある方だし。

 作ってもらった弁当も忘れない内にカバンに仕舞って、布団のことも頼んだ。歯を磨いて顔を洗って、特に跳ねてもいなかったけど少しボサっとしていた髪を梳けば、起きてから30分程で支度が完了する。女子にしては早い方だろうとは思っているが、特に聞いたことはないので分からない。

 

「じゃあ、いってきます」

「気を付けるのよ」

「わかってる」

 

 本気で心配のこもった声を背中に受けながら、歩きづらい革靴の調子を調えつつ歩き出した。

 

 

 市村紅里の家族が一人の男によって惨殺されてから、もう五年が経とうとしている。

 結局あの日、私は死ななかった。一家惨殺が成る目前で意識を失った私が目を覚ましたのは、総てが終わってしまってからだった。

 

 殺人鬼は最後の一人を殺す直前に謎の心臓発作で死亡し、音沙汰のない家を不審に思った近所の人が警察に通報した頃には既に家の中の生者は私だけになっていたのだという。警官が到着した時、さぞ困惑したことだろう。

 私が祖母に引き取られて日常生活を送れるようになってからも、市村家を襲った男は世間を騒がせていた。当時警察が(こぞ)って捜索していた連続殺人犯で、今でも平成最悪の殺人事件の一つとして私達の記憶に焼き付いている。

 

 最低でも27人。付近の行方不明者、関連事件とされるものを合わせると50人近くを殺しているのではないかと言われている。優秀な日本の警察がこれほどまで後手に回ることは普通に考えてありえないことであり、平成のジャック・ザ・リッパーとまで呼ばれているそうだ。私も本を買って読んでみたことがある。中身はくだらない憶測ばかりだったが。自称有識者達の的外れな弁論に買ったことを後悔して、売るのも面倒くさくて本棚の奥の方にしまいこんである本を私が開くことは二度とないだろう。

 

 

 過去に思いを馳せている内に学校が見えてくる。この時期はよく五年前へと思考が飛ぶ。左太腿の刺傷が疼く度に、血の匂いが立ち込めるあの部屋を、身体にぞわりと震えるような感触を刻むナイフを思い出してしまう。

 

 学校名が刻まれた校門を横切り、少し時間が早い為に人も少ない下足ロッカーを通って教室へ。朝練習に向かった生徒のものか、荷物は幾つか置いてあったが教室には誰もいない。

 

 学生らしく自習をしようにも課題は終わらせてあったから、担任が生徒の為にと持ち込んである本棚の中から適当なミステリを抜き取って読むことにした。

 

 気が向けば読む程度のものだが、読書は好きだ。特にミステリジャンルが。だが、例えば名探偵少年のマンガのようなトリックを目立たせる形式よりも、もっとドロドロとした憎悪と陰謀が渦巻くようなヒューマンドラマを好むので、同年代の読書家とは大概趣味が合わない。それ以外も勿論読むけど。

 よく考えれば、私のような境遇の子どもがこういった作品に拒否反応を示さないのもおかしいのではないかと思う。表立って嗜好をひけらかすことがないからどんな反応をされるか分からないが。

 

 それに、二丘山殺人事件と名付けられたあの事件のことを知っている人間はこの学校には恐らく居ない。もしかしたら、祖母が教師には話してるかもしれないけど。それも過去の騒動を考えればきっとないだろう。

 

 

 ちらほらと教室に入ってくるクラスメイトをスルーしながら本を読んで20分程。挨拶くらいは返すが、高校生活は始まったばかり。クラスの雰囲気が馴染んでいるとは言い難い。そんな私にも、仲の良い友人はいる。

 

「紅里ー! おはよっ!」

「うん、おはよう陽菜」

 

 声をかけてきたのは間宮陽菜(まみやはるな)。中学の頃に知り合ったから、多分付き合いは3年ほどになる。初めはあまり話が合わなかったが、明るい性格で引っ張り回してくるので自然と付き合いが良くなってしまった。私自身はクラスメイトと話すことも少ないのだが、誰にでも気さくに接する陽菜が近くにいるおかげで気を使わなくてもクラスで浮かないので大変助かっている。

 もう一人、よく話す相手はいるけれど、そっちは別枠だ。友人と呼べるかも怪しい関係な上に、随分と歪な関係になってしまったから、私もどう形容すればいいのか分からない。

 

 

 登校時間の五分前に教室に入ってきた陽菜に返事を返して、読んでいた小説に栞を挟んで閉じた。

 

「紅里はいつも早いねー。早起きしんどくないの?」

「朝は強い方だからね。どうせ部活やってるわけでもないし」

 

 部活には入っていない。同好会としてたまに活動しているテニス部に所属してはいるが、たまの活動にもほとんど顔を出さない予定でいる幽霊部員状態だ。日常生活で著しく体力を消耗することは少ないし、疲れが原因で起きられないということもまた滅多になかった。

 陽菜はと言えば、県内でもそれなりに上位にくいこむ女子バドミントン部のエースだ。一年生にも関わらず、一番強いらしい。自称だから本当かどうかは知らないが、彼女の性格からして無用な嘘はつかないだろうからきっとそうなんだろう。

 

「あたしは朝弱いからなー。羨ましいや」

「体質はどうしようもないからね」

 

 低血圧の人は特にだが、誰だって朝は気だるいし眠たい。陽菜が感じるしんどさがどれほどのものなのかは分からないけど、私自身何とか朝は気合を入れて起き出している現状、根性とか気力で乗り切る以上の有効策は考えられなかった。

 

「ほんと辛い……もう慣れたけどね。ああそう言えば、今日の放課後空いてる?」

「まあ、空いてるけど。どうしたの?」

「ほら、桜並木のところで屋台出てるでしょ? 行ってみたいなーって」

「うん、それならじゃあ、行こうか」

 

 近くを流れる川の堤防に、二キロほどの桜並木がある。そこの堤防を一段降りた場所は車で走れるほどに広い幅が取られていて、毎年桜が満開になると屋台が出て花見祭りが行われるのだ。

 屋台とは言っても大したものではなく、私も今まで行ったことはなかったが、せっかくなので行ってみるのも悪くないだろうと誘いに乗る。

 

 親友と、少なくとも険悪でないクラスメイト。

 今度の高校生活は、悪くなさそうだった。


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